2016年06月25日

沖縄旅行

約20年ぶりに沖縄に行ってきました。

ゆいレールはあるし、郊外の道路は立派になり、かなり変貌していました。

ゆいレールは運転席後ろが展望席になっていて、そこにばかり座りました。


那覇空港駅のポイント、モノレールの分岐点は特殊です。




運転席、信号は車上信号のATC。山手線とかと同じで、制限速度が速度メーター周囲に表示されていました。









車両基地への分岐点です。



観光地である首里城のすぐ近くにある、司令豪跡。タクシーの運転手さんに案内してもらいました。
戦争の跡は、街中にも残っています。ここは訪れた当日、NHKの朝のニュースで紹介されたものでした。



旅の第1日め、那覇の夜はここで。
最初の1杯めはサービスセット。おつまみ2品、生ビールはなんと2杯付きで1000円、安い。
オリオンビールは旨い。
地元の人らしき人しかお客はいませんでした。
私は、観光ガイドブックに載っている店はなるべく避けます。
ガイドブックやネットは一切見ず、事前調査は一切はなしにホテル近くを適当に徘徊して、見つけて飛び込んだ店でしたが大正解でした。
泡盛も十分に飲みました。


翌日は宮古島へ移動。
海の色が違います。


宮古空港到着直前。

私は飛行機に乗ったときの、離陸のときの滑走路端から猛加速を開始する瞬間と、着陸して逆噴射する瞬間が大好きです。




島内はレンタカーで観光。観光客のレンタカーも多いけれど、なんとなくのんびりしてしまいます。
昨年出来たばかりの伊良部大橋は、約3キロもある日本最長の通行無料の橋。



宮古島の夜も、あてもなく街を徘徊して、外観だけで店を決定。
ここも大正解。

先客はカウンターに一人客が2人。観光客には見えませんでした。
座敷は予約でいっぱいと言われカウンターに先客と並び座りましたが、飲んでいる途中に電話が入り、かなりキャンセルされたみたい。それでも店の人はのんびりしたもの。
キャンセルされた席に、地元のサラリーマンが案内されました。


当然、オリオンビール。
旨い!


魚が中心の店、地魚の唐揚げに泡盛、もちろんゴーヤちゃんぷるも食べました。


翌日は宮古島をあとにして那覇へ再び移動。さようなら~。





ひめゆりの塔と資料館、平和記念公園と資料館、喜屋武岬などをレンタカーで巡りました。
ひめゆりの塔近くの観光センターは昭和然とした雰囲気でした。

那覇最終日の夜は、ホテルから歩き国際通りへ。
当然、観光客も多く、観光客相手の店ばかりです。いろいろ迷いながら直感で、あるホテルの中の店に入りました。


宿泊したホテルの店は避けて、夜の街へ行きたくなるのは、旅行者の習性。
そこをあえて、ホテル内の店へ。外から入口もあり、入ると先客はゼロでした。
しかし、大将らしき人が大歓迎のもてなし。とても腰が低い大将でした。


今回も1杯セットをファストオーダー。つまみがこれだけついて1000円。つまみが豪華です。お得です。


うちなー料理もそこそこあって、この店も大正解。
あとからボチボチと客がきましたが、落ち着いたものでよかったです。観光客はあまりいなかったかな。


最終日は国際通りを散歩。昼ごはんは牧志公設市場近くでソーキそば。


3日間、昼は沖縄そばだったけれど、ここが一番旨くてしかも安かったです。
あとでガイドブックを見たら、掲載されていました。
観光客にも評判の有名な店だったみたい。知らずに入ったのだけど。


那覇をあとに、帰りの飛行機が空港を離陸する前。
フラップの動作確認。


沖縄は旅行中に梅雨開け。この日は快晴。
飛行中の空は限りなく青く、宇宙が近く感じました。



名古屋上空に近づき、桑名方面から進入していきます。







眼下に揖斐川、長良川が見え、名古屋駅のJRツインタワーも遠目に見えて、
飛島、旧十四山村上空を飛んで中部国際空港に着陸しました。

3日間、よく飲んだなあ。
締めは空港で、軽く飲んでから帰りました。
久しぶりにすっかり、泡盛ファンになってしまいました。

梅雨明けの沖縄は蒸し暑く亜熱帯そのもの。暑さに慣れない体は汗だく、冷房は一晩中消せませんでした。
名古屋はとても涼しく感じました。
真夏の最高気温は、那覇よりも名古屋の方が暑いはずですが。
  

Posted by よっぱらいくま at 17:59Comments(0)TrackBack(0)旅行記

2014年02月23日

青函連絡船八甲田丸と青函トンネル龍飛基地

 「あけぼの」に乗りに行ったついでに、青森の龍飛岬へも行きました。
 冬の龍飛はとても寒く雪深く風が強いイメージで、ちゃんと列車が動くか、道路は大丈夫かと不安も大きいです。
 その日は風も弱く、蟹田から乗った津軽線は遅れもなく順調に走り、三厩駅へ到着しました。
 蟹田駅前の店で買ったビールとつまみをやりながら、約40分の津軽線の旅はのどかでした。
 蟹田駅前の店で買ったつまみはとてもおいしかったです。一人分ちょうど良い量で、小松菜のおひたしとほたてマヨネーズは、塩分控えめの手作りでした。

蟹田駅の津軽線キハ40。



中小国駅は、JR東と北の境界駅です。




線路の境界はこの地点。
津軽海峡線と津軽線が分岐する地点です。




雪の単線の津軽線を行く。




終着の三厩駅。






三厩駅からは町営バスで龍飛岬を目指しました。




道路は普通の圧雪路で、問題なく走れます。




龍飛は風もあり、気温も氷点下ですが、穏やかでした。
ただし、外を歩くにはフードと手袋は必須です。都会の寒さとはやはり桁違いの厳しさですが・・・




龍飛は、青函トンネルの龍飛工事基地があったところです。
ここから旧鉄道建設公団の手で、先進導坑を堀り始めた歴史があります。
詳しくは、高倉健主演の映画「海峡」を観るとよくわかります。大好きな映画です。




そこには今、青函トンネル記念館があり、そのトンネルを利用したケーブルカーで海面下140メートル地点まで行け、そこには工事関係展示があります。
青函トンネルの龍飛海底駅は廃止されて一般乗客が降り立つことは不可能になりましたが、ここは今でも生きています。
ただし、冬期は休館です。






敷地には国鉄の「工杭」がありました。





さて、翌日は函館に立ち寄り、駅前のどんぶり横町で昼食を。
店頭の見本はネタの様々な組み合わせがあるけれど、面倒なので店内で好きなのをトッピングしてもらいました。
私はウニが苦手なんだけど、どの組み合わせにもウニがついてくるもんで。
選んだのは、イカ、カニ、いくら、サーモンです。
おいしかったです。ついでに日本酒も頼んだら、地酒のワンカップでした。




函館から青森へ戻り、青函連絡船八甲田丸へ行きました。
青函連絡船、昭和63年3月13日に廃止されてから、もう約26年です。
最終日、青函トンネルの開業と連絡船の廃止にたちあったのも、はるか昔です。
この連絡船桟橋があったあたりも、風景は激変しました。頭上を道路の大きな橋がかかっていて、桟橋と待合室などがあったあたりも、一変しています。ホームから桟橋への連絡橋だけ、一部残っています。






八甲田丸は、函館に係留、保存されている摩周丸よりも往時の形が残されていて、私はこちらが好きです。




元グリーン(指定)席。





車両甲板には懐かしい車両が。




気動車は燃料を積んでいるため、実際の航海時には積めなかったと案内文にありました。








青函連絡船の心臓部、第一主機室のエンジンです。
乗用車やトラックのエンジンなど鼻くそみたいに見える、巨大なエンジンです。
大きさだけなら戦車のエンジンだって青函連絡船のエンジンにはかなわない。
1基1600馬力のエンジンが第一主機室と第二主機室にそれぞれ4基ずつ、計8基で総出力は12,800馬力。
排気量は何万CCだろうし、燃費とかどのくらいなんでしょうか。
たぶん、リッター数メートルとかだったりして。
その他にも発電用のエンジンが複数あったのです。

今でも燃料とオイルの独特の臭いが立ちこめています。
動いていた時は、ここは轟音に包まれていたのでしょう。


機関制御室です。



コンピューター制御ではない、昭和の時代のいかにも機械の出で立ちです。


ここは元案内事務所でした。ここできっぷとかも買えました。




八甲田丸は、廃止されてから何度も立ち寄ったけれど、青森に来たら必ず立ち寄ってしまいます。
私の、青函連絡船への想いは永遠です。




この後、いよいよ、あけぼの号です。

今回の旅で20代の若い人ともよく話ました(みんな男子です。「あけぼの」に乗りに来た若い女子は皆無でした)。
彼らは鉄道も興味あるけれど旅が好きで、あけぼのがなくなるのがきっかけで来たと言っていました。
しかし、バリバリの鉄ではなく、鉄分は薄いようで普通の旅行者でした。
青函連絡船の中で、私は最後の日に乗ったことを言ったら、彼らはまだ生まれていないと言われ、ショックでした。
あー、もうそんなに年月は過ぎたのだと、感慨ひとしおでした。
そんな彼らは皆、まじめで頭も良さそうで、礼儀正しく言葉使いもきちんとした行動をとっていました。
彼らのような若者がこの先、将来の日本を背負っていってくれるならと、頼もしく思いました。


あけぼの号立ち往生顛末記」に続く



  

Posted by よっぱらいくま at 15:01Comments(0)TrackBack(0)旅行記

2012年10月24日

TGVの思い出 つづき

フランス国鉄SNCFの線路敷地に入って撮影した話しを前回、書きました。
そのときの写真が見つかったので、さっそくスキャナーで読み取りました。



高速で迫る列車にシャッターは合いません。



またまた失敗。


在来線の列車なら



こんなもんだ。



そのうち慣れてきて




パリ近郊の駅でした。








駅から道路を歩いていきました。








  

Posted by よっぱらいくま at 22:13Comments(0)TrackBack(0)旅行記

2012年10月20日

TGVの思い出

私が初めてフランスへ行ったのは約20年前。
パリの近郊へ行って、線路際で写真を撮っていました。
そうしていると、保線員の集団がやってきました。私の方へ来て何か言ってきます。
私は線路に面した道路から、ズーム機能もないバカチョンカメラを構えていました。
手招きして、「こっちに来い、そんなところよりもいいぞ」みたいな手振りで来いと言っているみたいでした。
それで線路を渡って、線路と線路の間の比較的広い場所に入っていきました。
そこならもっといい写真が取れるぞみたいな態度で、笑って去っていきました。
私は、「めるしー、ぼくー」とお礼を言いました。

そこは、例えれば、東海道本線の茅ヶ崎-平塚間の相模川の平塚寄りにある、下り線と上り線の間が広く離れているところみたいでした。そこで私は中学生の頃、写真を撮ったことがあります。踏切から入っていくことができました。現在ではそこは踏切に沿って、線路とは直角に、フェンスが設置されて入れないようになってます。もちろん線路の部分にはフェンスはないけれど、立入禁止を主張しています。

で、話しは戻って、その線路と線路の間で写真を撮っていました。
パリ近郊の在来線です。近郊列車が何本も通っていきます。
しかし、そこにはTGVも通るんですね。
その頃はパリのターミナルから近郊区間は在来線を通って、郊外に出ると専用の新線を時速300キロで走っていたと思います。
でも、TGVは在来線区間もそれなりのスピードで走るんです。

私は在来線感覚で写真を撮っていたんですが、TGVが迫ってきたらそれこそ、あっという間に接近して真横を通過していきました。200キロ近く出ているのではと思いました。日本の在来線特急感覚とは別世界で、のけぞってしまいました。
シャッターを押すタイミングがまるで合いませんでした。

これは日本では絶対に味わえないことでした。だって、新幹線の線路には入れないし、入ったら新幹線特例法で入っただけで犯罪です。
前に新幹線線路に身を乗り出して写真を撮っている人を見つけて、JR職員が警察に通報したのどうとかと新聞に載ってましたよね。

フランスの保線員に入っていいよと言われて、TGVも走っている線路に入って、すごい体験をしたものです。
いまでもフランスはこれほどおおらかかどうかは、知りません。
日本も、昔に比べて、やたらギスギスした社会になっていると思います。

線路敷地内から、道路に戻るときは、遠くにTGVが迫っていないか、厳重に警戒して線路を渡りました。

  

Posted by よっぱらいくま at 21:57Comments(0)TrackBack(0)旅行記