2013年12月28日
敬老パス
名古屋市の敬老パスの負担金増が物議を醸している。
私は、公共交通の利用促進の面からも、敬老パスは存続すべきと思っている。
ただし、負担金については、現実に金持ちの老人も多いのだから、高収入の人は倍でも三倍でも負担するべきと思う。
年金でギリギリの生活の人は限りなく負担金は低く抑えればよい。
敬老パスの事業費が名古屋市の財政の負担になるというが、その何倍もの金を道路関係予算で使ってているのではないか。公共交通の利用を増やす施策として、車から少しでも地下鉄やバス利用へシフトしてもらうためにも、金がかかってもよいと思う。クルマのために使う多大な税金よりも有意義ではないか。
マスコミ、新聞も同じ、そういう観点での見方はまったくない。ただ金勘定だけの議論だけだ。道路にかける税金には赤字とかそういう観点がまったくないから見えないだけ。マスコミも河村市長と大差はない。しょせんその程度。
河村市長がそういった名古屋市の総合交通政策的な観点から、敬老パスの存続や負担金増について考えているとは思えない。 河村市長は負担金増は考えていないと言っているが、真意はただの高齢層からの人気取りだけが目的だろう。
もっとも、電車で行けるところへでも絶対に車を使う、クルマ移動しか視野にない老人(名古屋市民全般)も名古屋には多いから、そういう人間にとっては負担金がゼロだろうが何だろうが、敬老パスをもらって、地下鉄やバスに乗ることもないだろうが。名古屋が田舎と言われる所以である。
私は、公共交通の利用促進の面からも、敬老パスは存続すべきと思っている。
ただし、負担金については、現実に金持ちの老人も多いのだから、高収入の人は倍でも三倍でも負担するべきと思う。
年金でギリギリの生活の人は限りなく負担金は低く抑えればよい。
敬老パスの事業費が名古屋市の財政の負担になるというが、その何倍もの金を道路関係予算で使ってているのではないか。公共交通の利用を増やす施策として、車から少しでも地下鉄やバス利用へシフトしてもらうためにも、金がかかってもよいと思う。クルマのために使う多大な税金よりも有意義ではないか。
マスコミ、新聞も同じ、そういう観点での見方はまったくない。ただ金勘定だけの議論だけだ。道路にかける税金には赤字とかそういう観点がまったくないから見えないだけ。マスコミも河村市長と大差はない。しょせんその程度。
河村市長がそういった名古屋市の総合交通政策的な観点から、敬老パスの存続や負担金増について考えているとは思えない。 河村市長は負担金増は考えていないと言っているが、真意はただの高齢層からの人気取りだけが目的だろう。
もっとも、電車で行けるところへでも絶対に車を使う、クルマ移動しか視野にない老人(名古屋市民全般)も名古屋には多いから、そういう人間にとっては負担金がゼロだろうが何だろうが、敬老パスをもらって、地下鉄やバスに乗ることもないだろうが。名古屋が田舎と言われる所以である。
2013年12月27日
うーむ
安倍首相の靖国参拝、マスコミは批判一辺倒だ。
普天間の辺野古移転、原発にしても、マスコミの論調は国民の大多数が反対しているかの論調だ。
本当にそうなのだろうか。
街頭インタビューは、反対、批判、不安の声ばかりだが、マスコミ各社のそれは、放送できる、採用できるインタビューを撮るために、100人の声を聞いて、やっと撮れた一人だけの、ごく一部の声なのではないかと疑ってしまう。
100人に聞いて、やっと現れた一人だけの声だけを、マスコミにとってはそれだけが放送できる声として採用しているのではないかと疑ってしまう。100人に聞いて一人だけの声を、さも大多数の声みたいに放送しているのではと疑う。
今日の中日新聞朝刊、本当に日本国の新聞なのかと疑ってしまった。日本人はどこまで自虐的になっていくのだろうか。マスコミが自らを否定する国は日本くらいだろう。
理不尽なクソガキ国相手に、大人の対応を続けても何も変わらないのだから、日本もこれからは同等にやればいいだけだ。最後に損するのはどの国なのか、答えは明確に出るだろう。
普天間の辺野古移転、原発にしても、マスコミの論調は国民の大多数が反対しているかの論調だ。
本当にそうなのだろうか。
街頭インタビューは、反対、批判、不安の声ばかりだが、マスコミ各社のそれは、放送できる、採用できるインタビューを撮るために、100人の声を聞いて、やっと撮れた一人だけの、ごく一部の声なのではないかと疑ってしまう。
100人に聞いて、やっと現れた一人だけの声だけを、マスコミにとってはそれだけが放送できる声として採用しているのではないかと疑ってしまう。100人に聞いて一人だけの声を、さも大多数の声みたいに放送しているのではと疑う。
今日の中日新聞朝刊、本当に日本国の新聞なのかと疑ってしまった。日本人はどこまで自虐的になっていくのだろうか。マスコミが自らを否定する国は日本くらいだろう。
理不尽なクソガキ国相手に、大人の対応を続けても何も変わらないのだから、日本もこれからは同等にやればいいだけだ。最後に損するのはどの国なのか、答えは明確に出るだろう。
2013年12月22日
三河田原駅改築後 旧ホーム撤去
三河田原駅の旧駅舎に続いて、旧ホームもほとんど撤去されました。
豊橋方の新設された架線柱を見ると、整地したあと複数の側線を設けるのかなと思います。
以前は終電後夜間には4編成くらい田原駅に電車を留置していたから、その機能を元通りにするのかなと思います。
工事はこれからも当分、続くのでしょう。
豊橋方の新設された架線柱を見ると、整地したあと複数の側線を設けるのかなと思います。
以前は終電後夜間には4編成くらい田原駅に電車を留置していたから、その機能を元通りにするのかなと思います。
工事はこれからも当分、続くのでしょう。
2013年12月22日
LUMIX FZ-200 渥美線撮影
パナソニックのFZ-200を購入しました。
さて、私はフィルムカメラはEOS-1はじめF-1、newF-1など持っていますが、デジカメは本当のコンパクトカメラしか持っていません。
それで、一応、本格撮影用にようやくというか、いまさらというか、分類上はコンパクトカメラだけど、結構ズーム倍率やレンズ性能が良さそうな、このLUMIX FZ-200を買ったのです。
ビックカメラのネット通販で4万円を切っていたのも、よいタイミングでした。ところが買ってからすぐに59800円に値上がりしていました。その後価格変動が多少あったり、ポイントが10→1%になったりして、ぜんぜんお得感がなくなりました。その後また、4万円を切ったけれど、またまた598になっています。よくわかりません。
FZ200は25ミリから600ミリまでの24倍ズーム搭載です。この頃は化け物みたいな50倍、60倍ズーム機も出現していて、それもコンパクトで低価格。私が学生の頃は600とか800ミリ、ましてや1200ミリレンズなんてバズーカ砲みたいで、100万円以上していたし(今でもね)夢物語。カタログの受注生産の文字に、無縁のものと思っていました。
昔、新宿のヨドバシカメラによく通っていた頃、店頭のショーケースに展示していたFD600ミリや800ミリに憧れて見ていて、いつかは手に入れて、別世界の画角で撮影してみたいとみたいと思っていました。
その超望遠がいまや当たり前に手に入るなんて、技術革新の賜です。
もちろん、いまでも100万円以上する一眼レフ用のとは多少性能は違うのだろうけれど、大きさや重さを考えたらコンパクトの方が遙かに実用的です。
レンズも非球面にEDレンズがてんこ盛り。30年前にこの価格でこのレンズは不可能でしょう。
昔のキャノンのカタログにある白いレンズ、その説明に、レンズに蛍石、UDガラスを何枚使用なんて書いてあるのを見て、雲の上の存在でした。
FZ200は全域F2.8、ここがこのカメラを選択した一番の理由です。100万以上する一眼用でも、キャノンの巨大なEF600ミリでF4だったかな。なんで、24倍ズーム、25~600ミリで全域F2.8なんて、私の古い価値観では夢のようです。
さて、試運転というか初撮影をしてみました。線路際に立つのは久しぶりです。
光学ズーム最高の600ミリでの撮影に挑戦。
豊橋鉄道渥美線の三河田原駅を出発した電車です。
はるかかなたのカーブの先から、ほぼ真正面に電車を捉えることができました。
手ぶれなし、ピンぼけなし、すべてカメラ任せで、手持ちでここまできれいとは。
ちなみに私、昔から三脚は使わない主義です。どんなくそ重い一眼レフと望遠レンズでも手持ちが基本です。あれは場所取り用だと思っています。
それでFZ200の手ぶれ防止機能も、よく働いているようです。
こんな画角の写真が気軽にとれるなんて、デジカメはすごいと、つくづく思います。
ちょっと前までデジカメに否定的だった自分が恥ずかしいです。でも10年くらい前にはカメラ雑誌でも、デジタルvs銀塩なんて企画もありましたよね。今やデジタルに敵なしかな。
同じ場所で振り返って、神戸駅側です。これはデジタルズーム併用で約1000ミリ相当です。空気のゆらぎが影響されるほどの超望遠撮影ですが、ブレなし、ピンぼけなし、いやはやすごいなと思いました。
広角側、25ミリです。
陰影の差がある条件です。
露出もすべてカメラ任せです。
順光の普通の景色。
日没前の微妙な条件。
日が沈んで、かなり暗くなっての超望遠撮影ですが、ピントもブレも問題なし。
すべて、露出、ピントもカメラ任せの撮影でした。
写真自体もすべて、トリミング等や一切の補正もしていません。
コンパクトカメラだけど、素人の私にはもうこれで十分です。EOS5くらいは欲しいと思っていたけれど、軽くて機動力抜群、面倒なレンズ交換も不要だし、バカ高い交換レンズも必要なしだから、デジタル一眼レフはいらないな。
カメラ雑誌などでは、それでも高性能一眼と高級交換レンズと、こんなコンパクトカメラとの性能比較はどのように評価されるのでしょうか。
これを持って電車に乗って、東海道本線や北陸本線の撮影にも行きたくなりました。
さて、私はフィルムカメラはEOS-1はじめF-1、newF-1など持っていますが、デジカメは本当のコンパクトカメラしか持っていません。
それで、一応、本格撮影用にようやくというか、いまさらというか、分類上はコンパクトカメラだけど、結構ズーム倍率やレンズ性能が良さそうな、このLUMIX FZ-200を買ったのです。
ビックカメラのネット通販で4万円を切っていたのも、よいタイミングでした。ところが買ってからすぐに59800円に値上がりしていました。その後価格変動が多少あったり、ポイントが10→1%になったりして、ぜんぜんお得感がなくなりました。その後また、4万円を切ったけれど、またまた598になっています。よくわかりません。
FZ200は25ミリから600ミリまでの24倍ズーム搭載です。この頃は化け物みたいな50倍、60倍ズーム機も出現していて、それもコンパクトで低価格。私が学生の頃は600とか800ミリ、ましてや1200ミリレンズなんてバズーカ砲みたいで、100万円以上していたし(今でもね)夢物語。カタログの受注生産の文字に、無縁のものと思っていました。
昔、新宿のヨドバシカメラによく通っていた頃、店頭のショーケースに展示していたFD600ミリや800ミリに憧れて見ていて、いつかは手に入れて、別世界の画角で撮影してみたいとみたいと思っていました。
その超望遠がいまや当たり前に手に入るなんて、技術革新の賜です。
もちろん、いまでも100万円以上する一眼レフ用のとは多少性能は違うのだろうけれど、大きさや重さを考えたらコンパクトの方が遙かに実用的です。
レンズも非球面にEDレンズがてんこ盛り。30年前にこの価格でこのレンズは不可能でしょう。
昔のキャノンのカタログにある白いレンズ、その説明に、レンズに蛍石、UDガラスを何枚使用なんて書いてあるのを見て、雲の上の存在でした。
FZ200は全域F2.8、ここがこのカメラを選択した一番の理由です。100万以上する一眼用でも、キャノンの巨大なEF600ミリでF4だったかな。なんで、24倍ズーム、25~600ミリで全域F2.8なんて、私の古い価値観では夢のようです。
さて、試運転というか初撮影をしてみました。線路際に立つのは久しぶりです。
光学ズーム最高の600ミリでの撮影に挑戦。
豊橋鉄道渥美線の三河田原駅を出発した電車です。
はるかかなたのカーブの先から、ほぼ真正面に電車を捉えることができました。
手ぶれなし、ピンぼけなし、すべてカメラ任せで、手持ちでここまできれいとは。
ちなみに私、昔から三脚は使わない主義です。どんなくそ重い一眼レフと望遠レンズでも手持ちが基本です。あれは場所取り用だと思っています。
それでFZ200の手ぶれ防止機能も、よく働いているようです。
こんな画角の写真が気軽にとれるなんて、デジカメはすごいと、つくづく思います。
ちょっと前までデジカメに否定的だった自分が恥ずかしいです。でも10年くらい前にはカメラ雑誌でも、デジタルvs銀塩なんて企画もありましたよね。今やデジタルに敵なしかな。
同じ場所で振り返って、神戸駅側です。これはデジタルズーム併用で約1000ミリ相当です。空気のゆらぎが影響されるほどの超望遠撮影ですが、ブレなし、ピンぼけなし、いやはやすごいなと思いました。
広角側、25ミリです。
陰影の差がある条件です。
露出もすべてカメラ任せです。
順光の普通の景色。
日没前の微妙な条件。
日が沈んで、かなり暗くなっての超望遠撮影ですが、ピントもブレも問題なし。
すべて、露出、ピントもカメラ任せの撮影でした。
写真自体もすべて、トリミング等や一切の補正もしていません。
コンパクトカメラだけど、素人の私にはもうこれで十分です。EOS5くらいは欲しいと思っていたけれど、軽くて機動力抜群、面倒なレンズ交換も不要だし、バカ高い交換レンズも必要なしだから、デジタル一眼レフはいらないな。
カメラ雑誌などでは、それでも高性能一眼と高級交換レンズと、こんなコンパクトカメラとの性能比較はどのように評価されるのでしょうか。
これを持って電車に乗って、東海道本線や北陸本線の撮影にも行きたくなりました。
2013年12月01日
東海軒 静岡駅 駅弁の思い出
静岡駅のシューマイが好きだと、前にも書きました。
最近はご無沙汰ですが、静岡駅の幕の内弁当も、正統派混じりけなしの典型的幕の内弁当でした。
347M、345Mなど、列車番号はいろいろ変わったけれど、東京と大垣を結ぶ普通夜行は、よく乗ったものです。青春18きっぷのフル活用の大事な移動手段でした。
青春18きっぷ利用でなくても、グリーン車も重宝しました。
私は、大垣夜行は165系時代は本当によく乗りましたが。特急用の383系でしたっけ?それに変わってからは乗らなくなりました。そして、季節運転になって、とうとう廃止されました。
その165系時代、静岡では必ず長時間停車がありました。その間に貨物のフレートライナーに2本くらい抜かれたものです。その深夜の静岡駅で売っていたのが、幕の内弁当でした。
なんで深夜にと思うのだけど、立ち売りから必ず買ったものです。深夜、食欲もないはずだけど、なぜかおいしく食べました。経木の器はほのかに木の香りがして、しかも深夜なのにできたてで、ほかほか暖かくておいしかったです。ふたの裏にべったりとついたご飯を一生懸命箸ではがして食べたものです。
必ず、わさび漬けもついていました。当時はわさび漬けはきらいで残していました。今は大好きです。あの小さな器に入ったわさび漬けを、楊枝の先でちょこっと取って、ちびちびと食べながら酒を飲むのは最高です。
ひさしぶりに、静岡の幕の内弁当が食べたくなりました。
静岡駅のサンドイッチも、レトロな包装で興味がありますが、食べたことはありません。
名古屋駅の「こだま弁当」も、正統派の幕の内弁当ですね。あれも大好きです。
最近はご無沙汰ですが、静岡駅の幕の内弁当も、正統派混じりけなしの典型的幕の内弁当でした。
347M、345Mなど、列車番号はいろいろ変わったけれど、東京と大垣を結ぶ普通夜行は、よく乗ったものです。青春18きっぷのフル活用の大事な移動手段でした。
青春18きっぷ利用でなくても、グリーン車も重宝しました。
私は、大垣夜行は165系時代は本当によく乗りましたが。特急用の383系でしたっけ?それに変わってからは乗らなくなりました。そして、季節運転になって、とうとう廃止されました。
その165系時代、静岡では必ず長時間停車がありました。その間に貨物のフレートライナーに2本くらい抜かれたものです。その深夜の静岡駅で売っていたのが、幕の内弁当でした。
なんで深夜にと思うのだけど、立ち売りから必ず買ったものです。深夜、食欲もないはずだけど、なぜかおいしく食べました。経木の器はほのかに木の香りがして、しかも深夜なのにできたてで、ほかほか暖かくておいしかったです。ふたの裏にべったりとついたご飯を一生懸命箸ではがして食べたものです。
必ず、わさび漬けもついていました。当時はわさび漬けはきらいで残していました。今は大好きです。あの小さな器に入ったわさび漬けを、楊枝の先でちょこっと取って、ちびちびと食べながら酒を飲むのは最高です。
ひさしぶりに、静岡の幕の内弁当が食べたくなりました。
静岡駅のサンドイッチも、レトロな包装で興味がありますが、食べたことはありません。
名古屋駅の「こだま弁当」も、正統派の幕の内弁当ですね。あれも大好きです。
2013年12月01日
時刻表1979年10月号その3
東北方面を見て。
ふと、常磐線上りのページに目がいきました。
最初から、「ゆうづる2号」に始まり4号、6号、8号、10号、12号と6本もの寝台特急が並んでいます。なんて壮観なんでしょうか。間をおいて14号まで、なんとすべてが定期列車、上野ー青森間に7往復もの「ゆうづる号」が毎日走っていたのです。東北本線も合わせれば、「はくつる」もあります。上野ー青森の寝台特急は、常磐線経由の「ゆうづる」が主力でした。そのかわり、東北本線には奥羽本線を通り秋田方面へ向かう「あけぼの」をはじめ急行「津軽」らが福島から合流します。仙台発着の「新星」、盛岡発着の「北星」などの寝台列車、そして急行「八甲田」もあるので、東北本線も夜行列車で賑わっていた。常磐線の夜行急行も「十和田」が定期2往復に季節運転1往復の計3往復走っていました。
新幹線開業前は、たくさんの夜行列車が東北本線、常磐線を走っていました。
昼行列車も主力の青森発着の「はつかり」、盛岡発着の「やまびこ」、仙台発着の「ひばり」に、秋田発着の「つばさ」、山形発着の「やまばと」が、急行は「まつしま」、「いわて」、「ざおう」、「ばんだい」、「なすの」、「にっこう」とかその他多数の、もう本当に優等列車が10分間隔くらいで東北本線を疾走していました。特急はほぼすべてに食堂車がありました。
急行が普通を抜き、特急が急行を抜きと、複雑なダイヤ編成で、時刻表を読む楽しみは格段に上でした。
その分、東北本線の上野口などは、今でいう「宇都宮線」なんかの普通電車の本数はとても少なかったです。私は「東北本線」を「宇都宮線」と言ったりするのは嫌いです。今でも強情に「東北線で大宮まで行って・・・」とか言っています。
同様に東海道本線のことを「琵琶湖線」とか「京都線」、「神戸線」とか言うのも嫌いです。これJR西が言う通称だけど、東海道新幹線の中の放送では決して使わないんですよね。JR東海は私同様、他社の通称は使いません。米原でも、京都でも、新大阪でも乗り換え案内は「東海道線はお乗り換えです」って言っています。JR東海にはそういう通称路線名は使っていませんね。
この頃、急行の列車名はいったいいくつあったのでしょうか。夢のような時代でした。
ふと、常磐線上りのページに目がいきました。
最初から、「ゆうづる2号」に始まり4号、6号、8号、10号、12号と6本もの寝台特急が並んでいます。なんて壮観なんでしょうか。間をおいて14号まで、なんとすべてが定期列車、上野ー青森間に7往復もの「ゆうづる号」が毎日走っていたのです。東北本線も合わせれば、「はくつる」もあります。上野ー青森の寝台特急は、常磐線経由の「ゆうづる」が主力でした。そのかわり、東北本線には奥羽本線を通り秋田方面へ向かう「あけぼの」をはじめ急行「津軽」らが福島から合流します。仙台発着の「新星」、盛岡発着の「北星」などの寝台列車、そして急行「八甲田」もあるので、東北本線も夜行列車で賑わっていた。常磐線の夜行急行も「十和田」が定期2往復に季節運転1往復の計3往復走っていました。
新幹線開業前は、たくさんの夜行列車が東北本線、常磐線を走っていました。
昼行列車も主力の青森発着の「はつかり」、盛岡発着の「やまびこ」、仙台発着の「ひばり」に、秋田発着の「つばさ」、山形発着の「やまばと」が、急行は「まつしま」、「いわて」、「ざおう」、「ばんだい」、「なすの」、「にっこう」とかその他多数の、もう本当に優等列車が10分間隔くらいで東北本線を疾走していました。特急はほぼすべてに食堂車がありました。
急行が普通を抜き、特急が急行を抜きと、複雑なダイヤ編成で、時刻表を読む楽しみは格段に上でした。
その分、東北本線の上野口などは、今でいう「宇都宮線」なんかの普通電車の本数はとても少なかったです。私は「東北本線」を「宇都宮線」と言ったりするのは嫌いです。今でも強情に「東北線で大宮まで行って・・・」とか言っています。
同様に東海道本線のことを「琵琶湖線」とか「京都線」、「神戸線」とか言うのも嫌いです。これJR西が言う通称だけど、東海道新幹線の中の放送では決して使わないんですよね。JR東海は私同様、他社の通称は使いません。米原でも、京都でも、新大阪でも乗り換え案内は「東海道線はお乗り換えです」って言っています。JR東海にはそういう通称路線名は使っていませんね。
この頃、急行の列車名はいったいいくつあったのでしょうか。夢のような時代でした。