2021年07月18日

東海道本線 朝の撮影

毎朝の散歩コースで東海道線の脇を歩いています。
コンデジを首からぶら下げて、朝の散歩ついでに撮影です。


豊鉄渥美線と交差するところ。




上の鉄橋が渥美線です。



豊橋6:21発の浜松行きは、373系です。





こんな保線用の車両が猛スピードで自力走行して、浜松方面へ行きました。
ディーゼルエンジンですね、このあたりでは気動車は走らないので珍しいです。




  

Posted by よっぱらいくま at 14:10Comments(0)TrackBack(0)撮影記

2021年07月18日

豊橋市内電車

豊橋市内を走る路面電車、正式名称は「豊橋鉄道東田本線」ですが、土曜日の夕方、駅前に歩いて飲みに行くついでに撮影しました。


ニコンP900の超望遠を武器に撮影。


豊橋駅をバックに。


駅前デッキから。  

Posted by よっぱらいくま at 13:49Comments(0)TrackBack(0)撮影記

2021年06月27日

銚子電鉄今昔

ネガを見ていたら、昭和57年の銚子電鉄の写真を見つけました。


銚子駅











犬吠駅



ほぼ同じ位置の、今。








  

Posted by よっぱらいくま at 15:57Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 私鉄

2021年05月16日

函館・池田園 往復の小旅行

 今年の2月に北海道へ行ったとき、函館での午後、予定がなかったので思いつきで函館本線の鈍行に乗ることにしました。
 昼過ぎ、時刻表(北海道版)を見て、池田園まで往復が都合がよいとわかりました。20分弱で帰りの鈍行にのることができます。
 函館14:30分発の長万部行きは、キハ40の単行です。車体には北海道の恵みがペイントされています。車内もシートは更新されているものの、ボックス席が基本の昔のままです。








新函館北斗駅を発車すると、北海道新幹線の高架が途切れます。



その先に、新しいトンネルが工事中の坑口が見えます。



大沼を発車して、大沼公園経由の線路が分岐していきます。




時間帯のせいもあるけれど、五稜郭をはじめ途中駅でほとんどの乗客は降りてしまい、ガラガラのまま池田園に到着しました。






 次に乗る上り列車は15:33発。その前は8:52発です。
 何もない駅舎内。



跨線橋で到着列車を撮影。北海道らしい景色です。





単行の列車は空いていました。

次の大沼で特急待避。駅前を歩く余裕も。
一昔前の鈍行の旅と同じ。









長時間停車の度に駅前へ。



新函館北斗でも長時間停車。
新幹線乗り換え口を見てきました。



乗り換え口の案内係のお姉さん、あれで黒いコートだったらメーテルにそっくりだ。



売店もあったので、ビールを買っちゃいました。





函館山と、昔の函館運転所が見えてきて、小旅行はお終い。
函館本線の鈍行に乗ったなんて、35年以上前です。旧客で函館から札幌まで通しで乗って以来。



乗ってきた列車は、折り返し森行きとなりました。
乗っていた10人前後の客は、足早に改札へ向かっていきました。



  

Posted by よっぱらいくま at 15:55Comments(2)TrackBack(0)乗車記 JR

2021年05月09日

本数の少ない路線バス

日本一本数の少ない路線バスはどこだろうか。
ネットを見ると、京都で年1回しか走らない路線バスがあるらしい。
そういう特殊な例は除いて、一日の本数が少ないのはどこか。

私の経験上、地方ローカルバスは本数は少ないながらも、公的補助を受けて一日5~6本は維持しているところが多く感じます。

さてそれは、私が過去に実際に何度も利用していた路線バスなんです。
どんなど田舎にいたのかと疑われるかもしれませんが、それは、
西武バス「大34系統」。大宮駅西口と所沢駅東口を結ぶ、沿線には埼玉なりの人口密集地を走るバスです。
本数は一日1本、始発イコール最終というものです。

私の母がこのバス路線沿線に長期間入院していたとき、病院へ通うため上福岡駅入口バス停から何度も乗ったのです。
それはもう、約8年前のこと。
その頃は一日8往復あって、少ない本数ゆえ時刻表を確認して利用したものです。
不便ではあったけれど、他に公共交通はありませんでした。

しかし、この路線は大宮周辺の渋滞がひどく、30分、40分遅れて来ることが日常茶飯事でした。
それでも、乗客はちゃんと乗っていて、空気を運ぶような状況ではなかったです。

それが、母は亡くなり乗ることもなくなりましたが、その後もたまに時刻表を確認すると、のちに一日6往復になっていました。

そして現在、なんと一日1往復しか走っていません。しかも、土日は運休。
完全に公共交通としての機能を放棄しています。
なんで残しているのか。
路線免許を維持するためなのか。
渋滞で機能を維持できないからなのか。
ちなみに、私が上福岡沿線に越してきた昭和50年頃ははるかに本数は多く、
30分間隔くらいであったように記憶しています。
現在は東武バスも含めて、あきらかにバスの本数は激減しています。それだけクルマが増えたのか。

東京に近い、沿線人口も多いところを走る路線が、一日1往復しかないことに、公共交通維持の問題の根は深いと思います。

他にも一日1往復しかない路線バスってあるのでしょうか。
  

Posted by よっぱらいくま at 15:47Comments(0)TrackBack(0)日記

2021年04月29日

柏原-近江長岡

GW初日、大雨の柏原-近江長岡間で撮影。









下り貨物、しらさぎ号、上り貨物、下り普通と、20分あまりで撮れました。



最後は、運転するクルマの中から、上り普通を。

  

Posted by よっぱらいくま at 20:22Comments(0)TrackBack(0)撮影記

2021年04月25日

標茶駅

今年2月、北海道に行ったとき、標茶駅を訪問しました。
SL釧路湿原号が爆弾低気圧のせいで運休となり、仕方なく釧網本線沿いをレンタカーで走りました。

その昔、私が大学生だったとき昭和59年頃に標津線を完乗したときに、釧網本線乗り換えで初めて途中下車しました。
当時の駅舎ではないでしょう。














右側のこの先から標津線が分岐していたはずです。




駅前です。
左のセブンイレブンは昔、「しべちゃ生協」でした。
暗くなってから標茶に到着して、夕食を買ったのでよく覚えています。

  

Posted by よっぱらいくま at 14:56Comments(0)TrackBack(0)

2021年04月11日

常紋トンネル

2月、網走から特急「大雪」に乗りました。
石北本線に乗るのは、30年ぶりか、はたまた大学生以来、約40年ぶりかもしれません。

大雪はキハ183でした。指定席1号車の先頭座席は前面展望可能です。
知らずに別の席を購入してしまいました。

常紋トンネルを越える手前、留辺蘂を出発してからこのあたりだろうと見当をつけて、空席の展望席に座りました。
程なく常紋トンネルが現れました。バッチリのタイミングでした。



展望席は1号車指定席17番ABです。





上り旭川行きの場合、遠軽で進行方向が変わる網走から遠軽までです。
下りの場合は、旭川から遠軽までが展望席となります。
4号車自由席の場合はその逆です。

久しぶりに雪景色の鉄路を楽しみました。




常紋トンネル建設時の出来事は数多くの書籍となり、建設に携わったタコ部屋労働者の悲惨な実態は有名です。
現実に付近の土地やトンネル内の壁の中からは、多数の人骨が見つかっています。
こういう歴史を知ることは大事ですね。  

Posted by よっぱらいくま at 15:15Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2021年03月28日

N700Sに乗りました

名古屋から東京まで乗車したのぞみ号。
たまたま、N700Sが来ました。初乗車です。



内装はN700Aとはかなり違う印象です。



窓まわりがかなり違います。窓の上の空調の吹き出し口はなくなっています。
Aよりも窓が大きくなった気がしますが、デザインからくる錯覚でしょうか?



座席の案内板も一新。



トイレはウォッシュレット完備。本体は家庭用と同じに見えます。






乗り心地もAとは違うように感じました。  

Posted by よっぱらいくま at 12:33Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2021年03月28日

山手線のヘッドマーク

 3月20日(土)の午前、東京駅で山手線を待っていると、ヘッドマークをつけた編成が来ました。
 何気なく写真を撮りました。



ドアの横に同じく貼ってあります。

すれ違う他編成にはヘッドマークはありません。
希少価値があったのかしら?

池袋で下車したとき撮った後方は違うデザインでした。


  

Posted by よっぱらいくま at 10:41Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2021年03月28日

銚子電鉄乗ってきました

 日曜日の午後、ふと思いつき、銚子電鉄に乗ってきました。
 実は、佐原の生活も3月いっぱい。せいぜい楽しもうかなと。
 佐原から成田線で約50分。
 銚子電鉄はそこそこ賑わっています。






きっぷは一日券を、車掌さんから購入。



前回同様、犬吠駅で下車。


外川駅まで歩いていく途中で、撮影。
春キャベツの収穫時期です。
佐原でもキャベツは安く、60円台で1個買えます。



外川駅は雰囲気が良いです。


入場券を買うとこの「来駅記念」がもらえます。
前回も買ったけど、少しでも増収に貢献ができればと、今回は濡れ煎餅もいっしょに買いました。



折り返し銚子行きが到着。
午後のひととき、プチ旅行でした。



銚子から佐原まで約50分、呑み鉄です。




  

Posted by よっぱらいくま at 10:29Comments(0)TrackBack(0)乗車記 私鉄

2021年03月13日

青函連絡船三十三回忌

今日は、青函連絡船の三十三回忌です。

33年前と同じく、2021年の今日も、ダイヤ改正の日。

自作ビデオを観ながら酒を飲み、青函連絡船を偲びます。

世界一美しい船、青函連絡船。

2月に函館に行った際、摩周丸に見学に行って、デッキに流れる蛍の光に、思わず涙が流れた私です。
  

Posted by よっぱらいくま at 20:00Comments(0)TrackBack(0)青函連絡船

2021年01月31日

大垣夜行廃止の報を聞いて

ついに、東京-大垣間の夜行鈍行が廃止となるそうです。
新聞などでも思い出話しがとりあげられています。
私も大垣夜行には思い出がいっぱいです。

私にとっては、347M、375Mといった列車番号での呼び方がなじみ深いです。
初めて乗った高校生から大学生にかけては347Mだったです。ダイヤ改正で375Mになったと思います。昭和55年から60年頃のことです。
その他にも「ガキ電」、「大垣夜行」とか言われていました。私は、鉄道仲間との会話では「347で行こうか」とか言うのが日常でした。

1996年、平成8年3月、165系での運用が終焉を迎える372M東京行きを、大垣駅で撮影した写真です。私にとっての165系での運用での大垣夜行最後のお名残乗車でした。
特に混むこともない、普段通りの姿でした。






先頭車には急行東海用のヘッドマーク取り付け台がそのまま。






大垣夜行165系での運用が終わるのと合わせて、急行東海も165系での運用は終わりとなりました。
165系での運用での最終日には、静岡から急行東海4号にお別れ乗車しました。

同日、165系運用での最期の大垣夜行の発車を、品川駅で見送りました。






1996年3月ダイヤ改正から、165系から373系特急車両に代わり、東京発車時点では全車指定席となりました。
居住性もよくなり、自由席を求めて早くからホームで並んで待つ必要もなくなりました。
その後、185系での運用になったり、晩年は青春18きっぷ用の季節運転となり現在に至っていました。
そしてこのコロナ渦の中、昨年3月以降は運転休止が続いていたとのこと。
お別れイベントもなく、そのまま廃止とは、なんかむなしくなりますね。

実は私、この1996年ダイヤ改正以降、大垣夜行には一度も乗っていません。
なんか、165系じゃないと大垣夜行ではないという強い思い、頑固な考えがありました。
165系運用の廃止からもう25年、四半世紀も経つんですね。

私にとっては、1996年の165系での運用の廃止が、大垣夜行、347M、375Mの廃止だったんです。

JRは廃止の理由を「客の行動様式の変化で、列車の使命が薄れた」、「車両の老朽化」をあげているけれど、要は利益追求の足かせとなっているのが本音でしょう。
たしかに185系の廃止は理由として大きいでしょう。
夜行バス全盛のこの時代でも、サンライズ出雲・瀬戸の需要は高いし、実際いつもほぼ満員の状態。大垣夜行は深夜帯の静岡や浜松駅を開けなければならずそのコスト、そして季節運転だから、その要員運用とかも面倒だったのでしょう。車両ならいくらでも代替があるはずです。
指定券が安いから、一人でも隣の席の指定券も確保するような輩も多かったと聞きます。

夜行列車の需要は間違いなくあるのに、廃止していくのは「客の行動様式の変化で、列車の使命が薄れた」のではなく、ただただJRの都合と思います。列車運用、乗務員運用、停車駅の要員確保等々、1本の夜行鈍行のための、手間とコストが大きすぎるのが現実で、それが廃止の理由だと思います。
JR東日本と東海をまたがって走るところも廃止要因としては大きいと思います。
ブルトレが廃止されたときも同様の言い訳をしていたけれど、もしブルトレが何本も健在だったら、高輪ゲートウェイ駅も上野東京ラインも難しかったでしょう。客が減ったのではなく、JRの都合で廃止されていくのです。

国鉄がJRに変わる前、政府は「夜行列車はなくしません」、「不便になることはありません」と約束していたのに、これが現実。政治というものはまったく信用できません。ま、JRは民間会社だから、こうなるのは自明の理でしょうね。




  

Posted by よっぱらいくま at 11:23Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2021年01月08日

サンライズ出雲

昨年12月中旬、サンライズ出雲に乗って、プチ山陰の旅をしてきました。



東京駅ホームへ入線するサンライズ出雲・瀬戸の編成。






私の部屋は車端部の13番。前回3月、瀬戸に乗ったときも頼んだわけでもないのに同じ位置の部屋でした。
一般的に車端部はよく揺れるのですが、ここは2階建てではないので、天井が高くて快適です。
しかし、それは東海道・山陽本線走行時限定です。明朝、伯備線に入ってからは・・・。


今回も、乗車前に八重洲口にあるおなじみの立飲み屋で軽く一杯。今回は本当に軽くにしました。


前回、高松へ行ったときは立飲み屋でヘビーに飲んでしまったので、横浜を発車時点で記憶喪失、気絶してしまいましたが、今回は余裕。冷酒を飲みながら熱海まで車窓を楽しんで、熱海のホームにもちょっと降りて外の空気を吸ってから、眠りにつきました。

翌日は姫路到着で目覚めました。
途中、たぶん運転停車している米原とかまったく目覚めることなく、爆睡でした。

岡山ではぞろぞろと乗客がホームに出てきて、写真撮影大会です。



本当、いつから一般人が鉄道マニア化してきたのだろうか。
今、ブルトレが走っていたら、下関や門司はすごいことになるんだろうね。


瀬戸編成が先発、出雲編成出発待ち。


伯備線に入り、山陽新幹線と交差。


新見を出てからしばらくして、芸備線が分岐。
この頃から、車端部にいることを痛感。よく揺れるのです。
前回の瀬戸で高松へ行ったときは気にならなかったけれど、カーブの多い伯備線はめちゃ揺れる、というか振られる感じ。
これで二日酔いだったら最悪ですね。




終点出雲市まで行きたいけれど、この先、山陰本線上り方面の乗り継ぎの関係上、米子で下車。

米子駅で下車するのも何年ぶりだろうか。十何年、何十年ぶりかも。
米子駅の駅舎は旧米子鉄道管理局の建物兼用だったけれど、旧鉄道管理局の建物も取り壊されるようです。


お次の乗車は、スーパーまつかぜ、鳥取行き。
スーパーとは言っても、たったの2両編成。食堂車も連結された長大編成キハ181系の昔日のまつかぜ号を知っている者としてはさびしい限りです。

先頭の自由席の運転台真後ろの席をゲットできたので、前面展望を楽しめました。
山陰本線も高速化工事は完了しているようで、単線の山陰本線を120キロで、またこのキハ187はカーブも本則プラスで突っ込んで行くので、突っ走る様は迫力です。







鳥取で、浜坂行きの普通に乗り換え。新系列の1両単行でした。ボックスシートだからよろしい。
鳥取を出て次の福部までは駅間距離が長く、途中に信号所がありそれを確認しました。今は信号所に停車、交換する列車もなさそうです。

途中の居組駅は私がもっとも好きな駅です。
しかしなんと、駅舎が無機質なコンクリートの小屋になっていてびっくり。

浜坂からは豊岡行きに乗り換え。時間が少しあるので駅前に出てみました。
昔と変わらぬ景色です。

城崎温泉-浜坂間は優等列車がほとんどない状態のローカル線。キハ47が元気に走っています。



こういうトイレが見られるのも、あと少しでしょう。

餘部駅で途中下車。
くわしくはこちらで。

餘部駅からは城崎温泉行きに乗ります。キハ47系の2両編成。
香住、柴山、佐津と、日帰り昼食カニツアー帰りの客とおぼしき客がボチボチと乗車してきます。



竹野駅からは大量に乗ってきて、ボックス席の前に座った客からは全身から焼きガニの匂いを放っていました。
ちくしょー、私もカニ食べたいよ。この時期に山陰本線に乗ってこの区間を通過だけなんて、残念。

城崎温泉からは、特急こうのとりで一気に大阪へ。







城崎温泉駅も、カニをアピール。あーあ、カニ食いてえ。
こうのとりは、ガラガラで発車。大阪まで混むことはありませんでした。


和田山駅は閑散としていました。昔はもっと賑やかだった気が。


反対側には、検修庫らしき建物の廃墟が。


和田山を出て、右に播但線が分岐していきます。


どこかの駅の跨線橋の柱は、超時代モノです。
同じようなものが東海道線の河瀬駅前に保存されています。




大阪で下車して、梅田食道街の松葉へ。立ち飲みの串揚げ専門店です。美味しくて安いです。
ここで軽く飲んでから、金盃へ。日本酒専門の立ち飲み屋です。




最近ニュースでよく映る大阪駅、コロナで大阪は何人感染とかね。
十分に酔っ払ってから、新大阪へ。


新大阪駅在来線.改札内にも梅田食道街と同じ松葉があります。時間がないときはこちらが便利かも。

新大阪から名古屋へ帰ります。
こだま号はいつものとおり、というよりも私が新幹線通勤していた頃の同じ時間帯よりもはるかに空いていました。
これもコロナのせいか。


サンライズ出雲を朝、米子で降りて駆け足で山陰路を戻ってきましたが、充実した一日でした。
でもやっぱり、ゆっくり一泊して、カニ食べたかった~。







  

Posted by よっぱらいくま at 17:38Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2020年12月20日

米子駅

サンライズ出雲に乗って、米子で下車しました。
夜行列車でやってきて米子で下車したのは初めてです。

米子鉄道管理局の建物を兼ねた米子駅舎は見納めのようです。
すでに駅機能は停止され、仮移転状態です。








工事が始まるようです。


境線のりばとある表示、境線部分はシールです。たぶんあの下は0番だろうな。

境港はゲゲゲの鬼太郎の街。
米子駅もいたるところにゲゲゲのキャラたちが。










最近、古レールの使用をアピールするようになってきました。鳥栖駅が先輩格では。


管理局駅舎が健在な頃、平成4年。

  

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2020年12月19日

居組駅 無くなってた!

今回、米子から山陰本線に乗って大阪へ向かう中、鳥取から浜坂行きに乗っていました。

廃駅になった訳ではありません。
居組駅に到着してふと、車内から駅舎を見ると、なんと駅舎がない。
正確に言うと、立派な古い駅舎がなくなり、小さなコンクリート造りの小屋みたいになっていたのです。
えー、なんですと。建替えちゃったんですか。
古い佇まいの居組駅は、私が一番好きな駅でした。

今の駅は、コンクリートの安っぽい、昭和の公衆便所みたいだよ。
正面は見ていないけれど。



在りし日の居組駅








今の居組駅






同じ位置での、昔の車窓から。





現在












跨線橋もなくなり、2番3番ホームも朽ち果てていくのでしょうか。
だいぶ前から跨線橋は使用中止になっていたけれど。





2番3番線のレールもあったけれど。



在りし日の居組駅














時間を作って、何回も途中下車したけれど、もう二度と降りることはないでしょう。

しかし、なんで建替えたのか。火事とかで焼失したとか、不可抗力だったのかなあ。  

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2020年12月19日

浜坂駅 今昔

山陰本線 浜坂駅、冬の浜坂はカニ。おいしい松葉カニが、城崎温泉あたりの高級旅館に比べはるかに廉価に食せます。
そんな浜坂は今、優等列車は播但線経由のはまかぜが一日2往復しかありません。昭和の時代は、大阪、京都を結ぶ特急、急行が何本も停車していたし、寝台特急出雲も停車していました。
鳥取は京都・大阪とを結ぶ智頭急行経由の「スーパーはくと」や、岡山とを結ぶ「スーパーいなば」があり、米子、松江、出雲市は岡山からの伯備線経由の「やくも」が、それぞれ頻発しています。
山陰本線の城崎温泉-鳥取間は、優等列車に見放された、不便なローカル線状態です。
近代化という点でも、この城崎温泉-鳥取間は、餘部鉄橋のコンクリート橋への架け替え以外、近代化からは取り残されています。
そんなところだから、雰囲気は良いです。
浜坂駅自体も、昔からほとんど変わっていないイメージです。
要するに「好きな駅」、「好きな路線」です。


駅前の景色も昔とほとんど変わっていません。




「鉄子の部屋」という、ミニ鉄道資料館があります。


改札と1番線が直結する2面3線ホーム、貨物用の引込線もある、典型的な「国鉄亜幹線標準型」の駅です。


蒸気時代の給水塔も残っています。



現在


昭和58年頃。
この頃は、2番3番ホームには売店とそばうどんスタンドもありました。


現在


昭和58年頃



カニの街



  

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2020年12月19日

餘部駅 今昔

久々に餘部駅を訪問しました。前回、コンクリート橋完成直前以来です。この区間はキハ47が健在です。普通列車を降りて次の列車までり約1時間15分、時間を持て余すかと思ったけれど、道の駅やら何やらが整備されていて見所が増えていて、その間特急も1本通過するので撮影と、あっという間でした。


現在


約40年前


現在
ホームの位置は変わっていません。12系が止まっている線路が、現在のホームの右にある廃線跡で、左側の現在線は昔のホームの左の裏山を削って出来ました。削った跡にコンクリート擁壁が出来ています。


平成初め頃


昭和58年頃


平成19年


現在
現在のホームの左側の旧線跡に、DD51牽引の客車列車が止まっています。右側の現在線は昔のホーム裏山を削ったところにで敷かれています。


昭和58年頃


現在


平成22年


平成3年


現在


平成22年


平成1桁頃


現在


平成22年


平成3年


昭和61年


現在


平成22年




現在


平成22年

コンクリート橋台用の仮橋台も設置して、鉄橋の橋台まわりにコンクリート橋用本橋台を構築して、鉄橋を撤去後に横にずらしてコンクリート桁を乗っけたことがわかります。









旧鉄橋の上。真下も見えます。







  

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2020年12月09日

余貴美子 藁の楯 逃亡者

 テレ朝の、渡辺謙主演の「逃亡者」、おもしろかった。
余貴美子が出演していたのだけど、映画の藁の楯で個人タクシー運転手役と、逃亡者での、余貴美子の台詞が同じだったことに感動しました。
 「乗ってく゛?」
 演出者はわざと、かぶらせたのでしょうか。
 余貴美子、存在感、演技、味があるわ。  

Posted by よっぱらいくま at 20:51Comments(0)TrackBack(0)音楽・映画・テレビ

2020年12月06日

銚子電鉄

銚子電鉄は、佐原に住むようになってから何度か乗りに行っています。
コロナ過の緊急事態宣言中終盤の5月に乗ったときは、乗客は他に数人だけでした。

今回は持ち直していて、適度に席は埋まっていました。ほぼ観光客ですが、地元の人が親子連れでなんとなく乗っているような方もいます。きっと銚子電鉄を応援しているんだろうなと思いました。





犬吠駅で降りて、外川まで歩きました。
途中で撮影。



犬吠駅と外川駅は急げば歩いて10分程度かなと。



やっぱり外川駅の雰囲気は良いです。
犬吠駅は観光駅。駐車場も完備なので、クルマで立ち寄る人も多いです。

入場券に、フリー切符を持っているけれど、銚子までの乗車券も買いました。
来駅記念のカードをもらいました。














銚子から佐原までは、ビールを楽しみました。
いすみ鉄道から始まった、二日間の旅もおしまい。



  

Posted by よっぱらいくま at 18:28Comments(0)TrackBack(0)乗車記 私鉄