2024年07月14日

北陸本線 筒石駅

昔の北陸本線時代、1990年の、筒石駅の写真です。










駅は頸城トンネルの地下深くにあり、地上には案内標識があります。
国道近くには駅まで800メートルとあります。





あと100メートル>



突如、山の中に駅舎だけが現れます。
当然、線路はありません。





最近は上越線の土合駅同様、有名となり見物客も多いとか。

えち鉄の糸魚川駅で買った現在の入場券と、当時の入場券はこちらの最後の方にあります。
当時は駅で買えました。






  

Posted by よっぱらいくま at 15:24Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2024年07月07日

都知事選挙

どうしようもない候補者乱立の茶番劇は置いといて。

NHKが小池の実績として、満員電車ゼロの公約が「改善」したと言っている。
アホか。
コロナで在宅勤務とかが増えたからだろうが。
都が山手線はじめ、JRや私鉄各線の増発のために補助金でも出したのか。
都営地下鉄が通勤時間帯に2分間隔運転を実施したのか。少しでも増発したのか?
東京都が首都圏の鉄道に対して何かやったのか。
何もやっていないだろう。
コロナ以降、各鉄道路線は今でも減便続きだろうが。

NHKさん、少しは補足してよ。
小池の成果など、まったく関係ないことを。

結局、投票率は30パーセント台。
民主主義ってなんだろう。
石丸とかいう、ああいうタイプの人間が躍進することも、日本がおかしくなってきている証拠と思う。

追記
最終的に投票率は60.62パーセントだったらしい。
NHKが都知事選挙を総括しているが、私は改めて石丸の危険性を感じる。自民党をぶっ壊すと言って、日本を衰退の道へと導いた小泉と同じ臭いだ。
弱者を切り捨て、強者を助ける思想と断言する。

私は「改革」との言葉を馬鹿の一つ覚えに唱える政治家は、絶対に信用しない。

今の日本は、弱者を切り捨てる政治家が、なぜか弱者、若年層に支持されるんだよね。
小泉純一郎支持と同じ構図だ。
維新、橋下も同じ。奴らに騙される弱者、若年層。

蓮舫も結局、嫌われ者だったことが証明されちゃった、今回の選挙でした。  

Posted by よっぱらいくま at 21:11Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2024年07月06日

時計バンドカレンダー

クローゼットを整理していたらこんな物が見つかりました。



保険のおばちゃんとかが、昔は職場で配っていました。
私も付けていたけれど、懐かしいものです。
いつ頃から廃れたのか。昭和の遺物ですね。  

Posted by よっぱらいくま at 15:41Comments(0)TrackBack(0)日記

2024年06月30日

HC85系に乗りました

初めて、特急ひだ号HC85系に乗りました。
ハイブリッド気動車、もとい電車です。
表記もクモハ、モハです。
前にも書いたけれど、発車の際はエンジン全開、すさまじい音で気動車と変わらないけれど、車内はとても静かでエンジン音はほとんど気にならないレベル、静粛性抜群です。
感覚的には、モーターのみでの走行はほとんどなく、高山駅での増結の際に外でみていたけれど、一旦停車して連結する際の1ノッチのみでもエンジンが掛かり、かなりのエンジン音が一瞬響きます。電池とモーターのみの走行は無理なのか。クルマのハイブリッド車とはかなり違う印象です。




車内にはエンジン、電池、モーターの状態表示が。

モーターへ、エンジン発電とバッテリーから電力供給中


ニュートラル状態


エンジン発電のみから電力供給中










今回はアルペンルートを通り、室堂のホテル立山に泊まりました。
交通機関は終了して、昼間は人でごった返している室堂ターミナルの誰もいない風景を見るのは初めての経験です。
雪の大谷も、高原バス運行終了後の、道路貸切で見物です。

宿泊客以外誰もいなくなった夕方、雷鳥も現れました。まったく人を警戒しません。



翌日は、黒部峡谷鉄道にも乗りました。
現在は1月の地震で被災していて、途中、猫又駅で折り返しです。
それだからか、平日だからか、ガラガラでした。






  

Posted by よっぱらいくま at 14:34Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2024年06月06日

お偉さんたちの言い訳

政治家、役所や企業の幹部が、

「スピード感を持って」、「緊張感を持って」やります、

と言うことはすべて、社会にとって、日本国にとって、働くすべての労働者にとって、

ろくでもない愚策であることが100パーセントです。  

Posted by よっぱらいくま at 19:18Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2024年06月05日

中日新聞の夕刊

社会党の土井たか子が記事になっています。
「没後10年、女性初の衆院議長」

一時期は国民的な人気者でした。
私は若い頃は、自民党よりも革新系を支持していました。
だから、好意的に見ていました。

しかし、死後、土井たか子は北朝鮮の日本人拉致を真っ向から否定していたことを知り、一気に頭にきました。
死者を悪く言うことはダメですが、国賊だと思います。
記事は功罪の功ばかり書いていますが、罪も書いてほしい。
社会党が社民党になり、消滅したのは、当然の帰結です。

生きていたなら、横田早紀恵さんに謝れ。

中日新聞は、そういう点も書いてくれ。
新聞が100パーセント信用できない要素が、そこにあります。
ネットはもっと信用できませんがね。  

Posted by よっぱらいくま at 19:31Comments(0)TrackBack(0)日記

2024年05月29日

中日新聞 今日の夕刊

2024年5月29日、今日の中日新聞の夕刊は読み応えがあった。

環境省マイクオフ問題、小池都知事の学歴詐称問題、浅沼稲二郎刺殺、マーシャル諸島の水爆実験と、第一級のネタ満載です。
夕刊が各地で廃刊になる中、もったいないくらいの記事でした。

夕刊はやっぱり大事です。  

Posted by よっぱらいくま at 20:12Comments(0)TrackBack(0)日記

2024年05月25日

西川越駅、的場駅

川越線、西川越駅と的場駅、昭和57年頃と、現在のストリートビューです。












的場は昔のままです。

  

Posted by よっぱらいくま at 16:24Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2024年05月25日

お台場 昭和51年頃の船の科学館周辺

昭和51年頃のお台場、船の科学館周辺です。

今はフジテレビも近くにあり、小綺麗な街になっていますが、
この頃は埋め立て地そのまんまで、船の科学館以外は、なーんにもない荒涼としたところでした。



今のストリートビュー


















たぶん、同じ場所ですよ。




  

Posted by よっぱらいくま at 15:59Comments(0)TrackBack(0)商店街・街並散歩

2024年05月25日

川越線 南古谷駅今昔

GWに片付けをしていて、未スキャンのネガを発見。
川越線南古谷駅の昔の写真。
昭和52年頃だと思います。
電化、埼京線直通なんて夢のまた夢の頃です。
付近にマンションなんて皆無でした。




現在のストリートビューはこちら。

  

Posted by よっぱらいくま at 15:25Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2024年05月12日

丸栄があった頃

2008年5月の写真です。

たしか隣にあったダイエーが取り壊された後だと思います。
丸栄の裏側が見えるようになりました。




現在のストリートビュー
  

Posted by よっぱらいくま at 14:09Comments(0)TrackBack(0)商店街・街並散歩

2024年05月12日

懐かしのしらさぎ

平成一桁時代の写真です。





  

Posted by よっぱらいくま at 13:13Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2024年04月06日

車窓はテレビより面白い

宮脇俊三さんの著作で、「車窓はテレビより面白い」があります。



1989年(昭和64年)2月、昭和末期に初版が出ました。

今はほとんどの人が電車内ではスマホとにらめっこしています。
それに、新幹線でも在来線クロスシート車両でも、陽も当たっていないのに窓側に座った人が即座にブラインドを下ろす光景もよく見ます。

宮脇俊三さんが生きていたら必ず、
「車窓はスマホより面白い」と、
きっと言ってくれるでしょう。

でも、地方でもロングシートの車両が激増しているし、簡単に車窓を楽しめる機会は減りました。
中央線名古屋口も新車の315系はオールロングシート。

豊橋-大垣(岐阜)間や関西は、私鉄と競合しているから、サービス競争上クロスシートが主体です。
要するにロングシートは、独占区間で競争のない熱海-静岡間とかが主体となっているのです。
サービス上はクロスシートが勝っていることは明白で、合理化できるサービスは低下させても良いところがロングシートになっていくのです。

東海道線に315系が配備されるときは、きっとクロスシート車両となることでしょう。
もしもロングシートになったら、私は確実に名鉄利用となることでしょう。  

Posted by よっぱらいくま at 16:22Comments(0)TrackBack(0)日記

2024年04月06日

信越本線 横川-軽井沢間 廃止の日

北陸新幹線敦賀開業のことを書いたら思い出して、長野開業時に絡めて、横軽廃止のことを書いてみます。

1997年(平成9年)、信越本線の横川-軽井沢間の廃止の日当日は、ビデオカメラをひっ下げて行きました。
そのため写真はあまり撮っていない中で、廃止数日前に行ったときのカットです。
廃止当日の日の写真も紛れています。


















名物の釜飯の立ち売りも有名でした。













最終日となった9月30日は昼過ぎから横川駅、軽井沢駅に滞在して、最終の下りあさま号で長野まで乗りました。

もうはるか昔のことですね。  

Posted by よっぱらいくま at 15:24Comments(0)TrackBack(0)開業と廃止の日

2024年04月06日

北陸新幹線 敦賀延伸開業

前日、金沢行きしらさぎ号に乗り、敦賀に戻って1泊。
いよいよ、敦賀駅にて開業セレモニーに参加しました。



当日朝4時には駅前に入場待ちの行列が出来ているのが、ホテルの窓から確認できました。
5時には駅に行くつもりだったけれど、4時半過ぎにはその行列に並びました。
ざっと、その時点で200人くらいかな。
列の人たちもよくわからない状態で、とのあえず並んでいる感じ、この列は入場券を買う列で、反対は乗車券類を買う列だとか、4時50分に駅が開き、販売を開始するだとか、声が聞こえてきました。
それで、なんだかんだ並んで20分も経たないうちに駅が開いたみたいで、列が動き始めて、並んでからトータル30分くらいで難なく入場券が買えました。





敦賀駅開業日、朝一の発車案内。

入場券を手に新幹線ホームへ。






新幹線乗換改札を通過。


人でいっぱいだぞ。


開業式典の真っ最中、もう始まっていました。たぶん5時スタートだったな。


人だかりで何も見えない。
でも、後ろからはよく見えました。





とりあえず一番の東京行きかがやきが発車するホームへ。



当たり前だけど、出発式典エリアは一般客は立ち入り制限。


金沢開業のときもそうだったけれど、反対側ホームへ移動して、待機します。


くす玉もしっかり見えるポジションを確保。




マスコミもスタンバイOK。




地元の子が運転士へ花束贈呈。


マスコミ向けに写真撮影。


中条あやみさん登場。


最上位の来賓らがテープカットの準備。
自民党安倍派裏金事件で渦中の、敦賀が選挙区の議員もいるぞ。




下位の来賓らとかスタッフはスマホで写真撮りまくり。


くす玉が割られました。



いよいよ出発です。



スタッフだか下位の来賓たちがスマホで写真撮りまくっているので、何も見えない。
昔は式典会場にいる人たちはこんなマネはしなかったのに、スマホが普及した弊害ですね。




東京行き一番列車のかがやきが発車して行きました。



式典が終わって位置を変えて、くす玉がよく見えるところで撮影。





式典会場は、終わったあとも一般人に開放はしませんでした。
くす玉も撤去されました。
長野開業時は終わった後はすぐに会場が開放されたのになあ。


長野開業時の写真です。
式典が終わったあとは自由に入れました。



こんなふうに自由に記念写真も撮れました。
写っているのは、1997年(平成9年)の約27年前の私。

そういえば、9年前の金沢開業時も式典会場へは終わった後も入れませんでした。
そのときの模様はこちら



富山行きの一番列車のつるぎが入線です。


発車していきました。



人出も一段落です。


続いて、金沢発一番のつるぎ号が到着です。







到着客といっしょに在来線への移動を試みてみます。


しらさぎが待っています。
今日から6号車も指定席。


サンダーバードが発車していきました。




しらさぎも発車していきました。

さて、一段落ついたので、ホテルへ戻って朝食を。




昨日到着した特急編成がまだ、留置されています。




駅前では福井新聞の号外が早くも配布中です。




当日の並び案内はこんなでした。


ホテルへ戻って朝食を摂り、朝風呂も入って部屋でくつろいでいるけれど、室内の窓から見て、まだこんなに並んでいます。
入場券は券売機でも売っているから、すぐ買えるのに訳がわからずとりあえず並んでいるのか。


さて、チェックアウトしてから、東京発一番のかがやきの到着を待ちます。
まあ、そこそこ人がいます。マスコミのカメラも多いです。



到着です。


一番列車から降りた乗客がインタビューを受けています。



ホームから新幹線改札を出たコンコースで、記念品を配っています。











配っていたのはこの袋。



もう一度、改札を出て駅前へ。
いろいろなイベントをしています。





配布されていた袋の中身。



イベントには地元敦賀出身の大和田伸也や、隣接滋賀県の西川貴教が来ていたけれど、人だかりでまったく見ることはできませんでした。



駅に戻って、在来線ホームを見に行きました。

開業まであとゼロ日。




昨日までサンダーバード、しらさぎが出ていた表示は消えて寂しくなっています。





軒先の特急乗車位置案内の表示は、見事にきれいさっぱり撤去されていました。



椅子に座る恐竜さんはそのまま。


さて、初乗車の新幹線に乗るべく、新幹線ホームへ向かいます。


もう、この時間になると見物客もぐっと減りました。



早朝には止まっていた681系はいなくなっていました。



私が乗る10時58分発はくたかが、大阪方から入線。



自由席です。
開業日は始発以外はガラガラの法則は、金沢開業日と同様、今回も当たり。
乗った人も金沢でほとんど降りていったし、その先も空いていて、大量の乗車があったのはもはや普段使いの人たちの高崎からでした。


今回、イベントで配布されたものです。








記念品を配っていた、アイドルみたいな方々は、こういうグループでした。



新幹線の車内誌


今回の敦賀開業を見て、これまでと明らかに違っていたのは、民間の警備員と制服警官が異常に多かったことです。
あきらかに威圧感いっぱいでした。
時代の違いでしょうか。

金沢開業時も、長野開業時も、来賓VIPのSPの姿は確認できたけれど、制服警官は駅内で見ることはありませんでした。

青函トンネル開業の昭和63年には、制限も緩やかで、私は初列車に青森から乗車して函館駅ホームに降り立つ当時の運輸大臣の石原慎太郎を間近でビデオ撮影したものですし、制服警官なんか駅構内にもホームにも皆無でしたね。

隔世の感がします。
  

Posted by よっぱらいくま at 14:04Comments(0)TrackBack(0)開業と廃止の日

2024年03月23日

北陸新幹線敦賀開業前日 敦賀-金沢 しらさぎ最後の日

北陸新幹線敦賀延伸開業に伴い、しらさぎ号、サンダーバード号の敦賀-金沢間の運転が終了しました。
新幹線敦賀開業前日にしらさぎ号に乗って、名古屋から金沢まで行ってきました。

名古屋から乗ったのは、13時48分発のしらさぎ9号。



今回の敦賀-金沢間廃止となるため、実は2月から3月にかけて、ほぼ隔週でこのしらさぎに乗って金沢往復していたんです。だから今日は4回目。
最終日だけあって、これまでよりも名古屋からの乗客は倍はいました。
最終日でも、最終列車でなければこの程度でしょう。

途中の沿線でも写真を撮っている人がたくさんいました。
でも、今後も名古屋-敦賀間はこれまで通り走るのだから、景色的には意味ないような。
外からみたら金沢行きも敦賀行きになっても、何も変わらないし。

そして、いつものとおり、米原からはたくさん乗ってきて、ほぼ満席となりました。


敦賀駅に進入。このホームに着くのも今日限り。


福井駅でもたくさんの人が写真を撮っていました。

金沢駅到着です。
とりあえず、金沢の駅名と681系をいっしょに収めました。



金沢駅ではいつもどおり、駅内のいつものお店「山さん」で乾杯です。
カウンターに一人座り、おいしいおでんに刺身、日本酒と最高です。
最近は、お別れイベント絶対優先ではなく、こういうふうにゆるく参加しています。

金沢駅改札のこの表示も今日までです。


今日は敦賀に泊まり、明日の新幹線敦賀開業に参加するため、最後の名古屋行きとなる18時53分発しらさぎ16号に乗車しました。


私としては最後の金沢からの乗車となるしらさぎが入線。


お別れ乗車もたくさんいるけれど、普段使いの乗客も多い感じで、こちらもほぼ満席で金沢を出ました。
金沢は特にお別れセレモニーはなかったけれど、次の本当の最後となる米原行きのときはお別れセレモニーをやったことをテレビで知りました。

6号車が自由席なのも今日までです。


前の席に自作のさよならカードを窓に掲げた若い人が座っていたので、思わず声をかけたら、「これです」と予備のカードを貸してくれました。


とても礼儀正しい人で、座席の前後で話して、彼は名古屋まで乗ること、私は敦賀で降りると話しました。

敦賀で私は降りて、窓越しに彼とあいさつ、写真も撮らせてくれました。


思いっきり手を振って、発車するしらさぎと彼を見送りました。



最終日イベントの高揚感、回りでも同好の士たちがたくさん写真を撮っているので、私も盛り上がってしまいます。
やっぱり来て良かったなあ。

すぐに下り金沢行きしらさぎが到着するので、下りホームへ行きました。


ホームの恐竜。












さて、まだまだ最終のしらさぎやサンダーバードは何本かあるけれど、いったん駅を出てホテルに行きチェックインして風呂に入り、サービスのラーメンを食べてから再び、敦賀駅に入りました。


約1時間半後のホームは人も増えていました。

金沢行きサンダーバード。


お見送りする人たち。



最終1本前のしらさぎが入線。



私にとって、最後の金沢行きが敦賀駅ホームを出ていきました。


このあと、もう1本、本当の金沢行きしらさぎ号があるのだけど、明日の新幹線開業セレモニーに参加するためには4時起き必須なので、これで帰りました。


最後まで粘る体力も気力も失せました。
お酒も飲んでいるし、本当にほどよくゆるく参加するようになりました。
最後は敦賀駅でもお別れセレモニーをやったのか、知りません。









  

Posted by よっぱらいくま at 16:40Comments(0)TrackBack(0)開業と廃止の日

2024年03月13日

青函連絡船 今日は36回忌

私にとって、3月13日は特別な日。
青函連絡船がなくなって、まる36年も経ちました。
よもや、40代より若い人は記憶すらないだろう、現在です。

自作のビデオを観ながら、当時を惜しんでいます。

今は、スマホでとんでもない高画質で簡単に動画と称するビデオ撮影が出来てしまいますが、
当時は限られた人しか、ビデオ録画は出来ませんでした。

葬式鉄とか、訳のわからぬ人はいなかった、良い時代でした。
普通の人たちが名残惜しんでいた時代でした。  

Posted by よっぱらいくま at 20:21Comments(0)TrackBack(0)青函連絡船

2024年03月10日

北海道LOVEひとめぐり号 日程とカード

配布された沿線市町のカードと日程です。





















1日め 札幌-釧路はこちら

2日め 釧路-知床斜里はこちら

3日め 網走-旭川はこちら

4日め 富良野-札幌はこちら


  

Posted by よっぱらいくま at 13:42Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2024年03月03日

北海道LOVEひとめぐり号 4日目 富良野-札幌

最終日、4日めは富良野駅からスタート。


富良野線は乗ったことあるけれど、富良野駅で下車した記憶はありません。

今日は根室本線で滝川へ、滝川からは札幌までです。



構内にはDF200とキハ40が止まっています。





今日の昼食がさっそく配られました。3日間で一番豪華なお弁当でした。


この区間は、石勝線が出来てからは特急も走らず、乗る機会はありません。
ここも大学生の頃、滝川発釧路行きの旧客鈍行で旅して以来の乗車かも。
根室本線は富良野から新得までは廃止も決まっているし、2度と来ることはないかも。
狩勝峠の新線もダイナミックな景色は健在なのに残念な限りです。

芦別に到着。
ここも思い出があり、大学生のときの滝川発釧路行きの旧客鈍行の旅で、早朝の滝川駅でトイレの大を済まして、客車に乗り込みました。
発車してしばらく経ったとき、滝川駅のトイレ個室に財布を置き忘れてしまったことに気づいたのです。
芦別で10分以上停車したので、駅員に「滝川駅のトイレ個室に財布を置き忘れた」旨話して、滝川駅へ問い合わせてもらったのです。用を足すのにジーパンの尻ポケットの財布は邪魔なので、何気なく棚みたいなところに乗せたまま放置してしまいました。個室の位置も説明して、滝川駅からの返答を待ちました。
結果は「ない」とのこと。早朝5時台、他に客もほとんどいないのに、よりによって複数ある個室なのに自分が入ったところに他の客が入って、財布をそのままもっていってしまったのでしょう。
現在と違いクレジットカードの類いとかは入ってなく、小銭と数千円だけのお札と自宅の鍵くらいしか入っていなかったけれど、落ち込みました。旅行中は、周遊券は胸ポケットに手帳に挟んで持ち歩いていたので無事だったのが幸いでした。旅行中にワイド周遊券を無くしたら、完全にアウトですから。
その後、新狩勝峠を下っていく手前でまたも大を催し、旧客トイレで快調な便を排出したことをよく覚えています。
席に戻ると、左の車窓下から短い貨物列車が峠をこちらに向かって上っていく姿が見えました。
素晴らしい景色に感動したけれど、財布をなくしたこともあり、複雑でした。
新得に着いて、朝食に買った駅弁の鹿肉弁当が思いのほか旨かったことも覚えています。
財布は無くしたけれど、現金は鞄に小分けにして財布には最低限しか入れていなかったから、無一文にはなっていないのです。
財布を無くす、すられるとかも考えて旅していました。座席夜行が定宿だったから用心はしていたのです。

そんなことを思い出して、その日以来約40年ぶりの芦別駅は閑散としてました。



この窓口に、財布をなくして泣きついたのかなあ。





滝川駅


最後の途中停車駅、岩見沢。



札幌駅到着、お迎えは盛大でした。


でも、ゆっくりするまもなく、ホームをあとにしなければならない、団体ツアーでした。
おしまい。

ツアー代金は約20万円弱、それなりのホテルに3泊して、団体貸切バス移動も現地のみの細切れ短時間乗車ばかりだから、原価も高くついていると思います。高いのか安いのか、よくわかりませんが、鉄道ファンの私には大満足な旅でした。
途中停車駅の歓迎セレモニーも、ご当地キャラの着ぐるみたちも、楽しいものでした。
他の参加者はご多分に漏れず高齢者が多く、特に鉄道マニア臭がする人は見かけませんでした。
それだけ、鉄道の旅が一般に浸透しているのでしょう。

1日目 札幌-釧路はこちら

2日目 釧路-知床斜里はこちら

3日目 知床斜里-旭川はこちら

配布されたカードと日程はこちら







  

Posted by よっぱらいくま at 14:32Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2024年03月03日

北海道LOVEひとめぐり号 2日目 釧路-知床斜里

2日めは、釧路から知床斜里まで釧網本線の旅です。

釧路駅に進入するひとめぐり号。



さっそく、宴会の始まり。




まずは釧路湿原駅で途中下車、皆さん展望台へ向かいます。
ここも歓迎ムードです。

停車中のひとめぐり号



次は標茶に停車。
SL釧路湿原号で2度訪れています。



右の人は標茶町長さん。


本当は標茶で私が好きなしべちゃ牛乳を配る予定が間に合わなかったらしい。

車内で今日の昼食が配られました。


次は川湯温泉駅、旧名は川湯駅です。



大学生のとき、旧客で旅した頃。




ここで、標茶駅で間に合わなかったしべちゃ牛乳が、無事に追いついて配布されました。やっぱり旨いわ。



今日の終点、知床斜里駅に到着。昔はただの斜里駅でした。


バスに乗り換え、観光地を巡って知床温泉泊。


1日め 札幌-釧路はこちら

3日め 知床斜里-旭川はこちら

4日め 富良野-札幌はこちら

配布されたカードと日程はこちら
  

Posted by よっぱらいくま at 14:31Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR