2017年03月13日

青函連絡船記念日

 今日は青函連絡船最期の日、青函トンネル開業記念日です。
 毎年毎年、懲りずにこの日は特別の日です。
 自作の青函連絡船ビデオを観ながら酒を飲みながら、浸っています。
 
 あれからまる29年。
 昭和63年3月13日に青森と函館に集まった人たちは今は、最低でも間違いなく40代後半以上の歳になっていることでしょう。

 あの日、青函連絡船の終航に立ち会った人たちと、同窓会ができないかなあ。  

Posted by よっぱらいくま at 20:48Comments(0)TrackBack(0)昔話

2017年02月07日

新聞の投稿記事

今日の中日新聞の投書欄。
大雪のときに隣人の善意に感謝とのこと。
80を超える老夫婦が、大雪で車を出せない状況下、近所の助けを得て自宅の敷地を除雪してくれて車を出せることに感謝とか。

田舎のことだろうけれど、そこまでして、大雪の中、高齢者が車を運転して外出しなければならない緊急事態があるのかいなと思いました。

ただでさえ高齢者の運転不安が心配されている中、買いものか何かしらないけれど、車を所有しているくらいなら、緊急事態で外出しなければならないなら、除雪してマイカーを出す苦労を語る前に、タクシーでも使ったらと言いたいです。ましてや病み上がりの体で、無理に車を出さなくてもと(詳細は新聞で確認してください)。

こういう人は、公共交通機関を利用するという発想は皆無なのだと思います。車利用しか発想がないのでしょうね。  

Posted by よっぱらいくま at 21:17Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2017年02月06日

千代田区長選

千代田区長が、小池都知事ご推薦の現職の人が再選されたと、小池新党が勢いづくと、報道されています。
その当選得票数が、2万にも満たない。2位以下は5千票、3千票単位。

いったいどこの村だよと突っ込みました。
村という比喩は言い過ぎだが、東京都は1000万都市。
私が東京都大田区に住んでいた頃、世田谷区は人口70万人以上、大田区もそれに次ぐ人口だったはず。

70万人のうち、有権者数が未成年を除いて、あの頃は子供も多かったが、50万人として、投票率が今回の千代田区長選の50パーセントを超えていたので同等に考えたら、投票数は25万票。

どう考えても、15万票はなければならない。
それが今は、千代田区長選は1万5千票で当選できるらしい。

千代田区は過疎地か。
調べれば人口数はわかるだろうけれど、得票数の発表を見て、どこの田舎の選挙かいなと思いました。

国政選挙と比較する価値があるのでしょうか。  

Posted by よっぱらいくま at 21:25Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2016年12月12日

安土駅跨線橋 解体中

今年の3月に訪問した安土駅の跨線橋が解体中です。







工事中のホームは、大変狭くなっています。


駅舎側の階段も撤去されました。



2017年2月5日、古い跨線橋は姿を完全消し、新しい橋上駅舎のぶっとい骨組みの建設が始まっていました。
  

Posted by よっぱらいくま at 17:08Comments(0)TrackBack(0)

2016年12月04日

留萌本線 増毛駅廃止

今日で、留萌本線の留萌と増毛間が廃止となります。

増毛駅はこれまで、何度か訪れました。

廃止となる今日、現地に行くことはできなかったけれど、今、映画「駅」を観ながら、廃止を偲びます。



JR北海道、採算が取れない路線も発表されました。JR東海とかとの格差が著し過ぎます。不公平です。
国鉄改革、分割民営化の失敗が見えてきます。

道路にはじゃぶじゃぶと税金を無限に投入するくせに、鉄道には本当に冷たいのが、日本国の正体です。

地方の道路にも採算とかいう言葉で評価したら、廃止になる道路はたくさん出てくるんじゃないのかね。  

Posted by よっぱらいくま at 20:06Comments(0)TrackBack(0)鉄道小ネタ

2016年09月02日

古レール 北池野駅

養老鉄道の北池野駅で電車を待っていて、ホームベンチの上屋の柱に古レールが使われていることを見つけました。

これです。




「CARNEGIE」の表示、アメリカのカーネギー社製です。
製造年刻印もありました。


「19 2」、十の桁が判読できませんが、カーネギー社のレールが輸入されたのは1905年から1915年くらいが多かったらしいので、「1」が消えていると推測、たぶん1912年製でしょう。
製造月は「|」の数がはっきりと11本あり、11月製です。


明治期の輸入古レールを使った鉄道関連のホーム屋根の柱や跨線橋は各地に現存しており、そんなに珍しいものでもありません。改築により徐々に減ってはいますが・・・。
旧養老鉄道の手で開通した揖斐線の池野-揖斐間の開業は1919年(大正8年)らしいので、もしかしたら開業時から存在するホームベンチ上屋かもしれません。
近隣の東海道本線のレール交換で発生した古レールが使われたのかもしれないし、揖斐線で線路として現役使用されたのち、後年に交換された廃レールをベンチ上屋を建築したときに再利用されたのかもしれません。
そういう想像をしているだけで、歴史を考えると楽しいものです。

いずれにしても北池野駅ホームベンチ上屋は、相当古いものであることは確かです。






その他に米原駅と大垣駅のものです。


米原駅7、8番ホーム。「BV&CO LD」1897年製。


大垣駅2、4番ホーム。1927年10月製。

  

Posted by よっぱらいくま at 11:12Comments(0)TrackBack(0)歴史

2016年07月23日

米原駅 新幹線

米原駅上り新幹線ホームにて。

すべて、ベンチに座りながら撮った手抜き写真集です。


流してヘッドライトにまあ、合いました。
トリミング等一切加工していません。
1両目が完璧に収まりました。250キロ程度で通過するので、結構難しいんですよ。





反対ホームに到着した、新大阪行きこだま号。
700系自体、もうあまり見かけなくなりました。






手前から上り通過線、下り通過線、下り到着、待避線です。
米原駅はカーブしているので、結構なカントがついていて、待避線と比べて通過線はかなり傾いているのがわかります。




乗るこだま号が入線。
先頭の鼻先ギリギリにばっちりフレーミングできました。
停止前とはいえ、座っていたベンチは3号車付近なので、30~40キロくらいの速度です。
もちろん、ノートリミングです。
こちらも700系です。西仕様で、座席が濃い青色でもあり車内が若干暗く感じます。

使ったカメラは、パナのルミックスSZ-3です。


  

Posted by よっぱらいくま at 13:48Comments(3)TrackBack(0)新幹線

2016年07月18日

柳ヶ瀬線 北陸本線旧線

北陸本線の木ノ本と敦賀(疋田)間は、現在の深坂トンネル経由の新線が開通前まで、柳ヶ瀬トンネル経由で走っていました。
ちょっと古い写真ですが柳ヶ瀬トンネルの現在の姿です。

木ノ本側の坑口です。新たにコンクリートが巻かれて、元の古い坑口は見えません。


上から見ると。



敦賀側はこうです。



単線トンネルの幅しかないので乗用車のみの片側一方通行で、両側でこのように信号待ちします。
敦賀側。


木ノ本側。



トンネル内です。後続車がいなかったので停車できました。
柳ヶ瀬トンネルは明治15年開通、東海道本線全通よりもはるか昔に開通した、日本の鉄道路線の中でも最古参トンネルです。



柳ヶ瀬トンネルのことを今回書いた訳は、リニューアルオープンした琵琶湖博物館でこんな新聞記事を見つけたからです。


昭和39年5月10付けの滋賀中日新聞です。
柳ヶ瀬線廃止を伝える一面の記事です。
昭和32年10月に深坂トンネル経由の新線が開通し、旧線は柳ヶ瀬線として運行を続けたものの需要は少なく、昭和39年5月10日をもって運行を終え廃止となったのです。



琵琶湖博物館の再生した古民家の中のちゃぶ台の上に、昭和中期の雰囲気を醸し出すために蝿帳といっしょに置いてある新聞がこれなのです。
学芸員さんが、たまたま保存してあった新聞を置いたのか、柳ヶ瀬線廃止の記事だから意図的に置いたのか、なぞです。
写真はキハ52らしいです。
  

Posted by よっぱらいくま at 15:07Comments(0)TrackBack(0)廃線跡

2016年07月16日

京阪 京津線・石坂線

滋賀県内の京阪京津線と石山坂本線に乗ってきました。

浜大津駅は両線が交差します。
京都方面から京津線が道路を横切って到着。


坂本からの電車も到着。


浜大津駅は両線のジャンクション。
石坂線車内から浜大津を見る。京津線の入線待ちで一時停止。


こんな信号が点灯して、こちらも発車。




坂本駅の駅舎。どこかの大学の正門みたい。


浜大津手前の併用区間。線路ぎりぎりにお店が連なります。




石山寺駅。瀬田川のほとりにあり、名神高速と新幹線の橋が近くにあります。


こういうの、流行っていますね。一日乗車券も同じようなデザインです。


石山寺駅を発車。




石山を出て、東海道本線を跨ぐところ。




石坂線は路地裏のようなところを走り、交差する小道も数多く、多数の踏切確認灯があります。
それぞれ名称が表示されていて、風情のある名称が明朝体で表記されていて味があります。




膳所駅。隣はJR膳所駅と東海道本線。
かつて、ここからの京阪の線路位置が東海道線本線であり、浜大津から琵琶湖を汽船の連絡船で長浜へとつないでいました。



かわって京津線です。




浜大津を出て、併用区間を路面電車ではなくて在来線規格の大きな電車が走ります。


大谷駅付近の半径20の急カーブ。


急カーブには水を噴射しているところが多数ありました。




大谷駅で下車。急勾配の途中にあります。


右は国道1号線、左200メートルほど横には名神高速が走っています。
逢坂山越えの峠道は車ではなんでもないけれど、今の名神高速にほぼ沿って、明治時代最初の東海道本線が敷かれました。京津線の電車は急勾配仕様の特別な電車です。40~50パーミルくらいの坂がざらにあります。


うなぎ屋の看板。


大谷駅へ急勾配を下りながら進入する浜大津行き。




上栄町駅で下車。
急勾配が始まる区間にあり、ホームもかなり勾配があります。


併用区間から上栄町駅に進入。






併用区間と専用敷の分かれ目はこんな感じ。

電車内から見るとこうです。


JR大津駅へは、上栄町駅が最寄りです。歩いて10分もかかりません。
乗り換え途中の道も風情があります。

今回、京津線と石坂線に乗ったのは、タモリ倶楽部を観た影響でした。
  

Posted by よっぱらいくま at 18:02Comments(0)TrackBack(0)私鉄

2016年07月10日

東武9000系

東武東上線に乗り、小川町まで行きました。

たまたま9000系のトップナンバー編成に乗車しました。
思い出のある車両です。


乗車した、小川町折り返しの9001。


高校時代、私は東武東上線沿線に住み、毎日8000系に乗っていてうんざりしていました。当時の東武鉄道は長年にわたり8000系を製造を続けていました。
没個性の8000系は趣味的にもつまらなく、数も多すぎて嫌いでした。今考えると、乗り心地やシートの座り心地の良さ、安定した高性能など、長所がたくさんあったけれど、当時はこればかりでつまらなかった、国鉄103系状態でした。

そんな昭和56年、ついに東上線にも新形式9000系が入るとの情報が。将来の地下鉄有楽町線乗り入れ仕様の新車です。
高校通学で毎日東上線に乗っていたある日、鶴瀬駅待避線に停車中の9000系試運転列車に遭遇しておもわず下車してしまいました。
当時の私はキャノンFTbを毎日持ち歩いているカメラ小僧でした。あんなでかく重いカメラをいつも持ち歩いていたなんて、今では考えられませんが。

それで撮った写真がこちら。駅員の許可を得て、ホームから降りて線路上でも撮影しました。こんなことが認められる(ダメとは言わない、暗黙?)おおらかな時代でした。


池袋方の9101です。


近所の子供が珍しそうに見ています。


通過する急行8000系とのツーショット。


こちらは9001、寄居方です。上福岡駅に進入中。



こちらは現在の9101です。
デビュー当時とほとんど変わっていません。
貫通扉の上の9101の表記が、当時はありませんでした。
昭和56年、1981年あれから35年たっています。

結局、9000系は地下鉄乗り入れの特殊形式で、8000系の後継車は10000系となり、その後大量に製造されました。
あれも個性はないなあ。

昔はうんざりしていた8000系も、今は小川町-寄居間でほそぼそと運用されています。余命もわずかでしょう。
毛嫌いしていた8000系も、今は昔の色に復刻、リバイバル塗装が施されています。あんなにつまらないと思ってクリーム色一色の姿が懐かしく思えるから不思議です。正面は改造顔だけど。




この角度で見ると懐かしさひとしおです。


車内の座席も復刻色、こだわりが。


今回小川町を訪れた目的は、駅近くにある武州めん製のうどんを買うために。ここのうどんはおいしいんです。埼玉県内のヤオコーとかにも売っているのだけど、一度、工場製造直売のものを買ってみようかと。
結果、直売所には目的のうどんがなく、小川町駅前のヤオコーに行ったら山とあって、そこで買ったというオチでした。直売所向かいの直営店で昼食にうどんを食べたので、よしとします。

昨年秋に、上福岡のヤオコーで買ったときのものです。直営店では売り切れ?でした。


冬季限定のなべ焼きうどんもとてもおいしいです。


こちらが直営の食べ処。



埼玉県は、香川県の次にうどんの消費量か製造高が多い県で、おいしいうどん屋さんやメーカーがたくさんあります。
そういうおいしい製品が普通にスーパーで売っています。
埼玉の知られざる地味な名物が、うどんです。

  

Posted by よっぱらいくま at 15:49Comments(1)TrackBack(0)私鉄

2016年07月06日

バトルシップ

2012年のアメリカ映画。
バトルシップ、おもしろい映画で好きです。
エイリアンを叩きのめすシーンが気持ちいい。

私的には、旧態の記念艦、ミズーリー号が復活するシーンを観て。
青森と函館に係留保存されている、青函連絡船八甲田丸と摩周丸が、当時の船員の手により津軽海峡に進撃するシーンを夢想してしまいました。  

Posted by よっぱらいくま at 20:43Comments(0)TrackBack(0)音楽・映画・テレビ

2016年06月25日

沖縄旅行

約20年ぶりに沖縄に行ってきました。

ゆいレールはあるし、郊外の道路は立派になり、かなり変貌していました。

ゆいレールは運転席後ろが展望席になっていて、そこにばかり座りました。


那覇空港駅のポイント、モノレールの分岐点は特殊です。




運転席、信号は車上信号のATC。山手線とかと同じで、制限速度が速度メーター周囲に表示されていました。









車両基地への分岐点です。



観光地である首里城のすぐ近くにある、司令豪跡。タクシーの運転手さんに案内してもらいました。
戦争の跡は、街中にも残っています。ここは訪れた当日、NHKの朝のニュースで紹介されたものでした。



旅の第1日め、那覇の夜はここで。
最初の1杯めはサービスセット。おつまみ2品、生ビールはなんと2杯付きで1000円、安い。
オリオンビールは旨い。
地元の人らしき人しかお客はいませんでした。
私は、観光ガイドブックに載っている店はなるべく避けます。
ガイドブックやネットは一切見ず、事前調査は一切はなしにホテル近くを適当に徘徊して、見つけて飛び込んだ店でしたが大正解でした。
泡盛も十分に飲みました。


翌日は宮古島へ移動。
海の色が違います。


宮古空港到着直前。

私は飛行機に乗ったときの、離陸のときの滑走路端から猛加速を開始する瞬間と、着陸して逆噴射する瞬間が大好きです。




島内はレンタカーで観光。観光客のレンタカーも多いけれど、なんとなくのんびりしてしまいます。
昨年出来たばかりの伊良部大橋は、約3キロもある日本最長の通行無料の橋。



宮古島の夜も、あてもなく街を徘徊して、外観だけで店を決定。
ここも大正解。

先客はカウンターに一人客が2人。観光客には見えませんでした。
座敷は予約でいっぱいと言われカウンターに先客と並び座りましたが、飲んでいる途中に電話が入り、かなりキャンセルされたみたい。それでも店の人はのんびりしたもの。
キャンセルされた席に、地元のサラリーマンが案内されました。


当然、オリオンビール。
旨い!


魚が中心の店、地魚の唐揚げに泡盛、もちろんゴーヤちゃんぷるも食べました。


翌日は宮古島をあとにして那覇へ再び移動。さようなら~。





ひめゆりの塔と資料館、平和記念公園と資料館、喜屋武岬などをレンタカーで巡りました。
ひめゆりの塔近くの観光センターは昭和然とした雰囲気でした。

那覇最終日の夜は、ホテルから歩き国際通りへ。
当然、観光客も多く、観光客相手の店ばかりです。いろいろ迷いながら直感で、あるホテルの中の店に入りました。


宿泊したホテルの店は避けて、夜の街へ行きたくなるのは、旅行者の習性。
そこをあえて、ホテル内の店へ。外から入口もあり、入ると先客はゼロでした。
しかし、大将らしき人が大歓迎のもてなし。とても腰が低い大将でした。


今回も1杯セットをファストオーダー。つまみがこれだけついて1000円。つまみが豪華です。お得です。


うちなー料理もそこそこあって、この店も大正解。
あとからボチボチと客がきましたが、落ち着いたものでよかったです。観光客はあまりいなかったかな。


最終日は国際通りを散歩。昼ごはんは牧志公設市場近くでソーキそば。


3日間、昼は沖縄そばだったけれど、ここが一番旨くてしかも安かったです。
あとでガイドブックを見たら、掲載されていました。
観光客にも評判の有名な店だったみたい。知らずに入ったのだけど。


那覇をあとに、帰りの飛行機が空港を離陸する前。
フラップの動作確認。


沖縄は旅行中に梅雨開け。この日は快晴。
飛行中の空は限りなく青く、宇宙が近く感じました。



名古屋上空に近づき、桑名方面から進入していきます。







眼下に揖斐川、長良川が見え、名古屋駅のJRツインタワーも遠目に見えて、
飛島、旧十四山村上空を飛んで中部国際空港に着陸しました。

3日間、よく飲んだなあ。
締めは空港で、軽く飲んでから帰りました。
久しぶりにすっかり、泡盛ファンになってしまいました。

梅雨明けの沖縄は蒸し暑く亜熱帯そのもの。暑さに慣れない体は汗だく、冷房は一晩中消せませんでした。
名古屋はとても涼しく感じました。
真夏の最高気温は、那覇よりも名古屋の方が暑いはずですが。
  

Posted by よっぱらいくま at 17:59Comments(0)TrackBack(0)旅行記

2016年05月14日

舛添知事のこと

いろいろ言われているし、舛添氏の言い訳は支離滅裂だけど、1点だけ突っ込ませていただきます。

正月三が日の温泉ホテルへの宿泊について、「事務所関係者らと都知事選挙への対応などを会議した」とし、「家族と宿泊していた部屋を利用した」と言い訳した。
正月三が日に、家族水入らずの宿の部屋で会議したとか、正月三が日に事務所関係者が仕事するかよとか、それはとりあえず置いといて。

ホテルや旅館は普通、宿泊客以外が部屋へ入ることを、宿泊約款とそれに続く利用規則で禁止しています。
「来客と会う際にはロビーでお願いします」とかいう文言を、ホテルなどの部屋の備え付けのファイルに記載されているのを見たことがある人も多いはずです。

舛添氏は、事務所関係者は宿泊していないと明言しています。

だったら、宿泊者以外を部屋に招き入れて会議したと言う舛添氏の行動は、明らかに利用規則違反です。

舛添氏がそういうことを堂々と話すなんて、ホテル側からすれば利用規則違反を理由に宿泊を拒否されてもよい行動なんですよ。天下の東京都知事が、それで良いのですかね。

そういうことに学のある舛添氏は気づいていないし、そういう突っ込みどころに気が付かないマスコミさんも、なんだかなあ~と思った次第です。

まあ、本当に会議したなんて信じている人は、99.9パーセントいないと思いますけどね。  

Posted by よっぱらいくま at 19:46Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2016年05月07日

米原駅周辺散歩 旧線トンネル探索

私の大好きな米原駅。

まだ寒い2月のとある日、周辺を散歩しました。


新幹線に沿って設置されているスプリンクラーへ水を送るポンプ室です。


道路をまたぐ、太い送水管。


このポンプ室の名称です。


スプリンクラー本体。こうやってまじまじと間近で見ること機会もあまりありません。


ヤンマー研究所に設置されている温度計。
新幹線通勤のときはこれで必ず、行き帰りに気温をチェックしていました。


新幹線と東海道本線との交差地点。




真横をEF210が通過。迫力です。いい音だあ。






偶然、ドクターイエローが通過。


京浜東北線のパンタグラフが吹き飛んだ事故で話題となった、セクションの表示。
これは、4両編成ならここを先頭が通過したら、最後尾、要するに全編成がセクションを通過したということ。


同じく、6両、8両、10両と続く。


一番左が、最長編成がクリアした表示。もちろん電車の話しですよ。
貨物とか機関車牽引車は機関車が通過すればOK。


新幹線からいつも見ていた看板。


米原駅の駅弁屋さんの井筒屋。


国鉄時代からある、JRの建物。


滋賀県名物、「とびだし坊や」。いろいろなバージョンがありますが、これが基本形の坊や。


これは車窓から撮ったもの。
廃止された旧線のトンネルを撮ることができました。
未だに放置され、現存しているのです。
あやうく架線柱に被るところでした。


トリミングしてアップにしてみました。

実はこの、米原-彦根間にある現在線への付け替え前の、旧線トンネル坑口に行ってみようと思い立ち、米原駅から歩いたのです。
以前、車窓からちらっと見えたことがあったので。
結局、米原方からは徒歩では行けませんでした。一番、草や葉っぱが少ない時期を選んだのですが。
目の前の山の周囲は道はまったくなく、山へ入ったら草やら木やら倒木がたくさんで、人が歩いた跡のような道筋もなく、手入れされていない山でした。
山越えしてたどり着くにはたぶん1日がかりとなるでしょう。そこまでの準備も心構えもありません。
線路脇を歩けば楽に行けそうだけど、線路のすぐ脇に余裕はなく、あきらかに線路ぎりぎりのJR敷地内を歩くことになるでしょう。
10分間隔くらいで223系とかが120キロで疾走する脇は、はっきり言って危ないし、昨今、写真マニアが線路に立ち入ったとか、よくニュースになるので、新聞に載りたくはないので線路脇を歩くのはやめました。
昔は、幹線でも、線路脇ギリギリを歩いたり横断したりして、撮影場所を探したものです。列車が来たときに気をつけておけば、何も言われなかったものですが・・・。

このトンネル、草木が生い茂る時期は、車窓から確認するのは難しいと思います。






  

Posted by よっぱらいくま at 18:00Comments(0)TrackBack(0)鉄道小ネタ

2016年05月07日

安土駅跨線橋

東海道本線の安土駅にある古い跨線橋が、以前から気になっていました。
近々、安土駅が改修されるようなうわさが聞こえてきたので、3月に訪問しました。

駅員さんに聞くと、古い跨線橋は取り壊され仮設跨線橋になるが、いま作っている新跨線橋も仮設で、最終的な形になるまでの設置とのこと。
新駅舎は今はやりの橋上駅舎となり、どこにでもある形になるみたいです。




キオスクは営業しているようだけれど、閉まっていました。




典型的な国鉄型小駅タイプの駅舎内と改札口。


これがその跨線橋。現役なのもあとわずかのようです。




ホーム上屋も、古レールの柱のレトロなもの。


上屋の財産標識では、昭和38年9月製。私の誕生年月といっしょ。


内部です。










木枠の窓とカギ。昭和を感じます。
古い跨線橋でも、アルミサッシに取り換えてあるところも多いですが、ここは片側だけオリジナルのままです。




工事の案内。


古跨線橋から米原方を見る。


これが建設中の仮跨線橋。


4月になって、仮跨線橋の運用が始まり、古跨線橋は出入り口に蓋をされて、立ち入られなくなりました。
これから安土駅は激変することでしょう。

近接の篠原駅や稲枝駅、河瀬駅も、ここ数年で改修されてきました。
篠原駅なんか、車窓から見ると良い雰囲気だったのになあ。
まあ、橋上化で通り抜けできたりと便利になるのだけど、歴史的建造物を活用はできないものでしょうか。


  

Posted by よっぱらいくま at 16:32Comments(0)TrackBack(0)鉄道小ネタ

2016年04月10日

名松線 復活

今回のダイヤ改正で、名松線の家城-伊勢奥津間が復旧した。
中部地方ではそれなりにニュースとなっていて、まずはめでたい。
正直、私としては北海道新幹線の開業よりも、こちらの方が嬉しかった。

名松線は、名張と松坂を結ぶことを目的に建設されたが、途中の伊勢奥津でストップしてしまった、中途半端な路線ではある。
台風で利用者の少ない末端区間が不通となり、放置されてきたが、地元とJRで負担しあってやっと復旧した。
民間企業のJRとしては復旧に金などかけず、、採算の見込めない区間は廃止したかったのだろう。
ニュースで観た地元の熱意、鉄道で行けるところへはクルマを使わずに、ぜひとも名松線を使ってほしいと思うけれど、いかんせん、本数が少ない。

そんな名松線、伊勢奥津駅を昭和61年に撮った写真があったので。










  
キハ58とキハ30の2両編成でした。






古い駅舎。この頃はローカル線では当たり前の風景でした。








駅前の風景






蒸気機関車時代の給水塔、木柱とホーローの駅名標





この先、名張まで結ばれることはなく・・・








松坂と伊勢奥津を結んでいた証

これらの風景が今でも残っていたら、歴史遺産として、肥薩線のようにしたら、観光客をたくさん呼べたのかもしれません。







  

Posted by よっぱらいくま at 15:08Comments(0)TrackBack(0)昔の写真

2016年04月09日

川越線 電化開業の日

昭和60年9月30日、川越線が電化開業、同時に大宮駅での地上ホームからの発着はなくなり地下ホーム発着となり、埼京線の開業と併せて、川越から池袋まで直通運転が開始しました。

こんなヘッドマークが付けられてました。



開業当日の川越駅西口。田舎駅舎でした。今では考えられない・・・


開業式典です。















開業前夜 キハ35系さよならは こちら  

Posted by よっぱらいくま at 17:36Comments(0)TrackBack(0)昔話

2016年04月09日

川越線電化開業前夜

昭和60年9月29日、川越線の電化開業に伴い、キハ35系が廃止されました。

非電化最終日の様子です。



大宮駅 地上ホーム最期の表示。東飯能の表示も。



大宮駅でのお別れ式典。







到着した川越駅で、駅員さんとキハ35



川越駅では最終列車到着後、線路の改良工事が一晩行われました。
この様子を朝までホームで見物していました。
普段なら最終が着いたらいられないだろうけれど、この日は追い出されることもなく、特別の夜でした。










工事が終わり、一番電車が入線しました。



このあと、電化開業式典はこちら



  

Posted by よっぱらいくま at 17:35Comments(0)TrackBack(0)昔話

2016年04月09日

川越線電化開業前 オイラン

前にも載せた気もしますが、川越線電化開業前の軌道限界測定車?通称オイラン列車です。
103系と無蓋貨車でつながっています。









昭和60年、川越線電化開業前の夏の日。
電化工事も終わり、このような珍しい列車を偶然見ました。
自転車で巡っていたときのものです。

  

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2016年03月13日

3月13日青函連絡船最期の日

今日は青函連絡船最期の日の記念日。
毎年飽きることなく、この日は青函連絡船を偲び、自作のビデオを観ながら酒を飲む日です。

今年、いよいよ新幹線が青函トンネルを通る北海道新幹線が開業する節目の年です。

青函連絡船がなくなりまる28年、感慨ひとしおです。

自作ビデオを観ながら、青函連絡船の思い出に漬かっています。
あの頃は、肩に担ぐビデオカメラを持っていると、プロに見られていろいろ得したなあ。

青函トンネルが開通し青函連絡船が廃止された昭和63年、インターネットも携帯電話もないこの時代の方が、どいつもこいつもスマホの画面ばかり見つめている今よりも、楽しく生きやすかった気がします。  

Posted by よっぱらいくま at 20:04Comments(0)TrackBack(0)昔話