2017年07月17日

昭和55年九州

西鹿児島駅
今は「鹿児島中央駅」、新幹線が在来線と直角にホームがあります。
観覧車に駅ビルと、一変しました。



枕崎駅で、国鉄指宿枕崎線と鹿児島交通の気動車が並んでいるところ。



妻線 杉安駅



西鹿児島駅で発車を待つ「かいもん」号の20系寝台車



博多駅での583系寝台電車「なは」号



日田彦山線 添田駅停車中のキハ66



添田駅を発車した並行して走る添田線の気動車



湯前駅



夏休みが近づく今頃、昭和55年夏に九州ワイド周遊券を持って20日間、九州の国鉄に乗りまわったことを思い出します。
  

Posted by よっぱらいくま at 16:30Comments(0)TrackBack(0)昔の写真

2017年07月09日

香椎線、勝田線 宇美駅

香椎線と勝田線の宇美駅、勝田駅の昔の写真です。

香椎線の宇美駅と、勝田線の宇美駅は徒歩数分でしたが、離れていました。当時の時刻表では「100メートル離れています」と表記されていました。

香椎線 宇美駅 昭和55年


昭和59年


平成3年



勝田線 宇美駅
昭和55年




筑前勝田駅
昭和55年







昭和59年





平成3年 勝田線 廃線跡







  

Posted by よっぱらいくま at 16:23Comments(0)TrackBack(0)昔の写真

2017年07月09日

肥薩線大畑駅

スキャンした写真を見ていて、肥薩線大畑駅の写真を集めました。

昭和55年と平成3年に撮影したものを対比して並べました。

駅舎 





時刻表





ホームから
















ループ線案内標柱

昭和55年

以下は平成18年



  

Posted by よっぱらいくま at 15:19Comments(0)TrackBack(0)昔話

2017年07月06日

久大本線流された

九州の豪雨災害で、久大本線や日田彦山線が被災しています。

日田、夜明間の橋梁が流されているニュースや新聞を見ました。
近辺の道路橋は無事なのに、なんで鉄道橋だけ流されたのだろうか。

横倒しになっている橋脚は円筒形のコンクリート製で、なんか新しく見えます。

橋台部は古そうだけど、周囲は河川改修したばかりに見える堤防法面です。

簡単に横倒しになっている久大本線の橋脚、なんか疑問です。  

Posted by よっぱらいくま at 21:03Comments(0)TrackBack(0)事故

2017年07月05日

マイケルシェンカー

マイケルシェンカーのライブDVDを観ています。
つい最近、2016年東京国際フォーラムでのライブです。

メンバーはみんなおじさんです。
みんな年をとって、だけど和気あいあいです。

観客も私と同い年、中高年ばかりだ。でもみんなノリノリだ。

若かりし頃のロックミュージシャンはみんなとんがっていて、メンバー間のいざこざも数知れず。

若いころのマイケルシェンカーは精神的に患っているとかなんとか言われていました。

高校生の頃、LPからカセットに録音して、数限りなく聴きました。

でも、このライブDVDを観る限り、そんな雰囲気は微塵も感じません。
ファンサービスの塊、とても楽しそうに演奏しています。

ドラムのテッド・マッケンナ。相変わらずのパワーだ。
マッケンナモデルのドラムスティックは私の愛用品だ。とても太く重い。

ボーカルのゲイリー・バーデン。
御大、グラハム・ボネット。

ベースのクリス・グレン、なぜそんなに太った?

イントゥジアリーナ、デザートソング、みんなみんな、マイケルシェンカーのギター、年とってもかっこいい。
ギブソンのフライングブイ、マイケルシェンカーは不滅です。

メンバー間のいざこざその他、いろいろあったけれど、年取ってみんな楽しくやっている風景がとても素晴らしい。

コージー・パウエルが存命でいたら、今でもあのパワードラムを聴けたのでしょうね。

神、神話、あの頃のマイケルシェンカー、最高。

  

Posted by よっぱらいくま at 20:33Comments(0)TrackBack(0)音楽・映画・テレビ

2017年06月10日

ダイ・ハードか

今日の東名、新城PA付近の事故。
NHKがドラレコの記録を放送しています。
飛んでくる車。
ダイ・ハード4.0みたいだ。  

Posted by よっぱらいくま at 20:58Comments(0)TrackBack(0)日記

2017年06月05日

熱田駅

名古屋に住んで約20年、岐阜も含めると中部地方にかれこれ約30年住んでいて、一度も乗降したことがない熱田駅を初めて訪問しました。
当たり前だけど、学生時代から何百回と乗っている東海道本線、当然、通り過ぎたことは数知れずです。

熱田駅、歴史は古く東海道線全通前、東海道線の建設資材を武豊から運ぶために明治初期に開設された駅です。開業当初の駅は今より南側にあったことが、古地図からわかります。現在の熱田駅は東海道本線の全通と時期をほぼ同じ頃、現在地に移転しています。
そんな熱田駅の構内は広く、東海道本線の駅としての歴史と風格を感じますが、現在は普通しか止まらない、格下の駅となっています。





ホームの屋根を支える、古レールの柱。上りホームは古レールだけど、下りホームは鉄骨です。

古レールの刻印を探したけれどなかなか見つからず、やっと見つけたのがこれ。1919年です。






跨線橋も古レールで組まれています。








昔、名古屋発着のカートレインは熱田駅始発でした。きっとここから乗用車が乗り入れたのでしょう。
このホームは現在、立ち入れません。








ホームに入ってくる列車を、パチリ、パチリ。
やっぱり貨物は迫力があります。


熱田駅構内で、しらさぎが名古屋から引き上げてきて、折り返し待ちをします。
名古屋駅へ向かい、発車していきました。



駅舎







熱田神宮へ向かう商店街は、レトロです。


名鉄神宮前駅へ続く路地裏は、飲み屋街です。




熱田駅前の駅前酒場。
今度は夕方に来て、ここで飲んでみたいです。



この建物、もともとの二階建てにビルを被せたみたいです。
  

Posted by よっぱらいくま at 17:41Comments(0)TrackBack(0)

2017年06月03日

旧草津川と東海道本線

滋賀県の草津駅近くにある、天井川であった旧草津川と東海道本線が交差する地点に行きました。

草津川は明治期に東海道本線が建設される以前から、全国的に有名な天井川でした。
そのため、東海道本線を建設する際に、川の下にトンネルを掘ったのでした。



左から、上り米原方面2本、下り京都方面2本、そして右の2本は明治期の最初に開通させた2本で、現在は施設工事訓練用の線路となっていて架線その他の模擬構造物がたくさんあります。一番右側は拡幅改修されていますが、右側から2本目は明治期の建設当時のままの姿を留めています。

草津川は現在は廃川となっていて、水は流れていません。この4月から旧草津川のこのあたりは、草津川跡地公園として整備され憩いの空間となっています。






草津川上部から撮ったものです。
現在線は付け替えられたことからカーブしていて、旧線側が直線であることがよくわかります。






旧線の煉瓦積の坑口、味があります。




この場所に、慰霊碑があります。





台座の文字を読むと、「為鐡路轢死者各霊位」とあります。
建立は昭和11年8月と刻まれています。
ここで大事故があったのでしょうか。合掌。




草津は東海道と中山道が分岐する街です。
ここが分岐点にある道標です。



帰りは駅前の店で飲みました。
昭和の雰囲気の店内、酒も食べ物もおいしい店でした。
外観の雰囲気、提灯の「一寸一杯」の文字が好きです。
もちろん、一杯では100%済みません。
地元の太田酒造の冷酒がたくさん揃っていて、お手頃価格でおいしかったです。



草津駅には、DD51がいました。

  

Posted by よっぱらいくま at 16:43Comments(0)TrackBack(0)廃線跡

2017年05月29日

泡波

八重山諸島を旅してきました。

波照間島へは行けなかったのですが、泡波の2合瓶を2本、石垣島で定価(500円弱)で購入しました。

 
私は27年前、平成2年に波照間島に行きました。そのとき泡波の600mlをたくさん買って、ゆうパックで自宅へ送りました。
現地ではいくらでも買えました。

今、ネットで見ると現地でも手に入れにくいみたいです。

27年前に買って大切にとっておいた泡波を昨日、飲みました。

そして、今回買った新鮮な泡波も飲みました。


27年前の泡波と、今回買った泡波です。





27年経った泡波古酒よりも、今回買ったやつの方がおいしかったです。

泡波は今でも買いにくいみたいなので、今回定価でどこで買ったかは、言いません。

もっと買えばよかったかな。2本だけ買ったので。

まあ、あんまりこういうプレミア扱いはねえ・・・。

石垣空港では、同じ2合瓶の泡波が約6000円で売っていました。

約30年前のラベルと現在のラベルでは違いがあることに気がつきました。


昔のものはこれ





現在はこれ




「日本最南端」と書かれているものが、「最南端」だけになっています。
あとは、ゴミとしての選別リサイクルマークと、適量をだとかの注意書きが加わっています。
電話番号の市内局番が一桁から二桁に変わっています。
詰口年月日の刻印も加わっています。
製造者のお名前は変わっていません。





  

Posted by よっぱらいくま at 21:07Comments(0)TrackBack(0)

2017年05月07日

京都鉄道博物館

まだ雪が降っていた頃、京都鉄道博物館へ行ってきました。

私の大好きなEF66が鎮座しています。ここは車体下部を見ることができます。







スノープロウと頑丈な排障機の構造がよくわかります。まじまじと車体下部を見るのは初めてです。
こういう展示方法、最高です。

同じく好きなDD51。





スノープロウの構造がEF66と違って、進行方向な向かってかなり鋭角なことがわかります。

機関車の重厚な機器類を見ることができる下からの覗きは楽しいです。


EF66の運転台。これはぶつ切りされた車体が別に展示されているものです。


マスコンは機関車のものというより、電車に限りなく近いです。進段のノッチが少なく、弱め界磁のハンドルもこうなっているのがよくわかります。


0系の運転台もいつでも自由に入れます。リニア鉄道館は基本、非公開です。




運転台からの景色。大学生のときの新幹線の車販のバイトをしていたとき、運転台に入ったときに一瞬だけ見ることができた時速200キロの前面展望を思い出しました。


マルス端末も各種あります。
私が学生時代から就職した頃までに最もお世話になったのがこれ。M型とか言ったかな。忘れました。


パタパタをめくり希望の路線などにピンを入れて操作するものです。



そして、入力を終えるとこの発信ボタンを押して、指定席を確保するのです。



指定券が確保されると「YES」の緑ランプが点きます。
1ヶ月前の10時に人気の列車の席を確保するときは、窓口氏が10時前に入力をすべて終えて、10時ジャストにこの「発信」ボタンを連打してマルスに繋がるようにしてくれました。
「YES」が出るか「NO」が出るか、窓口から身を乗り出して緊張しながら見ていたものです。


外は、梅小路機関車館が昔のままあり、蒸気機関車がたくさんあります。
生きている蒸気機関車はやはりよいです。






まさしく鉄の塊、大迫力です。


東海道本線と山陰本線に挟まれて、遠目に新幹線も見ることができます。



生きている鉄道も間近に見られる京都鉄道博物館は、大宮や名古屋よりも気に入りました。  

Posted by よっぱらいくま at 16:02Comments(0)TrackBack(0)日記

2017年05月02日

米原駅での新幹線

米原駅を利用する際は、よく写真を撮ります。

米原駅は東京方がほどよくカーブしていて、よい感じです。

雨の日は水しぶきが迫力です。





パナソニックSZ3、光学10倍ズームめいっぱいにデジタルズームでさらに拡大、手持ち、トリミングなしです。

流し撮りにも何度も挑戦しますが、なかなか決まりません。どうしてもフレームアウトしてしまいます。

これはましな方ですが、あまり流れていません。



東海道線と北陸本線とのジャンクションであり、歴史ある米原駅は大好きです。
駅前の平和堂は、閉店するそうでさびしいかぎりです。
  

Posted by よっぱらいくま at 17:43Comments(0)TrackBack(0)新幹線

2017年05月02日

東海道本線 米原~彦根間の旧線

米原-京都間の東海道本線の通称「琵琶湖線」というJR西日本の呼び方にも違和感がなくなってきました。でも、米原駅での新幹線からや大垣方面からの在来線からの乗り換え時のアナウンスは必ず「東海道線、京都方面はお乗り換えです」と、JR東海は今でも頑なに正式名称を貫き、JR西の呼び方は使いません。何を意地はっているのかい、という感じです。結局、JR各社間の仲が今でも、基本的に悪い査証でしょうかね。乗客にとっての利便性、分かりやすさ、連携は二の次なんでしょうかね。
まあ、私も宇都宮線とか宝塚線とか嵯峨野線とかは今でも違和感がありますが。

以前、米原-彦根間に現存する旧線のトンネルのことを書きました。このトンネルは明治22年、東海道本線最後の開通区間にありますが、ここは元々は切り通しの開削部でした。開通後、度々土砂崩れに見舞われて不通になったことから、切り通しを埋めてトンネルにしたそうです。この山を通る龍神様が線路で分断されたことの怒りから災害が起こると言われたそうです。
その後、昭和31年の電化の際に現在線に付け替えられて、廃線となりました。

明治時代に建設された重厚な煉瓦積みの坑口が今でも確認できます。ネットには現地踏査をされた詳しいレポートもあります。皆さんここにたどりつくのには、相当苦労されているようです。
私はここを通る度に車窓から写真を撮ってみましたが結局、最初に撮ったものが一番良く撮れました。




これは駄作です。今年は厳冬期も草木が邪魔でした。



一方、彦根寄りには、たぶん旧線の架道橋と思われる小さな構造物があります。







すべて乗車する度に車窓から撮ったものです。これもたぶん旧線の構造物だと思います。
現地踏査に挑戦はしていませんが、写真で見る限り周辺は立ち入り禁止みたいです。

  

Posted by よっぱらいくま at 17:30Comments(0)TrackBack(0)廃線跡

2017年03月13日

青函連絡船記念日

 今日は青函連絡船最期の日、青函トンネル開業記念日です。
 毎年毎年、懲りずにこの日は特別の日です。
 自作の青函連絡船ビデオを観ながら酒を飲みながら、浸っています。
 
 あれからまる29年。
 昭和63年3月13日に青森と函館に集まった人たちは今は、最低でも間違いなく40代後半以上の歳になっていることでしょう。

 あの日、青函連絡船の終航に立ち会った人たちと、同窓会ができないかなあ。  

Posted by よっぱらいくま at 20:48Comments(0)TrackBack(0)昔話

2017年02月07日

新聞の投稿記事

今日の中日新聞の投書欄。
大雪のときに隣人の善意に感謝とのこと。
80を超える老夫婦が、大雪で車を出せない状況下、近所の助けを得て自宅の敷地を除雪してくれて車を出せることに感謝とか。

田舎のことだろうけれど、そこまでして、大雪の中、高齢者が車を運転して外出しなければならない緊急事態があるのかいなと思いました。

ただでさえ高齢者の運転不安が心配されている中、買いものか何かしらないけれど、車を所有しているくらいなら、緊急事態で外出しなければならないなら、除雪してマイカーを出す苦労を語る前に、タクシーでも使ったらと言いたいです。ましてや病み上がりの体で、無理に車を出さなくてもと(詳細は新聞で確認してください)。

こういう人は、公共交通機関を利用するという発想は皆無なのだと思います。車利用しか発想がないのでしょうね。  

Posted by よっぱらいくま at 21:17Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2017年02月06日

千代田区長選

千代田区長が、小池都知事ご推薦の現職の人が再選されたと、小池新党が勢いづくと、報道されています。
その当選得票数が、2万にも満たない。2位以下は5千票、3千票単位。

いったいどこの村だよと突っ込みました。
村という比喩は言い過ぎだが、東京都は1000万都市。
私が東京都大田区に住んでいた頃、世田谷区は人口70万人以上、大田区もそれに次ぐ人口だったはず。

70万人のうち、有権者数が未成年を除いて、あの頃は子供も多かったが、50万人として、投票率が今回の千代田区長選の50パーセントを超えていたので同等に考えたら、投票数は25万票。

どう考えても、15万票はなければならない。
それが今は、千代田区長選は1万5千票で当選できるらしい。

千代田区は過疎地か。
調べれば人口数はわかるだろうけれど、得票数の発表を見て、どこの田舎の選挙かいなと思いました。

国政選挙と比較する価値があるのでしょうか。  

Posted by よっぱらいくま at 21:25Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2016年12月12日

安土駅跨線橋 解体中

今年の3月に訪問した安土駅の跨線橋が解体中です。







工事中のホームは、大変狭くなっています。


駅舎側の階段も撤去されました。



2017年2月5日、古い跨線橋は姿を完全消し、新しい橋上駅舎のぶっとい骨組みの建設が始まっていました。



2017年3月10日、橋上駅舎の骨格が出来つつあります。


  

Posted by よっぱらいくま at 17:08Comments(0)TrackBack(0)

2016年12月04日

留萌本線 増毛駅廃止

今日で、留萌本線の留萌と増毛間が廃止となります。

増毛駅はこれまで、何度か訪れました。

廃止となる今日、現地に行くことはできなかったけれど、今、映画「駅」を観ながら、廃止を偲びます。



JR北海道、採算が取れない路線も発表されました。JR東海とかとの格差が著し過ぎます。不公平です。
国鉄改革、分割民営化の失敗が見えてきます。

道路にはじゃぶじゃぶと税金を無限に投入するくせに、鉄道には本当に冷たいのが、日本国の正体です。

地方の道路にも採算とかいう言葉で評価したら、廃止になる道路はたくさん出てくるんじゃないのかね。  

Posted by よっぱらいくま at 20:06Comments(0)TrackBack(0)鉄道小ネタ

2016年09月02日

古レール 北池野駅

養老鉄道の北池野駅で電車を待っていて、ホームベンチの上屋の柱に古レールが使われていることを見つけました。

これです。




「CARNEGIE」の表示、アメリカのカーネギー社製です。
製造年刻印もありました。


「19 2」、十の桁が判読できませんが、カーネギー社のレールが輸入されたのは1905年から1915年くらいが多かったらしいので、「1」が消えていると推測、たぶん1912年製でしょう。
製造月は「|」の数がはっきりと11本あり、11月製です。


明治期の輸入古レールを使った鉄道関連のホーム屋根の柱や跨線橋は各地に現存しており、そんなに珍しいものでもありません。改築により徐々に減ってはいますが・・・。
旧養老鉄道の手で開通した揖斐線の池野-揖斐間の開業は1919年(大正8年)らしいので、もしかしたら開業時から存在するホームベンチ上屋かもしれません。
近隣の東海道本線のレール交換で発生した古レールが使われたのかもしれないし、揖斐線で線路として現役使用されたのち、後年に交換された廃レールをベンチ上屋を建築したときに再利用されたのかもしれません。
そういう想像をしているだけで、歴史を考えると楽しいものです。

いずれにしても北池野駅ホームベンチ上屋は、相当古いものであることは確かです。






その他に米原駅と大垣駅のものです。


米原駅7、8番ホーム。「BV&CO LD」1897年製。


大垣駅2、4番ホーム。1927年10月製。

  

Posted by よっぱらいくま at 11:12Comments(0)TrackBack(0)歴史

2016年07月23日

米原駅 新幹線

米原駅上り新幹線ホームにて。

すべて、ベンチに座りながら撮った手抜き写真集です。


流してヘッドライトにまあ、合いました。
トリミング等一切加工していません。
1両目が完璧に収まりました。250キロ程度で通過するので、結構難しいんですよ。





反対ホームに到着した、新大阪行きこだま号。
700系自体、もうあまり見かけなくなりました。






手前から上り通過線、下り通過線、下り到着、待避線です。
米原駅はカーブしているので、結構なカントがついていて、待避線と比べて通過線はかなり傾いているのがわかります。




乗るこだま号が入線。
先頭の鼻先ギリギリにばっちりフレーミングできました。
停止前とはいえ、座っていたベンチは3号車付近なので、30~40キロくらいの速度です。
もちろん、ノートリミングです。
こちらも700系です。西仕様で、座席が濃い青色でもあり車内が若干暗く感じます。

使ったカメラは、パナのルミックスSZ-3です。


  

Posted by よっぱらいくま at 13:48Comments(3)TrackBack(0)新幹線

2016年07月18日

柳ヶ瀬線 北陸本線旧線

北陸本線の木ノ本と敦賀(疋田)間は、現在の深坂トンネル経由の新線が開通前まで、柳ヶ瀬トンネル経由で走っていました。
ちょっと古い写真ですが柳ヶ瀬トンネルの現在の姿です。

木ノ本側の坑口です。新たにコンクリートが巻かれて、元の古い坑口は見えません。


上から見ると。



敦賀側はこうです。



単線トンネルの幅しかないので乗用車のみの片側一方通行で、両側でこのように信号待ちします。
敦賀側。


木ノ本側。



トンネル内です。後続車がいなかったので停車できました。
柳ヶ瀬トンネルは明治15年開通、東海道本線全通よりもはるか昔に開通した、日本の鉄道路線の中でも最古参トンネルです。



柳ヶ瀬トンネルのことを今回書いた訳は、リニューアルオープンした琵琶湖博物館でこんな新聞記事を見つけたからです。


昭和39年5月10付けの滋賀中日新聞です。
柳ヶ瀬線廃止を伝える一面の記事です。
昭和32年10月に深坂トンネル経由の新線が開通し、旧線は柳ヶ瀬線として運行を続けたものの需要は少なく、昭和39年5月10日をもって運行を終え廃止となったのです。



琵琶湖博物館の再生した古民家の中のちゃぶ台の上に、昭和中期の雰囲気を醸し出すために蝿帳といっしょに置いてある新聞がこれなのです。
学芸員さんが、たまたま保存してあった新聞を置いたのか、柳ヶ瀬線廃止の記事だから意図的に置いたのか、なぞです。
写真はキハ52らしいです。
  

Posted by よっぱらいくま at 15:07Comments(0)TrackBack(0)廃線跡