2019年03月23日

佐原駅 今昔

この前の、神崎酒蔵祭りに行くとき佐原駅で撮った写真と、昔の写真を比較します。
平成2年と平成31年、30年の時を隔てた平成の始めと終わりの風景です。





平成始めは、今と比較してたくさんの乗降客の姿があります。
東京とを結ぶ特急あやめが5往復ありました。
この頃から徐々に高速バスの台頭で、特急は衰退し、あやめ号はついに廃止となりました。







側線に廃車待ちの車掌車「ヨ」がたくさん留置されていますが、今はこの側線もなくなっています。
ちなみにこの側線の右側はかつて、小野川とつながる佐原港だったのです。水運と鉄道がつながっていました。


  

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2019年03月21日

賞味期限考

前にもどこかで書いたけれど、私は賞味期限にはまったくこだわっていません。
あくまで私見ですので、気分が悪くなるような方はこの先読まないほうがよいかも。

さきほど、昼ごはん何食べようかなと悩んでいました。
インスタントラーメン類が入っている引き出しを漁っていたところ、2017.7.25が賞味期限の袋めんを発見。
1年半以上期限が切れているけれど、おいしくいただきました。



インスタントラーメン類、袋麺のたぐいは賞味期限が1年以上過ぎていても、問題ありません。

3連、4連パックで売られているベーコンやスライスハムとかは冷蔵庫にきちんと保管しておけば、だいたい賞味期限から1年くらい過ぎていても問題なく食べています。
パックされた食品は、変質するとガスが発生して膨らむので、パックの異常の有無で判断できます。

冷蔵庫に入れてある生卵は賞味期限切れ2~3週間は、平気で生で食べます。それも過ぎたら一応火を通して、ゆで卵とかにします。もともと卵は常温でも保存できる、きわめて保存性のよい食品です。

麺つゆとかも1年くらい賞味期限を過ぎても問題なし。ただし保管状況次第では、味は落ちてきます。開栓しためんつゆとかは、ラベルに「開栓後は2~3日中に使い切ってください」というふうに書かれているけれど、私は2~3ケ月くらいは大丈夫です。もちろん冷蔵保存前提です。変質すると濁るから判断できます。

スーパーで買うパックされた肉類はさすがに消費期限を守りますが、冷凍すれば1年くらいは食べられます。ただし、劣化して味は確実に落ちていきます。腐敗することはありませんが。早く食べるのが賢明です。

刺身類はこれは私でも消費期限を守ります。買った当日に確実に食べます。

缶詰とかレトルト食品、これはもともと長期保管が前提だから、期限を2~3年過ぎても大丈夫。
ペットボトル飲料も同様です。

缶詰も同様だけど、5年くらい期限を過ぎた昔の内部をコーティングしていない缶のものは、中身の変質はなかったけれど金属臭くなっていて不味かったです。

調味料、コショーや七味とかは期限が切れると辛味や風味は落ちてくるけれど、腐敗することはないと思います。

賞味期限と消費期限があることは皆さんご存知だろうけれど、賞味期限はそれまでに食べたほうがおいしいですよという意味にすぎません。
もともと製造から1ケ月とか半年後に賞味期限を迎えた商品が、期限日を過ぎた午前0時にいきなり変質して食べられなくなるなんてことはあり得ないことです。

日本の食品メーカーは、今は品質管理も厳しく衛生的に製造されています。製造販売側は、かなりの安全度、余裕をもって賞味期限を設定していると思います。期限切れの食品を食べて何かあったら自己責任だろうけれど、これまで腹をこわしたことは、ただの一度もありません。

私が幼かった昭和40年代は、今よりももっと食品が腐りやすかった気がします。冷蔵、冷凍技術の向上、品質を損なわない輸送体制が確立してきたのでしょう。そして食品メーカーの技術、保存技術も向上したと思います。
昔は、インスタントラーメン類も期限を切れるとやはり劣化しました。油の質とかも悪かったのか、期限切れのものは明らかに油が変質したような臭いがしました。
今は、パックの密封性能も向上したのでしょう。

消費者は期限を絶対視してこだわることはせず、期限切れの食品でも自分の嗅覚と見た目で判断した方がよいと思います。
十分に食べられる食品を、期限だけで判断して廃棄するは忍びないことです。生き物の命を奪ってできた食品です。期限だけを判断基準に捨てることを見直しませんか。
食品メーカーは決して推奨しないだろうし、やめてくれと言うかもしれませんが。

もっとも、「もっと早く食え」と言われたら元も子もないし、私の在庫管理が杜撰である証でもあります。早め早めに、期限が切れる前に消費することが一番ですが・・・。  

Posted by よっぱらいくま at 14:14Comments(1)TrackBack(0)食べ物

2019年03月17日

神崎酒蔵祭り 下総神崎駅

神崎酒蔵祭りが開催されると聞いて、午前中にちょっとだけ行ってみました。
佐原駅から電車でたった10分だし。

佐原駅へ到着する、新宿発佐原行きの特急「神崎酒蔵祭り」号。
下総神崎で客を降ろした回送のようなもの。




上り電車で下総神崎駅に到着。
たぶん1年で一度だけの賑わいでしょう。




お祭りはたいそうな賑わい、混雑でした。
試飲と購入で、結構酔いました。





私、仁勇の熱燗が好きです。










早くも帰りの電車を待つ人たち。成田方面、銚子方面ともたくさんいます。

JR東の職員、駅員も大動員、ふだんは・・・。




電車到着。私は電車を待つ間、駅前の店でワンカップを買ってホームで立ち呑みしていました。
昼間っから堂々と駅で飲めるのは、この日この場限りです。
でも、駅で飲んでいる人は缶チューハイばかりでした。
酒蔵祭りに来たのに、日本酒じゃないの?・・・。


昭和62年、だいたい同じ場所の写真です。





  

Posted by よっぱらいくま at 16:06Comments(0)TrackBack(0)日記

2019年03月16日

豊橋鉄道市内線の変遷

5年くらい前に豊橋市役所でやっていた、豊橋の歴史展みたいな展示の一角にありました。
豊鉄市内線の路線の改廃がわかりやすいパネル展示でした。
昔は広小路通りを通っていたこと、柳生橋までの路線があったことなど、今の豊橋の住民でも知らない人も多いようです。


これは夏のビール電車。















  

Posted by よっぱらいくま at 16:37Comments(0)TrackBack(0)廃線跡、未成線

2019年03月13日

青函連絡船記念日 31回忌

 毎年毎年、この日書いているけれど、3月13日、今日は昭和63年に青函連絡船が廃止になった日です。
 当時、現地で撮ったビデオを編集した作品を観ながら、酒を飲み追悼しています。
 鉄道マニアの私が鉄道連絡船である青函連絡船に入れこんでしまいました。
 現代ではどこにもない、決して再現することができない旅情だったと思います。
 あの時、肩に載せるビデオカメラを持っているのは、マスコミ関係者以外、ほとんどいませんでした。
 規制線を張られることもなく、マスコミも素人も平等な立場で撮影できました。
 今は、動画と称するビデオ撮影がスマホで誰でも気軽に撮影できる時代となりました。
 あれから31年、20代だった私も50代になってしまいました。
 時の経つのは早いものです。  

Posted by よっぱらいくま at 20:10Comments(0)TrackBack(0)青函連絡船

2019年03月09日

泡波

 人が住んでいる日本最南端の波照間島に行きました。
 泡波、買いました。



もちろん、自分で飲む用です。
転売とか絶対しません。

飲みたければ 現地に行こう!  

Posted by よっぱらいくま at 20:20Comments(0)TrackBack(0)

2019年03月09日

京浜急行 駅名変更騒ぎ 終結

 京浜急行が小中学生から公募して駅名変更する話し。
 何駅が何と変更されるか心配でしたが、4駅の変更で決着がついたようです。
 見た限り、無難な変更、まあ納得できるかなという感じです。
 歴史や地元を無視するような変な駅名に変更をするなと、たくさんの意見、苦情があったと推測します。
 駅は街の玄関です。
 京急側は、「小中学生から集まった案を参考にした」と言っているようです。
 言い方が微妙です。参考にしたというだけで、採用したとは言っていません。
 京急の「わがまち駅名募集」は企画倒れだったのでは。
 逆に、小中学生がこれらの案を出したのなら、それはそれで大変意識が高い、すごいことだと思います。

産業道路 → 「大師橋」
花月園前 → 「花月総持寺」
仲木戸 → 「京急東神奈川」
新逗子 → 「逗子・葉山」

 大森町、梅屋敷が変わらなくて良かった。

 JR東も田町-品川間新駅の駅名を公募したけれど、最下位グループの「高輪ゲートウェイ」を採用しました。
 公募など何も意味ないし、それなら最初から公募などしなければよいと思います。
 
 京急もバカなことをやると憤慨したけれど、京急はしっかりと地元のことも考えているし何よりも漢字だけというのもマルです。
 最近の風潮である、ひらがな駅名や合併して新たにできたひらがな市名などには軽薄で違和感があります。
 JR東よりも京急の方が良心があったようです。
 センスのかけらもないJR東、公募結果の扱いといい、ゲートウェイがいかにカス、クズなネーミングかと改めて思います。





大森町駅のサミットはたしか、私が小学校5年生の頃(昭和49年)に開店したから、かれこれ45年くらいたっています。  

Posted by よっぱらいくま at 16:41Comments(0)TrackBack(0)最近の出来事

2019年02月24日

鹿島線 成田線

天気が良いので、ちょっと写真を撮りに出かけました。

鹿島線十二橋駅にて。


ニコンP900で気軽に超望遠撮影ができます。



昭和62年撮影と比較




同じく比較 113系が懐かしいです。




この先、利根川を渡って、成田線と合流して香取駅へ。



与田浦越しに。


さっきいた十二橋駅に停車中。


上空は成田空港への着陸コースです。霞ケ浦を右手に見ながら土浦の手前くらいで左旋回して、成田に着陸します。


水郷駅にて。超望遠で撮ると、空気の揺らぎで・・・。







  

Posted by よっぱらいくま at 15:32Comments(0)TrackBack(0)撮影記

2019年02月03日

高輪ゲートウェイ 駅

 品川-田町間の山手線に設置される新駅、「高輪ゲートウェイ」に決定したと報道され、いろいろな論評も一段落したようです。
 発表当初はマスコミも好意的な意見を積極的に流していた気もしますが、一般の意見の実態は9割以上、批判的みたいです。
 私も初めて聞いたとき、はあ~カタカナ入れるかねえと、ため息でした。
 JR幹部は私と同じ歳の層と思います。その感覚が理解できません。
 普通に日本語、漢字にすりゃいいじゃねえかと叫びました。
 「高輪」でいいのでは。
 あのあたりの地名は「高輪」、単純な話し。

 浦和に冠する駅は、東西南北、中、武蔵と、安易な駅名の連発です。
 こっちがまだまし。
 新品川でもいいよ。

 品川はJR海と東の共同駅だから、東のいろいろな思惑も絡んでいるようです。

 ゲートウェイ?、だったら門前とでも表記すれば、「高輪門前」、結構粋ではないですか。
 東西線に「門前仲町」もあるし。


 開業したら、利用者は待ち合わせにせよなんにせよ、山手線の「高輪駅」で、という会話が普通になる気がします。
 誰もが、「ゲートウェイ」は省略して呼ぶようになると確信します。




 「E電」のように、死語となること受け合いです。

 伝統の田町電車区、品川客車区、東京機関区を潰してできた敷地に出来る新駅、軽すぎる駅名は勘弁してほしい。


  まあ、「ゲートウェイ」は、「E電」の二の舞の運命でしょうね。  

Posted by よっぱらいくま at 18:54Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2019年02月03日

鹿島鉄道 鉾田駅跡

北浦湖畔駅を訪れたあと、鹿島鉄道の鉾田駅跡を見に行きました。

鹿島鉄道は2007年(平成19年)に廃止されています。

私は昭和63年頃、日も沈んだ夕刻、この鉾田駅から石岡まで乗ったことがあります。
そのときの風景は鮮明に覚えています。

古びた駅舎を通り、1両の気動車のボックスシートに収まり石岡まで乗車しました。
通勤時間帯のせいか、思ったよりも乗客は乗っていました。

現在の鉾田駅跡です。
ホーム跡は、東日本大震災の影響で沈下、波打っていました。







右端の車が止まっているあたりに駅舎があったと思うのですが・・・。



昭和63年の鉾田駅と現在。
今の姿からは想像できないです。
この頃は結構、乗客は多かったです。
桃浦駅とかでも必ず幾人かが、乗下車していました。















  

Posted by よっぱらいくま at 14:52Comments(0)TrackBack(0)廃線跡、未成線

2019年02月02日

鹿島臨海鉄道 北浦湖畔駅

鹿島臨海鉄道の北浦湖畔駅、霞ケ浦(北浦)が見える、何もない駅です。鹿島神宮側方面の山の中から突如、空中に現れる感じの高架駅です。
旧鉄道公団の手で建設された典型的な土木構造物が続くのが鹿島臨海鉄道です。
高架に盛土に切通区間が続く、踏切は一ヶ所もなく道路とはすべて立体交差、新幹線みたいな路線です。





日影はまだ、2日前の雪が残っています。



水戸行きが到着、発車していきました。









道路から直接、階段でホームへ上がる構造、駅舎はありません。

  

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2019年01月27日

銚子電鉄と房総半島1周の旅

千葉県の佐原から銚子へ行ってきました。
銚子電鉄をひさしぶりに訪れたいと思ったのです。

佐原から銚子は近いし、ただ単に銚子へ向かうのもつまらんと思い、ならいっそ房総半島を1周して銚子へ向かうかと決めました。

房総半島の内房線も外房線もすべて東京近郊区間です。佐原も銚子も同区間内ですので、途中下車はせずに大回り乗車の恩恵にあずかることにします。
ルートは、佐原-千葉-内房線-外房線-東金線-総武本線-銚子です。
昔は東京近郊区間はもっと狭く房総半島全体は範囲外でしたが、今はスイカの普及と利用区間の拡大とともに、東京近郊区間の範囲もとてつもなく拡がりました。
中央線の松本や常磐線のいわきまでが東京近郊区間です。

佐原駅を4:50発千葉行きの始発に乗り、千葉で内房線館山行きに乗り換えました。
土曜日にもかかわらず通勤、通学客でそれなりの混雑です。下り方向だから空いているかなという予想ははずれました。
しかし、その混雑も木更津でほぼ解消、君津から先はガラガラになりました。

君津からは単線となり、車内放送からは、これから海が見える区間となるような旨の案内もあり、旅行気分となってきました。


東京湾越しに富士山も見える恵まれた天候です。





館山まで約1時間50分の鈍行電車の旅を堪能して、館山で安房鴨川行きに乗り換えです。
内房線、外房線の末端のこの区間に乗るのは中学生のとき以来、40年以上経っています。
両親といっしょに安房小湊か安房天津の民宿に泊まっての海水浴に来て以来、時は過ぎ私もおじさんになりました。

千倉駅にて、この区間はさすがに閑散としています。


千倉から先も線名は内房線だけど、見える海は太平洋、外房です。


館山から約40分の乗車で安房鴨川着、今度は外房線千葉行きへ乗り換え。

太平洋の輝く景色を堪能できました。



懐かしい安房天津、安房小湊駅に停車していきます。


中学生のときは特急にしか乗っていないので、この区間を各駅停車に乗るのは人生初めてです。
昔は千倉まで特急が走っていました。「わかしお」か「さざなみ」かは忘れました。
あの頃は房総各線の特急は充実していました。
「わかしお」、「さざなみ」、総武線系は「しおさい」、「あやめ」、「すいごう」、
そして、急行群もたくさんありました。
また夏は、「青い海」、「白い砂」だったかな?はっきり覚えていないけけれど、海水浴客向けの113系の愛称付きの快速電車もあったと思います。

行川アイランド駅はそのままだけど、行川アイランドは確かつぶれたはずです・・・。
中学生のときの海水浴ではたしか連れて行ってもらったはずです。

B.B.BASEというキャンペーンをやっているようで、要するに自転車、サイクリストの誘客。途中でこんな電車とすれ違いました。209系の改造のようで、車内は豪華な3列ボックスシートに改造されています。


一般客も乗れるのか?、久しぶりの鈍行旅、知らないこと、新しい発見だらけです。

勝浦から複線となり、乗客も入れ替わりながらも少しずつ増えていきました。
長者町駅は昭和の駅舎そのものです。



勝浦で接続した特急わかしおに茂原駅で抜かれ、大網駅で下車。
東金線に乗り換えです。
東金線ホームは外房線ホームとは離れたところにあり、思ったよりも大勢の乗換客といっしょに急いで乗り換えました。

東金線もたぶん、昭和時代に1回だけ乗っただけと思います。
乗客は多く、それなりの需要があるようです。

成東駅に到着、ほとんどの客が千葉行きに乗り換えていきました。
東金線の電車は行き止まりの0番線に到着です。0番線はいかにもローカル線の終点という雰囲気です。



反対側に銚子行きのしおさい号が到着してすぐに発車していきました。
大回り乗車中でも特急券を買えば乗れるけれど、別に急ぐ訳でなし、次の普通を待ちます。



時間はまだ正午前、早起きのせいもあるけれど、もう1日分くらい活動した気分で充実した1日です。

実は今日、乗り継ぎばかりで朝食を食べ損ねています。成東駅の改札内に売店はなく駅員に言って、改札外のニューデイズで買い物させてもらいました。サンドイッチを購入、すぐにホームに戻り食べました。

昼下がりの成東駅、冬空は天気もよくのんびりしたものです。



成東から乗った銚子行き4両編成。適度に空いており、ボックスシートを確保できました。



銚子まで約1時間、本当にこのあたり車窓からの景色には何もありません。たんたんと電車は進みます。


銚子駅に到着。最近、建て替えられたらしいです。



佐原から約8時間半かかりました。
改札でスイカをタッチ、670円の表示です。
ちなみに、佐原から銚子は成田線で38.6キロです。

しかし今回の乗車距離は307.1キロ。東海道線なら東京から三河大塚と三河三谷の間までと同じ距離、5400円分に相当します。
改めて計算してそんな長距離なのかと思いました。
房総半島って思いの外、広いです。

次の銚子電鉄の電車まで約40分あるので駅前を散歩しました。

チェーン店の居酒屋とかあるものの、首都圏の開発からは取り残されたような、駅前の雰囲気は昭和のままです。

駅に戻ったところ駅前に外川行きのバスが止まっています。電車に乗ろうと思っていたけれど、バスで行くのも一興かと乗り込んだところすぐに発車しました。
銚子の街中の景色を楽しみ、外川までの所要時間は電車と変わりませんでした。
運賃は320円、電車よりも20円安かったです。

外川バス停です。



外川の街、漁師町なんでしょう。坂道と入り組んだ狭い道。古い街並み。映画のロケ地を散歩しているみたいです。





外川港横の海岸で一休み。




外川駅のすぐ近くに活魚問屋島長の看板がある建物に「外川ミニ郷土資料館」とあります。
中に入ると、御年80歳を超える元気な女性が丁寧に説明してくれました。
島長は外川最古参かつ最大規模の鮮魚問屋だったそうで、女性はここで生まれ育って80年以上、この街を見てきたと話されました。この建物も取り壊す予定だったけれど、資料館として残したそうです。

外川駅、ここも昭和末期に訪れて以来、約30年ぶりの再訪です。


古い電車が行き止まりの線路に留置され、中は見学可能です。



中にはローカル私鉄や三セク鉄道によくいらっしゃる方がいます。



良い雰囲気です。



駅内には観光客らしき人が幾人かいて銚子行きの電車を待っています。
売店では濡れ煎餅がたくさん売られています。



地元、ヒゲタ醬油の広告の渋い椅子。
資料館の女性一押しの醤油です。



折り返し銚子行きの電車が到着。





犬吠駅からも、外川駅よりもちょっと多いくらいの観光客らしき人たちが乗ってきました。
その後の駅からは地元の客がほんの僅かしか乗ってきませんでした。

銚子電鉄も経営は苦しいようで、一時は濡れ煎餅で稼いだけれど、一段落したみたいです。
電車の本数が1時間に1本では、一般地元利用者にとってはちょっと苦しいかな。

銚子に戻り、売店でビールを仕入れ、佐原までの帰路はお決まりの飲み鉄を楽しみ帰りました。



行きは8時間半、帰りは約50分で佐原に到着しました。
  

Posted by よっぱらいくま at 14:58Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2019年01月05日

昭和の東武東上線2

前にも東上線の古い写真を載せました。こちら


正月休みにスキャンした古い写真を見ていて見つけたので、追加します。
昭和53年頃です。
基本、東上線は好きではなかったので、あまり写真は撮っていません。
今となっては、もっと撮っておけばよかったです。





8000系標準カラー。季節は夏、非冷房車、窓が全開なのも懐かしく、今では見ることができない風景。
現在のふじみ野駅付近です。当時は一面畑でした。
今は高層マンションが並ぶ住宅地、商業地となっているのがウソのようです。







通勤ラッシュが始まった夕暮れ時。非冷房車ばかりでした、当時は。


ついでに川越線も。





キハ35、当然、非冷房車。
貨物列車も走っていました。DE10の単機です。
非電化単線、単線は変わらないけれど10両編成の通勤電車が走る今とちがって、本数も少なくのどかでした。
南古谷-指扇間。




荒川を渡る、キハ35、当時の川越線最長の7両編成です。


以下は昭和55年頃。



志木駅。池袋行き急行待ち待避中の普通池袋行きです。




上福岡-鶴瀬間、現在のふじみ野駅付近。




荒川橋梁。




指扇-南古谷間。
ハエタタキが健在です。  

Posted by よっぱらいくま at 10:13Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 私鉄

2018年11月17日

真岡鉄道とSLキューロク館

真岡鉄道のSLに乗ってみようかと、大学時代の友人と出かけました。
事前にきっぷなどは買わず、席があればいいやくらいの気持ちで。

大宮からの東北線下り方面に乗るのは、北斗星以来かな。普通に乗るのは20年以上ぶりくらい。
大宮から水戸線乗換の小山までは50.3キロ。グリーン車に乗るとたった300メートルの差で570円が780円になってしまいます。だからグリーン券情報購入機で1駅手前の間々田駅までにしておきました。ちゃんと間々田で普通車に移動しましたよ。
水戸線に乗るのもたぶん30年ぶりくらいです。
真岡鉄道の起点、下館駅に着くと乗換口は観光客らしき人達でえらい大混雑です。
乗換口で真岡鉄道と関東鉄道常総線に1日乗り放題のフリーきっぷを買おうとすると、こちらでは売っていない、JRの窓口へ行ってくれとのこと。
JRの窓口では、こちらではないようなことを言われて、真岡の窓口で言われたと言って、真岡鉄道と常総線の1日フリーきっぷではなく、茨城県内のほとんどのJRと私鉄に乗れる2200円の「ときわ路フリーきっぷ」でよいかと言われ、なんでもいいから乗れたらよいと答え購入しました。そのきっぷは茨城県内のJRと私鉄のほとんどに乗れるきっぷでした。

かたや目的の「常総線・真岡鐵道線共通一日自由きっぷ」は2300円。なんなんだろう、これ。JRのフリーきっぷが断然お得ではないかと、結果オーライでした。本当最近は下調べもろくにせず、適当な、気まぐれな行動が増えました。
ちなみに、JRの窓口で同時に買おうとしたSL整理券の方は、機関車が故障していて運休ですと言われてしまいました。そんなことも知らずに来たのかという雰囲気でした。

まあ、来たことだし、茂木まで行くことにします。
ホームの列車は1両の単行気動車。さきほど書いたように乗換口に群れていた客が全員乗っているものだから超満員。しかもクロスシート車両だから出入口付近はすし詰め状態。
SLが運休になったからそれに乗る予定だった乗客が乗っているのかなと思っていました。
このまま茂木までこの状態は勘弁してほしいと思いながら、真岡駅到着です。
駅構内にはキハ20や朽ち果てた貨車とかが多数あります。興味を持った友人が帰りに寄ろうと言います。車内は超満員。列車は交換待ちで停車したままです。じゃ今降りようと、即断即決。満員の車内から解放されました。交換待ちがなくすぐ発車していたら降り損ねたところです。

予備知識ゼロの真岡駅です。とりあえず昼飯時、昼食でもとるかと駅を出ました。出た方は飲食店は皆無。しかし、SLキューロク館なるおもしろそうな施設がどでかく構えています。スナックコーナーもあるらしいので、そこで何か食べればいいやと入りました。
行き当たりばったりの旅ですが、楽しいところでした。館内は旧客がどんと置いてあります。ちょうど蒸気機関車が動く時間でした。










懐かしいデッキのスイッチ類






お店でスパゲッティを買って、旧客車内で食べてもいいのと聞くとOKでした。



テーブルとイスは館内にいくつかあり、ちょうど動いているSLを間近にみながら食べることにしました。
これは良い雰囲気だ、ビールも飲みたいなと思ったけれど、館内にアルコールはありませんでした。


SLは館内から外まで、50メートルくらい往復するだけですか、人気はあり、家族連れが楽しそうに見ています。



混んでいることもなく、とても良いところです。施設自体は入場無料です。

この蒸気機関車は石炭を燃やして蒸気を起こして動力とするのではなく、発電機の電気でコンプレッサーを動かして得るエアーを蒸気の代わりにして動いているようです。炭水車には発電機が見えるし、コンプレッサーの音もしています。理論的にはこれで動くのでしょう。でも本線を客車を引いて営業速度で走るパワーはたぶんないと思います。




動輪回りは、蒸気機関車が持つ金属美と機械美です。




この機関車は運転席、機関士席が右にあります。その特殊性は説明看板に書かれています。




外には古参の貨車やキハ20が展示しています。
無蓋貨車は全国探してもあまり残っていないと思います。



















車掌車「ヨ」の発電機とトイレ排水管


キハ20床下


エンジン


変速機


ラジエーターと空気溜


台車


トイレ排水管






古い貨車のスポーク型の車輪は古さを感じます。完全にすり減った鋳鉄製の制輪子。昔はこんなのばかりだったから、ブレーキの度に沿線に鉄粉をまき散らしていたし、乗客も鉄臭くなっていたものです。

バラストも鉄粉の錆のせいで錆色になっていったものです。今はディスクブレーキが主流だし、制輪子も合成制輪子で鉄粉が出ることも激減しました。

垂れ流し便所の排水管。
構造的に流したモノを上に舞い上がらないようになっていたのだけど・・・。




清潔意識は昔はいい加減でした。窓を開け放っている夏、窓際に座っているとなんとなくしぶきを浴びていると感じたものです。乗客も沿線住民も保線の人たちも、大変な時代でした。垂れ流しトイレの車両は、平成の始め頃までは走っていたはずです。
でも、清潔すぎる現代の方がアレルギーが増えて、人間の抵抗力は低くなっている気がします。私もトイレは洋式、ウォシュレット付きでなければ生きていけない体になっています。


本当は動くはずだった機関車。

あとで知ったところでは、機関車故障は蒸気の方ではなく、救援用のDE10だったとのことでした。
かなり重症らしく、年内の復活はないようです。


ゆっくりキューロク館を堪能して、茂木へ向かいました。今度は2両で車内はがら空きで地元の人ばかりです。これが本来の姿なんでしょう。

のんびりとしながら茂木まで乗車しました。

茂木駅前の道は、昔ながらの典型的なローカル線の駅前風景です。古い街並みと古い商店、人はほとんど歩いていない。
これが国道やバイパス沿いに行くと、巨大なスーパーや量販店、ファミレス、ファストフード店などが並び、人と車で溢れているのが、どんな田舎に行っても画一的な、今の日本の平均的風景です。









茂木駅から先へ、戦前は延伸計画もあったようで、未成線跡が残っているようです。



車止めから先の風景。


茂木駅





帰りは運よくクロスシート車とロングシートの2両編成でした。
茂木から乗る乗客は少なく、ビールを飲みながらゆったりと帰れました。




転車台をバックに。


しかし、途中の益子駅から大量の観光客が。益子焼の市みたいなイベント開催中のようで、行きの大混雑は益子が目的の人たちでの大混雑だったと知りました。

帰りは水戸に出て駅内の蕎麦屋で居酒屋してから、鹿島臨海鉄道経由で帰りました。
「ときわ路フリーきっぷ」のおかげでタダ同然で帰れました。  

Posted by よっぱらいくま at 17:06Comments(0)TrackBack(0)乗車記 私鉄

2018年11月10日

京浜急行 駅名変更騒ぎ

新聞などで最近、京浜急行が駅名の変更を検討しているとかで、新名称を小中学生から募るとか報道されています。
それに対しては、歴史や地名と駅名の関係などを無視するものだとの批判的意見が多いようです。

私も、一律的な公募による駅名変更には大反対です。
それも地域の歴史や文化に対しての認識については幼すぎる、小中学生だけを対象に公募するなんておかしいです。

京急は何を考えているのやら。

最近の、北斗の拳のセリフやキャラクターをもじった駅名遊びは、ユーモア感があり一時的イベントとして良いことだと思っていました。
でも、北斗の拳は、今の若者は基本、知らないと思いますけどね。私は大好きでした。

私は京急沿線、大森町駅近くで生まれ育ったので、品川-京浜川崎間の駅への思い入れは強いです。
梅屋敷、雑色、六郷土手、新馬場は元は北馬場、南馬場の2つの駅だったけれど、高架化の際にひとつになりました。異様に駅間距離が短かったと、幼かったときでも強烈に印象が残っています。青物横丁、立会川、鮫洲、大森海岸、平和島。
品川の南に位置するのに北品川。
他にも思いつくままに、追浜、金沢文庫、金沢八景、安針塚、生麦、津久井浜、三浦海岸・・・。

これらの駅名が安易に変わるなんて考えたくもありません。幼年期の思い出がなくなってしまいます。

京浜急行は関東では他の民鉄とはちがう独自路線を行くもので、鉄道ファンにも人気があります。私も大好きです。
韋駄天の走りは今でも不滅です。
私が埼玉に引っ越して東武東上線利用になったとき、京急と東武の走りの違いはとても残念でした。
途中駅を通過する池袋-成増間の急行、準急の走りはまるで覇気がなく、京急の急加速と急減速でメリハリのある走りとは正反対の、だらだらとのんびり走る東上線には幻滅したものです。

京急さんよ、何をとち狂って駅名変更なんて考えたのか。
そんなことをする京急には「おまえはもう死んでいる」と言いたい。



時刻表で確認して、川崎は「京急川崎」でした。昔は「京浜川崎」、「京浜蒲田」だった気がしますが・・・。



写真は高架化前の大森町-梅屋敷間を走る1000型快速特急。昭和55年頃。
目の前を猛スピードの大迫力で通過していきました。

写真はネガの原板そのまま。トリミング等一切していません。
たぶん、キャノンFTb、50ミリF1.8で、マニュアルフォーカス、マニュアル露出で撮っています。
今の私ではたぶん、無理。
  

Posted by よっぱらいくま at 12:49Comments(0)TrackBack(0)最近の出来事

2018年10月21日

磐越西線の旅

鹿島臨海鉄道から水戸、いわき、磐越東線、郡山を経て、会津若松へ来ました。

目的は、会津若松から新津まで、キハ47に乗ることです。
昨年の9月に乗って、気に入ってしまったので再訪です。

昨年の記録はこちら




なんと1両は旧国鉄塗色です。でもキハ40系にこの色はなかったんだけどねえ。
正面から見るとキハ58のようだけど、側面はキハ66に見えてしまいます。

明日の朝の列車に乗るため会津若松で一泊。居酒屋で乾杯です。
会津若松は酒どころ、よさげな居酒屋がたくさんあります。
そんな中、市中をさまよい適当な店へ。私はいつも店構えを見て直感で入ります。
飲み比べセット。安い。それにどれも旨い。日本酒、やっぱりうめえ~。




この列車は、野沢、徳沢、津川で長時間停車します。
ここが気に入っているところです。昔のように駅前を散歩したり、写真を撮ったりできます。









野沢駅前通りの酒屋は今日は閉まっていました。会津若松で買っておいてよかった。







今日も窓を開けて車窓を楽しめました。本当、冷房も暖房も必要ない時期に限られます。










新津駅にはこんな方々がホームのベンチに座っていました。

  

Posted by よっぱらいくま at 16:06Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2018年10月21日

鹿島臨海鉄道

鹿島臨海鉄道に乗ってきました。

前回乗ったのは昭和63年頃だから、ちょうど30年ぶりです。


旅客輸送は、鹿島神宮ー水戸だけど、線路の戸籍は鹿島神宮から昔は北鹿島だった鹿島サッカースタジアム間はJRで、鹿島サッカースタジアムから水戸間が鹿島臨海鉄道の線路です。
鹿島サッカースタジアムから鹿島臨海工業地帯に向けて、貨物専用の臨港線が分岐しています。
この臨港線には過去には旅客営業をしていた時期もありました。
理由は、成田空港への燃料輸送をする見返りの、地元対策でした。
これは燃料輸送が終了すると同時に即、廃止となりました。不便極まりないダイヤと臨港線沿線に旅客需要はなかったのが実態でした。
臨港線に旅客列車が走っていた頃はまだ、大洗鹿島線、北鹿島ー水戸間は開通していなかったので、国鉄線は北鹿島までだけど旅客列車は臨港線の列車しか走っていないという状況でした。貨物専用だった鹿島神宮ー北鹿島間に乗るには、鹿島臨海鉄道に乗れば可能というものでした。

今は北鹿島が鹿島サッカースタジアム駅と改称されて、サッカー開催日には臨時停車します。そうなる前の北鹿島駅は貨物駅だったので、鹿島神宮から旅客駅としては一駅先の荒野台までのきっぷは、一駅しか乗らないのに国鉄、JR区間と鹿島臨海鉄道の二社の運賃を払うことになりました。鹿島サッカースタジアム駅は臨時で通常は通過なので、今でも変わりません。

さて、今回乗った車両自体は、昭和の頃と変わっていません。

しかし、2両のうち1両はアニメキャラのイラストが描かれた車両です。
こういうの、地方鉄道で本当に増えました。なにはともあれ、増収に向かってくれたら良いことです。
アニメ車は4両あるらしく、私は№4に乗ったようです。
ブラインドにまで描かれている凝りようです。

私、ここに描かれているアニメはよく知りません。
























鹿島サッカースタジアム駅にはEF64が。




水戸駅はいつの間にか立派になりました。私の記憶では・・・。

  

Posted by よっぱらいくま at 14:45Comments(0)TrackBack(0)乗車記 私鉄

2018年09月16日

逆噴射

中部国際空港で搭乗待ちのためデッキで飛行機を眺めていました。
外は大雨のため屋根のあるところで見ていました。
大雨の中、離着陸する飛行機は、凄まじい水しぶきをあげて、なかなか迫力がありました。
特に大型機が着陸後、すかさず逆噴射をかけるときが迫力です。



離陸のときはこんな感じ。



機内から見た逆噴射中のエンジン。


逆噴射と同時にスポイラーを目一杯立てて減速。


通常時はこれ。



大雨の中、駅を通過する新幹線も迫力あるけれど、大雨の中の飛行機もおもしろいです。

私は飛行機に乗るときは必ず窓側を希望します。
職場では皆、飛行機は通路側がよいと言います。私は鉄道でも飛行機でもいつも窓側で外の景色を見ています。
離着陸のときの風景、飛行中でも地図のとおりに下の地形が確認できるのはとても楽しいです。
琵琶湖や木曽三川など、地図のとおりに見えます。
雨の中の飛行では雲しか見えませんが・・・。

  

Posted by よっぱらいくま at 15:50Comments(0)TrackBack(0)日記

2018年09月15日

吾妻線と八ッ場ダム

群馬県に建設中の八ッ場ダム。
ダムの建設に伴って吾妻線の一部区間がダム敷にかかり水没するため、前後区間が大幅に付け替えられました。
機会があって建設中のダム見学会に参加して、吾妻線の廃線区間を堪能しました。


ここから先は線路跡は撤去されています。


本体間際に制限標識が残ります。




架線が弛んで残っています。






列車がすぐにでも走れそう。






日本一短いことで有名だった全長7.2メートルの樽沢トンネルは移動のバスの中から見えました。
ちゃんと案内してくれます。






本体上流の線路敷を生かして、ダム本体の材料を運ぶコンベアーが設置されています。


ダム下流の吾妻線の付け替え区間が始まったところの新線橋梁。
こんな所に新幹線が通っていたかしらと、勘違いしたくらい立派です。

八ッ場ダムの本体見学コースは、ダム直下に行くために吾妻線の廃線敷を必ず歩いて通ることになります。
工事区域なので、見学以外でこの廃線敷へ立ち入りすることはできません。  

Posted by よっぱらいくま at 17:41Comments(0)TrackBack(0)廃線跡、未成線

2018年08月16日

ミニ周遊券

昔、鉄道の旅で重宝したのが周遊券でした。
北海道、九州のワイド周遊券を持ち、島内の夜行に乗り継ぎ有効期限の20日間をめいっぱい使って旅ができたのは遠い昔の話しとなりました。

ミニ周遊券は周遊エリアは狭いものの、目的地へ普通にきっぷを買うのとたいして変わらない価格で購入できたのでよく使いました。

名古屋発着の東北方面へのミニ周遊券は経路の選択肢が多いので重宝しました。

「山形・蔵王ミニ」は経路が、
1.東海道本線(東名高速バス含む)、東北本線、福島から奥羽本線
2.     〃              、高崎線、上越線、羽越線(白新線含む)、米坂線
3.中央西線、篠ノ井線、信越本線、 羽越線(白新線含む)、米坂線
4.東海道本線(東名高速バス含む)、東北本線、仙台から仙山線
とあります。

「新潟・弥彦ミニ」の経路は、
1.東海道本線(東名高速バス含む)、高崎線、上越線
2.中央西線、篠ノ井線、信越本線(越後線含む)
3.東海道本線(高山本線含む)、北陸本線、信越本線(越後線含む)
とあります。
新幹線で東京経由、上越ルートが王道なんだろうけれど、距離的には最短ルートの中央西線長野経由があるのは急行「赤倉」があった名残でしょうか。米原経由北陸ルートや高山本線経由も選択できるというのも楽しいです。

「山形」は北陸ルートは選択できないけれど、仙台経由でも新潟経由でも長野経由でもよいという、楽しいきっぷでした。
「新潟」は北陸ルートが選択できるのがミソかな。
名古屋発着は、山形と新潟がたった約500円しか違わないというのもおもしろいです。山形の方が遠く感じるけれど。


どちらも日本旅行 大垣発行のトップナンバー、№0001です。




こんな便利で楽しく、そして往復きっぷ的に使える割安なミニ周遊券がなくなり、「周遊きっぷ」という制度ができたけれどこれは経路を指定したりと単純な往復きっぷ的に使うには面倒なセミオーダー式となったこと、窓口の対応も不慣れな係員が多く発券に時間がかかることもあって、短命に終わりました。

今はスイカを始めとするICカードが当たり前、長距離きっぷもネット購入で安くなったりの時代となり、アナログなきっぷ制度は衰退していくのでしょうか。
スマホで新幹線の指定ができて何度も変更可能なのはとても便利です。でも、特定市内発着制度や在来線特急との乗り継ぎ割引は適用外と、よーく考えると乗客に不利な面もちゃっかりあります。
EX-ICに限定せず一般のICカード使用での新幹線チケットレスの利用促進も、窓口の職員を徹底的に減らしての人件費削減が一番の目的だと思いますが。
これだけネットでのチケットレスが普及しているのに、名古屋駅に限らずどこの駅の窓口もいつも行列となっているのはなぜでしょうかね。  

Posted by よっぱらいくま at 15:53Comments(1)TrackBack(0)収集品