2017年09月11日

小田急 列車火災事故

小田急の電車が、沿線火災で類焼してしまった今回の事故。

ニュースを見る限り、小田急側には、まったく非はないようだ。

最初は、運転士が独断で停車させたのかなと思った。
だけど、今日のニュースで、火災の消火活動のために、消防と警察が、踏切の非常ボタンを押して列車を強制停車させたらしい。
なんと愚かな行動であろうか。
小田急の列車司令と相談して、やるべきだろう。
現場のバカ消防署員と大馬鹿警察官が独断で行動したのだろう。
ど素人の消防と警察に何の権限があるのか。

消防署員が、「電車が燃えている、止めろ~、早く避難させろと」車掌に向かって、でかい態度でわめいている。
おまえらが電車を止めたんだろう。
非常ボタンを押されたら、運転士は何もできない。

非常ボタンを押した警察官、それを指示した消防。
どちらも列車往来妨害罪だな。

警察と消防は責任を取れ。
大惨事を招きかねない行動を猛省して謝れ。
小田急は、警察と消防に、燃えた電車の修理費は請求するべきです。

マスコミは、警察と消防の浅はかな行動を糾弾するべきだ。  

Posted by よっぱらいくま at 21:24Comments(0)TrackBack(0)事故・災害

2017年09月10日

京浜急行 大森町・梅屋敷駅界隈 今昔

私が育った街、大森、梅屋敷界隈の昔の写真と最近の写真で比較してみました。


平成5年頃の大森町駅です。


上の写真とほぼ同じ場所、平成25年、高架化が完成した頃です。




平成5年頃、梅屋敷駅前です。地平を電車が走っています。


これも上の写真とほぼ同じ場所、高架完成直後です。



あとは、懐かしい写真があったので・・・。

私がかよっていた大森幼稚園です。昭和44年。


平成5年頃、立ち寄ったときの写真。上とほぼ同じ場所から撮れています。


大森幼稚園の正門 平成5年頃


同じく平成25年




みはら通りの内川です。平成5年。


平成25年。



たまに、生まれ故郷を見たくなって、訪れてしまいます。
定点を比較すると、時のうつろいを感じます。







  

Posted by よっぱらいくま at 15:59Comments(0)TrackBack(0)商店街・街並散歩

2017年09月09日

急行 東海号

静岡駅のしゅうまいの話しを前にしました。

静岡駅 東海軒のしゅうまい

静岡駅と言えば、急行東海のことを書かねばなりません。

私は晩年の東海号しか知りません。
新幹線開業以前は、東京と名古屋・大垣間を日に何本も走っていましたが、東京-静岡間を2往復していたのが最後です。
私は特に4号、静岡発東京行きが好きで、岐阜・名古屋から東京へ行く際には、何度も利用しました。
夕方17時前に発車していた東海4号、165系12両編成、大垣夜行との共通運用、165系のボックスシート、特に混むこともなく、終着東京までワンボックス1人でのんびりできました。

そして、その東海4号に乗るときに必須なのが、静岡駅の東海軒のしゅうまいだったのです。
缶ビールロング缶2本と静岡駅のしゅうまいは、東海号乗車時の必須アイテムだったのです。
東京駅まで約3時間弱、165系ボックスシートでしゅうまいをつまみながらビールを飲む旅は、至福の時でした。

そんな165系東海号の最終日の写真です。
愛着ある165系東海号がなくなるということで、是が非でも乗らねばということで。
もちろん、最終となる静岡発の4号です。
写真の日付を見ると1996年(平成8年)3月15日です。もう20年以上前。そんなに経つのかという思いです。






グリーン車は大垣夜行に乗るときは愛用しました。























大学のときの友人と2人で乗りました。
大量のビールとつまみを買い込み、165系東海を惜しみながら、居酒屋東海号でした。



さようなら~


東京駅到着。東京駅にはたくさんの鉄道ファンが集結していました。


東海号はその後、373系特急となり、走り続けましたが、たしか10年くらい前に廃止されました。
大垣夜行も373系使用の「ムーンライトながら」となりましたが、今は定期運転はなく、青春18きっぷの時期だけの臨時となりました。
今でも深夜の静岡駅で、出来たての幕の内弁当を売っているのでしょうか?売ってませんよね、臨時では人のやりくりや、製造工場の稼働とか無理ですよね。それに今はみんな、コンビニで買ってますもんね。食べ物類は。

ちなみに私、373系になってからは、特急東海もムーンライトながらも、一度も乗ったことがありません。
私にとっては、165系でなくなった時点で、東海号は廃止されたのです。




  

Posted by よっぱらいくま at 16:24Comments(0)TrackBack(0)懐かしの列車

2017年08月20日

1975年東京-有楽町間

東京駅から有楽町間で撮った写真です。


0系新幹線です






ボケていてよくわからないけれど、上の写真は101系の京浜東北線と山手線、下は103系の山手線です。  

Posted by よっぱらいくま at 15:53Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2017年08月19日

北陸号

寝台特急 北陸号が廃止されて7年経ちました。

名古屋から東京へ行くときに、わざと米原から北陸ルートで行くこともよくありました。
その逆もまたしかり。

2010年3月9日、金沢駅での最後に立ち会ったときの写真です。

隣のボンネット489は、上野行、急行「能登」です。













  

Posted by よっぱらいくま at 16:22Comments(0)TrackBack(0)懐かしの列車

2017年08月19日

静岡駅 東海軒のしゅうまい

以前、静岡駅のしゅうまいが好きだと書きました。

国府津 熱海 静岡

東海道線の旅

これ、2年程前に販売中止となっているのです。

いつものように、こだま号の旅で静岡停車時にホーム売店で買おうとして売店のおばちゃんに聞いたら、「販売をやめた」と言われたのです。
東海軒のホームページを見ても、ありません。
楽しみがまたひとつ、なくなりました。





過去の写真を探しました。
  

Posted by よっぱらいくま at 14:52Comments(0)TrackBack(0)駅弁

2017年08月16日

コンコルド来訪 羽田空港

昭和47年だと思います。
羽田空港へコンコルドがきました。
母と見に行ったときの写真です。
私は小学3年生。
原板はハーフサイズで、トリミングしました。オリンパスのペンで撮りました。


コンコルドと、後ろにはボーイング747が写っています。



日航とパンナムの747が揃って、そして左隅にはコンコルドが写っているという、今ではよだれが出そうな風景です。
この頃は、大型機全盛の時代でした。
テレビドラマ「白い滑走路」も日航747が主役でした。


コンコルドは燃費の悪さと騒音のひどさで、また最後は、炎上墜落事故を起こして、普及はしませんでした。
でも、独特の機体と翼の形状、四角いエンジンと、まったく異質の形状は、かっこ良かったなあ。
アメリカ-ヨーロッパ間の運賃も、今のJRの四季島や瑞風に乗るのと同額以上の金額を払わなければならなかったはずです。  

Posted by よっぱらいくま at 17:50Comments(0)TrackBack(0)昔話 鉄道以外

2017年08月16日

昭和の風景

盆休みで、過去のネガのスキャン作業をしました。
見つけた古い写真。昭和48年頃と思います。
私の生まれ故郷、東京都大田区のたぶん、梅屋敷商店街です。
この頃は、商店街には人があふれ、とても活気がありました。
左でたたずむ女性は、今は亡き私の母です。




小学校の運動会の写真です。
街中にこんなガスタンクがありました。
自宅アパートの目の前にありました。中のガスの量によって、タンク自体の高さが変化しました。
私の母校、大田区立大森第一小学校です。



  

Posted by よっぱらいくま at 17:16Comments(0)TrackBack(0)商店街・街並散歩

2017年07月17日

昭和55年九州

西鹿児島駅
今は「鹿児島中央駅」、新幹線が在来線と直角にホームがあります。
観覧車に駅ビルと、一変しました。



枕崎駅で、国鉄指宿枕崎線と鹿児島交通の気動車が並んでいるところ。



妻線 杉安駅



西鹿児島駅で発車を待つ「かいもん」号の20系寝台車



博多駅での583系寝台電車「なは」号



日田彦山線 添田駅停車中のキハ66



添田駅を発車した並行して走る添田線の気動車



湯前駅



夏休みが近づく今頃、昭和55年夏に九州ワイド周遊券を持って20日間、九州の国鉄に乗りまわったことを思い出します。
  

Posted by よっぱらいくま at 16:30Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2017年07月09日

香椎線、勝田線 宇美駅

香椎線と勝田線の宇美駅、勝田駅の昔の写真です。

香椎線の宇美駅と、勝田線の宇美駅は徒歩数分でしたが、離れていました。当時の時刻表では「100メートル離れています」と表記されていました。

香椎線 宇美駅 昭和55年


昭和59年


平成3年



勝田線 宇美駅
昭和55年




筑前勝田駅
昭和55年







昭和59年





平成3年 勝田線 廃線跡







  

Posted by よっぱらいくま at 16:23Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2017年07月09日

肥薩線大畑駅

スキャンした写真を見ていて、肥薩線大畑駅の写真を集めました。

昭和55年と平成3年に撮影したものを対比して並べました。

駅舎 





時刻表





ホームから
















ループ線案内標柱

昭和55年

以下は平成18年



  

Posted by よっぱらいくま at 15:19Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2017年07月06日

久大本線流された

九州の豪雨災害で、久大本線や日田彦山線が被災しています。

日田、夜明間の橋梁が流されているニュースや新聞を見ました。
近辺の道路橋は無事なのに、なんで鉄道橋だけ流されたのだろうか。

横倒しになっている橋脚は円筒形のコンクリート製で、なんか新しく見えます。

橋台部は古そうだけど、周囲は河川改修したばかりに見える堤防法面です。

簡単に横倒しになっている久大本線の橋脚、なんか疑問です。  

Posted by よっぱらいくま at 21:03Comments(0)TrackBack(0)事故・災害

2017年07月05日

マイケルシェンカー

マイケルシェンカーのライブDVDを観ています。
つい最近、2016年東京国際フォーラムでのライブです。

メンバーはみんなおじさんです。
みんな年をとって、だけど和気あいあいです。

観客も私と同い年、中高年ばかりだ。でもみんなノリノリだ。

若かりし頃のロックミュージシャンはみんなとんがっていて、メンバー間のいざこざも数知れず。

若いころのマイケルシェンカーは精神的に患っているとかなんとか言われていました。

高校生の頃、LPからカセットに録音して、数限りなく聴きました。

でも、このライブDVDを観る限り、そんな雰囲気は微塵も感じません。
ファンサービスの塊、とても楽しそうに演奏しています。

ドラムのテッド・マッケンナ。相変わらずのパワーだ。
マッケンナモデルのドラムスティックは私の愛用品だ。とても太く重い。

ボーカルのゲイリー・バーデン。
御大、グラハム・ボネット。

ベースのクリス・グレン、なぜそんなに太った?

イントゥジアリーナ、デザートソング、みんなみんな、マイケルシェンカーのギター、年とってもかっこいい。
ギブソンのフライングブイ、マイケルシェンカーは不滅です。

メンバー間のいざこざその他、いろいろあったけれど、年取ってみんな楽しくやっている風景がとても素晴らしい。

コージー・パウエルが存命でいたら、今でもあのパワードラムを聴けたのでしょうね。

神、神話、あの頃のマイケルシェンカー、最高。

  

Posted by よっぱらいくま at 20:33Comments(0)TrackBack(0)音楽・映画・テレビ

2017年06月10日

ダイ・ハードか

今日の東名、新城PA付近の事故。
NHKがドラレコの記録を放送しています。
飛んでくる車。
ダイ・ハード4.0みたいだ。  

Posted by よっぱらいくま at 20:58Comments(0)TrackBack(0)日記

2017年06月05日

熱田駅

名古屋に住んで約20年、岐阜も含めると中部地方にかれこれ約30年住んでいて、一度も乗降したことがない熱田駅を初めて訪問しました。
当たり前だけど、学生時代から何百回と乗っている東海道本線、当然、通り過ぎたことは数知れずです。

熱田駅、歴史は古く東海道線全通前、東海道線の建設資材を武豊から運ぶために明治初期に開設された駅です。開業当初の駅は今より南側にあったことが、古地図からわかります。現在の熱田駅は東海道本線の全通と時期をほぼ同じ頃、現在地に移転しています。
そんな熱田駅の構内は広く、東海道本線の駅としての歴史と風格を感じますが、現在は普通しか止まらない、格下の駅となっています。





ホームの屋根を支える、古レールの柱。上りホームは古レールだけど、下りホームは鉄骨です。

古レールの刻印を探したけれどなかなか見つからず、やっと見つけたのがこれ。1919年です。






跨線橋も古レールで組まれています。








昔、名古屋発着のカートレインは熱田駅始発でした。きっとここから乗用車が乗り入れたのでしょう。
このホームは現在、立ち入れません。








ホームに入ってくる列車を、パチリ、パチリ。
やっぱり貨物は迫力があります。


熱田駅構内で、しらさぎが名古屋から引き上げてきて、折り返し待ちをします。
名古屋駅へ向かい、発車していきました。



駅舎







熱田神宮へ向かう商店街は、レトロです。


名鉄神宮前駅へ続く路地裏は、飲み屋街です。




熱田駅前の駅前酒場。
今度は夕方に来て、ここで飲んでみたいです。



この建物、もともとの二階建てにビルを被せたみたいです。
  

Posted by よっぱらいくま at 17:41Comments(0)TrackBack(0)

2017年06月03日

旧草津川と東海道本線

滋賀県の草津駅近くにある、天井川であった旧草津川と東海道本線が交差する地点に行きました。

草津川は明治期に東海道本線が建設される以前から、全国的に有名な天井川でした。
そのため、東海道本線を建設する際に、川の下にトンネルを掘ったのでした。



左から、上り米原方面2本、下り京都方面2本、そして右の2本は明治期の最初に開通させた2本で、現在は施設工事訓練用の線路となっていて架線その他の模擬構造物がたくさんあります。一番右側は拡幅改修されていますが、右側から2本目は明治期の建設当時のままの姿を留めています。

草津川は現在は廃川となっていて、水は流れていません。この4月から旧草津川のこのあたりは、草津川跡地公園として整備され憩いの空間となっています。






草津川上部から撮ったものです。
現在線は付け替えられたことからカーブしていて、旧線側が直線であることがよくわかります。






旧線の煉瓦積の坑口、味があります。




この場所に、慰霊碑があります。





台座の文字を読むと、「為鐡路轢死者各霊位」とあります。
建立は昭和11年8月と刻まれています。
ここで大事故があったのでしょうか。合掌。




草津は東海道と中山道が分岐する街です。
ここが分岐点にある道標です。



帰りは駅前の店で飲みました。
昭和の雰囲気の店内、酒も食べ物もおいしい店でした。
外観の雰囲気、提灯の「一寸一杯」の文字が好きです。
もちろん、一杯では100%済みません。
地元の太田酒造の冷酒がたくさん揃っていて、お手頃価格でおいしかったです。



草津駅には、DD51がいました。

  

Posted by よっぱらいくま at 16:43Comments(0)TrackBack(0)廃線跡、未成線

2017年05月29日

泡波

八重山諸島を旅してきました。

波照間島へは行けなかったのですが、泡波の2合瓶を2本、石垣島で定価(500円弱)で購入しました。

 
私は27年前、平成2年に波照間島に行きました。そのとき泡波の600mlをたくさん買って、ゆうパックで自宅へ送りました。
現地ではいくらでも買えました。

今、ネットで見ると現地でも手に入れにくいみたいです。

27年前に買って大切にとっておいた泡波を昨日、飲みました。

そして、今回買った新鮮な泡波も飲みました。


27年前の泡波と、今回買った泡波です。





27年経った泡波古酒よりも、今回買ったやつの方がおいしかったです。

泡波は今でも買いにくいみたいなので、今回定価でどこで買ったかは、言いません。

もっと買えばよかったかな。2本だけ買ったので。

まあ、あんまりこういうプレミア扱いはねえ・・・。

石垣空港では、同じ2合瓶の泡波が約6000円で売っていました。

約30年前のラベルと現在のラベルでは違いがあることに気がつきました。


昔のものはこれ





現在はこれ




「日本最南端」と書かれているものが、「最南端」だけになっています。
あとは、ゴミとしての選別リサイクルマークと、適量をだとかの注意書きが加わっています。
電話番号の市内局番が一桁から二桁に変わっています。
詰口年月日の刻印も加わっています。
製造者のお名前は変わっていません。





  

Posted by よっぱらいくま at 21:07Comments(0)TrackBack(0)

2017年05月07日

京都鉄道博物館

まだ雪が降っていた頃、京都鉄道博物館へ行ってきました。

私の大好きなEF66が鎮座しています。ここは車体下部を見ることができます。







スノープロウと頑丈な排障機の構造がよくわかります。まじまじと車体下部を見るのは初めてです。
こういう展示方法、最高です。

同じく好きなDD51。





スノープロウの構造がEF66と違って、進行方向な向かってかなり鋭角なことがわかります。

機関車の重厚な機器類を見ることができる下からの覗きは楽しいです。


EF66の運転台。これはぶつ切りされた車体が別に展示されているものです。


マスコンは機関車のものというより、電車に限りなく近いです。進段のノッチが少なく、弱め界磁のハンドルもこうなっているのがよくわかります。


0系の運転台もいつでも自由に入れます。リニア鉄道館は基本、非公開です。




運転台からの景色。大学生のときの新幹線の車販のバイトをしていたとき、運転台に入ったときに一瞬だけ見ることができた時速200キロの前面展望を思い出しました。


マルス端末も各種あります。
私が学生時代から就職した頃までに最もお世話になったのがこれ。M型とか言ったかな。忘れました。


パタパタをめくり希望の路線などにピンを入れて操作するものです。



そして、入力を終えるとこの発信ボタンを押して、指定席を確保するのです。



指定券が確保されると「YES」の緑ランプが点きます。
1ヶ月前の10時に人気の列車の席を確保するときは、窓口氏が10時前に入力をすべて終えて、10時ジャストにこの「発信」ボタンを連打してマルスに繋がるようにしてくれました。
「YES」が出るか「NO」が出るか、窓口から身を乗り出して緊張しながら見ていたものです。


外は、梅小路機関車館が昔のままあり、蒸気機関車がたくさんあります。
生きている蒸気機関車はやはりよいです。






まさしく鉄の塊、大迫力です。


東海道本線と山陰本線に挟まれて、遠目に新幹線も見ることができます。



生きている鉄道も間近に見られる京都鉄道博物館は、大宮や名古屋よりも気に入りました。  

Posted by よっぱらいくま at 16:02Comments(0)TrackBack(0)イベント

2017年05月02日

米原駅での新幹線

米原駅を利用する際は、よく写真を撮ります。

米原駅は東京方がほどよくカーブしていて、よい感じです。

雨の日は水しぶきが迫力です。





パナソニックSZ3、光学10倍ズームめいっぱいにデジタルズームでさらに拡大、手持ち、トリミングなしです。

流し撮りにも何度も挑戦しますが、なかなか決まりません。どうしてもフレームアウトしてしまいます。

これはましな方ですが、あまり流れていません。



東海道線と北陸本線とのジャンクションであり、歴史ある米原駅は大好きです。
駅前の平和堂は、閉店するそうでさびしいかぎりです。
  

Posted by よっぱらいくま at 17:43Comments(0)TrackBack(0)新幹線

2017年05月02日

東海道本線 米原~彦根間の旧線

米原-京都間の東海道本線の通称「琵琶湖線」というJR西日本の呼び方にも違和感がなくなってきました。でも、米原駅での新幹線からや大垣方面からの在来線からの乗り換え時のアナウンスは必ず「東海道線、京都方面はお乗り換えです」と、JR東海は今でも頑なに正式名称を貫き、JR西の呼び方は使いません。何を意地はっているのかい、という感じです。結局、JR各社間の仲が今でも、基本的に悪い査証でしょうかね。乗客にとっての利便性、分かりやすさ、連携は二の次なんでしょうかね。
まあ、私も宇都宮線とか宝塚線とか嵯峨野線とかは今でも違和感がありますが。

以前、米原-彦根間に現存する旧線のトンネルのことを書きました。このトンネルは明治22年、東海道本線最後の開通区間にありますが、ここは元々は切り通しの開削部でした。開通後、度々土砂崩れに見舞われて不通になったことから、切り通しを埋めてトンネルにしたそうです。この山を通る龍神様が線路で分断されたことの怒りから災害が起こると言われたそうです。
その後、昭和31年の電化の際に現在線に付け替えられて、廃線となりました。

明治時代に建設された重厚な煉瓦積みの坑口が今でも確認できます。ネットには現地踏査をされた詳しいレポートもあります。皆さんここにたどりつくのには、相当苦労されているようです。
私はここを通る度に車窓から写真を撮ってみましたが結局、最初に撮ったものが一番良く撮れました。




これは駄作です。今年は厳冬期も草木が邪魔でした。



一方、彦根寄りには、たぶん旧線の架道橋と思われる小さな構造物があります。







すべて乗車する度に車窓から撮ったものです。これもたぶん旧線の構造物だと思います。
現地踏査に挑戦はしていませんが、写真で見る限り周辺は立ち入り禁止みたいです。

  

Posted by よっぱらいくま at 17:30Comments(0)TrackBack(0)廃線跡、未成線