2017年09月25日

新津鉄道資料館

新津鉄道資料館へ行ってきました。


新津駅からゆっくり歩いて30分弱くらいあります。
新津は鉄道の町、西の米原、東の新津と呼ばれたくらい、鉄道の要衝の地であり鉄道を中心に栄えました。
個人的には米原は学生の頃からなじみがありますが、新津を下車してゆっくり歩くのは初めてでした。

街中、鉄道の街としてアピールしています。
こんな看板があちこちの店の前にあります。


200系新幹線とC57が入口で出迎えます。


展示物の数々。





こんな時刻案内板は最近まで当たり前にあった気がしますが、過去のものとなりました。



懐かしい券売機です。
私が小学生から高校生の頃までは、当たり前の存在でした。


大人用のボタンと、子供用のボタンにはカバーがありました。

カバーを開けると。

子供用のボタンを押していた時代が、私にもありました。


単金額のもの。最低区間の30円用が一番たくさん並んでいた記憶が鮮明です。

窓口のきっぷを収納していた箱と、日付打刻機。




気動車の代表的エンジン、DMH17形式のエンジン内部と銘板。




操車場内の鉄塔にあったという、巨大な時計盤



懐かしい構内案内表示板。


急行型電車や客車、寝台車のデッキ出入口の壁に必ずあった、路線図。


手荷物、小荷物の受付に、小駅には窓口前なんかに必ず置かれていた秤。


MT54型電動機の銘板。


赤谷線の終点、東赤谷駅のポイント制御盤。
構内の勾配と線路の配置状況から、本線から駅へスイッチバックで進入するという、特殊な駅でした。




新幹線200系の連結器とカプラー。
細かい端子が無数にあって、車両間に情報を伝えていました。






毎度おなじみ、新幹線の排障器。今回は200系。
以前の記事、0系他はこちら
新幹線の排障器


200系はスノープロウとしての役割が強調された形状です。









裏側。

200系は床下機器がボディマウントされているので、着雪を防げたため、この強力な排障器で雪をラッセル、はね飛ばして高速走行できたのでしょう。


東海道新幹線0系も当初は雪を飛ばして通常走行する目論見でしたが、床下への着雪のため、ラッセル走行での通常運転はできませんでした。
沿線へのスプリンクラー設備も、上越新幹線ははんぱない威力でした。

E4系新幹線。
E何系という形式になってから、私は新幹線の形式名と実物を暗記できていません。


排障器の形状は200系から踏襲しているように思います。




車輪とディスクブレーキ。


妻面。





ロータリー除雪機とDD14。





E4系と115系


115系のブレーキ


115系の抵抗制御器ボックスと冷却ファン吸い込み口。
抵抗制御はたくさんの熱を排出するので、いまでいうエコではありません。



485系交直両用特急用電車、架線さえあればどこでも走れた万能な電車。日本各地を走った名車です。1970年代の特急の代表車。
現地では気がつかず、写真を見て気がつきましたが、屋根上の前照灯が2つ目です。
この車両は、もともと特急「いしかり」用に製造された、北海道仕様の耐寒耐雪仕様の485系1500番台ですね。
改造されているようなので、車番は変わっていたかな。車番の写真撮っていませんでした。




排障器。車体前面と、台車部と二重に取り付けられています。






銘板


車輪とディスクブレーキ


連結器


給水口


水タンクと空気溜め


洗面所の排水口


ここにトイレの汚物処理装置があったはずですが、取り外されているようです。
便器からの接続部にブルーシートがかけられていて、循環水が通るパイプも切断されています。







新津鉄道資料館は、さいたまやリニアや京都よりも規模は格段に小さいですが、マニアックなものがたくさん展示されている気がします。
昭和の券売機は、ここで初めて見ることができました。他のところにあったかな?
子供連れや素人には楽しめないかもしれないけれど、筋金入りのマニアには向いている気がしました。
私は気に入りました。人が少ないからのんびりゆっくり見られるのも良い点です。  

Posted by よっぱらいくま at 16:28Comments(1)TrackBack(0)イベント

2017年09月25日

磐越西線の旅

本当に久しぶりに、郡山と新津を結ぶ磐越西線に乗ってきました。
純粋な鉄旅も久しぶり。

最後に磐越西線に乗ったのは、まだ50系客車が走っていた頃、午後の客車列車で会津若松から新津まで乗り通したときだと思います。平成一桁だろうから、かれこれ20年以上ぶりです。
JR東のローカル線は、新型気動車ばかりだし、たいして期待もしていなかったのだけど、まだ残っているんですね、キハ47系気動車が。

郡山から会津若松は快速電車で移動。夕方の電車だったけれど、結構空いていて、これも約1時間の乗車を楽しみました。
秋の夕暮れ時、車窓から見る会津盆地の景色はきれいでした。

雲間からもれる斜光。秋のこういう景色、大好きです。秋だなあと感じます。

この日は会津若松に宿泊。
おいしい料理と地酒を楽しみました。なかなか良い店でした。若い大将が気さくな方で、おすすめの地酒を順番に薦めてくれました。


〆には、喜多方ラーメン。駅前のこの店のラーメンは基本の味。
鶏ガラと豚のスープは、豚味がやや強い、私好みの味でした。濃厚とかこってりとかの今風にない安心できる一杯でした。


宿泊したホテル、今時一泊4500円。バイキングではない、和食か洋食が選べる古いシステムの朝食と、近隣のスーパー銭湯の無料券がついて、この値段は安い。


会津若松駅前は、旧貨物扱いホームの屋根が残っていて、鉄道が活躍していた時代が偲ばれます。
わかりずらいけれど、左が駅舎、右が旧貨物取り扱いホーム跡。


会津若松駅、磐越西線はここで行き止まり。逆方向に進んで行きます。
只見線は、郡山方面からの列車と同じ向きに発車します。


折り返しとなる新津行きが到着。通勤通学客がそれなりに乗っていました。
期待したとおり、キハ47でした。さあ、旅の始まりです。


8時14分定時発。もう学校には間に合わない時間なので高校生は乗っていないとふんでいたけれど、思ったよりも高校生が乗っています。
約15分で列車は喜多方駅に到着。高校生は喜多方で降りるのかなと思っていたけれど、誰も降りません。すでに8時30分をまわっているけれど・・・。
そして、8時41分着の次の山都駅で高校生はみんな降りてしまいました。列車時刻に合わせて学校の始業時間は9時からにしているのかな。
ここですべての客が降りてしまい、車内は貸し切り状態に。

途中、尾登駅からおばあさんが乗ってきましたが、次の野沢駅で降りました。
野沢駅は9時2分着、そして発車は27分。なんと25分間も停車するのです。
昔みたいに途中駅で長時間停車する鈍行列車は、ほとんどなくなっていますが、こんなところに生きていました。
他の客は、鉄道ファンらしき客1人と私以外、ゼロ。よそ者の私ともう一人がいなければ、普段は客ゼロとなるのでしょうか。

良い雰囲気です。昔の旅のように、途中下車して、駅前を散歩しました。
今日は夜、新潟で学生時代の友人と会い、飲む約束をしているので、今日は列車内では飲むまいと決心していましたが、こんな良い雰囲気の汽車旅となってしまったからには、飲まざるを得ません。(どういう意味だか・・・)

典型的なローカル線の途中駅の駅前通りを歩き、昔ながらの酒屋をやっと見つけました。
コンビニなんて皆無です。駅から離れた主要道路沿いには、どんな田舎でもコンビニとか今風の大型商業施設があるのだろうけれど、駅近辺は時間が止まっているような景色であることが、ローカル線の駅周辺の典型です。
まだ9時過ぎだけど、酒屋は開いていて、店のおばあちゃんと地元のおばあちゃんが話し込んでいました。
アルコールが手に入ったことに感謝して、駅へ戻りました。

野沢駅、昔は急行も停車した駅です。
待合室には、ストーブがあったことを示す穴が天井にあります。冬季には石油ストーブを今でも置くのでしょうか。






待合室には、古い写真が多数展示されていました。


発車を待つ列車。25分間の停車時間、駅前を歩いて買い物もできて、写真もたくさん撮りました。



停止位置標に「雪」の文字が各駅にありました。



もう、ホームで飲み始めちゃいました。プシュー。



発車を待つ間、車掌さんともお話しをしました。この列車のスジは以前から変わっていないとのことで、野沢駅での長時間停車は変わっていないようです。景色の良いところとか、次の長時間停車駅も教えてくれました。
この親切な若い車掌さん、なんと純粋な白人系の外人さんだったのです。聞くと生まれは外国だけど、育ちは日本とのことで、車内放送とか言葉は、顔立ち以外は日本人となにも区別できませんでしたが、ネームプレートはしっかりとカタカナでした。JR入社から5年だそうです。こういうのを本当のグローバル化というのでしょうね。JR東、好感が持てました。

野沢駅を発車してからは、窓を全開にして外の景色を楽しみました。冷房も暖房も不要な、この貴重な日、この季節、窓を開けられる列車に乗れたことはなんと幸運なことでしょうか。
今や、ボックスシートで窓を開けて外の景色を楽しめる列車なんて、日本中探しても貴重なものでしょう。








窓を開けたトンネル内は轟音です。冷房車ではない昔は、真夏なら当たり前だったのになあ。トンネル内の冷気が心地よいです。煉瓦積みのトンネルの壁に、磐越西線の歴史を感じます。煉瓦積みトンネルの壁を間近に見るのは、廃線跡巡りみたいです。


徳沢駅でも、交換待ちで10分弱停車。
駅舎は郵便局を兼ねていました。





窓が開いているところが、私の席。


上りの快速は、新型気動車。あちらよりもこっちが断然良いですわ。


通過する快速と車掌さん。

津川駅でも20分近く停車。駅前を散歩しましたが、とくに何もありません。


福島から新潟への県境区間の、野沢から津川は乗客の流動がほとんどないということが、よくわかりました。土日だと別の顔を見せるのでしょうけれど。

典型的な駅前の住居地図看板。名前のある駅の隣の酒造所とか、ほとんど現存していません。




さきほど買った缶ビール2本でほろ酔いですが、飲み足りなくなったらと念のために買っておいた缶チューハイに手を出しました。何気なく賞味期限を見たら、月単位ではなく年単位で切れていました。ビールはいつものクセで製造年月は必ず買うときに確認しますが。田舎の酒屋でたま~にあるんですよね。でも、あそこで朝から営業していて酒が手に入ったことに感謝。いつまでもお店が存続することを願っています。缶チューハイ、もちろん飲みました。ビールと違って缶チューハイは、味はほとんど変わっていませんでしたので、おいしくいただきました。

五泉あたりからボチボチと乗客も増え始めましたが、混雑することなく新津に到着しました。
本当に久しぶりの、昔ながらの汽車旅を満喫しました。窓を開けて景色を何時間も楽しんだなんて、20年以上ぶりくらいかもしれません。窓を開けられる貴重な季節、時期、天候に巡り会うのは、運だと思います。
学生時代、夏の山陰本線を窓を開けた旧型客車に一日中揺られたあと、体じゅうがDD51の排気ガスと鉄臭くなったものですが、今回も近いものがありました。

到着した新津駅近くの「大将ラーメン」という店で昼食を摂りました。シンプルにラーメンを頼んだのですが、ナルト、チャーシュー、しなちく、ネギ、そしてホウレンソウが乗った、懐かしい東京ラーメン風でした。味もくどくなくおいしかったです。こういう店、近所にはないんですよね。



このあと、新津鉄道資料館へ行ってきました。
新津鉄道資料館






  

Posted by よっぱらいくま at 12:28Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2017年09月11日

小田急 列車火災事故

小田急の電車が、沿線火災で類焼してしまった今回の事故。

ニュースを見る限り、小田急側には、まったく非はないようだ。

最初は、運転士が独断で停車させたのかなと思った。
だけど、今日のニュースで、火災の消火活動のために、消防と警察が、踏切の非常ボタンを押して列車を強制停車させたらしい。
なんと愚かな行動であろうか。
小田急の列車司令と相談して、やるべきだろう。
現場のバカ消防署員と大馬鹿警察官が独断で行動したのだろう。
ど素人の消防と警察に何の権限があるのか。

消防署員が、「電車が燃えている、止めろ~、早く避難させろと」車掌に向かって、でかい態度でわめいている。
おまえらが電車を止めたんだろう。
非常ボタンを押されたら、運転士は何もできない。

非常ボタンを押した警察官、それを指示した消防。
どちらも列車往来妨害罪だな。

警察と消防は責任を取れ。
大惨事を招きかねない行動を猛省して謝れ。
小田急は、警察と消防に、燃えた電車の修理費は請求するべきです。

マスコミは、警察と消防の浅はかな行動を糾弾するべきだ。  

Posted by よっぱらいくま at 21:24Comments(0)TrackBack(0)事故・災害

2017年09月10日

京浜急行 大森町・梅屋敷駅界隈 今昔

私が育った街、大森、梅屋敷界隈の昔の写真と最近の写真で比較してみました。


平成5年頃の大森町駅です。


上の写真とほぼ同じ場所、平成25年、高架化が完成した頃です。




平成5年頃、梅屋敷駅前です。地平を電車が走っています。


これも上の写真とほぼ同じ場所、高架完成直後です。



あとは、懐かしい写真があったので・・・。

私がかよっていた大森幼稚園です。昭和44年。


平成5年頃、立ち寄ったときの写真。上とほぼ同じ場所から撮れています。


大森幼稚園の正門 平成5年頃


同じく平成25年




みはら通りの内川です。平成5年。


平成25年。



たまに、生まれ故郷を見たくなって、訪れてしまいます。
定点を比較すると、時のうつろいを感じます。







  

Posted by よっぱらいくま at 15:59Comments(0)TrackBack(0)商店街・街並散歩

2017年09月09日

急行 東海号

静岡駅のしゅうまいの話しを前にしました。

静岡駅 東海軒のしゅうまい

静岡駅と言えば、急行東海のことを書かねばなりません。

私は晩年の東海号しか知りません。
新幹線開業以前は、東京と名古屋・大垣間を日に何本も走っていましたが、東京-静岡間を2往復していたのが最後です。
私は特に4号、静岡発東京行きが好きで、岐阜・名古屋から東京へ行く際には、何度も利用しました。
夕方17時前に発車していた東海4号、165系12両編成、大垣夜行との共通運用、165系のボックスシート、特に混むこともなく、終着東京までワンボックス1人でのんびりできました。

そして、その東海4号に乗るときに必須なのが、静岡駅の東海軒のしゅうまいだったのです。
缶ビールロング缶2本と静岡駅のしゅうまいは、東海号乗車時の必須アイテムだったのです。
東京駅まで約3時間弱、165系ボックスシートでしゅうまいをつまみながらビールを飲む旅は、至福の時でした。

そんな165系東海号の最終日の写真です。
愛着ある165系東海号がなくなるということで、是が非でも乗らねばということで。
もちろん、最終となる静岡発の4号です。
写真の日付を見ると1996年(平成8年)3月15日です。もう20年以上前。そんなに経つのかという思いです。






グリーン車は大垣夜行に乗るときは愛用しました。























大学のときの友人と2人で乗りました。
大量のビールとつまみを買い込み、165系東海を惜しみながら、居酒屋東海号でした。



さようなら~


東京駅到着。東京駅にはたくさんの鉄道ファンが集結していました。


東海号はその後、373系特急となり、走り続けましたが、たしか10年くらい前に廃止されました。
大垣夜行も373系使用の「ムーンライトながら」となりましたが、今は定期運転はなく、青春18きっぷの時期だけの臨時となりました。
今でも深夜の静岡駅で、出来たての幕の内弁当を売っているのでしょうか?売ってませんよね、臨時では人のやりくりや、製造工場の稼働とか無理ですよね。それに今はみんな、コンビニで買ってますもんね。食べ物類は。

ちなみに私、373系になってからは、特急東海もムーンライトながらも、一度も乗ったことがありません。
私にとっては、165系でなくなった時点で、東海号は廃止されたのです。




  

Posted by よっぱらいくま at 16:24Comments(0)TrackBack(0)懐かしの列車

2017年08月20日

1975年東京-有楽町間

東京駅から有楽町間で撮った写真です。


0系新幹線です






ボケていてよくわからないけれど、上の写真は101系の京浜東北線と山手線、下は103系の山手線です。  

Posted by よっぱらいくま at 15:53Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2017年08月19日

北陸号

寝台特急 北陸号が廃止されて7年経ちました。

名古屋から東京へ行くときに、わざと米原から北陸ルートで行くこともよくありました。
その逆もまたしかり。

2010年3月9日、金沢駅での最後に立ち会ったときの写真です。

隣のボンネット489は、上野行、急行「能登」です。













  

Posted by よっぱらいくま at 16:22Comments(0)TrackBack(0)懐かしの列車

2017年08月19日

静岡駅 東海軒のしゅうまい

以前、静岡駅のしゅうまいが好きだと書きました。

国府津 熱海 静岡

東海道線の旅

これ、2年程前に販売中止となっているのです。

いつものように、こだま号の旅で静岡停車時にホーム売店で買おうとして売店のおばちゃんに聞いたら、「販売をやめた」と言われたのです。
東海軒のホームページを見ても、ありません。
楽しみがまたひとつ、なくなりました。





過去の写真を探しました。
  

Posted by よっぱらいくま at 14:52Comments(0)TrackBack(0)駅弁

2017年08月16日

コンコルド来訪 羽田空港

昭和47年だと思います。
羽田空港へコンコルドがきました。
母と見に行ったときの写真です。
私は小学3年生。
原板はハーフサイズで、トリミングしました。オリンパスのペンで撮りました。


コンコルドと、後ろにはボーイング747が写っています。



日航とパンナムの747が揃って、そして左隅にはコンコルドが写っているという、今ではよだれが出そうな風景です。
この頃は、大型機全盛の時代でした。
テレビドラマ「白い滑走路」も日航747が主役でした。


コンコルドは燃費の悪さと騒音のひどさで、また最後は、炎上墜落事故を起こして、普及はしませんでした。
でも、独特の機体と翼の形状、四角いエンジンと、まったく異質の形状は、かっこ良かったなあ。
アメリカ-ヨーロッパ間の運賃も、今のJRの四季島や瑞風に乗るのと同額以上の金額を払わなければならなかったはずです。  

Posted by よっぱらいくま at 17:50Comments(0)TrackBack(0)昔話 鉄道以外

2017年08月16日

昭和の風景

盆休みで、過去のネガのスキャン作業をしました。
見つけた古い写真。昭和48年頃と思います。
私の生まれ故郷、東京都大田区のたぶん、梅屋敷商店街です。
この頃は、商店街には人があふれ、とても活気がありました。
左でたたずむ女性は、今は亡き私の母です。




小学校の運動会の写真です。
街中にこんなガスタンクがありました。
自宅アパートの目の前にありました。中のガスの量によって、タンク自体の高さが変化しました。
私の母校、大田区立大森第一小学校です。



  

Posted by よっぱらいくま at 17:16Comments(0)TrackBack(0)商店街・街並散歩

2017年07月17日

昭和55年九州

西鹿児島駅
今は「鹿児島中央駅」、新幹線が在来線と直角にホームがあります。
観覧車に駅ビルと、一変しました。



枕崎駅で、国鉄指宿枕崎線と鹿児島交通の気動車が並んでいるところ。



妻線 杉安駅



西鹿児島駅で発車を待つ「かいもん」号の20系寝台車



博多駅での583系寝台電車「なは」号



日田彦山線 添田駅停車中のキハ66



添田駅を発車した並行して走る添田線の気動車



湯前駅



夏休みが近づく今頃、昭和55年夏に九州ワイド周遊券を持って20日間、九州の国鉄に乗りまわったことを思い出します。
  

Posted by よっぱらいくま at 16:30Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2017年07月09日

香椎線、勝田線 宇美駅

香椎線と勝田線の宇美駅、勝田駅の昔の写真です。

香椎線の宇美駅と、勝田線の宇美駅は徒歩数分でしたが、離れていました。当時の時刻表では「100メートル離れています」と表記されていました。

香椎線 宇美駅 昭和55年


昭和59年


平成3年



勝田線 宇美駅
昭和55年




筑前勝田駅
昭和55年







昭和59年





平成3年 勝田線 廃線跡







  

Posted by よっぱらいくま at 16:23Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2017年07月09日

肥薩線大畑駅

スキャンした写真を見ていて、肥薩線大畑駅の写真を集めました。

昭和55年と平成3年に撮影したものを対比して並べました。

駅舎 





時刻表





ホームから
















ループ線案内標柱

昭和55年

以下は平成18年



  

Posted by よっぱらいくま at 15:19Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2017年07月06日

久大本線流された

九州の豪雨災害で、久大本線や日田彦山線が被災しています。

日田、夜明間の橋梁が流されているニュースや新聞を見ました。
近辺の道路橋は無事なのに、なんで鉄道橋だけ流されたのだろうか。

横倒しになっている橋脚は円筒形のコンクリート製で、なんか新しく見えます。

橋台部は古そうだけど、周囲は河川改修したばかりに見える堤防法面です。

簡単に横倒しになっている久大本線の橋脚、なんか疑問です。  

Posted by よっぱらいくま at 21:03Comments(0)TrackBack(0)事故・災害

2017年07月05日

マイケルシェンカー

マイケルシェンカーのライブDVDを観ています。
つい最近、2016年東京国際フォーラムでのライブです。

メンバーはみんなおじさんです。
みんな年をとって、だけど和気あいあいです。

観客も私と同い年、中高年ばかりだ。でもみんなノリノリだ。

若かりし頃のロックミュージシャンはみんなとんがっていて、メンバー間のいざこざも数知れず。

若いころのマイケルシェンカーは精神的に患っているとかなんとか言われていました。

高校生の頃、LPからカセットに録音して、数限りなく聴きました。

でも、このライブDVDを観る限り、そんな雰囲気は微塵も感じません。
ファンサービスの塊、とても楽しそうに演奏しています。

ドラムのテッド・マッケンナ。相変わらずのパワーだ。
マッケンナモデルのドラムスティックは私の愛用品だ。とても太く重い。

ボーカルのゲイリー・バーデン。
御大、グラハム・ボネット。

ベースのクリス・グレン、なぜそんなに太った?

イントゥジアリーナ、デザートソング、みんなみんな、マイケルシェンカーのギター、年とってもかっこいい。
ギブソンのフライングブイ、マイケルシェンカーは不滅です。

メンバー間のいざこざその他、いろいろあったけれど、年取ってみんな楽しくやっている風景がとても素晴らしい。

コージー・パウエルが存命でいたら、今でもあのパワードラムを聴けたのでしょうね。

神、神話、あの頃のマイケルシェンカー、最高。

  

Posted by よっぱらいくま at 20:33Comments(0)TrackBack(0)音楽・映画・テレビ

2017年06月10日

ダイ・ハードか

今日の東名、新城PA付近の事故。
NHKがドラレコの記録を放送しています。
飛んでくる車。
ダイ・ハード4.0みたいだ。  

Posted by よっぱらいくま at 20:58Comments(0)TrackBack(0)日記

2017年06月05日

熱田駅

名古屋に住んで約20年、岐阜も含めると中部地方にかれこれ約30年住んでいて、一度も乗降したことがない熱田駅を初めて訪問しました。
当たり前だけど、学生時代から何百回と乗っている東海道本線、当然、通り過ぎたことは数知れずです。

熱田駅、歴史は古く東海道線全通前、東海道線の建設資材を武豊から運ぶために明治初期に開設された駅です。開業当初の駅は今より南側にあったことが、古地図からわかります。現在の熱田駅は東海道本線の全通と時期をほぼ同じ頃、現在地に移転しています。
そんな熱田駅の構内は広く、東海道本線の駅としての歴史と風格を感じますが、現在は普通しか止まらない、格下の駅となっています。





ホームの屋根を支える、古レールの柱。上りホームは古レールだけど、下りホームは鉄骨です。

古レールの刻印を探したけれどなかなか見つからず、やっと見つけたのがこれ。1919年です。






跨線橋も古レールで組まれています。








昔、名古屋発着のカートレインは熱田駅始発でした。きっとここから乗用車が乗り入れたのでしょう。
このホームは現在、立ち入れません。








ホームに入ってくる列車を、パチリ、パチリ。
やっぱり貨物は迫力があります。


熱田駅構内で、しらさぎが名古屋から引き上げてきて、折り返し待ちをします。
名古屋駅へ向かい、発車していきました。



駅舎







熱田神宮へ向かう商店街は、レトロです。


名鉄神宮前駅へ続く路地裏は、飲み屋街です。




熱田駅前の駅前酒場。
今度は夕方に来て、ここで飲んでみたいです。



この建物、もともとの二階建てにビルを被せたみたいです。
  

Posted by よっぱらいくま at 17:41Comments(0)TrackBack(0)

2017年06月03日

旧草津川と東海道本線

滋賀県の草津駅近くにある、天井川であった旧草津川と東海道本線が交差する地点に行きました。

草津川は明治期に東海道本線が建設される以前から、全国的に有名な天井川でした。
そのため、東海道本線を建設する際に、川の下にトンネルを掘ったのでした。



左から、上り米原方面2本、下り京都方面2本、そして右の2本は明治期の最初に開通させた2本で、現在は施設工事訓練用の線路となっていて架線その他の模擬構造物がたくさんあります。一番右側は拡幅改修されていますが、右側から2本目は明治期の建設当時のままの姿を留めています。

草津川は現在は廃川となっていて、水は流れていません。この4月から旧草津川のこのあたりは、草津川跡地公園として整備され憩いの空間となっています。






草津川上部から撮ったものです。
現在線は付け替えられたことからカーブしていて、旧線側が直線であることがよくわかります。






旧線の煉瓦積の坑口、味があります。




この場所に、慰霊碑があります。





台座の文字を読むと、「為鐡路轢死者各霊位」とあります。
建立は昭和11年8月と刻まれています。
ここで大事故があったのでしょうか。合掌。




草津は東海道と中山道が分岐する街です。
ここが分岐点にある道標です。



帰りは駅前の店で飲みました。
昭和の雰囲気の店内、酒も食べ物もおいしい店でした。
外観の雰囲気、提灯の「一寸一杯」の文字が好きです。
もちろん、一杯では100%済みません。
地元の太田酒造の冷酒がたくさん揃っていて、お手頃価格でおいしかったです。



草津駅には、DD51がいました。

  

Posted by よっぱらいくま at 16:43Comments(0)TrackBack(0)廃線跡、未成線

2017年05月29日

泡波

八重山諸島を旅してきました。

波照間島へは行けなかったのですが、泡波の2合瓶を2本、石垣島で定価(500円弱)で購入しました。

 
私は27年前、平成2年に波照間島に行きました。そのとき泡波の600mlをたくさん買って、ゆうパックで自宅へ送りました。
現地ではいくらでも買えました。

今、ネットで見ると現地でも手に入れにくいみたいです。

27年前に買って大切にとっておいた泡波を昨日、飲みました。

そして、今回買った新鮮な泡波も飲みました。


27年前の泡波と、今回買った泡波です。





27年経った泡波古酒よりも、今回買ったやつの方がおいしかったです。

泡波は今でも買いにくいみたいなので、今回定価でどこで買ったかは、言いません。

もっと買えばよかったかな。2本だけ買ったので。

まあ、あんまりこういうプレミア扱いはねえ・・・。

石垣空港では、同じ2合瓶の泡波が約6000円で売っていました。

約30年前のラベルと現在のラベルでは違いがあることに気がつきました。


昔のものはこれ





現在はこれ




「日本最南端」と書かれているものが、「最南端」だけになっています。
あとは、ゴミとしての選別リサイクルマークと、適量をだとかの注意書きが加わっています。
電話番号の市内局番が一桁から二桁に変わっています。
詰口年月日の刻印も加わっています。
製造者のお名前は変わっていません。





  

Posted by よっぱらいくま at 21:07Comments(0)TrackBack(0)

2017年05月07日

京都鉄道博物館

まだ雪が降っていた頃、京都鉄道博物館へ行ってきました。

私の大好きなEF66が鎮座しています。ここは車体下部を見ることができます。







スノープロウと頑丈な排障機の構造がよくわかります。まじまじと車体下部を見るのは初めてです。
こういう展示方法、最高です。

同じく好きなDD51。





スノープロウの構造がEF66と違って、進行方向な向かってかなり鋭角なことがわかります。

機関車の重厚な機器類を見ることができる下からの覗きは楽しいです。


EF66の運転台。これはぶつ切りされた車体が別に展示されているものです。


マスコンは機関車のものというより、電車に限りなく近いです。進段のノッチが少なく、弱め界磁のハンドルもこうなっているのがよくわかります。


0系の運転台もいつでも自由に入れます。リニア鉄道館は基本、非公開です。




運転台からの景色。大学生のときの新幹線の車販のバイトをしていたとき、運転台に入ったときに一瞬だけ見ることができた時速200キロの前面展望を思い出しました。


マルス端末も各種あります。
私が学生時代から就職した頃までに最もお世話になったのがこれ。M型とか言ったかな。忘れました。


パタパタをめくり希望の路線などにピンを入れて操作するものです。



そして、入力を終えるとこの発信ボタンを押して、指定席を確保するのです。



指定券が確保されると「YES」の緑ランプが点きます。
1ヶ月前の10時に人気の列車の席を確保するときは、窓口氏が10時前に入力をすべて終えて、10時ジャストにこの「発信」ボタンを連打してマルスに繋がるようにしてくれました。
「YES」が出るか「NO」が出るか、窓口から身を乗り出して緊張しながら見ていたものです。


外は、梅小路機関車館が昔のままあり、蒸気機関車がたくさんあります。
生きている蒸気機関車はやはりよいです。






まさしく鉄の塊、大迫力です。


東海道本線と山陰本線に挟まれて、遠目に新幹線も見ることができます。



生きている鉄道も間近に見られる京都鉄道博物館は、大宮や名古屋よりも気に入りました。  

Posted by よっぱらいくま at 16:02Comments(0)TrackBack(0)イベント