2018年06月16日

古いホーム 嵩上げ

新橋駅で電車を待っていたとき、向かい側の山手外回り、京浜東北南行ホームの下にレンガの構造物を発見しました。
烏森駅として開業、東京駅開業とともに、旧新橋は汐留に、烏森駅が新橋となった頃からあるものでしょうか。
古い幹線だとどこの駅でもホームは、客車から電車に合わせてホームの嵩上げが行われています。
このホームも3段階くらい層ができています。









こちらは国府津駅。東海道本線の歴史ともに、何度も嵩上げされています。





こちらは蟹江駅。関西本線としての歴史は古いです。




  

Posted by よっぱらいくま at 17:13Comments(0)TrackBack(0)

2018年06月10日

芝山鉄道と東成田駅

成田空港にある芝山鉄道に乗ってきました。

芝山鉄道は東成田駅と芝山千代田駅間、たった1駅を結ぶ、日本一短い鉄道です。
建設経緯は、複雑な空港建設の歴史的背景の中でできたようです。
京成とほぼ一体の運転系統なんだから、京成にしてもよさそうだけど、がら空きの電車を運行し続けるために、補助金とかいろいろな関係で別会社にしておく必要があるのかなと思いました。

京成成田駅から芝山千代田行きに乗りました。
日中は、京成成田と芝山千代田駅間を同じ電車が40分おきに往復しているようです。
京成成田から東成田までは、かつての空港乗り入れ線。どえらい高速で飛ばします。京急の快速特急を彷彿させる走りです。東成田までの運賃は260円。結構な距離です。
東成田-芝山千代田は約3分間、がら空きの電車はあっというまに着いてしまいました。こちらは200円。ICカードは使えないとのことだったので、きっぷは成田駅で通しで買っておきました。



ホームの先は行き止まりです。





延伸の可能性も残してはあるようですが。




改札で乗車記念証明書をいただき、レンタサイクルを借りたいと申し出ました。
芝山鉄道では観光客には自転車をタダで貸してくれます。



昔のようにすぐに折り返して帰るようなことは、最近はしません。
終着駅でのんびりしたいし、成田空港なのだから、飛行機を間近に見てみたいと思っていました。

親子連れなど、少ないながらも体験乗車の客もいます。
そういえば、芝山鉄道は必ず警官が添乗警備していると聞いていましたが、往復ともその姿は見ませんでした。
芝山千代田では10人程度が下車しました。

さて、まずは航空博物館へ自転車で向かいます。約2キロの道程は、多少のアップダウンがありました。そして、やたらに警察車両が走っています。これが日常なのでしょう。

航空博物館は入場料500円。まあまあの値段だけどJAF会員割引で半額になりました。
親子連れを中心にかなりにぎわっています。鉄道博物館もそうだけど、マニアよりも一般人が多いのは共通です。







私は飛行機は門外漢ですが、エンジンとかコックピットとかは興味あります。
747前頭部のぶつ切り断面はおもしろいです。

次は飛行機が見える丘なるところへ行きました。
マイカー客でそこもにぎわっています。
ニコンP900を持ってきているので、飛行機写真に挑戦です。


離陸したところ。


着陸するところ。

鉄道写真と勝手が違って、いやはや、難しい。
P900のばけものズームの超望遠撮影ですが、ファインダー内で思っていたよりも高速で被写体が移動するので、補足するのが難しいのです。
航空写真では、コンデジでは限界があるようで、やはり一眼レフとマニュアルフォーカスが容易な超望遠レンズが必要と痛感しました。コンデジではとにかくピントが狂いまくるのです。

適当に撮影した後、芝山千代田駅へ戻って、次は東成田駅へ向かいます。







車内はがら空き。



車窓からは駐機場の飛行機がよく見えます。





東成田駅で下車しました。
噂では聞いていたけれど、なんとも不思議な駅です。もともとは成田空港駅。往時の賑わいがウソのような空虚な空間です。反対側のホームは照明も消され閉鎖されています。昭和の空気感が構内に漂っています。









フェンスで仕切られた閉鎖されている真っ暗な空間には、使われなくなった資材が無造作に置いてあります。









賑わっていた往時の面影が見えます。



改札の横に、第2ターミナルへの連絡通路があります。



誰もいない長い通路。利用者はいるのでしょうか。そこを通って空港第2ターミナルへ向かいます。



「空港第2ビル駅まで500メートル」の看板があります。



果てしなく続く通路



あと400メートル。



直角に折れる地点。



通路は続くよどこまでも。監視カメラが無数に設置されています。
誰もいないと思ったけれど、途中2人、すれ違いました。観光客ではない普通の利用者のようでした。



あと200メートル。



あと100メートル。

終点に近づくにつれて、カートを押す音や人の声がたくさん聞こえてきます。





東成田駅からここへ到着すると別世界の喧騒が。



清潔で明るい空間が広がっていました。

東成田駅、とってもディープな空間です。
廃墟と秘境駅をあわせ持った雰囲気です。成田空港の歴史に翻弄された駅ではないでしょうか。



右がJR、左が京成、どちらもにぎわっています。
スイカでさっと入場し、JRで成田駅へ向かいました。



N'EXは成田駅のホームのない中線を通過して、空港駅へ走り去っていきました。

  

Posted by よっぱらいくま at 16:19Comments(0)TrackBack(0)乗車記 私鉄

2018年05月19日

佐原 古い街並み 酒 居酒屋

千葉県佐原、今は合併して香取市となっていますが、以前は佐原市、そして駅名は現在も「佐原」です。
千葉県の北東部に位置し、東京からの鉄道の便は都心から100キロ圏内にもかかわらず不便極まりなく、東京までの公共交通は高速バスが担っています。
東京と佐原を結ぶJR総武・成田線に直通特急はなく、普通電車が日に一往復だけ、鹿島神宮から東京へ直通しています。
数年前までは特急「あやめ」があったのだけど、廃止されました。高速バスに負けたのが主な原因だろうけれど、鉄道の定時性、確実性は捨てがたく、確実に一定の需要は今でもあると思います。JR千葉支社は、地元からの復活要望に対しても、「あやめ」を復活させることはないと断言していて、残念なことです。
そんな、東京から名古屋へ新幹線で行くよりも時間がかかる不便な佐原は、「江戸優り」を謳う古い街並みが数多く残され、観光地化もしています。

まずは鉄道から





鹿島線と千葉方面の普通です。鹿島線からの乗換客が合流し、たくさんの乗客が乗り込みました。




小野川と電車。この小野川沿いに古い街並みがあり、たくさんの観光客が歩いています。










この写真屋さんは廃業していますが、昭和レトロ感満点のこの建物もむ新しい方なのでしょう。




街中のあちこちに、この円筒型ポストが現役で残っています。




このような観光船も。




私が感動した建物がこれ。
壁際に碍子でむき出しに設置されている、戦前からあるような単相2線式と言ってよいのかわかりませんが、1線ずつ並列してあるやつ。これが今でも現役であるのです。もうかれこれ30年以上、昭和のテーマ館とかに行かない限り見ることはありませんでした。





これまたレトロな笠のついた裸電球の外灯が接続されています。電球は電球型蛍光灯かLED電球のようでしたが。


続いて、居酒屋。古い街並みに似合う小さな居酒屋が、狭い路地の間に多数あります。
すべて現役で営業しているのかはわかりません。




















廃業している床屋さん。昭和です。




東薫酒造です。
酒蔵見学ができて、酒の試飲もできます。








試飲は、一番高くておいしい「叶」だけ1杯300円ですが、あとは無料です。
もちろん叶も試飲しましたが、なみなみと注いでくれました。
他もほんの少しずつ試飲させてもらいましが、結構酔ってしまいました。
試飲できるのも、クルマで来ていないからできる贅沢です。




なぜか街中には石材店が多数あります。







再開発が進み整然としてどこに行っても風景が同じ街よりも、こういう古い街並みが残っている街が好きです。
佐原には昭和レトロな古いスーパーもいくつか見かけました。  

Posted by よっぱらいくま at 17:44Comments(0)TrackBack(0)旅行記

2018年04月22日

飯田線

飯田線です。
本長篠付近、長篠城址のあたりで撮りました。





こちらは本長篠駅から分岐していた、豊橋鉄道田口線の廃線跡の道路。
本長篠駅から近くのところです。


  

Posted by よっぱらいくま at 15:53Comments(0)TrackBack(0)日記

2018年04月15日

旧型電機

国鉄時代の車両がいよいよ全滅に近くなってきました。
この歳になって、昔の貨物列車に懐かしさをとても感じます。
もっと記録に残しておけばよかったと、後悔です。

昭和53年頃、東北本線 大宮-与野間でとったものです。
58、15などが元気に走っています。














こちらは、東海道本線 茅ヶ崎-平塚間です。

  

Posted by よっぱらいくま at 16:05Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2018年01月27日

無くしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ

三河安城駅のとなりにあるニチバンの工場。
新幹線の車窓からよく見えるこの宣伝。
一部マニアの間では有名です。



今年になってこの「無くしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ」というフレーズが消えていました。
先週、新幹線に乗ったとき、デザインが変わりこのフレーズも復活していました。
暗かったので写真は撮れていません。

やっと写真が撮れました。
セロテープの外箱そのものの、シンプルなデザインになりました。
以前は、セロテープが宇宙空間を飛んでいるようなシュールなデザインでした。

  

Posted by よっぱらいくま at 15:08Comments(0)TrackBack(0)新幹線

2018年01月15日

信越線 電車立ち往生

かなりの大ニュースとなった、信越線での電車が雪で一晩立ち往生した今回の一件。

JR東の対応はやっぱり、一言で言ってひどいと思った。
やっと、情報も出尽くしてきた感じなので、私の思いを書きます。

乗り合わせた客からの声は、JRの対応には感謝しているという声もあるようだ。
しかし、それは現場に来た職員らの働きのことである。
現場の運転士、救援に駆けつけた職員らは、本当に頑張ったと思う。

しかし、組織として、JR本体が今回のような事態に適切に対応したのかというと、はなはだ疑問である。
積雪の中、救援バスも手配できず、深夜暗い中、外を歩いて避難させることが危険だということは、そのとおりと思う。
しかし、車内にはたくさんの立ち客もいた状況で、これを放置したことは違うと思う。

なんとしても線路を除雪して、長岡なり大きな駅までの除雪をさせて移動させるのが使命だろう。
結局、今のJRに除雪能力はないのである。昭和40年代までの国鉄の除雪能力に比べたら、無能なのだ。

昭和35年や38年の、所謂35豪雪、38豪雪の教訓は、今のJRには引き継がれていないのだろう。
駅間では止めない、駅で止めるということが、わからなかったのだ。

今の新型車両、立ち往生したのも、JR化後の新型車両だ。
もし、これが国鉄仕様の115系や485系だったら、同様に立ち往生したかとも思う。
何が違うかというと、重さである。そして雪に対する抵抗力である。
新型車は軽い。もしも115系だったら、次の駅まで行けたかもしれない。
パンタグラフも新型車両は片パン、シングルアームが主流だが、雪の重みで離線もあって何度も止まったらしい。
シングルアームの方が表面積は小さいはずで、雪の抵抗も少ないはずなのに。
昔ながらの菱形パンタグラフの方がよかったかもしれない。

立ち客もいる通勤電車を救援するために、DD51の重連でも走らせれば、あの程度の積雪はラッセルできたのではないか。
DD51のスノープロウはかなり鋭角である。

DD51の床下の写真





電車や下手な今どきの除雪車よりもラッセル能力はあるかもしれない。でも、いま、DD51なんか配置されていないだろうね、JR東には。

38豪雪に比べれば、今回の積雪など「屁」のようなものだ。当時は市街地も雪で埋め尽くされて、2階からしか出入りできなかったのだ。今回はたかが1メートル未満の積雪である。

立ち客のいる電車を一晩放置するくらいなら、救援するために、なんとしても除雪して特急用車両を横付けさせて、そちらに乗客を避難してもらうことくらいできなかったのだろうか。

しかし、今の乗客、若者たちのなんと辛抱強いことか。
昭和40年年代なら、一晩立たせれるようなことになったら乗客は、スト権ストのときみたいに暴動が起きるぞと思ったものだ。
客が勝手に電車から脱出すると思う。

まあ、なんとも言えないけれど。車内で席を譲り合ったとか、美談みたいなことはマスコミは好きですねえ。

キマロキ編成なんて、今のJRには存在していないでしょう。
マックレー、ロータリー、ラッセル。

ま、懐古趣味のオヤジの国鉄贔屓の話しでした。  

Posted by よっぱらいくま at 21:28Comments(0)TrackBack(0)事故・災害

2018年01月13日

早起きの始発列車

ネットニュースを見ていたら、日本一早い始発電車という記事がありました。

以前、「時刻表1979年10月号」の中で、地方の超早朝発の列車のことを書きました。
1979年10月号では、早起き列車が
ナンバー1 福島3時18分発 仙台行き普通 
ナンバー2 金沢3時49発 七尾行き普通
だと思います。たぶん?。
これらは、昔は夜行列車が各線区を走っていたので、夜行からの接続という面もあったのかもしれません。
他に4時台後半発は各地にうじゃうじゃあるので、珍しくもなんともありません。

ネット記事では、九州の日豊本線 柳ヶ浦4時17分発門司港行きが日本一早い始発列車とのことです。門司港に6時10分着です。たしかに4時台前半に動き出す列車は、現在では珍しいでしょう。6時10分に終着駅に着いてしまうというのも、名古屋周辺のJRや地下鉄など、やっと始発から2~3本めが動き出し始める時刻です。
ちなみに、1979年10月当時の柳ヶ浦発門司港行きは、4時29分発で門司港着は6時10分着と着は現在と同じだけど、発時刻は12分遅いです。現在よりも所要時間は短かった、速かったのかと思ったら、現在は小倉の停車時間が長いだけで、小倉までの所要時間はほぼ同じでした。

それではと、現在の他に早い始発はないかと時刻表をめくってみました。
昔、行商人がたくさん乗っていた路線は早朝から走っていたので、常磐線なんかはどうかなと開くと、ありました。
勝田4時27分発上野行き。記事の電車の10分あとですが、十分に早起きでしょう。たぶんナンバー2の始発かなと。

昔、3時台から走り始めていた東北本線、七尾線や、4時台発がたくさんあった山陰本線も、今では5時台以降発しかありません。

日豊本線をよく見ると小倉方面の上りの特急もえらい早朝発が揃っています。
柳ヶ浦4時38分発、大分4時43分発と5時21発と続行しています。
全部チェックしていないのでわかりませんが、普通だけでなく特急も含めて、日豊本線のこの区間は日本一早起き路線のようです。

特急を見ると、北陸本線の金沢から大阪、名古屋方面も早いです。
しらさぎ号米原行きが5時00分発、サンダーバード大阪行きが5時35分発です。
でも、日豊本線の4時台発にはかないません。
北陸本線には、福井4時48分発の敦賀行きという結構早い電車がありました。


名古屋地区の鉄道各線が動き始めるのは、とても遅いと思います。JR、名鉄、地下鉄の各線すべてが5時30分以降しか動き始めません。終電を遅くするよりも、始発をせめて5時00分から動かしてほしいものです。東京のJR、私鉄、地下鉄は5時過ぎから動き始めます。
新幹線も東京、新大阪は双方とも6時00分発があるのに、名古屋は、6時20分発の博多行きのぞみ号と東京行きひかり号が始発です。名古屋も6時00分発を設定してほしいものです。

コンビニなんかなかった昔の方が、国鉄は早朝から動き始めていました。
  

Posted by よっぱらいくま at 16:36Comments(0)TrackBack(0)豆知識

2017年12月24日

在来線の特急たち 1980年代

各地で撮ったものです。


白鳥  青森駅



白鳥  金沢駅?



583 雷鳥  金沢駅



加越 金沢駅



583 有明 西鹿児島駅



にちりん 博多駅?





かもめ・みどり 肥前山口駅



金星 新下関駅付近



はやぶさ 名古屋駅



富士? 門司駅








  

Posted by よっぱらいくま at 15:35Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2017年12月24日

上野駅1980年代

東北新幹線開業前の、在来線が主役だった上野駅の名特急たちです。






















駅撮りでも楽しかったです。  

Posted by よっぱらいくま at 15:17Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2017年12月16日

動けない新幹線

ニュースを騒がせている、名古屋駅で身動きできなくなったN700。
金曜日、在来線で名古屋駅に着いたとき、しっかり見て撮ってきました。










切り離されている部分が間近に見ることができる、在来線12・13番ホームの先は、警備員がいて立入禁止されています。別にそこまでしなくてもいいのに。写真は10・11番ホームから撮りました。何人かやはり、見物人もいました。




新幹線ホーム上にも見物人がたかっていて、やはり警備員を配置しているようです。




聞くところでは、N700のかなり初期車みたいです。
台車に亀裂、営業線内で何日も立ち往生とは前代未聞です。
営業線上での新幹線の切り離し作業と車体のジャッキアップ、台車の取り外しなんて、新幹線50云年の歴史で初めてのことでしょう。
これまでに見ることができなかった貴重な景色です。
営業線上での長期間の立ち往生、まさかこんなに長引くとは思いませんでした。
そこまでは200キロ以上で突っ走ってきたんだから、時速5キロ程度でゆっくりと日比津まで引っ張っていけばいいじゃんと思いましたが、それができないほど重傷だったのでしょうか。
もしギアボックス等の焼損がなく異臭がなかったら、そのまま走っていたのでしょうか。

素人考えですが、0系から続く新型車、軽量化のために台車の強度や材質に無理はないのでしょうか。
そんなことはないと思うけれど。

最近は、在来線の架線切れとか事故続きですね、JRは。

  

Posted by よっぱらいくま at 16:42Comments(0)TrackBack(0)新幹線

2017年11月25日

名鉄 黒野駅今昔

名鉄揖斐線の旧黒野駅を先日、訪問しました。
廃止以来、公園として整備されたり、一時期511型が里帰りしたとかの話題は耳にしていましたが、平成13年9月30日の黒野-揖斐間と谷汲線が廃止されて以来、初めて行ってみました。
景色を比較するため、昔の、現役のときの写真を探してみました。










2番3番ホームと屋根が残っています。



どうでしょうか。750型が懐かしいです。







本揖斐行き電車が主に発着していた1番線から本揖斐方の風景です。







忠節方です。







黒野-本揖斐、谷汲線が廃止された日、最終が到着したあとに、このホームの時刻表をはずしているところです。







ちょっと角度が違いますが・・・。




黒野駅舎内には最近、喫茶店もオープンしました。



廃止されてもう、15年近く経ちました。線路跡は今でもかなり、残っています。  

Posted by よっぱらいくま at 16:27Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 私鉄

2017年11月24日

北陸3セクの旅

新潟から米原まで、旧JR信越本線~北陸本線を、両端のJRを含めて、3社の三セクを通しで乗りました。前回書いた、磐越西線の旅からの続きです。

北陸新幹線が開通して並行区間が3セク化されたからは、初めての乗車です。
新潟から直江津までは、JRの特急「しらゆき」という、最近?できた特急に乗りました。約2時間の快適なJRの最新車両の旅でした。何系というのかは知りません。昔だったら485系だったのでしょうが、485系も全滅ですね。


車内で、新潟駅で買っておいた駅弁を食べました。新潟駅は種類は少ないものの、私好みの駅弁が多く、買うときは迷います。今回はこれ。私の好物が詰まっています。





新津駅の構内は広く、まだまだ磐越西線のキハ47系統が数多く見られます。これも近い将来に消えていくのでしょう。



直江津に着いて、いよいよこれから、金沢まで3セク3社の乗り継ぎです。直江津駅の乗り換え通路には、駅弁屋さんが元気に営業中です。三セク駅になってもこの姿は変わっていないようです。北陸本線と信越本線のジャンクションだった直江津駅は国鉄時代から鉄道の要衝の駅でした。EF62やEF81がごろごろとたくさんいた広い構内に今、その面影はありません。
さて、えちごトキめき鉄道に乗り込みます。直江津駅のこのホームからは、昔はEF81に牽引された旧型客車、583が改造された419系、455系急行型アコモ改造車などに何度も乗り込んだ思い出があります。直近では2010年頃に金沢と直江津を455で往復したのが最後です。
えち鉄の泊行きは、予定通りの新型気動車1両。旧客の時代なら最低でも4両か6両。455、419でも3両編成。収容力は大幅減、それでも本数が大幅に増えていれば良いけれど、JR時代と大差ないです。案の定ほぼ満席で、かろうじて2列席の通路側に座ることができました。車内は立ち客も20人くらいいます。今日は土曜日の昼過ぎ、車内の客層はあきらかに地元の短区間乗車組よりも、乗り通しそうな客が多いです。車内がクロスシートだから、秋田地区の701系なんかよりもまだましですが。
直江津を発車したあとは、昔は485系が数多く疾走していた立派な線路の国鉄大幹線を、なじみの景色を見ながら走ります。1両の気動車と各駅の長いホームが違和感満点です。
トンネル内にホームがある筒石駅で、鉄道マニアが数人下車しました。最近、朝の情報番組で上越線の土合駅が取り上げられていたけれど、こういう駅がテレビで話題になる時代になりました。私らの世代の鉄道マニアなら当たり前の情報なんですがねえ。その番組で、土合だけでなく筒石も取り上げていたら、スタッフは通だのぉ~と誉めてあげたのに。
糸魚川で、たぶん大糸線か新幹線に乗り換える客と地元客がたくさん降りて、ようやく私も窓側に座ることができました。
親不知付近で国道と高速道路が海側に現れます。


親不知駅は駅名標のデザイン以外、何も変わっていません。


この区間は、親不知子不知をまさに体現しているのが、高速道路の建設場所です。海に張り出すしか場所がなかったのです。北陸新幹線は山の中を長大トンネルで貫いていますが。


市振駅です。ここがえち鉄と、あいの風とやま鉄道との境界駅ですが、列車はすべて泊駅まで行きます。


越中宮崎駅はとやま鉄道の駅だけど、ほとんどえち鉄の気動車しか通りません。時刻表を見ると、朝晩の2本だけとやま鉄道かIRいしかわ鉄道の電車が糸魚川まで乗り入れるので、その電車が走るのみです。




泊駅で乗り換えです。
この駅でのえつ鉄ととやま鉄との乗り換えは、同じホーム同じ線路に2本の列車を入線させるという、乗り換え客に楽な方法をとっています。


富山方から泊止まりの電車がえち鉄が止まっているホームに入線。

ホームではこんな感じ。





ホームには案内板もありますが、何人かの人は、乗務員に乗り換え方法を聞いていました。


泊駅、国鉄、JR時代には、降りたことはありません。下車は初めてです。国鉄時代から、泊始発の富山方面への普通列車はありました。





窓口はあり長距離切符も買えます。

実は私は磐越西線の旅のため、郡山駅でこちら方面への通しの切符を買おうと思っていました。
郡山駅で私は、郡山発で磐越西線、信越線、北陸3セク経由、金沢、名古屋と、通しで発券してもらおうと頼みました。郡山駅の窓口の若い女性駅員は長いこと端末を操作していたけれど、発券できませんでした。
指定された私鉄を挟んで、両端が国鉄、JRでの通し発券、連絡きっぷという制度があります。そうすると両端のJR区間の距離を通算されるので、遠距離逓減が効いて安くなったのです。ただしその条件は間の私鉄は1社のみでした。しかし、北陸本線が細分化して分断されたのだから、国鉄JR時代は当たり前だけど通しで買えたのだから、私は新幹線開業のために分断された3セク鉄道なら通しで買えるものと思い込んでいました。
しかし、やはり通し発券は1社のみしかできないと、郡山駅で格上の男性駅員が何か分厚い通達集か規則を持ってきて説明されました。結局、なぜか糸魚川までしか発券できないということで、この窓口で糸魚川から泊駅までの区間の乗り越し精算をすることになったのです。所属でいえば市振までは発券できたはずだけど、よくわかりません。要するにこの区間を乗り通すには、それぞれの3セク区間を細切れに買うことになるうえ、JR区間も分断されるということです。乗り換えばかりで切符は通しで買えず、完全なサービス低下であり割高になるのです。整備新幹線の開業と並行在来線の3セク化は、どう見ても理不尽です。
泊駅から名古屋までの切符も頼んだけれど、こちらは買えたけれど通しというか、泊-金沢間の切符と、金沢-名古屋の切符を分断して買えただけです。しかもカードで支払いを頼むとJR区間は使えるけれど3セク区間は現金しかダメということでした。それでも窓口氏はちゃっかりと、金沢-名古屋の特急券はいらないのと言ってくるので、しらさぎの名古屋行きか米原行きに乗るかは決めていなかったのでとりあえず、金沢-米原の特急券はささやかながらとやま鉄道が受け取るJRからの手数料分の増収に協力するために併せて購入しました。

郡山-名古屋の運賃、JR時代と3セク化した現在を計算してみました。
JR通し 10,480円
直江津-金沢 3セク化後 12,900円
差し引き 2,420円高くなりました。そして在来線特急がなくなった分、時間もかかるようになりました。

ちなみに、上越妙高まで行って、上越妙高と金沢間を新幹線利用で計算すると
こちらは直江津-上越妙高間はえち鉄となるけれど、前後のJRは通算されるので
郡山-名古屋(北陸新幹線経由) 10,720円と、3セク経由よりも乗車券は大差ありませんが、新幹線特急券の2,590円分(自由席)がもれなく加算されます。
名古屋から富山へ行くのにも、金沢で乗り換えさせられて割高な新幹線に乗らされるのはどうかと思います。せめて金沢-富山間は隣駅扱いの特定料金の適用でもしてくれたらと思います。乗り継ぎ割引はあるけれど。


泊駅前には古い駅前食堂が健在でした。


ホームの跨線橋の柱には、古いレールがありました。


泊からは、金沢直通の電車を選んで乗りました。だって、富山の乗り換えが面倒だし、良い席に座れるかどうかもわからないし。

倶利伽羅駅もJR時代と変わりありません。いしかわ鉄道の駅名標はJRのものをそのまま使用しているようで、社名のシールが目立たないくらいの小ささで張ってありました。



金沢駅に夕方到着。ホームも駅構内も、乗降客があきらかに新幹線開業前よりも増えています。
今日は車内で酒は一滴も飲んでいないので、金沢駅名店街にあるお気に入りの店「山さん」で日本酒を飲みました。ここの鰯の刺身はやっぱり旨かったです。おでんももちろんで、いつもの倍食べてしまいました。

金沢からは、3セクに比べれば遙かに快適なしらさぎに乗って、名古屋へ帰りました。
感想としては、覚悟していたからか、直江津から金沢まで、時間はたっぷりかかったけれど、なかなか楽しかったということです(直江津-糸魚川間は除く。やっぱり1両はひどい)。最も移動だけが目的だったら、選択肢にはならないでしょうね。しらゆきで上越妙高まで行って、北陸新幹線に乗り換えて金沢へ向かった方が賢明でしょう。
  

Posted by よっぱらいくま at 17:47Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2017年09月25日

新津鉄道資料館

新津鉄道資料館へ行ってきました。


新津駅からゆっくり歩いて30分弱くらいあります。
新津は鉄道の町、西の米原、東の新津と呼ばれたくらい、鉄道の要衝の地であり鉄道を中心に栄えました。
個人的には米原は学生の頃からなじみがありますが、新津を下車してゆっくり歩くのは初めてでした。

街中、鉄道の街としてアピールしています。
こんな看板があちこちの店の前にあります。


200系新幹線とC57が入口で出迎えます。


展示物の数々。





こんな時刻案内板は最近まで当たり前にあった気がしますが、過去のものとなりました。



懐かしい券売機です。
私が小学生から高校生の頃までは、当たり前の存在でした。


大人用のボタンと、子供用のボタンにはカバーがありました。

カバーを開けると。

子供用のボタンを押していた時代が、私にもありました。


単金額のもの。最低区間の30円用が一番たくさん並んでいた記憶が鮮明です。

窓口のきっぷを収納していた箱と、日付打刻機。




気動車の代表的エンジン、DMH17形式のエンジン内部と銘板。




操車場内の鉄塔にあったという、巨大な時計盤



懐かしい構内案内表示板。


急行型電車や客車、寝台車のデッキ出入口の壁に必ずあった、路線図。


手荷物、小荷物の受付に、小駅には窓口前なんかに必ず置かれていた秤。


MT54型電動機の銘板。


赤谷線の終点、東赤谷駅のポイント制御盤。
構内の勾配と線路の配置状況から、本線から駅へスイッチバックで進入するという、特殊な駅でした。




新幹線200系の連結器とカプラー。
細かい端子が無数にあって、車両間に情報を伝えていました。






毎度おなじみ、新幹線の排障器。今回は200系。
以前の記事、0系他はこちら
新幹線の排障器


200系はスノープロウとしての役割が強調された形状です。









裏側。

200系は床下機器がボディマウントされているので、着雪を防げたため、この強力な排障器で雪をラッセル、はね飛ばして高速走行できたのでしょう。


東海道新幹線0系も当初は雪を飛ばして通常走行する目論見でしたが、床下への着雪のため、ラッセル走行での通常運転はできませんでした。
沿線へのスプリンクラー設備も、上越新幹線ははんぱない威力でした。

E4系新幹線。
E何系という形式になってから、私は新幹線の形式名と実物を暗記できていません。


排障器の形状は200系から踏襲しているように思います。




車輪とディスクブレーキ。


妻面。





ロータリー除雪機とDD14。





E4系と115系


115系のブレーキ


115系の抵抗制御器ボックスと冷却ファン吸い込み口。
抵抗制御はたくさんの熱を排出するので、いまでいうエコではありません。



485系交直両用特急用電車、架線さえあればどこでも走れた万能な電車。日本各地を走った名車です。1970年代の特急の代表車。
現地では気がつかず、写真を見て気がつきましたが、屋根上の前照灯が2つ目です。
この車両は、もともと特急「いしかり」用に製造された、北海道仕様の耐寒耐雪仕様の485系1500番台ですね。
改造されているようなので、車番は変わっていたかな。車番の写真撮っていませんでした。




排障器。車体前面と、台車部と二重に取り付けられています。






銘板


車輪とディスクブレーキ


連結器


給水口


水タンクと空気溜め


洗面所の排水口


ここにトイレの汚物処理装置があったはずですが、取り外されているようです。
便器からの接続部にブルーシートがかけられていて、循環水が通るパイプも切断されています。







新津鉄道資料館は、さいたまやリニアや京都よりも規模は格段に小さいですが、マニアックなものがたくさん展示されている気がします。
昭和の券売機は、ここで初めて見ることができました。他のところにあったかな?
子供連れや素人には楽しめないかもしれないけれど、筋金入りのマニアには向いている気がしました。
私は気に入りました。人が少ないからのんびりゆっくり見られるのも良い点です。  

Posted by よっぱらいくま at 16:28Comments(1)TrackBack(0)イベント

2017年09月25日

磐越西線の旅

本当に久しぶりに、郡山と新津を結ぶ磐越西線に乗ってきました。
純粋な鉄旅も久しぶり。

最後に磐越西線に乗ったのは、まだ50系客車が走っていた頃、午後の客車列車で会津若松から新津まで乗り通したときだと思います。平成一桁だろうから、かれこれ20年以上ぶりです。
JR東のローカル線は、新型気動車ばかりだし、たいして期待もしていなかったのだけど、まだ残っているんですね、キハ47系気動車が。

郡山から会津若松は快速電車で移動。夕方の電車だったけれど、結構空いていて、これも約1時間の乗車を楽しみました。
秋の夕暮れ時、車窓から見る会津盆地の景色はきれいでした。

雲間からもれる斜光。秋のこういう景色、大好きです。秋だなあと感じます。

この日は会津若松に宿泊。
おいしい料理と地酒を楽しみました。なかなか良い店でした。若い大将が気さくな方で、おすすめの地酒を順番に薦めてくれました。


〆には、喜多方ラーメン。駅前のこの店のラーメンは基本の味。
鶏ガラと豚のスープは、豚味がやや強い、私好みの味でした。濃厚とかこってりとかの今風にない安心できる一杯でした。


宿泊したホテル、今時一泊4500円。バイキングではない、和食か洋食が選べる古いシステムの朝食と、近隣のスーパー銭湯の無料券がついて、この値段は安い。


会津若松駅前は、旧貨物扱いホームの屋根が残っていて、鉄道が活躍していた時代が偲ばれます。
わかりずらいけれど、左が駅舎、右が旧貨物取り扱いホーム跡。


会津若松駅、磐越西線はここで行き止まり。逆方向に進んで行きます。
只見線は、郡山方面からの列車と同じ向きに発車します。


折り返しとなる新津行きが到着。通勤通学客がそれなりに乗っていました。
期待したとおり、キハ47でした。さあ、旅の始まりです。


8時14分定時発。もう学校には間に合わない時間なので高校生は乗っていないとふんでいたけれど、思ったよりも高校生が乗っています。
約15分で列車は喜多方駅に到着。高校生は喜多方で降りるのかなと思っていたけれど、誰も降りません。すでに8時30分をまわっているけれど・・・。
そして、8時41分着の次の山都駅で高校生はみんな降りてしまいました。列車時刻に合わせて学校の始業時間は9時からにしているのかな。
ここですべての客が降りてしまい、車内は貸し切り状態に。

途中、尾登駅からおばあさんが乗ってきましたが、次の野沢駅で降りました。
野沢駅は9時2分着、そして発車は27分。なんと25分間も停車するのです。
昔みたいに途中駅で長時間停車する鈍行列車は、ほとんどなくなっていますが、こんなところに生きていました。
他の客は、鉄道ファンらしき客1人と私以外、ゼロ。よそ者の私ともう一人がいなければ、普段は客ゼロとなるのでしょうか。

良い雰囲気です。昔の旅のように、途中下車して、駅前を散歩しました。
今日は夜、新潟で学生時代の友人と会い、飲む約束をしているので、今日は列車内では飲むまいと決心していましたが、こんな良い雰囲気の汽車旅となってしまったからには、飲まざるを得ません。(どういう意味だか・・・)

典型的なローカル線の途中駅の駅前通りを歩き、昔ながらの酒屋をやっと見つけました。
コンビニなんて皆無です。駅から離れた主要道路沿いには、どんな田舎でもコンビニとか今風の大型商業施設があるのだろうけれど、駅近辺は時間が止まっているような景色であることが、ローカル線の駅周辺の典型です。
まだ9時過ぎだけど、酒屋は開いていて、店のおばあちゃんと地元のおばあちゃんが話し込んでいました。
アルコールが手に入ったことに感謝して、駅へ戻りました。

野沢駅、昔は急行も停車した駅です。
待合室には、ストーブがあったことを示す穴が天井にあります。冬季には石油ストーブを今でも置くのでしょうか。






待合室には、古い写真が多数展示されていました。


発車を待つ列車。25分間の停車時間、駅前を歩いて買い物もできて、写真もたくさん撮りました。



停止位置標に「雪」の文字が各駅にありました。



もう、ホームで飲み始めちゃいました。プシュー。



発車を待つ間、車掌さんともお話しをしました。この列車のスジは以前から変わっていないとのことで、野沢駅での長時間停車は変わっていないようです。景色の良いところとか、次の長時間停車駅も教えてくれました。
この親切な若い車掌さん、なんと純粋な白人系の外人さんだったのです。聞くと生まれは外国だけど、育ちは日本とのことで、車内放送とか言葉は、顔立ち以外は日本人となにも区別できませんでしたが、ネームプレートはしっかりとカタカナでした。JR入社から5年だそうです。こういうのを本当のグローバル化というのでしょうね。JR東、好感が持てました。

野沢駅を発車してからは、窓を全開にして外の景色を楽しみました。冷房も暖房も不要な、この貴重な日、この季節、窓を開けられる列車に乗れたことはなんと幸運なことでしょうか。
今や、ボックスシートで窓を開けて外の景色を楽しめる列車なんて、日本中探しても貴重なものでしょう。








窓を開けたトンネル内は轟音です。冷房車ではない昔は、真夏なら当たり前だったのになあ。トンネル内の冷気が心地よいです。煉瓦積みのトンネルの壁に、磐越西線の歴史を感じます。煉瓦積みトンネルの壁を間近に見るのは、廃線跡巡りみたいです。


徳沢駅でも、交換待ちで10分弱停車。
駅舎は郵便局を兼ねていました。





窓が開いているところが、私の席。


上りの快速は、新型気動車。あちらよりもこっちが断然良いですわ。


通過する快速と車掌さん。

津川駅でも20分近く停車。駅前を散歩しましたが、とくに何もありません。


福島から新潟への県境区間の、野沢から津川は乗客の流動がほとんどないということが、よくわかりました。土日だと別の顔を見せるのでしょうけれど。

典型的な駅前の住居地図看板。名前のある駅の隣の酒造所とか、ほとんど現存していません。




さきほど買った缶ビール2本でほろ酔いですが、飲み足りなくなったらと念のために買っておいた缶チューハイに手を出しました。何気なく賞味期限を見たら、月単位ではなく年単位で切れていました。ビールはいつものクセで製造年月は必ず買うときに確認しますが。田舎の酒屋でたま~にあるんですよね。でも、あそこで朝から営業していて酒が手に入ったことに感謝。いつまでもお店が存続することを願っています。缶チューハイ、もちろん飲みました。ビールと違って缶チューハイは、味はほとんど変わっていませんでしたので、おいしくいただきました。

五泉あたりからボチボチと乗客も増え始めましたが、混雑することなく新津に到着しました。
本当に久しぶりの、昔ながらの汽車旅を満喫しました。窓を開けて景色を何時間も楽しんだなんて、20年以上ぶりくらいかもしれません。窓を開けられる貴重な季節、時期、天候に巡り会うのは、運だと思います。
学生時代、夏の山陰本線を窓を開けた旧型客車に一日中揺られたあと、体じゅうがDD51の排気ガスと鉄臭くなったものですが、今回も近いものがありました。

到着した新津駅近くの「大将ラーメン」という店で昼食を摂りました。シンプルにラーメンを頼んだのですが、ナルト、チャーシュー、しなちく、ネギ、そしてホウレンソウが乗った、懐かしい東京ラーメン風でした。味もくどくなくおいしかったです。こういう店、近所にはないんですよね。



このあと、新津鉄道資料館へ行ってきました。
新津鉄道資料館






  

Posted by よっぱらいくま at 12:28Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2017年09月11日

小田急 列車火災事故

小田急の電車が、沿線火災で類焼してしまった今回の事故。

ニュースを見る限り、小田急側には、まったく非はないようだ。

最初は、運転士が独断で停車させたのかなと思った。
だけど、今日のニュースで、火災の消火活動のために、消防と警察が、踏切の非常ボタンを押して列車を強制停車させたらしい。
なんと愚かな行動であろうか。
小田急の列車司令と相談して、やるべきだろう。
現場のバカ消防署員と大馬鹿警察官が独断で行動したのだろう。
ど素人の消防と警察に何の権限があるのか。

消防署員が、「電車が燃えている、止めろ~、早く避難させろと」車掌に向かって、でかい態度でわめいている。
おまえらが電車を止めたんだろう。
非常ボタンを押されたら、運転士は何もできない。

非常ボタンを押した警察官、それを指示した消防。
どちらも列車往来妨害罪だな。

警察と消防は責任を取れ。
大惨事を招きかねない行動を猛省して謝れ。
小田急は、警察と消防に、燃えた電車の修理費は請求するべきです。

マスコミは、警察と消防の浅はかな行動を糾弾するべきだ。  

Posted by よっぱらいくま at 21:24Comments(0)TrackBack(0)事故・災害

2017年09月10日

京浜急行 大森町・梅屋敷駅界隈 今昔

私が育った街、大森、梅屋敷界隈の昔の写真と最近の写真で比較してみました。


平成5年頃の大森町駅です。


上の写真とほぼ同じ場所、平成25年、高架化が完成した頃です。




平成5年頃、梅屋敷駅前です。地平を電車が走っています。


これも上の写真とほぼ同じ場所、高架完成直後です。



あとは、懐かしい写真があったので・・・。

私がかよっていた大森幼稚園です。昭和44年。


平成5年頃、立ち寄ったときの写真。上とほぼ同じ場所から撮れています。


大森幼稚園の正門 平成5年頃


同じく平成25年




みはら通りの内川です。平成5年。


平成25年。



たまに、生まれ故郷を見たくなって、訪れてしまいます。
定点を比較すると、時のうつろいを感じます。







  

Posted by よっぱらいくま at 15:59Comments(0)TrackBack(0)商店街・街並散歩

2017年09月09日

急行 東海号

静岡駅のしゅうまいの話しを前にしました。

静岡駅 東海軒のしゅうまい

静岡駅と言えば、急行東海のことを書かねばなりません。

私は晩年の東海号しか知りません。
新幹線開業以前は、東京と名古屋・大垣間を日に何本も走っていましたが、東京-静岡間を2往復していたのが最後です。
私は特に4号、静岡発東京行きが好きで、岐阜・名古屋から東京へ行く際には、何度も利用しました。
夕方17時前に発車していた東海4号、165系12両編成、大垣夜行との共通運用、165系のボックスシート、特に混むこともなく、終着東京までワンボックス1人でのんびりできました。

そして、その東海4号に乗るときに必須なのが、静岡駅の東海軒のしゅうまいだったのです。
缶ビールロング缶2本と静岡駅のしゅうまいは、東海号乗車時の必須アイテムだったのです。
東京駅まで約3時間弱、165系ボックスシートでしゅうまいをつまみながらビールを飲む旅は、至福の時でした。

そんな165系東海号の最終日の写真です。
愛着ある165系東海号がなくなるということで、是が非でも乗らねばということで。
もちろん、最終となる静岡発の4号です。
写真の日付を見ると1996年(平成8年)3月15日です。もう20年以上前。そんなに経つのかという思いです。






グリーン車は大垣夜行に乗るときは愛用しました。























大学のときの友人と2人で乗りました。
大量のビールとつまみを買い込み、165系東海を惜しみながら、居酒屋東海号でした。



さようなら~


東京駅到着。東京駅にはたくさんの鉄道ファンが集結していました。


東海号はその後、373系特急となり、走り続けましたが、たしか10年くらい前に廃止されました。
大垣夜行も373系使用の「ムーンライトながら」となりましたが、今は定期運転はなく、青春18きっぷの時期だけの臨時となりました。
今でも深夜の静岡駅で、出来たての幕の内弁当を売っているのでしょうか?売ってませんよね、臨時では人のやりくりや、製造工場の稼働とか無理ですよね。それに今はみんな、コンビニで買ってますもんね。食べ物類は。

ちなみに私、373系になってからは、特急東海もムーンライトながらも、一度も乗ったことがありません。
私にとっては、165系でなくなった時点で、東海号は廃止されたのです。




  

Posted by よっぱらいくま at 16:24Comments(0)TrackBack(0)懐かしの列車

2017年08月20日

1975年東京-有楽町間

東京駅から有楽町間で撮った写真です。


0系新幹線です






ボケていてよくわからないけれど、上の写真は101系の京浜東北線と山手線、下は103系の山手線です。  

Posted by よっぱらいくま at 15:53Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2017年08月19日

北陸号

寝台特急 北陸号が廃止されて7年経ちました。

名古屋から東京へ行くときに、わざと米原から北陸ルートで行くこともよくありました。
その逆もまたしかり。

2010年3月9日、金沢駅での最後に立ち会ったときの写真です。

隣のボンネット489は、上野行、急行「能登」です。













  

Posted by よっぱらいくま at 16:22Comments(0)TrackBack(0)懐かしの列車