2016年04月10日
名松線 復活
今回のダイヤ改正で、名松線の家城-伊勢奥津間が復旧した。
中部地方ではそれなりにニュースとなっていて、まずはめでたい。
正直、私としては北海道新幹線の開業よりも、こちらの方が嬉しかった。
名松線は、名張と松坂を結ぶことを目的に建設されたが、途中の伊勢奥津でストップしてしまった、中途半端な路線ではある。
台風で利用者の少ない末端区間が不通となり、放置されてきたが、地元とJRで負担しあってやっと復旧した。
民間企業のJRとしては復旧に金などかけず、、採算の見込めない区間は廃止したかったのだろう。
ニュースで観た地元の熱意、鉄道で行けるところへはクルマを使わずに、ぜひとも名松線を使ってほしいと思うけれど、いかんせん、本数が少ない。
そんな名松線、伊勢奥津駅を昭和61年に撮った写真があったので。
キハ58とキハ30の2両編成でした。
古い駅舎。この頃はローカル線では当たり前の風景でした。
駅前の風景
蒸気機関車時代の給水塔、木柱とホーローの駅名標
この先、名張まで結ばれることはなく・・・
松坂と伊勢奥津を結んでいた証
これらの風景が今でも残っていたら、歴史遺産として、肥薩線のようにしたら、観光客をたくさん呼べたのかもしれません。
中部地方ではそれなりにニュースとなっていて、まずはめでたい。
正直、私としては北海道新幹線の開業よりも、こちらの方が嬉しかった。
名松線は、名張と松坂を結ぶことを目的に建設されたが、途中の伊勢奥津でストップしてしまった、中途半端な路線ではある。
台風で利用者の少ない末端区間が不通となり、放置されてきたが、地元とJRで負担しあってやっと復旧した。
民間企業のJRとしては復旧に金などかけず、、採算の見込めない区間は廃止したかったのだろう。
ニュースで観た地元の熱意、鉄道で行けるところへはクルマを使わずに、ぜひとも名松線を使ってほしいと思うけれど、いかんせん、本数が少ない。
そんな名松線、伊勢奥津駅を昭和61年に撮った写真があったので。
キハ58とキハ30の2両編成でした。
古い駅舎。この頃はローカル線では当たり前の風景でした。
駅前の風景
蒸気機関車時代の給水塔、木柱とホーローの駅名標
この先、名張まで結ばれることはなく・・・
松坂と伊勢奥津を結んでいた証
これらの風景が今でも残っていたら、歴史遺産として、肥薩線のようにしたら、観光客をたくさん呼べたのかもしれません。
2016年04月09日
川越線 電化開業の日
昭和60年9月30日、川越線が電化開業、同時に大宮駅での地上ホームからの発着はなくなり地下ホーム発着となり、埼京線の開業と併せて、川越から池袋まで直通運転が開始しました。
こんなヘッドマークが付けられてました。
開業当日の川越駅西口。田舎駅舎でした。今では考えられない・・・
開業式典です。
開業前夜 キハ35系さよならは こちら
こんなヘッドマークが付けられてました。
開業当日の川越駅西口。田舎駅舎でした。今では考えられない・・・
開業式典です。
開業前夜 キハ35系さよならは こちら
2016年04月09日
川越線電化開業前夜
昭和60年9月29日、川越線の電化開業に伴い、キハ35系が廃止されました。
非電化最終日の様子です。
大宮駅 地上ホーム最期の表示。東飯能の表示も。
大宮駅でのお別れ式典。
到着した川越駅で、駅員さんとキハ35
川越駅では最終列車到着後、線路の改良工事が一晩行われました。
この様子を朝までホームで見物していました。
普段なら最終が着いたらいられないだろうけれど、この日は追い出されることもなく、特別の夜でした。
工事が終わり、一番電車が入線しました。
このあと、電化開業式典はこちら
非電化最終日の様子です。
大宮駅 地上ホーム最期の表示。東飯能の表示も。
大宮駅でのお別れ式典。
到着した川越駅で、駅員さんとキハ35
川越駅では最終列車到着後、線路の改良工事が一晩行われました。
この様子を朝までホームで見物していました。
普段なら最終が着いたらいられないだろうけれど、この日は追い出されることもなく、特別の夜でした。
工事が終わり、一番電車が入線しました。
このあと、電化開業式典はこちら
2016年04月09日
川越線電化開業前 オイラン
前にも載せた気もしますが、川越線電化開業前の軌道限界測定車?通称オイラン列車です。
103系と無蓋貨車でつながっています。
昭和60年、川越線電化開業前の夏の日。
電化工事も終わり、このような珍しい列車を偶然見ました。
自転車で巡っていたときのものです。
103系と無蓋貨車でつながっています。
昭和60年、川越線電化開業前の夏の日。
電化工事も終わり、このような珍しい列車を偶然見ました。
自転車で巡っていたときのものです。