2019年07月28日
ゲゲゲの鬼太郎 第66話 隠れ里
私は毎週、日曜日の朝、ゲゲゲの鬼太郎を観ています。
今日の回は、せつなく悲しかったです。
江戸時代に神隠しにあった子たちが、現代に帰った途端に、死んでしまう。
200年のときを経て、生きていることは叶わず。
鬼太郎が何も語らず、目だけで覚悟を問う。
人は、永遠に生きることは自然に反すること。
死ぬこともまた、幸せなことなのか・・・。
不慮の事故、京アニのような不幸な出来事での死。
それは違うと思う。
若くして病で死ぬことは・・・・・・。
ただ、天寿を全うして、認知症にもならず介護にも頼らず、死ぬことが一番幸せな死に方と思う。
映画「家族」の笠智衆のような死に方が良いと思う。
今回の鬼太郎は、いろいろ思い出して、泣けてしまいました。
「隠れ里から解放されたんだ」
鬼太郎のこのセリフ、重い。
生きること、死ぬこと、避けられないこと、だけど、当たり前のこと。
今日の回は、せつなく悲しかったです。
江戸時代に神隠しにあった子たちが、現代に帰った途端に、死んでしまう。
200年のときを経て、生きていることは叶わず。
鬼太郎が何も語らず、目だけで覚悟を問う。
人は、永遠に生きることは自然に反すること。
死ぬこともまた、幸せなことなのか・・・。
不慮の事故、京アニのような不幸な出来事での死。
それは違うと思う。
若くして病で死ぬことは・・・・・・。
ただ、天寿を全うして、認知症にもならず介護にも頼らず、死ぬことが一番幸せな死に方と思う。
映画「家族」の笠智衆のような死に方が良いと思う。
今回の鬼太郎は、いろいろ思い出して、泣けてしまいました。
「隠れ里から解放されたんだ」
鬼太郎のこのセリフ、重い。
生きること、死ぬこと、避けられないこと、だけど、当たり前のこと。
2019年07月20日
鉄道と飲料水
最近の新聞記事で、ペットボトルを消費せずにマイボトルを持ち歩き、街中でマイボトルに給水できる取り組みが進んでいて、給水ステーションみたいのができ始めているとのこと。
若い人の声、「タダで水が飲めるなんてすごい。」
うーむ、ちょっと待て。
近頃は駅でも、車中でも自由に水が飲めなくなってきているのは事実。
水が飲みたければ、自販機なりで金を出して水を買う時代となってきました。
しかし、ひと昔前までは鉄道の駅でも特急などの車中でも、自由にタダで水が飲めたのです。
これは京都鉄道博物館で撮った、新幹線0系の冷水器。
国鉄の新幹線、特急、寝台列車にはすべて、デッキに冷水器があって、自由に水が飲めた。
薄っぺらい紙コップを引き出して、それを拡げて水を入れた。
旅の楽しみでもあった。
寝台車のはこういう冷水器だった。良い写真がありません。
写真は能登中島駅に留置展示中の郵便車のものを車外から撮ったもの。
昔は当たり前にあったので、冷水器を撮影する意識もありませんでした。
国鉄、私鉄の駅のホームにも冷水器や水飲み台があったし、東京や名古屋の地下鉄のホームにも冷水器があったものです。
水筒、今で言うマイボトルを持ち歩いていても、給水には不自由しなかったはずです。
というか、デパートとか商業施設にも必ず冷水器はあったし、街中でもいくらでも水飲み場はありました。
マイボトルなど持ち歩かなくても、水を飲むのに不自由はしませんでした。
新幹線も300系までは冷水器があっけれど、700系からなくなって、それに合わせて300系からもわざわざ撤去されていきました。
700系までは自販機があったけれど、N700系からは自販機も当初からなくなり、既存の700系からも自販機は撤去されていきました。
名古屋の桜通線のホームにも平成10年代前半?までは冷水器があったけれど、いつの間にか撤去されて久しいです。
こだま号に乗ったら車販もないし、冷水器もないしで、薬を飲むときや、非常時に長時間駅間で停車したらどうするのと疑問を前に書きました。こちら
ペットボトルの台頭と冷水器の削減は一致しています。
水は金を出して飲め、そういう時代がペットボトルゴミを生み環境に負荷をかけてきたのでしょう。
昔の方が鉄道会社の飲料水提供体制については、今よりもサービスが良かったのは事実でしょう。
国鉄時代には当たり前だったサービスが、民営化になって、なんでなくなるのでしょうかね。
鉄道ジャーナルでも、「鉄道に冷水器があった時代」とかの記事を特集してほしいな。
自分で撮った冷水器の写真、ありました。
高校生のとき、たぶん昭和54年、さくら号です。
若い人の声、「タダで水が飲めるなんてすごい。」
うーむ、ちょっと待て。
近頃は駅でも、車中でも自由に水が飲めなくなってきているのは事実。
水が飲みたければ、自販機なりで金を出して水を買う時代となってきました。
しかし、ひと昔前までは鉄道の駅でも特急などの車中でも、自由にタダで水が飲めたのです。
これは京都鉄道博物館で撮った、新幹線0系の冷水器。
国鉄の新幹線、特急、寝台列車にはすべて、デッキに冷水器があって、自由に水が飲めた。
薄っぺらい紙コップを引き出して、それを拡げて水を入れた。
旅の楽しみでもあった。
寝台車のはこういう冷水器だった。良い写真がありません。
写真は能登中島駅に留置展示中の郵便車のものを車外から撮ったもの。
昔は当たり前にあったので、冷水器を撮影する意識もありませんでした。
国鉄、私鉄の駅のホームにも冷水器や水飲み台があったし、東京や名古屋の地下鉄のホームにも冷水器があったものです。
水筒、今で言うマイボトルを持ち歩いていても、給水には不自由しなかったはずです。
というか、デパートとか商業施設にも必ず冷水器はあったし、街中でもいくらでも水飲み場はありました。
マイボトルなど持ち歩かなくても、水を飲むのに不自由はしませんでした。
新幹線も300系までは冷水器があっけれど、700系からなくなって、それに合わせて300系からもわざわざ撤去されていきました。
700系までは自販機があったけれど、N700系からは自販機も当初からなくなり、既存の700系からも自販機は撤去されていきました。
名古屋の桜通線のホームにも平成10年代前半?までは冷水器があったけれど、いつの間にか撤去されて久しいです。
こだま号に乗ったら車販もないし、冷水器もないしで、薬を飲むときや、非常時に長時間駅間で停車したらどうするのと疑問を前に書きました。こちら
ペットボトルの台頭と冷水器の削減は一致しています。
水は金を出して飲め、そういう時代がペットボトルゴミを生み環境に負荷をかけてきたのでしょう。
昔の方が鉄道会社の飲料水提供体制については、今よりもサービスが良かったのは事実でしょう。
国鉄時代には当たり前だったサービスが、民営化になって、なんでなくなるのでしょうかね。
鉄道ジャーナルでも、「鉄道に冷水器があった時代」とかの記事を特集してほしいな。
自分で撮った冷水器の写真、ありました。
高校生のとき、たぶん昭和54年、さくら号です。
2019年07月06日
白い滑走路、Gメン75
スマホの契約をギガホに変えたので、YouTubeで動画見放題です。
私が小学生の頃の、田宮二郎主演の「白い滑走路」、大好きでした。
オープニングを聴き見ながら、今は亡き両親
を思い出します。
あの頃まだ、両親は今の自分よりもはるかに若く元気でした。
見ててなんか、泣けてきちゃうんですよね。
銀色の腹の747を見て、昔をこうだったよなあ。
高度成長期、今みたいにせこい時代ではなかったと思います。
昔の映像をネットで見られるのは、とても楽しく幸せなことです。
Gメン75、これも大好きでした。
YouTubeで懐かしい映像を見ています。
丹波哲郎が、今の私より若いことにショックです。
出演者がみんな、今の自分よりもはるかに若いです。
当時子供の自分にとって、出演者がみんな、格好いい大人でした、憧れていました。
今の自分が格好いい大人になっているか、はなはだ疑問です。
私が小学生の頃の、田宮二郎主演の「白い滑走路」、大好きでした。
オープニングを聴き見ながら、今は亡き両親
を思い出します。
あの頃まだ、両親は今の自分よりもはるかに若く元気でした。
見ててなんか、泣けてきちゃうんですよね。
銀色の腹の747を見て、昔をこうだったよなあ。
高度成長期、今みたいにせこい時代ではなかったと思います。
昔の映像をネットで見られるのは、とても楽しく幸せなことです。
Gメン75、これも大好きでした。
YouTubeで懐かしい映像を見ています。
丹波哲郎が、今の私より若いことにショックです。
出演者がみんな、今の自分よりもはるかに若いです。
当時子供の自分にとって、出演者がみんな、格好いい大人でした、憧れていました。
今の自分が格好いい大人になっているか、はなはだ疑問です。