2015年11月20日

電略記号

国鉄時代、駅名電略記号がありました。
それと、鉄道管理局と所属を組み合わせた記号が、車体に記載されていました。
思いつくまま書いていきます。

筆頭で思いついたのは
南シナ
名門、東京機関区とともにあった、九州ブルトレの客車を管轄する客車区です。
意味は、東京「南」鉄道管理局 「品」川客車区の「南」と「シナ」です。

田町電車区
南チタ
タマチの3文字の中を逆さに。
名門電車区です。

次は西の名門
大ムコ、大ミハ
大阪鉄道管理局、向日町、宮原 です。
どちらもたくさん優等列車がわんさかいました。

米子鉄道管理局 出雲市は  米イモ でした。

門司鉄道管理局
東唐津は珍しく3文字  門ヒカラ
門司港は  門モコ
南福岡 門ミフ
門サキ 長崎
です。

鹿児島鉄道管理局
鹿カコ

大分鉄道管理局
分イタ  大分を分解

熊本鉄道管理局
熊クマ  熊本

名古屋鉄道管理局
名カキ 大垣です。大垣電車区。
347M、大垣夜行の165系が目に浮かびます。
名ナコ そのままです。名古屋
名シン 神領です 中央西線の列車群の基地

静岡鉄道管理局
静シス 字のごとく 静岡のシス
たくさんの113系が。

北オク
東京北鉄道管理局 尾久 です。
北ミヤ 大宮です。
北ハエ 川越です。

まだたくさん記憶があります。
続けます。




 


  

Posted by よっぱらいくま at 21:03Comments(0)TrackBack(0)豆知識

2015年11月15日

EF66とEF200

鉄道ジャーナルを読んでいたら、興味深い記事がありました。

平成になってから、JRになってから新造されたEF200の方が、国鉄時代それも昭和40年代に製造されたEF66よりも先に全廃されそうだとのこと。
要は、新しい方が最新技術を採用しているので、20年以上経った今、逆に修理が難しいからだとか。EF66の方が国鉄時代の技術なので、今でも汎用部品があり、修理がしやすい、修理できるということ。
それと、国鉄時代の車両は長持ちさせる前提で製造されていたから、とにかく頑丈、そして、たくさん同じ形式を作っているから、さらに他形式の部品も共通、流用できるみたい。
トランジスタラジオは素人でもハンダ付けくらいできるけれど、パソコンのCPUは修理できないということ。

そういうものなんだと思いました。知りませんでした。

家電製品も、今の製品は修理よりも新品を買う方が簡単なのと同じ。
電車まで、家電製品と同程度になっているようです。

EF200は6000KWの化け物パワーを持て余したのも、廃車を早めた原因かもしれません。
電気をバカ食いするので結局、そのパワーを使えなかったとか。
EF66は3900KW、それでもEF65の2550KWと比べてデビュー当時はその性能は突出していたんだけどねえ。
そんな数字は今でも覚えている自分は・・・、生活上なんの役にもたちません。

有楽町線の7000系も、デビュー当初はサイリスタチョッパの独特の音がしていたけれど、今は保守できない、部品がないので、VVVFインバータ制御に一式交換しているなんて、まったく知りませんでした。
確かに現在、東武東上線に乗り入れる7000系に乗っても、あの独特の加速音はまったくしませんね。
そんなことも知らなかったなんて、情けないというか、歳をとりました、私も・・・  

Posted by よっぱらいくま at 16:34Comments(0)TrackBack(0)車両

2015年11月15日

昭和の北海道2

昭和の北海道、続きです。


網走駅0番ホームの湧網線の気動車。
ローカル線は、始終点の幹線駅の0番ホーム発着が多かったです。



中湧別駅
湧別-中湧別間は盲腸線でした。


途中に「四号線」という臨時乗降場がありましたが、全国版時刻表には載っていないもので、北海道にはいくつかそういう駅がありました。





湧別駅は結構乗降客も多くて、立派な駅でした。



厚床駅





富内駅






日高町駅



十勝三股駅は、代行バスで運行を続けた列車運行休止線でしたが、そのまま本体そのもの廃止されました。
  

Posted by よっぱらいくま at 15:38Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2015年11月15日

昭和の北海道

「昭和の・・・シリーズ」です。

今回は北海道。
大学生のとき、乗りまわった北海道内の国鉄。
今は亡きローカル線も、多数写真があります。





湧網線 常呂駅



函館本線 森駅





名寄駅 
急行天北が増結されるところ



釧網本線
客車列車の交換















三菱 南大夕張駅
映画「駅」の世界そのものです。
寂れた炭鉱の街の夕景は、心に深く残っています。
私が、「効率」とか「競争」とか「改革」とか「コスト」とかいう世の中の風潮に疑問を持つきっかけとなった風景かもしれません。
宮脇俊三の著書の中に「不満の多い人は、一度夕張に行くとよい」というような趣旨のことが書かれていました。その言葉がよく理解できる、南大夕張駅前の風景でした。
3軸ボギー台車はジョイント音が、独特の走行音がしました。
普通の2軸台車なら、「タタッ、タタン」だけど、3軸は「タタタン、タタタン」と。
客車はストーブ列車、それが当たり前の風景でした。







音威子府駅に進入する急行「天北」は、晩年は14系客車になりました。
そして、直後に天北線は廃止されました。あれから30年近く経ちます。










  

Posted by よっぱらいくま at 15:26Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2015年11月14日

肥薩線

高校生のときに旅した肥薩線、人吉-吉松間です。
この頃は普通列車は、貨物と旧客が混結された混合列車でした。
さすがにこの頃でも、全国的に珍しいものでした。大畑駅周辺のループ線、真幸駅の京都の寺社庭園のごとき掃き清められ模様のついたホームなどなど、とても良い雰囲気の区間でした。
今ではそれを利用した観光路線に特化し、たくさんの観光客が訪れる路線となりました。

昭和55年の写真です。

真幸駅









大畑駅














矢岳駅





連結しているのは貨物




昭和58年頃
大学時代に行ったとき、駅長さんに駅舎内に招かれました。














  

Posted by よっぱらいくま at 17:21Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2015年11月08日

鉄道の蒸気暖房

鉄道の暖房は電気暖房が当たり前だが、ひと昔前まで走っていた客車列車の暖房は、機関車から供給される蒸気によるものだった。
20系の誕生以来、固定編成の客車は電源車から供給される電気による暖房となったり、北陸線や東北線の客車は旧型であっても、機関車から供給される電気暖房が併設され電気が主であった。機関車のSG非搭載が多かったのだろう。その代わり客車牽引用のED75などには、電暖供給中を示す機関車のオレンジ色の側灯が輝いていた。
晩年まで蒸気暖房だったのは、山陰本線や九州と北海道だった。

もともと蒸気機関車時代は、動力用の蒸気を客車にも回して暖房していた。しかし、ディーゼル機関車や電気機関車となると、暖房用の蒸気発生装置(SG:Steam Generetor)を搭載して蒸気を供給していた。

蒸気暖房は、客車の壁際の足元に沿ったカバーの中にパイプが通り、その中に蒸気を循環させて車内を暖めた。車内に流量調整用のバルブがあり、車掌さんがときおりバルブを調整して車内温度を保っていた。
蒸気暖房はとても心地よいもので、電気暖房よりも優しく感じた。真冬の朝、始発列車に乗り込むと、機関車が連結されて蒸気がパイプの中を循環し始めて、熱により冷えていたパイプが膨張する「カキン、パキン」という独特の音がしたものだ。あの雰囲気はよかった。

それと気動車も昔は基本、蒸気ではないけれど、エンジンの熱で温まるラジエーター水を車内に回して暖房していたので、電気暖房とは違う良さを感じます。こちらも車掌さんが車内のバルブを調整して車内温度を調整していました。
クルマと同じ仕組みですね。
でも、最近の気動車はエンジンで発電している電気を使った暖房なのかな?



蒸気暖房の列車です。


こんなふうに、各車両から蒸気をもうもうと吐き出していました。




機関車のSGから立ち上る蒸気。









ゴハチにもSGが搭載されていました。牽引している荷物列車は「貨物」ではなく、旅客列車です。



北海道のED76 500番台牽引、14系ニセコ号です。
地平ホーム時代の札幌駅。





はやぶさとの交換待ちの鹿児島本線単線区間の旧客列車も、冬は蒸気を吐いていました。


今でも、JR東のイベント用の蒸気機関車運転の旧型客車なら、蒸気暖房だと思います。客車が12系とかだとディーゼル発電機の電気暖房だから、蒸気は使いません。「北びわこ号」とかですね。
大井川鉄道の蒸気機関車なら、客車は蒸気暖房です。
  

Posted by よっぱらいくま at 16:25Comments(2)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2015年11月08日

昭和の東武東上線

昭和50年代後半くらいの写真を見つけました。

これは大学時代に撮ったもので、和光市-朝霞間です。
7800系が釣り掛けモーターを唸らせていました。
まだ複線です。
今は複々線となり、東急東横線の電車も乗り入れてきて走っているなんて、当時ではウソのような景色に変貌しました。





2枚目の背景には、複々線化と営団地下鉄有楽町線乗り入れのための車両基地への分岐構造物が写っています。
この写真を撮った翌日、大学の鉄研の先輩から、「昨日、(朝霞-和光市間で)写真撮っていただろう」と言われました。世の中狭いなあと思いました。土日の行動まで見られてしまうとは。
その先輩は常に先頭、8000系なら絶対に座らず運転台後を陣取り、前面展望をしている人でした。
偶然に電車で出会ったとき、先にいた先輩の隣にいっしょにいると、「第1閉塞進行」だの、「場内出発進行」などとつぶやき始めました。私がいっしょになってから声を出すようになったけれど、一人のときはさすがに声には出していませんでした。
たまに電車の中で、ちょっと足りないような鉄道マニアっぽい人が、鉄道の運行用語などをを1人でぶつぶつ言っているようなこともあります。彼と私の違いは、声に出すか出さないだけの違いだなと、思います。


次は、鶴瀬-上福岡間です。
今はリズムタワーが建ち、元アウトレットモール・リズムがある辺りです。1990年代に出来たリズムモールは、大変な賑わいだったけれど、つぶれました。今は別の店が入っているはずです。
元々、新駅(仮称「苗間駅」)はこの辺りに建設される予定だったと聞いています。モールがそのまま駅前通りとなる前提で、タワーマンションと同時に開発されたと。
しかし、実際は新駅の「ふじみ野」は500?メートルほど上福岡寄りの、何もない畑のど真ん中に設置されました。あてが外れたのはリズムタワーの住民とモール関係者でしょう。
有力地権者が無理矢理位置を変えさせたとかいううわさがあったけれど、真相は知りません。


この辺りは一面畑で見通しがよく、西に沈む夕日を撮りにいったときに、ついでに撮ったものです。今、この写真の周辺は高層マンションが林立して新しい道路もたくさん出来て、昔の面影はほとんどありません。


お次は和光市駅。
今は複々線の2面4線の立派な高架駅。駅前は建物が林立しています。
しかし、昔は地平の島式1面2線のホーム。駅の西口は一面畑で、出入り口もありませんでした。
もちろん、ただの途中駅で、普通しか止まりませんでした。
全列車が停車する今が、ウソのようです。




最後に志木駅。
基本、2面4線地平ホーム橋上駅で変わってはいませんが、駅周辺、特に北口(今は東口になったかな?)は激変しました。駅前にあったダイエーも志木ファイブもありません。昔の北口の写真を撮った記憶があるけれど、見つかりません。

  

Posted by よっぱらいくま at 14:20Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 私鉄