2017年09月09日

急行 東海号

静岡駅のしゅうまいの話しを前にしました。

静岡駅 東海軒のしゅうまい

静岡駅と言えば、急行東海のことを書かねばなりません。

私は晩年の東海号しか知りません。
新幹線開業以前は、東京と名古屋・大垣間を日に何本も走っていましたが、東京-静岡間を2往復していたのが最後です。
私は特に4号、静岡発東京行きが好きで、岐阜・名古屋から東京へ行く際には、何度も利用しました。
夕方17時前に発車していた東海4号、165系12両編成、大垣夜行との共通運用、165系のボックスシート、特に混むこともなく、終着東京までワンボックス1人でのんびりできました。

そして、その東海4号に乗るときに必須なのが、静岡駅の東海軒のしゅうまいだったのです。
缶ビールロング缶2本と静岡駅のしゅうまいは、東海号乗車時の必須アイテムだったのです。
東京駅まで約3時間弱、165系ボックスシートでしゅうまいをつまみながらビールを飲む旅は、至福の時でした。

そんな165系東海号の最終日の写真です。
愛着ある165系東海号がなくなるということで、是が非でも乗らねばということで。
もちろん、最終となる静岡発の4号です。
写真の日付を見ると1996年(平成8年)3月15日です。もう20年以上前。そんなに経つのかという思いです。






グリーン車は大垣夜行に乗るときは愛用しました。























大学のときの友人と2人で乗りました。
大量のビールとつまみを買い込み、165系東海を惜しみながら、居酒屋東海号でした。



さようなら~


東京駅到着。東京駅にはたくさんの鉄道ファンが集結していました。


東海号はその後、373系特急となり、走り続けましたが、たしか10年くらい前に廃止されました。
大垣夜行も373系使用の「ムーンライトながら」となりましたが、今は定期運転はなく、青春18きっぷの時期だけの臨時となりました。
今でも深夜の静岡駅で、出来たての幕の内弁当を売っているのでしょうか?売ってませんよね、臨時では人のやりくりや、製造工場の稼働とか無理ですよね。それに今はみんな、コンビニで買ってますもんね。食べ物類は。

ちなみに私、373系になってからは、特急東海もムーンライトながらも、一度も乗ったことがありません。
私にとっては、165系でなくなった時点で、東海号は廃止されたのです。




  

Posted by よっぱらいくま at 16:24Comments(0)TrackBack(0)懐かしの列車

2017年08月19日

北陸号

寝台特急 北陸号が廃止されて7年経ちました。

名古屋から東京へ行くときに、わざと米原から北陸ルートで行くこともよくありました。
その逆もまたしかり。

2010年3月9日、金沢駅での最後に立ち会ったときの写真です。

隣のボンネット489は、上野行、急行「能登」です。













  

Posted by よっぱらいくま at 16:22Comments(0)TrackBack(0)懐かしの列車

2012年05月03日

なつかしの列車 山陰号

 山陰号は、京都と出雲市を結ぶ夜行普通列車でした。
 DD51が牽引する旧型客車の編成で、1両だけ10系客車のB寝台車が連結されていました。
 末期の廃止までの間の普通車は、12系客車になっていました。指定席車はなかったと思います。
 廃止は昭和60年3月14日でした。
 まだこの頃は、旧型客車自体は生き残っていて、旧型客車が山陰本線から消滅したのは、昭和61年12月だったと記憶しています。
 山陰号は、昭和57年3月から発売を開始した青春18きっぷ(発売当時は青春18のびのびきっぷ)を利用して西日本をまわるのに重宝した列車でした。東京を朝出て、京都から山陰号を捕まえて一夜を過ごし、出雲市から一日かけて山陰本線を乗り継ぐと、ちょうどよい時間に九州入りできて、前に書いたながさき号に乗り継げるという、青春18きっぷ利用者としては実に便利な乗り継ぎなんでした。
 当時、18きっぷを利用する人間は鉄道マニアに限られていて、一般人が利用したり、ましてや長距離移動に使ったりするのは、見かけたことはありません。
 山陰本線は、東側の香住-浜坂間あたりの餘部鉄橋に代表される区間と、西側の大田市から先、長門市までの長い区間の海沿いの鄙びた景色だ好きでした。旧型客車の鈍行に朝から晩まで乗っての移動は、本当に楽で楽しかったものです。ワンボックス占領して、1両に数人しか乗っていない状態がほとんどだったので、一部、朝夕の通勤通学時間だけは混むけれど、のんびり景色を眺めて写真を撮って一日過ごすことは、今はどんなに大金を払ってもできないことです。
 途中の大きな駅では何十分も止まって、駅前を散歩したり食事したりと、不便もありませんでした。
 山陰号の話から脱線しましたが、そんな山陰本線の旅に欠かせなかったのが、山陰号だったのです。
 普段の山陰号は、京都を発車する時点では、多少の通勤客を載せていたものの、通勤客は亀岡あたりまでですべて降りてしまい、あとはガラガラの夜行列車になったように記憶しています。深夜の福知山あたりでも多少の下車客はあったかと思います。今の山陰本線の京都口の列車本数と乗客の多さを比較すると、あの頃はうそのように、山陰本線は寂れていました。
 上りの山陰号は、出雲市を出て最初から通勤客の利用もあまりなく、すぐに夜行列車の雰囲気になっていたような気がします。
 私は、山陰号は、どちらかというと18きっぷの利用時の移動手段という位置づけでの利用が多かったので、夜間はしっかり寝ていたので、あまり記憶は残っていません。

 廃止のときの最終列車には、高校のときの友人と二人で乗車しました。
 そんなに混んでなかったと記憶します。ワンボックス1人か2人程度の乗車でした。
 一応、それなりのセレモニーなどもあって、特製ヘッドマークをつけた機関車が牽引していました。










































   

Posted by よっぱらいくま at 14:35Comments(9)TrackBack(0)懐かしの列車

2012年04月23日

なつかしの列車 ながさき号

 この前のダイヤ改正では、日本海号などの名門列車が廃止になりました。
 過去のあまり有名ではない地味な列車の廃止の際には、たびたび最終日に立会いました。
 今回は、昭和59年の2月に廃止となった「ながさき号」の最終日のことを書きます。

 ながさき号は、九州の門司港駅と長崎・佐世保駅の間を走っていた夜行普通列車で、旧型客車で運転されていて、B寝台車が1両だけ連結されていた以外はすべて普通車自由席でした。
 直接の廃止の理由は、このダイヤ改正で国鉄から郵便輸送がすべて撤退したことです。深夜に各駅に郵便を輸送する必要がなくなったことが、この列車の必要性がなくなったのです。
 
 長崎を発車する上りが1日早く最終運転となり、下りの門司港発は改正前日が最終運転となりました。そのため、上りと下りの両方の最終列車に乗ることができました。でも、記憶に残っているというか楽しかったのは上りの最終でした。この日は始発の長崎駅は冷たい雨でした。それが途中から雪となり、九州地方でも珍しい大雪となっていったのです。




長崎駅で発車を待つながさき号を牽引するDD51の先頭には特製ヘッドマークがついてます。






 ホームと改札口の様子です。鉄道ファンで大混雑だと思っていたけれど、たいした人数ではありませんでした。
 最近の鉄道ブームのさなかとは比べ物になりません。本当の鉄道ファンしかこういうイベントには参加しない時代でした。今は新幹線何系がなくなるとかをはじめとして、地方の小鉄道のことでも人がわんさかと集まりますもんね。それに鉄道ファンよりも素人の含有率が高くもなっています。それがいいのか悪いのか、どうなんでしょうかね。

 ホームではお別れ式典も行われました。人も少なく写真を撮るのも楽でした。










長崎駅発は23時で、いつものように遅い通勤客も乗せたながさき号は特に混んでもいませんでした。
ながさき号は長崎を出ると大村線を経由して、早岐駅で佐世保からの編成を連結するという遠回りでのんびりと行ったのです。あまりにも走行区間が短いので、夜行列車としては遠回りがちょうどよいのでしょう。
早岐駅をはじめ大きめな途中駅では長時間停車しました。

早岐駅で佐世保編成とながさき編成を連結するところです。
たしか佐世保編成は早岐到着後、いったんホームから引き上げてから長崎編成と連結したはずで、佐世保編成へ乗り移って客車の連結部に立って写真を撮るなんてこともできました。




早岐駅溝内です。



機関車のSGからは、もうもうと客車へ送る暖房用の蒸気が出ています。九州の客車は電暖ではなく蒸気暖房でした。電暖対応は寒く雪が多い東北や北陸が多く、九州や四国なんかは蒸気暖房だった気がしますが、間違っているでしょうか。でも、北海道は蒸気だったかな。ED75の機関車側面に電暖の電気を送っている印の側灯が光っていたのを思い出します。電暖対応の客車は2000番台でしたよね、たしか。
ブルトレなどのように冷暖房用の電源がない客車列車は消滅してしまったから、客車の暖房方式なんて話しも過去のことです。
東海道線を疾走するSG搭載のEF58から蒸気がもうもうと出ているシーンはかっこよかったなあー。


車内は、通勤客が降りたあとはがらがらで、とても最終日とは思えませんでした。
1ボックスひとりで悠々できました。空いているボックスのいくつもありました。
通常はほとんで人は乗ってなかったような記憶があるのですが・・・。
最終日のお別れ乗車で大混雑なんてことはまったくなかったです。

途中から大雪となってきました。
肥前山口駅です。








深夜の2時か3時頃ですが、がんばって起きていました。




夜が明けると、沿線は雪景色でした。




たしか終点の門司港には雪の影響で、1時間近く遅れて到着したと記憶しています。

博多あたりから朝の通勤客が乗りはじめ、小倉駅到着直前が一番混んだように記憶しています。

門司港駅に到着したときにもさよならセレモニーもありました。












さて、門司港に到着した当日、門司港発下りの本当の最終ながさき号が夜に出発します。

本当に最後の出発だけど、なぜかなんのセレモニーもなかったと記憶します。
なんにも写真が残っていないので。
朝の到着セレモニーですべて終わってしまったようで、なんか拍子抜けで、最終列車に乗っても雰囲気はいまひとつでした。

セレモニーは昨日の上り列車ですべて、長崎駅も門司港駅も終わらせてしまったようでした。

門司港発長崎駅は小倉からは相当の通勤客も乗せました。いつもの風景のようで、鉄道ファンもあまり乗っていなかったような気がします。



博多駅でも長時間停車。博多駅の表示です。
通勤客もほとんど降りて、ながさき号車内はがらがらとなりました。

さすがに前日はほとんど寝なかったので、下り最終の車内ではほとんど寝てしまったと思います。
いつものように長崎駅に着いて、セレモニーもありませんでした。
だから、下り最終ながさき号の写真はほとんどありません。
こういう終わり方は、なんかさびしく、長崎駅に到着後は脱力したような気がします。





次回は、京都と出雲市間を走っていた客車鈍行の山陰号の最終日のことを書く予定です。


さよならながさき号の記念入場券が出てきました。






当時の新聞記事です。

  

Posted by よっぱらいくま at 21:02Comments(9)TrackBack(0)懐かしの列車

2012年03月16日

消えていった列車たちの思い出

今日は300系のニュースが流れています。

青函連絡船の思い出はさっき、書きました。

ちょうど3年前には、東京駅発着の、最後まで残った「はやぶさ・富士」がなくなったのが、平成21年3月13日でした。
名古屋駅に見に行きました。ビデオも撮りました。
今日の300系は、そんな気合も入らず、テレビだけです。

今日のニュースで、「日本海」の最後を見ていると、3年前を思い出します。300系よりも日本海のほうが、見ていて、身に染みます。

平成9年、1997年には、信越本線、横川、軽井沢間、いわゆる横軽が廃止されました。EF63が、特急あさまが消えました。
EF66やEF63といった機関車たち、重厚です。やっぱり、ビデオを観ても、感動です。

最近は鉄道趣味が脚光を浴びて、ずいぶんとニュースにも特集されています。
NHKは鷹巣駅から日本海号を生中継しています。
客車列車、寝台車、いいなあ、NHKナイス中継です。

なんで、無くなっていくのだろう。
赤字だから、儲からないから・・・
鉄道の役割は・・・、時代の流れ・・・

大越アナ、結構、昔の寝台特急の名前を知っている。好感度アップ。

そのほかにも、消えた列車、消えた路線、思い出はたくさん、増えていくばかりです。

  

Posted by よっぱらいくま at 21:27Comments(0)TrackBack(0)懐かしの列車