2018年01月27日
無くしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ
三河安城駅のとなりにあるニチバンの工場。
新幹線の車窓からよく見えるこの宣伝。
一部マニアの間では有名です。
今年になってこの「無くしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ」というフレーズが消えていました。
先週、新幹線に乗ったとき、デザインが変わりこのフレーズも復活していました。
暗かったので写真は撮れていません。
やっと写真が撮れました。
セロテープの外箱そのものの、シンプルなデザインになりました。
以前は、セロテープが宇宙空間を飛んでいるようなシュールなデザインでした。
新幹線の車窓からよく見えるこの宣伝。
一部マニアの間では有名です。
今年になってこの「無くしてわかるありがたさ 親と健康とセロテープ」というフレーズが消えていました。
先週、新幹線に乗ったとき、デザインが変わりこのフレーズも復活していました。
暗かったので写真は撮れていません。
やっと写真が撮れました。
セロテープの外箱そのものの、シンプルなデザインになりました。
以前は、セロテープが宇宙空間を飛んでいるようなシュールなデザインでした。
2018年01月15日
信越線 電車立ち往生
かなりの大ニュースとなった、信越線での電車が雪で一晩立ち往生した今回の一件。
JR東の対応はやっぱり、一言で言ってひどいと思った。
やっと、情報も出尽くしてきた感じなので、私の思いを書きます。
乗り合わせた客からの声は、JRの対応には感謝しているという声もあるようだ。
しかし、それは現場に来た職員らの働きのことである。
現場の運転士、救援に駆けつけた職員らは、本当に頑張ったと思う。
しかし、組織として、JR本体が今回のような事態に適切に対応したのかというと、はなはだ疑問である。
積雪の中、救援バスも手配できず、深夜暗い中、外を歩いて避難させることが危険だということは、そのとおりと思う。
しかし、車内にはたくさんの立ち客もいた状況で、これを放置したことは違うと思う。
なんとしても線路を除雪して、長岡なり大きな駅までの除雪をさせて移動させるのが使命だろう。
結局、今のJRに除雪能力はないのである。昭和40年代までの国鉄の除雪能力に比べたら、無能なのだ。
昭和35年や38年の、所謂35豪雪、38豪雪の教訓は、今のJRには引き継がれていないのだろう。
駅間では止めない、駅で止めるということが、わからなかったのだ。
今の新型車両、立ち往生したのも、JR化後の新型車両だ。
もし、これが国鉄仕様の115系や485系だったら、同様に立ち往生したかとも思う。
何が違うかというと、重さである。そして雪に対する抵抗力である。
新型車は軽い。もしも115系だったら、次の駅まで行けたかもしれない。
パンタグラフも新型車両は片パン、シングルアームが主流だが、雪の重みで離線もあって何度も止まったらしい。
シングルアームの方が表面積は小さいはずで、雪の抵抗も少ないはずなのに。
昔ながらの菱形パンタグラフの方がよかったかもしれない。
立ち客もいる通勤電車を救援するために、DD51の重連でも走らせれば、あの程度の積雪はラッセルできたのではないか。
DD51のスノープロウはかなり鋭角である。
DD51の床下の写真
電車や下手な今どきの除雪車よりもラッセル能力はあるかもしれない。でも、いま、DD51なんか配置されていないだろうね、JR東には。
38豪雪に比べれば、今回の積雪など「屁」のようなものだ。当時は市街地も雪で埋め尽くされて、2階からしか出入りできなかったのだ。今回はたかが1メートル未満の積雪である。
立ち客のいる電車を一晩放置するくらいなら、救援するために、なんとしても除雪して特急用車両を横付けさせて、そちらに乗客を避難してもらうことくらいできなかったのだろうか。
しかし、今の乗客、若者たちのなんと辛抱強いことか。
昭和40年年代なら、一晩立たせれるようなことになったら乗客は、スト権ストのときみたいに暴動が起きるぞと思ったものだ。
客が勝手に電車から脱出すると思う。
まあ、なんとも言えないけれど。車内で席を譲り合ったとか、美談みたいなことはマスコミは好きですねえ。
キマロキ編成なんて、今のJRには存在していないでしょう。
マックレー、ロータリー、ラッセル。
ま、懐古趣味のオヤジの国鉄贔屓の話しでした。
JR東の対応はやっぱり、一言で言ってひどいと思った。
やっと、情報も出尽くしてきた感じなので、私の思いを書きます。
乗り合わせた客からの声は、JRの対応には感謝しているという声もあるようだ。
しかし、それは現場に来た職員らの働きのことである。
現場の運転士、救援に駆けつけた職員らは、本当に頑張ったと思う。
しかし、組織として、JR本体が今回のような事態に適切に対応したのかというと、はなはだ疑問である。
積雪の中、救援バスも手配できず、深夜暗い中、外を歩いて避難させることが危険だということは、そのとおりと思う。
しかし、車内にはたくさんの立ち客もいた状況で、これを放置したことは違うと思う。
なんとしても線路を除雪して、長岡なり大きな駅までの除雪をさせて移動させるのが使命だろう。
結局、今のJRに除雪能力はないのである。昭和40年代までの国鉄の除雪能力に比べたら、無能なのだ。
昭和35年や38年の、所謂35豪雪、38豪雪の教訓は、今のJRには引き継がれていないのだろう。
駅間では止めない、駅で止めるということが、わからなかったのだ。
今の新型車両、立ち往生したのも、JR化後の新型車両だ。
もし、これが国鉄仕様の115系や485系だったら、同様に立ち往生したかとも思う。
何が違うかというと、重さである。そして雪に対する抵抗力である。
新型車は軽い。もしも115系だったら、次の駅まで行けたかもしれない。
パンタグラフも新型車両は片パン、シングルアームが主流だが、雪の重みで離線もあって何度も止まったらしい。
シングルアームの方が表面積は小さいはずで、雪の抵抗も少ないはずなのに。
昔ながらの菱形パンタグラフの方がよかったかもしれない。
立ち客もいる通勤電車を救援するために、DD51の重連でも走らせれば、あの程度の積雪はラッセルできたのではないか。
DD51のスノープロウはかなり鋭角である。
DD51の床下の写真
電車や下手な今どきの除雪車よりもラッセル能力はあるかもしれない。でも、いま、DD51なんか配置されていないだろうね、JR東には。
38豪雪に比べれば、今回の積雪など「屁」のようなものだ。当時は市街地も雪で埋め尽くされて、2階からしか出入りできなかったのだ。今回はたかが1メートル未満の積雪である。
立ち客のいる電車を一晩放置するくらいなら、救援するために、なんとしても除雪して特急用車両を横付けさせて、そちらに乗客を避難してもらうことくらいできなかったのだろうか。
しかし、今の乗客、若者たちのなんと辛抱強いことか。
昭和40年年代なら、一晩立たせれるようなことになったら乗客は、スト権ストのときみたいに暴動が起きるぞと思ったものだ。
客が勝手に電車から脱出すると思う。
まあ、なんとも言えないけれど。車内で席を譲り合ったとか、美談みたいなことはマスコミは好きですねえ。
キマロキ編成なんて、今のJRには存在していないでしょう。
マックレー、ロータリー、ラッセル。
ま、懐古趣味のオヤジの国鉄贔屓の話しでした。
2018年01月13日
早起きの始発列車
ネットニュースを見ていたら、日本一早い始発電車という記事がありました。
以前、「時刻表1979年10月号」の中で、地方の超早朝発の列車のことを書きました。
1979年10月号では、早起き列車が
ナンバー1 福島3時18分発 仙台行き普通
ナンバー2 金沢3時49発 七尾行き普通
だと思います。たぶん?。
これらは、昔は夜行列車が各線区を走っていたので、夜行からの接続という面もあったのかもしれません。
他に4時台後半発は各地にうじゃうじゃあるので、珍しくもなんともありません。
ネット記事では、九州の日豊本線 柳ヶ浦4時17分発門司港行きが日本一早い始発列車とのことです。門司港に6時10分着です。たしかに4時台前半に動き出す列車は、現在では珍しいでしょう。6時10分に終着駅に着いてしまうというのも、名古屋周辺のJRや地下鉄など、やっと始発から2~3本めが動き出し始める時刻です。
ちなみに、1979年10月当時の柳ヶ浦発門司港行きは、4時29分発で門司港着は6時10分着と着は現在と同じだけど、発時刻は12分遅いです。現在よりも所要時間は短かった、速かったのかと思ったら、現在は小倉の停車時間が長いだけで、小倉までの所要時間はほぼ同じでした。
それではと、現在の他に早い始発はないかと時刻表をめくってみました。
昔、行商人がたくさん乗っていた路線は早朝から走っていたので、常磐線なんかはどうかなと開くと、ありました。
勝田4時27分発上野行き。記事の電車の10分あとですが、十分に早起きでしょう。たぶんナンバー2の始発かなと。
昔、3時台から走り始めていた東北本線、七尾線や、4時台発がたくさんあった山陰本線も、今では5時台以降発しかありません。
日豊本線をよく見ると小倉方面の上りの特急もえらい早朝発が揃っています。
柳ヶ浦4時38分発、大分4時43分発と5時21発と続行しています。
全部チェックしていないのでわかりませんが、普通だけでなく特急も含めて、日豊本線のこの区間は日本一早起き路線のようです。
特急を見ると、北陸本線の金沢から大阪、名古屋方面も早いです。
しらさぎ号米原行きが5時00分発、サンダーバード大阪行きが5時35分発です。
でも、日豊本線の4時台発にはかないません。
北陸本線には、福井4時48分発の敦賀行きという結構早い電車がありました。
名古屋地区の鉄道各線が動き始めるのは、とても遅いと思います。JR、名鉄、地下鉄の各線すべてが5時30分以降しか動き始めません。終電を遅くするよりも、始発をせめて5時00分から動かしてほしいものです。東京のJR、私鉄、地下鉄は5時過ぎから動き始めます。
新幹線も東京、新大阪は双方とも6時00分発があるのに、名古屋は、6時20分発の博多行きのぞみ号と東京行きひかり号が始発です。名古屋も6時00分発を設定してほしいものです。
コンビニなんかなかった昔の方が、国鉄は早朝から動き始めていました。
以前、「時刻表1979年10月号」の中で、地方の超早朝発の列車のことを書きました。
1979年10月号では、早起き列車が
ナンバー1 福島3時18分発 仙台行き普通
ナンバー2 金沢3時49発 七尾行き普通
だと思います。たぶん?。
これらは、昔は夜行列車が各線区を走っていたので、夜行からの接続という面もあったのかもしれません。
他に4時台後半発は各地にうじゃうじゃあるので、珍しくもなんともありません。
ネット記事では、九州の日豊本線 柳ヶ浦4時17分発門司港行きが日本一早い始発列車とのことです。門司港に6時10分着です。たしかに4時台前半に動き出す列車は、現在では珍しいでしょう。6時10分に終着駅に着いてしまうというのも、名古屋周辺のJRや地下鉄など、やっと始発から2~3本めが動き出し始める時刻です。
ちなみに、1979年10月当時の柳ヶ浦発門司港行きは、4時29分発で門司港着は6時10分着と着は現在と同じだけど、発時刻は12分遅いです。現在よりも所要時間は短かった、速かったのかと思ったら、現在は小倉の停車時間が長いだけで、小倉までの所要時間はほぼ同じでした。
それではと、現在の他に早い始発はないかと時刻表をめくってみました。
昔、行商人がたくさん乗っていた路線は早朝から走っていたので、常磐線なんかはどうかなと開くと、ありました。
勝田4時27分発上野行き。記事の電車の10分あとですが、十分に早起きでしょう。たぶんナンバー2の始発かなと。
昔、3時台から走り始めていた東北本線、七尾線や、4時台発がたくさんあった山陰本線も、今では5時台以降発しかありません。
日豊本線をよく見ると小倉方面の上りの特急もえらい早朝発が揃っています。
柳ヶ浦4時38分発、大分4時43分発と5時21発と続行しています。
全部チェックしていないのでわかりませんが、普通だけでなく特急も含めて、日豊本線のこの区間は日本一早起き路線のようです。
特急を見ると、北陸本線の金沢から大阪、名古屋方面も早いです。
しらさぎ号米原行きが5時00分発、サンダーバード大阪行きが5時35分発です。
でも、日豊本線の4時台発にはかないません。
北陸本線には、福井4時48分発の敦賀行きという結構早い電車がありました。
名古屋地区の鉄道各線が動き始めるのは、とても遅いと思います。JR、名鉄、地下鉄の各線すべてが5時30分以降しか動き始めません。終電を遅くするよりも、始発をせめて5時00分から動かしてほしいものです。東京のJR、私鉄、地下鉄は5時過ぎから動き始めます。
新幹線も東京、新大阪は双方とも6時00分発があるのに、名古屋は、6時20分発の博多行きのぞみ号と東京行きひかり号が始発です。名古屋も6時00分発を設定してほしいものです。
コンビニなんかなかった昔の方が、国鉄は早朝から動き始めていました。