2017年05月29日
泡波
八重山諸島を旅してきました。
波照間島へは行けなかったのですが、泡波の2合瓶を2本、石垣島で定価(500円弱)で購入しました。
私は27年前、平成2年に波照間島に行きました。そのとき泡波の600mlをたくさん買って、ゆうパックで自宅へ送りました。
現地ではいくらでも買えました。
今、ネットで見ると現地でも手に入れにくいみたいです。
27年前に買って大切にとっておいた泡波を昨日、飲みました。
そして、今回買った新鮮な泡波も飲みました。
27年前の泡波と、今回買った泡波です。

27年経った泡波古酒よりも、今回買ったやつの方がおいしかったです。
泡波は今でも買いにくいみたいなので、今回定価でどこで買ったかは、言いません。
もっと買えばよかったかな。2本だけ買ったので。
まあ、あんまりこういうプレミア扱いはねえ・・・。
石垣空港では、同じ2合瓶の泡波が約6000円で売っていました。
約30年前のラベルと現在のラベルでは違いがあることに気がつきました。
昔のものはこれ


現在はこれ


「日本最南端」と書かれているものが、「最南端」だけになっています。
あとは、ゴミとしての選別リサイクルマークと、適量をだとかの注意書きが加わっています。
電話番号の市内局番が一桁から二桁に変わっています。
詰口年月日の刻印も加わっています。
製造者のお名前は変わっていません。
波照間島へは行けなかったのですが、泡波の2合瓶を2本、石垣島で定価(500円弱)で購入しました。
私は27年前、平成2年に波照間島に行きました。そのとき泡波の600mlをたくさん買って、ゆうパックで自宅へ送りました。
現地ではいくらでも買えました。
今、ネットで見ると現地でも手に入れにくいみたいです。
27年前に買って大切にとっておいた泡波を昨日、飲みました。
そして、今回買った新鮮な泡波も飲みました。
27年前の泡波と、今回買った泡波です。
27年経った泡波古酒よりも、今回買ったやつの方がおいしかったです。
泡波は今でも買いにくいみたいなので、今回定価でどこで買ったかは、言いません。
もっと買えばよかったかな。2本だけ買ったので。
まあ、あんまりこういうプレミア扱いはねえ・・・。
石垣空港では、同じ2合瓶の泡波が約6000円で売っていました。
約30年前のラベルと現在のラベルでは違いがあることに気がつきました。
昔のものはこれ
現在はこれ
「日本最南端」と書かれているものが、「最南端」だけになっています。
あとは、ゴミとしての選別リサイクルマークと、適量をだとかの注意書きが加わっています。
電話番号の市内局番が一桁から二桁に変わっています。
詰口年月日の刻印も加わっています。
製造者のお名前は変わっていません。
2017年05月07日
京都鉄道博物館
まだ雪が降っていた頃、京都鉄道博物館へ行ってきました。
私の大好きなEF66が鎮座しています。ここは車体下部を見ることができます。



スノープロウと頑丈な排障機の構造がよくわかります。まじまじと車体下部を見るのは初めてです。
こういう展示方法、最高です。
同じく好きなDD51。


スノープロウの構造がEF66と違って、進行方向な向かってかなり鋭角なことがわかります。
機関車の重厚な機器類を見ることができる下からの覗きは楽しいです。
EF66の運転台。これはぶつ切りされた車体が別に展示されているものです。

マスコンは機関車のものというより、電車に限りなく近いです。進段のノッチが少なく、弱め界磁のハンドルもこうなっているのがよくわかります。
0系の運転台もいつでも自由に入れます。リニア鉄道館は基本、非公開です。


運転台からの景色。大学生のときの新幹線の車販のバイトをしていたとき、運転台に入ったときに一瞬だけ見ることができた時速200キロの前面展望を思い出しました。
マルス端末も各種あります。
私が学生時代から就職した頃までに最もお世話になったのがこれ。M型とか言ったかな。忘れました。

パタパタをめくり希望の路線などにピンを入れて操作するものです。

そして、入力を終えるとこの発信ボタンを押して、指定席を確保するのです。

指定券が確保されると「YES」の緑ランプが点きます。
1ヶ月前の10時に人気の列車の席を確保するときは、窓口氏が10時前に入力をすべて終えて、10時ジャストにこの「発信」ボタンを連打してマルスに繋がるようにしてくれました。
「YES」が出るか「NO」が出るか、窓口から身を乗り出して緊張しながら見ていたものです。
外は、梅小路機関車館が昔のままあり、蒸気機関車がたくさんあります。
生きている蒸気機関車はやはりよいです。



まさしく鉄の塊、大迫力です。
東海道本線と山陰本線に挟まれて、遠目に新幹線も見ることができます。

生きている鉄道も間近に見られる京都鉄道博物館は、大宮や名古屋よりも気に入りました。
私の大好きなEF66が鎮座しています。ここは車体下部を見ることができます。
スノープロウと頑丈な排障機の構造がよくわかります。まじまじと車体下部を見るのは初めてです。
こういう展示方法、最高です。
同じく好きなDD51。
スノープロウの構造がEF66と違って、進行方向な向かってかなり鋭角なことがわかります。
機関車の重厚な機器類を見ることができる下からの覗きは楽しいです。
EF66の運転台。これはぶつ切りされた車体が別に展示されているものです。
マスコンは機関車のものというより、電車に限りなく近いです。進段のノッチが少なく、弱め界磁のハンドルもこうなっているのがよくわかります。
0系の運転台もいつでも自由に入れます。リニア鉄道館は基本、非公開です。
運転台からの景色。大学生のときの新幹線の車販のバイトをしていたとき、運転台に入ったときに一瞬だけ見ることができた時速200キロの前面展望を思い出しました。
マルス端末も各種あります。
私が学生時代から就職した頃までに最もお世話になったのがこれ。M型とか言ったかな。忘れました。
パタパタをめくり希望の路線などにピンを入れて操作するものです。
そして、入力を終えるとこの発信ボタンを押して、指定席を確保するのです。
指定券が確保されると「YES」の緑ランプが点きます。
1ヶ月前の10時に人気の列車の席を確保するときは、窓口氏が10時前に入力をすべて終えて、10時ジャストにこの「発信」ボタンを連打してマルスに繋がるようにしてくれました。
「YES」が出るか「NO」が出るか、窓口から身を乗り出して緊張しながら見ていたものです。
外は、梅小路機関車館が昔のままあり、蒸気機関車がたくさんあります。
生きている蒸気機関車はやはりよいです。
まさしく鉄の塊、大迫力です。
東海道本線と山陰本線に挟まれて、遠目に新幹線も見ることができます。
生きている鉄道も間近に見られる京都鉄道博物館は、大宮や名古屋よりも気に入りました。
2017年05月02日
米原駅での新幹線
米原駅を利用する際は、よく写真を撮ります。
米原駅は東京方がほどよくカーブしていて、よい感じです。
雨の日は水しぶきが迫力です。


パナソニックSZ3、光学10倍ズームめいっぱいにデジタルズームでさらに拡大、手持ち、トリミングなしです。
流し撮りにも何度も挑戦しますが、なかなか決まりません。どうしてもフレームアウトしてしまいます。
これはましな方ですが、あまり流れていません。

東海道線と北陸本線とのジャンクションであり、歴史ある米原駅は大好きです。
駅前の平和堂は、閉店するそうでさびしいかぎりです。
米原駅は東京方がほどよくカーブしていて、よい感じです。
雨の日は水しぶきが迫力です。
パナソニックSZ3、光学10倍ズームめいっぱいにデジタルズームでさらに拡大、手持ち、トリミングなしです。
流し撮りにも何度も挑戦しますが、なかなか決まりません。どうしてもフレームアウトしてしまいます。
これはましな方ですが、あまり流れていません。
東海道線と北陸本線とのジャンクションであり、歴史ある米原駅は大好きです。
駅前の平和堂は、閉店するそうでさびしいかぎりです。
2017年05月02日
東海道本線 米原~彦根間の旧線
米原-京都間の東海道本線の通称「琵琶湖線」というJR西日本の呼び方にも違和感がなくなってきました。でも、米原駅での新幹線からや大垣方面からの在来線からの乗り換え時のアナウンスは必ず「東海道線、京都方面はお乗り換えです」と、JR東海は今でも頑なに正式名称を貫き、JR西の呼び方は使いません。何を意地はっているのかい、という感じです。結局、JR各社間の仲が今でも、基本的に悪い査証でしょうかね。乗客にとっての利便性、分かりやすさ、連携は二の次なんでしょうかね。
まあ、私も宇都宮線とか宝塚線とか嵯峨野線とかは今でも違和感がありますが。
以前、米原-彦根間に現存する旧線のトンネルのことを書きました。このトンネルは明治22年、東海道本線最後の開通区間にありますが、ここは元々は切り通しの開削部でした。開通後、度々土砂崩れに見舞われて不通になったことから、切り通しを埋めてトンネルにしたそうです。この山を通る龍神様が線路で分断されたことの怒りから災害が起こると言われたそうです。
その後、昭和31年の電化の際に現在線に付け替えられて、廃線となりました。
明治時代に建設された重厚な煉瓦積みの坑口が今でも確認できます。ネットには現地踏査をされた詳しいレポートもあります。皆さんここにたどりつくのには、相当苦労されているようです。
私はここを通る度に車窓から写真を撮ってみましたが結局、最初に撮ったものが一番良く撮れました。

これは駄作です。今年は厳冬期も草木が邪魔でした。

一方、彦根寄りには、たぶん旧線の架道橋と思われる小さな構造物があります。



すべて乗車する度に車窓から撮ったものです。これもたぶん旧線の構造物だと思います。
現地踏査に挑戦はしていませんが、写真で見る限り周辺は立ち入り禁止みたいです。
まあ、私も宇都宮線とか宝塚線とか嵯峨野線とかは今でも違和感がありますが。
以前、米原-彦根間に現存する旧線のトンネルのことを書きました。このトンネルは明治22年、東海道本線最後の開通区間にありますが、ここは元々は切り通しの開削部でした。開通後、度々土砂崩れに見舞われて不通になったことから、切り通しを埋めてトンネルにしたそうです。この山を通る龍神様が線路で分断されたことの怒りから災害が起こると言われたそうです。
その後、昭和31年の電化の際に現在線に付け替えられて、廃線となりました。
明治時代に建設された重厚な煉瓦積みの坑口が今でも確認できます。ネットには現地踏査をされた詳しいレポートもあります。皆さんここにたどりつくのには、相当苦労されているようです。
私はここを通る度に車窓から写真を撮ってみましたが結局、最初に撮ったものが一番良く撮れました。
これは駄作です。今年は厳冬期も草木が邪魔でした。
一方、彦根寄りには、たぶん旧線の架道橋と思われる小さな構造物があります。
すべて乗車する度に車窓から撮ったものです。これもたぶん旧線の構造物だと思います。
現地踏査に挑戦はしていませんが、写真で見る限り周辺は立ち入り禁止みたいです。