2022年07月18日
2019年04月21日
2019年04月14日
東大宮-蓮田 罵声騒動
ネット記事で見て、げんなりです。
東北本線 東大宮-蓮田間は昔から名撮影地です。
最近は開発の波にのまれ住宅が相当増えましたが、のどかなところも残っています。
そういうところにマニアが殺到するんですかね。
動画を見ると、まさにカシオペア編成?を牽くEF65が通過する瞬間に乗用車が横切っています。
道路を挟んでカメラを構えている限り、そうなるリスクがあるでしょう。
クルマだろうが自転車だろうが歩行者だろうが、道を通って文句を言われる筋合いはありません。
そんな場所でカメラを構えている側がダメでしょう。アウトです。私ならそういうリスクがある場所は選びません。
一説によると、その道路は水路か何かの管理用道路で一般車の通行は禁止されていたとか。
だから通ったクルマが悪いのだと。でもそれとこれとは関係ないでしょう。
写真家のために通行禁止にしている訳でもなんでもないのだから。
しかし、なんという態度なんですかね。アホです。醜態です。何様ですかね。
こういう罵声をあげる一部のマニアのせいで、鉄道ファンが白い目で見られてしまうのです。
大多数の写真家は良識があると信じていますが。
だいたい、私は、でかい三脚で大勢で場所を占拠している撮り鉄は、印象良く思っていません。
みんな同じ場所で同じ写真を撮ってもおもしろくないので、私は極力そういう場所には寄り付かないようにしてきました。
だれもいない山野で、一人で三脚を構えるのは別に良いと思います。誰の邪魔にも迷惑にならないのなら。
そういう場所を探すことができる人が、本当に写真の腕も良いのだろうと思います。
最近の撮り鉄はプロ顔負けの装備というか、装備はプロと同等に思えます。
でかい三脚に、脚立まで持っているマニアも多いです。
そういう報道機関にも負けない装備をもって、大きな顔で撮影場所を占拠している風景が、私は嫌いです。
そこが公共用地なのか、もしかしたら私有地かもしれません。節度を持たないと。
私が普段、三脚を使わないのは、そういう人たちと同じ目で見られることが嫌だからだと、改めて気が付きました。
三脚ははっきり言って、場所取りのツールだと思っています。今のカメラはブレ防止機能の性能も高いです。
三脚にカメラを据えて、列車が来たらすさまじい連写で撮っている人ばかりです。
デジタルになり、フィルムの量も金額も気にせず、秒10コマは当たり前、 そんな機械 に頼りたくないです。
私は手巻きカメラで育ってきたので、今でも一発勝負にこだわっています。ブレ防止機能なんか夢物語のアナログカメラでも、三脚なしで腕を磨いてきたつもりです。
こういう罵声騒ぎがあると、写真で飯を食っている、本当のプロ写真家もやりずらくなっていくでしょうね。
気の毒です。
鉄道写真愛好家に限らず、観光地などで高級な装備をしている素人カメラマンに、図々しい態度と感じることは多々あります。
まあ、報道機関も同様ですけどね。
20年近くまえ、廃線が決まった夜の駅での出来事です。
地元の親子連れとかも名残を惜しんで、駅を訪れていました。母親はやさしく子供に語り掛けていました。
そして、写真なんかも撮っています。地元の人が心から名残を惜しんでいる光景に、いいなあと感じていました。
そのとき、でかい三脚を据えてカメラを構えているマニアが、「フラッシュ使うな!」と怒鳴り出したのです。
長時間露光で風景を撮っているのでしょう。
駅のホームで写真を撮っている分際で何様だと、
怒りを覚えました。
公共空間で、駅のホームで、親子連れが写真を撮ることに誰が勝手な指図ができるんだと。
長時間露光で写真が撮りたければ、廃線が決まる前に、人気がないときに来て写真を撮っておけよと。
クルマではなく、電車に乗って写真を撮りに来い。元から利用者が多くいれば廃線にはならなかったのだと。
廃線が決まってからのこのこと写真を撮りに来て、威張っているんじゃないよと。
ネットでは鉄道マニアへの辛辣な言葉も並びます。
一般人に対して罵声を浴びせるような連中は、批判されて当然です。
しかし、昔から撮り鉄はその視界に邪魔者が入ってくると罵声を浴びせるという文化?はありました。
ただし、その相手は同業者です。慣れていない撮り鉄が、お立ち台(撮影場所)でたくさんカメラを構えているのを無視して侵入してきた場合に限ります。撮り鉄同士には厳格なルールがありました。
それこそ、「どけー」、「バカヤロー」、「オドレーじゃまじゃー」、なぜか関東人でもそういうときは関西弁ぽくなるのでした。
でも決して 農作業をするおじさんや、
通行人など一般人に対してすることはなかったはずです。
まあ私もそういう集団には基本、入りたくはなかったのですが、たまには入っていました。カメラは手持ちで。
ネット社会、SNSでの拡散、こういう情けない光景が簡単に広がってしまいます。
最近は鉄道会社側も過度に態度が厳しい風潮です。鉄道会社の敷地内に入っての撮影は、そこが安全な場所でも通報されそうで怖いです。昔はおおらかでよかったとは、本当に思います。
今は撮れない、立ち入れない場所で撮った写真も数多いです。
新線開業や廃線、列車の廃止などのイベントなんかでも、ホームでの三脚や脚立は使用禁止とか言われるし、立ち入りも大幅に制限されるようになっています。
そういう人が群がるイベントで活躍するのが、銀箱(カメラバック)です。あれに乗ると群がる人の頭越しに写真が撮れます。銀箱はただのバックだから使用禁止とは言われません。ズルいかな。
でも、銀箱、絶滅危惧種ですね。いや、すでに絶滅しているかな。
カメラ量販店でも扱っていませんよね。
若い人はその存在すら知らないかな。
私も結構、昔は図々しく写真やビデオを撮っていたなあと思うと、偉そうなことは言えない気がしてきました。
私が東大宮-蓮田間で撮った写真です。高校2年のとき、昭和55年です。
今、こんな列車が走ったら、マニア殺到になりますね。
このとき、同業者は一切いませんでした。
私の装備は、キャノンFTb、タムロン85~210ミリレンズ、手持ち、マニュアル露出、手動フォーカス、手巻きです。
ヨンサントウダイヤ改正時に比べ若干のスピードダウンもありましたが、485系の8M4T編成が狂ったように疾走していた東北本線でした。
みんな下手くそですね。
東北本線 東大宮-蓮田間は昔から名撮影地です。
最近は開発の波にのまれ住宅が相当増えましたが、のどかなところも残っています。
そういうところにマニアが殺到するんですかね。
動画を見ると、まさにカシオペア編成?を牽くEF65が通過する瞬間に乗用車が横切っています。
道路を挟んでカメラを構えている限り、そうなるリスクがあるでしょう。
クルマだろうが自転車だろうが歩行者だろうが、道を通って文句を言われる筋合いはありません。
そんな場所でカメラを構えている側がダメでしょう。アウトです。私ならそういうリスクがある場所は選びません。
一説によると、その道路は水路か何かの管理用道路で一般車の通行は禁止されていたとか。
だから通ったクルマが悪いのだと。でもそれとこれとは関係ないでしょう。
写真家のために通行禁止にしている訳でもなんでもないのだから。
しかし、なんという態度なんですかね。アホです。醜態です。何様ですかね。
こういう罵声をあげる一部のマニアのせいで、鉄道ファンが白い目で見られてしまうのです。
大多数の写真家は良識があると信じていますが。
だいたい、私は、でかい三脚で大勢で場所を占拠している撮り鉄は、印象良く思っていません。
みんな同じ場所で同じ写真を撮ってもおもしろくないので、私は極力そういう場所には寄り付かないようにしてきました。
だれもいない山野で、一人で三脚を構えるのは別に良いと思います。誰の邪魔にも迷惑にならないのなら。
そういう場所を探すことができる人が、本当に写真の腕も良いのだろうと思います。
最近の撮り鉄はプロ顔負けの装備というか、装備はプロと同等に思えます。
でかい三脚に、脚立まで持っているマニアも多いです。
そういう報道機関にも負けない装備をもって、大きな顔で撮影場所を占拠している風景が、私は嫌いです。
そこが公共用地なのか、もしかしたら私有地かもしれません。節度を持たないと。
私が普段、三脚を使わないのは、そういう人たちと同じ目で見られることが嫌だからだと、改めて気が付きました。
三脚ははっきり言って、場所取りのツールだと思っています。今のカメラはブレ防止機能の性能も高いです。
三脚にカメラを据えて、列車が来たらすさまじい連写で撮っている人ばかりです。
デジタルになり、フィルムの量も金額も気にせず、秒10コマは当たり前、 そんな機械 に頼りたくないです。
私は手巻きカメラで育ってきたので、今でも一発勝負にこだわっています。ブレ防止機能なんか夢物語のアナログカメラでも、三脚なしで腕を磨いてきたつもりです。
こういう罵声騒ぎがあると、写真で飯を食っている、本当のプロ写真家もやりずらくなっていくでしょうね。
気の毒です。
鉄道写真愛好家に限らず、観光地などで高級な装備をしている素人カメラマンに、図々しい態度と感じることは多々あります。
まあ、報道機関も同様ですけどね。
20年近くまえ、廃線が決まった夜の駅での出来事です。
地元の親子連れとかも名残を惜しんで、駅を訪れていました。母親はやさしく子供に語り掛けていました。
そして、写真なんかも撮っています。地元の人が心から名残を惜しんでいる光景に、いいなあと感じていました。
そのとき、でかい三脚を据えてカメラを構えているマニアが、「フラッシュ使うな!」と怒鳴り出したのです。
長時間露光で風景を撮っているのでしょう。
駅のホームで写真を撮っている分際で何様だと、
怒りを覚えました。
公共空間で、駅のホームで、親子連れが写真を撮ることに誰が勝手な指図ができるんだと。
長時間露光で写真が撮りたければ、廃線が決まる前に、人気がないときに来て写真を撮っておけよと。
クルマではなく、電車に乗って写真を撮りに来い。元から利用者が多くいれば廃線にはならなかったのだと。
廃線が決まってからのこのこと写真を撮りに来て、威張っているんじゃないよと。
ネットでは鉄道マニアへの辛辣な言葉も並びます。
一般人に対して罵声を浴びせるような連中は、批判されて当然です。
しかし、昔から撮り鉄はその視界に邪魔者が入ってくると罵声を浴びせるという文化?はありました。
ただし、その相手は同業者です。慣れていない撮り鉄が、お立ち台(撮影場所)でたくさんカメラを構えているのを無視して侵入してきた場合に限ります。撮り鉄同士には厳格なルールがありました。
それこそ、「どけー」、「バカヤロー」、「オドレーじゃまじゃー」、なぜか関東人でもそういうときは関西弁ぽくなるのでした。
でも決して 農作業をするおじさんや、
通行人など一般人に対してすることはなかったはずです。
まあ私もそういう集団には基本、入りたくはなかったのですが、たまには入っていました。カメラは手持ちで。
ネット社会、SNSでの拡散、こういう情けない光景が簡単に広がってしまいます。
最近は鉄道会社側も過度に態度が厳しい風潮です。鉄道会社の敷地内に入っての撮影は、そこが安全な場所でも通報されそうで怖いです。昔はおおらかでよかったとは、本当に思います。
今は撮れない、立ち入れない場所で撮った写真も数多いです。
新線開業や廃線、列車の廃止などのイベントなんかでも、ホームでの三脚や脚立は使用禁止とか言われるし、立ち入りも大幅に制限されるようになっています。
そういう人が群がるイベントで活躍するのが、銀箱(カメラバック)です。あれに乗ると群がる人の頭越しに写真が撮れます。銀箱はただのバックだから使用禁止とは言われません。ズルいかな。
でも、銀箱、絶滅危惧種ですね。いや、すでに絶滅しているかな。
カメラ量販店でも扱っていませんよね。
若い人はその存在すら知らないかな。
私も結構、昔は図々しく写真やビデオを撮っていたなあと思うと、偉そうなことは言えない気がしてきました。
私が東大宮-蓮田間で撮った写真です。高校2年のとき、昭和55年です。
今、こんな列車が走ったら、マニア殺到になりますね。
このとき、同業者は一切いませんでした。
私の装備は、キャノンFTb、タムロン85~210ミリレンズ、手持ち、マニュアル露出、手動フォーカス、手巻きです。
ヨンサントウダイヤ改正時に比べ若干のスピードダウンもありましたが、485系の8M4T編成が狂ったように疾走していた東北本線でした。
みんな下手くそですね。
2014年10月12日
銀塩フィルムとデジタルカメラと昔話
今更なんだけど、デジカメの性能は日々進化しています。
過去には、デジカメの創生期からのかなりの間、銀塩vsデジタルという論争がありました。
どちらが優れているのかということだけど、もう今はデジタルの画素数がフィルムの粒子の数を上回ってしまったのでしょう。
デジタルの画素数とフィルムの粒子の粒々の数は同じようなものなんでしょうかね。
フィルムの良さとアナログレコードの良さが同じようなもので、雰囲気があるとか滑らかであるとか、要するにボケ味とか性能の悪さ(違い)を味に置き換えている、感覚的なものだけでしょうね。
デジタルは1と0の情報だから、どこまで細かくなっても尖がった感覚は残るかもしれませんが、人間の目の解像度を超えた解像度と画素数にデジカメがなったとき、真にデジタルの勝利なのかなとも思います。
それでも、画素数だけでなくレンズの性能と記録容量の実用性の範囲とかいろいろ課題はまだ、これからも続くのでしょう。人間の目を超えることは永遠?にこないかもしれませんが。まあ、超えても意味もないのかな。
フィルムは芸術として今後も生きていくのでしょう。
デジカメは色再現性もすべてにおいてばらつきもないし、昔プリントを頼む際に、フイルム時代には試し焼きとか色見本を添付したとかの世界は必要なくなりました。
素人レベルでは、プリントも1枚10円でできるし、フィルムも必要ないし失敗は消去できるしで、写真にかかるコストも遙かに安くなったと思います。
しかし、昔暗室にこもって白黒写真の焼き付けをしていたのも良い思い出です。
引伸機で印画紙に焼き付けて、これも時間と絞りの関係、適正な焼き付け時間は経験と勘の世界でした。そして、現像、停止、定着の工程を経て、水洗いと乾燥で、写真が仕上がります。
これを書いていて記憶が甦ってきました。現像液はコレクトールとかND-76、フィルム用が72だったかな?、停止液は酢酸、これは臭かった、そして定着液はスーパーフィックスだったかな?水洗い促進のQWとか、乾燥でむらなく仕上げるドライウエルとかもあったな。コダックの製品と富士フイルムの製品をよく使っていました。NDは中外製薬だったかな?これも常用していました。
強アルカリ性の現像液を強酸性の停止液で中和、現像の化学変化を停止させてから定着液という理屈でした。
白黒フィルムは、ネオパンSSとかネオパン400とかあったけれど、私はコダックのASA400のトライXが常用でした。それも長尺といって100フィートだったかな、36枚撮りを約20本作れる缶に入ったのを購入して、カラのパトローネに詰め替えて使用していました。そういう利用者のために、昔はヨドバシカメラの店内とかにカラのパトローネを大量に置いてあって自由に持ち帰ることができました。その後、カラのパトローネも簡単に分離できないようロックというか窪みをつけるようになって再使用できなくなり、カラのパトローネの入手も困難になりました。
写真やカメラの仕組み、理論を学べたのは、やはりフィルムカメラのおかげだったと思います。
基本のシャッター速度と絞りの関係とか絞りを絞ると被写界深度が深くなってピントの合う範囲が広がるとか、逆に一点だけピントを合わせたけれど絞り開放にするとか。
光をフィルム面に当てるのがセンサーに当てることにデジタルで変わったけれど、そこまでの工程は今も昔も変わらないからシャッター速度と絞りの関係は今でも学べるのかな。
連写なんか出来なかったから、走ってくる列車に合わせてマニュアル操作でピントを合わせてシャッターと、一発勝負でした。私は三脚嫌いなので、基本、置きピンという技は使いませんでした。あの緊張感はたまらなかったなあ。特にさくら号やはやぶさ号などを狙っているときの高揚感は今は経験できません。
横走りフォーカルプレーンシャッターのキャノンF-1とかだと、走行する列車を真横から撮影する場合、シャッター幕と同方向に走る列車と、逆方向に走る列車を撮影する場合、逆方向の方がブレが少ないとか、広田尚敬氏の本で知りました。
フィルムカメラは一眼レフからなんでも持っているけれど、デジカメはコンパクトしか未だ持っていない私です。でも十分です。でも、スマホで写真を撮るのは今でも好きになれません。スマホ内蔵カメラがどんなに性能が上がろうと、操作性はカメラ専用機の方が優れていると思います。
過去には、デジカメの創生期からのかなりの間、銀塩vsデジタルという論争がありました。
どちらが優れているのかということだけど、もう今はデジタルの画素数がフィルムの粒子の数を上回ってしまったのでしょう。
デジタルの画素数とフィルムの粒子の粒々の数は同じようなものなんでしょうかね。
フィルムの良さとアナログレコードの良さが同じようなもので、雰囲気があるとか滑らかであるとか、要するにボケ味とか性能の悪さ(違い)を味に置き換えている、感覚的なものだけでしょうね。
デジタルは1と0の情報だから、どこまで細かくなっても尖がった感覚は残るかもしれませんが、人間の目の解像度を超えた解像度と画素数にデジカメがなったとき、真にデジタルの勝利なのかなとも思います。
それでも、画素数だけでなくレンズの性能と記録容量の実用性の範囲とかいろいろ課題はまだ、これからも続くのでしょう。人間の目を超えることは永遠?にこないかもしれませんが。まあ、超えても意味もないのかな。
フィルムは芸術として今後も生きていくのでしょう。
デジカメは色再現性もすべてにおいてばらつきもないし、昔プリントを頼む際に、フイルム時代には試し焼きとか色見本を添付したとかの世界は必要なくなりました。
素人レベルでは、プリントも1枚10円でできるし、フィルムも必要ないし失敗は消去できるしで、写真にかかるコストも遙かに安くなったと思います。
しかし、昔暗室にこもって白黒写真の焼き付けをしていたのも良い思い出です。
引伸機で印画紙に焼き付けて、これも時間と絞りの関係、適正な焼き付け時間は経験と勘の世界でした。そして、現像、停止、定着の工程を経て、水洗いと乾燥で、写真が仕上がります。
これを書いていて記憶が甦ってきました。現像液はコレクトールとかND-76、フィルム用が72だったかな?、停止液は酢酸、これは臭かった、そして定着液はスーパーフィックスだったかな?水洗い促進のQWとか、乾燥でむらなく仕上げるドライウエルとかもあったな。コダックの製品と富士フイルムの製品をよく使っていました。NDは中外製薬だったかな?これも常用していました。
強アルカリ性の現像液を強酸性の停止液で中和、現像の化学変化を停止させてから定着液という理屈でした。
白黒フィルムは、ネオパンSSとかネオパン400とかあったけれど、私はコダックのASA400のトライXが常用でした。それも長尺といって100フィートだったかな、36枚撮りを約20本作れる缶に入ったのを購入して、カラのパトローネに詰め替えて使用していました。そういう利用者のために、昔はヨドバシカメラの店内とかにカラのパトローネを大量に置いてあって自由に持ち帰ることができました。その後、カラのパトローネも簡単に分離できないようロックというか窪みをつけるようになって再使用できなくなり、カラのパトローネの入手も困難になりました。
写真やカメラの仕組み、理論を学べたのは、やはりフィルムカメラのおかげだったと思います。
基本のシャッター速度と絞りの関係とか絞りを絞ると被写界深度が深くなってピントの合う範囲が広がるとか、逆に一点だけピントを合わせたけれど絞り開放にするとか。
光をフィルム面に当てるのがセンサーに当てることにデジタルで変わったけれど、そこまでの工程は今も昔も変わらないからシャッター速度と絞りの関係は今でも学べるのかな。
連写なんか出来なかったから、走ってくる列車に合わせてマニュアル操作でピントを合わせてシャッターと、一発勝負でした。私は三脚嫌いなので、基本、置きピンという技は使いませんでした。あの緊張感はたまらなかったなあ。特にさくら号やはやぶさ号などを狙っているときの高揚感は今は経験できません。
横走りフォーカルプレーンシャッターのキャノンF-1とかだと、走行する列車を真横から撮影する場合、シャッター幕と同方向に走る列車と、逆方向に走る列車を撮影する場合、逆方向の方がブレが少ないとか、広田尚敬氏の本で知りました。
フィルムカメラは一眼レフからなんでも持っているけれど、デジカメはコンパクトしか未だ持っていない私です。でも十分です。でも、スマホで写真を撮るのは今でも好きになれません。スマホ内蔵カメラがどんなに性能が上がろうと、操作性はカメラ専用機の方が優れていると思います。
2013年12月22日
LUMIX FZ-200 渥美線撮影
パナソニックのFZ-200を購入しました。
さて、私はフィルムカメラはEOS-1はじめF-1、newF-1など持っていますが、デジカメは本当のコンパクトカメラしか持っていません。
それで、一応、本格撮影用にようやくというか、いまさらというか、分類上はコンパクトカメラだけど、結構ズーム倍率やレンズ性能が良さそうな、このLUMIX FZ-200を買ったのです。
ビックカメラのネット通販で4万円を切っていたのも、よいタイミングでした。ところが買ってからすぐに59800円に値上がりしていました。その後価格変動が多少あったり、ポイントが10→1%になったりして、ぜんぜんお得感がなくなりました。その後また、4万円を切ったけれど、またまた598になっています。よくわかりません。
FZ200は25ミリから600ミリまでの24倍ズーム搭載です。この頃は化け物みたいな50倍、60倍ズーム機も出現していて、それもコンパクトで低価格。私が学生の頃は600とか800ミリ、ましてや1200ミリレンズなんてバズーカ砲みたいで、100万円以上していたし(今でもね)夢物語。カタログの受注生産の文字に、無縁のものと思っていました。
昔、新宿のヨドバシカメラによく通っていた頃、店頭のショーケースに展示していたFD600ミリや800ミリに憧れて見ていて、いつかは手に入れて、別世界の画角で撮影してみたいとみたいと思っていました。
その超望遠がいまや当たり前に手に入るなんて、技術革新の賜です。
もちろん、いまでも100万円以上する一眼レフ用のとは多少性能は違うのだろうけれど、大きさや重さを考えたらコンパクトの方が遙かに実用的です。
レンズも非球面にEDレンズがてんこ盛り。30年前にこの価格でこのレンズは不可能でしょう。
昔のキャノンのカタログにある白いレンズ、その説明に、レンズに蛍石、UDガラスを何枚使用なんて書いてあるのを見て、雲の上の存在でした。
FZ200は全域F2.8、ここがこのカメラを選択した一番の理由です。100万以上する一眼用でも、キャノンの巨大なEF600ミリでF4だったかな。なんで、24倍ズーム、25~600ミリで全域F2.8なんて、私の古い価値観では夢のようです。
さて、試運転というか初撮影をしてみました。線路際に立つのは久しぶりです。
光学ズーム最高の600ミリでの撮影に挑戦。
豊橋鉄道渥美線の三河田原駅を出発した電車です。
はるかかなたのカーブの先から、ほぼ真正面に電車を捉えることができました。
手ぶれなし、ピンぼけなし、すべてカメラ任せで、手持ちでここまできれいとは。
ちなみに私、昔から三脚は使わない主義です。どんなくそ重い一眼レフと望遠レンズでも手持ちが基本です。あれは場所取り用だと思っています。
それでFZ200の手ぶれ防止機能も、よく働いているようです。
こんな画角の写真が気軽にとれるなんて、デジカメはすごいと、つくづく思います。
ちょっと前までデジカメに否定的だった自分が恥ずかしいです。でも10年くらい前にはカメラ雑誌でも、デジタルvs銀塩なんて企画もありましたよね。今やデジタルに敵なしかな。
同じ場所で振り返って、神戸駅側です。これはデジタルズーム併用で約1000ミリ相当です。空気のゆらぎが影響されるほどの超望遠撮影ですが、ブレなし、ピンぼけなし、いやはやすごいなと思いました。
広角側、25ミリです。
陰影の差がある条件です。
露出もすべてカメラ任せです。
順光の普通の景色。
日没前の微妙な条件。
日が沈んで、かなり暗くなっての超望遠撮影ですが、ピントもブレも問題なし。
すべて、露出、ピントもカメラ任せの撮影でした。
写真自体もすべて、トリミング等や一切の補正もしていません。
コンパクトカメラだけど、素人の私にはもうこれで十分です。EOS5くらいは欲しいと思っていたけれど、軽くて機動力抜群、面倒なレンズ交換も不要だし、バカ高い交換レンズも必要なしだから、デジタル一眼レフはいらないな。
カメラ雑誌などでは、それでも高性能一眼と高級交換レンズと、こんなコンパクトカメラとの性能比較はどのように評価されるのでしょうか。
これを持って電車に乗って、東海道本線や北陸本線の撮影にも行きたくなりました。
さて、私はフィルムカメラはEOS-1はじめF-1、newF-1など持っていますが、デジカメは本当のコンパクトカメラしか持っていません。
それで、一応、本格撮影用にようやくというか、いまさらというか、分類上はコンパクトカメラだけど、結構ズーム倍率やレンズ性能が良さそうな、このLUMIX FZ-200を買ったのです。
ビックカメラのネット通販で4万円を切っていたのも、よいタイミングでした。ところが買ってからすぐに59800円に値上がりしていました。その後価格変動が多少あったり、ポイントが10→1%になったりして、ぜんぜんお得感がなくなりました。その後また、4万円を切ったけれど、またまた598になっています。よくわかりません。
FZ200は25ミリから600ミリまでの24倍ズーム搭載です。この頃は化け物みたいな50倍、60倍ズーム機も出現していて、それもコンパクトで低価格。私が学生の頃は600とか800ミリ、ましてや1200ミリレンズなんてバズーカ砲みたいで、100万円以上していたし(今でもね)夢物語。カタログの受注生産の文字に、無縁のものと思っていました。
昔、新宿のヨドバシカメラによく通っていた頃、店頭のショーケースに展示していたFD600ミリや800ミリに憧れて見ていて、いつかは手に入れて、別世界の画角で撮影してみたいとみたいと思っていました。
その超望遠がいまや当たり前に手に入るなんて、技術革新の賜です。
もちろん、いまでも100万円以上する一眼レフ用のとは多少性能は違うのだろうけれど、大きさや重さを考えたらコンパクトの方が遙かに実用的です。
レンズも非球面にEDレンズがてんこ盛り。30年前にこの価格でこのレンズは不可能でしょう。
昔のキャノンのカタログにある白いレンズ、その説明に、レンズに蛍石、UDガラスを何枚使用なんて書いてあるのを見て、雲の上の存在でした。
FZ200は全域F2.8、ここがこのカメラを選択した一番の理由です。100万以上する一眼用でも、キャノンの巨大なEF600ミリでF4だったかな。なんで、24倍ズーム、25~600ミリで全域F2.8なんて、私の古い価値観では夢のようです。
さて、試運転というか初撮影をしてみました。線路際に立つのは久しぶりです。
光学ズーム最高の600ミリでの撮影に挑戦。
豊橋鉄道渥美線の三河田原駅を出発した電車です。
はるかかなたのカーブの先から、ほぼ真正面に電車を捉えることができました。
手ぶれなし、ピンぼけなし、すべてカメラ任せで、手持ちでここまできれいとは。
ちなみに私、昔から三脚は使わない主義です。どんなくそ重い一眼レフと望遠レンズでも手持ちが基本です。あれは場所取り用だと思っています。
それでFZ200の手ぶれ防止機能も、よく働いているようです。
こんな画角の写真が気軽にとれるなんて、デジカメはすごいと、つくづく思います。
ちょっと前までデジカメに否定的だった自分が恥ずかしいです。でも10年くらい前にはカメラ雑誌でも、デジタルvs銀塩なんて企画もありましたよね。今やデジタルに敵なしかな。
同じ場所で振り返って、神戸駅側です。これはデジタルズーム併用で約1000ミリ相当です。空気のゆらぎが影響されるほどの超望遠撮影ですが、ブレなし、ピンぼけなし、いやはやすごいなと思いました。
広角側、25ミリです。
陰影の差がある条件です。
露出もすべてカメラ任せです。
順光の普通の景色。
日没前の微妙な条件。
日が沈んで、かなり暗くなっての超望遠撮影ですが、ピントもブレも問題なし。
すべて、露出、ピントもカメラ任せの撮影でした。
写真自体もすべて、トリミング等や一切の補正もしていません。
コンパクトカメラだけど、素人の私にはもうこれで十分です。EOS5くらいは欲しいと思っていたけれど、軽くて機動力抜群、面倒なレンズ交換も不要だし、バカ高い交換レンズも必要なしだから、デジタル一眼レフはいらないな。
カメラ雑誌などでは、それでも高性能一眼と高級交換レンズと、こんなコンパクトカメラとの性能比較はどのように評価されるのでしょうか。
これを持って電車に乗って、東海道本線や北陸本線の撮影にも行きたくなりました。
2012年10月18日
カラーネガをスキャニング中
平成はじめからのカラーネガを現在、スキャナーで取り込んでいます。
昭和の白黒ネガもたくさんありますが、カラーネガも膨大な数があります。
完了したら、たくさん載せて過去写真を紹介していきたいと思います。
スキャナーはケンコー製のもので、約5000円弱で最近購入しました。
以前、白黒ネガを取り込んだとき(約10年前)はキャノンの汎用スキャナーで、ネガ1本分36コマ取り込むのに30分くらいかかり、実用的ではありませんでした。高解像度で設定したらとんでもない時間がかかりました。30分かかっても1コマあたり50KBくらいでしか取り込めませんでした。
時代が進んだのか、性能があがったのか、ケンコー製のはフィルムスキャン専用ですが、取り扱いは簡単だし、何よりも1コマ取り込むのに一瞬です。パシャっとシャッター音がして完了。1コマずつ手作業で、その作業にのみ時間が取られるだけです。これなら不満ありません。標準設定で1コマあたり2MBくらいの精度で取り込めます。色や解像度もこんなものかと、特に不満もありません。
なにせネガは数が何百本とあるので、地道に取り込み作業をやっていきます。
昭和の白黒ネガもたくさんありますが、カラーネガも膨大な数があります。
完了したら、たくさん載せて過去写真を紹介していきたいと思います。
スキャナーはケンコー製のもので、約5000円弱で最近購入しました。
以前、白黒ネガを取り込んだとき(約10年前)はキャノンの汎用スキャナーで、ネガ1本分36コマ取り込むのに30分くらいかかり、実用的ではありませんでした。高解像度で設定したらとんでもない時間がかかりました。30分かかっても1コマあたり50KBくらいでしか取り込めませんでした。
時代が進んだのか、性能があがったのか、ケンコー製のはフィルムスキャン専用ですが、取り扱いは簡単だし、何よりも1コマ取り込むのに一瞬です。パシャっとシャッター音がして完了。1コマずつ手作業で、その作業にのみ時間が取られるだけです。これなら不満ありません。標準設定で1コマあたり2MBくらいの精度で取り込めます。色や解像度もこんなものかと、特に不満もありません。
なにせネガは数が何百本とあるので、地道に取り込み作業をやっていきます。
2011年09月25日
キャノンF-1
久しぶりに昔使っていたカメラの虫干し?をしました。
あまりにも天気がよく、空気も乾燥していたので、カメラバックから出して動作確認やレンズの状態も見て清掃しました。
もう今は現役では見なくなりました、フィルムカメラ。
私の過去の栄光の品である一眼レフたち。
まずはこれ、キャノンF-1。
いわゆる後期型のF-1です。
私がもっとも使い込んだカメラです。
こいつはたしか高校2年生のとき、F-1の製造が中止となり、newF-1が発売になると決まっていた頃に購入したのでした。金銭的にはかなり無理したはずです。とにかくF-1に憧れていました。
ワインダーは後に、大学生になってからか就職してからか忘れたけれど、中古で別に購入したものです。
この頃はモータードライブ、いわゆるモードラとそれよりも性能の落ちるけど若干コンパクトなワインダーの2種類の自動巻き上げ機が選択できました。
モードラは秒5コマ、ワインダーは秒2コマだったかな。
これを持って、日本全国、いろいろなところへ旅して歩きまわりました。
重さなんか気にならない、時刻表の大判とともに持ち歩くのが当然でした。
装着しているレンズは35~105mmのズームです。
ズームレンズも今では、28~200mmとか当たり前にあって、それもコンパクトで軽くて、しかも安くて、レンズは使いやすく、また、購入しやすくなったものだと思います。
この頃は、キャノンの純正望遠ズームなどは高嶺の花でした。
タムロンとか、トキナーのレンズを使用してました。
その頃はレンズ専業メーカーのものはなんとなく二流品というイメージでしたが、今では性能もよいし、イメージもよくなりました。
動作は今でも問題ありません。
露出計の電池は、とっくに製造中止になっている水銀電池のHD型を使用しますが、販売中止になる前に大量に購入してまだ在庫があるので、大丈夫なはずです。でも、水銀電池も購入してから20年くらいはたっているから、劣化しているかな?
マニュアルフォーカス、露光調整のシャッター速度、絞り、そして巻き上げもすべて手動のこのカメラ。
とにかく、F-1は、私がもっとも使い込んだカメラです。
次はこれ、キャノンFTbです。
父が持っていた、もともとうちにあったカメラです。
それを私が専用で使うようになりました。
中学生になったばかりの頃です。
このカメラが私を写真の道に引きずり込んだようなものです。
一眼レフの基礎知識と操作を学んだカメラです。
操作系はF-1とほぼ同じ、F-1の廉価版、普及品みたいなものだったと思います。シャッター速度が1/1000までしかないのがF-1との決定的な違いくらいです。もっとも耐久性や頑丈度は、プロ用のF-1には及ばないのでしょうが。
中学生のときは、このカメラでとにかく撮りまくっていました。無意識に体が反応するまでシャッター速度と絞りとピントを合わせることを、とことんこのカメラで技術を磨きました。
シャッター速度と絞りの関係、横走りフォーカルプレーンシャッターの特性などを学んで、流し撮りや夜間の撮影などいろいろやったものです。
レンズは50mmF1.8という基本のものしかありませんでした。
その後、タムロンの85~210mmF4.5というレンズを購入して、望遠撮影にも手を広げていきました。
このFTbも、私にとって一眼レフの基本を叩き込んでくれた、思い出の愛機です。
動作確認は問題なし。50mmレンズが若干曇っていました。
そうして、世はオートフォーカス、すべてオートが全盛となり、マニュアルカメラはほとんど消滅していきました。
キャノンは、マニュアルのFDレンズを完全に見捨てて、EFレンズへ移行し、カメラ本体もEOSシリーズに代わりました。
ニコンと違い、キャノンは過去の製品を完全に切り捨てました。
その結果が正解だったのかは、今のデジカメ時代になっても通用するEFレンズシリーズになって正解だったのでしょうか。
私はマニュアルにこだわっていたので、F-1を使い続けていたのですが、耐え切れなくなって買ったのが、このEOS1N HSです。
いっしょに35~350mm純正ズームも買いました。それと標準ズームも。
オートになって、露出とかカメラ任せにして、自分ではあまり考えずに撮るようになってしまいました。
ピントもカメラ任せだと、接近してくる列車に対してカメラが判断に迷って肝心なタイミングで合わないなんてこともよくありました。今でも基本はピントはマニュアル操作を心がけています。
最新のカメラはそんなこともないのでしょうか。
でも、EOSになってから、私の写真の腕はたしかに落ちたような気がします。カメラ任せにして手抜きというか、考えずに撮るようになってしまったような。
EOSが現役機であるとき、ふと中古のnewF-1が売られているのが目に入ったのです。
なんとなく、衝動買いしてしまいました。平成12年頃です。
ずっとF-1を使ってきたけれど、newF-1は憧れでした。
もうとうに過去のものだけど、財産としても手に入れておきたいと思いました。
モードラ付なんて、学生のときはまず購入は無理でした。
正直言って、このカメラでまともに鉄道写真を撮ったことはほとんどありません。
そういう意味、もったいないけれど、でもいいんです。
F-1万歳です。
おまけです。
オリンパスのL-3というフィルムカメラです。
デザインから、デジカメと勘違いもよくされたけれど、フィルムカメラです。
職場の上司がL-2を持っていて見せてもらって、その携帯性や一眼レフとしての性能から気に入ってしまい購入しました。
撮影がメインでない旅行などで、高倍率ズームなど重宝しました。
EOSよりもこちらの方が使用頻度は高かったです。
デジカメ時代となり、私も今はデジカメしか使っていません。
若い頃は一眼レフ以外眼中になく、コンパクトカメラを使うなんてバカにしていた節もありました。
それが今、私のメインカメラはルミックスのFX66、立派なコンパクトデジカメです。
これで十分です。とりあえず。
デジタル一眼レフは未だ、持っていません。
本格的な鉄道写真を撮る機会もほとんどなくなりました。
最近は高齢者や女子が、高価な一眼レフで撮影している姿を見かけることが増えました。
写真を趣味にしている人が大変増えたと思います。
私も負けないようにしないと。
またいずれ、写真道に精進しようかな、なんてね。
私の財産であるキャノンのマニュアル一眼レフたち、たまには外でシャッター音を響かせようかな。
あまりにも天気がよく、空気も乾燥していたので、カメラバックから出して動作確認やレンズの状態も見て清掃しました。
もう今は現役では見なくなりました、フィルムカメラ。
私の過去の栄光の品である一眼レフたち。
まずはこれ、キャノンF-1。
いわゆる後期型のF-1です。
私がもっとも使い込んだカメラです。
こいつはたしか高校2年生のとき、F-1の製造が中止となり、newF-1が発売になると決まっていた頃に購入したのでした。金銭的にはかなり無理したはずです。とにかくF-1に憧れていました。
ワインダーは後に、大学生になってからか就職してからか忘れたけれど、中古で別に購入したものです。
この頃はモータードライブ、いわゆるモードラとそれよりも性能の落ちるけど若干コンパクトなワインダーの2種類の自動巻き上げ機が選択できました。
モードラは秒5コマ、ワインダーは秒2コマだったかな。
これを持って、日本全国、いろいろなところへ旅して歩きまわりました。
重さなんか気にならない、時刻表の大判とともに持ち歩くのが当然でした。
装着しているレンズは35~105mmのズームです。
ズームレンズも今では、28~200mmとか当たり前にあって、それもコンパクトで軽くて、しかも安くて、レンズは使いやすく、また、購入しやすくなったものだと思います。
この頃は、キャノンの純正望遠ズームなどは高嶺の花でした。
タムロンとか、トキナーのレンズを使用してました。
その頃はレンズ専業メーカーのものはなんとなく二流品というイメージでしたが、今では性能もよいし、イメージもよくなりました。
動作は今でも問題ありません。
露出計の電池は、とっくに製造中止になっている水銀電池のHD型を使用しますが、販売中止になる前に大量に購入してまだ在庫があるので、大丈夫なはずです。でも、水銀電池も購入してから20年くらいはたっているから、劣化しているかな?
マニュアルフォーカス、露光調整のシャッター速度、絞り、そして巻き上げもすべて手動のこのカメラ。
とにかく、F-1は、私がもっとも使い込んだカメラです。
次はこれ、キャノンFTbです。
父が持っていた、もともとうちにあったカメラです。
それを私が専用で使うようになりました。
中学生になったばかりの頃です。
このカメラが私を写真の道に引きずり込んだようなものです。
一眼レフの基礎知識と操作を学んだカメラです。
操作系はF-1とほぼ同じ、F-1の廉価版、普及品みたいなものだったと思います。シャッター速度が1/1000までしかないのがF-1との決定的な違いくらいです。もっとも耐久性や頑丈度は、プロ用のF-1には及ばないのでしょうが。
中学生のときは、このカメラでとにかく撮りまくっていました。無意識に体が反応するまでシャッター速度と絞りとピントを合わせることを、とことんこのカメラで技術を磨きました。
シャッター速度と絞りの関係、横走りフォーカルプレーンシャッターの特性などを学んで、流し撮りや夜間の撮影などいろいろやったものです。
レンズは50mmF1.8という基本のものしかありませんでした。
その後、タムロンの85~210mmF4.5というレンズを購入して、望遠撮影にも手を広げていきました。
このFTbも、私にとって一眼レフの基本を叩き込んでくれた、思い出の愛機です。
動作確認は問題なし。50mmレンズが若干曇っていました。
そうして、世はオートフォーカス、すべてオートが全盛となり、マニュアルカメラはほとんど消滅していきました。
キャノンは、マニュアルのFDレンズを完全に見捨てて、EFレンズへ移行し、カメラ本体もEOSシリーズに代わりました。
ニコンと違い、キャノンは過去の製品を完全に切り捨てました。
その結果が正解だったのかは、今のデジカメ時代になっても通用するEFレンズシリーズになって正解だったのでしょうか。
私はマニュアルにこだわっていたので、F-1を使い続けていたのですが、耐え切れなくなって買ったのが、このEOS1N HSです。
いっしょに35~350mm純正ズームも買いました。それと標準ズームも。
オートになって、露出とかカメラ任せにして、自分ではあまり考えずに撮るようになってしまいました。
ピントもカメラ任せだと、接近してくる列車に対してカメラが判断に迷って肝心なタイミングで合わないなんてこともよくありました。今でも基本はピントはマニュアル操作を心がけています。
最新のカメラはそんなこともないのでしょうか。
でも、EOSになってから、私の写真の腕はたしかに落ちたような気がします。カメラ任せにして手抜きというか、考えずに撮るようになってしまったような。
EOSが現役機であるとき、ふと中古のnewF-1が売られているのが目に入ったのです。
なんとなく、衝動買いしてしまいました。平成12年頃です。
ずっとF-1を使ってきたけれど、newF-1は憧れでした。
もうとうに過去のものだけど、財産としても手に入れておきたいと思いました。
モードラ付なんて、学生のときはまず購入は無理でした。
正直言って、このカメラでまともに鉄道写真を撮ったことはほとんどありません。
そういう意味、もったいないけれど、でもいいんです。
F-1万歳です。
おまけです。
オリンパスのL-3というフィルムカメラです。
デザインから、デジカメと勘違いもよくされたけれど、フィルムカメラです。
職場の上司がL-2を持っていて見せてもらって、その携帯性や一眼レフとしての性能から気に入ってしまい購入しました。
撮影がメインでない旅行などで、高倍率ズームなど重宝しました。
EOSよりもこちらの方が使用頻度は高かったです。
デジカメ時代となり、私も今はデジカメしか使っていません。
若い頃は一眼レフ以外眼中になく、コンパクトカメラを使うなんてバカにしていた節もありました。
それが今、私のメインカメラはルミックスのFX66、立派なコンパクトデジカメです。
これで十分です。とりあえず。
デジタル一眼レフは未だ、持っていません。
本格的な鉄道写真を撮る機会もほとんどなくなりました。
最近は高齢者や女子が、高価な一眼レフで撮影している姿を見かけることが増えました。
写真を趣味にしている人が大変増えたと思います。
私も負けないようにしないと。
またいずれ、写真道に精進しようかな、なんてね。
私の財産であるキャノンのマニュアル一眼レフたち、たまには外でシャッター音を響かせようかな。
2011年03月05日
写真
私、高校時代は写真部なんぞにいたりしまして、学生時代は鉄道研究会で活動、一眼レフに銀バコを肩に下げ、鉄道写真を撮りに全国を旅していました。今は銀バコはまったく見なくなりましたね。
その頃の財産でフィルムカメラは結構良いモノを持っています。
そして、白黒で撮って自分で現像、引き伸ばしをしていました。
ちなみに私はキャノン派です。
一番使いこんだのは、FTbとF-1です。
ピントも露出も完全マニュアル、頭を使って撮っていました。今は何も考えずカメラ任せ。
デジカメの時代となってからは、コンパクトデジカメしか持っていません。
画質はいいし軽いし小さいしと、しかも光学ズームの倍率も高いので、実用では十分かなと。何よりも旅行や出張で気軽に携帯できるのがいいです。
気合いが入った撮影旅行なんかも歳のせいかまったくしていません。
撮り鉄から完全に今は乗り鉄になってしまいました。学生が春休みのせいか、北陸本線沿線や駅には一眼レフを持ったマニアを数多く見ます。
そんな姿を見ると、昔の血が騒ぎ、一眼レフで本格的に撮ってみたいもんだと思ったりします。
EOS5くらい欲しいかななんて、またまた無謀な欲望が…
その頃の財産でフィルムカメラは結構良いモノを持っています。
そして、白黒で撮って自分で現像、引き伸ばしをしていました。
ちなみに私はキャノン派です。
一番使いこんだのは、FTbとF-1です。
ピントも露出も完全マニュアル、頭を使って撮っていました。今は何も考えずカメラ任せ。
デジカメの時代となってからは、コンパクトデジカメしか持っていません。
画質はいいし軽いし小さいしと、しかも光学ズームの倍率も高いので、実用では十分かなと。何よりも旅行や出張で気軽に携帯できるのがいいです。
気合いが入った撮影旅行なんかも歳のせいかまったくしていません。
撮り鉄から完全に今は乗り鉄になってしまいました。学生が春休みのせいか、北陸本線沿線や駅には一眼レフを持ったマニアを数多く見ます。
そんな姿を見ると、昔の血が騒ぎ、一眼レフで本格的に撮ってみたいもんだと思ったりします。
EOS5くらい欲しいかななんて、またまた無謀な欲望が…