2022年07月23日
オーバーラン
武蔵野線でオーバーランがあり、ニュースとなりました。
その程度のことがニュースになる、イヤな時代です。
JRが積極的に広報しているのかな。
安倍さんが襲われた日だったら、微塵もニュースにはなっていなかったと思います。
私が高校、大学時代は東武東上線を利用していました。
日常茶飯事とまでは言わないけれど、オーバーランなんて珍しくもなかったです。
よく目撃したし、自分が乗っている電車が急停車して、バックさせて戻ることは特に珍しくもなかったです。
前面かぶりつきをしていたときもありましたよ。
運転士と車掌が連絡しあって、バックさせていました。
バックさせての停止では、失敗することもなく見事にスムーズに正確に停止させていました。
東武東上線は特に多いなと感じていたけれど、毎日乗っていたから遭遇する頻度が高かったのかも。
行きすぎたら、すぐにバックして、せいぜい1~2分程度遅れるだけで、何事もなかったかのように発車してような気がします。
おわびの放送すらあったりなかったりだったような。
放送があっても、「停止位置を直しますのでしばらくお待ちください」くらいな程度でした。
今でもそうじゃないのかね。
停止位置を直してドアが開閉して発車してから「ご迷惑かけました、次は○○です」ってな具合で何事もなかったように過ぎていくような。
今は何かと厳しいから、オーバーランも事故扱い1件みたいな報告義務もあるのでしょうか。
停止位置を直すにも、列車無線で指令に報告したりやなんやと、やたら時間もかけるような。
完全に10両編成全部がホームから外れるような派手なオーバーランはバックして元に戻すことはできず、次の駅まで行った場合なんかはニュースになっていましたね、昔も。
ニュースでは「ケガ人はいなかった」、なんでオーバーランでケガ人が出ることを想定するのか、不思議です。
大げさなことで。
確かに、急制動かけられると体を大きく揺らされるけれど、転ぶような人はいないです、普通は。
でも、満員電車でやられると、圧力はすごかったなあ。
運転士も大変な時代になりました。
いねむりは論外だけど。
東海道線 金山駅にホームドアが出来てから、金山駅に停車するときだけ妙に低速で進入して、慎重に停止するようになったことは笑えます。
ホームドアがあるから停止位置を正確に合わせるためだろうけれど、首都圏のJR、私鉄はホームドアが標準になっているけれど、通常どおりの減速具合で停車させています。
金山同様にすべての駅で慎重に停止させていたら、ダイヤ遅延は必至でしょう。
JR東海、大丈夫かいな。
将来、すべての駅にホームドアができるまでには、通常どおり停車させる訓練するのかな。
その程度のことがニュースになる、イヤな時代です。
JRが積極的に広報しているのかな。
安倍さんが襲われた日だったら、微塵もニュースにはなっていなかったと思います。
私が高校、大学時代は東武東上線を利用していました。
日常茶飯事とまでは言わないけれど、オーバーランなんて珍しくもなかったです。
よく目撃したし、自分が乗っている電車が急停車して、バックさせて戻ることは特に珍しくもなかったです。
前面かぶりつきをしていたときもありましたよ。
運転士と車掌が連絡しあって、バックさせていました。
バックさせての停止では、失敗することもなく見事にスムーズに正確に停止させていました。
東武東上線は特に多いなと感じていたけれど、毎日乗っていたから遭遇する頻度が高かったのかも。
行きすぎたら、すぐにバックして、せいぜい1~2分程度遅れるだけで、何事もなかったかのように発車してような気がします。
おわびの放送すらあったりなかったりだったような。
放送があっても、「停止位置を直しますのでしばらくお待ちください」くらいな程度でした。
今でもそうじゃないのかね。
停止位置を直してドアが開閉して発車してから「ご迷惑かけました、次は○○です」ってな具合で何事もなかったように過ぎていくような。
今は何かと厳しいから、オーバーランも事故扱い1件みたいな報告義務もあるのでしょうか。
停止位置を直すにも、列車無線で指令に報告したりやなんやと、やたら時間もかけるような。
完全に10両編成全部がホームから外れるような派手なオーバーランはバックして元に戻すことはできず、次の駅まで行った場合なんかはニュースになっていましたね、昔も。
ニュースでは「ケガ人はいなかった」、なんでオーバーランでケガ人が出ることを想定するのか、不思議です。
大げさなことで。
確かに、急制動かけられると体を大きく揺らされるけれど、転ぶような人はいないです、普通は。
でも、満員電車でやられると、圧力はすごかったなあ。
運転士も大変な時代になりました。
いねむりは論外だけど。
東海道線 金山駅にホームドアが出来てから、金山駅に停車するときだけ妙に低速で進入して、慎重に停止するようになったことは笑えます。
ホームドアがあるから停止位置を正確に合わせるためだろうけれど、首都圏のJR、私鉄はホームドアが標準になっているけれど、通常どおりの減速具合で停車させています。
金山同様にすべての駅で慎重に停止させていたら、ダイヤ遅延は必至でしょう。
JR東海、大丈夫かいな。
将来、すべての駅にホームドアができるまでには、通常どおり停車させる訓練するのかな。
2022年07月18日
北陸本線 セクション付近
米原から数駅の田村-坂田間には昔、交直セクションがあり、交直両用電車以外は田村-坂田間は気動車か、客車は短区間だけディーゼル機関車が牽引、田村駅構内で電気機関車との交換をしていました。
米原から客車に乗ったときのもの。
先頭で撮影したもの。こんな風景、今は撮影する機会もないですね。
今は米原-長浜間は新快速が毎時2本は乗り入れているけれど、この頃は2~3時間に一本くらいしか走っていませんでした。
駅付近の風景といい激変しました。
ディーゼル機関車が離れていく。
交流電気機関車、EF70が連結される。
湖西線との接続駅、近江塩津では、湖西線の永原までの区間に交直セクションがあったので、この区間の普通は気動車接続が大半(すべて?)でした。
米原から客車に乗ったときのもの。
先頭で撮影したもの。こんな風景、今は撮影する機会もないですね。
今は米原-長浜間は新快速が毎時2本は乗り入れているけれど、この頃は2~3時間に一本くらいしか走っていませんでした。
駅付近の風景といい激変しました。
ディーゼル機関車が離れていく。
交流電気機関車、EF70が連結される。
湖西線との接続駅、近江塩津では、湖西線の永原までの区間に交直セクションがあったので、この区間の普通は気動車接続が大半(すべて?)でした。
2022年07月18日
2022年07月17日
○○のはなし
錦川鉄道に乗った翌日、新下関・下関と東萩を結ぶ観光列車「○○のはなし」という列車に乗りました。
「は」は萩、「な」は長門、「し」は下関ということらしいです。
下関から乗車しました。入線風景。
下関のホームは、階段側は電車に合わせてかさ上げしているけれど、九州側は昔の客車の高さです。
だから、○○のはなしも気動車に合わせて、階段からは遠い位置に停車しました。
境目ですが、わかりますかね。
発車時は駅員さんたちがお見送り。
車内はかんな感じ。
2車号です。
海側は低く、反対側は一段高くなっていて、海が良く見えるよう構造です。
1号車はすべて、海側へ向いています。
私は、普通のボックス構造の方が好きです。
久しぶりの山陰本線です。こんなに海の至近を走ります。
昔、旧客や50系客車に乗った区間、相当にご無沙汰です。
40年近く経つかな。
難読駅名の「特牛駅」
京都駅から629キロの阿川駅。
山陰本線は、京都から幡生までを結んでいるけれど、通しで走る列車は皆無だし、長距離特急もないし、分断されているのが実態。
駅前に臨時?カフェが営業中。飲み物やスイーツ系、ビールもありました。
私は、駅前に昔ながらの駅前商店、雑貨屋があったのでそこで缶チューハイを買いました。
帰りもあてにしていたのに、その店は帰り、16時頃は閉店していました。酒を追加しようと思っていたのに。
車内では午前中から宴会です。
下関駅構内のスーパーに、折尾のかしわめし(冷凍)があったので、それを昼食としました。
東萩駅。なんだか閑散としています。無人駅です。昔はたいそう観光客らで賑わっていたけどなあ。
しかし、昔からこんなに本数少なかったかしら。
益田、浜田方面、8時代の次が14時です。
萩駅では盛大にお見送りしてくれました。
観光で盛り上げようという姿勢し感じます。
帰りもたんたんと海沿いを走ります。
帰りは仙崎へ立ち寄ります。こういうサービス、良いなあ。
仙崎駅へ再訪したのも、間違いなく大学時代、約40年ぶりです。
人丸駅で交換。
亜幹線の典型的な配線、2面3線に貨物用引き込み線がある構造。
3番線は撤去されていますが。
下関と東萩を一日かけて往復、のんびりした良い旅でした。
「は」は萩、「な」は長門、「し」は下関ということらしいです。
下関から乗車しました。入線風景。
下関のホームは、階段側は電車に合わせてかさ上げしているけれど、九州側は昔の客車の高さです。
だから、○○のはなしも気動車に合わせて、階段からは遠い位置に停車しました。
境目ですが、わかりますかね。
発車時は駅員さんたちがお見送り。
車内はかんな感じ。
2車号です。
海側は低く、反対側は一段高くなっていて、海が良く見えるよう構造です。
1号車はすべて、海側へ向いています。
私は、普通のボックス構造の方が好きです。
久しぶりの山陰本線です。こんなに海の至近を走ります。
昔、旧客や50系客車に乗った区間、相当にご無沙汰です。
40年近く経つかな。
難読駅名の「特牛駅」
京都駅から629キロの阿川駅。
山陰本線は、京都から幡生までを結んでいるけれど、通しで走る列車は皆無だし、長距離特急もないし、分断されているのが実態。
駅前に臨時?カフェが営業中。飲み物やスイーツ系、ビールもありました。
私は、駅前に昔ながらの駅前商店、雑貨屋があったのでそこで缶チューハイを買いました。
帰りもあてにしていたのに、その店は帰り、16時頃は閉店していました。酒を追加しようと思っていたのに。
車内では午前中から宴会です。
下関駅構内のスーパーに、折尾のかしわめし(冷凍)があったので、それを昼食としました。
東萩駅。なんだか閑散としています。無人駅です。昔はたいそう観光客らで賑わっていたけどなあ。
しかし、昔からこんなに本数少なかったかしら。
益田、浜田方面、8時代の次が14時です。
萩駅では盛大にお見送りしてくれました。
観光で盛り上げようという姿勢し感じます。
帰りもたんたんと海沿いを走ります。
帰りは仙崎へ立ち寄ります。こういうサービス、良いなあ。
仙崎駅へ再訪したのも、間違いなく大学時代、約40年ぶりです。
人丸駅で交換。
亜幹線の典型的な配線、2面3線に貨物用引き込み線がある構造。
3番線は撤去されていますが。
下関と東萩を一日かけて往復、のんびりした良い旅でした。
2022年07月03日
錦川鉄道と岩日線未成線
たぶん大学生の頃、40年ぶりくらいだろうか。
岩日線時代に一度だけ乗った、錦川鉄道に乗ってきました。
目的は「とことこトレイン」、錦町から先の未成区間に観光列車?が走っているのです。
岩国駅へ到着する列車。
隣のキハ47はJR岩徳線のもの。
機会があればこちらも乗りたいです。
岩国から2駅めの川西までは岩徳線です。
西岩国駅は大きく、ホームの長く、山陽本線が海線経由になるまではこちらが山陽本線だったから、ホームも長く立派です。
岩日線の開業は1960年。ちょうど新幹線の建設時期と重なっているので、かなり贅沢な構造です。
こんな小駅からも乗客が。
秘境駅として新たに設置された駅と車内放送で案内が。
イベント時には停車するとのことだけど、見た限り出入り口はなく、秘境というより卑怯だな。
どうやって建設したのだろうか。
錦町で乗り換えて、とことこトレインへ乗車。
遊園地のアトラクションみたい。
愛知万博で場内を走っていたとのこと。
未成区間はいきなりトンネルから始まります。
6月にもかかわらず、トンネルの中ははっきり言って、寒い。
トンネル内は光る石で地元の子供たちがデザインした装飾が。
途中停車して、降りて見物です。
駅ホームも設置されています。
鉄建公団が建設した新線らしい構造。
終点の雙津峡温泉。
とことこトレインはこのままクルツと回って帰ります。
ここから先は閉鎖されています。
帰りもトンネルの中で停止して、終着錦町着。
錦町駅で売っていたので、帰りはビール飲みました。
途中、なぜか非常停車。
運転士が降りて、列車の下に手を伸ばして作業しています。
何やら電話で確認してから、少しバックさせました。
倒木があって台車下に絡んだみたいです。
無事、除去できて出発。
10分くらい停車したかな。
帰りは岩国まで戻らず、ここで下車。
新幹線の新岩国駅乗り換えのためです。
昔は「御庄駅」でした。
今では乗換駅として案内されていますが、昔は時刻表などでも一切乗り換えできることは案内されていませんでした。
宮脇俊三氏の時刻表2万キロでは岩日線乗車に際して、地図を見ると近接しているので、あぜ道でもあるけば新岩国駅へ到達できるのではないかと予想して下車してみたと書いています。
実際は乗り換え通路があり、新幹線の高架下を歩いたと書かれています。
夕方に岩日線を降りて、その日のうちに東京へ帰れるなんて、新幹線は魔法の杖だと評しています。
岩国駅まで行ってバスで新岩国駅へ行ったら、最終の東京行きのひかりには乗れなかったのです。
だから御庄で降りて乗り換えるというのは、裏技だったのです。
夜行列車が当たり前にたくさん走っていた、そんな時代でした。
乗り換え通路はいまでも同じです。ただし正式に乗換駅として案内されていますが。
私も岩日線初乗車のとき、当時の御庄駅で降りて新幹線乗り換えを実行しました。
新岩国駅、昔と少しは変わったのかしら?
駅前は閑散としています。停車するこだまは1時間に1本。
岩日線時代に一度だけ乗った、錦川鉄道に乗ってきました。
目的は「とことこトレイン」、錦町から先の未成区間に観光列車?が走っているのです。
岩国駅へ到着する列車。
隣のキハ47はJR岩徳線のもの。
機会があればこちらも乗りたいです。
岩国から2駅めの川西までは岩徳線です。
西岩国駅は大きく、ホームの長く、山陽本線が海線経由になるまではこちらが山陽本線だったから、ホームも長く立派です。
岩日線の開業は1960年。ちょうど新幹線の建設時期と重なっているので、かなり贅沢な構造です。
こんな小駅からも乗客が。
秘境駅として新たに設置された駅と車内放送で案内が。
イベント時には停車するとのことだけど、見た限り出入り口はなく、秘境というより卑怯だな。
どうやって建設したのだろうか。
錦町で乗り換えて、とことこトレインへ乗車。
遊園地のアトラクションみたい。
愛知万博で場内を走っていたとのこと。
未成区間はいきなりトンネルから始まります。
6月にもかかわらず、トンネルの中ははっきり言って、寒い。
トンネル内は光る石で地元の子供たちがデザインした装飾が。
途中停車して、降りて見物です。
駅ホームも設置されています。
鉄建公団が建設した新線らしい構造。
終点の雙津峡温泉。
とことこトレインはこのままクルツと回って帰ります。
ここから先は閉鎖されています。
帰りもトンネルの中で停止して、終着錦町着。
錦町駅で売っていたので、帰りはビール飲みました。
途中、なぜか非常停車。
運転士が降りて、列車の下に手を伸ばして作業しています。
何やら電話で確認してから、少しバックさせました。
倒木があって台車下に絡んだみたいです。
無事、除去できて出発。
10分くらい停車したかな。
帰りは岩国まで戻らず、ここで下車。
新幹線の新岩国駅乗り換えのためです。
昔は「御庄駅」でした。
今では乗換駅として案内されていますが、昔は時刻表などでも一切乗り換えできることは案内されていませんでした。
宮脇俊三氏の時刻表2万キロでは岩日線乗車に際して、地図を見ると近接しているので、あぜ道でもあるけば新岩国駅へ到達できるのではないかと予想して下車してみたと書いています。
実際は乗り換え通路があり、新幹線の高架下を歩いたと書かれています。
夕方に岩日線を降りて、その日のうちに東京へ帰れるなんて、新幹線は魔法の杖だと評しています。
岩国駅まで行ってバスで新岩国駅へ行ったら、最終の東京行きのひかりには乗れなかったのです。
だから御庄で降りて乗り換えるというのは、裏技だったのです。
夜行列車が当たり前にたくさん走っていた、そんな時代でした。
乗り換え通路はいまでも同じです。ただし正式に乗換駅として案内されていますが。
私も岩日線初乗車のとき、当時の御庄駅で降りて新幹線乗り換えを実行しました。
新岩国駅、昔と少しは変わったのかしら?
駅前は閑散としています。停車するこだまは1時間に1本。