2024年04月06日
車窓はテレビより面白い
宮脇俊三さんの著作で、「車窓はテレビより面白い」があります。
1989年(昭和64年)2月、昭和末期に初版が出ました。
今はほとんどの人が電車内ではスマホとにらめっこしています。
それに、新幹線でも在来線クロスシート車両でも、陽も当たっていないのに窓側に座った人が即座にブラインドを下ろす光景もよく見ます。
宮脇俊三さんが生きていたら必ず、
「車窓はスマホより面白い」と、
きっと言ってくれるでしょう。
でも、地方でもロングシートの車両が激増しているし、簡単に車窓を楽しめる機会は減りました。
中央線名古屋口も新車の315系はオールロングシート。
豊橋-大垣(岐阜)間や関西は、私鉄と競合しているから、サービス競争上クロスシートが主体です。
要するにロングシートは、独占区間で競争のない熱海-静岡間とかが主体となっているのです。
サービス上はクロスシートが勝っていることは明白で、合理化できるサービスは低下させても良いところがロングシートになっていくのです。
東海道線に315系が配備されるときは、きっとクロスシート車両となることでしょう。
もしもロングシートになったら、私は確実に名鉄利用となることでしょう。
1989年(昭和64年)2月、昭和末期に初版が出ました。
今はほとんどの人が電車内ではスマホとにらめっこしています。
それに、新幹線でも在来線クロスシート車両でも、陽も当たっていないのに窓側に座った人が即座にブラインドを下ろす光景もよく見ます。
宮脇俊三さんが生きていたら必ず、
「車窓はスマホより面白い」と、
きっと言ってくれるでしょう。
でも、地方でもロングシートの車両が激増しているし、簡単に車窓を楽しめる機会は減りました。
中央線名古屋口も新車の315系はオールロングシート。
豊橋-大垣(岐阜)間や関西は、私鉄と競合しているから、サービス競争上クロスシートが主体です。
要するにロングシートは、独占区間で競争のない熱海-静岡間とかが主体となっているのです。
サービス上はクロスシートが勝っていることは明白で、合理化できるサービスは低下させても良いところがロングシートになっていくのです。
東海道線に315系が配備されるときは、きっとクロスシート車両となることでしょう。
もしもロングシートになったら、私は確実に名鉄利用となることでしょう。
2024年04月06日
信越本線 横川-軽井沢間 廃止の日
北陸新幹線敦賀開業のことを書いたら思い出して、長野開業時に絡めて、横軽廃止のことを書いてみます。
1997年(平成9年)、信越本線の横川-軽井沢間の廃止の日当日は、ビデオカメラをひっ下げて行きました。
そのため写真はあまり撮っていない中で、廃止数日前に行ったときのカットです。
廃止当日の日の写真も紛れています。
名物の釜飯の立ち売りも有名でした。
最終日となった9月30日は昼過ぎから横川駅、軽井沢駅に滞在して、最終の下りあさま号で長野まで乗りました。
もうはるか昔のことですね。
1997年(平成9年)、信越本線の横川-軽井沢間の廃止の日当日は、ビデオカメラをひっ下げて行きました。
そのため写真はあまり撮っていない中で、廃止数日前に行ったときのカットです。
廃止当日の日の写真も紛れています。
名物の釜飯の立ち売りも有名でした。
最終日となった9月30日は昼過ぎから横川駅、軽井沢駅に滞在して、最終の下りあさま号で長野まで乗りました。
もうはるか昔のことですね。
2024年04月06日
北陸新幹線 敦賀延伸開業
前日、金沢行きしらさぎ号に乗り、敦賀に戻って1泊。
いよいよ、敦賀駅にて開業セレモニーに参加しました。
当日朝4時には駅前に入場待ちの行列が出来ているのが、ホテルの窓から確認できました。
5時には駅に行くつもりだったけれど、4時半過ぎにはその行列に並びました。
ざっと、その時点で200人くらいかな。
列の人たちもよくわからない状態で、とのあえず並んでいる感じ、この列は入場券を買う列で、反対は乗車券類を買う列だとか、4時50分に駅が開き、販売を開始するだとか、声が聞こえてきました。
それで、なんだかんだ並んで20分も経たないうちに駅が開いたみたいで、列が動き始めて、並んでからトータル30分くらいで難なく入場券が買えました。
敦賀駅開業日、朝一の発車案内。
入場券を手に新幹線ホームへ。
新幹線乗換改札を通過。
人でいっぱいだぞ。
開業式典の真っ最中、もう始まっていました。たぶん5時スタートだったな。
人だかりで何も見えない。
でも、後ろからはよく見えました。
とりあえず一番の東京行きかがやきが発車するホームへ。
当たり前だけど、出発式典エリアは一般客は立ち入り制限。
金沢開業のときもそうだったけれど、反対側ホームへ移動して、待機します。
くす玉もしっかり見えるポジションを確保。
マスコミもスタンバイOK。
地元の子が運転士へ花束贈呈。
マスコミ向けに写真撮影。
中条あやみさん登場。
最上位の来賓らがテープカットの準備。
自民党安倍派裏金事件で渦中の、敦賀が選挙区の議員もいるぞ。
下位の来賓らとかスタッフはスマホで写真撮りまくり。
くす玉が割られました。
いよいよ出発です。
スタッフだか下位の来賓たちがスマホで写真撮りまくっているので、何も見えない。
昔は式典会場にいる人たちはこんなマネはしなかったのに、スマホが普及した弊害ですね。
東京行き一番列車のかがやきが発車して行きました。
式典が終わって位置を変えて、くす玉がよく見えるところで撮影。
式典会場は、終わったあとも一般人に開放はしませんでした。
くす玉も撤去されました。
長野開業時は終わった後はすぐに会場が開放されたのになあ。
長野開業時の写真です。
式典が終わったあとは自由に入れました。
こんなふうに自由に記念写真も撮れました。
写っているのは、1997年(平成9年)の約27年前の私。
そういえば、9年前の金沢開業時も式典会場へは終わった後も入れませんでした。
そのときの模様はこちら。
富山行きの一番列車のつるぎが入線です。
発車していきました。
人出も一段落です。
続いて、金沢発一番のつるぎ号が到着です。
到着客といっしょに在来線への移動を試みてみます。
しらさぎが待っています。
今日から6号車も指定席。
サンダーバードが発車していきました。
しらさぎも発車していきました。
さて、一段落ついたので、ホテルへ戻って朝食を。
昨日到着した特急編成がまだ、留置されています。
駅前では福井新聞の号外が早くも配布中です。
当日の並び案内はこんなでした。
ホテルへ戻って朝食を摂り、朝風呂も入って部屋でくつろいでいるけれど、室内の窓から見て、まだこんなに並んでいます。
入場券は券売機でも売っているから、すぐ買えるのに訳がわからずとりあえず並んでいるのか。
さて、チェックアウトしてから、東京発一番のかがやきの到着を待ちます。
まあ、そこそこ人がいます。マスコミのカメラも多いです。
到着です。
一番列車から降りた乗客がインタビューを受けています。
ホームから新幹線改札を出たコンコースで、記念品を配っています。
配っていたのはこの袋。
もう一度、改札を出て駅前へ。
いろいろなイベントをしています。
配布されていた袋の中身。
イベントには地元敦賀出身の大和田伸也や、隣接滋賀県の西川貴教が来ていたけれど、人だかりでまったく見ることはできませんでした。
駅に戻って、在来線ホームを見に行きました。
開業まであとゼロ日。
昨日までサンダーバード、しらさぎが出ていた表示は消えて寂しくなっています。
軒先の特急乗車位置案内の表示は、見事にきれいさっぱり撤去されていました。
椅子に座る恐竜さんはそのまま。
さて、初乗車の新幹線に乗るべく、新幹線ホームへ向かいます。
もう、この時間になると見物客もぐっと減りました。
早朝には止まっていた681系はいなくなっていました。
私が乗る10時58分発はくたかが、大阪方から入線。
自由席です。
開業日は始発以外はガラガラの法則は、金沢開業日と同様、今回も当たり。
乗った人も金沢でほとんど降りていったし、その先も空いていて、大量の乗車があったのはもはや普段使いの人たちの高崎からでした。
今回、イベントで配布されたものです。
記念品を配っていた、アイドルみたいな方々は、こういうグループでした。
新幹線の車内誌
今回の敦賀開業を見て、これまでと明らかに違っていたのは、民間の警備員と制服警官が異常に多かったことです。
あきらかに威圧感いっぱいでした。
時代の違いでしょうか。
金沢開業時も、長野開業時も、来賓VIPのSPの姿は確認できたけれど、制服警官は駅内で見ることはありませんでした。
青函トンネル開業の昭和63年には、制限も緩やかで、私は初列車に青森から乗車して函館駅ホームに降り立つ当時の運輸大臣の石原慎太郎を間近でビデオ撮影したものですし、制服警官なんか駅構内にもホームにも皆無でしたね。
隔世の感がします。
いよいよ、敦賀駅にて開業セレモニーに参加しました。
当日朝4時には駅前に入場待ちの行列が出来ているのが、ホテルの窓から確認できました。
5時には駅に行くつもりだったけれど、4時半過ぎにはその行列に並びました。
ざっと、その時点で200人くらいかな。
列の人たちもよくわからない状態で、とのあえず並んでいる感じ、この列は入場券を買う列で、反対は乗車券類を買う列だとか、4時50分に駅が開き、販売を開始するだとか、声が聞こえてきました。
それで、なんだかんだ並んで20分も経たないうちに駅が開いたみたいで、列が動き始めて、並んでからトータル30分くらいで難なく入場券が買えました。
敦賀駅開業日、朝一の発車案内。
入場券を手に新幹線ホームへ。
新幹線乗換改札を通過。
人でいっぱいだぞ。
開業式典の真っ最中、もう始まっていました。たぶん5時スタートだったな。
人だかりで何も見えない。
でも、後ろからはよく見えました。
とりあえず一番の東京行きかがやきが発車するホームへ。
当たり前だけど、出発式典エリアは一般客は立ち入り制限。
金沢開業のときもそうだったけれど、反対側ホームへ移動して、待機します。
くす玉もしっかり見えるポジションを確保。
マスコミもスタンバイOK。
地元の子が運転士へ花束贈呈。
マスコミ向けに写真撮影。
中条あやみさん登場。
最上位の来賓らがテープカットの準備。
自民党安倍派裏金事件で渦中の、敦賀が選挙区の議員もいるぞ。
下位の来賓らとかスタッフはスマホで写真撮りまくり。
くす玉が割られました。
いよいよ出発です。
スタッフだか下位の来賓たちがスマホで写真撮りまくっているので、何も見えない。
昔は式典会場にいる人たちはこんなマネはしなかったのに、スマホが普及した弊害ですね。
東京行き一番列車のかがやきが発車して行きました。
式典が終わって位置を変えて、くす玉がよく見えるところで撮影。
式典会場は、終わったあとも一般人に開放はしませんでした。
くす玉も撤去されました。
長野開業時は終わった後はすぐに会場が開放されたのになあ。
長野開業時の写真です。
式典が終わったあとは自由に入れました。
こんなふうに自由に記念写真も撮れました。
写っているのは、1997年(平成9年)の約27年前の私。
そういえば、9年前の金沢開業時も式典会場へは終わった後も入れませんでした。
そのときの模様はこちら。
富山行きの一番列車のつるぎが入線です。
発車していきました。
人出も一段落です。
続いて、金沢発一番のつるぎ号が到着です。
到着客といっしょに在来線への移動を試みてみます。
しらさぎが待っています。
今日から6号車も指定席。
サンダーバードが発車していきました。
しらさぎも発車していきました。
さて、一段落ついたので、ホテルへ戻って朝食を。
昨日到着した特急編成がまだ、留置されています。
駅前では福井新聞の号外が早くも配布中です。
当日の並び案内はこんなでした。
ホテルへ戻って朝食を摂り、朝風呂も入って部屋でくつろいでいるけれど、室内の窓から見て、まだこんなに並んでいます。
入場券は券売機でも売っているから、すぐ買えるのに訳がわからずとりあえず並んでいるのか。
さて、チェックアウトしてから、東京発一番のかがやきの到着を待ちます。
まあ、そこそこ人がいます。マスコミのカメラも多いです。
到着です。
一番列車から降りた乗客がインタビューを受けています。
ホームから新幹線改札を出たコンコースで、記念品を配っています。
配っていたのはこの袋。
もう一度、改札を出て駅前へ。
いろいろなイベントをしています。
配布されていた袋の中身。
イベントには地元敦賀出身の大和田伸也や、隣接滋賀県の西川貴教が来ていたけれど、人だかりでまったく見ることはできませんでした。
駅に戻って、在来線ホームを見に行きました。
開業まであとゼロ日。
昨日までサンダーバード、しらさぎが出ていた表示は消えて寂しくなっています。
軒先の特急乗車位置案内の表示は、見事にきれいさっぱり撤去されていました。
椅子に座る恐竜さんはそのまま。
さて、初乗車の新幹線に乗るべく、新幹線ホームへ向かいます。
もう、この時間になると見物客もぐっと減りました。
早朝には止まっていた681系はいなくなっていました。
私が乗る10時58分発はくたかが、大阪方から入線。
自由席です。
開業日は始発以外はガラガラの法則は、金沢開業日と同様、今回も当たり。
乗った人も金沢でほとんど降りていったし、その先も空いていて、大量の乗車があったのはもはや普段使いの人たちの高崎からでした。
今回、イベントで配布されたものです。
記念品を配っていた、アイドルみたいな方々は、こういうグループでした。
新幹線の車内誌
今回の敦賀開業を見て、これまでと明らかに違っていたのは、民間の警備員と制服警官が異常に多かったことです。
あきらかに威圧感いっぱいでした。
時代の違いでしょうか。
金沢開業時も、長野開業時も、来賓VIPのSPの姿は確認できたけれど、制服警官は駅内で見ることはありませんでした。
青函トンネル開業の昭和63年には、制限も緩やかで、私は初列車に青森から乗車して函館駅ホームに降り立つ当時の運輸大臣の石原慎太郎を間近でビデオ撮影したものですし、制服警官なんか駅構内にもホームにも皆無でしたね。
隔世の感がします。