2020年02月29日
河合奈保子
可愛いだけのアイドルと思っていたけど、しっかり実力派だった河合奈保子です。
私はこの歌で大ファンになりました。
THROUGH THE WINDOW~月に降る雪~
元々外国の曲だけど、完璧です。
河合奈保子の歌唱力は、素晴らしい。
私はこの歌で大ファンになりました。
THROUGH THE WINDOW~月に降る雪~
元々外国の曲だけど、完璧です。
河合奈保子の歌唱力は、素晴らしい。
2020年02月15日
与那国島へ
「名古屋から石垣へ」の続きです。
石垣島から与那国島へ行きました。
私は、平成2年以来、30年ぶりの再訪です。
石垣空港は地上からの搭乗、のどかです。
写真も自由に撮れます。
滑走路へ、プロペラの真横の席です。
プロペラの回転数ではなくて、翼角度でパワーを調整しているようです。
滑走中から、離陸時は翼角度が開いていくのがわかります。
下には貨物船が。
眼下に与那国島が。
着陸。
与那国空港、超ローカルです。のどかだなあ。
レンタカーを借りて、日本最西端へ。
正真正銘の最西端です。
最南端は波照間島だけど、人が住んでいる公共交通機関でいけるという条件付きです。
道路はお馬さんが占拠、お馬さん優先です。
昼食を食べられる店も限られます。
小さな店に入りました。
定番の八重山そば、おいしかったです。
商店もあまりありません。
みやげの泡盛を物色。
地元沖縄の飲み物です。
休憩に入って、コーヒーを頂いたお店。
Doctorコトーのロケ地。
与那国空港。
帰りも地上アクセス。
石垣空港に着きました。
雨になりました。
石垣島から与那国島へ行きました。
私は、平成2年以来、30年ぶりの再訪です。
石垣空港は地上からの搭乗、のどかです。
写真も自由に撮れます。
滑走路へ、プロペラの真横の席です。
プロペラの回転数ではなくて、翼角度でパワーを調整しているようです。
滑走中から、離陸時は翼角度が開いていくのがわかります。
下には貨物船が。
眼下に与那国島が。
着陸。
与那国空港、超ローカルです。のどかだなあ。
レンタカーを借りて、日本最西端へ。
正真正銘の最西端です。
最南端は波照間島だけど、人が住んでいる公共交通機関でいけるという条件付きです。
道路はお馬さんが占拠、お馬さん優先です。
昼食を食べられる店も限られます。
小さな店に入りました。
定番の八重山そば、おいしかったです。
商店もあまりありません。
みやげの泡盛を物色。
地元沖縄の飲み物です。
休憩に入って、コーヒーを頂いたお店。
Doctorコトーのロケ地。
与那国空港。
帰りも地上アクセス。
石垣空港に着きました。
雨になりました。
2020年02月15日
えちてつ(北陸本線)梶屋敷駅
「えちてつ」ではなくて、やはり、「北陸本線の梶屋敷駅」と言いたくなってしまう。
交直セクションを見て歩いてたどり着きました。
日本海側の雰囲気が色濃い駅前風景です。
古い民家?駅前旅館?風の木造建物の取り壊し工事が行われていました。
駅舎内も落ち着きます。
ここが窓口だったのか。
なんとなくキオスクの跡にも見えなくないです。
木の柱。国鉄を感じます。
右の鉄筋コンクリートの建物は廃墟みたいです。
なんの建物だったのか。
直江津方。
中線の待避線は途中で途切れています。
必要のない長いホームは途中でフェンスで区切られています。
ここに昔は旧客の編成が止まり、そして発車していった風景を夢想します。
ホームの糸魚川方は良い雰囲気でカーブしています。
ホームの端で写真を撮るのに良いロケーションです。
特急が走っていたときに来てみたかった。
駅裏の畑ではお年寄りが農作業をしています。
時間が止まったようなローカル駅、旅しているなあとしみじみと思います。
複線電化された幹線を一両の気動車が来て、乗り込みました。
せめて4両くらいの交直両用の電車が来てくれたらなあ。
交直セクションを見て歩いてたどり着きました。
日本海側の雰囲気が色濃い駅前風景です。
古い民家?駅前旅館?風の木造建物の取り壊し工事が行われていました。
駅舎内も落ち着きます。
ここが窓口だったのか。
なんとなくキオスクの跡にも見えなくないです。
木の柱。国鉄を感じます。
右の鉄筋コンクリートの建物は廃墟みたいです。
なんの建物だったのか。
直江津方。
中線の待避線は途中で途切れています。
必要のない長いホームは途中でフェンスで区切られています。
ここに昔は旧客の編成が止まり、そして発車していった風景を夢想します。
ホームの糸魚川方は良い雰囲気でカーブしています。
ホームの端で写真を撮るのに良いロケーションです。
特急が走っていたときに来てみたかった。
駅裏の畑ではお年寄りが農作業をしています。
時間が止まったようなローカル駅、旅しているなあとしみじみと思います。
複線電化された幹線を一両の気動車が来て、乗り込みました。
せめて4両くらいの交直両用の電車が来てくれたらなあ。
2020年02月14日
大糸線代行バスと糸魚川駅
千葉発南小谷行きのあずさ号に乗り南小谷まで、南小谷から乗り継いで糸魚川へ向かいました。
千葉駅へ進入するあずさ号、最新の車両です。
私、記憶をたどると183系時代のあずさには乗ったことはありますが、その後の後継車は一度も乗ったことがありません。
中央東線の長距離列車は、115系時代の新宿発長野行き普通夜行、165系の急行アルプス、オール2階建ての快速用電車などに乗ったことはありますが。
あまり中央東線には縁がありません。
景色を見ながら松本へ、そこから大糸線に乗り入れます。
大月、甲府、小淵沢と乗客は減っていき、松本でほとんど降りてしまいました。
数少ない乗客も信濃大町で残る半分ほどが下車、信濃大町を発車すると車内放送が「大糸線は大雪のため南小谷-糸魚川は不通となっている。運転再開は午後3時以降を予定」との案内が。えっー、もっと早く言ってよ、 松本までに言ってくれたら 松本で降りて長野へエスケイプできたのに、って心の叫びです。
続いて「代行手段を講じるので南小谷から先へ行く人は車掌に申し出よ」とのこと。
続いて「代行手段を講じるので南小谷から先へ行く人は車掌に申し出よ」とのこと。
そういうことかと、安心しました。
雪深くなってきました。
白馬では、欧米系の外国人が大量に降りていきました。スキー客かな。
南小谷駅到着前。
まあなんとなく雪深くなってきたけれど、この先不通になるほどには感じません。
南小谷駅前にはかなり古い型の路線用のバスとジャンボタクシーが待機していました。
バスは糸魚川直行、ジャンボタクシーは各駅停車用でした。
代行バスには欧米系の外人も幾人か乗ってきました。大糸線の末端区間に外国人旅行客が乗るなんて、隔世の感があります。
バスには代行の表示と「糸魚川行き・南小谷行き」の両面の表示もあります。
なんとなく、代行バスの運行は日常茶飯事の感があります。
結局、30名以上の乗客を乗せて、バスは糸魚川へ向かいます。
道路は完璧に除雪されていて、行き交うクルマやトラックは普通に走っています。
か細い大糸線のJR西日本の除雪能力と、税金で除雪される国道ではまったく除雪のパワーが違うようです。
これなら私でも、大糸線の末端区間の必要性に疑問を持ってしまいます。
1両の軽快気動車を日に数往復運行するだけなら、代行バスで十分輸送力を確保しています。
バスは順調に走り、糸魚川市街へ入っていきました。
交差する踏切から見る大糸線には雪は皆無、町中にも雪はありません。
なんで大糸線は雪で不通になるかね。
JR西は除雪する気なんてさらさらなく、午後になったら雪は自然になくなるだろうって程度だったんじゃないかと勘ぐりたくなります。
糸魚川駅へは約50分で到着、列車よりも速く到着しました。
この区間は学生時代に乗って以来なので、乗っていれば約40年ぶりだったけど、乗れなかったというオチとなりました。
昭和57年撮影、今回乗れなかった区間の大糸線です。
キハ55です。
糸魚川駅、新幹線が開業してからは初の下車です。
昔は新幹線口には出入り口はなかったと思います。立派な駅になりました。
中には鉄道関係の展示コーナーがあって、キハ52も鎮座していました。
思った以上に時間がつぶせて楽しめます。
在来線(えちてつ)ホーム。
一両のえちてつには不必要な立派なホーム
ここにちょっと前までは特急列車が、昔は電気機関車牽引の旧客が止まっていた風景を頭の中で描いてみました。
(イメージ)糸魚川駅ではありません。
大糸線も運転再開したみたいです。
停止位置にスノープロウから落ちた雪の塊が落ちているから、そこそこ積もっていたのかな。
えちてつとJR西大糸線の改札口、業務はえちてつが行っているようです。
筒石駅の入場券が売っていたので買いました。
特別に和暦表示も用意されていて、2.-2.14付け、語呂合わせで「つ・つ・いし」だそうです。
通常は西暦表示、2020.-2.11付け当日のものも合わせて買いました。
入場券コレクションから見つけました。
正真正銘、筒石駅へ行ったときに購入したものです。
日付がほとんど同じ、2.-2.12、訪問日は2.-2.11なにか因果を感じます。
同じ2年でも令和ではなく、平成です。
まる30年以上前!
こちらが新幹線改札口。
駅の表口は今回、 時間がなくて出られませんでした。
新幹線に乗りました。
千葉駅へ進入するあずさ号、最新の車両です。
私、記憶をたどると183系時代のあずさには乗ったことはありますが、その後の後継車は一度も乗ったことがありません。
中央東線の長距離列車は、115系時代の新宿発長野行き普通夜行、165系の急行アルプス、オール2階建ての快速用電車などに乗ったことはありますが。
あまり中央東線には縁がありません。
景色を見ながら松本へ、そこから大糸線に乗り入れます。
大月、甲府、小淵沢と乗客は減っていき、松本でほとんど降りてしまいました。
数少ない乗客も信濃大町で残る半分ほどが下車、信濃大町を発車すると車内放送が「大糸線は大雪のため南小谷-糸魚川は不通となっている。運転再開は午後3時以降を予定」との案内が。えっー、もっと早く言ってよ、 松本までに言ってくれたら 松本で降りて長野へエスケイプできたのに、って心の叫びです。
続いて「代行手段を講じるので南小谷から先へ行く人は車掌に申し出よ」とのこと。
続いて「代行手段を講じるので南小谷から先へ行く人は車掌に申し出よ」とのこと。
そういうことかと、安心しました。
雪深くなってきました。
白馬では、欧米系の外国人が大量に降りていきました。スキー客かな。
南小谷駅到着前。
まあなんとなく雪深くなってきたけれど、この先不通になるほどには感じません。
南小谷駅前にはかなり古い型の路線用のバスとジャンボタクシーが待機していました。
バスは糸魚川直行、ジャンボタクシーは各駅停車用でした。
代行バスには欧米系の外人も幾人か乗ってきました。大糸線の末端区間に外国人旅行客が乗るなんて、隔世の感があります。
バスには代行の表示と「糸魚川行き・南小谷行き」の両面の表示もあります。
なんとなく、代行バスの運行は日常茶飯事の感があります。
結局、30名以上の乗客を乗せて、バスは糸魚川へ向かいます。
道路は完璧に除雪されていて、行き交うクルマやトラックは普通に走っています。
か細い大糸線のJR西日本の除雪能力と、税金で除雪される国道ではまったく除雪のパワーが違うようです。
これなら私でも、大糸線の末端区間の必要性に疑問を持ってしまいます。
1両の軽快気動車を日に数往復運行するだけなら、代行バスで十分輸送力を確保しています。
バスは順調に走り、糸魚川市街へ入っていきました。
交差する踏切から見る大糸線には雪は皆無、町中にも雪はありません。
なんで大糸線は雪で不通になるかね。
JR西は除雪する気なんてさらさらなく、午後になったら雪は自然になくなるだろうって程度だったんじゃないかと勘ぐりたくなります。
糸魚川駅へは約50分で到着、列車よりも速く到着しました。
この区間は学生時代に乗って以来なので、乗っていれば約40年ぶりだったけど、乗れなかったというオチとなりました。
昭和57年撮影、今回乗れなかった区間の大糸線です。
キハ55です。
糸魚川駅、新幹線が開業してからは初の下車です。
昔は新幹線口には出入り口はなかったと思います。立派な駅になりました。
中には鉄道関係の展示コーナーがあって、キハ52も鎮座していました。
思った以上に時間がつぶせて楽しめます。
在来線(えちてつ)ホーム。
一両のえちてつには不必要な立派なホーム
ここにちょっと前までは特急列車が、昔は電気機関車牽引の旧客が止まっていた風景を頭の中で描いてみました。
(イメージ)糸魚川駅ではありません。
大糸線も運転再開したみたいです。
停止位置にスノープロウから落ちた雪の塊が落ちているから、そこそこ積もっていたのかな。
えちてつとJR西大糸線の改札口、業務はえちてつが行っているようです。
筒石駅の入場券が売っていたので買いました。
特別に和暦表示も用意されていて、2.-2.14付け、語呂合わせで「つ・つ・いし」だそうです。
通常は西暦表示、2020.-2.11付け当日のものも合わせて買いました。
入場券コレクションから見つけました。
正真正銘、筒石駅へ行ったときに購入したものです。
日付がほとんど同じ、2.-2.12、訪問日は2.-2.11なにか因果を感じます。
同じ2年でも令和ではなく、平成です。
まる30年以上前!
こちらが新幹線改札口。
駅の表口は今回、 時間がなくて出られませんでした。
新幹線に乗りました。
2020年02月13日
交直切換セクション 糸魚川-梶屋敷間
元北陸本線、北陸新幹線開業に伴い三セク化され、現在は「えちごトキめき鉄道」線となっている糸魚川-梶屋敷間には、交流2万ボルト60Hzと直流1500ボルトのセクションがあります。
この区間に乗って、どでかい黄色い切換関係の標識はよく観察したものです。
今回、大糸線から新幹線に乗り継ぎ金沢まで行く予定だったのですが、時間が余っていたので糸魚川で何をして時間をつぶすか思案したところ、このセクションがあることを思い出して、現地に行って見ることにしました。
鉄道マニアも末期症状になると、こんなところにも関心、興味を持ってしまうのです。
糸魚川から梶屋敷駅まで歩きました。線路際にはほどよく自動車の交通量の少ない、歩きやすい道があるので快適です。暖冬のため、糸魚川の市街地はまったく積雪はなし。このシーズンで雪でも降っていようものなら、道路の融雪設備から水を撒いているので、雪はべちゃべちゃ、歩くのは困難なのです。
歩き始めて15分くらい、 歩行者用の跨線橋が現れます。
その上から梶屋敷方向を見ると、黄色い標識が確認できます。
近くへ行くと
「突入!ヨーイ」勇ましいフレーズです。
列車の中からは一瞬のためよく確認できず、間近ではっきり見ると迫力です。
そこから先へ進むと、今度は「切換」の標識。
ちょうど、えちてつの気動車が横を通過していきました。えちてつは高価な交直両用電車はJRから引き継がず、気動車を新製して運用しています。だから交直セクションの存在は関係ありません。この設備は実質、JR貨物の電気機関車のためのものでしょう。詳しく知らないけれど、電化設備の保守はJR貨物がしているのかな?
その先にはこういう標識が連続します。
架線設備が複雑になってきました。
「交流」の標識が二重に。
「交流」の標識の背後がいよいよセクション区間です。
死電区間の始まり。
特殊な架線です。
セクション区間の先に、「直流」の標識が現れます。
反対側、糸魚川方面の上り線の標識は、
これだけです。
交流から直流への切換標識は、これでもかと注意喚起しているのに、直流から交流へのは切換はあっさりしています。
交流から直流、2万ボルトから1500ボルトへよりも、電圧が高くなる直流から交流区間への進入の方が失敗するとヤバそうだけど、交流から直流への切換ミス、冒進の方が車両機器へのダメージが大きいのかな?
国鉄型の485系や475系交直両用車に乗って切換区間を通過するとき、床下から「バコンッ」とかなりの音がしていました。同時にエアコンが止まり車内の照明も消えて、セクション通過を体感できましたが、最近の車両はエアコンこそ止まるものの照明は消えず、床下からの衝撃音もかすかでよほど注意していないとわからないしエアコンも静かなので、セクション通過は車内ではほとんど体感できません。
下り線、梶屋敷方向への最後の標識。
セクション区間終わり。
梶屋敷駅まで徒歩で1時間半くらいでした。
電気設備の建屋があります。直流設備でしょうか。
北陸トンネル工事を担当した、トンネル工事の名門「岐阜工事局」の文字が。
こういった表示には、まだまだ国鉄を感じます。
梶屋敷発の上り気動車まで時間があったので、近くの神社に寄りました。
無人でしたが中に自由に入れて、お守りなどが置いていました。
お参りして、説明のとおりお金を奉納して、お守りを頂き、おみくじもやりました。
結果は「大吉」、楽しい小旅行でした。
手水の説明看板が、なぜかロリ風です。
梶屋敷駅から一駅乗って、糸魚川へ戻りました。
梶屋敷駅はこちら。
気動車は空いていました。
車掌さんがすぐ来て、車補を発行してくれました。
さっき歩いて見た標識を、帰りの車内から撮りました。
そういえば歩いている時間も含めて約2時間以上、貨物列車を一度も見ませんでした。
その他の車上切換セクション区間を巡るのも楽しそうです。
常磐線、取手-藤代、北陸本線、敦賀-南今庄、羽越本線、村上の先、どこだっけ。村上-間島でした。
山陽本線、下関-門司間は門司駅構内なので近寄ることはできませんが、ホームの下関寄りの端に行けば見えるはずです。
その他にもいくつかありますが、思い出せません。
この区間に乗って、どでかい黄色い切換関係の標識はよく観察したものです。
今回、大糸線から新幹線に乗り継ぎ金沢まで行く予定だったのですが、時間が余っていたので糸魚川で何をして時間をつぶすか思案したところ、このセクションがあることを思い出して、現地に行って見ることにしました。
鉄道マニアも末期症状になると、こんなところにも関心、興味を持ってしまうのです。
糸魚川から梶屋敷駅まで歩きました。線路際にはほどよく自動車の交通量の少ない、歩きやすい道があるので快適です。暖冬のため、糸魚川の市街地はまったく積雪はなし。このシーズンで雪でも降っていようものなら、道路の融雪設備から水を撒いているので、雪はべちゃべちゃ、歩くのは困難なのです。
歩き始めて15分くらい、 歩行者用の跨線橋が現れます。
その上から梶屋敷方向を見ると、黄色い標識が確認できます。
近くへ行くと
「突入!ヨーイ」勇ましいフレーズです。
列車の中からは一瞬のためよく確認できず、間近ではっきり見ると迫力です。
そこから先へ進むと、今度は「切換」の標識。
ちょうど、えちてつの気動車が横を通過していきました。えちてつは高価な交直両用電車はJRから引き継がず、気動車を新製して運用しています。だから交直セクションの存在は関係ありません。この設備は実質、JR貨物の電気機関車のためのものでしょう。詳しく知らないけれど、電化設備の保守はJR貨物がしているのかな?
その先にはこういう標識が連続します。
架線設備が複雑になってきました。
「交流」の標識が二重に。
「交流」の標識の背後がいよいよセクション区間です。
死電区間の始まり。
特殊な架線です。
セクション区間の先に、「直流」の標識が現れます。
反対側、糸魚川方面の上り線の標識は、
これだけです。
交流から直流への切換標識は、これでもかと注意喚起しているのに、直流から交流へのは切換はあっさりしています。
交流から直流、2万ボルトから1500ボルトへよりも、電圧が高くなる直流から交流区間への進入の方が失敗するとヤバそうだけど、交流から直流への切換ミス、冒進の方が車両機器へのダメージが大きいのかな?
国鉄型の485系や475系交直両用車に乗って切換区間を通過するとき、床下から「バコンッ」とかなりの音がしていました。同時にエアコンが止まり車内の照明も消えて、セクション通過を体感できましたが、最近の車両はエアコンこそ止まるものの照明は消えず、床下からの衝撃音もかすかでよほど注意していないとわからないしエアコンも静かなので、セクション通過は車内ではほとんど体感できません。
下り線、梶屋敷方向への最後の標識。
セクション区間終わり。
梶屋敷駅まで徒歩で1時間半くらいでした。
電気設備の建屋があります。直流設備でしょうか。
北陸トンネル工事を担当した、トンネル工事の名門「岐阜工事局」の文字が。
こういった表示には、まだまだ国鉄を感じます。
梶屋敷発の上り気動車まで時間があったので、近くの神社に寄りました。
無人でしたが中に自由に入れて、お守りなどが置いていました。
お参りして、説明のとおりお金を奉納して、お守りを頂き、おみくじもやりました。
結果は「大吉」、楽しい小旅行でした。
手水の説明看板が、なぜかロリ風です。
梶屋敷駅から一駅乗って、糸魚川へ戻りました。
梶屋敷駅はこちら。
気動車は空いていました。
車掌さんがすぐ来て、車補を発行してくれました。
さっき歩いて見た標識を、帰りの車内から撮りました。
そういえば歩いている時間も含めて約2時間以上、貨物列車を一度も見ませんでした。
その他の車上切換セクション区間を巡るのも楽しそうです。
常磐線、取手-藤代、北陸本線、敦賀-南今庄、羽越本線、村上の先、どこだっけ。村上-間島でした。
山陽本線、下関-門司間は門司駅構内なので近寄ることはできませんが、ホームの下関寄りの端に行けば見えるはずです。
その他にもいくつかありますが、思い出せません。