2017年06月10日
2017年06月05日
熱田駅
名古屋に住んで約20年、岐阜も含めると中部地方にかれこれ約30年住んでいて、一度も乗降したことがない熱田駅を初めて訪問しました。
当たり前だけど、学生時代から何百回と乗っている東海道本線、当然、通り過ぎたことは数知れずです。
熱田駅、歴史は古く東海道線全通前、東海道線の建設資材を武豊から運ぶために明治初期に開設された駅です。開業当初の駅は今より南側にあったことが、古地図からわかります。現在の熱田駅は東海道本線の全通と時期をほぼ同じ頃、現在地に移転しています。
そんな熱田駅の構内は広く、東海道本線の駅としての歴史と風格を感じますが、現在は普通しか止まらない、格下の駅となっています。
ホームの屋根を支える、古レールの柱。上りホームは古レールだけど、下りホームは鉄骨です。
古レールの刻印を探したけれどなかなか見つからず、やっと見つけたのがこれ。1919年です。
跨線橋も古レールで組まれています。
昔、名古屋発着のカートレインは熱田駅始発でした。きっとここから乗用車が乗り入れたのでしょう。
このホームは現在、立ち入れません。
ホームに入ってくる列車を、パチリ、パチリ。
やっぱり貨物は迫力があります。
熱田駅構内で、しらさぎが名古屋から引き上げてきて、折り返し待ちをします。
名古屋駅へ向かい、発車していきました。
駅舎
熱田神宮へ向かう商店街は、レトロです。
名鉄神宮前駅へ続く路地裏は、飲み屋街です。
熱田駅前の駅前酒場。
今度は夕方に来て、ここで飲んでみたいです。
この建物、もともとの二階建てにビルを被せたみたいです。
当たり前だけど、学生時代から何百回と乗っている東海道本線、当然、通り過ぎたことは数知れずです。
熱田駅、歴史は古く東海道線全通前、東海道線の建設資材を武豊から運ぶために明治初期に開設された駅です。開業当初の駅は今より南側にあったことが、古地図からわかります。現在の熱田駅は東海道本線の全通と時期をほぼ同じ頃、現在地に移転しています。
そんな熱田駅の構内は広く、東海道本線の駅としての歴史と風格を感じますが、現在は普通しか止まらない、格下の駅となっています。
ホームの屋根を支える、古レールの柱。上りホームは古レールだけど、下りホームは鉄骨です。
古レールの刻印を探したけれどなかなか見つからず、やっと見つけたのがこれ。1919年です。
跨線橋も古レールで組まれています。
昔、名古屋発着のカートレインは熱田駅始発でした。きっとここから乗用車が乗り入れたのでしょう。
このホームは現在、立ち入れません。
ホームに入ってくる列車を、パチリ、パチリ。
やっぱり貨物は迫力があります。
熱田駅構内で、しらさぎが名古屋から引き上げてきて、折り返し待ちをします。
名古屋駅へ向かい、発車していきました。
駅舎
熱田神宮へ向かう商店街は、レトロです。
名鉄神宮前駅へ続く路地裏は、飲み屋街です。
熱田駅前の駅前酒場。
今度は夕方に来て、ここで飲んでみたいです。
この建物、もともとの二階建てにビルを被せたみたいです。
2017年06月03日
旧草津川と東海道本線
滋賀県の草津駅近くにある、天井川であった旧草津川と東海道本線が交差する地点に行きました。
草津川は明治期に東海道本線が建設される以前から、全国的に有名な天井川でした。
そのため、東海道本線を建設する際に、川の下にトンネルを掘ったのでした。
左から、上り米原方面2本、下り京都方面2本、そして右の2本は明治期の最初に開通させた2本で、現在は施設工事訓練用の線路となっていて架線その他の模擬構造物がたくさんあります。一番右側は拡幅改修されていますが、右側から2本目は明治期の建設当時のままの姿を留めています。
草津川は現在は廃川となっていて、水は流れていません。この4月から旧草津川のこのあたりは、草津川跡地公園として整備され憩いの空間となっています。
草津川上部から撮ったものです。
現在線は付け替えられたことからカーブしていて、旧線側が直線であることがよくわかります。
旧線の煉瓦積の坑口、味があります。
この場所に、慰霊碑があります。
台座の文字を読むと、「為鐡路轢死者各霊位」とあります。
建立は昭和11年8月と刻まれています。
ここで大事故があったのでしょうか。合掌。
草津は東海道と中山道が分岐する街です。
ここが分岐点にある道標です。
帰りは駅前の店で飲みました。
昭和の雰囲気の店内、酒も食べ物もおいしい店でした。
外観の雰囲気、提灯の「一寸一杯」の文字が好きです。
もちろん、一杯では100%済みません。
地元の太田酒造の冷酒がたくさん揃っていて、お手頃価格でおいしかったです。
草津駅には、DD51がいました。
草津川は明治期に東海道本線が建設される以前から、全国的に有名な天井川でした。
そのため、東海道本線を建設する際に、川の下にトンネルを掘ったのでした。
左から、上り米原方面2本、下り京都方面2本、そして右の2本は明治期の最初に開通させた2本で、現在は施設工事訓練用の線路となっていて架線その他の模擬構造物がたくさんあります。一番右側は拡幅改修されていますが、右側から2本目は明治期の建設当時のままの姿を留めています。
草津川は現在は廃川となっていて、水は流れていません。この4月から旧草津川のこのあたりは、草津川跡地公園として整備され憩いの空間となっています。
草津川上部から撮ったものです。
現在線は付け替えられたことからカーブしていて、旧線側が直線であることがよくわかります。
旧線の煉瓦積の坑口、味があります。
この場所に、慰霊碑があります。
台座の文字を読むと、「為鐡路轢死者各霊位」とあります。
建立は昭和11年8月と刻まれています。
ここで大事故があったのでしょうか。合掌。
草津は東海道と中山道が分岐する街です。
ここが分岐点にある道標です。
帰りは駅前の店で飲みました。
昭和の雰囲気の店内、酒も食べ物もおいしい店でした。
外観の雰囲気、提灯の「一寸一杯」の文字が好きです。
もちろん、一杯では100%済みません。
地元の太田酒造の冷酒がたくさん揃っていて、お手頃価格でおいしかったです。
草津駅には、DD51がいました。