2014年08月31日

発掘 昔の鉄資料

 古い時刻表とともに駅弁包みとか入っていた箱には、たくさんの古いパンフ類もありました。
 とても全部スキャナーで電子データとして読み込むのも大変なので、小出しに紹介します。




青春18きっぷのパンフ。旅先の北海道版。
旧客がまだ、たくさん走っていた時代です。






JR米子支社のオレンジカードのパンフ。
JR西米子はアイドルのオレカの発行に熱心でした。
昭和の末期か平成の初め頃です。






車内に落ちていて、拾ったものです。
2つに破り捨てられていました。
車販の車内放送の暗ちょこでしょう。
富山の・・・ってあるから、きっとしらさぎ号か雷鳥号の車内で拾ったのかな。
若い女の子っぽい字です。
この頃はまだ、食堂車も営業していた時代のはずです。  

Posted by よっぱらいくま at 12:49Comments(0)TrackBack(0)収集品

2014年08月27日

昔の駅弁包み紙

 古時刻表を発掘したついでに、昔旅行をしたときに蒐集したパンフレット類とか駅弁の包み紙とかが入った箱も発掘しました。
 誰でも、旅先でのホテルや観光地のパンフレットや、きっぷ類、箸袋とかとっておいたりしたものでしょう。
 そんな中から、とりあえず何枚かの駅弁包み紙をスキャンしました。
 昔の駅弁包み紙はB4サイズも多く、スキャナーがA4までしかスキャンできないので、欠けているのも多いです。

 まったく、順不同です。



宮崎駅 幕の内。



釧路駅 とり弁当



釧路駅 幕の内
なんで、釧路の駅弁なんだろう?




高崎駅 とりめし




高松駅 幕の内
記憶ありません。




札幌駅 幕の内
この頃は、地平駅でした。
札幌駅に着いた夜行列車から降りた、真冬の朝。
サンドイッチに、冷たい「よつ葉牛乳」の朝食は、むなしかったです。




糸魚川駅 幕の内
高1の冬、妙高9号に乗って、直江津で乗り継いだ旧客の旅の朝食だったかな。



小郡駅 かしわめし
かしわめし文化は、本州の小郡までありました。




小倉駅 かしわめし




新得駅 幕の内
新得は、時刻表に駅弁マークはありませんでしたが、鹿肉弁当とかがありました。



盛岡駅 幕の内
初めての東北旅行で、東北の駅弁はしょっぱいと思った駅弁でした。



西鹿児島駅 とりめし




西鹿児島駅 とんこつ弁当




青函連絡船桟橋 ご飯
なんで、ご飯だけなんだろう。
記憶がまったくありません。



静岡駅 幕の内




静岡駅 幕の内別バージョン
大垣夜行に乗って、深夜午前1時台に、なぜか必ず買って食べた、静岡の弁当。
出来立てで、暖かくておいしかったです。
調製時間が、午前0時なんですよね。



折尾駅 かしわめし




大船駅 シウマイ
北京風らしい、意味不明。



大船駅 鯵の押寿司




大船駅 幕の内
なんで大船で弁当を買ったのか、わかりません。



長崎駅 幕の内
日本食堂の調製です。
日食のレストラン、懐かしいです。



長万部駅 もりそば
いつも、ちゃんと駅で売っていました。
駅では手に入らない、売っていない、森駅の「いかめし」は、デパ弁では人気があっても、現地では売っていなかったので、私は認めていませんでした。

 

博多駅 かしわめし




米原駅 牛肉弁当




北見駅 幕の内
今の時刻表に、北見駅に駅弁マークはありません。


まだまだありますが、次回に。





  

Posted by よっぱらいくま at 21:32Comments(1)TrackBack(0)駅弁

2014年08月27日

発掘 古時刻表

 物置(ロフト)の整理をしていて、ついでに学生時代の時刻表を探しました。
 前々から探そうとは思っていたものの、面倒でやっていませんでした。
 汗まみれになって、ようやくそれが入っている箱を発見しました。

 今、古本屋で2000円で売っているものも出てきました。
 やっぱりとっておいてよかった。
 ちゃんと整理して、いつでも手に取れるようにしなければと誓いました。
 貴重なお宝を今までお蔵入りさせていたことを後悔しました。

 これで今後、新たなブログネタにもしようと思います。

 出てきた時刻表の一部です。



なんであるのか覚えていません。1973年はまだ私は小学生。
まだ昭和の時代にでも、タダ同然で古本屋で買ったかして手に入れたのか。
それとも親が買ったものか。その可能性は低いです。




たぶん、東京近郊区間大回り乗車をするための計画作りのために買ったものと記憶します。
中学2年生のとき。




房総半島への家族旅行のときに買ったものです。




やっぱり、東京近郊区間大回りのためかな。
この表紙はかなりインパクトがあって、よく覚えています。
交通公社の時刻表は、この頃から、表紙写真が鉄道車両から駅や人がテーマの写真に変わっていきました。
近所の古本屋で2000円で売っています。




高1の夏、両親と九州への帰省で使ったもの。縁をセロテープで補強しています。
この頃から、ワイド周遊券を使った、本格的な鉄道旅行を始めています。




高2の夏、初めての本格的な一人旅。ワイド周遊券を20日間、フルに使って夜行連泊を繰り返して九州を回ったときのもの。この年の10月改正で、富士が西鹿児島行きから宮崎止まりとなり、24時間を超えて走る列車がなくなったのでした。だから、この旅行の目的のひとつが、富士に乗って西鹿児島まで乗りとおすことでした。
九州のページの縁が、手垢で黒く変色するほど使い込んだ時刻表です。
人生、そこまで使い込んだ時刻表は、このあと今までありません。
表紙を見て特筆すべきことは「冷房のある臨時列車」の文字。そうなんです。この頃はまだ通勤電車から地方の普通列車、急行列車でも、冷房はまだ普及途上で、非冷房は当たり前だったんです。特に臨時列車は古い旧型車両での運用も多く、多客期でも敬遠されていたので、時刻表で「冷房がある」とうたってアピールしていたんですね。
空調完備の、窓の開かない通勤電車も多くなった今の時代では考えられなくなりました。
今は逆に、窓を開けて外の風を受けて乗れる列車の方が貴重です。



上記のダイヤ改正のため、買ったのでしょう。




高3の夏、初めて北海道へ行ったときのもの。
14系十和田号に乗り、盛岡で降りて東北本線を途中下車を繰り返して、一日かけて青森に着きました。
深夜0時台の青函連絡船は超満員で、私はいったん乗った青函連絡船から降りて、次の深夜2時台の臨時便に乗ったのでした。そのため、私がいったん降りた便にも乗船名簿はあったことになります。もし、沈没していたら、私の扱いはややこしいことになったことでしょう。
午前2時の臨時便はがら空きで、青函連絡船の魅力の虜となってしまったのです。
この旅行の帰りの青函連絡船の中で私は、青函連絡船が廃止となるときには、その時にどんな立場にあろうが絶対に立ち会うと誓ったのでした。それを果たすこともできました。




ダイヤ改正だから買ったのでしょう。
今は3月だけど、この頃は10月大改正が一般的でした。




大学1年、鉄研夏合宿のときのです。
飯田線が目的でした。東京駅集合で347M大垣行きに乗ることが先輩からの命令でした。
大垣まで乗って、柏原-近江長岡で撮影してから、飯田線に乗るため戻りました。懐かしいなあ。




大学2年鉄研夏合宿のときのものです。
北陸方面が目的でした。やっぱり大垣夜行で行きました。好きだから。
宿は金沢でした。


私は旅行に行く際に持参する時刻表は、セロテープで表紙と裏表紙の縁を破れないようにセロテープで補強しています。
だから、旅行に持っていったものと、そうでないものが一目瞭然です。
今でもそうしています。
どこかで、列車や駅で、セロテープで補強した時刻表を持っている人がいたら、それは私かもしれません。

今度は中身について語りたいと思います。
  

Posted by よっぱらいくま at 20:44Comments(0)TrackBack(0)昔の時刻表

2014年08月25日

甘いなあ

 美濃加茂市長が釈放されたそうな。
 1000万円の保釈金をどこから調達したのか、怪しすぎるがマスコミは突っ込まない。
 これが自民党の重鎮議員が同じ立場だったら、マスコミはどういうふうに扱うのだろうか。糞みそな扱いで徹底的に叩くだろうな。
 議員とか首長の立場にある若者とか女性というだけで、甘やかしているんじゃないの?

 プロ市民の支援を受けると、最強ですな。マスコミとプロ市民は仲良しだから。

 彼が無実でも、その会社に便宜を図ったから、試運転で設備が導入されたんでしょ。
 後ろめたいから、撤去工事を始めたんじゃないの?

 辺野古移設に反対しているのも、沖縄県民ではない、よそ者のプロ市民ばかりなのに、マスコミは沖縄県民の声みたいに報道しているしねえ。やっとのことで地元の人を探し出してインタビューが放送できるのは、100人に一人だけだったりして。

  

Posted by よっぱらいくま at 20:35Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2014年08月23日

雨雲

 今朝、かなりの大雨が降りました。
 ようやく雨がやんだ頃、こんな雲が見えました。
 雨雲の集団と、雨がやんでいる境がはっきりわかります。
 先日の広島豪雨はこんな雲が長時間、同じところに居座ったんでしょうか。

  

Posted by よっぱらいくま at 16:38Comments(0)TrackBack(0)日記

2014年08月17日

夢の超特急展

 名古屋タカシマヤで開催中の東海道新幹線開業50周年記念の夢の超特急展へ行ってみました。
 中日新聞が主催なので、入場券2枚が読者には配られていたので。


 お得意のアップ写真から。





100系のパンタグラフとスリ板。

0系の。





0系と100系のパンタの大きな違いはなかったような・・・


0系運転台。記念写真の親子連れの列が出来ていました。



0系の速度計。


座席。何系のか、説明板を見なくてもわかります。



0系と100系のさよなら運転のへッドマーク?





0系のときは、名古屋駅へこのマークをつけた最終列車を見にいきました。
100系のときは行ってません、たしか。

 私には、展示物の中でこれが一番でした。



 有料の超特急展は混雑していましたが、鉄道マニアの含有率は5%未満という感じでした。

 外には物販コーナーがあり新幹線グッズとかおもちゃとか売っていて繁盛していました。

 鉄道部品や古キップ、行き先標などのマニア向けの鉄道グッズコーナーの方が比較的空いたのが、来客層を物語っていました。おかげてそちらをゆっくり見ることができました。
 運転士の行路表、ロール行き先表示(大垣、川越)、N700のクリアホルダを買いました。

 行路表は鹿児島本線のもので、列車番号9000代の9119臨時列車で、速度種別「通客E6」機関車牽引の客車列車なので興味を持ちました。20系客車使用と注意書きがある点も注目でした。
 定期の寝台特急さくら号などは東海道山陽本線では「特通客A」、最高速度110キロでした。20系といい、相当古いですが、何年のものか特定する術はありませんが、平成になって乱立した新駅がないこと、新中原や白木原の駅名は昭和のものでしょう。800円也。さくら号とか、はやぶさ号のだったらもっと高くても買ったでしょう。



  

Posted by よっぱらいくま at 15:53Comments(1)TrackBack(0)イベント

2014年08月13日

武豊線乗り歩き

 東海道本線の大府駅から分岐する武豊線。
 名古屋近郊の地味なローカル線でしたが、近年は沿線の宅地化やマンションの増加も受けて本数も利用客も増えて都市近郊路線の様相です。
 東海道本線よりも先に開業した武豊線は歴史の宝庫でもあります。
 来年のダイヤ改正で電化となることもあり、電化前に一度乗っておこうと思っていました。
 ちょうど大学時代の友人が名古屋へ遊びに(飲みに)来るということで、そういう機会でもないとなかなか動きが悪くなっているのでいっしょに行きました。


大府駅へ進入してくる、折り返しとなる武豊線の気動車。


 最初は亀崎駅で降りました。いちおう日本最古の駅舎ということですが、外壁等更新しているので、器自体は古いのでしょうが、あまり古さは感じません。
 ここよりも、今は第三セクター化された旧国鉄ローカル線の駅舎の方が古さを感じます。のと鉄道とか北近畿タンゴ鉄道とか。



ホーム側から



 駅舎にはこんな表示が。


 明治19年1月です。

 駅舎内です。柱だけが歴史を感じます。


ホーム跨線橋のコンクリート柱にはこの表示です。昭和41年製らしい。


 半田駅寄りには旧貨物ホーム跡らしき場所が自転車置き場になっています。このパターン、ローカル駅に多いです。


 きっと手前には、お決まりの日通の事務所建物があったと思ってしまいます。

 こんな古い看板も。


 複線電化、さらには高架化と、言いたい放題な感が。
 冷静に考えれば、現況の本数維持あるいは倍の15分間隔運転も、現在の単線で可能ではないでしょうか。
 複線化ましてや高架化など、無意味でしょうな。クルマ社会の愛知だから、鉄道の利便性よりもクルマの運転の障害となる踏切をなくしたいのが本音ではないのと皮肉りたくなります。
 朽ち果てかけた看板が出来てからいったい何年がたったのでしょう。まさか電化が実現するとは、看板を作った当時は夢にも思っていなかったことでしょう。


 次は半田駅へ2駅移動。

 半田駅は日本最古の跨線橋があると有名です。





 ホームの屋根、柱もいい雰囲気です。



 これが跨線橋。たしかに古いです。
 今や貴重な危険品庫もあります。
 開業当時からかさ上げされていない旧ホームもあります。昔は貨物列車が止まり、隣接する駐車場用地はきっと日通の倉庫とかがあったのだろうなと夢想します。

 跨線橋の通路。


案内板もあります。


 階段昇り口にはこんな記載が。




 「明四十三鐵道新橋」、跨線橋本体よりも新しいです。


 柱とかはかなり塗装を厚く塗り重ねられていて、かなりの厚化粧です。







 何か書かれているけれど、厚化粧が過ぎて判読不可能です。


 ホームから見た駅舎側。低い旧ホームがあります。


 現ホームはこちら。かさ上げしているのがよくわかります。


 ホームの柱にはこんな表示が。


 その下のは塗りつぶされていて、判読不可能。


 半田駅は跨線橋は、電化に際して建築限界を超えているとのことでしたが、架線を特殊な構造にすることで、跨線橋は保存する方針となったようです。
 すでに張られている跨線橋下の架線は、確かに特殊構造です。


 跨線橋下に何やら板が取り付けられています。

 吊り線とトロリー線の間隔もとても狭いです。






 跨線橋を残すため、ぎりぎりでクリアさせたのでしょう。JR東海に拍手。
 これが直流1500ボルトではなく交流2万ボルトだったら出来たのか、聞きたいです。

 半田駅前周辺はコンビニもなく古い街並みで、レトロな建物も多いです。






 味のある建物の駅前食堂。営業しているのかわかりませんが、こんな店で昔みたいに、キリンラガー大瓶を飲んで、ラーメンを食べたいです。
  

Posted by よっぱらいくま at 16:15Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2014年08月09日

三河田原駅 2番線使用開始

 いつの間にか、田原駅発着の電車が2番線を通常使用するようになりました。

 




今までは

  

Posted by よっぱらいくま at 17:29Comments(0)TrackBack(0)

2014年08月04日

藁の楯 台湾新幹線

 前から観ようと思っていた映画「藁の楯」
 やっとDVDで観ました。
 おもしろいですね。久々に内容にのめり込んで息つく暇もなく観てしまった邦画アクションものでした。
 大護送集団のパトカーの車列。
 昔の「大都会PARTⅢ」のオープニングを彷彿させました。
 でも、大都会は毎週放送のドラマであれだけ派手に車を壊していたから、なんて景気の良い時代だったんでしょうか。

 内容についてとやかく言うのは野暮だけど、やはり台湾新幹線でのロケ部分については、鉄道マニア的には突っ込みどころ満載でした。

 まず、あの新幹線シーンについて、興味のない人は日本で撮影したと思っていたことにびっくりでした。色が違うじゃんと。
 まあ、こんな基本は脇に置いておいて。

 JR東海は絶対に東海道新幹線での映画ロケとかは認めないというのが、国鉄時代からの伝統です。「新幹線大爆破」、「動脈列島」などなど。
 JR東の方が最近はロケの協力に積極的なようです。
 それで、新幹線のシーンは台湾でのロケとなった次第です。
 台湾新幹線の車両自体は、日本の新幹線700系そのものです。
 
 さて、福岡からの飛行機移送に断念して、極秘にその場の独断で新幹線で東京へ向かう選択をした刑事たち。計画にない行動ならば察知されないということで。
 小倉駅から乗り込むという設定でした。なんで小倉なんだろう。乗り込んだ車両は7号車。ここでいいだろうと、まったくの無計画です。
 16両編成のほぼ中間車両。ホームの階段位置の関係からもっとも乗客が多く、一番まっさきに指定券を売り始める車両です。編成の中間なので車内を行き来する人も多い車両をなぜ選択したのでしょうか。
 車掌に命令して車内の乗客を無理矢理グリーン車へ移動させましたが、私だったら先頭の16号車を選ぶでしょう。16号車なら車内通り抜けで他の車両へ行く人は皆無だし、防衛上も15号車側の通路扉1ヶ所を守れば良いし、上り列車だから運転席も支配できるから。
 クーデターを企み、寝台特急さくら号に乗り込んだ自衛隊員たちが1号車の全席を買い占める設定の「皇帝のいない八月」はその点もしっかり配慮していました。1号車なら他の通り抜け客が来ないという前提で。

 小倉から乗り込んで7号車を占領したあと、新山口や広島停車時に乗り込んで来る乗客にはどう対処したか描かれていませんでした。

 岡山を過ぎてから車内で撃ち合いになりケガ人が出て、相生駅に臨時停車させました。相生駅は対面ホームと真ん中に通過線がある、静岡駅や浜松駅のような典型的な新幹線途中駅です。それなのに映画の相生駅ホームは島式2面4線の名古屋、京都、岡山、広島みたいな全列車停車が基本の構造でした。あれならまだ、広島-岡山間で撃ち合いがあって、岡山駅に停車中にケガ人を降ろしたという設定にした方がよかったのでは。
 台湾のなんて駅を使ったか知りませんが、あの構造で相生駅という設定は無理があるぞと。

 次に、新神戸駅で降ろすという設定でしたが、新神戸はトンネルとトンネルの間の狭い急傾斜の地上部分に建設された対面式2面2線駅で、通過線は構造上作れなかった、熱海駅と同じ構造です。それなのに、またもや島式ホームの2面4線です。
 無理がありすぎるぞと思いました。まだ、姫路駅か西明石駅ということにすればよかったのに。相生と同じ対面式2面4線だけど。

 新神戸で他の乗客を全部降ろしてそのどさくさに紛れて脱出を試みるも下車に失敗し、東京へ向かう決心をしますが、そのまま新大阪や京都、名古屋も停車するなと、刑事たちは車掌に命令しています。そんなこと車掌や運転士の権限でできるわけないことは誰でもわかるでしょう。列車指令とやりとりして、JRと警察が一体となって協力し他の全新幹線を停車、待避させるなどの大々的な措置を行わなければならないのに、そういうシーンは見事に省略されています。そういう意味、造りが雑だなと思いました。「新幹線大爆破」はそういう点、緻密に描いていました。

 そして、前方の線路に障害物を落とされたということで緊急停車、車外に脱出とあいなりました。すさまじい衝撃で急ブレーキがかかったけれど、新幹線の緊急ブレーキは静かなものです。いつもより強いブレーキだなと思うくらいで静かに停車します。直接新幹線が障害物に衝突して脱線でもすれば別だけど。
 停車した本線上は、明らかに車両基地内です。あんな急カーブ、本線上にはあり得ないし。

 司令室の列車進行表示も、なぜか右側通行だったし、こんなことくらいちゃんと出来るはずなのにと、がっかりでした。
 あと細かい点では、車内窓際に窓を割るための非常脱出用のハンマーがあるのが見えました。日本でも寝台車なんかには装備されていたけれど、新幹線にはありません。台湾新幹線には非常脱出用ハンマーが装備されていると知りました。

 と、まあ、鉄道の視点では、ちょっと雑だったのではないかと思った映画でした。台湾新幹線でのロケは大々的に宣伝していたのにね。

 あれだけ大変な前代未聞の事態の中での福岡から東京までの移送なら、福岡県警から警視庁の屋上まで警察ヘリで運べばいいじゃんと思ってしまいました。旅客機よりは関わる人間を信頼できるし、まさか素人が地対空ミサイルで撃ち落とすなんてあり得ないし。

 まあ、それを言ちゃあおしめえよということですね。  

Posted by よっぱらいくま at 11:30Comments(2)TrackBack(0)音楽・映画・テレビ