2011年09月27日

ラーメンの思い出

あまりこだわりはないつもりですが、昔ながらの東京ラーメンが好きです。
いわゆる支那そば。
豚骨と鳥ガラでとったスープ。
具は、チャーシュー、ネギ、なると、海苔、ホーレンソー、しなちく、等。
最近は、ぎとぎと、くどくど、こってり系か、やたら魚臭いラーメンがはやっています。
一昔、ふた昔前の東京では、当たり前に食べられたラーメンが、今や絶滅しています。
そんなラーメンを努力が足りないなど、否定する風潮もあります。
つけ麺など、うまいと思うけれど、あれは別物です。
素朴なラーメンを提供してくれる店は減りました。
蕎麦屋のラーメンとか、今でもおいしいと思います。
やたら魚臭いラーメンが東京ラーメンだとか分類されると頭にきます。そんなもの昔はなかったよと。
煮干や魚粉を使ったラーメンは、誰でも簡単に作れますよ。
私が生まれ育った東京都大田区、宝玉(ほうぎょく)、五十番(ごじゅうばん)、そんな店が近所にあって、よく食べました。それらの店が私のラーメンの味の原点です。
それらの店は今は、もうありません。
今でも、東京の下町の小汚い中華料理店やラーメン屋ではその味が生きています。
魚臭いラーメンは、私は邪道だと思っています。
そして、行列のできるラーメン屋に並んで食べても、別にという感じ。
ただ、今風だと思うだけです。
今風も、食べればうまいんだけど、ただそれだけ。
本当にうまいものと、流行や人気は別物と思います。
商売の世界は別で厳しいと思いますが。

九州ラーメン、元祖豚骨ラーメンも変貌しています。
昔の九州ラーメンは、腐ったような豚臭いにおいが店に充満していました。
今は、臭みのまったくない、コクがあるけどあっさりしているなどと評価される偽物が横行して人気を得ています。九州ラーメンは臭いもので、それが真髄であり、うまい。それは今や理解されません。
昔ながらの九州ラーメンも大好きですが、それも本場九州ですら絶滅状態だと思います。
店が腐ったような豚臭いにおいで充満した、どんぶりが油でべっとりしている九州ラーメンが食べたいです。
最近のどんな九州ラーメンをうたった、久留米ラーメンとか、長浜ラーメンを食べても、昔とは違うなと思うだけです。  

Posted by よっぱらいくま at 22:23Comments(1)TrackBack(0)食べ物

2011年09月25日

キャノンF-1

久しぶりに昔使っていたカメラの虫干し?をしました。
あまりにも天気がよく、空気も乾燥していたので、カメラバックから出して動作確認やレンズの状態も見て清掃しました。

もう今は現役では見なくなりました、フィルムカメラ。
私の過去の栄光の品である一眼レフたち。

まずはこれ、キャノンF-1。



いわゆる後期型のF-1です。
私がもっとも使い込んだカメラです。
こいつはたしか高校2年生のとき、F-1の製造が中止となり、newF-1が発売になると決まっていた頃に購入したのでした。金銭的にはかなり無理したはずです。とにかくF-1に憧れていました。
ワインダーは後に、大学生になってからか就職してからか忘れたけれど、中古で別に購入したものです。
この頃はモータードライブ、いわゆるモードラとそれよりも性能の落ちるけど若干コンパクトなワインダーの2種類の自動巻き上げ機が選択できました。
モードラは秒5コマ、ワインダーは秒2コマだったかな。
これを持って、日本全国、いろいろなところへ旅して歩きまわりました。
重さなんか気にならない、時刻表の大判とともに持ち歩くのが当然でした。
装着しているレンズは35~105mmのズームです。
ズームレンズも今では、28~200mmとか当たり前にあって、それもコンパクトで軽くて、しかも安くて、レンズは使いやすく、また、購入しやすくなったものだと思います。
この頃は、キャノンの純正望遠ズームなどは高嶺の花でした。
タムロンとか、トキナーのレンズを使用してました。
その頃はレンズ専業メーカーのものはなんとなく二流品というイメージでしたが、今では性能もよいし、イメージもよくなりました。
動作は今でも問題ありません。
露出計の電池は、とっくに製造中止になっている水銀電池のHD型を使用しますが、販売中止になる前に大量に購入してまだ在庫があるので、大丈夫なはずです。でも、水銀電池も購入してから20年くらいはたっているから、劣化しているかな?
マニュアルフォーカス、露光調整のシャッター速度、絞り、そして巻き上げもすべて手動のこのカメラ。
とにかく、F-1は、私がもっとも使い込んだカメラです。


次はこれ、キャノンFTbです。



父が持っていた、もともとうちにあったカメラです。
それを私が専用で使うようになりました。
中学生になったばかりの頃です。
このカメラが私を写真の道に引きずり込んだようなものです。
一眼レフの基礎知識と操作を学んだカメラです。
操作系はF-1とほぼ同じ、F-1の廉価版、普及品みたいなものだったと思います。シャッター速度が1/1000までしかないのがF-1との決定的な違いくらいです。もっとも耐久性や頑丈度は、プロ用のF-1には及ばないのでしょうが。
中学生のときは、このカメラでとにかく撮りまくっていました。無意識に体が反応するまでシャッター速度と絞りとピントを合わせることを、とことんこのカメラで技術を磨きました。
シャッター速度と絞りの関係、横走りフォーカルプレーンシャッターの特性などを学んで、流し撮りや夜間の撮影などいろいろやったものです。
レンズは50mmF1.8という基本のものしかありませんでした。
その後、タムロンの85~210mmF4.5というレンズを購入して、望遠撮影にも手を広げていきました。
このFTbも、私にとって一眼レフの基本を叩き込んでくれた、思い出の愛機です。
動作確認は問題なし。50mmレンズが若干曇っていました。


そうして、世はオートフォーカス、すべてオートが全盛となり、マニュアルカメラはほとんど消滅していきました。

キャノンは、マニュアルのFDレンズを完全に見捨てて、EFレンズへ移行し、カメラ本体もEOSシリーズに代わりました。
ニコンと違い、キャノンは過去の製品を完全に切り捨てました。
その結果が正解だったのかは、今のデジカメ時代になっても通用するEFレンズシリーズになって正解だったのでしょうか。

私はマニュアルにこだわっていたので、F-1を使い続けていたのですが、耐え切れなくなって買ったのが、このEOS1N HSです。



いっしょに35~350mm純正ズームも買いました。それと標準ズームも。
オートになって、露出とかカメラ任せにして、自分ではあまり考えずに撮るようになってしまいました。
ピントもカメラ任せだと、接近してくる列車に対してカメラが判断に迷って肝心なタイミングで合わないなんてこともよくありました。今でも基本はピントはマニュアル操作を心がけています。
最新のカメラはそんなこともないのでしょうか。
でも、EOSになってから、私の写真の腕はたしかに落ちたような気がします。カメラ任せにして手抜きというか、考えずに撮るようになってしまったような。


EOSが現役機であるとき、ふと中古のnewF-1が売られているのが目に入ったのです。
なんとなく、衝動買いしてしまいました。平成12年頃です。
ずっとF-1を使ってきたけれど、newF-1は憧れでした。
もうとうに過去のものだけど、財産としても手に入れておきたいと思いました。



モードラ付なんて、学生のときはまず購入は無理でした。
正直言って、このカメラでまともに鉄道写真を撮ったことはほとんどありません。
そういう意味、もったいないけれど、でもいいんです。
F-1万歳です。


おまけです。
オリンパスのL-3というフィルムカメラです。



デザインから、デジカメと勘違いもよくされたけれど、フィルムカメラです。
職場の上司がL-2を持っていて見せてもらって、その携帯性や一眼レフとしての性能から気に入ってしまい購入しました。
撮影がメインでない旅行などで、高倍率ズームなど重宝しました。
EOSよりもこちらの方が使用頻度は高かったです。


デジカメ時代となり、私も今はデジカメしか使っていません。
若い頃は一眼レフ以外眼中になく、コンパクトカメラを使うなんてバカにしていた節もありました。
それが今、私のメインカメラはルミックスのFX66、立派なコンパクトデジカメです。
これで十分です。とりあえず。
デジタル一眼レフは未だ、持っていません。
本格的な鉄道写真を撮る機会もほとんどなくなりました。

最近は高齢者や女子が、高価な一眼レフで撮影している姿を見かけることが増えました。
写真を趣味にしている人が大変増えたと思います。
私も負けないようにしないと。
またいずれ、写真道に精進しようかな、なんてね。


私の財産であるキャノンのマニュアル一眼レフたち、たまには外でシャッター音を響かせようかな。






  

Posted by よっぱらいくま at 11:05Comments(1)TrackBack(0)写真・カメラ

2011年09月21日

大雨で暗い

台風の影響で大雨です。
かなり暗いです。
この前鉄道ジャーナルを読んでたら、鉄道車両のヘッドライトのことが書かれていました。いわく、列車のあれは前灯であり、前照灯ではないと。あれは列車の進行方向と存在を知らせるのが目的であると。たしかに鉄道の世界ではあの灯りを頼りに前を確認はしていませんよね。
では車はどうか?あれは前照灯であると。
運転手はあの灯りを頼りに夜は運転していると。私は夜の運転ではロービームの届いている範囲より先を意識して運転しています。
さて、今日のような大雨で暗い状況でもヘッドライトを点けている車は半分もいません。
大部分の運転手はヘッドライトは前照灯であって自分が前を見るために、前を照らすために点けているものだと考えているのでしょう。
しかし、ど田舎の真っ暗な道ならともかく、都会なら前を照らさなくても十分運転できます。車のヘッドライトも、前を照らすためのものだけではなく、他者、他の交通に対して存在を示すための役割があること、そちらの意味の方が高いと考えたいです。車でも通常は前灯の意味が高いと思います。
バスやトラックなどの運転のプロは大雨で暗かったらほとんどがライトを点けています。でも素人のマイカー運転手は半分も点けていません。
そういうところで違いが出ています。
でも中には、夕方暗くなってもギリギリまでヘッドライトを点けない方がかっこいい、運転がうまいんだと思っている、勘違いはなはだしい迷惑な人もいますが。  

Posted by よっぱらいくま at 08:03Comments(1)TrackBack(0)政治・社会

2011年09月13日

呆れた名古屋市

名古屋の地下鉄やバスを利用できる敬老パスが、名古屋市の事業仕分けの対象だって?
公共交通を維持するためにも税金投入は必要でしょう。
かたや、バカ市長は名古屋高速には社会実験とやらで、最も交通強者である自動車のために税金を投入して割引をする事には熱心だ。
結局、票をとるにはそういうことになるのだろう。

国民目線とやらの人気取りで国の政をしていたら、国は滅びるだろう。  

Posted by よっぱらいくま at 21:38Comments(0)TrackBack(0)名古屋市