2014年05月28日

電車の窓を開けろ

 この時期、まだ外は涼しいです。
 しかし、窓を開けることのない電車内は、冷房をがんがんつけています。

 窓の開かない構造の新車がほとんどになってきましたが、まだ古い、窓を開けることのできる電車も多いです。

 
 しかし、車掌が窓を開けろと車内放送をすることも絶対にないです。 
 現代の乗客は、100%冷房がある電車しか知らないようです。
 窓を開けたりしたら、風が吹き込んで迷惑顔です。

 今の時代、暑ければ窓を開ける、という基本が出来ないようです。
 冷房をつけなければ乗客は文句を言うのでしょう。
 昔、といっても昭和50年代前半までは首都圏の鉄道も非冷房車がたくさんありました。真夏の満員のラッシュ時でも窓からの風だけで我慢していました。雨の日など最悪で、雨が吹き込むから窓は開けられないので、車内は湿気と熱気で最悪でした。それでもみんな我慢していました。今だったらそんな状況になったら体調を崩す人が続出しそうだけど、昔の人は強かった。今は快適な空調完備がどこでも当たり前だから、人間も軟弱になっているのでしょうね。それと温暖化で気温があの頃と比べたら異常に高くもなっているので、同様に比較するのも少し無理もありますが。
 
 原発が止まり、化石燃料の消費が増えているのに、こんなまだ暑くない時期から冷房をつけることに、節電を叫び反原発を主張する人達はなんにも疑問を持たないのでしょうか。
 マスコミも気がつかないのか、快適な生活を不便な不快な生活にすることは嫌だからか、そういうことは絶対に言いません。
 自分に都合が悪いことは棚に上げといて、原発反対やら地球温暖化防止とか言っている連中の底の浅さがよくわかります。汗をかいても不快になろうとも、冷房を我慢するくらいするのが先でしょう。車に乗っても、エアコンは年中つけっぱなしにしている無神経な人間ばかりなのが現実です。

 原発には反対してもCo2を吐きまくる車は平気で使いまくり、電車の冷房を止めるような声は絶対に出さない、ご都合主義ですね。
 あの、電車内の蛍光灯の間引きは早くやめてほしい。あんなことやっても、節電効果など皆無だということになぜ気がつかないのか。パフォーマンスだけで満足しているだけ。冷房を止めるのが先でしょ。

 私は思慮の浅い無節操な原発反対を言う気はありません。だけど、原発推進を言う気もありません。ただ、原発反対だけを叫ぶのは、我がままだなことだと思っているのです。
  

Posted by よっぱらいくま at 19:52Comments(1)TrackBack(0)政治・社会

2014年05月27日

鉄子の育て方♯8

 金沢駅構内の黒百合が話しに出てきました。
 私は2年間ほど、金沢で仕事をしました。
 金沢駅構内には、魅力的な店がたくさんありました。

 黒百合も有名ですが、この番組で取り上げられるほどなんですね。
 ネットの、食べログとかでもまあ、有名ですかね。
 私は、2年間で一度だけ、行きました。
 良い店ですよ。でも、なんか、私には合いませんでした。
 なんでだろう。わからないです。
 私には、金沢駅構内でお気に入りの店がありました。
 「おでんの山さん」です。そこでは、常連でした。1人で行っても、職場の人と行っても、いつも楽しかったし、おいしかったです。店の人ともなじみとなりました。
 北陸新幹線工事の構内工事の影響で、「山さん」は今、ありません。
 新幹線開業と同時に復活するのか、知りません。

 黒百合は有名ですが、山さんもよろしくです。


 この回も、京急2100のマネがありましたが、下手くそ、でした。
 俺にやらせろと思いました。

 鉄道デート、私は若い頃はしましたね。
 クルマのデートなんて「糞くらえ」が、私のポリシーです。
 いいんじゃないですか、鉄道デート。

 私が喜んで、鉄子を育てちゃいますぞ。  

Posted by よっぱらいくま at 21:22Comments(0)TrackBack(0)音楽・映画・テレビ

2014年05月23日

新幹線大爆破

今年は新幹線開業50周年記念ということで、さまざまな企画が出されている。
新幹線は開業後12年で、博多まで延伸開業した。

新幹線大爆破は、当時を舞台にした映画だ。

重厚な出演陣は素晴らしい。

高倉健、山本圭、千葉真一、丹波哲郎、最近亡くなった宇津井健、その他重鎮がいっぱい出演している。

私は特に、山本圭が大好きだ。
学生運動くずれという設定がとても似合っている。

千葉真一が運転士のひかり109号に、爆弾が仕掛けられる。
爆弾はいったん走り出して、その後時速80キロ以下になったら爆発するもの。

北海道の貨物列車で、15キロ以下に落としたら爆発するという証明もする。

国鉄はそれを受けて爆弾犯との緊迫したやりとりを始める。

ひかり109号の先行列車がブレーキ系統の故障で立ち往生。
指令長の宇津井健が、109号を浜松駅の手前で上り線を通過させるという荒業を見せる。
未だ、新幹線が逆行したらATC制御が無効となるという理論は理解できない。

ともかく、第一の見せ場として、上りのひかり20号が通過した瞬間に、下り109号が上り線に転線するという離れ業を見せてくれる。

その後、豊橋で下り線に難なく戻るシーンはない。

そして、第二の見せ場は、名古屋を通過するシーン。
その後、車内はパニックとなってていく。
竜雷太の車掌が、産気づいた妊婦の介抱をしたりと、パニックのてんこ盛りとなる。

高倉健、山本圭らと、警察、国鉄との緊迫したやりとり。

この映画は名作です。

また、続きを書きたいと思います。
  

Posted by よっぱらいくま at 21:10Comments(0)TrackBack(0)音楽・映画・テレビ

2014年05月22日

鉄道本

最近の、鉄道本の多さはすごいです。

この前、豊橋駅前の精文館書店に行ったのですか、鉄道本の充実ぶりには目をみはりました。

20年前の、神保町の書泉グランデ並かそれ以上に揃えている感じです。
書泉グランデも当時、鉄道本の充実度では業界ナンバーワンと言ってよいくらいでした。
同じく神保町の三省堂も競っていたけれど、鉄道専門書の充実度では、書泉グランデが上でした。
それでも当時は、フロアーの一角の専用エリアが確保されている程度でした。
自動車や航空機などの乗り物分野とフロアーは分け合っていました。
それが、鉄道本エリア次々と拡張されていきました。
私の鉄マニア活動も半隠居状態みたいなもんなので、若い頃は東京へ行く度に寄っていましたが、最近、ここ10年くらいと言ってよいぐらい、書泉グランデには行っていません。
景気も悪いし、給料も下がるしで、若い頃は「本は迷ったら買う」が私の本に対する思想でしたが、今は、迷って結局あきらめることがほとんどです。本の単価も上がっていますしね。
昔よりも情熱度も下がったし、鉄道本が増えすぎて、内容がいまひとつ関心が持てないことや、なんとなく増えた分レベルも下がった気もするので。
と、一応言い訳しておきます。

最近までは、名古屋では松坂屋地下の三省堂の鉄道本コーナーが常連の私でしたが、あそこもなくなってしまったし。
でも、往年の名古屋三省堂よりも、豊橋精文館の方が明らかに、鉄道本の数は多いです。

この前タモリ倶楽部で、書泉グランデの鉄道本コーナーの特集をやっていたのだけど、ぱっと見、フロア全体が鉄道本だけになっていたように見えましたが、どうなのでしょうか。

地方の大型書店でさえ、一昔前の書泉グランデの鉄道本コーナーを上回る充実ぶりを見ると、書泉グランデの鉄道本コーナーがフロアすべて占領されていても不思議ではないなと、納得した次第です。  

Posted by よっぱらいくま at 21:27Comments(0)TrackBack(0)日記

2014年05月21日

鉄子の育て方 ♯7

 登場人物の鉄女が、「朝から晩まで鉄道に乗りっぱなし、コンビニ弁当なんか食べられることが幸せ~」と言っていた。
 私も、そういう時代がありました。
 高校2年の夏休みの九州旅行は、まさしくそんな旅でした。
 夕食は、ビスコとハイレモンだけ。
 駅そばなんて食べられたら御の字。駅弁なんて贅沢すぎてありえない。一日の生活予算は2千円以内。
 何が楽しくてそんな旅をしていたのか。そんなことを、鉄子さんは言っていたので、まさしく自分の若い頃の旅そのものだったなと、感慨ひとしおでした。
 まともなもんを食べず、夜行列車を宿として、翌朝は早朝から夜まで列車に乗り詰めでした。
 でも、そんな行動の女子は、30年前は絶対にいませんでしたけど・・・

 駅弁のお茶。ポリ茶容器。
 あれは懐かしいです。
 プラスチックの香りがするお茶は、駅弁とセットでした。
 私が高校生の頃までは、針金の持つところのある茶容器が定番でした。
 それをフタに注いでのんだものです。
 まるで日本酒のお猪口みたいでした。
 同時に、プラスチック製で、フタにコインが通るような穴を空けられるような溝がある、貯金箱にもなる茶容器になりました。
 それは、プラ容器に茶が入っているもので、その容器そのものをビニールで包んでいるものへ移行していきました。
 私が新幹線の車販をしていたときは、これが主流でした。

 そしていつの間にか、缶茶が出てきて、そして今のペットボトル全盛時代となり、プラ容器のお茶は昔話となったのでした。  

Posted by よっぱらいくま at 21:47Comments(0)TrackBack(0)音楽・映画・テレビ

2014年05月19日

LCCの運休

格安航空の崩壊が始まった。

マスコミは、こういうコスト削減で低価格のサービスを提供する者を賞賛する。
しかし、結果はこの程度だ。

だいたい、数千円で飛行機に乗って、東京から札幌や福岡へ行けること自体がおかしいのだ。

自社でパイロットを養成することなく、他社からの引き抜きやらなんやらで見繕ってきた結果だ。
機長をはじめパイロットの慢性的な不足。

日航や全日空が自社で1人何億円もかけて養成したきたパイロット。
それを横取りしてきたのがLCCでしょう。
それでパイロットが不足してきたら、外国人パイロットに頼るとか、あげくには自衛隊のパイロットを採用したいとか。

国費で養成した自衛隊パイロットを民間航空会社のもうけのために使うなど、国賊だ。

国費で賄われて防衛大学を卒業して、自衛隊に行かず民間会社に就職する者が毎年、何人かいる。
それと同じことをLCCがやっても、マスコミは批判しないのかね。

パイロットには、厳密な運行ルールがあるから、無茶な長時間、過密労働は許されていない。
しかし、バス業界は無茶な運行をする零細事業者が、事故を起こす。

外食産業も、労働条件では無法地帯だ。
すき家の、醜態さわぎ。

24時間、365日働けなどと言うワタミも崩壊し始めている。

低コスト、競争、効率化、そんな単語が否定される世の中に戻りつつあるということだ。

鉄道業界で、こんなLCCみたいな杜撰な運行体制はありえない。
新幹線に、運転士が足りないから運休するなんてあり得ないでしょう。
新幹線よりも、羽田と福岡の運賃がLCCの方が安いなんて構造のカラクリが、今、はっきりと露呈しただけだ。

子供遊びみたいな体制が杜撰な会社が、LCCの正体なんだということ。
マスコミはそれでも擁護している。

なんでも安いことが企業努力で正義だなんて、そんな社会風潮は終わってほしい。

規制緩和という亡霊は、早晩、店じまいしてほしい。
まともな政治家は与党にも野党にも、いない。

  

Posted by よっぱらいくま at 21:23Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2014年05月16日

ハエタタキ

 「ハエタタキ」と言っても、害虫のハエをたたくやつではありません。
 昔、線路脇に線路に沿って張られていた通信ケーブルを懸架する電柱のことです。
 当時、通信線は一本の電線に複数回線(流れていた情報が鉄道電話とか、信号データなのか知りませんが?)を流す技術がなかったのか、何十本、何百本もの細い電線が線路に沿って張られていました。
 その電線を懸架する電柱にはたくさんの横張りがあり、たくさんの電線が縦横に張られていて、見た目がハエタタキに見えたのです。
 幹線系のは、通信量も多く、電線の本数もたくさんで、ハエタタキも大きなものでしたが、ローカル線だと通信量も少ないのか、小さいものでした。

 写真があれば良いのだけど、自分で撮ったものが見当たりません。
 どっちかと言うとあれは、撮影の邪魔だったので、あえて写り込まないようにしていたような気もします。

 しかし、あれも私が小学生時代くらいまでしかなかったような気がします。
 私が写真を本格的にやり始めた中学生の頃(昭和50年代)には、すでに幹線沿いからは消滅していたような。

 たまにローカル線に行くと、小規模なハエタタキの残骸が残っていたくらいでした。

 光ケーブルとか、携帯のデータ通信とかなんとか、現代では考えられない通信技術の時代でした。

 昔の映画とかで、ハエタタキが見える鉄道風景を見ると、とても懐かしくなります。
  

Posted by よっぱらいくま at 10:25Comments(1)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2014年05月09日

エアトレイン 鉄子の育て方

 鉄子の育て方なる、くだらない、もとい、おもしろい?番組が放送されている。
 まとめて録画して観ているが、ばかばかしいというか、おもしろいというか、笑わせてもらっています。
 鉄道ファンをバカにしてるんかいと突っ込みたくもなりますが、ふざけているところがおもしろいです。

 エアトレインの回は、爆笑と、下手くその罵倒の連続でした。

 私自身、昔から、音まねはよくやりました。
 それが一般人に通用することは皆無でした。
 それが今や、テレビ番組になるなんて、長生きするもんだと、感無量です。

 鉄子なる女性の鉄道マニアが増殖しているのも、大変喜ばしいことです。
 まあ、知識と経験では、私の足元にも及びませんけどねえ。

 エアトレイン、私なら有楽町線の旧7000系のサイリスタチョッパ音とか、得意でしたね。
 ブレーキ緩開からの、ピャオォー、ウィォーンーーーーと力行していく音です。

 大学時代の鉄道研究会の先輩で、気動車のタイフォンの物まねが得意な人がいました。
 フォォ~ンと、その人のエアトレインは芸術品でした。今から30年前です。

 電気機関車の起動時のブロワー起動音とか、超盛り上がりです。
 奥羽本線、板谷峠を下る米沢駅を発車する福島行き客車牽引の機関車の起動音のビデオ映像は、私の宝物です。

 キハ58、28のドアの開くときの独特のエア音とか。
 シュー~・・・ シャシャ。これも独特の音でした。
 はっきり言って、文字にするのは難しいです、似体音は。

 新幹線の通過時の、0系、100系、300系、700系のそれぞれの通過音を聞き分けるとか、昔、よくやりました。
 要するに、0系は重く、新型になるたびに音が軽く静かになるのです。

 京浜急行の2100形の音まねはもう定番でしょうね。あれは楽器で再現したいです。
 私は口マネで、一応、できますよ。

 鉄子の~で、ロータリーコンプレッサーの話しが出たときは、「ロータリーコンプレッサー!」と、私とテレビの人と、ハモってしまいました。
 ロータリーコンプレッサーとピストン形式のコンプレッサーの作動音は、まったく違いますよね。
 ロータリーは、かっこいいです。フャーアーンーーーーとした連続音は子供心に違いがわかりました。私は。


 なんだかんだ、バカにしつつも、鉄子の育て方は、楽しく観ています。

 中川家のN700の便所の音真似、私も得意です。
 シュコォォ~、コォっ。  

Posted by よっぱらいくま at 20:39Comments(2)TrackBack(0)音楽・映画・テレビ

2014年05月08日

JR東海 徘徊老人の事故

 徘徊老人が電車にひかれて死亡、JR東海が家族に損害賠償を求めた裁判について、議論となっている。
 私は、介護の問題と、線路内に人が立ち入ったために列車の運行妨害となり損害が発生したこととは切り離して考えるべきと思う。

 何人たりとも、みだりに線路内に立ち入って事故に遭った場合、鉄道会社側は基本、損害賠償請求権を持つ。
 それは相手が大人でも子供でも、認知症患者でも変わりない。
 
 刑事事件であれば、精神疾患を患っていれば責任能力はないとして免責されるが、民事事件であれば、当人に責任能力がなければ家族等に賠償責任が生じるという考えが一般的だろう。
 
 今回の件に当てはめれば、認知症を患った老人が線路に入ったため死亡。
 それにより鉄道会社側は当人へ損害賠償を請求したいが本人死亡につき、当人に代わり法定相続人である家族に損害賠償を請求するという形であればすっきりする。
 そして、損害賠償を求められた家族は、それでは相続権を放棄するという形にすれば、家族も金銭負担も逃れられる。
 JR東海側も一定の判決を得られ納得できる、という形に出来なかったのだろうか。
 死亡した当人に多大な財産があり、損害賠償分を払っても十分お釣りが来るというのならば、相続を受けて支払えばよい。
 だが、今回の徘徊老人に財産があるとは考えにくい。あったらたぶん、そういう手法で解決していただろう。

 今回の件では本人の責任よりも、介護する立場の家族に監督責任がある、それを怠ったから事故が起きた、だから家族が損害を賠償しろという理論だ。
 これでは、老人介護という困難な問題に直面している現代の日本では、世間の理解は得られないだろう。
 私もそう思う。
 しかも、今回は老老介護である。高齢の夫を介護している妻も80歳代である。心情的に80歳代の妻に365日、24時間、認知症の夫を管理監督する義務があり、 それを怠ったから賠償責任があるという理屈では、あまりにも気の毒すぎる。
 介護の現場、実情をあまりにも知らないのではないかと思う。
 カギをかけるのを怠ったとか、もう本当に小さいことを非難して責任を認めている。
 介護者の心労はどれくらい大きなものか、まったく理解していないのではないか。
 簡単に監督責任があるなとど言ってはいけない。

 裁判官は、介護の現場とか、身内や裁判官本人自身が、自分の両親や配偶者の義父母の介護に直面したこともないのだろうか。
 もし、裁判官自身や配偶者が老人を介護する立場に直面していて、それでも今回のような判決を出したのならば、それはそれで言い換えれば立派である。
 しかし、たぶん、そんなことはないのだろう。
 病人や老人の看護、介護など経験したことも、考えたこともないのだろう。
 裁判官をはじめ法曹界に育つものは、一般社会経験に乏しく、世間の常識が備わっていない者も多いという。

 特別養護施設への入所は何年待ち、有料老人ホームは金持ちしか入れないのが、今の日本の実態だ。
 そのような大問題を抱えている日本で、認知症の老人の管理監督責任をすべて、介護する家族に求めるというのは、あまりにも理不尽だ。

 今回の件が、子供が起こした事故に対して親が賠償責任を持つという考えと同一にしていることが問題だ。
 子供と老人では、監督責任の内容も重さも、直面する苦労もまったく違う。
 子供の面倒を見て子供の行動に責任を負うことは、親の責務だ。
 しかし、老人介護を同列にしてはいけない。
 子供は育っていけば負担は軽くなる一方であり、一時的な苦労はあってもその先の明るい未来が見えている。
 老人介護は悪くなる一方でありいつ終わるかわからない、先の見えない未来のない闘いだ。そして最後は死だ。
 法律の世界では、そのような理屈は通らない、冷たい世界であるのも事実だが。


 監督責任、このような理屈なら賠償を勝ち取れるという考えで、JR東海が裁判を進めたのであれば、情けない。
 リニアを建設する力のある企業が、こんなことで勝ってどうするのか。
 JR東海の立場も理解できる。鉄道会社側としても事故の度に、これは賠償を求める、これはかわいそうだから賠償は求めないと、あいまいな扱いは出来ないだろう。
 だから、画一的に事故当事者に損害賠償を求めること、手続きを踏むことは理解できる。平等な扱いである。
 しかし、もう一歩踏み込んで、情というものをうまく取り込んでほしい。
 最初に書いたとおり、本人に請求したいけど死んだので本人に代わり本人の債権債務を承継する相続人が払ってねと。
 そういうように監督義務とかは問わないという形にすれば、家族は相続放棄で逃げられるのだ。
 JR東海が建前上、裁判を起こす必要があるならば、JR東海にはそういう理屈でやってほしかった。
 認知症患者の事故に対して、介護で苦しむ家族の監督責任を認めさせるのでは、介護に関わるすべての人が、これから嫌でもそういう立場になり得るすべての人の理解は得られないだろう。

 JR東海の法務担当者だって、いつ、両親を、家族を介護する立場になるのかわからないのだ。
 そういう立場になった時、家族にすべての監督管理責任があるのだから、私は365日24時間、要介護者の面倒を見られると、自信を持って答えられるのだろうか。

 今の日本で、あまりにも重く切ない問題である。

 介護の負担を軽くするための施設の拡充、人材の確保のために国が動き、その財源として消費税が上がるのならば、喜んで10%でも払いたい。

 このブログをアップした直後、NHKのニュースで、判決を不服としてJR東海が上告したとのこと。
 家族側はまだ、二審判決に対して上告などしていない。
 家族の苦しみを思うと、涙が出てくる。
 いい加減、JR東海よ、やめろよ。
 それ以上、介護に苦しんだ人間を責めるなよ。
 もうやめてくれ。
   

Posted by よっぱらいくま at 20:34Comments(1)TrackBack(0)政治・社会