2017年11月24日

北陸3セクの旅

新潟から米原まで、旧JR信越本線~北陸本線を、両端のJRを含めて、3社の三セクを通しで乗りました。前回書いた、磐越西線の旅からの続きです。

北陸新幹線が開通して並行区間が3セク化されたからは、初めての乗車です。
新潟から直江津までは、JRの特急「しらゆき」という、最近?できた特急に乗りました。約2時間の快適なJRの最新車両の旅でした。何系というのかは知りません。昔だったら485系だったのでしょうが、485系も全滅ですね。


車内で、新潟駅で買っておいた駅弁を食べました。新潟駅は種類は少ないものの、私好みの駅弁が多く、買うときは迷います。今回はこれ。私の好物が詰まっています。





新津駅の構内は広く、まだまだ磐越西線のキハ47系統が数多く見られます。これも近い将来に消えていくのでしょう。



直江津に着いて、いよいよこれから、金沢まで3セク3社の乗り継ぎです。直江津駅の乗り換え通路には、駅弁屋さんが元気に営業中です。三セク駅になってもこの姿は変わっていないようです。北陸本線と信越本線のジャンクションだった直江津駅は国鉄時代から鉄道の要衝の駅でした。EF62やEF81がごろごろとたくさんいた広い構内に今、その面影はありません。
さて、えちごトキめき鉄道に乗り込みます。直江津駅のこのホームからは、昔はEF81に牽引された旧型客車、583が改造された419系、455系急行型アコモ改造車などに何度も乗り込んだ思い出があります。直近では2010年頃に金沢と直江津を455で往復したのが最後です。
えち鉄の泊行きは、予定通りの新型気動車1両。旧客の時代なら最低でも4両か6両。455、419でも3両編成。収容力は大幅減、それでも本数が大幅に増えていれば良いけれど、JR時代と大差ないです。案の定ほぼ満席で、かろうじて2列席の通路側に座ることができました。車内は立ち客も20人くらいいます。今日は土曜日の昼過ぎ、車内の客層はあきらかに地元の短区間乗車組よりも、乗り通しそうな客が多いです。車内がクロスシートだから、秋田地区の701系なんかよりもまだましですが。
直江津を発車したあとは、昔は485系が数多く疾走していた立派な線路の国鉄大幹線を、なじみの景色を見ながら走ります。1両の気動車と各駅の長いホームが違和感満点です。
トンネル内にホームがある筒石駅で、鉄道マニアが数人下車しました。最近、朝の情報番組で上越線の土合駅が取り上げられていたけれど、こういう駅がテレビで話題になる時代になりました。私らの世代の鉄道マニアなら当たり前の情報なんですがねえ。その番組で、土合だけでなく筒石も取り上げていたら、スタッフは通だのぉ~と誉めてあげたのに。
糸魚川で、たぶん大糸線か新幹線に乗り換える客と地元客がたくさん降りて、ようやく私も窓側に座ることができました。
親不知付近で国道と高速道路が海側に現れます。


親不知駅は駅名標のデザイン以外、何も変わっていません。


この区間は、親不知子不知をまさに体現しているのが、高速道路の建設場所です。海に張り出すしか場所がなかったのです。北陸新幹線は山の中を長大トンネルで貫いていますが。


市振駅です。ここがえち鉄と、あいの風とやま鉄道との境界駅ですが、列車はすべて泊駅まで行きます。


越中宮崎駅はとやま鉄道の駅だけど、ほとんどえち鉄の気動車しか通りません。時刻表を見ると、朝晩の2本だけとやま鉄道かIRいしかわ鉄道の電車が糸魚川まで乗り入れるので、その電車が走るのみです。




泊駅で乗り換えです。
この駅でのえつ鉄ととやま鉄との乗り換えは、同じホーム同じ線路に2本の列車を入線させるという、乗り換え客に楽な方法をとっています。


富山方から泊止まりの電車がえち鉄が止まっているホームに入線。

ホームではこんな感じ。





ホームには案内板もありますが、何人かの人は、乗務員に乗り換え方法を聞いていました。


泊駅、国鉄、JR時代には、降りたことはありません。下車は初めてです。国鉄時代から、泊始発の富山方面への普通列車はありました。





窓口はあり長距離切符も買えます。

実は私は磐越西線の旅のため、郡山駅でこちら方面への通しの切符を買おうと思っていました。
郡山駅で私は、郡山発で磐越西線、信越線、北陸3セク経由、金沢、名古屋と、通しで発券してもらおうと頼みました。郡山駅の窓口の若い女性駅員は長いこと端末を操作していたけれど、発券できませんでした。
指定された私鉄を挟んで、両端が国鉄、JRでの通し発券、連絡きっぷという制度があります。そうすると両端のJR区間の距離を通算されるので、遠距離逓減が効いて安くなったのです。ただしその条件は間の私鉄は1社のみでした。しかし、北陸本線が細分化して分断されたのだから、国鉄JR時代は当たり前だけど通しで買えたのだから、私は新幹線開業のために分断された3セク鉄道なら通しで買えるものと思い込んでいました。
しかし、やはり通し発券は1社のみしかできないと、郡山駅で格上の男性駅員が何か分厚い通達集か規則を持ってきて説明されました。結局、なぜか糸魚川までしか発券できないということで、この窓口で糸魚川から泊駅までの区間の乗り越し精算をすることになったのです。所属でいえば市振までは発券できたはずだけど、よくわかりません。要するにこの区間を乗り通すには、それぞれの3セク区間を細切れに買うことになるうえ、JR区間も分断されるということです。乗り換えばかりで切符は通しで買えず、完全なサービス低下であり割高になるのです。整備新幹線の開業と並行在来線の3セク化は、どう見ても理不尽です。
泊駅から名古屋までの切符も頼んだけれど、こちらは買えたけれど通しというか、泊-金沢間の切符と、金沢-名古屋の切符を分断して買えただけです。しかもカードで支払いを頼むとJR区間は使えるけれど3セク区間は現金しかダメということでした。それでも窓口氏はちゃっかりと、金沢-名古屋の特急券はいらないのと言ってくるので、しらさぎの名古屋行きか米原行きに乗るかは決めていなかったのでとりあえず、金沢-米原の特急券はささやかながらとやま鉄道が受け取るJRからの手数料分の増収に協力するために併せて購入しました。

郡山-名古屋の運賃、JR時代と3セク化した現在を計算してみました。
JR通し 10,480円
直江津-金沢 3セク化後 12,900円
差し引き 2,420円高くなりました。そして在来線特急がなくなった分、時間もかかるようになりました。

ちなみに、上越妙高まで行って、上越妙高と金沢間を新幹線利用で計算すると
こちらは直江津-上越妙高間はえち鉄となるけれど、前後のJRは通算されるので
郡山-名古屋(北陸新幹線経由) 10,720円と、3セク経由よりも乗車券は大差ありませんが、新幹線特急券の2,590円分(自由席)がもれなく加算されます。
名古屋から富山へ行くのにも、金沢で乗り換えさせられて割高な新幹線に乗らされるのはどうかと思います。せめて金沢-富山間は隣駅扱いの特定料金の適用でもしてくれたらと思います。乗り継ぎ割引はあるけれど。


泊駅前には古い駅前食堂が健在でした。


ホームの跨線橋の柱には、古いレールがありました。


泊からは、金沢直通の電車を選んで乗りました。だって、富山の乗り換えが面倒だし、良い席に座れるかどうかもわからないし。

倶利伽羅駅もJR時代と変わりありません。いしかわ鉄道の駅名標はJRのものをそのまま使用しているようで、社名のシールが目立たないくらいの小ささで張ってありました。



金沢駅に夕方到着。ホームも駅構内も、乗降客があきらかに新幹線開業前よりも増えています。
今日は車内で酒は一滴も飲んでいないので、金沢駅名店街にあるお気に入りの店「山さん」で日本酒を飲みました。ここの鰯の刺身はやっぱり旨かったです。おでんももちろんで、いつもの倍食べてしまいました。

金沢からは、3セクに比べれば遙かに快適なしらさぎに乗って、名古屋へ帰りました。
感想としては、覚悟していたからか、直江津から金沢まで、時間はたっぷりかかったけれど、なかなか楽しかったということです(直江津-糸魚川間は除く。やっぱり1両はひどい)。最も移動だけが目的だったら、選択肢にはならないでしょうね。しらゆきで上越妙高まで行って、北陸新幹線に乗り換えて金沢へ向かった方が賢明でしょう。
  

Posted by よっぱらいくま at 17:47Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2017年09月25日

磐越西線の旅

本当に久しぶりに、郡山と新津を結ぶ磐越西線に乗ってきました。
純粋な鉄旅も久しぶり。

最後に磐越西線に乗ったのは、まだ50系客車が走っていた頃、午後の客車列車で会津若松から新津まで乗り通したときだと思います。平成一桁だろうから、かれこれ20年以上ぶりです。
JR東のローカル線は、新型気動車ばかりだし、たいして期待もしていなかったのだけど、まだ残っているんですね、キハ47系気動車が。

郡山から会津若松は快速電車で移動。夕方の電車だったけれど、結構空いていて、これも約1時間の乗車を楽しみました。
秋の夕暮れ時、車窓から見る会津盆地の景色はきれいでした。

雲間からもれる斜光。秋のこういう景色、大好きです。秋だなあと感じます。

この日は会津若松に宿泊。
おいしい料理と地酒を楽しみました。なかなか良い店でした。若い大将が気さくな方で、おすすめの地酒を順番に薦めてくれました。


〆には、喜多方ラーメン。駅前のこの店のラーメンは基本の味。
鶏ガラと豚のスープは、豚味がやや強い、私好みの味でした。濃厚とかこってりとかの今風にない安心できる一杯でした。


宿泊したホテル、今時一泊4500円。バイキングではない、和食か洋食が選べる古いシステムの朝食と、近隣のスーパー銭湯の無料券がついて、この値段は安い。


会津若松駅前は、旧貨物扱いホームの屋根が残っていて、鉄道が活躍していた時代が偲ばれます。
わかりずらいけれど、左が駅舎、右が旧貨物取り扱いホーム跡。


会津若松駅、磐越西線はここで行き止まり。逆方向に進んで行きます。
只見線は、郡山方面からの列車と同じ向きに発車します。


折り返しとなる新津行きが到着。通勤通学客がそれなりに乗っていました。
期待したとおり、キハ47でした。さあ、旅の始まりです。


8時14分定時発。もう学校には間に合わない時間なので高校生は乗っていないとふんでいたけれど、思ったよりも高校生が乗っています。
約15分で列車は喜多方駅に到着。高校生は喜多方で降りるのかなと思っていたけれど、誰も降りません。すでに8時30分をまわっているけれど・・・。
そして、8時41分着の次の山都駅で高校生はみんな降りてしまいました。列車時刻に合わせて学校の始業時間は9時からにしているのかな。
ここですべての客が降りてしまい、車内は貸し切り状態に。

途中、尾登駅からおばあさんが乗ってきましたが、次の野沢駅で降りました。
野沢駅は9時2分着、そして発車は27分。なんと25分間も停車するのです。
昔みたいに途中駅で長時間停車する鈍行列車は、ほとんどなくなっていますが、こんなところに生きていました。
他の客は、鉄道ファンらしき客1人と私以外、ゼロ。よそ者の私ともう一人がいなければ、普段は客ゼロとなるのでしょうか。

良い雰囲気です。昔の旅のように、途中下車して、駅前を散歩しました。
今日は夜、新潟で学生時代の友人と会い、飲む約束をしているので、今日は列車内では飲むまいと決心していましたが、こんな良い雰囲気の汽車旅となってしまったからには、飲まざるを得ません。(どういう意味だか・・・)

典型的なローカル線の途中駅の駅前通りを歩き、昔ながらの酒屋をやっと見つけました。
コンビニなんて皆無です。駅から離れた主要道路沿いには、どんな田舎でもコンビニとか今風の大型商業施設があるのだろうけれど、駅近辺は時間が止まっているような景色であることが、ローカル線の駅周辺の典型です。
まだ9時過ぎだけど、酒屋は開いていて、店のおばあちゃんと地元のおばあちゃんが話し込んでいました。
アルコールが手に入ったことに感謝して、駅へ戻りました。

野沢駅、昔は急行も停車した駅です。
待合室には、ストーブがあったことを示す穴が天井にあります。冬季には石油ストーブを今でも置くのでしょうか。






待合室には、古い写真が多数展示されていました。


発車を待つ列車。25分間の停車時間、駅前を歩いて買い物もできて、写真もたくさん撮りました。



停止位置標に「雪」の文字が各駅にありました。



もう、ホームで飲み始めちゃいました。プシュー。



発車を待つ間、車掌さんともお話しをしました。この列車のスジは以前から変わっていないとのことで、野沢駅での長時間停車は変わっていないようです。景色の良いところとか、次の長時間停車駅も教えてくれました。
この親切な若い車掌さん、なんと純粋な白人系の外人さんだったのです。聞くと生まれは外国だけど、育ちは日本とのことで、車内放送とか言葉は、顔立ち以外は日本人となにも区別できませんでしたが、ネームプレートはしっかりとカタカナでした。JR入社から5年だそうです。こういうのを本当のグローバル化というのでしょうね。JR東、好感が持てました。

野沢駅を発車してからは、窓を全開にして外の景色を楽しみました。冷房も暖房も不要な、この貴重な日、この季節、窓を開けられる列車に乗れたことはなんと幸運なことでしょうか。
今や、ボックスシートで窓を開けて外の景色を楽しめる列車なんて、日本中探しても貴重なものでしょう。








窓を開けたトンネル内は轟音です。冷房車ではない昔は、真夏なら当たり前だったのになあ。トンネル内の冷気が心地よいです。煉瓦積みのトンネルの壁に、磐越西線の歴史を感じます。煉瓦積みトンネルの壁を間近に見るのは、廃線跡巡りみたいです。


徳沢駅でも、交換待ちで10分弱停車。
駅舎は郵便局を兼ねていました。





窓が開いているところが、私の席。


上りの快速は、新型気動車。あちらよりもこっちが断然良いですわ。


通過する快速と車掌さん。

津川駅でも20分近く停車。駅前を散歩しましたが、とくに何もありません。


福島から新潟への県境区間の、野沢から津川は乗客の流動がほとんどないということが、よくわかりました。土日だと別の顔を見せるのでしょうけれど。

典型的な駅前の住居地図看板。名前のある駅の隣の酒造所とか、ほとんど現存していません。




さきほど買った缶ビール2本でほろ酔いですが、飲み足りなくなったらと念のために買っておいた缶チューハイに手を出しました。何気なく賞味期限を見たら、月単位ではなく年単位で切れていました。ビールはいつものクセで製造年月は必ず買うときに確認しますが。田舎の酒屋でたま~にあるんですよね。でも、あそこで朝から営業していて酒が手に入ったことに感謝。いつまでもお店が存続することを願っています。缶チューハイ、もちろん飲みました。ビールと違って缶チューハイは、味はほとんど変わっていませんでしたので、おいしくいただきました。

五泉あたりからボチボチと乗客も増え始めましたが、混雑することなく新津に到着しました。
本当に久しぶりの、昔ながらの汽車旅を満喫しました。窓を開けて景色を何時間も楽しんだなんて、20年以上ぶりくらいかもしれません。窓を開けられる貴重な季節、時期、天候に巡り会うのは、運だと思います。
学生時代、夏の山陰本線を窓を開けた旧型客車に一日中揺られたあと、体じゅうがDD51の排気ガスと鉄臭くなったものですが、今回も近いものがありました。

到着した新津駅近くの「大将ラーメン」という店で昼食を摂りました。シンプルにラーメンを頼んだのですが、ナルト、チャーシュー、しなちく、ネギ、そしてホウレンソウが乗った、懐かしい東京ラーメン風でした。味もくどくなくおいしかったです。こういう店、近所にはないんですよね。



このあと、新津鉄道資料館へ行ってきました。
新津鉄道資料館






  

Posted by よっぱらいくま at 12:28Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2015年03月29日

八高線と上野東京ライン初乗車

東京出張があり福生に宿泊したついでで、その翌日に八高線に乗って高崎まで乗り、高崎から東海道線へ直通する電車に乗って開通したての上野東京ラインに乗るということを思いつき、実行しました。

八高線に高崎まで乗るのは久しぶりです。たぶん学生時代だから、30年以上前のことです。昔はキハ35系ばかりだったけれど、今走っているのはボックス席もあるので、旅向けです。しかし、首都圏だけあって乗客は多いです。

ボックス席を陣取って、車窓を楽しめました。

八高線は開通80周年とのこと。看板が各駅にありました。



八高線は戦前、東京が空襲を受けても輸送を確保するため、東京を迂回して東海道方面と上越、東北方面との間の軍需輸送のために建設されたものでした。

沿線には遅咲きの梅がたくさんあります。






有名な越生梅林がある越生駅ではたくさんの梅見客らしき人たちが降りていきました。

小川町で東武東上線をオーバークロスします。
鉄道は後から建設された方が上を跨ぐことになります。
東武東上線が小川町まで開通したのは大正12年、かたや八高線は昭和9年に全通しています。




小川町駅です。古い跨線橋も健在です。






寄居駅で再び、東武東上線と寄り添います。
ちょうど、復刻されたクリーム色の8000系が併走しました。



このクリーム色の8000系が活躍していたのは、私が中学高校大学と過ごした時代とまったく同じです。
あの頃はなんて特徴のない色で、下塗りのまま走っているとか、評判もよくなかったけれど、今となってはレトロに感じて懐かしくなってしまいます。8000系ほど特徴のない電車は他にはないと、好きでもなかったけれど、国鉄に限りなく近い東武鉄道の社風、個性よりも標準化を徹底していました。私鉄で唯一、まっ昼間でも運転台の後ろのカーテンは閉めていたのも、国鉄と同じでした。今は開けているけれど。


八高線と上越新幹線と関越自動車道が交差するところです。




高崎に着きました。
乗ってきた列車です。






高崎駅ホームにはうまそうな、昔ながらのそばスタンドがありました。



こういう店でそばを食べるのも良いけれど、ここはラーメンがあります。こういう店の何も特徴のないラーメンも好きです。
だけど、今日は東京到着後、昼間から飲む予定なので昼食は抜きにするつもりなので、我慢です。

懐かしい湘南色の115系が普通にいます。
なんか、ひと昔前の雰囲気です。





久しぶりに横川まで乗りに行きたくなりました。
EF63にも会えるし。

跨線橋にも古レールが使用されています。





1938年製、たいして古くもないですね。

ノリホ入れもあります。


ホームの乗車位置案内には、一年前に廃止されたあけぼの号の表示もありました。



さて、12時23分発国府津行きのグリーン車に乗り込みました。
高崎駅で、国府津だの熱海だの小田原だのとの行き先表示には、やっぱり違和感が強いです。
そのうち、当たり前になるのでしょうか。
スイカへのグリーン券購入は、東京付近は同じ料金だから、行き先ボタンは熱海を押しました。
新橋で降りる予定ですが。

グリーン車内では、酒を飲む客が多くいます。東海道線ではめったに見ない、東海道では飲んでいるのは私だけということが多いのに、こちらは私以外が、たくさんの人が酒を飲んでいます。私はこの後、おいしいビールを飲む予定なので、誘惑に負ける訳にはいきません。それでもグリーン車の女性乗務員が何度も車販にまわってきます・・・。
昔からの伝統で、上野口の下り電車、東北線や高崎線の通勤客は夕方は飲んでいる通勤客がたくさんいました。その雰囲気ですね。満員でも、ボックス席にありつけなくても、立っていても、ワンカップを飲んでいる飲んべえサラリーマンが珍しくありませんでした。昭和の時代は。


いよいよ上野を発車。上野正面口の景色が間近に見えます。今まではあり得ない風景が続きます。



秋葉原のヨドバシカメラも正面から見えます。


神田付近


東京駅の上野口付近。ここを乗って通れるのは画期的なこと。


今回の乗車で、上野が近づいても乗客が減らないこと、上野、東京と乗客の入れ替えは多少あるけれど常にたくさん乗車していることがわかりました。
これでは、上野や東京から乗ると、着席できる確率は相当低くなったなと感じました。
グリーン車の乗車率もかなり上がったように感じます。

そして、平行する山手線と京浜東北線の乗客数は、はっきりとわかるほど減っていました。
これほど、上野口と東京口を直通する需要は大きかったのかと、びっくりしました。

  

Posted by よっぱらいくま at 15:58Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2015年03月18日

亀山発新宮行き キハ48の旅

 3月のダイヤ改正で、JR東海に残るキハ48などの昭和の時代に新製された気動車が、いよいよ淘汰されていきます。
 武豊線の電化もあって、そちらの新型気動車や新型増備で高山本線からはほとんどが新型に置き換わるみたいです。
 高山線に配置される新型気動車はオールロングシートです。そんなんじゃとても、鈍行の旅は楽しめません。ボックスシート自体、時代遅れの象徴みたいたけど、長距離長時間運転のローカル線、とても通勤ラッシュがあるとも思えない線区に何を考えているのかと言いたくなります。
 車内での飲食で発生するゴミとかの清掃の手間を省きたいのでしょう。最近は新幹線でもどこでも、乗客はしっかりと持ち帰り、駅のごみ箱へ捨てているんだけどねえ。

 かたや、紀勢本線のキハ48や40の一派は、まだ当面残るようです。
 私は、まだ亀山ー新宮間に旧型客車が走っていた頃、そして、その後に50系客車、キハ58と置き換わってはきましたが、ずっと紀勢本線の鈍行列車の旅が好きでした。
 キハ40系列に置き換わってからは足が遠のいていたところですが、ついにキハ40らまでもがなくなってしまう時期がいよいよ近づいてきたとなると、乗っておかねばと思った次第です。

 亀山発新宮行きの直通列車は、昔は数本ありましたが、現在は2本のみです。昔から夕方に亀山を出発する列車を愛用していたこともあり、新宮着が手頃な時間の、亀山15:12発に乗りました。新宮には19:50着、約4時間半の乗りごたえのある旅となります。

亀山駅5番ホーム、昔ながらの良い雰囲気です。これから約4時間、新宮まで乗車するキハ48です。




 この列車平日は通学客なんかで多少混む時間帯もあるのだろうけれど、土曜日はほとんどの区間でガラガラです。だから長時間の乗車も快適だし、途中、10分前後停車する駅もあるので途中下車や買い物も可能です。

 亀山駅は紀勢本線の起点駅です。0キロポストが紀勢本線ホーム5番線から見えます。


 キハ48と40の3両編成です。トイレのある車両に乗り込みます。トイレのある安心感は、酒飲みには絶対です。

 汽車旅の宴会スタートです。

 
 車内は扇風機のスイッチもある、新製当時からほとんど変わっていません。冷房が取り付けられた以外は。
 山陰本線のキハ47系は窓際にテーブルが取り付けてあったけれど、こちらにはないのが惜しいところです。


 亀山を出て列車は最初の停車駅、下庄に着きます。緩くカーブしたホームのローカル駅で雰囲気が良いところです。

 次の一身田からは高校生が乗り込んできます。平日はたくさん乗ってくることでしょう。
 しかし、次の津でほとんどが降りてしまい、乗り込んで来る人も少なく車内は閑散とします。

 高茶屋でキハ48系4連と交換。


 松阪までのんびり飲みながら過ごし、松阪駅で一番前に移動してスタンバイします。


 それは弁当を受け取るためです。松阪駅の牛肉弁当は有名なところです。私はいつも電話で予約を入れておいて、ホームで受け取るのです。親切な従業員のおばちゃんから受け取る弁当は、出来立てのホカホカです。ここの弁当は牛肉がうまいことはもちろん、私にとってはそれよりもご飯、米が美味しいことがうれしいです。最近のコンビニ弁当やホカ弁のご飯もうまいけれど、やはり一流、値段が高いだけの価値があります。




 まもなく多気駅に到着。参宮線の分岐駅であるとともに、日中の紀勢本線の列車は多気始発が多いです。逆に亀山方面とは参宮線直通の列車の方が多いです。
 10分以上停車するので、駅前のコンビニで買い物ができます。亀山でたくさん酒類を買い込んだのだけど、ここでも補充します。


 多気から紀勢本線は山間部に入っていきます。三瀬谷を過ぎると本格的な山越えとなり、エンジンフルバワーでゆっくりと峠を登っていきます。大内山駅、そして梅ケ谷駅あたりが最高地点で、相当登っています。それからは下り坂を転がりながら紀伊長島駅へと向かいます。この区間は地図で見ても、険しい地形であることがわかるし、線路はぐるぐるとカーブの連続であることもわかります。

 紀伊長島駅前は店もほとんどなく、寿司屋と小さな牛乳屋さんがあるくらいなので、酒類を手に入れることは不可能です。500メートルほどのところにスーパーがあるのだけど、10分弱の停車時間での往復は無理です。




 酔いも十分にまわりあたりも真っ暗、乗客もまばらな、ボックスシートでの楽しい旅はまだまだ続きますが、単調です。
 途中の長時間停車の駅ではホームに出て写真を撮ったり、改札も出たりします。こういう旅ができる路線と列車は、本当に少なくなりました。


窓際は酒宴の証拠が。

 これ、1人で全部飲んだ訳ではありませんよ、誤解なく。

 尾鷲、熊野市と主要駅前後で乗客はほとんど入れ替わり、終着の新宮には19時50分到着です。まだまだ宵の口で都会なら人だらけの時間だろうけれど、3両編成のキハ48から降りた客は10人もいません。
 閑散とした駅の改札を出て、旅は終わりです。

 紀勢本線のキハ48系、いつまでも残ってほしいものです。
  

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2015年03月13日

高山線キハ48

高山線で富山へ移動中です。
沿線では、キハ48狙いの撮り鉄がたくさんいます。
明日は金沢駅で北陸新幹線開業式典に出没します。
  

Posted by よっぱらいくま at 10:23Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2014年08月13日

武豊線乗り歩き

 東海道本線の大府駅から分岐する武豊線。
 名古屋近郊の地味なローカル線でしたが、近年は沿線の宅地化やマンションの増加も受けて本数も利用客も増えて都市近郊路線の様相です。
 東海道本線よりも先に開業した武豊線は歴史の宝庫でもあります。
 来年のダイヤ改正で電化となることもあり、電化前に一度乗っておこうと思っていました。
 ちょうど大学時代の友人が名古屋へ遊びに(飲みに)来るということで、そういう機会でもないとなかなか動きが悪くなっているのでいっしょに行きました。


大府駅へ進入してくる、折り返しとなる武豊線の気動車。


 最初は亀崎駅で降りました。いちおう日本最古の駅舎ということですが、外壁等更新しているので、器自体は古いのでしょうが、あまり古さは感じません。
 ここよりも、今は第三セクター化された旧国鉄ローカル線の駅舎の方が古さを感じます。のと鉄道とか北近畿タンゴ鉄道とか。



ホーム側から



 駅舎にはこんな表示が。


 明治19年1月です。

 駅舎内です。柱だけが歴史を感じます。


ホーム跨線橋のコンクリート柱にはこの表示です。昭和41年製らしい。


 半田駅寄りには旧貨物ホーム跡らしき場所が自転車置き場になっています。このパターン、ローカル駅に多いです。


 きっと手前には、お決まりの日通の事務所建物があったと思ってしまいます。

 こんな古い看板も。


 複線電化、さらには高架化と、言いたい放題な感が。
 冷静に考えれば、現況の本数維持あるいは倍の15分間隔運転も、現在の単線で可能ではないでしょうか。
 複線化ましてや高架化など、無意味でしょうな。クルマ社会の愛知だから、鉄道の利便性よりもクルマの運転の障害となる踏切をなくしたいのが本音ではないのと皮肉りたくなります。
 朽ち果てかけた看板が出来てからいったい何年がたったのでしょう。まさか電化が実現するとは、看板を作った当時は夢にも思っていなかったことでしょう。


 次は半田駅へ2駅移動。

 半田駅は日本最古の跨線橋があると有名です。





 ホームの屋根、柱もいい雰囲気です。



 これが跨線橋。たしかに古いです。
 今や貴重な危険品庫もあります。
 開業当時からかさ上げされていない旧ホームもあります。昔は貨物列車が止まり、隣接する駐車場用地はきっと日通の倉庫とかがあったのだろうなと夢想します。

 跨線橋の通路。


案内板もあります。


 階段昇り口にはこんな記載が。




 「明四十三鐵道新橋」、跨線橋本体よりも新しいです。


 柱とかはかなり塗装を厚く塗り重ねられていて、かなりの厚化粧です。







 何か書かれているけれど、厚化粧が過ぎて判読不可能です。


 ホームから見た駅舎側。低い旧ホームがあります。


 現ホームはこちら。かさ上げしているのがよくわかります。


 ホームの柱にはこんな表示が。


 その下のは塗りつぶされていて、判読不可能。


 半田駅は跨線橋は、電化に際して建築限界を超えているとのことでしたが、架線を特殊な構造にすることで、跨線橋は保存する方針となったようです。
 すでに張られている跨線橋下の架線は、確かに特殊構造です。


 跨線橋下に何やら板が取り付けられています。

 吊り線とトロリー線の間隔もとても狭いです。






 跨線橋を残すため、ぎりぎりでクリアさせたのでしょう。JR東海に拍手。
 これが直流1500ボルトではなく交流2万ボルトだったら出来たのか、聞きたいです。

 半田駅前周辺はコンビニもなく古い街並みで、レトロな建物も多いです。






 味のある建物の駅前食堂。営業しているのかわかりませんが、こんな店で昔みたいに、キリンラガー大瓶を飲んで、ラーメンを食べたいです。
  

Posted by よっぱらいくま at 16:15Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2014年02月22日

あけぼの号立ち往生顚末記 豪雪災害

 今年3月のダイヤ改正で、上野と青森を結ぶ、伝統あるそして最後まで唯一残った昔ながらの寝台特急「あけぼの」号が廃止になります。
 2月14日金曜日、青森発上野行きの「あけぼの」の寝台券が手に入ったので、お別れ乗車に行きました。
 実は、当初は2月16日、上野発青森行きの下り列車を、1ヶ月前の10時にみどりの窓口で求めたのだけど、瞬時に売り切れて手に入らなかったのです。それで2日前の14日発の上りは発売開始から2日も経過していたにも関わらず下段もいくつか空いていて、難なく下段寝台が買えました。
 16日の寝台券が買えなかったことは、あとになってとても幸運な結果となったのでした。

 さて、14日夕方金曜日の青森駅は、東京と変わらないような通勤客もたくさんいて、たった2両の「青い森鉄道」に詰め込まれていました。昔は最低4両の12系か50系客車で、もっとのんびりした雰囲気だったのになあと思ってしまいました。

 青森駅の発車待ちの「あけぼの」です。





 周りには撮り鉄がたくさんいます。通路にでかい三脚を立てて構えているのは感心しません。駅構内やホームでは三脚使用は慎むべきです。はっきり言って邪魔。
 私はコンパクトデジカメでストロボ禁止で手持ちですが、十分です。
 写真を撮る鉄道マニアの数に比べて、列車に乗り込んだのはその半数くらいに見えました。

 あけぼのは定刻に、青森駅を発車しました。
 乗客はマニアもいるけれど、一般客もそれなりにいます。1ヶ月前に瞬殺で売り切れる「あけぼの」もあるのだけど・・・

 車内では地酒のワンカップを飲みながら、ゆっくり過ごしました。ときおり鳴る汽笛が、昔ながらの寝台列車の旅を盛り上げます。車内もとても静かです。昼間から酒を飲んでいたので、21時21分着の秋田まではなんとか起きていたけれど、秋田発車時点で寝ました。

 なんとなく、長岡での機関車交換をおぼろげに覚えていますが、夢うつつ状態でした。しかし、長岡を発車するとなぜか目が覚めて、それからはカーテンで閉ざされた寝台の中から、雪深くなっていく車窓を眺めていました。午前2時頃です。

 列車が止まりました。外は相当雪が降っています。雪で進めなくなったのかなとも思ったけれど、ここまでは普通のスピードで走っていたから、止まったのが不思議でした。私はなんとなく越後湯沢かなと思っていました。列車はまったく動かなくなりました。先頭から2両目に乗っていたので、機関車のブロアーが止まるのもわかりました。
 どこの駅かまったくわからなかったので、スマホの地図アプリを起動させて現在位置を確認したら、浦佐駅でした。
 浦佐に停車したのは、午前2時半頃です。
 これから、まったく眠れなくなりました。動いていない寝台列車はとても不自然でした。雪は降り続いています。どんどん周囲の積雪量が増えていきます。ホームには散水しているのだけど、止まったときよりもどんどんと雪が積もり続けます。

 深夜、ずーと止まったままの「あけぼの」。雪はいよいよ強く降り続けます。
 車内放送もありません。鉄道無線が聞ける無線機を持ってくればよかったと、後悔しました。
 午前6時になれば放送も入るだろうと、横になってぼーとしたり、外を見たりの繰り返しで、果たして午前6時を2~3分過ぎた頃、車内放送が入りました。
 要するに「動く見込みはない、それ以上もそれ以下も情報はない」という内容でした。
 朝食も取れないしと、昨夜のつまみの残りを食べて過ごしました。
 携帯でワンセグのテレビを観ていると、首都圏をはじめ、大雪でとんでもない状況になっていることもわかりました。鉄道はJRも私鉄もほぼ全滅です。実はこの日は大事な予定があったのだけど、これでは無理と悟りました。もう知らんと達観しました。

 午前8時を過ぎた頃、8号車のドアを開けるという放送が入りました。私はJRが朝食を配給してくれるかなと期待していましたが、駅の売店で勝手に買えということでした。
 浦佐駅は新幹線停車駅です。改札外に売店もありますが、「あけぼの」の乗客が群がり長蛇の列が出来ていました。車窓から外にセブンイレブンがあることはわかっていたので、外のセブンに行きました。そちらはまだあけぼのの客は来ていませんでした。
 どうせ動く見込みはないしと、開き直って、ビールや日本酒やらも買い込み、とても不通となった列車の乗客には見えない買い物をしてしまいました。もちろんおにぎりとかも買いましたよ。セブンのおいしいコーヒーもね。
 列車が止まったときの、食糧確保は絶対の鉄則です。

 その後もまったく動きません。買った酒を飲んで朝からご機嫌なんだけど、車内放送は一定間隔で、「動く見込みなし」と案内していました。駅の売店も落ち着いて、新聞を買ったり、追加の飲み物を買ったりして、午前が過ぎていきました。駅の売店も外のセブンも、まともな食べ物は「あけぼの」の客にほとんど買われてなくなってしまいました。そのうち外のセブンに配送車が着いたのを確認しました。

 車外に出て、ホームで写真を撮ったりして過ごしました。










機関車の前も雪に埋もれています。














 昼頃になり、昼飯を買いにセブンに行きました。結構なんでもあったので、オムライスを買いました。寝台車の中でコンビニ弁当を2食も食べることになるとは・・・。

 酒も飲んでのんびりしながら過ごし、午後になっていきました。深夜2時半頃の停車してからもう10時間かなんて思っていました。
 雪は降り続いています。

 そのうち、機関車がなぜか切り離されていて、新潟方へ去っていきました。




 なんだなんだと、最後尾に行くと、係員が連結の準備をしていました。




 機関車は新潟方に連結されました。前に進むのは無理だと明確となりました。










 車内で待っていると、予告もなく「列車は運転打ち切り」「東京まで別ルートで行くか、秋田方面に戻るか、宿泊して翌日の新幹線に乗るか、選択せよ」という内容で、とにかくバスに案内するので降りろというものでした。
 長岡方面の新幹線は動きだしたので、秋田方面戻り組は新幹線に乗って新潟から「いなほ」に案内されるということで、バスには東京行き組と宿泊組が乗り込みました。
 東京へは六日町から「ほくほく線」に乗り金沢へ。乗り継いで米原経由で新幹線で東京まで行くというものでした。JRからの案内は、「ほくほく線」も混んでいるしダイヤも乱れている。東京まで今日中に着けるか保証はしないという内容でした。それでも行くというチャレンジャーが2割くらいバスから降りていきました。

 さて、宿泊組は越後湯沢のホテルへと案内されました。スキーシーズンの土曜日、よく100人弱くらいの部屋を急遽準備できたものだと感心したけれど、東京方面からは高速も新幹線も止まっているからキャンセルもあったのでしょうか。
 案内されたホテルはスキー場に面した、一流リゾートホテルで豪華なところでした。しかも一泊二食までつけてくれました。
 普通に宿泊したらいったいいくらかかるのか。豪華なディナーバイキングに、朝食も贅沢なバイキングでした。
 ディナーでは自腹でワインのフルボトルも入れたりして十分楽しみました。一流のサービスと料理に幸せ気分です。
 JR東としてはたぶん、「びゅう」とかの旅行商品でこのホテルへもたくさん客を送り込んでいるはずだから、この「あけぼの」不通のための代替宿泊は格安で契約したのだろうけれど、自分では絶対泊まれない金額でしょう。
 もちろん翌日の新幹線は、「あけぼの」の寝台券を見せればOKということでした。
 あけぼのには終点まで乗れなかったし、まる1日分損したけれど、ここまでやってくれたらもう文句は言えません。原因が近年まれに見る豪雪で、ここまで降れば、私が普段言っているような除雪設備の不備や人的不足の範疇を超えた雪害ですから。案内スタッフも新潟支社の事務職や保線担当の作業服のベテランもいて、仕事は休みだったけれど動員されたと話していました。
 米原経由組は無事に当日中に東京に着けたのでしょうか。
 さらには、当日東京着をあきらめ越後湯沢に宿泊を選んだのだけど、実は温泉につかり豪華ディナーバイキングを食べたあとの夜8時半頃にフロントから、「東京行きの新幹線が1本動くので乗る気があれば案内する」とJRから連絡があったがどうするかと部屋へ電話があったのです。温泉に食事に酒と十分にくつろいでいて今更動く気はなかったので、丁重にお断りしました。だって、翌日の朝食も楽しみだったんですもの。乗ったとしたら、米原経由よりは先に東京に着くはずです。

 そう考えると、米原経由を選択していたらと、ぞっとしました。 
 かようなJRからの厚遇を受けたけれど、列車に乗る前と乗ってしまってからの扱いは天と地ほどの差があるのは規則上もあきらかです。一度乗せて動いてしまったら、元に戻るのもすべてタダだし、先へ行けなくなればとにかく代替手段を講じてくりたり、最悪、今回のように宿泊まで手配してもらえます。
 それが発車前の運休決定だと、きっぷは無手数料で払い戻すだけ。他の手段は自分で手配してね、ということなんです。
 今回の雪害で中央東線のあずさが立ち往生して、乗客が駅の会議室などで仮眠したと報道されていました。これも人数と寝台特急と一般の特急の違いで待遇に差が出たのだと思います。

 こういうことになるから、「トワイライトエクスプレス」、「北斗星」、「カシオペア」、そして「あけぼの」と、大雪や台風などの予報が出ると、たいしたことないのにすぐに運休を決め込むのだと、改めて思いました。途中で止まったときのことを思うと、JRの立場としては。

  翌日は酒代だけフロントに支払って宿をあとにして、越後湯沢から東京までノンストップの新幹線に乗りました。東京駅の混乱と、大宮までの各駅で通過線が除雪されていない関係で各駅停車(客扱いはなし)で行ったから、50分くらい遅れました。

 越後湯沢駅はさすが豪雪地帯だけあって、スプリンクラーの数と勢いが半端なく、線路にはまったく雪がなかったけれど、大清水トンネルを抜けて本来からっ風の吹いている関東平野は一面の大雪でした。当然、線路にスプリンクラーもなく、線路は雪に埋もれていました。
 この設備の違いが雪に強い天下の上越新幹線を運休にしたのでしょう。史上まれに見る大雪だから設備の違いを責めることは、絶対にできません。こんな場合は。




越後湯沢駅周辺の線路に雪はありません。
東海道新幹線のスプリンクラーと比べて、数とパワーがまったく違います。


高崎駅は・・・
これでは首都圏は大混乱も仕方ないかと。




 今回の関東地方の大雪、普段から雪が降らない地区にこれに対応する除雪設備等をふだんから整備しておくことは不可能でしょう。

 この日から19日まで、高崎線、上越線が不通のため「あけぼの」号は上下とも運休となりました。
 16日の寝台券が取れなくてよかった。
  

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2013年09月17日

九州旅行

 この連休、結婚式に呼ばれて博多へ行ってきました。
 ついでに博多の近場へ、鉄道の旅をしました。

国鉄の遺物
 九州には国鉄時代の車両や物がまだまだ残っています。
 キハ47は冷房改造されているものの、昔ながらの良い雰囲気です。
 冷房改造でエアコンが網棚部分にどんとあります。






扇風機には国鉄のJNRのマークが。無骨な扇風機です。懐かしい~






 田川伊田駅
 昔は「伊田」駅でしたが、田川が付きました。
 私が高校2年生のときの九州旅行以来、30年以上前に来て以来です。
 ここは、日田彦山線と伊田線が分岐していました。
 当時は国鉄だったけれど、今は平成筑豊鉄道になっています。
 第三セクターになっても、雰囲気は国鉄時代のままです。
 駅舎は重厚なものでした。




中の造りもなかなかの雰囲気です。






初めて来たときに感じた、だだっ広い構内もそのままです。




ホームには国鉄マークのゴミ箱も現存していました。




 国鉄からJRになってどんどん雰囲気が近代化してきたけれど、地方の零細第三セクター鉄道には、まだまだ古き良き時代の雰囲気が残っています。
 それは、財政難で施設を更新できないのでもあるのだけど。
 こういう地方の三セク鉄道は、応援していきたいです。
 JR東海なんか、徹底的に近代化して、国鉄時代の物を徹底的に駆除しようという姿勢がまる見えですし・・・。この前の名古屋市への旧客譲渡騒動でも、JR東海の保存へのやる気のなさが露呈しました。リニアを作る金の何億分の1で保存できそうだけど・・・。


立野駅
 豊肥本線にも久しぶりに乗ってきました。
 立野駅と言えば、日本で現存する数少ない、スイッチバック駅です。




 行き止まりの線路の先には、トンネル坑口みたいなものが。




ここを行ったり来たり。




立野駅ホームで待っていると、肥後大津行きと宮地行きが同時に進入してきました。
両方ともキハ47です。絵になります。なかなかの演出ではありませんか。



どっちに乗ったらよいか、よく考えないと迷います。
車体の行き先表示サボはどちらの列車も「肥後大津-宮地」だから。
ホームに並んだところ。




宮地駅です。





門司港周辺にて

門司港駅周辺はレトロをテーマに観光地化しています。
門司港駅からトロッコ列車に乗って、和布刈へ。




終点には、旧客を利用した休憩所兼レストランがあります。




EF30もあります。




車内です。




懐かしい洗面所も。




昔は走行中にこんな写真も撮れました。




関門人道トンネルを通って、下関側へ渡りました。
ここも高校2年のとき以来、30年以上ぶりです。






この海の下を歩いて渡りました。




下関側からは渡し船で門司側へ戻りました。




トロッコ列車、下関側のバス、渡し船がセットで800円で乗れるきっぷを利用しました。



門司港駅に戻ってから、九州鉄道資料館に行きました。初めての訪問です。


















懐かしい展示車両たちです。
481系、581系、ED72、他に24系寝台車なども。
ED72はSG付き、ED73はSGなしで、旅客用と貨物用に用途が分かれていましたが、旧客列車がなくなってきた晩年は客貨関係なく運用されていました。



門司港駅
 門司港駅は現在、改修工事中です。
 完成は平成30年と駅員から聞きました。

 外観は覆われていて、現在はあのレトロ駅舎は見えません。







レトロに価値がなかった頃から今まで、たまたま大規模改修をしなかったから、現在は貴重な観光資源となっています。











折尾駅
 折尾駅には、門司港駅舎と同じような、レトロ駅舎がありましたが、こちらは残念ながら取り壊されて、駅の改造工事が行われています。



鹿児島本線ホームから。
ここから駅舎の裏側が見えました。今は更地。



駅構内には重厚な造りの施設が残っています。










この曲線上にあるホームが味があります。鹿児島本線です。




筑豊本線はこちら。
筑豊本線と鹿児島本線が立体交差しています。
上を通るのが鹿児島本線。ということは、歴史は筑豊本線の方が古いということになります。




折尾駅も大好きです。
そして、折尾駅で降りたのは、これが目的。
「かしわめし」です。
九州各地にかしわめしの駅弁はありますが、これが一番。



私にとっての日本一の駅弁です。
昔から変わらない味で、学生時代から贔屓にしています。
昔は地元の人しか知らない存在ですが、最近は結構、全国的に駅弁として知名度がアップしています。
まったく観光地ではない、地元の人しか利用しない駅ですが、いつ行っても、たくさんの弁当を置いています。それだけ売れている、地元の人が買っているという証拠です。
売り子のおばちゃんもとても親切で対応も良いです。
確かな味は不滅です。
博多駅などでは手に入れにくいので、わざわざ折尾駅まで行くのです。
ちなみに私にとってのかしわめしナンバー2は、鳥栖駅のです。
鳥栖駅は、ホームのうどんも大好きです。
九州のうどんつゆは総じて甘い味付けです。








  

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2011年11月05日

国府津 熱海 静岡

東京からの帰り、いつものように、熱海まで普通のグリーン車、国府津で途中下車して海辺でビールを飲みました。
熱海ではいつもの店で干物を買いました。
静岡では停車時間にホームでシュウマイを買うことができました。静岡のシュウマイは夕方は残ってないことが多いけれど、今日は二個あったので、二個買っちゃいました。
静岡のシュウマイは、某横浜のシュウマイより、私は好きです。  

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2011年06月18日

東海道線の旅

東京から名古屋まで、在来線で熱海まで乗って、熱海から新幹線で帰るという乗り方をよくします。
今回も帰りは東京から東海道線の普通グリーン車に乗りました。
グリーン券をスイカに記録させれば、途中下車しても熱海まではグリーン車に乗り継げます。

今回も国府津で途中下車。海岸まで約5分。駅前のコンビニで日本酒ハイボールなるものを買って、海岸に佇みながら飲みました。
国府津でゆっくりしすぎたため、根府川は途中下車できませんでした。

国府津から乗ったグリーン車は熱海へ宴会旅行に行くようなグループが多く、車内はサキイカのにおいが充満していました。

熱海のいつもの店で干物を買って、熱海駅構内で酒、つまみを買って、こだま号のグリーン車に乗りました。
グリーンポイントがちょうど600点を超えていて有効期限が6月いっぱいだったので、それを使いちょうどよかったです。私はいつも熱海からこだまに乗るときはEX-ICの早割で買っておいてグリーン車にのりますが。

こだまに乗ってもうひとつの楽しみは静岡駅のシューマイです。素朴な普通の味が好きです。静岡のシューマイを食べながらビールは最高です。横浜の有名なやつは私にはくどく、あまり好みではありません。静岡のシューマイは夕方はよく売り切れていることが多いですが、今日はありました。3分停車のうちに急いで買いました。

今は夏至の頃なので、名古屋まで景色が十分見えます。  

Posted by よっぱらいくま at 17:36Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2011年03月08日

博多行き

博多出張で、のぞみに乗って向かっています。
山陽区間の岡山から先は久しぶりです。
100系や500系の姿が懐かしいです。
100系はえらい古くさく見えました。
毎日、新大阪で乗り降りしていても、なかなか見る機会がありません。
今日の仕事は午後一件だけなんで、終わったらどこへ行こうか画策しています。山陽区間は300キロで走っているはずですか、最高270キロの東海道区間と感じはあまり変わりませんでした。
しかし広島から先はなんとなく東海道区間より速いかなと感じました。
徳山駅を通過する際には、電車でGO!と同じように制限で減速したので笑えました。
山陽区間の軌道はスラブだと思い込んでいましたが、ほとんどバラストなんですね。改めて知りました。

小郡駅から新山口駅となってから停車するのは初めてです。




仕事前に、鳥栖駅まで行ってうどんを食べてきました。かしわ入りの九州正統派の鳥栖のうどん、好きです。駅ホームも駅舎も変わってません。



しかし、九州も変わりました。て言うか、日本全国どこも変わったのだけど、私にとっては高校、大学時代にワイド周遊券で九州島内の国鉄に乗り回った思い出の時から時間が止まっているのです。
あの頃は九州内の夜行列車を宿代わりにして、早朝から深夜まで列車に乗りまくっていました。
夜行急行のかいもん号に、日南号、夜行鈍行のながさき号と、それらの列車に何連泊としていました。

今はもう、九州島内を走る夜行列車もありません。  

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2011年03月07日

九州

明日は博多へ出張です。
新大阪発の周遊きっぷを買いました。
新大阪駅の西の窓口の女性は発券まで三分もかかりませんでした。優秀です。
せっかく九州まで行くので、鳥栖のうどんも食べたいし、折尾のかしわめしも食べたいので、周遊きっぷを活用しようと目論んでいます。
有名店ではない大衆食堂みたいな店で本当の昔ながらの九州ラーメンも食べたいです。  

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2011年03月04日

気まぐれで

金沢へ4泊5日の出張です。
午前中の仕事が終わり、夜の仕事まで時間が空いたので、倶利伽羅駅まで往復するつもりで直江津行きの鈍行に乗りました。
列車は475系のボックスシート直江津行き。外は雪。このままずっと乗っていたい。475系に乗ることができるのもそう長いことはないかなと。そう思うと倶利伽羅駅では降りることが出来ず、なんと直江津まで行くことを決断してしまいました。我ながらバカです。無謀です。富山から先の時刻表も持っていません。直江津からは特急で帰ればどうにかなるかなと。
富山から先の区間を鈍行に乗るのは本当に久しぶりです。
旧客時代の思い出の方が多い区間です。
切符は倶利伽羅までしか持っていませんので車掌から直江津まで乗り越し切符を買いました。
親不知付近の海景色を堪能しました。



糸魚川の先のデッドセクションでは久しぶりに電気が消えるのを味わえました。



私は糸魚川〜直江津の間が一番好きです。
北陸本線の旧線跡もところどころ見ることができます。
親不知付近ではトンネルとトンネルの間の一瞬、旧線のトンネル口を見ることができました。
能生駅では雪がたくさん降ってきました。




トンネル内にある筒石駅です。



地上には山間のなにもないところに駅舎だけがぽつんとあります。
昔撮った写真です。



海沿いにある駅。





さて、直江津に着いて、帰りの金沢までの切符を買いました。
直江津駅です。



昔とは変わってしまいました。
ちなみに昔はこんな駅舎でした。



きっぷは特急券を含めて、米原〜金沢と同額でした。
直江津は遠かった。金沢から米原までと同じとは。

昼食抜きだったので、帰りの特急の中で食べようと駅弁を買いました。
特急はくたかは10分後、北越は25分後と絶妙な時間です。はくたかはパスして次の485系の北越に乗ることに決めました。
しかし、直江津まで乗ってきた475系が富山行きとなって雪の中、待っているではありませんか。



鈍行の車内で駅弁を食べるのもおつなものだと思い、また景色もゆっくり見えるとまたまた悪い虫がうずいたため、特急券を買っているにもかかわらず、鈍行の車中の人となってしまったのです。

さけめしです。



やっぱりボックスシートの旅の方がいいです。



糸魚川か富山まで乗って、あとの特急に乗ればいいやと。
雪の北陸本線の旅を堪能できました。

親不知駅



485系はくたか号
ホームで写真を撮っている人が何人かいました。
地元のおばちゃんたちが車内で、鉄道マニアだよねとか言っていました。




このような楽しい鈍行の旅なのに、このあと仕事が待っているので、酒を飲めないのが非常〜に残念でした。


  

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2011年02月26日

富山へ

前回の高松、穴水、金沢出張から2日と置かず、今度は富山へ行きました。

米原で買った近江牛大入飯をしらさぎ車内で食べました。
最近は米原ではこれぱかりです。おいしいですよ。



金沢で途中下車して仕事をこなしてから、富山までは鈍行に乗りました。
金沢から先の区間は、旧式の475系などしか走っていません。急行型のボックスシートでお酒を飲みながら楽しく移動しました。金沢からの乗客は津幡でほとんどが降りてしまい車内はがら空きに。

倶利伽羅峠の県境で、乗客の流動が途切れるところが平日らしいです。休日だと結構通しで乗る人も多いので。

倶利伽羅駅ホームです。雪が結構残っていました。





車内で結構飲んだので、富山では前回行った昭和レトロのシネマ食堂街へ行きました。前回と同じ店です。



富山のホテルも前回同様、市内電車が見える部屋です。



帰りに、仕事先から近かったので、前回も行った富山港線廃線跡を歩きました。





富山駅では、国鉄色のはくたか号が来ました。



この日は名古屋まで、高山線経由で帰りました。

富山から高山までは、途中、猪谷で乗り換えての鈍行列車の乗り継ぎの旅を楽しみました。
猪谷から飛騨古川までの山深い区間は味があります。特急よりも今は貴重となったキハ47の方が私は好きです。

猪谷駅にて




山間の猪谷駅、いい駅です。

途中の杉原駅ホームは、雪に駅名標がうずもれていました。



高山からはワイドビューひだ号で一気に名古屋まで帰りました。
珍しく酒を飲まないで。
(前日富山で飲み過ぎて気分がよくなかったのです・・・)  

Posted by よっぱらいくま at 16:20Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2011年02月26日

高松から能登へ2

 更新の間があいてしまいました。
 出張続きで忙しかったもので。

 この前に書きましたが、写真も入れて書き直しです。
 岡山から高松までは、瀬戸大橋を渡る快速マリンライナーです。
 先頭のパノラマグリーン席の指定を取って乗りました。



 最長の南備讃瀬戸大橋を走っているところです。
 横は瀬戸内海です。



何度通っても、この橋の大きさには圧倒されます。人間がよくもまあこのような大きなものを造ったものです。
私は感動します。
今の世の中、世情ではこのような事業を進めることは二度とないでしょう。



高松駅に並ぶマリンライナーです。地元のごく普通の足です。岡山と高松との間は橋のおかげで隔たりはありません。もっとも、宇高連絡船の時代から、この区間は通勤通学客もかなりいましたが。





今回の出張もゆっくりできないので、とりあえず讃岐うどんを駅構内の連絡船うどんで食べました。
駅のうどんとしては、とてもおいしいです。

泊まったホテルからの眺め。
駅がよく見えました。



夕日が反射してきれいでした。
夜の駅前も。



翌日は能登まで移動です。
北陸本線福井県内は半月前の雪がまだたくさん残っていました。

南今庄付近が一番多く、今庄駅も雪がうず高く残っていました。私が今まで見た中では一番の積雪量でした。


南今庄駅付近


今庄駅


南条駅

車内販売から酒を買いました。
北陸本線特急の車販では北陸の地酒を売っているのだけど、この時は新幹線車内で売っている酒が出てきました。
この缶ボトル入りは好きではないです。日本酒の雰囲気がありません。仕方なく飲み終えたカップに注いで飲みました。この方が味があります。



和倉温泉駅です。



のと鉄道に乗って目的地の穴水まで乗りました。



仕事を終えた帰りは、のと中島駅で途中下車しました。
ここは旧国鉄時代の郵便車が保存されていて、またのと鉄道の旧車も保存されています。
何度かこの駅を通過して、いつかは降りてみたいと思っていたのです。











駅前から地元のコミュニティーバスが発車していきました。
駅待合室の時刻表を見ると、一日たったこれだけしかありません。
このような、地元自治体の努力で運営している公共交通機関を頼りにしている人がいるのです。





一方で、もっとも交通強者である自動車、マイカー利用者のためには国費をたくさん投入して高速道路の無料化や休日千円だのをやって、さらに平日二千円だのをやろうとしています。
割引対象がトラック輸送のためだけなら、車を使わない人にも恩恵が回ってくるかもしれないけれど、マイカーだけが割り引き対象では、著しく不公平だと思います。
地方の交通弱者のために、その10分の1の予算を使えば、赤字に苦しむ地方鉄道、バス路線がなくなっていくことはないでしょう。

と、駅前からおばさんたちを乗せたマイクロバスが出ていくのを見送りながら思いました。

その夜は金沢に泊まり、いつもの居酒屋で飲みました。
いつもの刺し盛りを注文です。



これで1300円です。大トロは本当に口の中でとろけて、イカも甘エビも最高~
片町にある店です。

金沢からの帰りの車内で飲んだお酒、天狗舞です。
初めて買ったけれど、私の口に合う酒でした。
北陸に行くといつも富山の立山ばかり飲んで、買っていたけれどこれからはこちらも贔屓にします。



ちなみに米原駅で売っている、富鶴も好きです。



それではこのへんで。
次回は、富山出張編を書くつもりです。  

Posted by よっぱらいくま at 15:23Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2011年02月17日

四国から能登へ

出張で高松へ、そのまま次は能登半島の穴水まで鉄道の旅です。
姫路駅新幹線ホームのはじっこではマニアが待機しています。
ドクターイエローでも来るのでしょうか?
また何かあったら追記します。
北陸本線、今庄付近は雪がまだたくさんありました。1メートル以上ホームに積もっています。
こんな積雪量は私は初めて見ました。
38、56豪雪以来では?  

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2011年02月12日

山陰の旅

毎年恒例となっている、カニ旅行に行ってきました。
今回はちょっと遠征して出雲市まで足をのばしました。

岡山から乗車したやくも号の車内。
381系振り子電車は一桁番号でした。きっと昔は中央西線をしなの号として走っていたのかなと想像しました。



新見を過ぎて、岡山と鳥取県の県境分水嶺を越すあたりから雪が増えてきました。





車内放送でも、川の流れが分水嶺を越えて逆になると案内していました。
大山が見えてきました。
こんなに雪をかぶった大山を見るのは初めてかなと思います。
車内放送でも大山の案内をしていました。



米子では、境港線のゲゲゲの鬼太郎カラーの気動車が。



出雲市駅到着。

本当にひさしぶりです。
前回来たのはいったいいつか。
たぶん、鳥取-米子間に12系や50系客車が走っていた頃だと思うので、15年以上は経っています。
まだその頃は高架駅ではなく、地上駅でした。



出雲大社まで足をのばしました。
門前に昔ながらの食堂があって、そこで玉子丼を食べました。昔ながらのパイプ椅子にサンプルのショーケース。
玉子丼もふんわりしいておいしかったです。





帰り道は、映画レールウェイズで舞台となった一畑電鉄に、松江しんじ湖温泉まで乗りました。



出雲大社駅舎内。
レトロな良い雰囲気を残しています。
むか~し、私が初めてきたときは、夜も遅く、ただただ寂れた古い駅にしか感じませんでしたが。

映画にも登場した古い電車も構内に止まってました。



運転室うしろの席に座れたので、前面展望できました。







当日は玉造温泉に泊まりました。

翌日、玉造温泉駅からスーパーまつかぜに乗って鳥取へ向かいました。



玉造温泉駅の乗り場案内です。
大阪、東京、下関、広島・・・
直通の長距離列車が走っていた頃のままの案内看板です。
懐かしいなあ。この時代の山陰本線は楽しかったなあ。
特急、急行、普通列車。さまざまな列車が途中駅で待避、行き違い、抜きつ抜かれつ、時刻表を見ても楽しい頃でした。
長編成の食堂車も連結していたまつかぜ号が走って、旧型客車の鈍行がのんびり走っていました。
一カ所消されている部分は、たぶん小郡だと思います。新山口に変わったから。なんで修正はしないのだろう。

進入してくる出雲市始発、岡山行きのやくもです。





次に、これから乗るスーパーまつかぜ号が入ってきました。
スーパーと名乗っても、たったの2両編成。



食堂車、グリーン車も連ねた往年のまつかぜ号はまったく違います。

予想通り、次の松江駅でほとんどの客が降りて、運転室後ろの右側の席が空きました。
さっそく移動して、またまた前面展望を楽しむことができました。









山陰本線の松江-鳥取間、というか山陰本線で前面展望したのは初めてのことです。
昔は客車鈍行列車に乗って喜んでいましたから。
機関車が引っ張る列車では絶対無理なことです。

しかし、この特急、キハ187は速いです。
昔からこの区間はほとんど特急には乗ったことがなく、鈍行列車、よくて気動車、キハ58の急行くらいでしたもの、乗っていたのは。
直線は120キロで単線の山陰本線をすっとばします。
カーブの制限も、標識に187除くなんて書いてます。
山陰本線を120キロで走るなんて夢のようです。
単線ローカル幹線だけど、線路は高速化でかなり頑丈にしてあるようで、乗り心地は北陸本線とまったく変わりません。

明治時代に建設された古いトンネルも、120キロで突っ込んでいきます。
このトンネルを造った当時、ここを列車が120キロで走るなんて、当時の人は夢にも思わなかったでしょう。

鳥取からは鈍行気動車に乗り換え。
特急もいいけれど、やっぱりキハ47、ボックスシートの鈍行の方が、私は落ち着きます。
私の大好きな居組駅舎の屋根には雪がこんなに積もっています。



浜坂駅には「鉄子の部屋」なる鉄道資料展示室があります。



また、駅前のコンピには、元々浜坂駅の駅弁屋さんが経営していて、店内には山陰本線全般や餘部鉄橋関係の資料をたくさん展示しています。関連のおみやげもたくさんあります。

さてカニです。
やっぱり最高。



多くを語るのはやめておきます。

さて、翌日は餘部を通りました。
昨年、最期の鉄橋を渡ってから、コンクリート橋に付け変わってから初めてです。

ホームと線路の位置が鉄橋時代とは反対に、海側にホームが、山側に線路となっていました。

鉄橋はわずかを残して撤去されています。今後整備して観光施設になるようです。





鉄橋は一部分残っています。



ここで鉄橋は分断されています。
透明の防風壁は景色を見るにはなんの問題もありません。



その後、帰りは豊岡から北近畿タンゴ鉄道の特急京都行きに乗りました。
またまた、運転室後ろの特等席が空いていて、前面展望です。





北近畿タンゴ鉄道、施設も風景も、国鉄宮津線のときのままです。
JRよりも格段に味があります。
格安の乗り放題きっぷもあるし、じっくり一日かけて乗り降りしたい鉄道です。
車内で旅の締めの一杯を。
香住の香住鶴です。
なかなか日本酒らしい一品です。
今回の旅もよく飲みました。
一番おいしいのは、やっぱり、鈍行列車のボックスシートで景色を見ながら飲むお酒です。



列車の旅はいいものです。

今回の旅は、西から東へ、米子、鳥取、浜坂、豊岡と東に向かうにつれて、雪が多くなってきました。

  

Posted by よっぱらいくま at 08:56Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2010年10月30日

しらさぎ号車内放送

ここ1年半、しらさぎ号に何十回と乗り続けてきたけれど、昨日金沢から乗った上りのしらさぎの車内放送で、初めて、敦賀-新疋田間にあるループ線の案内放送がありました。
標高差約28メートルをかせぐために、この先右側に見える何々山をループ線になって通っていくとかなんとか、トンネルを出ると一瞬、敦賀の街並みがよく見えるとか。
金曜日の午後、車内はほとんど出張族サラリーマンみたいでしたが。
私は土日に乗ってもそのような案内放送は聞いたことはありませんでした。
私はいつも、言われなくとも、ループ線前後は車窓に釘付けです。
何度通っても、下り線と交差する箇所や、敦賀の街並みが見える地点では眼下に小浜線の線路を見て、満足しています。

写真は、仕事で現場を回っているときにちょっと撮影。


現在の仕事の現場は、線路際。
しらさぎやサンダーバードを頻繁に眺められます。  

Posted by よっぱらいくま at 13:40Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR