2016年07月23日

米原駅 新幹線

米原駅上り新幹線ホームにて。

すべて、ベンチに座りながら撮った手抜き写真集です。


流してヘッドライトにまあ、合いました。
トリミング等一切加工していません。
1両目が完璧に収まりました。250キロ程度で通過するので、結構難しいんですよ。





反対ホームに到着した、新大阪行きこだま号。
700系自体、もうあまり見かけなくなりました。






手前から上り通過線、下り通過線、下り到着、待避線です。
米原駅はカーブしているので、結構なカントがついていて、待避線と比べて通過線はかなり傾いているのがわかります。




乗るこだま号が入線。
先頭の鼻先ギリギリにばっちりフレーミングできました。
停止前とはいえ、座っていたベンチは3号車付近なので、30~40キロくらいの速度です。
もちろん、ノートリミングです。
こちらも700系です。西仕様で、座席が濃い青色でもあり車内が若干暗く感じます。

使ったカメラは、パナのルミックスSZ-3です。


  

Posted by よっぱらいくま at 13:48Comments(3)TrackBack(0)新幹線

2016年07月18日

柳ヶ瀬線 北陸本線旧線

北陸本線の木ノ本と敦賀(疋田)間は、現在の深坂トンネル経由の新線が開通前まで、柳ヶ瀬トンネル経由で走っていました。
ちょっと古い写真ですが柳ヶ瀬トンネルの現在の姿です。

木ノ本側の坑口です。新たにコンクリートが巻かれて、元の古い坑口は見えません。


上から見ると。



敦賀側はこうです。



単線トンネルの幅しかないので乗用車のみの片側一方通行で、両側でこのように信号待ちします。
敦賀側。


木ノ本側。



トンネル内です。後続車がいなかったので停車できました。
柳ヶ瀬トンネルは明治15年開通、東海道本線全通よりもはるか昔に開通した、日本の鉄道路線の中でも最古参トンネルです。



柳ヶ瀬トンネルのことを今回書いた訳は、リニューアルオープンした琵琶湖博物館でこんな新聞記事を見つけたからです。


昭和39年5月10付けの滋賀中日新聞です。
柳ヶ瀬線廃止を伝える一面の記事です。
昭和32年10月に深坂トンネル経由の新線が開通し、旧線は柳ヶ瀬線として運行を続けたものの需要は少なく、昭和39年5月10日をもって運行を終え廃止となったのです。



琵琶湖博物館の再生した古民家の中のちゃぶ台の上に、昭和中期の雰囲気を醸し出すために蝿帳といっしょに置いてある新聞がこれなのです。
学芸員さんが、たまたま保存してあった新聞を置いたのか、柳ヶ瀬線廃止の記事だから意図的に置いたのか、なぞです。
写真はキハ52らしいです。
  

Posted by よっぱらいくま at 15:07Comments(0)TrackBack(0)廃線跡、未成線

2016年07月16日

京阪 京津線・石坂線

滋賀県内の京阪京津線と石山坂本線に乗ってきました。

浜大津駅は両線が交差します。
京都方面から京津線が道路を横切って到着。


坂本からの電車も到着。


浜大津駅は両線のジャンクション。
石坂線車内から浜大津を見る。京津線の入線待ちで一時停止。


こんな信号が点灯して、こちらも発車。




坂本駅の駅舎。どこかの大学の正門みたい。


浜大津手前の併用区間。線路ぎりぎりにお店が連なります。




石山寺駅。瀬田川のほとりにあり、名神高速と新幹線の橋が近くにあります。


こういうの、流行っていますね。一日乗車券も同じようなデザインです。


石山寺駅を発車。




石山を出て、東海道本線を跨ぐところ。




石坂線は路地裏のようなところを走り、交差する小道も数多く、多数の踏切確認灯があります。
それぞれ名称が表示されていて、風情のある名称が明朝体で表記されていて味があります。




膳所駅。隣はJR膳所駅と東海道本線。
かつて、ここからの京阪の線路位置が東海道線本線であり、浜大津から琵琶湖を汽船の連絡船で長浜へとつないでいました。



かわって京津線です。




浜大津を出て、併用区間を路面電車ではなくて在来線規格の大きな電車が走ります。


大谷駅付近の半径20の急カーブ。


急カーブには水を噴射しているところが多数ありました。




大谷駅で下車。急勾配の途中にあります。


右は国道1号線、左200メートルほど横には名神高速が走っています。
逢坂山越えの峠道は車ではなんでもないけれど、今の名神高速にほぼ沿って、明治時代最初の東海道本線が敷かれました。京津線の電車は急勾配仕様の特別な電車です。40~50パーミルくらいの坂がざらにあります。


うなぎ屋の看板。


大谷駅へ急勾配を下りながら進入する浜大津行き。




上栄町駅で下車。
急勾配が始まる区間にあり、ホームもかなり勾配があります。


併用区間から上栄町駅に進入。






併用区間と専用敷の分かれ目はこんな感じ。

電車内から見るとこうです。


JR大津駅へは、上栄町駅が最寄りです。歩いて10分もかかりません。
乗り換え途中の道も風情があります。

今回、京津線と石坂線に乗ったのは、タモリ倶楽部を観た影響でした。
  

Posted by よっぱらいくま at 18:02Comments(0)TrackBack(0)乗車記 私鉄

2016年07月10日

東武9000系

東武東上線に乗り、小川町まで行きました。

たまたま9000系のトップナンバー編成に乗車しました。
思い出のある車両です。


乗車した、小川町折り返しの9001。


高校時代、私は東武東上線沿線に住み、毎日8000系に乗っていてうんざりしていました。当時の東武鉄道は長年にわたり8000系を製造を続けていました。
没個性の8000系は趣味的にもつまらなく、数も多すぎて嫌いでした。今考えると、乗り心地やシートの座り心地の良さ、安定した高性能など、長所がたくさんあったけれど、当時はこればかりでつまらなかった、国鉄103系状態でした。

そんな昭和56年、ついに東上線にも新形式9000系が入るとの情報が。将来の地下鉄有楽町線乗り入れ仕様の新車です。
高校通学で毎日東上線に乗っていたある日、鶴瀬駅待避線に停車中の9000系試運転列車に遭遇しておもわず下車してしまいました。
当時の私はキャノンFTbを毎日持ち歩いているカメラ小僧でした。あんなでかく重いカメラをいつも持ち歩いていたなんて、今では考えられませんが。

それで撮った写真がこちら。駅員の許可を得て、ホームから降りて線路上でも撮影しました。こんなことが認められる(ダメとは言わない、暗黙?)おおらかな時代でした。


池袋方の9101です。


近所の子供が珍しそうに見ています。


通過する急行8000系とのツーショット。


こちらは9001、寄居方です。上福岡駅に進入中。



こちらは現在の9101です。
デビュー当時とほとんど変わっていません。
貫通扉の上の9101の表記が、当時はありませんでした。
昭和56年、1981年あれから35年たっています。

結局、9000系は地下鉄乗り入れの特殊形式で、8000系の後継車は10000系となり、その後大量に製造されました。
あれも個性はないなあ。

昔はうんざりしていた8000系も、今は小川町-寄居間でほそぼそと運用されています。余命もわずかでしょう。
毛嫌いしていた8000系も、今は昔の色に復刻、リバイバル塗装が施されています。あんなにつまらないと思ってクリーム色一色の姿が懐かしく思えるから不思議です。正面は改造顔だけど。




この角度で見ると懐かしさひとしおです。


車内の座席も復刻色、こだわりが。


今回小川町を訪れた目的は、駅近くにある武州めん製のうどんを買うために。ここのうどんはおいしいんです。埼玉県内のヤオコーとかにも売っているのだけど、一度、工場製造直売のものを買ってみようかと。
結果、直売所には目的のうどんがなく、小川町駅前のヤオコーに行ったら山とあって、そこで買ったというオチでした。直売所向かいの直営店で昼食にうどんを食べたので、よしとします。

昨年秋に、上福岡のヤオコーで買ったときのものです。直営店では売り切れ?でした。


冬季限定のなべ焼きうどんもとてもおいしいです。


こちらが直営の食べ処。



埼玉県は、香川県の次にうどんの消費量か製造高が多い県で、おいしいうどん屋さんやメーカーがたくさんあります。
そういうおいしい製品が普通にスーパーで売っています。
埼玉の知られざる地味な名物が、うどんです。

  

Posted by よっぱらいくま at 15:49Comments(1)TrackBack(0)昔話と昔の写真 私鉄

2016年07月06日

バトルシップ

2012年のアメリカ映画。
バトルシップ、おもしろい映画で好きです。
エイリアンを叩きのめすシーンが気持ちいい。

私的には、旧態の記念艦、ミズーリー号が復活するシーンを観て。
青森と函館に係留保存されている、青函連絡船八甲田丸と摩周丸が、当時の船員の手により津軽海峡に進撃するシーンを夢想してしまいました。  

Posted by よっぱらいくま at 20:43Comments(0)TrackBack(0)音楽・映画・テレビ