2020年03月20日

高輪ゲートウェイ駅

 行ってきました。
 ダイヤ改正2日目の日曜日。
 話題の「高輪ゲートウェイ」駅。
 前日の氷雨から一転して、良い天気でした。

 浅草よりも靖国神社よりも格段の人出です。ごった返しています。

 新型コロナウイルスなんてどこ吹く風ってな具合に、たくさんの人が来ていました。
 鉄道マニアよりも一般人がほとんどという感じです。
 みんな写真を撮りまくりです。いつからみんな、鉄道マニアになったんだ。

 









 この景色、今でも電車の基地ではありますが、ここは田町電車区、品川客車区、東京機関区の広大な敷地跡に駅ができました。
 当時を忍ぶ痕跡は、高輪ゲートウェイ駅にいる限り何も感じることはできませんでした。






 従前からあった、京浜東北北行線を山側へ行かせる立体交差は、位置を変え新設されました。

 「ゲートウェイ」発表されたときは違和感しかなかったけれど、人々にとけこんで行くのでしょうか。
 まあ、特に違和感もなくなりました。
 私はこれからも、「高輪」と呼ぶことにしよう。  

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2017年09月25日

新津鉄道資料館

新津鉄道資料館へ行ってきました。


新津駅からゆっくり歩いて30分弱くらいあります。
新津は鉄道の町、西の米原、東の新津と呼ばれたくらい、鉄道の要衝の地であり鉄道を中心に栄えました。
個人的には米原は学生の頃からなじみがありますが、新津を下車してゆっくり歩くのは初めてでした。

街中、鉄道の街としてアピールしています。
こんな看板があちこちの店の前にあります。


200系新幹線とC57が入口で出迎えます。


展示物の数々。





こんな時刻案内板は最近まで当たり前にあった気がしますが、過去のものとなりました。



懐かしい券売機です。
私が小学生から高校生の頃までは、当たり前の存在でした。


大人用のボタンと、子供用のボタンにはカバーがありました。

カバーを開けると。

子供用のボタンを押していた時代が、私にもありました。


単金額のもの。最低区間の30円用が一番たくさん並んでいた記憶が鮮明です。

窓口のきっぷを収納していた箱と、日付打刻機。




気動車の代表的エンジン、DMH17形式のエンジン内部と銘板。




操車場内の鉄塔にあったという、巨大な時計盤



懐かしい構内案内表示板。


急行型電車や客車、寝台車のデッキ出入口の壁に必ずあった、路線図。


手荷物、小荷物の受付に、小駅には窓口前なんかに必ず置かれていた秤。


MT54型電動機の銘板。


赤谷線の終点、東赤谷駅のポイント制御盤。
構内の勾配と線路の配置状況から、本線から駅へスイッチバックで進入するという、特殊な駅でした。




新幹線200系の連結器とカプラー。
細かい端子が無数にあって、車両間に情報を伝えていました。






毎度おなじみ、新幹線の排障器。今回は200系。
以前の記事、0系他はこちら
新幹線の排障器


200系はスノープロウとしての役割が強調された形状です。









裏側。

200系は床下機器がボディマウントされているので、着雪を防げたため、この強力な排障器で雪をラッセル、はね飛ばして高速走行できたのでしょう。


東海道新幹線0系も当初は雪を飛ばして通常走行する目論見でしたが、床下への着雪のため、ラッセル走行での通常運転はできませんでした。
沿線へのスプリンクラー設備も、上越新幹線ははんぱない威力でした。

E4系新幹線。
E何系という形式になってから、私は新幹線の形式名と実物を暗記できていません。


排障器の形状は200系から踏襲しているように思います。




車輪とディスクブレーキ。


妻面。





ロータリー除雪機とDD14。





E4系と115系


115系のブレーキ


115系の抵抗制御器ボックスと冷却ファン吸い込み口。
抵抗制御はたくさんの熱を排出するので、いまでいうエコではありません。



485系交直両用特急用電車、架線さえあればどこでも走れた万能な電車。日本各地を走った名車です。1970年代の特急の代表車。
現地では気がつかず、写真を見て気がつきましたが、屋根上の前照灯が2つ目です。
この車両は、もともと特急「いしかり」用に製造された、北海道仕様の耐寒耐雪仕様の485系1500番台ですね。
改造されているようなので、車番は変わっていたかな。車番の写真撮っていませんでした。




排障器。車体前面と、台車部と二重に取り付けられています。






銘板


車輪とディスクブレーキ


連結器


給水口


水タンクと空気溜め


洗面所の排水口


ここにトイレの汚物処理装置があったはずですが、取り外されているようです。
便器からの接続部にブルーシートがかけられていて、循環水が通るパイプも切断されています。







新津鉄道資料館は、さいたまやリニアや京都よりも規模は格段に小さいですが、マニアックなものがたくさん展示されている気がします。
昭和の券売機は、ここで初めて見ることができました。他のところにあったかな?
子供連れや素人には楽しめないかもしれないけれど、筋金入りのマニアには向いている気がしました。
私は気に入りました。人が少ないからのんびりゆっくり見られるのも良い点です。  

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2017年05月07日

京都鉄道博物館

まだ雪が降っていた頃、京都鉄道博物館へ行ってきました。

私の大好きなEF66が鎮座しています。ここは車体下部を見ることができます。







スノープロウと頑丈な排障機の構造がよくわかります。まじまじと車体下部を見るのは初めてです。
こういう展示方法、最高です。

同じく好きなDD51。





スノープロウの構造がEF66と違って、進行方向な向かってかなり鋭角なことがわかります。

機関車の重厚な機器類を見ることができる下からの覗きは楽しいです。


EF66の運転台。これはぶつ切りされた車体が別に展示されているものです。


マスコンは機関車のものというより、電車に限りなく近いです。進段のノッチが少なく、弱め界磁のハンドルもこうなっているのがよくわかります。


0系の運転台もいつでも自由に入れます。リニア鉄道館は基本、非公開です。




運転台からの景色。大学生のときの新幹線の車販のバイトをしていたとき、運転台に入ったときに一瞬だけ見ることができた時速200キロの前面展望を思い出しました。


マルス端末も各種あります。
私が学生時代から就職した頃までに最もお世話になったのがこれ。M型とか言ったかな。忘れました。


パタパタをめくり希望の路線などにピンを入れて操作するものです。



そして、入力を終えるとこの発信ボタンを押して、指定席を確保するのです。



指定券が確保されると「YES」の緑ランプが点きます。
1ヶ月前の10時に人気の列車の席を確保するときは、窓口氏が10時前に入力をすべて終えて、10時ジャストにこの「発信」ボタンを連打してマルスに繋がるようにしてくれました。
「YES」が出るか「NO」が出るか、窓口から身を乗り出して緊張しながら見ていたものです。


外は、梅小路機関車館が昔のままあり、蒸気機関車がたくさんあります。
生きている蒸気機関車はやはりよいです。






まさしく鉄の塊、大迫力です。


東海道本線と山陰本線に挟まれて、遠目に新幹線も見ることができます。



生きている鉄道も間近に見られる京都鉄道博物館は、大宮や名古屋よりも気に入りました。  

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2014年10月26日

リニア鉄道館 特別招待会

 ちょっと前のことですが、10月7日(火)にリニア鉄道館の特別招待がありました。
 EXカードを持っている人対象に、抽選で500組を無料招待するというものでした。
 一応、応募しておいて、どうせはずれるだろうとたかをくくっていたら当選してしまいました。
 土日に離れた平日だしと、だけどせっかくなので行きました。
 適当に昼から出かけたのだけど、やっぱり空いていました。

 入場無料で、運転シミュレーションもタダです。
 空いているので写真も撮りやすいです。





 得意の下からのぞき写真。300系運転室の下。タイフォンがあります。
 欲しいなあ。



 床下機器。



 これは100系だったかな?同じくタイフォンが見えます。





 0系と100系の排障器。やっぱりこういうのに感心がいってしまいます。
 なんで700系には必要ないのだろうか?



 開業50周年ということで。


 当日は、0系運転台も特別公開されました。
 前回は700系の運転室に入ったけれど、0系は広い。こちらの方がやっぱりいいですね。
 車販でコーヒーを運転室に届けに室内に入ったとき以来です。














0系ドクターイエロー。0系時代はドクターイエローなんて愛称はなかったような・・・



700系の連結器。



700系床下の空調機器。



0系と381系しなの。



381系の台車。これが自然式の振り子台車です。



在来線運転シミュレーション、今回も当たったのでやりました。
今回は達人コースを迷うことなく選択しました。
しかし、油断というかなめてかかったというか、結果はさんざんでした。
制限区間を速度超過でつっこんでしまい、緊急停車・・・
順位も下の方でした・・・
前回よりも各駅の停止位置もかなりはずしました。
ちなみに、N700運転は今回も外れました。
タダだから車掌も応募したけれど、ダメでした。





マルス。この画面を覗いて、一喜一憂したものです。





旧客の洗面所と車内。これに乗って旅したいものです。
ななつ星なんぞよりもよっぽど良い。





ゴハチです。こういうふうに連結面を直に見られる列車も今はありません。
昔、北陸本線を走る客車列車の先頭で、EF81機関車との連結部分に立ち、機関車の吊り掛けモーターが唸る音と連結器がガチャンガチャンと激しくぶつかり合う音を楽しんだものです。





ゴハチの運転台と、主幹制御器とブレーキ弁。



今回の招待状です。
当選率はいかほどだったのでしょうか。
やはりEXカード所有者だけが対象ということで、分母は少ないのかな。
まあ、私は新幹線には通勤時代を含めてさんざん利用しているので当たる資格はあるわね。




  

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2014年09月15日

国鉄大宮工場 EF58運転会

 昔の鉄資料が詰まった箱をあさっていたら出てきました。
 EF58の運転会の資料です。

 これは、昭和60年の10月、当時の国鉄大宮工場で行われたイベントです。
 抽選申し込み制で、運良く当選したものです。 
 当時、今のJRと違って国鉄はとても閉鎖された組織だったので、珍しいイベントでした。
 とにかく、競争率がどのくらいか知りませんが、喜んで参加しました。
 ちなみに参加費用は8000円でした。運転体験、講習、記念品の特製ミニチュア機関車番号プレート込みで、とてもこの費用では赤字ですと、担当者は言ってました。
 当選ハガキと参加記念スタンプです。







 運転会は、閉鎖された大宮工場内の線路を、本物のEF58を数往復するものでした。
 その前に講習があり、運転の基本的操作から機関車の仕組みなど、結構専門的でした。
 機関車の運転は電車とは違い独特で、ノッチも数十段も細かくあり、ブレーキも電車のようにブレーキ弁を合わせるだけで一定の強さにかかるのではなくて、空気を送り込む操作、一定の強さで保持する操作、ゆるめ操作とあり、根本的に電車とは仕組みが違います。さらに、編成全体にかける自動ブレーキ弁と、機関車だけにブレーキをかける単独ブレーキ弁があります。わかってはいたけれど、いざやるとなると頭ではわかっていても、難しかったです。
 今みたいにたとえ、電車でGOがあっても、機関車のブレーキは仕組みがまったくちがうので練習にはなりません。

 運転は機関車だけの単機なので当然、自弁は扱わず単弁のみです。
 カノピーを操作して電源を入れて、前進位置に合わせ、汽笛を鳴らして、出発進行です。
 主幹制御器のレバーも重くて、ノッチを1段ずつ入れるのもコツがあって難しく、出来ない人は数段飛ばしてしまうのでした。1段ずつカチカチと小気味良く進段させると気持ち良いものでした。
 操作は5ノッチくらいまででノッチオフ。狭い構内ではとてもシリースパラ、パラレルまで進段はできません。
 これも電車は5ノッチまでくらいで、直列、直並列、並列の操作は機械がやってくれるけれど、機関車はノッチの段数ごとに
直列(シリース)、直並列(シリースパラ)、並列(パラレル)はノッチの段数で合わせる言って見ればマニュアル操作です。
 直列は電圧は下がるけれど電流が一定となり列車起動時のモーターにパワーが必要な電気で、並列は電圧が一定となり電流トルクよりも電圧が維持できる高速走行に向く位置です。説明が下手ですいません。
 並列とか直列は、複数あるモーターへの電気の送り方の組み合わせです。それに細かい抵抗の組み合わせをノッチ1段毎に細かく変えていくのです。
 ブレーキも、緩ブレーキをかけてブレーキシリンダーに空気を送り込み、一定の強さになったら止め位置に戻してブレーキ力を一定にして、再度込めたり緩めたりして定位置に止めるのだけど、まあ、1回でまともに出来るものではありません。
 ただ止めるなら、簡単だけど、定位置に目標どおりに止めるのは難しかったです。どの程度私の操作で目標位置に止められたかあまり覚えてませんが、そんなにひどくはなかったと思います。
 汽笛を鳴らすのが唯一気持ち良くて、長く鳴らしたら「もういい」と指導員に止められたのをよく覚えています。
 あとの動かす操作は、緊張していてよく覚えていません。

 そのときの資料です。




































記念品のプレートです。
これは以前からずっと、居間に飾っています。










おまけ
 機関車の汽笛です。鉄道部品の販売店から買いました。
 これも私の宝物。約1万円でした。

 口で思いっきり吹くと、「ポッォ」と機関車の汽笛の低い音が出ます。
 高圧空気を吹き込んだらきっと、甲高いあの本物の音が出るんだろうなあと。



  

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2014年08月17日

夢の超特急展

 名古屋タカシマヤで開催中の東海道新幹線開業50周年記念の夢の超特急展へ行ってみました。
 中日新聞が主催なので、入場券2枚が読者には配られていたので。


 お得意のアップ写真から。





100系のパンタグラフとスリ板。

0系の。





0系と100系のパンタの大きな違いはなかったような・・・


0系運転台。記念写真の親子連れの列が出来ていました。



0系の速度計。


座席。何系のか、説明板を見なくてもわかります。



0系と100系のさよなら運転のへッドマーク?





0系のときは、名古屋駅へこのマークをつけた最終列車を見にいきました。
100系のときは行ってません、たしか。

 私には、展示物の中でこれが一番でした。



 有料の超特急展は混雑していましたが、鉄道マニアの含有率は5%未満という感じでした。

 外には物販コーナーがあり新幹線グッズとかおもちゃとか売っていて繁盛していました。

 鉄道部品や古キップ、行き先標などのマニア向けの鉄道グッズコーナーの方が比較的空いたのが、来客層を物語っていました。おかげてそちらをゆっくり見ることができました。
 運転士の行路表、ロール行き先表示(大垣、川越)、N700のクリアホルダを買いました。

 行路表は鹿児島本線のもので、列車番号9000代の9119臨時列車で、速度種別「通客E6」機関車牽引の客車列車なので興味を持ちました。20系客車使用と注意書きがある点も注目でした。
 定期の寝台特急さくら号などは東海道山陽本線では「特通客A」、最高速度110キロでした。20系といい、相当古いですが、何年のものか特定する術はありませんが、平成になって乱立した新駅がないこと、新中原や白木原の駅名は昭和のものでしょう。800円也。さくら号とか、はやぶさ号のだったらもっと高くても買ったでしょう。



  

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2014年07月21日

リニア鉄道館

 先日、ついにというか、やっとというか、初めてリニア鉄道館へ行ってきました。

 あおなみ線の終点、金城ふ頭駅が近づくと、懐かしい初期塗装の117系が見えました。あ~あ、あそこね、と場所を確認した次第です。特に下調べも何もしないでの訪問です。金城ふ頭駅の近くにあるという前知識程度。

 駅から出て3分くらいで着きます。
 入場券を買って入館すると、運転シミュレーションの抽選があるとの説明がありました。
 やってみたいとは思っていたので、新幹線と在来線の応募券を投函しておきました。

 最初はつばめのヘッドマークのC62と、300X、リニアが並んでいます。リニアは愛知万博で展示していたものかな。中にも入れます。




 リニアの車内です。
 椅子はほとんど700系。



 展示コーナーです。こんな感じで歴代新幹線が並んでいます。








 展示コーナーの新幹線はみんな、車内へ入れます。
 300系の窓の大きいこと。最初は小さいことが気に入らなかったN700の窓にも最近は慣れてしまい、ひさしぶりの300系の窓の大きさは、こんなに大きかったのかと、改めて思いました。







 続いて700系です。まだ現役で走っているんだからどうでもいいやと思ったけれども、運転台を特別公開しているとかで、案内は一組毎ということで、ちょっと並んで見ることができました。




 新幹線の運転台に入ったのは、車販のバイト時代の走行中の0系以来です。しかし、狭い運転台です。本当に例えるなら戦闘機のコックピットという感じで、体をよじらなくては入れません。0系の広々とした高運転台とは大違いで、視界も狭くて視点も低いなと感じました。0系の2人乗務を原則とした造りと、一人乗務の違いもはっきりわかります。
 700系の足回りなんかを目の前で見られるのも感激です。





 これはトイレの汚物処理装置。

 こんなふうに床下をのぞき込んで写真を撮っている入館客は皆無でした。
 下から覗くなんて、決してスケベ心ではありません。純粋に興味があるのです、マニアは。

 続いて100系。
 こいつの床下、いわゆるスカートの下をパチリ。盗撮ではありません。


 車内です。久しぶりの2席で1枚の大窓に感激。本当に外が見やすかったなあ、100系は。
 そういえば100系は試作段階では1席1枚の小窓だったんです。それがたまに来ると、ハズレだなと思ったものです。





 食堂車です。懐かしいです。厨房も写真に撮ります。





 最後は0系の車内です。
 懐かしい座席に、食堂車です。
 食堂車は2階席の100系は両側ともに4人テーブルですが、0系は山側に通路があったので、4人テーブルと2人テーブルとなっています。








 食堂車の懐かしい表示です。
 もしかしたら、車販バイト時代に1度は乗務した車両かもしれません。


 運転シミュレーションは、新幹線ははずれましたが、在来線は当たりました。当選番号を見る限り、当たる確率の方が高そうです。
 指定時間に行ってすぐ案内されました。係員から「見習編」、「練習編」、「達人編」という3種類のどれを選ぶか聞かれ、即座に「達人編」と頼みましたが、「達人編」は画面に時刻などの表示が一切出ないよと言われ、それじゃ「練習編」と返してしまった、へたれな私です。なんせここのは初めてだしね。そのあと、時刻と気象条件を選ぶものでした。運転条件は良い方が運転しやすいことはわかっているので、朝の晴れを選びました。夜の雪なんか選んだら最悪。
 さて、スタートです。まあ、電車でGOと大差ないです。「練習編」でも停車駅まで残り距離は表示されませんでした。操作しているマスコンとブレーキ弁ハンドルが本物と同じというだけ。戸閉めランプを確認して発車です。制限区間や途中3駅ほどの停車、発車をこなして終着駅まで10分弱くらいでしたかね。
 現在のスピードとどれくらい手前でブレーキをかければ良いかの感覚は、電車でGOの感覚そのままで、残り距離表示はなかったけれど、まあ大丈夫でした。1駅だけちょっとオーバーランしたけれど、そつなく運転できました。
 それで、最後に結果が画面で出たのだけど、「優秀賞」とかいう表示が出て「はあ」と思ったんだけど、下の方に62人中1位という表示も出ていて、「おぉっ」と言ってしまいました。
 62人という分母がこの運転台での結果なのか、他の台も含めた今日のお客さんの総数なのかわかりませんでしたが。
 でも回りはほとんどが子供というか幼児ばかりな感じだったので、大の大人が1位になっても威張れたものではないでしょう。親子連ればかりだったし、大人、親が運転している姿は見ませんでした。
 きっと「見習編」は、マスコンを入れろとか、ここでブレーキをかけろとかの指示が画面に出るのだろうなと思いましたが、どうなんでしょう。今度またやる機会があったら、迷うことなく「達人編」にします。
 


 在来線です。大垣夜行時代に数多く乗った165系グリーン車です。
 きっと、一度は乗車したことがあるはずです。この目の前に鎮座する車両にも・・・


 クハ111の1番です。これを遠い記憶で、どこかで見たか乗った記憶があります。1番だったので。




 懐かしの、東京-静岡のサボも。



 EF58です。

 大学生のとき、新宮で発車を待つ普通夜行「はやたま」の牽引機だったEF58の運転台に乗せてもらった記憶がよみがえります。写真を撮っていたら、機関士の方が乗ってみろと言ってくれたのでした。


 キハ82系の「しなの」です。懐かしのJNRマークも。




 こちらは381系「しなの」の床下の汚物処理装置。



 0運転台と前方景色のCGが流れるコーナーがあります。


 写真を撮ってから、こんな看板に気がつきました。


 運転台を撮ったつもりが、映像も映っていました。
 なんで撮影はご遠慮なんでしょうね。
 私は前々から、東海道新幹線だけ運転台からの前面展望ビデオが市販されないのは、JR東海が絶対に許可しないからだと想像しています。東海道新幹線という超一級のライフラインをテロなどの犯罪のヒントにならないようにと警戒しているのではないかと、邪推しています。山陽新幹線はビデオ、あるのにね。電車でGOも山陽区間だけだし。


 M型マルスとV型マルス。




 私が小学生の頃までは、V型でした。
 印字棒を入れて印刷されるもので、あの切符の用紙の独特のにおいが大好きでした。
 M型は高校生から大学生時代の主流で、あの頃の国鉄職員はみんな、愛想はなかったけれど操作が素早くて優秀でした。
 M型の、線区別の駅と列車種別を組み合わせるパタパタを素早くめくって、該当箇所にピンを挿す一連の行動も職員により早さは違っていたけれど、本当に神業のごとく操作する職員を見て、感動したものです。送信ボタンを押して、希望している列車の指定が取れるとYESの緑ランプがついてほっとしたものです。NOの赤ランプがつくとがっかりして、第二希望の列車をとる行動にすぐに移ってくれたものです。
 超人気の列車の指定を取るために、1ヶ月前のジャスト10時に頼んだときなど、職員はすべての入力を終えてスタンバイして、10時ジャストのコンマ数秒前くらいに送信ボタンを押していたものです。それでも、青函連絡船最終運行日の昭和63年3月13日の函館発青森行きの最終便のグリーン指定席は、1ヶ月前の2月13日10時に操作してもらいましたが、取れませんでした。
 今のパソコン端末の操作はよくわかりません。
 JR化後数年は、特に若い職員は、マルスの操作が平均してトロかったです。イライラしました。接客態度なんか二の次で良いから、国鉄時代のようにこちらの所望するキップを1秒でも早く出せと、いつも心の中で叫んでいました。
 国鉄時代は愛想はゼロだっけれど、こちらが欲しいキップを的確に言えばだまってすぐに出てきたけれど、JRになってからは「いらっしゃいませ」だの「ありがとうございます」などの言葉はすぐに出ても、キップはすぐには出てこなくなりました。
 優秀だけど融通が利かず頑固な職員が国鉄からJRへ採用されなかったんだろうなと、私は今でも思っています。
 JR化後間もない頃、秋葉原駅で「東海道線の稲沢まで」と言って乗車券を求めたときに、窓口氏は稲沢駅がどこかわからずに時刻表を見てやっと確認したことが思い出されます。稲沢っていったら、天下の東海道本線の駅であり貨物の大操車場があったところで、国鉄職員なら誰だって知っているだろうと、あきれかえりました、そのときは。
 今は優秀な若手も増えて、新大阪駅で周遊キップを頼んだときは、ややこしいしめったに売れないであろう周遊キップを、端末をてきぱきと迷うことなく、5分もかからずに発券した若い女性職員には感動しました。でも、名古屋駅で、指宿駅が読めない女性職員もいたけれど。


 話しが脱線しました。
 外に展示してある117系です。車内は自由に座れて飲食も可です。





 しかし、ほんの4年前、名古屋-新大阪の新幹線定期を持っていたときは、用もないのに米原まで新幹線で行って、大垣-米原間を走る117に乗りに行ったことが、遠い過去のようです。米原で買ったビールやワンカップを飲みながらの乗車は楽しかったなあ。
 金城ふ頭駅にコンビニがあるので、そこでビールでも買ってから来館して、この117系の中で飲んだら楽しいだろうなと思いました。走っていた頃を思い出しながら。また行く機会があったら、実現させます。

 ちなみに、みんなに(特に子供に)人気のあるジオラマ(模型)コーナーは、まったく興味がないので、立ち寄りませんでした。私はあくまで本物が好き。

 そして、金城埠頭駅からあおなみ線に乗って帰って、名古屋に着いたら、目の前に本物の営業している新幹線を見て、やっぱり生きている鉄道が一番いいなあと思った次第です。
 あおなみ線のホームから、しばらく新幹線を眺めていました。鉄博よりも本物がやっぱりいいや。
  

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