2020年02月15日

えちてつ(北陸本線)梶屋敷駅

「えちてつ」ではなくて、やはり、「北陸本線の梶屋敷駅」と言いたくなってしまう。

交直セクションを見て歩いてたどり着きました。
日本海側の雰囲気が色濃い駅前風景です。







古い民家?駅前旅館?風の木造建物の取り壊し工事が行われていました。



駅舎内も落ち着きます。





ここが窓口だったのか。
なんとなくキオスクの跡にも見えなくないです。





木の柱。国鉄を感じます。



右の鉄筋コンクリートの建物は廃墟みたいです。
なんの建物だったのか。



直江津方。

中線の待避線は途中で途切れています。



必要のない長いホームは途中でフェンスで区切られています。
ここに昔は旧客の編成が止まり、そして発車していった風景を夢想します。



ホームの糸魚川方は良い雰囲気でカーブしています。
ホームの端で写真を撮るのに良いロケーションです。
特急が走っていたときに来てみたかった。



駅裏の畑ではお年寄りが農作業をしています。
時間が止まったようなローカル駅、旅しているなあとしみじみと思います。



複線電化された幹線を一両の気動車が来て、乗り込みました。
せめて4両くらいの交直両用の電車が来てくれたらなあ。






  

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2020年02月14日

大糸線代行バスと糸魚川駅

千葉発南小谷行きのあずさ号に乗り南小谷まで、南小谷から乗り継いで糸魚川へ向かいました。
千葉駅へ進入するあずさ号、最新の車両です。



私、記憶をたどると183系時代のあずさには乗ったことはありますが、その後の後継車は一度も乗ったことがありません。
中央東線の長距離列車は、115系時代の新宿発長野行き普通夜行、165系の急行アルプス、オール2階建ての快速用電車などに乗ったことはありますが。
あまり中央東線には縁がありません。


景色を見ながら松本へ、そこから大糸線に乗り入れます。
大月、甲府、小淵沢と乗客は減っていき、松本でほとんど降りてしまいました。
数少ない乗客も信濃大町で残る半分ほどが下車、信濃大町を発車すると車内放送が「大糸線は大雪のため南小谷-糸魚川は不通となっている。運転再開は午後3時以降を予定」との案内が。えっー、もっと早く言ってよ、 松本までに言ってくれたら 松本で降りて長野へエスケイプできたのに、って心の叫びです。

続いて「代行手段を講じるので南小谷から先へ行く人は車掌に申し出よ」とのこと。


続いて「代行手段を講じるので南小谷から先へ行く人は車掌に申し出よ」とのこと。
そういうことかと、安心しました。

雪深くなってきました。



白馬では、欧米系の外国人が大量に降りていきました。スキー客かな。
南小谷駅到着前。



まあなんとなく雪深くなってきたけれど、この先不通になるほどには感じません。

南小谷駅前にはかなり古い型の路線用のバスとジャンボタクシーが待機していました。
バスは糸魚川直行、ジャンボタクシーは各駅停車用でした。
代行バスには欧米系の外人も幾人か乗ってきました。大糸線の末端区間に外国人旅行客が乗るなんて、隔世の感があります。
バスには代行の表示と「糸魚川行き・南小谷行き」の両面の表示もあります。
なんとなく、代行バスの運行は日常茶飯事の感があります。
結局、30名以上の乗客を乗せて、バスは糸魚川へ向かいます。



道路は完璧に除雪されていて、行き交うクルマやトラックは普通に走っています。



か細い大糸線のJR西日本の除雪能力と、税金で除雪される国道ではまったく除雪のパワーが違うようです。
これなら私でも、大糸線の末端区間の必要性に疑問を持ってしまいます。

1両の軽快気動車を日に数往復運行するだけなら、代行バスで十分輸送力を確保しています。
バスは順調に走り、糸魚川市街へ入っていきました。
交差する踏切から見る大糸線には雪は皆無、町中にも雪はありません。
なんで大糸線は雪で不通になるかね。
JR西は除雪する気なんてさらさらなく、午後になったら雪は自然になくなるだろうって程度だったんじゃないかと勘ぐりたくなります。



糸魚川駅へは約50分で到着、列車よりも速く到着しました。


 この区間は学生時代に乗って以来なので、乗っていれば約40年ぶりだったけど、乗れなかったというオチとなりました。

昭和57年撮影、今回乗れなかった区間の大糸線です。
キハ55です。









糸魚川駅、新幹線が開業してからは初の下車です。
昔は新幹線口には出入り口はなかったと思います。立派な駅になりました。
中には鉄道関係の展示コーナーがあって、キハ52も鎮座していました。





















思った以上に時間がつぶせて楽しめます。


在来線(えちてつ)ホーム。





一両のえちてつには不必要な立派なホーム
ここにちょっと前までは特急列車が、昔は電気機関車牽引の旧客が止まっていた風景を頭の中で描いてみました。


(イメージ)糸魚川駅ではありません。



大糸線も運転再開したみたいです。
停止位置にスノープロウから落ちた雪の塊が落ちているから、そこそこ積もっていたのかな。



えちてつとJR西大糸線の改札口、業務はえちてつが行っているようです。
筒石駅の入場券が売っていたので買いました。
特別に和暦表示も用意されていて、2.-2.14付け、語呂合わせで「つ・つ・いし」だそうです。
通常は西暦表示、2020.-2.11付け当日のものも合わせて買いました。



入場券コレクションから見つけました。
正真正銘、筒石駅へ行ったときに購入したものです。
日付がほとんど同じ、2.-2.12、訪問日は2.-2.11なにか因果を感じます。
同じ2年でも令和ではなく、平成です。
まる30年以上前!




こちらが新幹線改札口。



 駅の表口は今回、 時間がなくて出られませんでした。



新幹線に乗りました。



  

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2020年02月13日

交直切換セクション 糸魚川-梶屋敷間

元北陸本線、北陸新幹線開業に伴い三セク化され、現在は「えちごトキめき鉄道」線となっている糸魚川-梶屋敷間には、交流2万ボルト60Hzと直流1500ボルトのセクションがあります。
この区間に乗って、どでかい黄色い切換関係の標識はよく観察したものです。
今回、大糸線から新幹線に乗り継ぎ金沢まで行く予定だったのですが、時間が余っていたので糸魚川で何をして時間をつぶすか思案したところ、このセクションがあることを思い出して、現地に行って見ることにしました。
鉄道マニアも末期症状になると、こんなところにも関心、興味を持ってしまうのです。

糸魚川から梶屋敷駅まで歩きました。線路際にはほどよく自動車の交通量の少ない、歩きやすい道があるので快適です。暖冬のため、糸魚川の市街地はまったく積雪はなし。このシーズンで雪でも降っていようものなら、道路の融雪設備から水を撒いているので、雪はべちゃべちゃ、歩くのは困難なのです。

歩き始めて15分くらい、 歩行者用の跨線橋が現れます。
その上から梶屋敷方向を見ると、黄色い標識が確認できます。



近くへ行くと



「突入!ヨーイ」勇ましいフレーズです。
列車の中からは一瞬のためよく確認できず、間近ではっきり見ると迫力です。
そこから先へ進むと、今度は「切換」の標識。



ちょうど、えちてつの気動車が横を通過していきました。えちてつは高価な交直両用電車はJRから引き継がず、気動車を新製して運用しています。だから交直セクションの存在は関係ありません。この設備は実質、JR貨物の電気機関車のためのものでしょう。詳しく知らないけれど、電化設備の保守はJR貨物がしているのかな?











その先にはこういう標識が連続します。













架線設備が複雑になってきました。





「交流」の標識が二重に。



「交流」の標識の背後がいよいよセクション区間です。



死電区間の始まり。



特殊な架線です。









セクション区間の先に、「直流」の標識が現れます。





反対側、糸魚川方面の上り線の標識は、







これだけです。



交流から直流への切換標識は、これでもかと注意喚起しているのに、直流から交流へのは切換はあっさりしています。
交流から直流、2万ボルトから1500ボルトへよりも、電圧が高くなる直流から交流区間への進入の方が失敗するとヤバそうだけど、交流から直流への切換ミス、冒進の方が車両機器へのダメージが大きいのかな?

国鉄型の485系や475系交直両用車に乗って切換区間を通過するとき、床下から「バコンッ」とかなりの音がしていました。同時にエアコンが止まり車内の照明も消えて、セクション通過を体感できましたが、最近の車両はエアコンこそ止まるものの照明は消えず、床下からの衝撃音もかすかでよほど注意していないとわからないしエアコンも静かなので、セクション通過は車内ではほとんど体感できません。

下り線、梶屋敷方向への最後の標識。







セクション区間終わり。
梶屋敷駅まで徒歩で1時間半くらいでした。

電気設備の建屋があります。直流設備でしょうか。
北陸トンネル工事を担当した、トンネル工事の名門「岐阜工事局」の文字が。
こういった表示には、まだまだ国鉄を感じます。






梶屋敷発の上り気動車まで時間があったので、近くの神社に寄りました。
無人でしたが中に自由に入れて、お守りなどが置いていました。
お参りして、説明のとおりお金を奉納して、お守りを頂き、おみくじもやりました。
結果は「大吉」、楽しい小旅行でした。



手水の説明看板が、なぜかロリ風です。



梶屋敷駅から一駅乗って、糸魚川へ戻りました。
梶屋敷駅はこちら

気動車は空いていました。
車掌さんがすぐ来て、車補を発行してくれました。



さっき歩いて見た標識を、帰りの車内から撮りました。



そういえば歩いている時間も含めて約2時間以上、貨物列車を一度も見ませんでした。

その他の車上切換セクション区間を巡るのも楽しそうです。
常磐線、取手-藤代、北陸本線、敦賀-南今庄、羽越本線、村上の先、どこだっけ。村上-間島でした。
山陽本線、下関-門司間は門司駅構内なので近寄ることはできませんが、ホームの下関寄りの端に行けば見えるはずです。
その他にもいくつかありますが、思い出せません。
  

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2019年11月24日

名古屋から石垣へ

中部国際空港から那覇乗り継ぎで石垣島へ行きました。

飛行機からの眺めを楽しみました。


離陸待ち、先行機が離陸。


南から北へ離陸して、左へ旋回。伊勢湾の対岸へ。
津の少し南。


松阪付近。


尾鷲。


熊野市。


新宮。
亀山から新宮への鈍行旅行では5時間以上かけて着いたのに、飛行機だと十数分。


那智、紀伊勝浦。


本州最南端の潮岬。ここを過ぎたら、あとはずっと海の上。




景色は海しか見えないし、昼時なので空港で調達した弁当を食べます。
最近、幕の内弁当にはまっています。
名古屋駅でも売っている、松浦商店の復刻弁当。



久しぶりに陸地が見えました。
奄美大島。


奄美大島の南端。


徳之島。


沖縄本島がみえましたが、なんか旋回していてどこだかよくわかりません。




南部の糸満付近から北へ向けて着陸しました。


着陸。逆噴射口のカバーが開いて、逆噴射で減速中。


乗り継ぎ待ちで生ビールを1杯。沖縄ではオリオンビール、旨い。


那覇から石垣へ向けて離陸。


石垣空港へは右旋回して南側から北へ進入。


着陸。逆噴射音が響き、スポイラーが上がります。


今回の旅の目的は、前回の旅で悪天候のため着陸できず引き返した、与那国島へ行くためのリベンジの旅です。
続きはまた今度。

与那国行きです。

  

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2019年10月22日

駅弁とグリーン車

熱海から成田まで、普通グリーン車の旅が定番化しています。
グリーン券が通しで買えるので、お得感もあります。
熱海-東京約100キロ、東京-成田約70キロ、値段は51キロ以上のくくりで良いのです。

その車内の楽しみが、静岡駅の東海軒の幕の内弁当とビール。
こだまに乗れば、静岡は5~6分停車するのでその間にホームの売店で購入しておきます。
東海軒の幕の内弁当、売店のポップにも「売れ行き№1」とあります。
昔は大垣夜行に乗って深夜の静岡駅の立ち売りから買って食べるのが定番でした。
その頃は何も思っていなかったけれど、歳を取ると普通の幕の内弁当の良さがわかってきました。

コンビニ弁当よりも割高ですが、やはり味が良いと思います。
何より白飯、ごはんがうまいのが駅弁の特色と思います。

こんな感じ。



基本の基本、純粋に正統派の幕の内弁当です。

俵型のごはんをつまみにビールが飲めちゃいます。


真鶴-根府川間の海側にあった旧線のトンネルです。
上り電車に乗らないと確認が難しいです。
下り電車から見える根府川側にもトンネル坑口があるのだけど最近、草木がうっそうと生えていて車窓からよく見えなくなっています。



四街道駅ホームのグリーン車位置案内。
間違いなく昭和からある古いタイプです。
こういう古い案内板を見つけると、ちょっとうれしくなります。
  

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2019年10月18日

中部-新千歳 往復の景色

また、飛行機ネタです。
北海道、一泊二日で往復しました。
JR北海道の列車に乗ることはおろか、一度も見ることもなかった旅でした。

機内から撮影した風景を紹介します。

今回のツアーはジェットスター往復利用でした。


9月から供用開始された、中部国際空港第2ターミナル発着です。
遠い、本当に遠い、名鉄駅からチェックインカウンターまでが遠いとは事前案内に書いてあったけれど、保安検査を受けてから搭乗口までも、とにかく遠い。冗談抜きに、駅を降りてから出発まで1時間あってもギリギリ無理っぽい感じ。


今回は北風なので、南から北方向に離陸していきました。
すぐ名古屋港上空で、徐々に右旋回して北北西へ向かいます。





昭和区、瑞穂区、南区あたりです。




 ナゴヤドームが見えます。


しばらく山の上を飛んでいるなと見ていると、諏訪湖が見えました。




ここから先は、帰ってから地図と写真を照合して、場所を特定しています。
塩尻、松本の上空です。松本空港も見えます。




上田上空です。先日の台風による大雨で、千曲川が濁っているのがわかります。




機内では直江津辺りかな思ったと思ったけれど、新潟でした。
新潟東港と阿賀野川河口。真下に新潟空港も写っています。
こちらも、阿賀野川から濁った水が海へ流れ出ています。




ずっと日本海側に沿って飛んでいって、景色は単調でした。
下北半島が地図の形まま見えてきました。




むつ市街地が見えます。




津軽海峡から太平洋へ抜けて、鵡川の辺りで北海道へ。




上陸後、追分駅上空辺りで180度旋回、千歳市街地が見えて北側から新千歳空港へ着陸しました。




帰りです。
到着時とは反対に、南側から北側へ離陸しました。




離陸すると右へ急旋回。
ほぼ270度旋回して、南南西へ向かいます。
新千歳空港のまわりをぐるっと一周する形でした。






苫小牧が見えます。



倶多楽湖と登別温泉、登別市街が見えます。
今回の旅の目的地は、登別温泉とクマ牧場だったので、行ったところを上空から帰りの飛行機から確認できて楽しかったです。




クマ牧場から撮った倶多楽湖です。




洞爺湖が見えました。




帰りの進行方向右側はほとんど海、しかも雲ばかりでを下界を確認できぬまま名古屋が近づきました。
やっと見えた景色、木曽三川かなと思ったけれど違いました。
西尾上空、衣浦港、矢作川でした。一色さかな広場もはっきりわかります。




そのまま南へ三河湾を横断。
知多半島の大井漁港が見えて、



そこから師崎の、知多半島先端で180度旋回、中部国際空港へ向かいました。
北風なのか、南側からの進入です。




中部国際空港、着陸。
スポイラーが上がって、逆噴射。



降りるとき、コックピットの扉が開いていたので。





中部国際空港第2ターミナル、とにかく不便。
通路もコストカットみえみえ。
天井板なし。
降りてから、手荷物受取場まで、延々と歩かされます。
床には、ここまで何キロカロリー消費したとかの表示がありますが、「だからどうした」って感じ。
さらに駅までも、動く歩道もあるけれど、果てしなく遠い。
動く歩道も、第1ターミナルのそれと比べて、幅が極端に狭い。

身障者、高齢者にはとてつもなく冷たい、第2ターミナルです。
健常者でも、エラいです。
階段と、延々と続く通路、日本一不便と思う、中部国際空港第2ターミナルです。





ツアーではなく個人手配だったら、二度と使いたくないジェットスターです。

二度と使いたくない第2ターミナルですが、今度機会があったら何歩歩くのか確認してみたいです。




  

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2019年03月24日

波照間島の思い出

この前、波照間島に久しぶりに行って、泡波を買ってきたことを書きました。

30年前、初めて波照間島に行ったときの写真が見つかったので披露します。

あの頃は定期旅客機が飛んでいて、それを利用しました。
今は、高速船かフェリーしかありません。
航空便を復活させる話しも、地元では出たりしているようですが。
小型のプロペラ機で、操縦席との間に扉もなく、とても開放的でした。

民宿に一泊したのだけど、部屋は男女別の相部屋、雑魚寝に近かったと思います。
夜は宿泊者全員と宿の人もいっしょに大宴会でした。
私も一人旅だし、一人旅の人が多かったと思います。
たらふく泡波を飲ませてもらい、おおいに盛り上がりました。
酒の会計はどうなっていたか、よくわかりません。全員で飲み放題だもの。
飲まない、飲めない人もいたと思うけど・・・。

宿の名前も忘れました。写真も残っていないし。
宴会では、リピーターらしき、旅のベテランを装う人も幾人かいて、盛り上がりを超えて口喧嘩に近いものもありました。



どれだけ島のことを知っているかだとか、 あんたはわかってないとか、各地の旅行歴自慢のようなことでの言い合いだったと思います。

私は、なん十回、なん百回、そこを旅したことがある人間の自慢話しよりも、半年でも住んだことがある人の話しの方が重みがあると思います。

旅人目線と住民目線とでは、住民には敵わないと思います。
旅人は、その地に住む人たちに対して謙虚であるべきと思います。















波照間の海は、限りなく透明で碧かった。

また行きたいです。次回は星空を見に。  

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2018年05月19日

佐原 古い街並み 酒 居酒屋

千葉県佐原、今は合併して香取市となっていますが、以前は佐原市、そして駅名は現在も「佐原」です。
千葉県の北東部に位置し、東京からの鉄道の便は都心から100キロ圏内にもかかわらず不便極まりなく、東京までの公共交通は高速バスが担っています。
東京と佐原を結ぶJR総武・成田線に直通特急はなく、普通電車が日に一往復だけ、鹿島神宮から東京へ直通しています。
数年前までは特急「あやめ」があったのだけど、廃止されました。高速バスに負けたのが主な原因だろうけれど、鉄道の定時性、確実性は捨てがたく、確実に一定の需要は今でもあると思います。JR千葉支社は、地元からの復活要望に対しても、「あやめ」を復活させることはないと断言していて、残念なことです。
そんな、東京から名古屋へ新幹線で行くよりも時間がかかる不便な佐原は、「江戸優り」を謳う古い街並みが数多く残され、観光地化もしています。

まずは鉄道から





鹿島線と千葉方面の普通です。鹿島線からの乗換客が合流し、たくさんの乗客が乗り込みました。




小野川と電車。この小野川沿いに古い街並みがあり、たくさんの観光客が歩いています。










この写真屋さんは廃業していますが、昭和レトロ感満点のこの建物もむ新しい方なのでしょう。




街中のあちこちに、この円筒型ポストが現役で残っています。




このような観光船も。




私が感動した建物がこれ。
壁際に碍子でむき出しに設置されている、戦前からあるような単相2線式と言ってよいのかわかりませんが、1線ずつ並列してあるやつ。これが今でも現役であるのです。もうかれこれ30年以上、昭和のテーマ館とかに行かない限り見ることはありませんでした。





これまたレトロな笠のついた裸電球の外灯が接続されています。電球は電球型蛍光灯かLED電球のようでしたが。


続いて、居酒屋。古い街並みに似合う小さな居酒屋が、狭い路地の間に多数あります。
すべて現役で営業しているのかはわかりません。




















廃業している床屋さん。昭和です。




東薫酒造です。
酒蔵見学ができて、酒の試飲もできます。








試飲は、一番高くておいしい「叶」だけ1杯300円ですが、あとは無料です。
もちろん叶も試飲しましたが、なみなみと注いでくれました。
他もほんの少しずつ試飲させてもらいましが、結構酔ってしまいました。
試飲できるのも、クルマで来ていないからできる贅沢です。




なぜか街中には石材店が多数あります。







再開発が進み整然としてどこに行っても風景が同じ街よりも、こういう古い街並みが残っている街が好きです。
佐原には昭和レトロな古いスーパーもいくつか見かけました。  

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2016年06月25日

沖縄旅行

約20年ぶりに沖縄に行ってきました。

ゆいレールはあるし、郊外の道路は立派になり、かなり変貌していました。

ゆいレールは運転席後ろが展望席になっていて、そこにばかり座りました。


那覇空港駅のポイント、モノレールの分岐点は特殊です。




運転席、信号は車上信号のATC。山手線とかと同じで、制限速度が速度メーター周囲に表示されていました。









車両基地への分岐点です。



観光地である首里城のすぐ近くにある、司令豪跡。タクシーの運転手さんに案内してもらいました。
戦争の跡は、街中にも残っています。ここは訪れた当日、NHKの朝のニュースで紹介されたものでした。



旅の第1日め、那覇の夜はここで。
最初の1杯めはサービスセット。おつまみ2品、生ビールはなんと2杯付きで1000円、安い。
オリオンビールは旨い。
地元の人らしき人しかお客はいませんでした。
私は、観光ガイドブックに載っている店はなるべく避けます。
ガイドブックやネットは一切見ず、事前調査は一切はなしにホテル近くを適当に徘徊して、見つけて飛び込んだ店でしたが大正解でした。
泡盛も十分に飲みました。


翌日は宮古島へ移動。
海の色が違います。


宮古空港到着直前。

私は飛行機に乗ったときの、離陸のときの滑走路端から猛加速を開始する瞬間と、着陸して逆噴射する瞬間が大好きです。




島内はレンタカーで観光。観光客のレンタカーも多いけれど、なんとなくのんびりしてしまいます。
昨年出来たばかりの伊良部大橋は、約3キロもある日本最長の通行無料の橋。



宮古島の夜も、あてもなく街を徘徊して、外観だけで店を決定。
ここも大正解。

先客はカウンターに一人客が2人。観光客には見えませんでした。
座敷は予約でいっぱいと言われカウンターに先客と並び座りましたが、飲んでいる途中に電話が入り、かなりキャンセルされたみたい。それでも店の人はのんびりしたもの。
キャンセルされた席に、地元のサラリーマンが案内されました。


当然、オリオンビール。
旨い!


魚が中心の店、地魚の唐揚げに泡盛、もちろんゴーヤちゃんぷるも食べました。


翌日は宮古島をあとにして那覇へ再び移動。さようなら~。





ひめゆりの塔と資料館、平和記念公園と資料館、喜屋武岬などをレンタカーで巡りました。
ひめゆりの塔近くの観光センターは昭和然とした雰囲気でした。

那覇最終日の夜は、ホテルから歩き国際通りへ。
当然、観光客も多く、観光客相手の店ばかりです。いろいろ迷いながら直感で、あるホテルの中の店に入りました。


宿泊したホテルの店は避けて、夜の街へ行きたくなるのは、旅行者の習性。
そこをあえて、ホテル内の店へ。外から入口もあり、入ると先客はゼロでした。
しかし、大将らしき人が大歓迎のもてなし。とても腰が低い大将でした。


今回も1杯セットをファストオーダー。つまみがこれだけついて1000円。つまみが豪華です。お得です。


うちなー料理もそこそこあって、この店も大正解。
あとからボチボチと客がきましたが、落ち着いたものでよかったです。観光客はあまりいなかったかな。


最終日は国際通りを散歩。昼ごはんは牧志公設市場近くでソーキそば。


3日間、昼は沖縄そばだったけれど、ここが一番旨くてしかも安かったです。
あとでガイドブックを見たら、掲載されていました。
観光客にも評判の有名な店だったみたい。知らずに入ったのだけど。


那覇をあとに、帰りの飛行機が空港を離陸する前。
フラップの動作確認。


沖縄は旅行中に梅雨開け。この日は快晴。
飛行中の空は限りなく青く、宇宙が近く感じました。



名古屋上空に近づき、桑名方面から進入していきます。







眼下に揖斐川、長良川が見え、名古屋駅のJRツインタワーも遠目に見えて、
飛島、旧十四山村上空を飛んで中部国際空港に着陸しました。

3日間、よく飲んだなあ。
締めは空港で、軽く飲んでから帰りました。
久しぶりにすっかり、泡盛ファンになってしまいました。

梅雨明けの沖縄は蒸し暑く亜熱帯そのもの。暑さに慣れない体は汗だく、冷房は一晩中消せませんでした。
名古屋はとても涼しく感じました。
真夏の最高気温は、那覇よりも名古屋の方が暑いはずですが。
  

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2014年02月23日

青函連絡船八甲田丸と青函トンネル龍飛基地

 「あけぼの」に乗りに行ったついでに、青森の龍飛岬へも行きました。
 冬の龍飛はとても寒く雪深く風が強いイメージで、ちゃんと列車が動くか、道路は大丈夫かと不安も大きいです。
 その日は風も弱く、蟹田から乗った津軽線は遅れもなく順調に走り、三厩駅へ到着しました。
 蟹田駅前の店で買ったビールとつまみをやりながら、約40分の津軽線の旅はのどかでした。
 蟹田駅前の店で買ったつまみはとてもおいしかったです。一人分ちょうど良い量で、小松菜のおひたしとほたてマヨネーズは、塩分控えめの手作りでした。

蟹田駅の津軽線キハ40。



中小国駅は、JR東と北の境界駅です。




線路の境界はこの地点。
津軽海峡線と津軽線が分岐する地点です。




雪の単線の津軽線を行く。




終着の三厩駅。






三厩駅からは町営バスで龍飛岬を目指しました。




道路は普通の圧雪路で、問題なく走れます。




龍飛は風もあり、気温も氷点下ですが、穏やかでした。
ただし、外を歩くにはフードと手袋は必須です。都会の寒さとはやはり桁違いの厳しさですが・・・




龍飛は、青函トンネルの龍飛工事基地があったところです。
ここから旧鉄道建設公団の手で、先進導坑を堀り始めた歴史があります。
詳しくは、高倉健主演の映画「海峡」を観るとよくわかります。大好きな映画です。




そこには今、青函トンネル記念館があり、そのトンネルを利用したケーブルカーで海面下140メートル地点まで行け、そこには工事関係展示があります。
青函トンネルの龍飛海底駅は廃止されて一般乗客が降り立つことは不可能になりましたが、ここは今でも生きています。
ただし、冬期は休館です。






敷地には国鉄の「工杭」がありました。





さて、翌日は函館に立ち寄り、駅前のどんぶり横町で昼食を。
店頭の見本はネタの様々な組み合わせがあるけれど、面倒なので店内で好きなのをトッピングしてもらいました。
私はウニが苦手なんだけど、どの組み合わせにもウニがついてくるもんで。
選んだのは、イカ、カニ、いくら、サーモンです。
おいしかったです。ついでに日本酒も頼んだら、地酒のワンカップでした。




函館から青森へ戻り、青函連絡船八甲田丸へ行きました。
青函連絡船、昭和63年3月13日に廃止されてから、もう約26年です。
最終日、青函トンネルの開業と連絡船の廃止にたちあったのも、はるか昔です。
この連絡船桟橋があったあたりも、風景は激変しました。頭上を道路の大きな橋がかかっていて、桟橋と待合室などがあったあたりも、一変しています。ホームから桟橋への連絡橋だけ、一部残っています。






八甲田丸は、函館に係留、保存されている摩周丸よりも往時の形が残されていて、私はこちらが好きです。




元グリーン(指定)席。





車両甲板には懐かしい車両が。




気動車は燃料を積んでいるため、実際の航海時には積めなかったと案内文にありました。








青函連絡船の心臓部、第一主機室のエンジンです。
乗用車やトラックのエンジンなど鼻くそみたいに見える、巨大なエンジンです。
大きさだけなら戦車のエンジンだって青函連絡船のエンジンにはかなわない。
1基1600馬力のエンジンが第一主機室と第二主機室にそれぞれ4基ずつ、計8基で総出力は12,800馬力。
排気量は何万CCだろうし、燃費とかどのくらいなんでしょうか。
たぶん、リッター数メートルとかだったりして。
その他にも発電用のエンジンが複数あったのです。

今でも燃料とオイルの独特の臭いが立ちこめています。
動いていた時は、ここは轟音に包まれていたのでしょう。


機関制御室です。



コンピューター制御ではない、昭和の時代のいかにも機械の出で立ちです。


ここは元案内事務所でした。ここできっぷとかも買えました。




八甲田丸は、廃止されてから何度も立ち寄ったけれど、青森に来たら必ず立ち寄ってしまいます。
私の、青函連絡船への想いは永遠です。




この後、いよいよ、あけぼの号です。

今回の旅で20代の若い人ともよく話ました(みんな男子です。「あけぼの」に乗りに来た若い女子は皆無でした)。
彼らは鉄道も興味あるけれど旅が好きで、あけぼのがなくなるのがきっかけで来たと言っていました。
しかし、バリバリの鉄ではなく、鉄分は薄いようで普通の旅行者でした。
青函連絡船の中で、私は最後の日に乗ったことを言ったら、彼らはまだ生まれていないと言われ、ショックでした。
あー、もうそんなに年月は過ぎたのだと、感慨ひとしおでした。
そんな彼らは皆、まじめで頭も良さそうで、礼儀正しく言葉使いもきちんとした行動をとっていました。
彼らのような若者がこの先、将来の日本を背負っていってくれるならと、頼もしく思いました。


あけぼの号立ち往生顛末記」に続く



  

Posted by よっぱらいくま at 15:01Comments(0)TrackBack(0)旅行記

2012年10月24日

TGVの思い出 つづき

フランス国鉄SNCFの線路敷地に入って撮影した話しを前回、書きました。
そのときの写真が見つかったので、さっそくスキャナーで読み取りました。



高速で迫る列車にシャッターは合いません。



またまた失敗。


在来線の列車なら



こんなもんだ。



そのうち慣れてきて




パリ近郊の駅でした。








駅から道路を歩いていきました。








  

Posted by よっぱらいくま at 22:13Comments(0)TrackBack(0)旅行記

2012年10月20日

TGVの思い出

私が初めてフランスへ行ったのは約20年前。
パリの近郊へ行って、線路際で写真を撮っていました。
そうしていると、保線員の集団がやってきました。私の方へ来て何か言ってきます。
私は線路に面した道路から、ズーム機能もないバカチョンカメラを構えていました。
手招きして、「こっちに来い、そんなところよりもいいぞ」みたいな手振りで来いと言っているみたいでした。
それで線路を渡って、線路と線路の間の比較的広い場所に入っていきました。
そこならもっといい写真が取れるぞみたいな態度で、笑って去っていきました。
私は、「めるしー、ぼくー」とお礼を言いました。

そこは、例えれば、東海道本線の茅ヶ崎-平塚間の相模川の平塚寄りにある、下り線と上り線の間が広く離れているところみたいでした。そこで私は中学生の頃、写真を撮ったことがあります。踏切から入っていくことができました。現在ではそこは踏切に沿って、線路とは直角に、フェンスが設置されて入れないようになってます。もちろん線路の部分にはフェンスはないけれど、立入禁止を主張しています。

で、話しは戻って、その線路と線路の間で写真を撮っていました。
パリ近郊の在来線です。近郊列車が何本も通っていきます。
しかし、そこにはTGVも通るんですね。
その頃はパリのターミナルから近郊区間は在来線を通って、郊外に出ると専用の新線を時速300キロで走っていたと思います。
でも、TGVは在来線区間もそれなりのスピードで走るんです。

私は在来線感覚で写真を撮っていたんですが、TGVが迫ってきたらそれこそ、あっという間に接近して真横を通過していきました。200キロ近く出ているのではと思いました。日本の在来線特急感覚とは別世界で、のけぞってしまいました。
シャッターを押すタイミングがまるで合いませんでした。

これは日本では絶対に味わえないことでした。だって、新幹線の線路には入れないし、入ったら新幹線特例法で入っただけで犯罪です。
前に新幹線線路に身を乗り出して写真を撮っている人を見つけて、JR職員が警察に通報したのどうとかと新聞に載ってましたよね。

フランスの保線員に入っていいよと言われて、TGVも走っている線路に入って、すごい体験をしたものです。
いまでもフランスはこれほどおおらかかどうかは、知りません。
日本も、昔に比べて、やたらギスギスした社会になっていると思います。

線路敷地内から、道路に戻るときは、遠くにTGVが迫っていないか、厳重に警戒して線路を渡りました。

  

Posted by よっぱらいくま at 21:57Comments(0)TrackBack(0)旅行記