2014年04月26日

三河田原駅 新駅舎開業から現在

三河田原駅に3番線?に線路が敷かれました。
改築工事は進みます。




2番線には車止めも設置されました。





以前はこちら
3月末頃

1月中旬頃

1月はじめ頃

12月頃

11月中旬頃

10月27日新駅舎開業日




  

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2014年04月26日

最近のバス事情から

 今日の新聞に「バス運転手不足深刻」との見出しが。
 そして同時に運転手の高齢化も進み、中途採用ばかりで若手が入らないという。
 バス業界は規制緩和によって、新規参入が加速し業者が乱立し際限ない価格競争を強いられてきた。
 ツアーバスの安全運行に対する杜撰さは目にあまり、悲惨な死亡事故が起こってからやっと規制強化され、ツアーバス形態の運行はなくなった。

 それでも、事故は続く。
 今回、一宮JCの事故を起こした運転手と会社はおそまつ過ぎる。社長自ら過労運転し、長野で追突事故を起こし、中央道で蛇行運転で警官に注意され、三度目の正直、二度あることは三度あるを絵に描いたように、高速道で反対車線に突入し暴走、何十台もの車を巻き込む大事故を起こした。死者が出ず、軽症者だけで済んだなんて本当に奇跡だ。本当に良かった。大型バスの運転手がここまでいい加減なんて、暴走族の方がよっぽどまともだと言いたくなる。
 こんな零細バス事業者が今でも生き残り、そんな杜撰なバスが運行されているなんて、背筋が寒くなる。
 大規模なバス事業者以外、バス事業が出来ないように徹底的に規制強化するしかないだろう。そのために運賃、バスツアーが高くなっても、そして零細バス会社がすべて消えても。

 バス運転手の待遇は改善されないままである。低賃金重労働では人が集まらないのも当然だ。
 その低賃金を正当化しているバカが大阪にいる。
 橋下は以前から、大阪市営バスの運転手は給料が高すぎる、民間は半分だと言い放ち、低賃金を正義としている。
 公共交通のバス運転手の待遇をよくしなければ、高い質は保てないだろう。
 名古屋市営バスでもくだらないミスが増えていくのも、低賃金化と連動した運転手の劣化が原因だろう。
 民間の低賃金が間違っているのであって、大阪市交通局の賃金が真っ当なのだ。
 若者がバス運転手を担っていき、安全運行ためには、正当な対価、適正な賃金を払うしかない。

 テレビではここ10年でバス事故や運休は3.4倍になったと言っていた。
 事故の増加は、小泉の規制緩和の始まりと同時期、ぴったりと時期が整合する。
 小泉のせいで、バス事故は3.4倍になったのだ。これが規制緩和の答えだ。
 規制緩和が正義という理屈で改革の名をかたり進めてきたのが、あの小泉である。
 過度な規制緩和で日本の安全を壊した、そういう唯一の成果を残したのが、郵政民営化という結果が何も見えないのと同様、小泉の残した成果だ。こんな奴をどうして今でも、一部では高く評価するのだろうか。

 また、格安航空LCCのピーチエアが、機長が足らなくてこれから何千便と減便するという。
 これも低賃金でパイロットを雇ってきて、人が確保できずもう限界なのだろう。格安の世界の限界が露呈した結果だ。所詮、格安で航空機を飛ばして質を保持するなど不可能だということだ。適正価格に戻せば良いだけだ。それかつぶれるかだ。格安航空の限界が安全面でいつ現れるのだろうか。そのときは、多大な人命が失われるときだろう。そしてやっと、バス業界と同様に、事故を受けて規制が強化されるのだろう。犠牲者が出なければわからないのだろう。

 バイトが集まらずに一時閉店に追い込まれるすき家。大学生のバイトに頼り過酷労働を強いる外食産業。みんな、価格競争の結果だ。
 しかし、最近の若者はなぜこのような過酷労働を受け入れるのだろうか。私の学生時代の頃は、そんなひどい状況ならとっととやめていたし、責任感などなかった。反骨精神はあっても、勤め先が困るからなんて心配して無理してシフトを入れたり、ましてやサービス残業など絶対しない。今の若者は素直すぎるというか、まじめ過ぎるというか、もっと社会に疑問を持ち、強く、逆らうくらいの精神力を持ってほしい。バイトなんて、追い込まれたら逃げればよいのだ。他にバイトの仕事などいくらでもある。そういう業界、職種は慢性的に人不足なのが実態だ。やめる際に次の求人費用を払えなんて言われて従うような素直さは、単なるバカだ。
 最近の職場に来る新卒者を見ても、みんなまじめで態度もよく素直な奴らばっかりだ。くせもなく個性もない、逆らうようなこともない。現代はそういう生き方の人間しか評価されないのだろうか。私の若い頃は(今でも)逆らうし素直じゃないし、あの頃は働きも今の若者の半分以下だった。今の新卒者は優秀だし、本当に素直によく働く。ゆとり世代とは、こういう人間を育てるためだったのかと思ってしまう。ゆとり世代だからと言って、私は決して学力がすべての人が落ちているとは思わない。

 行政の規制を嫌い、規制緩和を進める政治家を応援していたのがDHCの社長だ。こういう民間会社の経営者が小泉みたいのを信奉するのだろう。競争こそ正義、安かろう悪かろうの世界を推し進めていくことには気がつかない、こういう人種は決して。外見だけで中身のない行政改革、規制緩和という単語だけを叫ぶアホ政治家に金を貸して、だまされたと言っている程度。貸りた方も貸した方も同等のバカである。
 今、自民党が一強なのは、どの野党を見ても、民主党をはじめ維新とか結いとか、もうみんなみんな(二重の意味)、カスとバカしかいないからだろう。私も自民党を100%信用していないが、他にまともな政党は完璧にないから仕方ない。自民党も最近怪しいけれど、自民党の政策に疑問を持っても、前政権の民主党のやらかしてきたことを思い出すと、比べたら何でもかんでも今の自民党はまともに見えてしまうから、もうだめである。
 あのワタミを擁立した時点で、私は自民党には投票はしなかったが、今の野党が野合して万が一政権を獲ったら、もう考えただけで恐ろしいというか、日本はつぶれる。それがわかっているから、自民党の一強は続くだろう。

 食品をはじめ医療、福祉、交通、物流など人の命と安全に関わる業界の規制は、緩和してはいけないのだ。なぜ規制というものがあって、企業活動が制限されているかを考え直す必要がある。
 未だに、規制緩和だの行政改革だのと言っている政治家を信用するのはやめようよ。

 最後に、名古屋の河村市長が、東山線の名古屋-伏見間の新駅構想で現地(地下)を歩いたとテレビで放送していた。
 あのおっさん、作業着とヘルメットが完璧に似合っていた。もう素人には見えなかった。職人だ。政治の世界の職人ではなく、家業の方の職人を目指した方が幸せになれるのではないか。名古屋市民のためにも。
 私は、新駅構想には賛成だ。需要は十分にある。国際センター駅の利用者数も参考となるし、国際センター駅からもほどよく離れている。  

Posted by よっぱらいくま at 14:34Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2014年04月15日

名古屋 基幹バスレーンの話題

今日の中日新聞。
毎度毎度、名古屋の河村市長の発言には笑わせてもらえる。

国道19号との交差点での、基幹バスの走行レーン逸脱が話題になっている。
その対応のために、なにやら「英知」を結集させて考えていくらしい。

まあ、名古屋市の「英知」とやらは、ずいぶんと安っぽいものだ。

こんなこと、運転士の教育、習熟を完璧にやれば済むことではないか。
レーンの塗装に不備があるやらなんちゃらと、道路管理者の国とも相談するとか。
それもヒューマンエラーを防ぐためのフェイルセーフということ意味では有効だし、整備をするべきだろう。

しかし、1985年から始めた基幹バスレーンの運用で、今までにそんな問題があったのか。
これまで30年近く続いていたのに、なぜ今更、こんな問題が話題となるのか。
それは、運転士の劣化だろう。

最近は交通局、名古屋市のバス事業合理化のために、バスの運行そのものを外部委託するという無茶をやっている。
それでコストが削減されるということだ。
これは名古屋市に限らず全国的な風潮だ。

誤進入をやらかした1件は、三重交通に委託していたバスの運転士だという。

鉄道であれば、その区間を運転するために線見と称して路線全体の信号位置、制限区間、勾配、駅間距離、その他諸々の諸条件を徹底的にたたき込み、習熟運転訓練を経て、やっとその区間を営業運転できる。
路線バスを同じバス事業者とはいえ外部の委託業者に運行を任せるなど、私に言わせれば、新幹線の運転を業務委託や派遣社員にやらせるも同然の行いだ。

外部に安い金で委託して、受注した会社も最低限の経費で運行する。
運転士に対する教育訓練も、最低限なのだろう。
そして再雇用職員を使ったりと、運転士の給与も安いのだろう。
それで民間の効率的営業を取り入れ、交通局の経営改善に寄与したと自慢するのだろう。

今回の対策はたったひとつ、訓練され路線に習熟した、名古屋市交通局の正規職員である運転士が100%運転すればよいだけのこと。
交通局職員であったとしても、100%事故を防げる訳ではないが、慣れない外部の者よりもミスする確率は減るだろう。

そして、契約更新(単年度か複数年度契約か知らないが)の度に受託事業者が変わったら、また慣れない運転士が運転するという悪循環にもなるのである。

中日新聞も、最初は三重交通の委託運行バスだと書いたが、最近は黙っている。
マスコミも問題の根本には目を瞑りたいのだろう。行政改革だのなんだのと、役所の合理化は何にも優先して正当化したいのだろうから。

名古屋市長の「英知」とやらは、職員減らし、給与削減、合理化、コスト削減、外注のことなんだろうけどね。

河村市長には、どこから見ても「英知」が備わっているようには見えません。
この交差点では、外国人が右折するときに迷うだの、大津通の中央分離帯は撤去できないのにこの交差点の危険性は放置しているので怒りに震えているだのと、支離滅裂なとんちんかんなこと言っている。
大津通の中央分離帯撤去が自分の思惑通りにいかないのと、基幹バスレーンの問題ををごっちゃにするなって言うの、アホか。
こういう問題に興味もないのでしょう。新聞に掲載されていたやりとりを読んでも、そうとしか思えませんね。低次元すぎて。
この程度のことに「英知」なんて言葉を使うことがそもそもね。
地域委員会と減税と、議員、職員の給与削減だけしか、あの方の頭の中にはないから。

基幹バスの安全についてもう少し真面目に考えると、まずは、基幹バスレーンの一般車の走行を全面的に禁止にするべきです。
基幹レーンを猛スピードで走る車は、市長も問題意識を持っているようだし。
クルマの利便性を意図的に落として、公共交通のバスの利便性を向上させるべきです。
そして、基幹バスのシステムそのものは、路面電車を踏襲しているのだから、いっそのこと基幹バスレーンに全部軌道を敷いて、路面電車にすれば安全性は大幅に向上しますよ。
現在の基幹レーンの停留所は、そのまま路面電車の停留所に流用も出来ますし。
でも、基幹レーンが終わった終点から引き続き通常の道路を走ることができないから、乗り換えが生じるデメリットにもなるか。

名古屋市も栄地区と名駅を結ぶ路面電車構想とかもあるのだから、いっそ基幹バスレーンも取り入れて、路面電車を復活させたらベストでしょう。
全国的に路面電車が見直され復活の兆しが見える中、環境面からも高評価されるでしょう。
富山市を見習ってほしいです。

でもクルマ社会、クルマ優先思想の中部地方、トヨタの城下町(お殿様はトヨタ)の名古屋市や、トヨタの下請け(トヨタの家来)の愛知県では、路面電車化など富士山よりもハードルは高いと思います。
そういうところを調整し、大所高所から物事を判断して進めるのが、政治家たる市長の仕事のはずなんだけどね。

本来、そういう高度な仕事をしてもらうために、市長の給料は高くてもその働きに見合った正当な報酬だと思うんだけど。
でも、あの人には自分の給料を安くして自慢するくらいの能力しかないもんなあ。
河村市長の働きは年収800万円相当しかないということを、自ら立証しているのでしょう。  

Posted by よっぱらいくま at 20:44Comments(0)TrackBack(0)名古屋市

2014年04月15日

原発とクルマ 優先は経済?命? 中日新聞の主張を読んで

中日新聞は、原発政策は、経済発展よりも人の命と安全を優先するべきと主張している。
お説ごもっともである。
しかし、道路交通における交通事故では毎年、4000人以上の命が奪われ、その何十万もの人が傷害を負っている。

以前、新聞投書に、交通事故で多数の命が奪われていることには目をつぶって、原発だけに反対するのはいかがなものかとの疑問に対して、原発事故は人間がコントロールできないが、交通事故は人間がコントロールできるのだから同じ次元での比較はおかしいとあった。
その根拠は、交通事故は1970年に1万6千人あまりが死亡したのをピークに現在は4千人台となってきたことがコントロールされているということらしい。
この現代社会で毎年4千人も死んでいて、どこがコントロールされているのだろうか。
そしてその何倍もの人が傷つき傷害を一生背負っている人もいるのだ。

東日本大震災では原発事故のために、何万人何十万人の人が故郷を奪われたのは、耐えがたい事実であり、帰還のめどはたっていないから、原発事故もコントロールされていないことは事実。
しかし、今回の原発事故で間接的には死者が多少出ているとも言えるが、故郷は奪われても直接命を奪われた人間はいなかったはずだ。原発の上屋が爆発しても住民にケガ人もいないはずだ。
そういう意味、交通事故よりも原発事故の方がコントロールされたと言えるのではないか。
道路交通事故でこれまでいくつもの人の命が奪われてきたのだろうか。今、故郷を奪われ避難している人の数よりもはるかに多いはずだ。

さらに、原発や鉄道、航空機と、道路交通との根本的な違いは、その運用の制度である。
原発も鉄道も航空機の運航も、巨大なシステム産業であり、それを運用しているのは行政や大企業である。個人ではない。
東電だって結果として重大な結末となったが、運用者、管理者として高度な対応をしてきたのだ。
鉄道でも航空機でも、その運用は厳格かつ高度な基準と運用ルールに縛られている。それを操縦、操作する人間も高度な訓練を受けているのである。
片や道路交通はどうだろうか。一応、運転免許なる制度の上で資格を得た者が自動車を運転する形ではあるが、はっきり言って運転免許はバカでも取れる。
その運用も、自動車は個人に委ねられているのだ。警察、司法による監視と制約、罰則はあっても、個々の運転技量とマナーに任されている。
簡単に言えば運転の下手な人もいれば上手な人も、車両工学についても知識がある人もない人もいるという極めて低レベルな世界なのである。
クルマはエンジンブレーキを知らない人でも運転しているが、新幹線の運転士に発電ブレーキ、回生ブレーキを知らない者は絶対にいないということだ。
自動車交通は、無謀な運転で迷惑をかけ事故を誘発するような運転をする者もいれば、慎重すぎて流れを滞らせ回りに迷惑をかけているような下手くそもいる。
金持ちも貧乏人も、真面目な人間もやくざ者も、ごちゃまぜで運用されている世界なのだ。
車両の安全システムにしても、最近は衝突回避の緊急自動ブレーキやレーダー波で車間距離保持機能などの搭載を謳うクルマも出てきている。
しかし、鉄道の世界では50年以上前からATSを始めとし、さまざまに進化してきた保安システムを備えてきた。
鉄道の安全性と比較したら自動車交通の保安システムはほとんどが人間の注意力と判断のみに頼っているという、19世紀に自動車が発明されてからからまったく進歩していないも同様だ。
赤信号を無視しても自動停止させる機能は鉄道では当たり前でも、クルマには現在でもない。
はっきり言って、そのような道路交通システムのレベルは未だ、あまりにも低すぎるのである。
個々の運転者の技量とマナーに100%依存しているという道路交通の運用方法は、原発や鉄道、航空といったシステム比べて、程度があまりにも天と地ほどかけ離れた、あまりにもレベルが低すぎるのだ。
自動車交通が個人に頼らず100%自動運転化されて、クルマの世界から趣味性が一切排除されたときに、初めて自動車事故はコントロールされると言って良いだろう。

そのような道路交通で発生している事故が、コントロールされているなどと、間違っても認められないだろう。

それでも、原発に対しては経済よりも人の命を優先しろと中日新聞は言う。
しかし、道路交通に対しては、今の状況は明らかに、人の命よりも経済を優先しているとしか言えないではないか。
日本経済を支える自動車産業の発展のために、そしてあらゆる経済活動のために自動車は必需品だ。
その利便性を失ってまで、命の優先を唱える気は、中日新聞にはないだろう。もっとも触れられたくない部分なのだろう。逃げているだけ。
新聞記者だって、毎日ハンドルを握って、自由気ままに24時間好きなように移動できるクルマを手放す気も覚悟もないだろう。

中日新聞が原発には強い口調で経済よりも命を優先しろと言いながら、道路交通事故のことには目をつぶり無視している偽善性が、聞いていて腹が立つのだ。

そしてもう一点、やたら最近、原発についてドイツの例をあげている。
ドイツは原発をやめていく方向にある。それを見倣えということ。
ならば問いたい。ドイツでは閉店法という法律があって、日本のようにどうでもよい業種の深夜営業、24時間営業などは禁止されている。
これまで条件緩和もされてきて、駅構内やガソリンスタンドなどの例外的業種はあるが、日本のような無秩序な深夜営業は禁止されている。
要するに、深夜に人の命に関わるような業種以外のどうでも良い店舗を営業させて無駄な電気を使い放題にするような蛮行を許していないのだ。
日本は、経済発展、民間の利益のために社会の24時間化を推進し、無秩序に24時間営業などを認めている。
節電を優先するならば、深夜の需要などたいしたことないし、労働環境のためにも深夜営業などやめるべきである。
そういうドイツの閉店法の趣旨も取り入れて、徹底的な節電をする覚悟があるのならば、ドイツを見倣っての脱原発も結構なことである。
無秩序に無駄な電気の消費を許している分際で、脱原発だけ主張するなど無責任きわまりないことだ。
日本人も、これまでのような利便性の追求、24時間営業などを求めない覚悟が必要ではないか。
それなのに、一部のバカ政治家どもなどは社会の24時間化に対応するために、公営交通の24時間営業ができないかなどと言っている。
そういう政治家が原発には反対していると、本当に無責任かつ無知だなとつくづく思う。

コンビニが24時間営業していないと、深夜までスーパーが営業していないと、ファミレスの深夜営業がないと不便だなどとあまっちょろいことを言っている人間に、脱原発など言う資格はない。
不便さを受け入れる覚悟があってはじめて、原発反対と言えるのだ。
原発をやめろと言うならば、現状では火力発電に頼っているのだから社会全体での化石燃料の消費を抑えるために自動車利用も極力やめるべだし、24時間営業などもやめる覚悟が必要だ。
通勤電車の蛍光灯を間引くなどという本当にくだらない、節電効果ゼロのパフォーマンスだけで満足するよりも、深夜営業を法律で禁止する方が、よっぽど節電効果を大きいだろう。

結局、自動車社会には疑問を持たず原発反対の声だけが大きくまかり通る理由は、日本で自動車関連産業に従事し生計を得ている人は100人に1人はいるが、原子力関連産業に従事し生計を得ている人は千人か1万人に1人しかいないから、原発反対は世論になっても、自動車社会に疑問を持つ声は出ないというところが答えなのだろう。
民意なんて所詮、その程度。
そして、電気は何で発電しようが有りさえすれば個々には困らないが、自動車を放棄することは個々に重大な不利益があるからというところなんだろう。
そこが自動車の危険性には目を瞑り、原発の危険性に対しては声高になれる所以だろう。

自動車産業の衰退は日本経済に大打撃を与えるだろうが、原子力産業の衰退は日本経済に与える影響は小さく直接国民の不利益にならないことこそが、根底にあるのだ。

そんなことを思っていた今日、小泉、細川の落ちぶれ老害コンビが、脱原発を目指す一般社団法人「自然エネルギー推進会議」なるものを設立するとのニュースが。
あ~あ。  

Posted by よっぱらいくま at 19:42Comments(1)TrackBack(0)政治・社会

2014年04月13日

ワンマン列車と不正乗車

ローカル線では今や、ワンマン運転は当たり前になっている。
しかし、駅の構造や運転システムなどすべてがワンマン対応で作られた鉄道設備での運用では問題がないが、運転士と車掌がいて成り立っていたシステムの鉄道がワンマン運転を導入すると無理が出る。

近鉄から養老鉄道となった大垣と揖斐・桑名を結ぶ養老線もワンマン化など合理化を進めてきた。たまにボランティアを称する乗務員?が乗ってきっぷを売ったり駅で集札もしているがいたりいなかったりだ。
ボランティアを使うという涙ぐましい努力をしているとも言えるが、そこで見られる光景に無賃乗車がある。
大垣-揖斐間で言えば、大垣がすべての出入り口となる乗客の流れがほとんどであるが、途中駅で降車する場合、先頭の運転席後ろの料金箱にきっぷを入れたりお金を入れたりするようにはなっているが、まったく機能していない。
3両編成だが、全駅ですべてのドアを開けて乗降可能だ。
駅出入り口が列車後部付近にあれば、わざわざ先頭までなんていかない。きっぷは駅の集札箱に入れることになる。
大垣駅は当然、有人であり、きっぷはチェックされるが、途中駅から乗車して途中駅で降りる場合など、終着の揖斐駅以外の途中駅はすべて無人駅で券売機すらもなく乗車証明書発行機があるだけだから、当然車内精算しなければならないが、降りる駅の出口がうしろにあれば、当然、後ろから降りる。
運転士は乗降客にはまったく関われない。乗客もきっぷを買う機会さえ与えられていないも同然だ。
タダで乗ってくださいと言わんばかりのような体制なのだ。
大垣手前の室駅や北大垣駅などでは、降車の際に確信犯的に無賃乗車をしている高校生の姿も見られる。
タダ乗りできると、慣れっこなんだろう。

豊橋鉄道渥美線も同じく3両編成であるが、運転士と車掌が乗務している。
沿線は無人駅がほとんどであるが、車掌が効率よく車内を回り、乗車券の発券や停車する駅では必ず駅出口付近に移動して、ドアが開くと同時に降りてきっぷをチェックしている。
ドア扱いは運転士がするシステムとなっているので、車掌は車内巡回と停車駅での集札に専念できる。
しっかりと運賃を徴収するシステムが確立されている。
それに全駅でICカードも使用できる。養老鉄道はそれもない。

もともと車掌がいた鉄道で、3両編成もあるような鉄道で、ワンマン化は不可能なのだ。

そういうことから、養老鉄道のような運営をする鉄道においては、私は無賃乗車する者を100%否定する気にはなれない。
このような行為を、コスト削減のために人員を減らして、運賃の収受体制に不備が生じることを黙認している方が問題なのだ。
運賃の取りこぼしを防ぐために余計な人員を配置するよりも、多少取りこぼしがあっても、その方が余計なコストがかからないとの計算なのだ。
要するに、鉄道事業者側の管理責任の放棄なのだ。

そこにどんな問題があるか。
それは、ちゃんと運賃を支払っている利用者との間の不公平を招いているという重大な問題がある。
そして、社会正義に反する行為を黙認あるいは助長しているという面もある。
儲けのためなら多少の損は仕方がないという考えは、公共事業者としての鉄道会社ではやめていただきたい。
それなりの人員配置をして、不正を防止し乗客間の不公平をなくすことも、企業の社会的責任ではないか。
養老鉄道はあまりにも杜撰な体制であるとしか見えない。

それと、以前、飯田線のICカード圏外の無人駅で、ICカードで乗車してきた客が大量に下車しようとしたため、発車が1時間以上遅れたというニュースがあった。ICカードシステムの欠陥が出た形だが、豊橋から近傍の駅でも未だ、範囲外だ。私ももしかしたらろくに調べずにカードで乗って行ってしまいそうな駅だ。
それでも、列車を精算のために1時間以上も止めるという判断もすごいというか、異常だ。
JR東海も、JR西や東のように、無人駅にもICカードリーダーをもっと設置していけばこんな問題は起こらないのに。
合理化というものがどこまで許されるのだろうか。  

Posted by よっぱらいくま at 15:03Comments(2)TrackBack(0)政治・社会

2014年04月13日

三河田原駅 ホーム増設工事中

 三河田原駅構内の線路増設が、形になってきました。

 先週はまだ枕木が置いてある状態でした。



 現在、レールもひかれてほぼ完成形です。




 まだ、架線はありません。

 ホーム屋根に発着案内も新設されました。
  

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2014年04月10日

高速料金 値下げの終焉

この春から、民主党政権以前の自民党政権で始まった、経済対策をうたった高速料金の値下げがついに終わりに近づいてきた。
理由は、税金を投入した原資が底を尽きたから。
平日割引も廃止され、休日割引も段階的に割引率が下がる。
通勤割引も制度が変わった。

社会実験と称した無料区間とか、休日1000円などという究極の愚策は、東日本大震災を契機にやめていた。
あまりにも無理、矛盾があったことの証明だ。

莫大な国費、税金を投入して、民間会社である高速道路会社の経営に介入して高速道路の料金を下げるという愚かな行為で、誰が得をしたのか。
それは自動車利用者だけである。
自家用車で高速を利用する人間のための税金投入を、税金の無駄遣いという批判がなぜ出なかったのだろうか。
結局、国民もマスコミも、自動車大好きだからというほかない。
どんな経済効果があったのだろうか、まったく可視化されていないし、明確な説明もない。

休日1000円などは、JR四国などをはじめとした鉄道利用が減ったり、フェリー航路の廃止を招いたり、無駄な利用が増え渋滞も増えてCo2の大幅な排出増加などを招いただけではないか。
もう忘れ去られているが、そのようなことも当時は報道されていた。

投入した税金以上に、日本経済に貢献し国民生活の向上に寄与し環境保全に貢献したという明確な証拠があれば、再度税金を投入して続ければよいではないか。
値引き継続ができないのは、結果が伴っていないことの証明だ。良い結果が出たどころか悪弊しかなかったのが答えだ。
クルマの存在が環境面でメリットになることなどある訳ない。
政治家は誤魔化さないでいただきたい。国交省の役人は説明責任があるだろう。
愚かな国民は、高速料金を値下げして文句言う奴はいないだろうと、結果なんて説明する必要ないと思っているのだろう。

経済効果をうたい結果、無駄な自動車利用を増やして温室効果ガス、Co2の排出を促進しておいて、一方では何が地球温暖化防止だと言いたい。
原発を止めて火力発電が増加しているのに、自動車利用はそのままにしておいて、何がエコだの節電だと言いたい。
原発反対を唱える人間は、自動車利用をやめて公共交通機関だけを利用するような覚悟を持つべきだ。
そういうことにはマスコミもまったく気がつかないし、決して言わない。

値引き当初は、高速のSAなどの売り上げが増えたとか、観光地の人出が増えたとか、どうでもよいことしか報道されなかった。
それを日本国への経済効果が大きかったなどという結果が伴ったのか、バカもやすみやすみにしろと言いたい。

結果は、自動車利用者、自動車業界を甘やかしただけではないか。
それでも、自動車業界等は自動車への課税は大きすぎると、自動車諸税の減税や廃止を叫ぶ。
そして、選挙目当てのバカ政治家も、そういう声に乗る。
自動車業界しか見えない、トヨタの下請企業愛知県のバカ知事が良い見本だ。

自動車というあれだけ便利で身勝手なものを自由自在に24時間も勝手に利用することができるために、道路整備を始め道路網の維持管理に費用がかかると考えているのか。
自動車にかかる社会的費用をすべて自動車利用者が払う税金だけで賄えるわけではない。
広く国民が納税している税金で賄われているのだ。
トラック業界とか自動車関係団体が、自動車税の負担軽減をなどと言っているのを聞くと、自動車業界の偏差値は本当に低いのだと、改めて思う。
そういう意味、政治家もバカが多い。

私も月数回、高速を利用するが、この4月から料金が上がって驚いた。
しかし、やっと元の定価に戻っただけだ。
これで、高速本来の機能が取り戻されてほしい。
高い金を払っても快適に早く移動できるというものに。

4月になってから、東名高速も通行量が減った気がするが、気のせいだろうか。
早朝だったが、常に前後左右がクルマに囲まれる暫定3車線区間で、前後左右にまったくクルマがいない瞬間が何度もあったので。

4月は消費税増税のどうでもよいニュースばかりで、高速料金制度が変わったという新聞やテレビ報道は、一度も見なかった。
マスコミも消費税ばかりに目がいっていた。マスコミもその程度ということ。
  

Posted by よっぱらいくま at 21:04Comments(1)TrackBack(0)政治・社会

2014年04月10日

三陸鉄道全線復旧 鉄道と道路 復興の不公平

三陸鉄道が全線で復旧した。
まずはめでたい。
かたや、JRの宮古~釜石間は未だ、復旧の見通しはおろか復旧工事すら始まっていない。
その問題点をマスコミは取り上げない。

三陸鉄道は第三セクターで、独力での復旧工事は不可能との理由で、国費による復旧工事が行われた。 
JRは、莫大な工事費の捻出に二の足を踏んでいる。
国は、JRは黒字経営で資金力もあるという理屈で、国費負担を拒んでいる。
国交省幹部のコメントに、がっかりした。
もっとも国交省は、政治家の判断次第なのだから仕方ない。
世間に、官僚主導打破だのなんだの世迷い言が流れているが、所詮官僚は、政治判断がなければ動けない。
官僚主導打破などと叫ぶバカ政治家に金を貸して、だまされたと騒いでいる大金持ちも、同類のバカである。
同類相哀れむを絵に描いたような、滑稽な騒ぎである。

交通インフラの震災復旧に、経営側が黒字だとか赤字だとか体力があるとかないとかは、まったく関係ないと断言する。

公共交通である鉄道の復旧のために、復興予算をつぎ込んで、とっとと鉄道という社会インフラを復旧させろと言いたい。

JR東は大船渡線などをBRTとかいう半端な手法で仮復旧させている。最低限のカネしかかけないという姿勢だ。
こんな邪道な方法ではなく、国費をつぎ込んで元の鉄道を復活させるべきである。

道路インフラは、国費をつぎ込んで、復興道路だのなんのと、従前よりも立派な道路を乱立させているではないか。
なんて、鉄道には冷たい国なんだろう、日本は。
道路インフラは、はっきり言って、震災のおかげで焼け太りしているのが現実ではないか。
復興のために被災地の高速を一時無料化とかしたけれど、道路とクルマに対して甘やかしすぎだ。
被災地の高速料金を免除するなら、被災者に対しては地域交通の鉄道やバス、そして東北新幹線も国費負担にしてタダにしてやれよと言いたい。

三陸鉄道の全線復旧のニュースを見ていて思った次第です。
しかし、三陸鉄道復旧もNHKのあまちゃん効果便乗の浪花節的報道ばかりで、うんざりしたのも事実です。
  

Posted by よっぱらいくま at 20:54Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2014年04月06日

ビッグブレックファスト

マックからビッグブレックファストという新商品が出たので、買ってみました。



こんな感じです。
ソーセージマフィンが分解されたようです。
そして、スクランブルエッグが真新しいです。
これ、火加減とか難しいはずなんだけど、買うときに焼くのにお時間いただきますって言われました。
ファーストフードでは調理人の腕の差は絶対でないようにされているはずだけど、どうやって作っているのかな。

500円くらいで、コーヒーMサイズ付くから、まあ、安くもなく高くもない感じです。

味は普通においしかったです。
スクランブルエッグが結構自然でおいしかったのが、以外な感じでした。

  

Posted by よっぱらいくま at 16:23Comments(0)TrackBack(0)食べ物

2014年04月05日

備後落合駅

広島県にある、芸備線と木次線の分岐駅である備後落合駅。
私の好きなベスト3に入る駅です。

昔はホームに売店があって、弁当とかは当然にあって、さらにうどんやそば、そしておでんも売っていたのです。
駅ホームでおでんが食べられたのです。
当然、お酒もあって、とてもよい雰囲気でした。
乗り換え時間に駅前を歩いたりして、楽しめました。
この頃は夜行の急行「ちどり」とかが、深夜の備後落合に停車していたのです。「ちどり」は広島と米子を結んでいました。
昼行数本とと夜行が1往復していました。
今では、夜行列車が芸備線や木次線を走っていたなんて夢のようです。

あまりにも雰囲気がよいので、わざと乗り換えに2時間くらい滞在できるような計画をたてて、過ごしたこともありました。
ホーム売店でビールを買って、ホームで何本も飲みました。
山間の小駅、今はやりの秘境駅というわけではないけれど、列車が来ない間は静寂に包まれます。
夏は蝉時雨の中、つまみには不自由しないし、最高の雰囲気でのビールは最高でした。

そんな備後落合駅ホーム売店もいつの間にかなくなってしまい、もう20年くらい経つのかな。
一度、冬の雪降る中、ホーム売店のあでんをつまみにワンカップの熱燗が飲みたかったなあ。
(あの頃はまだ、日本酒が苦手でした)

現在は、土日などは地元の野菜とか特産品を売る特設マーケットみたいなことをやっているようです。
観光客も結構寄っているようです。


平成元年の写真です。
売店の写真がありません・・・











  

Posted by よっぱらいくま at 15:11Comments(1)TrackBack(0)