2024年07月27日

弁当殻騒動 どこへ捨てる

新幹線が朝から不通となった記事をネットで見ていたら、過去の新幹線の騒動の関連記事が。

要約すると、座席の下に不審物があり乗務員に通報、結果、警察、消防がかけつける大騒動になり、新幹線がストップして何分遅れたとのこと。

たしかそんなことあったなあと思い出しました。
最近は、駅に置き忘れやゴミがあっても不審物扱いされて大騒動になったとニュースが度々あります。

そんなニュースには2種類の意見が書き連ねられています。

ひとつはリスクを最大限考えて、安全を最優先させることが大事、警察を呼んで調べるのは当然という意見。
かたや一方は、いちいちゴミごときで大騒ぎしすぎだとの意見。

前者は、地下鉄サリン事件を持ち出して、どのような劇物が置かれるかわからないから、安全を最優先させて最大限の対応をすることが当然とし、地下鉄サリン事件を知らない世代が増えて、安易に考えていると念を押す。

私は、後者の考えです。
地下鉄サリン事件はよ~く知っている世代ですよ。あんなことが何度も起こるとは思っていません。
そりゃあ、リスクを考えたら前者のとおりだけど、それでは世の中回っていかないよと、ゴミごときが放置されていていちいち警察が出動するのはやり過ぎでしょうと思います。
新聞に、お子さんが電車内に弁当箱を忘れたら、不審物扱いされて警察に回収されたと投書にありました。

リスクをどこまで考えるのか。
最近は職場でも、リスク管理とか称して、あらゆるリスクを抽出して、どのように対応するかなどの作文作りも始まっています。
はっきり言って、私は無駄と思うしそんなもん作るヒマがあるならほかのことやれよと言いたい。
あれ作るのにすんごい時間かかるし、それをトップを含めた管理職がくそ真面目に議論している時間はなんなのか。
あんなもの自己満足の産物、組織のマスターベーションだと馬鹿にしています。

世の中、危険、リスクに囲まれて生活しているのが実態でしょう。

地下鉄サリンのような事件が起こる可能性、確率と、交通事故に遭い死ぬ確率、どちらが高いですか。
サリン事件に巻き込まれる可能性は、宝くじに1億円以上当選する確率よりも、生きていてこの先、かなり低いんじゃないのかな。
高速道路を大型トラックに囲まれて時速100キロで走行する方が、死ぬ確率ははるかに高いはずなのに。
日頃の道路交通も含めてみんな平気で歩き、自転車に乗り、クルマに乗っているじゃない。
交通事故の危険性、確率は、車内のゴミが劇物である確率よりはるかに高いのに、そんなことには何も心配せずにみんな生活しているじゃない。

どの家庭にも包丁はあるし、それを使って人を刺し殺すこともいつでもできるのに、包丁があることが危険だと言いますか。
よって、私はゴミごときでいちいち騒ぐなという考えです。


さて、弁当殻、ゴミを座席の下に置くと大騒ぎとなる昨今。
地下鉄サリン事件よりもはるかに昔を知っている世代としては、昔は弁当殻は座席の下に置いてください。というのが常識だったんですよと言いたいです。

駅弁の包装紙、昭和40年代物は私も小学生だったのでコレクションがありませんが、昭和50年代から平成一桁時代まではこんなふうに書いていました。


「恐れ入りますが食べ殻はひもで結んで腰掛の下にお入れ願います。」

腰掛けの下一択です。

「たべがらは屑もの入れか、腰かけの下に置いて頂ければ整理いたします。」


「お願い・お召し上がり後の空箱等はひもで結び備え付けのくずもの入れか腰掛けの下にお入れ下さい。


「列車内お召し上がり後はくずもの入れ(又は腰掛けの下)にかたずけて頂きますと大変たすかります。」


ここまでは、座席の下か屑入れの二択です。


「空瓶・空箱は外へ投げずにちりかご又は屑入れにお捨てください。」

いやいや、外へ投げるのはこの時代でも論外だろと、突っ込みました。


かように、昭和世代の常識は、食べ終わった駅弁の殻は、座席の下へ置くのは当然だったのです。
80代以上の、ごくたまにしか新幹線とかに乗らないお年寄りが、座席の下に駅弁の殻を捨てることは今でもあるかもしれませよ。
だから、座席の下に弁当殻が入ったビニール袋が放置してあるのを見て、中身がわからないとの理由で通報する人がいるということ自体、信じられないのです。
そしてそれを真に受けて、不審物の可能性を考慮していちいち電車を止めるなよということです。

それともうひとつ、昔の駅弁にはこんな記載も多いのです。
「お気づきの点は鉄道係員にお申し出ください。」

弁当業者だけではなく、国鉄は駅弁にも責任を持っていた証です。
今、新幹線の車掌や駅員に、駅弁の苦情を言っても、弁当業者に言ってくれと相手にしてもらえないでしょうね。

そして、弁当殻を座席の下なんかに置いたら、JRとしては清掃の手間を考えたら迷惑千万、絶対にやめてくれでしょうね。
そういう意味でも、鉄道会社は駅弁ついて今は何も責任を持っていないということです。
逆に、JRは車内の放置ゴミに対して過剰反応するのは実は、ゴミをちゃんとゴミ箱へ持っていくようにさせる方策かもしれないと勘ぐりたくもなります。放置したら大騒ぎにするぞとの警告の意味があるのかもね。


列車トイレの表示「停車中は使用しないで下さい」、この意味、わかる人もきっと減っているのでしょうね。

  

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2024年07月14日

北陸本線 筒石駅

昔の北陸本線時代、1990年の、筒石駅の写真です。










駅は頸城トンネルの地下深くにあり、地上には案内標識があります。
国道近くには駅まで800メートルとあります。





あと100メートル>



突如、山の中に駅舎だけが現れます。
当然、線路はありません。





最近は上越線の土合駅同様、有名となり見物客も多いとか。

えち鉄の糸魚川駅で買った現在の入場券と、当時の入場券はこちらの最後の方にあります。
当時は駅で買えました。






  

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2024年05月25日

西川越駅、的場駅

川越線、西川越駅と的場駅、昭和57年頃と、現在のストリートビューです。












的場は昔のままです。

  

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2024年05月25日

川越線 南古谷駅今昔

GWに片付けをしていて、未スキャンのネガを発見。
川越線南古谷駅の昔の写真。
昭和52年頃だと思います。
電化、埼京線直通なんて夢のまた夢の頃です。
付近にマンションなんて皆無でした。




現在のストリートビューはこちら。

  

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2024年05月12日

懐かしのしらさぎ

平成一桁時代の写真です。





  

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2022年11月06日

川越駅 今昔

やぼ用があり、私の第2の故郷である川越に行ってきました。

これまでもブログに載せた、過去写真の場所で撮ってみました。
こちらが再掲の昔の写真。
1979年頃?です。



現在の川越駅ホームにて、見当をつけてこのあたりかなと。


昔の写真の電柱の左背後に写っている職員事務室らしき小屋が、現在も同じ場所に残っているではありませんか。
記憶を頼りに、同じ構図での撮影に成功です。ちょっと感動です。



西口駅舎です。
これは1982年頃。


背景に写るマンションは現存していますが、現在では、


同じ場所とは思えませんね。


1985年(昭和60年)10月の川越線電化開業はこちらこちら
  

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2022年08月07日

星陵高校 団体専用列車

高校野球、星陵高校がボロ負けしてしまいました。

それで思い出した昔の写真。
敦賀-新疋田間の超有名撮影地です。
松井選手が在籍していた頃のはずです。

星陵高校、JRの団体専用列車で応援団を輸送していました。
アルバムの前後関係から推定、1992年です。

EF81牽引の客車に485系ボンネット。
専用ヘッドマークまで作成して、豪華ですね。
今はバス移動なんだろうなあ。



  

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2022年07月18日

北陸本線 セクション付近

米原から数駅の田村-坂田間には昔、交直セクションがあり、交直両用電車以外は田村-坂田間は気動車か、客車は短区間だけディーゼル機関車が牽引、田村駅構内で電気機関車との交換をしていました。

米原から客車に乗ったときのもの。
先頭で撮影したもの。こんな風景、今は撮影する機会もないですね。
今は米原-長浜間は新快速が毎時2本は乗り入れているけれど、この頃は2~3時間に一本くらいしか走っていませんでした。
駅付近の風景といい激変しました。


ディーゼル機関車が離れていく。


交流電気機関車、EF70が連結される。


湖西線との接続駅、近江塩津では、湖西線の永原までの区間に交直セクションがあったので、この区間の普通は気動車接続が大半(すべて?)でした。



  

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2021年10月31日

昭和50年代 東京

昭和50年代、高校・大学のとき何気なく撮影した、東京の景色。























  

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2021年01月31日

大垣夜行廃止の報を聞いて

ついに、東京-大垣間の夜行鈍行が廃止となるそうです。
新聞などでも思い出話しがとりあげられています。
私も大垣夜行には思い出がいっぱいです。

私にとっては、347M、375Mといった列車番号での呼び方がなじみ深いです。
初めて乗った高校生から大学生にかけては347Mだったです。ダイヤ改正で375Mになったと思います。昭和55年から60年頃のことです。
その他にも「ガキ電」、「大垣夜行」とか言われていました。私は、鉄道仲間との会話では「347で行こうか」とか言うのが日常でした。

1996年、平成8年3月、165系での運用が終焉を迎える372M東京行きを、大垣駅で撮影した写真です。私にとっての165系での運用での大垣夜行最後のお名残乗車でした。
特に混むこともない、普段通りの姿でした。






先頭車には急行東海用のヘッドマーク取り付け台がそのまま。






大垣夜行165系での運用が終わるのと合わせて、急行東海も165系での運用は終わりとなりました。
165系での運用での最終日には、静岡から急行東海4号にお別れ乗車しました。

同日、165系運用での最期の大垣夜行の発車を、品川駅で見送りました。






1996年3月ダイヤ改正から、165系から373系特急車両に代わり、東京発車時点では全車指定席となりました。
居住性もよくなり、自由席を求めて早くからホームで並んで待つ必要もなくなりました。
その後、185系での運用になったり、晩年は青春18きっぷ用の季節運転となり現在に至っていました。
そしてこのコロナ渦の中、昨年3月以降は運転休止が続いていたとのこと。
お別れイベントもなく、そのまま廃止とは、なんかむなしくなりますね。

実は私、この1996年ダイヤ改正以降、大垣夜行には一度も乗っていません。
なんか、165系じゃないと大垣夜行ではないという強い思い、頑固な考えがありました。
165系運用の廃止からもう25年、四半世紀も経つんですね。

私にとっては、1996年の165系での運用の廃止が、大垣夜行、347M、375Mの廃止だったんです。

JRは廃止の理由を「客の行動様式の変化で、列車の使命が薄れた」、「車両の老朽化」をあげているけれど、要は利益追求の足かせとなっているのが本音でしょう。
たしかに185系の廃止は理由として大きいでしょう。
夜行バス全盛のこの時代でも、サンライズ出雲・瀬戸の需要は高いし、実際いつもほぼ満員の状態。大垣夜行は深夜帯の静岡や浜松駅を開けなければならずそのコスト、そして季節運転だから、その要員運用とかも面倒だったのでしょう。車両ならいくらでも代替があるはずです。
指定券が安いから、一人でも隣の席の指定券も確保するような輩も多かったと聞きます。

夜行列車の需要は間違いなくあるのに、廃止していくのは「客の行動様式の変化で、列車の使命が薄れた」のではなく、ただただJRの都合と思います。列車運用、乗務員運用、停車駅の要員確保等々、1本の夜行鈍行のための、手間とコストが大きすぎるのが現実で、それが廃止の理由だと思います。
JR東日本と東海をまたがって走るところも廃止要因としては大きいと思います。
ブルトレが廃止されたときも同様の言い訳をしていたけれど、もしブルトレが何本も健在だったら、高輪ゲートウェイ駅も上野東京ラインも難しかったでしょう。客が減ったのではなく、JRの都合で廃止されていくのです。

国鉄がJRに変わる前、政府は「夜行列車はなくしません」、「不便になることはありません」と約束していたのに、これが現実。政治というものはまったく信用できません。ま、JRは民間会社だから、こうなるのは自明の理でしょうね。




  

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2020年05月01日

昔の米原駅

「昔の」としたけれど、私にとっては、つい最近の気がしますがもう相当前のことです。
前にも載せた写真もありますが・・・。





新幹線口と反対側の東口は、昔のままでした。
平成一桁まではこんな感じでした。

夜の駅前風景。なんとレトロな。








東海道本線下り1番線は、新幹線の開業前は、「つばめ」が通過したり、「はと」が停車してにぎわっていました。
ホームには洗面台もあって、往時の雰囲気が残っていました。
今は跡形もありません。

乗換通路も今はありません。










東海の117系と西の117系が並びます。
その奥は北陸本線の交直両用車と西の221系が。




SL北びわこ号の歴史は結構、古いです。



  

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2020年04月19日

昭和の品川駅にて

 鉄道ジャーナルで品川駅を特集しています。

 それを読んで、昔の品川駅で撮った写真を探しました。

 川崎方にて、早朝から到着するブルトレです。


銀河


瀬戸


あさかぜ


みずほ



東京方にて、品川客車区を望む。
今は高輪ゲートウェイ駅前の再開発エリアのあたりかなあ。





新幹線に品川駅ができる前、0系が当たり前の時代。


品川駅臨時ホームでビアガーデンが開催されていたお話はこちら


  

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2019年06月09日

国鉄型 駅名標 四国編

国鉄型駅名標、四国編です。
少ないです。

本州編はこちら

北海道編はこちら

九州編はこちら



高徳線




高徳線




土讃線

  

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2019年06月09日

国鉄型 駅名標 北海道編

国鉄型駅名標、北海道編です。

本州編はこちら

九州編はこちら

四国編はこちら


函館本線
滋賀県のマキノと同じく、カタカナ地名、駅名です。





根室本線




広尾線(廃止)
幸福駅入場券や、愛国から幸福行きのきっぷが一大ブームとなりました。





広尾線(廃止)




士幌線(廃止)




宗谷本線




士幌線(撮影時 鉄道は休止 バス代行)




函館本線




広尾線(廃止)




根室本線




三菱石炭鉱業  大夕張鉄道線(廃止)




富内線(廃止)




函館本線




瀬棚線(廃止)




白糠線(廃止)




石北本線、釧網本線









名寄本線(廃止)



夕張線(廃止)




函館本線




地北線(廃止)




釧網本線




標津線(廃止)




湧網線(廃止)




釧網本線(現 川湯温泉)




名寄本線(廃止)
仮乗降場駅です。



国鉄駅名五十音順、最後の駅です。

  

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2019年06月09日

国鉄型 駅名標 九州編

国鉄型駅名標 九州編です。

本州編はこちら

北海道編はこちら

四国編はこちら



肥薩線



肥薩線



肥薩線



肥薩線



肥薩線
肥薩線の人吉-吉松間は日本三大車窓と言われていました。





日田彦山線、(伊田線、田川線 現 平成筑豊鉄道)



日豊本線
日本のアメリカ USAです。




日豊本線



鹿児島本線



長崎本線



筑豊本線、篠栗線



日田彦山線、後藤寺線



日豊本線



佐世保線



高森線(現 南阿蘇鉄道)



矢部線(廃止)



佐世保線



妻線(廃止)



三角線



唐津線、筑肥線



鹿児島本線、日豊本線



室木線(廃止)



篠栗線



指宿枕崎線



妻線(廃止)



香椎線



鹿児島本線



勝田線(廃止)




宮原線(廃止)



日豊本線



筑豊本線



宮原線(廃止)



長崎本線、佐世保線



松浦線(現 松浦鉄道)



佐世保線



宮原線(廃止)



久大本線



日豊本線



宮原線(廃止)



指宿枕崎線、鹿児島交通




日豊本線



鹿児島本線、山陽本線



鹿児島本線


大隅線(廃止)



  

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2019年06月09日

国鉄型 駅名標 本州編

国鉄民営化から30年以上過ぎて、今や絶滅したと思われる国鉄時代の駅名標を集めました。
今はこういう研究も鉄道趣味の一分野になっています。
それでは一挙大公開。昭和50年代の撮影です。
まずは本州編。


湖西線
まずは珍しいところから。
滋賀県のマキノ。珍しいカタカナの地名をそのまま駅名に。ひらがな表記が標準なので、下の漢字であるべきところはカタカナ。


こちらはカタカナのみの表記です。



東北本線(現 IGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道)
東北本線の県境の小駅。現在は、IGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道の境界駅ですが、この駅始発終着列車はありません。


以降はランダムに並べます。


小海線


山陽本線


常磐線、成田線





富山港線




山陰本線



高崎線、上越線、信越本線



東海道本線



東北本線(現 IGRいわて銀河鉄道)



木次線



信越本線(現 しなの鉄道)、小海線



小海線



信越本線(現 しなの鉄道)



総武本線、東金線



篠ノ井線



東北本線



川越線



外房線、東金線



中央本線



信越本線


八高線



東海道本線



奥羽本線



北陸本線(現 IRいしかわ鉄道)


九州編はこちら

北海道編はこちら

四国編はこちら
  

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2019年04月20日

懐かしい写真 ブルトレ他


柏原-近江長岡間



金谷-菊川間



関ケ原-柏原間



大垣駅 (三脚使用)



穂積-大垣間



山陰本線のどかの駅



同じく山陰本線のどこかの駅

みんな30年くらい昔の写真。
窓が開く、冷房のない客車列車での旅、よかったなあ。  

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2019年04月14日

懐かしい写真 新幹線

ヒマになると、
ハードディスクに保存してある、スキャンした昔のネガを眺めています。

そんな中、懐かしいなあと思うものをランダムに載せます。




100系新幹線、背後にはひと世代前の東京駅丸の内駅舎が見えます。
私はこの東京駅を見ながら長いこと生きてきたので、現在の初代デザインよりもこちらの方が馴染みがあります。
東北新幹線ホームも工事中です。





0系って、かわいいですね。



柏原-近江長岡間にて
0系と100系のすれ違い。

平成が始まった、元年に撮影。
30年の時を経て、令和が始まります。  

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2018年07月01日

熱海駅 新幹線今昔

熱海駅で新幹線を撮った写真が出てきました。
平成8年頃です。
あの頃は、0系、100系、300系が仲良く共存していました。
もう20年以上前なのですね。ほんの少し前のような気がしますが・・・。








こちらは1ケ月ほど前に撮影したもの。
昔の写真では、ホームには売店も弁当売り場もあることが確認できますが、現在はすべてありません。

  

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2018年04月15日

旧型電機

国鉄時代の車両がいよいよ全滅に近くなってきました。
この歳になって、昔の貨物列車に懐かしさをとても感じます。
もっと記録に残しておけばよかったと、後悔です。

昭和53年頃、東北本線 大宮-与野間でとったものです。
58、15などが元気に走っています。














こちらは、東海道本線 茅ヶ崎-平塚間です。

  

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