2020年03月21日

小豆島の旅

 人生初のサンライズ瀬戸乗車で高松へ到着後、これまた人生初の小豆島へ行きました。



 高松港から池田港行きのフェリーに乗りました。
 乗船後すぐに、船内売店のうどんを朝食で食べました。
 高松駅で食べたかったけれど、連絡線うどん店はまだやってなく、朝食を摂り損ねるかと思ったけれど、船内にあってよかった。



 船尾にはパンダのイラスト。





出航、ちょっとだけ、青函連絡船の出航風景を思い出しました。




高松を離れていきます。船旅いいなあ。






池田港フェリーターミナル。
バスの一日乗車券を購入。



池田港近くで出会ったカエルさんたち。




30分くらい池田港付近を散歩して、土庄港行きのバスに乗りました。
土庄町には、世界一狭い「土渕海峡」があることで有名?らしいです。





海峡横にある土庄町役場で「横断証明書」がもらえます。
台帳付きで200円也。



次は「迷路のまち」へ。
路地裏が多い島特有の道です。














迷路のまちを散策して、約2キロ弱歩いて土庄港まで行きました。
二十四の瞳の像



土庄港




土庄港観光センターでまた、うどんの昼食を摂ってから、福田港行きのバスに乗りました。
土庄から福田港まで約1時間、小豆島をほぼ西から東へ縦断する形です。
バスは若者の旅行客で満席、立ち客も出るほどでした。
その旅行者の大半は、オリーブ園で下車して、車内はガラガラに。

福田港で降りた人は私のほかに2人だけ。その2人は姫路行きフェリー乗り場へ急いで行ったようです。
土庄が都会なら、ここは鄙びた田舎、のどかです。観光客の姿はありません。



海の水がきれい、透き通っています。






次は大部港へバスで向かいます。
バス停横にはこんな魅力的な店が。うどんもあるようです。
土庄港で昼食にうどんを食べていなかったら入ったのに。




バスが来ました。よく見えないと思うけれど、行き先表示が「すいません回送中です」ってあります。
福田港が始発です。



観光客は島の東部は訪れないようで、乗客は他に一人だけです。


大部港へ到着、次は日生行きのフェリーに乗って、島を離れます。



フェリー乗り場はバスを降りて5分くらいで着きます。





鄙びたターミナルの2階は待合室と売店、食堂跡が。
時間が止まったような昭和の風景。



食堂は閉鎖されてそれほど日は経っていないように感じました。



昭和の雰囲気と、魅惑的なメニューが貼っています。
食べたかったなあ。



ターミナルの隣には喫茶レストランがあって、そこは営業中でした。
ナポリタンを作っているような、いい匂いがしてきました。




大部港を出航。
もともと、サンライズ瀬戸に乗るためのついでの小豆島訪問で、短い滞在時間でしたが、なんとなく名残惜しく感じました。
最近は旅に出ても、若い頃に比べて帰りが名残惜しくなる感覚もなくなってきました。これも船旅の魅力かな。













日差しが心地よく暖かだったので、約1時間の所要時間のうち半分以上、外で過ごしました。

日生港に到着。
徒歩での下船は、私ともう一人だけでした。あとはみんな、バス、自動車、バイク、自転車、そしてトラックでした。





日生港は、日生駅の目の前です。



日生駅は、以前、片上鉄道が廃止直前の頃、ついでになんとなく海が近いという理由で来て以来です。
あのとき、目の前に小豆島行きのフェリー乗り場があることを知って、いつかここから小豆島へ行ってみたいものだと思っていたのです。
あれから20年近く経ってしまいました。
今回、大部港から日生行きりフェリーを選んだのは、そんな理由からです。

昔は鉄道に乗ることしか頭になく、今回のような旅は選択肢から外れていました。
昔だったら、四国内の鉄道に乗りまくって、帰りも瀬戸大橋経由で帰ったんだろうなあ。

播州赤穂行きは115系ボックスシート車です。
なんて懐かしい、山陽地区にはまだ健在なんです。



このあとは、播州赤穂で野洲行き新快速に乗り換え大阪へ、途中下車して新梅田食道街で一杯(いっぱい)ひっかけて、新大阪から新幹線で名古屋へ帰りました。


Posted by よっぱらいくま at 15:42│Comments(0)TrackBack(0)旅行記

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