2014年08月27日

発掘 古時刻表

 物置(ロフト)の整理をしていて、ついでに学生時代の時刻表を探しました。
 前々から探そうとは思っていたものの、面倒でやっていませんでした。
 汗まみれになって、ようやくそれが入っている箱を発見しました。

 今、古本屋で2000円で売っているものも出てきました。
 やっぱりとっておいてよかった。
 ちゃんと整理して、いつでも手に取れるようにしなければと誓いました。
 貴重なお宝を今までお蔵入りさせていたことを後悔しました。

 これで今後、新たなブログネタにもしようと思います。

 出てきた時刻表の一部です。



なんであるのか覚えていません。1973年はまだ私は小学生。
まだ昭和の時代にでも、タダ同然で古本屋で買ったかして手に入れたのか。
それとも親が買ったものか。その可能性は低いです。




たぶん、東京近郊区間大回り乗車をするための計画作りのために買ったものと記憶します。
中学2年生のとき。




房総半島への家族旅行のときに買ったものです。




やっぱり、東京近郊区間大回りのためかな。
この表紙はかなりインパクトがあって、よく覚えています。
交通公社の時刻表は、この頃から、表紙写真が鉄道車両から駅や人がテーマの写真に変わっていきました。
近所の古本屋で2000円で売っています。




高1の夏、両親と九州への帰省で使ったもの。縁をセロテープで補強しています。
この頃から、ワイド周遊券を使った、本格的な鉄道旅行を始めています。




高2の夏、初めての本格的な一人旅。ワイド周遊券を20日間、フルに使って夜行連泊を繰り返して九州を回ったときのもの。この年の10月改正で、富士が西鹿児島行きから宮崎止まりとなり、24時間を超えて走る列車がなくなったのでした。だから、この旅行の目的のひとつが、富士に乗って西鹿児島まで乗りとおすことでした。
九州のページの縁が、手垢で黒く変色するほど使い込んだ時刻表です。
人生、そこまで使い込んだ時刻表は、このあと今までありません。
表紙を見て特筆すべきことは「冷房のある臨時列車」の文字。そうなんです。この頃はまだ通勤電車から地方の普通列車、急行列車でも、冷房はまだ普及途上で、非冷房は当たり前だったんです。特に臨時列車は古い旧型車両での運用も多く、多客期でも敬遠されていたので、時刻表で「冷房がある」とうたってアピールしていたんですね。
空調完備の、窓の開かない通勤電車も多くなった今の時代では考えられなくなりました。
今は逆に、窓を開けて外の風を受けて乗れる列車の方が貴重です。



上記のダイヤ改正のため、買ったのでしょう。




高3の夏、初めて北海道へ行ったときのもの。
14系十和田号に乗り、盛岡で降りて東北本線を途中下車を繰り返して、一日かけて青森に着きました。
深夜0時台の青函連絡船は超満員で、私はいったん乗った青函連絡船から降りて、次の深夜2時台の臨時便に乗ったのでした。そのため、私がいったん降りた便にも乗船名簿はあったことになります。もし、沈没していたら、私の扱いはややこしいことになったことでしょう。
午前2時の臨時便はがら空きで、青函連絡船の魅力の虜となってしまったのです。
この旅行の帰りの青函連絡船の中で私は、青函連絡船が廃止となるときには、その時にどんな立場にあろうが絶対に立ち会うと誓ったのでした。それを果たすこともできました。




ダイヤ改正だから買ったのでしょう。
今は3月だけど、この頃は10月大改正が一般的でした。




大学1年、鉄研夏合宿のときのです。
飯田線が目的でした。東京駅集合で347M大垣行きに乗ることが先輩からの命令でした。
大垣まで乗って、柏原-近江長岡で撮影してから、飯田線に乗るため戻りました。懐かしいなあ。




大学2年鉄研夏合宿のときのものです。
北陸方面が目的でした。やっぱり大垣夜行で行きました。好きだから。
宿は金沢でした。


私は旅行に行く際に持参する時刻表は、セロテープで表紙と裏表紙の縁を破れないようにセロテープで補強しています。
だから、旅行に持っていったものと、そうでないものが一目瞭然です。
今でもそうしています。
どこかで、列車や駅で、セロテープで補強した時刻表を持っている人がいたら、それは私かもしれません。

今度は中身について語りたいと思います。
  

Posted by よっぱらいくま at 20:44Comments(0)TrackBack(0)昔の時刻表

2013年12月01日

時刻表1979年10月号その3

 東北方面を見て。
 ふと、常磐線上りのページに目がいきました。
 最初から、「ゆうづる2号」に始まり4号、6号、8号、10号、12号と6本もの寝台特急が並んでいます。なんて壮観なんでしょうか。間をおいて14号まで、なんとすべてが定期列車、上野ー青森間に7往復もの「ゆうづる号」が毎日走っていたのです。東北本線も合わせれば、「はくつる」もあります。上野ー青森の寝台特急は、常磐線経由の「ゆうづる」が主力でした。そのかわり、東北本線には奥羽本線を通り秋田方面へ向かう「あけぼの」をはじめ急行「津軽」らが福島から合流します。仙台発着の「新星」、盛岡発着の「北星」などの寝台列車、そして急行「八甲田」もあるので、東北本線も夜行列車で賑わっていた。常磐線の夜行急行も「十和田」が定期2往復に季節運転1往復の計3往復走っていました。
 新幹線開業前は、たくさんの夜行列車が東北本線、常磐線を走っていました。
 昼行列車も主力の青森発着の「はつかり」、盛岡発着の「やまびこ」、仙台発着の「ひばり」に、秋田発着の「つばさ」、山形発着の「やまばと」が、急行は「まつしま」、「いわて」、「ざおう」、「ばんだい」、「なすの」、「にっこう」とかその他多数の、もう本当に優等列車が10分間隔くらいで東北本線を疾走していました。特急はほぼすべてに食堂車がありました。
 急行が普通を抜き、特急が急行を抜きと、複雑なダイヤ編成で、時刻表を読む楽しみは格段に上でした。
 その分、東北本線の上野口などは、今でいう「宇都宮線」なんかの普通電車の本数はとても少なかったです。私は「東北本線」を「宇都宮線」と言ったりするのは嫌いです。今でも強情に「東北線で大宮まで行って・・・」とか言っています。
 同様に東海道本線のことを「琵琶湖線」とか「京都線」、「神戸線」とか言うのも嫌いです。これJR西が言う通称だけど、東海道新幹線の中の放送では決して使わないんですよね。JR東海は私同様、他社の通称は使いません。米原でも、京都でも、新大阪でも乗り換え案内は「東海道線はお乗り換えです」って言っています。JR東海にはそういう通称路線名は使っていませんね。
 この頃、急行の列車名はいったいいくつあったのでしょうか。夢のような時代でした。  

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2013年11月30日

時刻表1979年10月号その2

 昔の時刻表を読んでいると、本当に楽しいです。

 1979年、昭和54年の時刻表を適当にぱらぱらとめくりながら、思いつくまま。

 昔の時刻表と今の時刻表は編集方針に違いがあります。
 東海道本線でも山陰本線でも東北本線でも、すべてそうだけど、長距離優先のページ割りです。
 昔は、東京から名古屋、名古屋から岡山、岡山から下関と、ページの順番は下りを通しに掲載していました。そして上りは逆に下関から東京までが通しで掲載です。
 今は、東京-熱海は下り上りを同ページ併載で、熱海から米原は下りの次が上り、米原から岡山、岡山から下関と下りとの次が上りを掲載しています。長距離で通しのから地区別の考え方を優先しています。
 これも、長距離需要から短区間エリアの需要に編集方針がシフトしてきたのでしょう。

 山陰本線も、京都から米子、米子から門司を通しの順番です。

 そんな山陰本線を見て。
 急行列車がたくさんあります。「白兎」、「大社」、「石見」、「だいせん」、「ながと」、「ちどり」、「美保」、「つわの」、「あきよし」と、門司ー米子の上りのたった2ページ半にこれだけの種類が。
 分割併合を繰り返す急行が多いのも特徴で、気動車編成の特性を駆使した車両運用が見られます。
 「さんべ2号」は熊本始発で、下関から1編成はそのまま山陰本線へ、分割した編成は山陽本線を通り厚狭から美祢線を通って、長門市で再び併合してまた、1本の列車となります。両編成ともに1両ずつ指定グリーン車を擁したキハ58、28、キロ28の長編成気動車だったのでしょう。走行区間も熊本から鳥取までと、相当の長距離列車です。熊本から鳥取まで通しなんて、感動ものです。分割JRでは無理でしょう。このような設定は。
 そういう意味では「大社」もすごい。出雲市を出て、山陰本線を通り豊岡から宮津線、小浜線を通り、敦賀から北陸本線、米原から東海道本線で終着名古屋を目指す急行でした。
 上り、米子ー京都のページには、急行「丹後」、「但馬」、「だいせん」、「白兎」、「大社」、「砂丘」、「美保」、「さんべ」と、数多くの急行列車が走ります。
 名列車は「まつかぜ4号」でしょうか。博多を8時15分に出て、終着の新大阪には21時18分着です。食堂車も連結した長距離気動車特急でした。今は2両編成のローカル特急に落ちぶれています。益田ー浜田間はちょうど昼食時間帯です。山陰本線の海がきれいに見える区間を食堂車に乗って景色を見ながら食事ができるなんて、最高の贅沢でした。今はどんなに金を積んでもそんな贅沢はできません。いや、JR九州の「ななつ星」でも金を積んで貸し切ってしまえば可能かな。
 もうひとつの名列車は普通列車「山陰」でしょう。京都と出雲市を結ぶ寝台車も連結した夜行客車鈍行でした。

 疲れたので、このへんで終わり。
   

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2013年11月24日

時刻表1975年3月号 その2

前にも書きましたが、昔の時刻表を見ていろいろと思うことを。

中央西線
 時刻表では、新宿ー松本間の東線より先に記載されている。
 東京中心主義、東京から西優先主義とも思う編集方針の中で、東京からの東線より西線が先ということに、東線は東北
方面と同列なのかと思う。
 それで、西線の名古屋ー長野のページを見ていて感じること。
 夜行列車が多いこと。大阪と長野の「ちくま」、名古屋ー長野の「きそ」が、定期の1本ずつに季節、臨時が「ちくま」は他に4本も、「きそ」でも他に3本もある。夜行列車全盛期である。上りの「ちくま」は名古屋に2:25、3:07、定期列車が3:25と、それぞれ到着してから大阪へ向かっている。この当時は、名古屋駅は24時間開いていたのだろうか。
 これらの夜行列車は、深夜の多治見、中津川、木曽福島にも丹念に停車している。これらの駅も深夜も、24時間、駅が開いていたのだろうか。今よりもよっぽど24時間営業で働いていたのが国鉄であったのだと、つくづく思う。
 その他に、中津川ー長野間の旧客普通列車が一往復あるのも楽しい。

高山本線
 時刻表での掲載ページは、紀勢本線から始まる関西ローカル線の次で、北陸本線の前にある。なんとも分類できない位置であると思う。北陸本線系との位置づけなのか。飯田線は東海道本線系として掲載されているので、高山線も岐阜が起点なのだから飯田線の次くらいのページでも自然と思う。
 高山本線にも夜行列車急行「のりくら」がある。特急「ひだ」は一日一往復しかなく、主力は急行「のりくら」である。名鉄からの急行「北アルプス」もある。「北アルプス」は時期によっては富山地鉄の立山まで延長運転もしている。

東海道本線
 昔は、地方の区間では昼間にまったく列車が走らない時間帯があった。保守間合というもので、私が高校生の頃、三島ー函南の有名撮影地で、東京へ向かう上りのブルトレ群を撮影したあとも続けて撮影していると、旅客も貨物も一切列車が来ない時間があることに気がついた。
 下りだと、熱海11:51発の普通の次は、12:52発まで空いている。上りだと、三島11:19発のあとは12:19まで空いている。この間は急行もないし、貨物も走らなかったはずだ。他の時間帯だとだいたい30分間隔で普通は走っている。

山陽本線
 国鉄は、この号、新幹線博多開業時にも、山陽本線の夜行列車はほとんど存続させた。
 新幹線だと、どんなに早いのに乗っても、目的地に早朝、朝に到着することはできないので、一日を有効に使いたいという旅客の要望に応えるため、夜行列車を残した。それが今はどうだろうか。ついに「あけぼの」の廃止も決まった。東京から秋田方面へは、新幹線で長時間かかる。「あけぼの」はとても有用な時間帯に目的地に着く存在だ。効率しか求めない民間のJRはしょせん、その程度だ。国鉄は赤字で悪者扱いだったが、儲けとは関係ない部分で、輸送機関としての使命を全うしていた。

列車編成案内
 この時代、優等列車、特急も急行も、一編成がみんな長い。電車だと、583の電車寝台の「はくつる」や「ゆうづる」、急行の「まつしま」とかの13両編成が最長か。気動車だと北海道の「おおぞら」が13両だ。
 客車では、「あさかぜ」が14両で、「さくら」や「みずほ」と同じだが、「さくら」「みずほ」は電源分散式の14系だけど、「あさかぜ」は電源車が別にあるので実質15両で最長だ。機関車を入れれば16両編成で、新幹線と同じだ。
 新幹線は「ひかり」と「こだま」とも同じ16両だけど、「ひかり」は食堂車とビュッフェがあり、グリーン車も「こだま」は1両だが「ひかり」は2両だ。その後、「こだま」は乗客数減から12両に減車されることになる。その後また16両に戻って現在に至っている。
  

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2013年08月11日

列車名考

 盆休みになって帰省の新幹線も混雑しています。
 
 いまさら言うのもなんだろうけれど、新幹線の列車名、愛称を聞いていると、やっぱり違和感があります。

 東海道本線の名門、九州行寝台特急「はやぶさ」の名が、いつのまにか東北、青森行の東北新幹線に取られてしまいました。別に差別する気はないけれど、昔の国鉄時代から東海道本線の特急は超一流というイメージで、北へ向かう列車には地味というか暗いというか華がないというか二流というか、そんなイメージでした。今や日本日本中どこへ行っても区別がないけれど、昔の東北はなんか貧しいというイメージでした。
 「はやぶさ」は東京発の九州行寝台特急として、「さくら」、「富士」、「あさかぜ」などと並ぶ、名門の列車名です。
 そんな昔のイメージがあるから、「はやぶさ」が東北新幹線というのは私的には納得いきません。現在の「はやぶさ」はグランクラスを備えた最速のもっとも華やかな新幹線車両かもしれませんが。でも、私ならそういう東北一華がある列車ならば、やっぱり「はつかり」、「みちのく」が一番似合うと思うのだけど。

 ジャイアンツの永久欠番の3番みたいな扱いで、永らく使用されなかった超名門列車名の「つばめ」も、鹿児島本線の特急で復活しちゃって、それからなんとなくローカルな九州新幹線に引き継がれました。しかも、新八代ー鹿児島中央間という中途半端な部分開業で。これもなんだかな~という感じです。「つばめ」は 「のぞみ」の上を行く列車名だと思うのだけど。
 そういえば「ひかり」も元は東北のローカル急行の列車名でした。

 同じく九州新幹線博多ー鹿児島全通を機にできた、「みずほ」、「さくら」も、この列車名が復活したのはうれしかったけれど、なんで最速が「みずほ」で、「さくら」が2番目なのって、これも疑問です。
 天下の東海道本線で長らく「1列車」、誉れ高い列車番号1を冠していた「さくら」号が、同じく東海道本線の九州ブルトレではあったけれど、なんとなく地味なイメージであった「みずほ」の下なんて、これは違うぞと声をあげたくなります。「さくら」は何度か映画の舞台にもなったし、人気もあって、指定券も「みずほ」よりも「さくら」がより早く売り切れていました。

 昔、今のテレ朝、NETで放送していた「みどりの窓口」でも、「さくら」は真っ先に売り切れていました、私が小学生の頃は。
 「みどりの窓口」という番組、たぶん関東地方限定番組だったのだろうけれど、私が中学生の頃までは放送していたと思います。内容は東京、新宿、上野発着の特急列車の指定券の発売状況を案内していた、極めて地味な番組でしたが、私は大好きでした。まだ指定券が1週間前発売開始の時代で、この番組を見ながらはるか遠い九州や東北へ向かう特急列車に乗ることを夢みていた頃でした。BGMに流れていたアール・クルーの「瞳のマジック」もこの番組で知って、とても好きな曲となりました。
 そして、この番組でも、東京駅発九州方面の寝台特急がトップで放送されて、「さくら」がまさにナンバーワンでした。

 「はやぶさ」が東北へ左遷され、「みずほ」が出世して「さくら」が抜かれてしまった現在の列車名、過去の栄光を覚えている人も減っていくのでしょうか。
 今は使われていない「富士」、富士山ブームの今、安易に復活はさせないで欲しい。今のJRに「富士」を冠せるような列車はないし、もう永遠に走らせることはできないでしょう。
  

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2013年07月07日

時刻表1975年3月号

 古い時刻表を見始めたら、次から次へと思い出がよみがえってくる。
 以前古本屋で買った、1975年、昭和50年の時刻表を引っ張り出した。
 ダイヤ改正の3月号で、新幹線博多開業時のもので画期的改正号でもある。
 表紙には0系4編成が並び、背景に富士山が写る、三島の車両基地での撮影のものだ。
 
 手元の時刻表は国鉄内部用のもので、背表紙に日本交通公社の表示ではなく、「日本国有鉄道」とある。これはみどりの窓口など、駅の窓口できっぷを買う人が調べるためにも置いてあったので、ふだんから手にはしていたものだ。だから内容は若干違っていて、表紙をめくると「新幹線の新しいサービス」という表題で職員用の説明書が記載してある。

 ダイヤ改正のあらましのページを見ているといろいろと改正された点がよくわかる。
 新幹線が博多まで伸びたことにより、岡山ー九州間の昼行優等列車が全滅している。これは、東海道新幹線が開業後もこの時点でも、東海道本線は東京ー静岡の東海号や名古屋ー大阪の比叡号などの昼行急行が存続しているのとまるで違っている。当時の国鉄の雰囲気からすると、昼行急行を多少は残してもおかしくない気がするが・・・。
 夜行の寝台特急や急行はほとんど存続している。
 「新幹線の新しいサービス」のページには、新幹線は夜行がないので早朝からの活動ができないので云々・・という説明もあり、朝、目的地へ着く必要性を重視して、すべての旅客を新幹線に移行させるという思想ではなく、利用者の選択肢を幅広く維持するためにも、東海道・山陽の夜行列車は存続させていたようだ。
 国鉄はこの頃からさんざんに言われていたが、今よりも根本の部分で旅客サービスを配慮していたのだ。
 この改正から、東京ー米子の寝台特急「いなば」と東京ー紀伊勝浦の「紀伊」が登場している。案外新しい列車だったんだと思う。また、東京ー西鹿児島の急行「桜島・高千穂」が廃止されている。「はやぶさ」は西鹿児島編成と長崎編成が併結されていたが、長崎編成は熊本行(止まり)と変わっている。
 私が小学生の頃、「はやぶさ」の長崎編成に乗って佐賀まで帰省した記憶が鮮明に残っている。20系の最後尾は展望車のようになっていて、ずっと後ろに流れる景色を見ていた。そんな小学生だった私に車掌さんが話しかけてくれた。寝台特急に乗ることが、自分にとって年に一度の大イベントで、最高の楽しみだった。鉄道に国鉄に憧れていた。

 大阪から北陸方面はこの改正から優等列車は基本、前年度に開業した湖西線経由となった。
 同じく、東京方面から北陸本線への寝台特急「北陸」がこの改正で誕生している。これまで、上野駅を発着する北陸方面の夜行はすべて急行だったのだ。上野発の夜行急行「能登」「越前」この後ながらく存続した。
 北陸本線には、懐かしい急行がたくさん走っている。「立山」「くずりゅう」「ゆのくに」など。「きたぐに」はつい最近まで生き残っていた。特急「加越」もむこのとき誕生し、寝台特急「つるぎ」もある。
 
 寝台専用列車としては、走行距離の短さでは「つるぎ」、「北陸」と並ぶ、東北方面には最短走行距離であった寝台急行「新星」もある。

 欄外の駅弁コーナーには、名古屋駅、とりごはん300円、お茶付三色弁当200円、守口漬、ういろう、納屋橋饅頭なんて記載もある。駅弁と並んで名産も記載していた。

 瀬戸大橋は当然ない時代、四国へと結ぶ宇野線、宇高航路も元気だった。

 山陰本線には長距離鈍行がたくさん走っている。

 長崎本線にはまだ電化開業前で、昼行の特急はなく、すべて気動車急行だった。「出島」「弓張」、佐賀線経由で熊本から来る「ちくご」、別府からやってくる「西九州」懐かしい名前ばかりだ。急行気動車は分割併合を繰り返し、とても複雑だった。乗車する際も、目的地へ行く編成の列を確かめて並ばなければと、とても注意したものだ。
 
 東北方面は新幹線などなく、東北本線、常磐線は特急、急行が入り乱れて走っている。また、この頃の在来線特急は、本当に気が狂ったようなスピードで走っていたものだ。「はつかり」、「やまびこ」、「ひばり」、上越線の「とき」などなど、8M4Tの485系、181系のフル編成が1秒たりとも無駄にしないぞというような気迫で疾走していた。
 ちなみに在来線の表定速度ナンバーワンは、長らく「加越」だった。線路状態が最高の重量級の北陸本線の条件が良いところだけ走っていたから。今でも、北陸本線の特急は、昔ながらに疾走しています。だけど車両の総合的な性能がアップして乗り心地も良いので、乗っている分にはたいしてスピード感がありません。
 なかなか北海道方面まで進めません。時刻表を順番にめくっていく特性上で・・・
 今回はこの辺で。
 東北日本海側、奥羽本線や北海道も見どころはたくさんあるので、続きも書きたいです。
  

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2013年07月07日

時刻表1979年10月号続き

 読み返していて、補足、訂正など。
 青森駅を450に同時発車する白鳥号とみちのく号。みちのくは13両編成と書きましたが、それは583系でした。
 昼行特急と寝台特急を兼用できる寝台電車583系は、運用効率のアップのための高度成長期の産物でした。末期には短編成化改造などで製造費用が高い交直両用の普通電車として、北陸本線などで活躍しました。ボックス席に座っている限り、とても贅沢な空間の普通電車でした。
 末期には哀れな結末を迎えた583系も、この頃は全盛期は過ぎたものの、東北、常磐線で大活躍していました。
 
 名古屋発着の列車でおもしろい存在は、急行の大社と赤倉でしょう。
 大社は名古屋発の編成と福井発の編成が敦賀で合体し、小浜線、宮津線を経由して山陰本線を通って大社線の大社まで直通していました。今考えたら、一日乗っているだけで楽しそうな列車です。今では名古屋から宮津線沿線に行こうとしたら、何度も乗り換えなければなりません。こんな列車に一日中乗って、車販からビールを買ったりして過ごしてみたいものです。
 赤倉は、これも名古屋から直通で新潟まで行けた、貴重な列車です。今、名古屋から新潟へ行こうとすると、選択肢は案外なく、どれも不便です。飛行機か高速か、鉄道では東京経由の新幹線乗継が一番早くて楽なんだろうけれど、とても高くつきます。中央線でしなので長野まで行っても、直江津経由で信越線の特急に乗り継ぐのも、鉄道マニア以外思いつかないでしょう。米原経由で、北陸本線の特急を乗り継ぐ手もあるけれど、とてつもなく時間がかかります。名古屋から新潟はとても遠く感じます。
 名古屋からの関西線、紀勢本線経由で、大阪まで行く、名古屋発天王寺行の921列車も楽しいです。夜行区間では「はやたま」の愛称もつけられる、長距離鈍行列車でした。名古屋1519発で、天王寺には翌朝500着でした。
 キハ58、キハ65などの気動車急行が、全国各地のローカル線を走り回り、幹線でも機関車牽引の旧型客車がたくさん走っていた楽しい時代です。
 乗りたい列車だらけです。
  

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2013年07月06日

時刻表1979年10月号

 昔の時刻表を読むのは楽しい。
 この前、近所の古本屋で1700円で手に入れた、昭和54年10月号の時刻表を読んで、気が付いたことをいろいろと書き綴ります。
 
 表紙は東京駅の新幹線ホームで運転士と会話する若い女性客二人、背景には0系の先頭。
 交通公社の時刻表は、表紙は列車の走行写真がほとんどだったけれど、この頃から人を入れた鉄道風景路線になっていったと記憶する。
 巻頭の路線図、特に北海道と九州の路線の多さに感動する。北海道は鉄道路線だけで北海道の輪郭になっているし、九州の筑豊地区の錯綜したローカル線に、大隈線に山野線、宮之城線と長大ローカル線が存在している。
 東京の地下鉄路線はとてもすっきりしている。東海道本線に金山駅はなく、名鉄は金山橋だ。
 東海道本線のページは東京から名古屋がひとページに収まり、名古屋前後の普通列車は今と比べてとても本数が少ない。特に昼間はひどく、例えば名古屋1255発の快速大垣行が出たあとの次は、1400発米原行まで普通はない。その間1300発の急行のりくら号があるが、実質1時間空いている。昔の長距離列車、貨物列車優先のダイヤ編成だったのだ、この頃は。15分間隔で新快速と普通が交互に、一時間に計8本走っている今からすると夢のようだ。あの頃は通勤時間帯でも電車はさほど混雑していなかったと記憶する。今はたくさんの乗客を載せて、まるで首都圏のようです。
 夕方は寝台特急がひしめきあって走っている。明星、彗星、あかつきが何号とそれぞれ続行し、なは、さくら、はやぶさ、みずほ、金星、富士、出雲、あさかぜ、瀬戸、銀河と、ブルトレオールスター勢ぞろい、夢のようななんてぜいたくな時代なんだろう。ちなみに関西本線には出雲3号と併結の紀伊号が名古屋で分割される。名古屋は運転停車だ。
 ブルトレには食堂車が連結され、編成も機関車電源車を入れたら15両編成だ。
 関西地区は普通にグリーン車が連結され、新快速も走っている。新快速は京都ー大阪間ノンストップだ。新大阪も通過していたのだ。
 関西本線では名古屋駅から旧客の普通列車が出発している。宮脇俊三の時刻表2万キロの中で、夕方の通勤時間に名古屋を発車する関西本線の客車列車に乗ったら客が少なくあまりにも空いている情景を書いていた。首都圏とのあまりもの違い、大都市であるはずの名古屋を発車する通勤時間の情景には隔世の感がする。宮脇俊三はこの、通勤時間にもかかわらす空いている名古屋発の旧客の普通列車に乗って「人生の落伍者になった気分だ」と記している。
 四国は気動車王国、山陰本線、福知山線には、大都市大阪駅、京都駅から、旧客の普通が何本も発着している。
 地方のローカル線にも急行の夜行列車が縦横無尽に走っている。急行列車そのものも本当にたたくさん走っている。
 地方の幹線には、超早起きの始発の普通列車があることは前にも書いたが、金沢発の七尾線は、始発が349に金沢を発車する。ナンバーワンは、福島318発仙台行か?仙台には507に到着する。現在はこの時間にも始発列車はまだ走らない線区はいくらでもある。今の名古屋の地下鉄はあまりにも朝寝坊ではないか。東京の猪瀬が都営地下鉄の24時間営業を言ったり、終電車の延長を望む声が多いが、夜間活動を延ばすよりも、朝早く活動を開始する世の中の方が健全だと思う。
 コンビニなどなかった時代に、国鉄はこの時代、24時間営業をしていたのだ。どんなローカル線の駅のキオスクも始発から終電まで営業していた。だから、近所の人が夜とかよく買い物だけのために駅を訪れていたものだ。
 時刻表から時代が読める。
 北へ進むと、青函連絡船があり、北海道へと結んでいる。この頃の北海道は、函館中心のダイヤ編成で、優等列車は函館を起点に対本州との連絡を中心にダイヤが組まれていた。今は札幌中心で本州との連絡はまったく考えられていない。
 日本人の英知を結集して難工事の末、完成した青函トンネルを現在、通過する旅客数は、この頃の青函連絡船の乗船客の何パーセントなんだろうか。日本の財産であるはずの青函トンネル、その維持には莫大な費用がかかっているという。貨物列車のためには今でも有用であるのだろうが、もっと活用されてほしいと思う。北斗星開通当時は3往復に臨時も加わって走っていたのに、今は1往復だけだ。カシオペアとトワイライトエクスプレスだけが、人気を維持している。人生一度でいいから、トワイライトエクスプレスの最後尾スイート、1号車1号室に乗ってみたいものだ。
 話しを戻して、夜行の青函連絡船2本を受けて、函館を445に発車するおおぞら1号、続行して450に発車する北海号、共に食堂車を擁した長大気動車特急だ。おおぞら号は、はるばる遠い釧路までの681キロを約10時間以上走り、釧路に1502に到着する。681キロと言ったら、東京から岡山の手前くらいの距離である。
 かたや同じ時刻の青森駅では、上野行きのみちのく号と大阪行きの白鳥号が450に同時に発車するという名演を演じている。453には、はつかり2号が続行して発車していく。みんな8M4T、食堂車を擁した名優485系の勇姿である。と、おっと、巻末の編成表で確認したら、みちのく号は13両編成である。国鉄特急のもっとも華やかな頃であった。
 語り始めたらキリがない昔の時刻表、今回はこの辺で。  

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