2018年11月17日

真岡鉄道とSLキューロク館

真岡鉄道のSLに乗ってみようかと、大学時代の友人と出かけました。
事前にきっぷなどは買わず、席があればいいやくらいの気持ちで。

大宮からの東北線下り方面に乗るのは、北斗星以来かな。普通に乗るのは20年以上ぶりくらい。
大宮から水戸線乗換の小山までは50.3キロ。グリーン車に乗るとたった300メートルの差で570円が780円になってしまいます。だからグリーン券情報購入機で1駅手前の間々田駅までにしておきました。ちゃんと間々田で普通車に移動しましたよ。
水戸線に乗るのもたぶん30年ぶりくらいです。
真岡鉄道の起点、下館駅に着くと乗換口は観光客らしき人達でえらい大混雑です。
乗換口で真岡鉄道と関東鉄道常総線に1日乗り放題のフリーきっぷを買おうとすると、こちらでは売っていない、JRの窓口へ行ってくれとのこと。
JRの窓口では、こちらではないようなことを言われて、真岡の窓口で言われたと言って、真岡鉄道と常総線の1日フリーきっぷではなく、茨城県内のほとんどのJRと私鉄に乗れる2200円の「ときわ路フリーきっぷ」でよいかと言われ、なんでもいいから乗れたらよいと答え購入しました。そのきっぷは茨城県内のJRと私鉄のほとんどに乗れるきっぷでした。

かたや目的の「常総線・真岡鐵道線共通一日自由きっぷ」は2300円。なんなんだろう、これ。JRのフリーきっぷが断然お得ではないかと、結果オーライでした。本当最近は下調べもろくにせず、適当な、気まぐれな行動が増えました。
ちなみに、JRの窓口で同時に買おうとしたSL整理券の方は、機関車が故障していて運休ですと言われてしまいました。そんなことも知らずに来たのかという雰囲気でした。

まあ、来たことだし、茂木まで行くことにします。
ホームの列車は1両の単行気動車。さきほど書いたように乗換口に群れていた客が全員乗っているものだから超満員。しかもクロスシート車両だから出入口付近はすし詰め状態。
SLが運休になったからそれに乗る予定だった乗客が乗っているのかなと思っていました。
このまま茂木までこの状態は勘弁してほしいと思いながら、真岡駅到着です。
駅構内にはキハ20や朽ち果てた貨車とかが多数あります。興味を持った友人が帰りに寄ろうと言います。車内は超満員。列車は交換待ちで停車したままです。じゃ今降りようと、即断即決。満員の車内から解放されました。交換待ちがなくすぐ発車していたら降り損ねたところです。

予備知識ゼロの真岡駅です。とりあえず昼飯時、昼食でもとるかと駅を出ました。出た方は飲食店は皆無。しかし、SLキューロク館なるおもしろそうな施設がどでかく構えています。スナックコーナーもあるらしいので、そこで何か食べればいいやと入りました。
行き当たりばったりの旅ですが、楽しいところでした。館内は旧客がどんと置いてあります。ちょうど蒸気機関車が動く時間でした。










懐かしいデッキのスイッチ類






お店でスパゲッティを買って、旧客車内で食べてもいいのと聞くとOKでした。



テーブルとイスは館内にいくつかあり、ちょうど動いているSLを間近にみながら食べることにしました。
これは良い雰囲気だ、ビールも飲みたいなと思ったけれど、館内にアルコールはありませんでした。


SLは館内から外まで、50メートルくらい往復するだけですか、人気はあり、家族連れが楽しそうに見ています。



混んでいることもなく、とても良いところです。施設自体は入場無料です。

この蒸気機関車は石炭を燃やして蒸気を起こして動力とするのではなく、発電機の電気でコンプレッサーを動かして得るエアーを蒸気の代わりにして動いているようです。炭水車には発電機が見えるし、コンプレッサーの音もしています。理論的にはこれで動くのでしょう。でも本線を客車を引いて営業速度で走るパワーはたぶんないと思います。




動輪回りは、蒸気機関車が持つ金属美と機械美です。




この機関車は運転席、機関士席が右にあります。その特殊性は説明看板に書かれています。




外には古参の貨車やキハ20が展示しています。
無蓋貨車は全国探してもあまり残っていないと思います。



















車掌車「ヨ」の発電機とトイレ排水管


キハ20床下


エンジン


変速機


ラジエーターと空気溜


台車


トイレ排水管






古い貨車のスポーク型の車輪は古さを感じます。完全にすり減った鋳鉄製の制輪子。昔はこんなのばかりだったから、ブレーキの度に沿線に鉄粉をまき散らしていたし、乗客も鉄臭くなっていたものです。

バラストも鉄粉の錆のせいで錆色になっていったものです。今はディスクブレーキが主流だし、制輪子も合成制輪子で鉄粉が出ることも激減しました。

垂れ流し便所の排水管。
構造的に流したモノを上に舞い上がらないようになっていたのだけど・・・。




清潔意識は昔はいい加減でした。窓を開け放っている夏、窓際に座っているとなんとなくしぶきを浴びていると感じたものです。乗客も沿線住民も保線の人たちも、大変な時代でした。垂れ流しトイレの車両は、平成の始め頃までは走っていたはずです。
でも、清潔すぎる現代の方がアレルギーが増えて、人間の抵抗力は低くなっている気がします。私もトイレは洋式、ウォシュレット付きでなければ生きていけない体になっています。


本当は動くはずだった機関車。

あとで知ったところでは、機関車故障は蒸気の方ではなく、救援用のDE10だったとのことでした。
かなり重症らしく、年内の復活はないようです。


ゆっくりキューロク館を堪能して、茂木へ向かいました。今度は2両で車内はがら空きで地元の人ばかりです。これが本来の姿なんでしょう。

のんびりとしながら茂木まで乗車しました。

茂木駅前の道は、昔ながらの典型的なローカル線の駅前風景です。古い街並みと古い商店、人はほとんど歩いていない。
これが国道やバイパス沿いに行くと、巨大なスーパーや量販店、ファミレス、ファストフード店などが並び、人と車で溢れているのが、どんな田舎に行っても画一的な、今の日本の平均的風景です。









茂木駅から先へ、戦前は延伸計画もあったようで、未成線跡が残っているようです。



車止めから先の風景。


茂木駅





帰りは運よくクロスシート車とロングシートの2両編成でした。
茂木から乗る乗客は少なく、ビールを飲みながらゆったりと帰れました。




転車台をバックに。


しかし、途中の益子駅から大量の観光客が。益子焼の市みたいなイベント開催中のようで、行きの大混雑は益子が目的の人たちでの大混雑だったと知りました。

帰りは水戸に出て駅内の蕎麦屋で居酒屋してから、鹿島臨海鉄道経由で帰りました。
「ときわ路フリーきっぷ」のおかげでタダ同然で帰れました。  

Posted by よっぱらいくま at 17:06Comments(0)TrackBack(0)乗車記 私鉄

2018年11月10日

京浜急行 駅名変更騒ぎ

新聞などで最近、京浜急行が駅名の変更を検討しているとかで、新名称を小中学生から募るとか報道されています。
それに対しては、歴史や地名と駅名の関係などを無視するものだとの批判的意見が多いようです。

私も、一律的な公募による駅名変更には大反対です。
それも地域の歴史や文化に対しての認識については幼すぎる、小中学生だけを対象に公募するなんておかしいです。

京急は何を考えているのやら。

最近の、北斗の拳のセリフやキャラクターをもじった駅名遊びは、ユーモア感があり一時的イベントとして良いことだと思っていました。
でも、北斗の拳は、今の若者は基本、知らないと思いますけどね。私は大好きでした。

私は京急沿線、大森町駅近くで生まれ育ったので、品川-京浜川崎間の駅への思い入れは強いです。
梅屋敷、雑色、六郷土手、新馬場は元は北馬場、南馬場の2つの駅だったけれど、高架化の際にひとつになりました。異様に駅間距離が短かったと、幼かったときでも強烈に印象が残っています。青物横丁、立会川、鮫洲、大森海岸、平和島。
品川の南に位置するのに北品川。
他にも思いつくままに、追浜、金沢文庫、金沢八景、安針塚、生麦、津久井浜、三浦海岸・・・。

これらの駅名が安易に変わるなんて考えたくもありません。幼年期の思い出がなくなってしまいます。

京浜急行は関東では他の民鉄とはちがう独自路線を行くもので、鉄道ファンにも人気があります。私も大好きです。
韋駄天の走りは今でも不滅です。
私が埼玉に引っ越して東武東上線利用になったとき、京急と東武の走りの違いはとても残念でした。
途中駅を通過する池袋-成増間の急行、準急の走りはまるで覇気がなく、京急の急加速と急減速でメリハリのある走りとは正反対の、だらだらとのんびり走る東上線には幻滅したものです。

京急さんよ、何をとち狂って駅名変更なんて考えたのか。
そんなことをする京急には「おまえはもう死んでいる」と言いたい。



時刻表で確認して、川崎は「京急川崎」でした。昔は「京浜川崎」、「京浜蒲田」だった気がしますが・・・。



写真は高架化前の大森町-梅屋敷間を走る1000型快速特急。昭和55年頃。
目の前を猛スピードの大迫力で通過していきました。

写真はネガの原板そのまま。トリミング等一切していません。
たぶん、キャノンFTb、50ミリF1.8で、マニュアルフォーカス、マニュアル露出で撮っています。
今の私ではたぶん、無理。
  

Posted by よっぱらいくま at 12:49Comments(0)TrackBack(0)最近の出来事