2015年03月29日
八高線と上野東京ライン初乗車
東京出張があり福生に宿泊したついでで、その翌日に八高線に乗って高崎まで乗り、高崎から東海道線へ直通する電車に乗って開通したての上野東京ラインに乗るということを思いつき、実行しました。
八高線に高崎まで乗るのは久しぶりです。たぶん学生時代だから、30年以上前のことです。昔はキハ35系ばかりだったけれど、今走っているのはボックス席もあるので、旅向けです。しかし、首都圏だけあって乗客は多いです。
ボックス席を陣取って、車窓を楽しめました。
八高線は開通80周年とのこと。看板が各駅にありました。
八高線は戦前、東京が空襲を受けても輸送を確保するため、東京を迂回して東海道方面と上越、東北方面との間の軍需輸送のために建設されたものでした。
沿線には遅咲きの梅がたくさんあります。
有名な越生梅林がある越生駅ではたくさんの梅見客らしき人たちが降りていきました。
小川町で東武東上線をオーバークロスします。
鉄道は後から建設された方が上を跨ぐことになります。
東武東上線が小川町まで開通したのは大正12年、かたや八高線は昭和9年に全通しています。
小川町駅です。古い跨線橋も健在です。
寄居駅で再び、東武東上線と寄り添います。
ちょうど、復刻されたクリーム色の8000系が併走しました。
このクリーム色の8000系が活躍していたのは、私が中学高校大学と過ごした時代とまったく同じです。
あの頃はなんて特徴のない色で、下塗りのまま走っているとか、評判もよくなかったけれど、今となってはレトロに感じて懐かしくなってしまいます。8000系ほど特徴のない電車は他にはないと、好きでもなかったけれど、国鉄に限りなく近い東武鉄道の社風、個性よりも標準化を徹底していました。私鉄で唯一、まっ昼間でも運転台の後ろのカーテンは閉めていたのも、国鉄と同じでした。今は開けているけれど。
八高線と上越新幹線と関越自動車道が交差するところです。
高崎に着きました。
乗ってきた列車です。
高崎駅ホームにはうまそうな、昔ながらのそばスタンドがありました。
こういう店でそばを食べるのも良いけれど、ここはラーメンがあります。こういう店の何も特徴のないラーメンも好きです。
だけど、今日は東京到着後、昼間から飲む予定なので昼食は抜きにするつもりなので、我慢です。
懐かしい湘南色の115系が普通にいます。
なんか、ひと昔前の雰囲気です。
久しぶりに横川まで乗りに行きたくなりました。
EF63にも会えるし。
跨線橋にも古レールが使用されています。
1938年製、たいして古くもないですね。
ノリホ入れもあります。
ホームの乗車位置案内には、一年前に廃止されたあけぼの号の表示もありました。
さて、12時23分発国府津行きのグリーン車に乗り込みました。
高崎駅で、国府津だの熱海だの小田原だのとの行き先表示には、やっぱり違和感が強いです。
そのうち、当たり前になるのでしょうか。
スイカへのグリーン券購入は、東京付近は同じ料金だから、行き先ボタンは熱海を押しました。
新橋で降りる予定ですが。
グリーン車内では、酒を飲む客が多くいます。東海道線ではめったに見ない、東海道では飲んでいるのは私だけということが多いのに、こちらは私以外が、たくさんの人が酒を飲んでいます。私はこの後、おいしいビールを飲む予定なので、誘惑に負ける訳にはいきません。それでもグリーン車の女性乗務員が何度も車販にまわってきます・・・。
昔からの伝統で、上野口の下り電車、東北線や高崎線の通勤客は夕方は飲んでいる通勤客がたくさんいました。その雰囲気ですね。満員でも、ボックス席にありつけなくても、立っていても、ワンカップを飲んでいる飲んべえサラリーマンが珍しくありませんでした。昭和の時代は。
いよいよ上野を発車。上野正面口の景色が間近に見えます。今まではあり得ない風景が続きます。
秋葉原のヨドバシカメラも正面から見えます。
神田付近
東京駅の上野口付近。ここを乗って通れるのは画期的なこと。
今回の乗車で、上野が近づいても乗客が減らないこと、上野、東京と乗客の入れ替えは多少あるけれど常にたくさん乗車していることがわかりました。
これでは、上野や東京から乗ると、着席できる確率は相当低くなったなと感じました。
グリーン車の乗車率もかなり上がったように感じます。
そして、平行する山手線と京浜東北線の乗客数は、はっきりとわかるほど減っていました。
これほど、上野口と東京口を直通する需要は大きかったのかと、びっくりしました。
八高線に高崎まで乗るのは久しぶりです。たぶん学生時代だから、30年以上前のことです。昔はキハ35系ばかりだったけれど、今走っているのはボックス席もあるので、旅向けです。しかし、首都圏だけあって乗客は多いです。
ボックス席を陣取って、車窓を楽しめました。
八高線は開通80周年とのこと。看板が各駅にありました。
八高線は戦前、東京が空襲を受けても輸送を確保するため、東京を迂回して東海道方面と上越、東北方面との間の軍需輸送のために建設されたものでした。
沿線には遅咲きの梅がたくさんあります。
有名な越生梅林がある越生駅ではたくさんの梅見客らしき人たちが降りていきました。
小川町で東武東上線をオーバークロスします。
鉄道は後から建設された方が上を跨ぐことになります。
東武東上線が小川町まで開通したのは大正12年、かたや八高線は昭和9年に全通しています。
小川町駅です。古い跨線橋も健在です。
寄居駅で再び、東武東上線と寄り添います。
ちょうど、復刻されたクリーム色の8000系が併走しました。
このクリーム色の8000系が活躍していたのは、私が中学高校大学と過ごした時代とまったく同じです。
あの頃はなんて特徴のない色で、下塗りのまま走っているとか、評判もよくなかったけれど、今となってはレトロに感じて懐かしくなってしまいます。8000系ほど特徴のない電車は他にはないと、好きでもなかったけれど、国鉄に限りなく近い東武鉄道の社風、個性よりも標準化を徹底していました。私鉄で唯一、まっ昼間でも運転台の後ろのカーテンは閉めていたのも、国鉄と同じでした。今は開けているけれど。
八高線と上越新幹線と関越自動車道が交差するところです。
高崎に着きました。
乗ってきた列車です。
高崎駅ホームにはうまそうな、昔ながらのそばスタンドがありました。
こういう店でそばを食べるのも良いけれど、ここはラーメンがあります。こういう店の何も特徴のないラーメンも好きです。
だけど、今日は東京到着後、昼間から飲む予定なので昼食は抜きにするつもりなので、我慢です。
懐かしい湘南色の115系が普通にいます。
なんか、ひと昔前の雰囲気です。
久しぶりに横川まで乗りに行きたくなりました。
EF63にも会えるし。
跨線橋にも古レールが使用されています。
1938年製、たいして古くもないですね。
ノリホ入れもあります。
ホームの乗車位置案内には、一年前に廃止されたあけぼの号の表示もありました。
さて、12時23分発国府津行きのグリーン車に乗り込みました。
高崎駅で、国府津だの熱海だの小田原だのとの行き先表示には、やっぱり違和感が強いです。
そのうち、当たり前になるのでしょうか。
スイカへのグリーン券購入は、東京付近は同じ料金だから、行き先ボタンは熱海を押しました。
新橋で降りる予定ですが。
グリーン車内では、酒を飲む客が多くいます。東海道線ではめったに見ない、東海道では飲んでいるのは私だけということが多いのに、こちらは私以外が、たくさんの人が酒を飲んでいます。私はこの後、おいしいビールを飲む予定なので、誘惑に負ける訳にはいきません。それでもグリーン車の女性乗務員が何度も車販にまわってきます・・・。
昔からの伝統で、上野口の下り電車、東北線や高崎線の通勤客は夕方は飲んでいる通勤客がたくさんいました。その雰囲気ですね。満員でも、ボックス席にありつけなくても、立っていても、ワンカップを飲んでいる飲んべえサラリーマンが珍しくありませんでした。昭和の時代は。
いよいよ上野を発車。上野正面口の景色が間近に見えます。今まではあり得ない風景が続きます。
秋葉原のヨドバシカメラも正面から見えます。
神田付近
東京駅の上野口付近。ここを乗って通れるのは画期的なこと。
今回の乗車で、上野が近づいても乗客が減らないこと、上野、東京と乗客の入れ替えは多少あるけれど常にたくさん乗車していることがわかりました。
これでは、上野や東京から乗ると、着席できる確率は相当低くなったなと感じました。
グリーン車の乗車率もかなり上がったように感じます。
そして、平行する山手線と京浜東北線の乗客数は、はっきりとわかるほど減っていました。
これほど、上野口と東京口を直通する需要は大きかったのかと、びっくりしました。
2015年03月29日
旧新橋停車場と銀座ライオン
新橋駅からほど近い、汐留にある旧新橋停車場という復元施設があります。
汐留旧貨物駅は周辺の再開発で消えたけれど、こういう施設があるのは知りませんでした。
銀座ライオン7丁目店で飲んで新橋駅へ向かう途中、なんとなく見つけてしまいました。
建物はなんと、そのライオンの汐留店の建物そのもので、一部が鉄道資料室となっているものでした。
建物の裏には復元されたホームや線路があります。
こちらが銀座ライオン汐留店の入り口
これは今度、ここで飲まねばと思った次第です。
日曜日だったせいか、夕方5時前でガラガラでした。
7丁目店は土日は昼間も通しで満員なのにと思いましたが、こちらは平日がメインなのでしょう。
汐留の旧新橋停車場を模した建物にあるライオン汐留店、鉄道ファンならここで飲まねばならぬでしょう。
汐留旧貨物駅は周辺の再開発で消えたけれど、こういう施設があるのは知りませんでした。
銀座ライオン7丁目店で飲んで新橋駅へ向かう途中、なんとなく見つけてしまいました。
建物はなんと、そのライオンの汐留店の建物そのもので、一部が鉄道資料室となっているものでした。
建物の裏には復元されたホームや線路があります。
こちらが銀座ライオン汐留店の入り口
これは今度、ここで飲まねばと思った次第です。
日曜日だったせいか、夕方5時前でガラガラでした。
7丁目店は土日は昼間も通しで満員なのにと思いましたが、こちらは平日がメインなのでしょう。
汐留の旧新橋停車場を模した建物にあるライオン汐留店、鉄道ファンならここで飲まねばならぬでしょう。
2015年03月28日
浜田麻里 最高!
私、昔から浜田麻里が大好きです。
昔はヘビメタの女王とか言われたけれど、歌唱力はもう最高です。
それは今でも、まったく衰えていません。
WOWOWで放送された30周年記念ライブの録画を観て、盛り上がっています。
昔からの麻里ファミリーの演奏、最高です。
増崎さんのギター、かっこいい。
妹の浜田絵里のコーラスも最高いいですね。
ライブ映像には、ラウドネスの高崎晃もゲストで登場。
高崎のギターと歌えるボーカリストはなかなかいないでしょう。
最近の若いミュージシャンを否定する気はないけれど、実力者はいないなあと感じてしまいます。
どうでもいいですが、私、My Tears カラオケで常に90点以上です。
浜田麻里がメジャーになったのは、ハートアンドソウルとリターントゥマイセルフくらいですかねえ。
昔はヘビメタの女王とか言われたけれど、歌唱力はもう最高です。
それは今でも、まったく衰えていません。
WOWOWで放送された30周年記念ライブの録画を観て、盛り上がっています。
昔からの麻里ファミリーの演奏、最高です。
増崎さんのギター、かっこいい。
妹の浜田絵里のコーラスも最高いいですね。
ライブ映像には、ラウドネスの高崎晃もゲストで登場。
高崎のギターと歌えるボーカリストはなかなかいないでしょう。
最近の若いミュージシャンを否定する気はないけれど、実力者はいないなあと感じてしまいます。
どうでもいいですが、私、My Tears カラオケで常に90点以上です。
浜田麻里がメジャーになったのは、ハートアンドソウルとリターントゥマイセルフくらいですかねえ。
2015年03月18日
亀山発新宮行き キハ48の旅
3月のダイヤ改正で、JR東海に残るキハ48などの昭和の時代に新製された気動車が、いよいよ淘汰されていきます。
武豊線の電化もあって、そちらの新型気動車や新型増備で高山本線からはほとんどが新型に置き換わるみたいです。
高山線に配置される新型気動車はオールロングシートです。そんなんじゃとても、鈍行の旅は楽しめません。ボックスシート自体、時代遅れの象徴みたいたけど、長距離長時間運転のローカル線、とても通勤ラッシュがあるとも思えない線区に何を考えているのかと言いたくなります。
車内での飲食で発生するゴミとかの清掃の手間を省きたいのでしょう。最近は新幹線でもどこでも、乗客はしっかりと持ち帰り、駅のごみ箱へ捨てているんだけどねえ。
かたや、紀勢本線のキハ48や40の一派は、まだ当面残るようです。
私は、まだ亀山ー新宮間に旧型客車が走っていた頃、そして、その後に50系客車、キハ58と置き換わってはきましたが、ずっと紀勢本線の鈍行列車の旅が好きでした。
キハ40系列に置き換わってからは足が遠のいていたところですが、ついにキハ40らまでもがなくなってしまう時期がいよいよ近づいてきたとなると、乗っておかねばと思った次第です。
亀山発新宮行きの直通列車は、昔は数本ありましたが、現在は2本のみです。昔から夕方に亀山を出発する列車を愛用していたこともあり、新宮着が手頃な時間の、亀山15:12発に乗りました。新宮には19:50着、約4時間半の乗りごたえのある旅となります。
亀山駅5番ホーム、昔ながらの良い雰囲気です。これから約4時間、新宮まで乗車するキハ48です。
この列車平日は通学客なんかで多少混む時間帯もあるのだろうけれど、土曜日はほとんどの区間でガラガラです。だから長時間の乗車も快適だし、途中、10分前後停車する駅もあるので途中下車や買い物も可能です。
亀山駅は紀勢本線の起点駅です。0キロポストが紀勢本線ホーム5番線から見えます。
キハ48と40の3両編成です。トイレのある車両に乗り込みます。トイレのある安心感は、酒飲みには絶対です。
汽車旅の宴会スタートです。
車内は扇風機のスイッチもある、新製当時からほとんど変わっていません。冷房が取り付けられた以外は。
山陰本線のキハ47系は窓際にテーブルが取り付けてあったけれど、こちらにはないのが惜しいところです。
亀山を出て列車は最初の停車駅、下庄に着きます。緩くカーブしたホームのローカル駅で雰囲気が良いところです。
次の一身田からは高校生が乗り込んできます。平日はたくさん乗ってくることでしょう。
しかし、次の津でほとんどが降りてしまい、乗り込んで来る人も少なく車内は閑散とします。
高茶屋でキハ48系4連と交換。
松阪までのんびり飲みながら過ごし、松阪駅で一番前に移動してスタンバイします。
それは弁当を受け取るためです。松阪駅の牛肉弁当は有名なところです。私はいつも電話で予約を入れておいて、ホームで受け取るのです。親切な従業員のおばちゃんから受け取る弁当は、出来立てのホカホカです。ここの弁当は牛肉がうまいことはもちろん、私にとってはそれよりもご飯、米が美味しいことがうれしいです。最近のコンビニ弁当やホカ弁のご飯もうまいけれど、やはり一流、値段が高いだけの価値があります。
まもなく多気駅に到着。参宮線の分岐駅であるとともに、日中の紀勢本線の列車は多気始発が多いです。逆に亀山方面とは参宮線直通の列車の方が多いです。
10分以上停車するので、駅前のコンビニで買い物ができます。亀山でたくさん酒類を買い込んだのだけど、ここでも補充します。
多気から紀勢本線は山間部に入っていきます。三瀬谷を過ぎると本格的な山越えとなり、エンジンフルバワーでゆっくりと峠を登っていきます。大内山駅、そして梅ケ谷駅あたりが最高地点で、相当登っています。それからは下り坂を転がりながら紀伊長島駅へと向かいます。この区間は地図で見ても、険しい地形であることがわかるし、線路はぐるぐるとカーブの連続であることもわかります。
紀伊長島駅前は店もほとんどなく、寿司屋と小さな牛乳屋さんがあるくらいなので、酒類を手に入れることは不可能です。500メートルほどのところにスーパーがあるのだけど、10分弱の停車時間での往復は無理です。
酔いも十分にまわりあたりも真っ暗、乗客もまばらな、ボックスシートでの楽しい旅はまだまだ続きますが、単調です。
途中の長時間停車の駅ではホームに出て写真を撮ったり、改札も出たりします。こういう旅ができる路線と列車は、本当に少なくなりました。
窓際は酒宴の証拠が。
これ、1人で全部飲んだ訳ではありませんよ、誤解なく。
尾鷲、熊野市と主要駅前後で乗客はほとんど入れ替わり、終着の新宮には19時50分到着です。まだまだ宵の口で都会なら人だらけの時間だろうけれど、3両編成のキハ48から降りた客は10人もいません。
閑散とした駅の改札を出て、旅は終わりです。
紀勢本線のキハ48系、いつまでも残ってほしいものです。
武豊線の電化もあって、そちらの新型気動車や新型増備で高山本線からはほとんどが新型に置き換わるみたいです。
高山線に配置される新型気動車はオールロングシートです。そんなんじゃとても、鈍行の旅は楽しめません。ボックスシート自体、時代遅れの象徴みたいたけど、長距離長時間運転のローカル線、とても通勤ラッシュがあるとも思えない線区に何を考えているのかと言いたくなります。
車内での飲食で発生するゴミとかの清掃の手間を省きたいのでしょう。最近は新幹線でもどこでも、乗客はしっかりと持ち帰り、駅のごみ箱へ捨てているんだけどねえ。
かたや、紀勢本線のキハ48や40の一派は、まだ当面残るようです。
私は、まだ亀山ー新宮間に旧型客車が走っていた頃、そして、その後に50系客車、キハ58と置き換わってはきましたが、ずっと紀勢本線の鈍行列車の旅が好きでした。
キハ40系列に置き換わってからは足が遠のいていたところですが、ついにキハ40らまでもがなくなってしまう時期がいよいよ近づいてきたとなると、乗っておかねばと思った次第です。
亀山発新宮行きの直通列車は、昔は数本ありましたが、現在は2本のみです。昔から夕方に亀山を出発する列車を愛用していたこともあり、新宮着が手頃な時間の、亀山15:12発に乗りました。新宮には19:50着、約4時間半の乗りごたえのある旅となります。
亀山駅5番ホーム、昔ながらの良い雰囲気です。これから約4時間、新宮まで乗車するキハ48です。
この列車平日は通学客なんかで多少混む時間帯もあるのだろうけれど、土曜日はほとんどの区間でガラガラです。だから長時間の乗車も快適だし、途中、10分前後停車する駅もあるので途中下車や買い物も可能です。
亀山駅は紀勢本線の起点駅です。0キロポストが紀勢本線ホーム5番線から見えます。
キハ48と40の3両編成です。トイレのある車両に乗り込みます。トイレのある安心感は、酒飲みには絶対です。
汽車旅の宴会スタートです。
車内は扇風機のスイッチもある、新製当時からほとんど変わっていません。冷房が取り付けられた以外は。
山陰本線のキハ47系は窓際にテーブルが取り付けてあったけれど、こちらにはないのが惜しいところです。
亀山を出て列車は最初の停車駅、下庄に着きます。緩くカーブしたホームのローカル駅で雰囲気が良いところです。
次の一身田からは高校生が乗り込んできます。平日はたくさん乗ってくることでしょう。
しかし、次の津でほとんどが降りてしまい、乗り込んで来る人も少なく車内は閑散とします。
高茶屋でキハ48系4連と交換。
松阪までのんびり飲みながら過ごし、松阪駅で一番前に移動してスタンバイします。
それは弁当を受け取るためです。松阪駅の牛肉弁当は有名なところです。私はいつも電話で予約を入れておいて、ホームで受け取るのです。親切な従業員のおばちゃんから受け取る弁当は、出来立てのホカホカです。ここの弁当は牛肉がうまいことはもちろん、私にとってはそれよりもご飯、米が美味しいことがうれしいです。最近のコンビニ弁当やホカ弁のご飯もうまいけれど、やはり一流、値段が高いだけの価値があります。
まもなく多気駅に到着。参宮線の分岐駅であるとともに、日中の紀勢本線の列車は多気始発が多いです。逆に亀山方面とは参宮線直通の列車の方が多いです。
10分以上停車するので、駅前のコンビニで買い物ができます。亀山でたくさん酒類を買い込んだのだけど、ここでも補充します。
多気から紀勢本線は山間部に入っていきます。三瀬谷を過ぎると本格的な山越えとなり、エンジンフルバワーでゆっくりと峠を登っていきます。大内山駅、そして梅ケ谷駅あたりが最高地点で、相当登っています。それからは下り坂を転がりながら紀伊長島駅へと向かいます。この区間は地図で見ても、険しい地形であることがわかるし、線路はぐるぐるとカーブの連続であることもわかります。
紀伊長島駅前は店もほとんどなく、寿司屋と小さな牛乳屋さんがあるくらいなので、酒類を手に入れることは不可能です。500メートルほどのところにスーパーがあるのだけど、10分弱の停車時間での往復は無理です。
酔いも十分にまわりあたりも真っ暗、乗客もまばらな、ボックスシートでの楽しい旅はまだまだ続きますが、単調です。
途中の長時間停車の駅ではホームに出て写真を撮ったり、改札も出たりします。こういう旅ができる路線と列車は、本当に少なくなりました。
窓際は酒宴の証拠が。
これ、1人で全部飲んだ訳ではありませんよ、誤解なく。
尾鷲、熊野市と主要駅前後で乗客はほとんど入れ替わり、終着の新宮には19時50分到着です。まだまだ宵の口で都会なら人だらけの時間だろうけれど、3両編成のキハ48から降りた客は10人もいません。
閑散とした駅の改札を出て、旅は終わりです。
紀勢本線のキハ48系、いつまでも残ってほしいものです。
2015年03月15日
北陸新幹線開業と在来線三セク化(廃止編)
いよいよ、北陸新幹線が開業しました。久しぶりの鉄イベントに参加してきました。
金沢へは仕事で以前、何十回と出張し、宿泊したので、思い入れと馴染みがあるのです。
まずは前日の三セク化により廃止または変わる列車と駅の姿です。
北陸へは新幹線開業の前日13日、高山本線のひだ号で乗り込みました。ひだ号10号車1番C席、グリーン車の一番前、前方展望席です。
雪の高山線を、缶チューハイを飲みながらの旅は、これはこれで、とても楽しいです。
美濃太田までは、ダイヤ改正により運用が激減するキハ48系狙いの撮影の人達が、線路脇にたくさんいました。
そんなキハ48系ともたびたび交換します。
富山駅に着きました。在来線としては最後の日です。駅内はお別れムードもたくさんありました。
左が新幹線コンコース。
駅構内は本当に明日、新幹線が開業するのかいなって雰囲気でした。工事中のこの状況が一晩で新幹線駅に模様替えできのかなという感じです。
正面の線路は駅を通り抜ける予定の、富山ライトレールの線路。
駅前から
反対側
駅内にはこんなものも。
「きときと君」だそうで。
この改札口も今日で最後かな。
この表示も、今日で最後です。
富山からは最後の日となる、JR北陸本線に乗って金沢へ向かいます。
倶利伽羅駅で途中下車しました。金沢出張の空き時間に何度か訪れた駅です。
最後の日であるこの日は、たくさんの鉄道ファンが訪れていました。
倶利伽羅の駅名と、はくたかを撮りました。
駅近くの道路上から撮りました。急に土砂降りの雨となり暗くて、傘を持ちながらで、まともに撮れません。
金沢駅では各種お別れイベントが多数ありましたが、全部参加するのははっきり言って面倒(この程度)なので、早々に駅構内の飲み屋で飲み始めました。金沢出張時の馴染み店で、店の大将が私を覚えててくれました。もうかれこれ4年になるのに、ちょっと感動。
その後、最終となる北越の到着を待ちました。
こんなお別れイベントが、最終となるはくたかと北越の発車と到着に合わせて催されたようです。
こんなふうに、お別れ式典は鉄道ファンがほとんどで、一番前で楽に写真が撮れるのでした(コツはあるけれど)。
こんなにたくさん人はいるんですよ。
さて、翌日の新幹線開業は、一般人、地元の人たちがたくさん訪れて、とんでもない大混雑となるのでした。
開業準備の改札横式典会場とカウントダウンの表示。
構内の飾り付け
北陸新幹線開業と在来線三セク化(開業編)に続く
金沢へは仕事で以前、何十回と出張し、宿泊したので、思い入れと馴染みがあるのです。
まずは前日の三セク化により廃止または変わる列車と駅の姿です。
北陸へは新幹線開業の前日13日、高山本線のひだ号で乗り込みました。ひだ号10号車1番C席、グリーン車の一番前、前方展望席です。
雪の高山線を、缶チューハイを飲みながらの旅は、これはこれで、とても楽しいです。
美濃太田までは、ダイヤ改正により運用が激減するキハ48系狙いの撮影の人達が、線路脇にたくさんいました。
そんなキハ48系ともたびたび交換します。
富山駅に着きました。在来線としては最後の日です。駅内はお別れムードもたくさんありました。
左が新幹線コンコース。
駅構内は本当に明日、新幹線が開業するのかいなって雰囲気でした。工事中のこの状況が一晩で新幹線駅に模様替えできのかなという感じです。
正面の線路は駅を通り抜ける予定の、富山ライトレールの線路。
駅前から
反対側
駅内にはこんなものも。
「きときと君」だそうで。
この改札口も今日で最後かな。
この表示も、今日で最後です。
富山からは最後の日となる、JR北陸本線に乗って金沢へ向かいます。
倶利伽羅駅で途中下車しました。金沢出張の空き時間に何度か訪れた駅です。
最後の日であるこの日は、たくさんの鉄道ファンが訪れていました。
倶利伽羅の駅名と、はくたかを撮りました。
駅近くの道路上から撮りました。急に土砂降りの雨となり暗くて、傘を持ちながらで、まともに撮れません。
金沢駅では各種お別れイベントが多数ありましたが、全部参加するのははっきり言って面倒(この程度)なので、早々に駅構内の飲み屋で飲み始めました。金沢出張時の馴染み店で、店の大将が私を覚えててくれました。もうかれこれ4年になるのに、ちょっと感動。
その後、最終となる北越の到着を待ちました。
こんなお別れイベントが、最終となるはくたかと北越の発車と到着に合わせて催されたようです。
こんなふうに、お別れ式典は鉄道ファンがほとんどで、一番前で楽に写真が撮れるのでした(コツはあるけれど)。
こんなにたくさん人はいるんですよ。
さて、翌日の新幹線開業は、一般人、地元の人たちがたくさん訪れて、とんでもない大混雑となるのでした。
開業準備の改札横式典会場とカウントダウンの表示。
構内の飾り付け
北陸新幹線開業と在来線三セク化(開業編)に続く
2015年03月15日
北陸新幹線開業と在来線三セク化(開業編)
北陸新幹線開業日に立ち会いました。
金沢駅コンコースは大量の人であふれかえっています。こんな金沢駅見たことありません。ほとんどが歓迎の一般人です。地元ではこれだけ歓迎されているのかと思うと、来てよかったなと思いました。
新幹線改札口横の式典は、報道陣と一般人の人だかりでまともに撮影できません。
帰宅後にビデオ(全録タイムシフトレグザ持っています)で観た関連ニュースでは、入場券を入手するために何時間も並んだとかいう人もいたそうです。私も、入場券を買うのに時間かかるかなくらいに思い、金沢駅に着いたのは4時50分頃でした。そしたら入場券を買い求める人で大行列ではありませんか。最後尾なんて看板を持つ係員に従い並びました。こりゃホームに入れるかしらと心配していたら、いきなり行列が前進大移動、ほんの5分くらいで手に入りました。はっきり言ってよくわかりませんでした。手売りの臨時売り場で係員から買いました。発行時刻は4時27分でした。私が手に入れたのは4時58分頃です。とりあえず、入場券については難なく手に入りました。この後、5時半過ぎくらいにのこのこ行って、入場規制のため発行制限されたのか否かは知りません。どうだったのでしょうか。
入場してすぐ、改札付近の状況です。
「かがやき500号」、北陸新幹線の本当の1番列車と発車ホームです。
各ドアに加賀友禅の女性が立って、歓迎です。
かがやき500号が発車するホームの富山寄りは規制されていて一般人は立ち入り禁止なので、反対のホームへ行って待機しました。5時10分頃からです。
反対側ホームの5時50分頃の状況です。
乗務員への花束贈呈です。
谷本石川県知事の到着です。
向かいのホームからこちら側へビデオを向けてずーと撮影している者がいます。たぶん警察でしょうね。マスコミとはまったく雰囲気が違い、明らかに回りから浮いた状態で存在感抜群です。今は物騒な世の中だけど、何かあった時の証拠にでもするつもりなのか、鉄道イベントで集まった人達を撮影するのは、どうも感じよくありません。昔、青函トンネル開業のときは、真っ正面から石原慎太郎(当時の運輸大臣)を報道陣よりも私が前で、堂々とビデオ撮影ときとは隔世の感があります。どうも見てておもしろくなかったです。まあ国土交通大臣も来ていたし。SPらしき目つきの鋭い連中も、しきりにこちら側のホームを向いて、ガン飛ばしていました。感じ悪る~
くす玉割です。
そして発車です。実はトラブルで1分ほど発車が遅れました。定時に発車のタイフォンを鳴らしたのに動きませんでした。そして1分後くらいにタイフォンをもう一度長く鳴らして、発車していきました。帰宅後、録画したNHKの生中継を観たらなんかバツが悪そうでした。世紀の瞬間にあーあです。このあとのVTRはうまく編集されて、失態は観られません。
くす玉です。今回は式典終了後も会場エリアへ一般人は入らせてもらえず、規制を続けていました。
長野新幹線の開業式典後の長野駅では、すぐに開放されてくす玉の下で記念写真も撮れたのになあ。
かがやき500号が出発したあとも、こちらのホームはこのとおり。
その後、富山発の一番列車である「つるぎ」号の到着を見ました。金沢に到着する本当の一番列車です。
テレビカメラも中継しています。そして、到着客といっしょに自動改札を出ました。改札前は一番列車の乗客への記念品を配布していました。ちゃっかりともらいました。ちなみに、入場券は発売時刻から2時間以内までが有効なのだけど、持っている入場券の発行時刻は4時27分、自動改札を出たのは6時40分頃でした。今日に限って時間制限は解除していたのでしょうか?。
そのあとは時間をおいて、東京発の一番列車「かがやき」501号の到着をホームで待ちました。ホームには谷本知事も並び歓迎ムードで、たくさんの人でごった返していました。
かがやき501号の到着です。
朝一番の「つるぎ」と違って、下車客も多く報道陣と一般人でホームは一杯です。
今度も下車客といっしょに改札を出て、記念品をもらいました。今度のには紅白饅頭も入っていました。その他には「つるぎ」のときと同じ「ひゃくまんさん」なるキーホルダーと石川県や金沢市の観光パンフ類が同封されています。
饅頭、たいへんおいしゅうございました。
下車客でもないのに記念品をもらったけれど、私のこれまでの国鉄とJR(飲み代・宿泊代としての金沢市への貢献も含めて)への貢献は多大なものがあると思うので、そっとしておいてください。
コンコースも歓迎ムード一色でした。ミス加賀友禅の女性ほか、たくさんいます。
きれいな方です。
駅前にはたくさんの報道陣の姿が。東京のキー局も来ていて、ZIPの取材班も。
さて、イベントは続いていますが、私も一番乗りと帰路を兼ねて「はくたか」に乗り込みました。だいたいこういう開業日は指定席は満席だけど、自由席は一番列車でもない限りガラガラだとの経験則が私はあります。
乗り込んだ「はくたか」案の定、自由席はガラガラでした。
金沢を発車してすぐに、青塗装の国鉄型と併走しました。まだ走っているんだと思ったら、七尾行きでした。
駅名標です。「黒部宇奈月温泉」、「糸魚川」などはJR西カラーですが、「飯山」からJR東仕様となりました。「上越妙高」は撮り忘れました。
乗った「はくたか」は、一駅で乗り降りする乗客が多く、長野到着時点では、もっと空いてしまいました。そして、指定席は気の毒なくらい満席でした。ふっ。
長野を出発して東京へ向かう「はくたか」。流し撮りうまくいかん。
長野で下車して、そばと熱燗で遅めの昼食を取り、しなの号で名古屋へ帰りました。
開業前日はこちら
金沢駅コンコースは大量の人であふれかえっています。こんな金沢駅見たことありません。ほとんどが歓迎の一般人です。地元ではこれだけ歓迎されているのかと思うと、来てよかったなと思いました。
新幹線改札口横の式典は、報道陣と一般人の人だかりでまともに撮影できません。
帰宅後にビデオ(全録タイムシフトレグザ持っています)で観た関連ニュースでは、入場券を入手するために何時間も並んだとかいう人もいたそうです。私も、入場券を買うのに時間かかるかなくらいに思い、金沢駅に着いたのは4時50分頃でした。そしたら入場券を買い求める人で大行列ではありませんか。最後尾なんて看板を持つ係員に従い並びました。こりゃホームに入れるかしらと心配していたら、いきなり行列が前進大移動、ほんの5分くらいで手に入りました。はっきり言ってよくわかりませんでした。手売りの臨時売り場で係員から買いました。発行時刻は4時27分でした。私が手に入れたのは4時58分頃です。とりあえず、入場券については難なく手に入りました。この後、5時半過ぎくらいにのこのこ行って、入場規制のため発行制限されたのか否かは知りません。どうだったのでしょうか。
入場してすぐ、改札付近の状況です。
「かがやき500号」、北陸新幹線の本当の1番列車と発車ホームです。
各ドアに加賀友禅の女性が立って、歓迎です。
かがやき500号が発車するホームの富山寄りは規制されていて一般人は立ち入り禁止なので、反対のホームへ行って待機しました。5時10分頃からです。
反対側ホームの5時50分頃の状況です。
乗務員への花束贈呈です。
谷本石川県知事の到着です。
向かいのホームからこちら側へビデオを向けてずーと撮影している者がいます。たぶん警察でしょうね。マスコミとはまったく雰囲気が違い、明らかに回りから浮いた状態で存在感抜群です。今は物騒な世の中だけど、何かあった時の証拠にでもするつもりなのか、鉄道イベントで集まった人達を撮影するのは、どうも感じよくありません。昔、青函トンネル開業のときは、真っ正面から石原慎太郎(当時の運輸大臣)を報道陣よりも私が前で、堂々とビデオ撮影ときとは隔世の感があります。どうも見てておもしろくなかったです。まあ国土交通大臣も来ていたし。SPらしき目つきの鋭い連中も、しきりにこちら側のホームを向いて、ガン飛ばしていました。感じ悪る~
くす玉割です。
そして発車です。実はトラブルで1分ほど発車が遅れました。定時に発車のタイフォンを鳴らしたのに動きませんでした。そして1分後くらいにタイフォンをもう一度長く鳴らして、発車していきました。帰宅後、録画したNHKの生中継を観たらなんかバツが悪そうでした。世紀の瞬間にあーあです。このあとのVTRはうまく編集されて、失態は観られません。
くす玉です。今回は式典終了後も会場エリアへ一般人は入らせてもらえず、規制を続けていました。
長野新幹線の開業式典後の長野駅では、すぐに開放されてくす玉の下で記念写真も撮れたのになあ。
かがやき500号が出発したあとも、こちらのホームはこのとおり。
その後、富山発の一番列車である「つるぎ」号の到着を見ました。金沢に到着する本当の一番列車です。
テレビカメラも中継しています。そして、到着客といっしょに自動改札を出ました。改札前は一番列車の乗客への記念品を配布していました。ちゃっかりともらいました。ちなみに、入場券は発売時刻から2時間以内までが有効なのだけど、持っている入場券の発行時刻は4時27分、自動改札を出たのは6時40分頃でした。今日に限って時間制限は解除していたのでしょうか?。
そのあとは時間をおいて、東京発の一番列車「かがやき」501号の到着をホームで待ちました。ホームには谷本知事も並び歓迎ムードで、たくさんの人でごった返していました。
かがやき501号の到着です。
朝一番の「つるぎ」と違って、下車客も多く報道陣と一般人でホームは一杯です。
今度も下車客といっしょに改札を出て、記念品をもらいました。今度のには紅白饅頭も入っていました。その他には「つるぎ」のときと同じ「ひゃくまんさん」なるキーホルダーと石川県や金沢市の観光パンフ類が同封されています。
饅頭、たいへんおいしゅうございました。
下車客でもないのに記念品をもらったけれど、私のこれまでの国鉄とJR(飲み代・宿泊代としての金沢市への貢献も含めて)への貢献は多大なものがあると思うので、そっとしておいてください。
コンコースも歓迎ムード一色でした。ミス加賀友禅の女性ほか、たくさんいます。
きれいな方です。
駅前にはたくさんの報道陣の姿が。東京のキー局も来ていて、ZIPの取材班も。
さて、イベントは続いていますが、私も一番乗りと帰路を兼ねて「はくたか」に乗り込みました。だいたいこういう開業日は指定席は満席だけど、自由席は一番列車でもない限りガラガラだとの経験則が私はあります。
乗り込んだ「はくたか」案の定、自由席はガラガラでした。
金沢を発車してすぐに、青塗装の国鉄型と併走しました。まだ走っているんだと思ったら、七尾行きでした。
駅名標です。「黒部宇奈月温泉」、「糸魚川」などはJR西カラーですが、「飯山」からJR東仕様となりました。「上越妙高」は撮り忘れました。
乗った「はくたか」は、一駅で乗り降りする乗客が多く、長野到着時点では、もっと空いてしまいました。そして、指定席は気の毒なくらい満席でした。ふっ。
長野を出発して東京へ向かう「はくたか」。流し撮りうまくいかん。
長野で下車して、そばと熱燗で遅めの昼食を取り、しなの号で名古屋へ帰りました。
開業前日はこちら