2015年12月23日
片上鉄道 最期の日
山陽本線の和気駅をはさみ、片上と柵原を結んでいた、同和鉱業片上鉄道。典型的な地方鉄道でしたが、平成3年に廃止されました。
廃止される最期の日に行ったときの写真です。
この頃はこういった最終日で人がたくさん集まっていても、なんとなくのどかな良い雰囲気でした。
近頃の北斗星やトワイライトエクスプレスが廃止されたときの、テレビを見ていても伝わってくる、殺伐とした感じは微塵もありませんでした。
片上鉄道は今でも、保存活動が活発で、動態保存や有志による運転会など積極的な保存活動がされているようで、頼もしい限りです。
廃止される最期の日に行ったときの写真です。
この頃はこういった最終日で人がたくさん集まっていても、なんとなくのどかな良い雰囲気でした。
近頃の北斗星やトワイライトエクスプレスが廃止されたときの、テレビを見ていても伝わってくる、殺伐とした感じは微塵もありませんでした。
片上鉄道は今でも、保存活動が活発で、動態保存や有志による運転会など積極的な保存活動がされているようで、頼もしい限りです。
2015年12月20日
手荷物・小荷物
鉄道関係の本を読んでいて、昔の手荷物と小荷物の話しがありました。
駅には小荷物の専用窓口があり、無愛想な駅員が荷物の預かりや受け取りを対応していました。
窓口の中には無骨な天秤ばかりがあり、重しを調整して荷物の重量を計っていました。
専用の荷札に行き先などを記入して、箱には厳重に、がんじがらめに荒縄などで縛り付けました。
こんなにがちがちに箱に縄を縛る父親の姿に、すごいなと思ったものです。
駅で集荷された小荷物は、専用の荷物列車に載せられたり、旅客列車に連結された荷物車に積まれたり、旅客車の一部を締め切ったスペースに積まれたりしたものです。
私が小学生のとき(昭和40年代後半)、この年末シーズンには定例で佐賀の父親の実家から餅とみかんが鉄道小荷物で送られてきました.。
この時代は宅配便というものは存在しませんでした。
荷物の類はすべて、鉄道だけが頼りでした。
しかし、そのサービスは今の宅配便サービスと比べたら天と地の差があります。
荷物は原則、駅で預け駅に取りに行かねばなりません。
我が家にはクルマなんか当然ありませんので、バスに乗って京浜東北線の大森駅へ取りにいきました。
大森駅にも、手荷物小荷物の専用窓口がありました。
そこで、無愛想を通り越した命令口調の職員から平身低頭に、荷物を親が受け取っていたように記憶します。
そして、みかんと餅が入ったくそ重い荷物を持ってバスに乗って帰ったのです。
なんて不便な時代だったことでしょうかね。でも、それが当たり前な時代でした。
今となっては懐かしい思い出だけど。
荷物が着く日時など確定してなくて、父の実家から「送ったぞ」と電話があって、何日かたってから駅から電話があり、取りにいくようなシステムだったかなと記憶します。
さきほど書いたけれど、荷物の箱は丈夫なものでかつ縄で厳重にこれでもかと縛り付けています。
しかしそれでも、着いた荷物の箱はボロボロで、時には中身が見えているようなこともありました。
それはなぜか。
それは、箱を縄で縛るのは、取り扱う職員が荷物を持ち上げるために必須だから。
縄や紐で縛っていなければ受け付けてもらえません。
その縄を持ってつかんで持ち上げられた荷物は、窓口から台車、そして荷物車へ、荷物車内で置き場所へ、また荷物車から台車へ、そして窓口へ。列車間の乗り換えもあったことでしょう。
その一連の作業は乱暴でした。
荷物は基本、投げ渡し。そのためにも縄は必須なんです。
そして、何度も投げられ飛ばされて、受け取り時には箱は本当にボロボロでした。
アマゾンをはじめ、通販の普及も宅配便の普及のおかげです。
昔を考えるとウソのようです。
荷物は、日時指定までできて、しかも迅速丁寧。
クロネコヤマトの宅急便などが急速に普及し、鉄道小荷物は消えました。
しかし、今でも宅配便の荷物はコンテナに載せられて、鉄道で移動しています。
駅には小荷物の専用窓口があり、無愛想な駅員が荷物の預かりや受け取りを対応していました。
窓口の中には無骨な天秤ばかりがあり、重しを調整して荷物の重量を計っていました。
専用の荷札に行き先などを記入して、箱には厳重に、がんじがらめに荒縄などで縛り付けました。
こんなにがちがちに箱に縄を縛る父親の姿に、すごいなと思ったものです。
駅で集荷された小荷物は、専用の荷物列車に載せられたり、旅客列車に連結された荷物車に積まれたり、旅客車の一部を締め切ったスペースに積まれたりしたものです。
私が小学生のとき(昭和40年代後半)、この年末シーズンには定例で佐賀の父親の実家から餅とみかんが鉄道小荷物で送られてきました.。
この時代は宅配便というものは存在しませんでした。
荷物の類はすべて、鉄道だけが頼りでした。
しかし、そのサービスは今の宅配便サービスと比べたら天と地の差があります。
荷物は原則、駅で預け駅に取りに行かねばなりません。
我が家にはクルマなんか当然ありませんので、バスに乗って京浜東北線の大森駅へ取りにいきました。
大森駅にも、手荷物小荷物の専用窓口がありました。
そこで、無愛想を通り越した命令口調の職員から平身低頭に、荷物を親が受け取っていたように記憶します。
そして、みかんと餅が入ったくそ重い荷物を持ってバスに乗って帰ったのです。
なんて不便な時代だったことでしょうかね。でも、それが当たり前な時代でした。
今となっては懐かしい思い出だけど。
荷物が着く日時など確定してなくて、父の実家から「送ったぞ」と電話があって、何日かたってから駅から電話があり、取りにいくようなシステムだったかなと記憶します。
さきほど書いたけれど、荷物の箱は丈夫なものでかつ縄で厳重にこれでもかと縛り付けています。
しかしそれでも、着いた荷物の箱はボロボロで、時には中身が見えているようなこともありました。
それはなぜか。
それは、箱を縄で縛るのは、取り扱う職員が荷物を持ち上げるために必須だから。
縄や紐で縛っていなければ受け付けてもらえません。
その縄を持ってつかんで持ち上げられた荷物は、窓口から台車、そして荷物車へ、荷物車内で置き場所へ、また荷物車から台車へ、そして窓口へ。列車間の乗り換えもあったことでしょう。
その一連の作業は乱暴でした。
荷物は基本、投げ渡し。そのためにも縄は必須なんです。
そして、何度も投げられ飛ばされて、受け取り時には箱は本当にボロボロでした。
アマゾンをはじめ、通販の普及も宅配便の普及のおかげです。
昔を考えるとウソのようです。
荷物は、日時指定までできて、しかも迅速丁寧。
クロネコヤマトの宅急便などが急速に普及し、鉄道小荷物は消えました。
しかし、今でも宅配便の荷物はコンテナに載せられて、鉄道で移動しています。
2015年12月06日
昭和の首都圏
昭和50年代前半のものです。
東京近郊区間大回り乗車のときに撮ったものなどです。
はっきり言って、へたくそな写真ばかり。
今となっては貴重な風景ということで・・・
茅ヶ崎駅で発車を待つ、相模線の橋本行きのキハ20です。
同じくその車内。蛍光灯ではなく白熱灯の照明が天井にあります。
八王子駅で発車を待つ、八高線の高崎行きのキハ35です。
東飯能駅で発車を待つ、川越線の大宮行きのキハ35 900番台です。アルミ車体の試作車両でした。
品川駅で東京着のブルトレを、この場所でよく撮りました。背景の鉄橋は京浜急行の線路です。
品川駅ホームの田町よりからは、品川客車区で休む九州ブルトレ群を撮影できました。
新幹線も撮ったり。
場所を移動して、浜松町駅ホームから。
東海道線の電車、先頭に郵便荷物車も連結されていました。
ここからも新幹線を撮影。流し撮りの練習でもしていたのかな。
以下は、与野-大宮間です。
古~い、荷物電車。
20系の北陸号。
20系のあけぼの号。
ゴハチ牽引のなんでしょうか?
これもゴハチ牽引の20系。
EF15もたくさん走っていました。
旧客を牽くゴハチ。長距離鈍行か急行列車か?
東京近郊区間大回り乗車のときに撮ったものなどです。
はっきり言って、へたくそな写真ばかり。
今となっては貴重な風景ということで・・・
茅ヶ崎駅で発車を待つ、相模線の橋本行きのキハ20です。
同じくその車内。蛍光灯ではなく白熱灯の照明が天井にあります。
八王子駅で発車を待つ、八高線の高崎行きのキハ35です。
東飯能駅で発車を待つ、川越線の大宮行きのキハ35 900番台です。アルミ車体の試作車両でした。
品川駅で東京着のブルトレを、この場所でよく撮りました。背景の鉄橋は京浜急行の線路です。
品川駅ホームの田町よりからは、品川客車区で休む九州ブルトレ群を撮影できました。
新幹線も撮ったり。
場所を移動して、浜松町駅ホームから。
東海道線の電車、先頭に郵便荷物車も連結されていました。
ここからも新幹線を撮影。流し撮りの練習でもしていたのかな。
以下は、与野-大宮間です。
古~い、荷物電車。
20系の北陸号。
20系のあけぼの号。
ゴハチ牽引のなんでしょうか?
これもゴハチ牽引の20系。
EF15もたくさん走っていました。
旧客を牽くゴハチ。長距離鈍行か急行列車か?
2015年12月03日
山手線新型車両2
新型車両は当面、運転中止するそうな。
ハイテクのかたまりの制御装置を備えて自動化したけれど、うまく機能しなかったみたいです。
仕組みはまったく理解できません。
昔の車両の初期故障とは別次元なのかな。
将来無くなると思われる職業に、電車の運転士もあった。
自動化しやすいという、わかりやすい考えからだろう。
リニアは無人運転になるらしい。
鉄道の運転を完全自動化するより、フェイルセイフ、安全へのバックアップは重視しつつも、運転操作自体は人間の手による方が、未来に向けても良いと思うが・・・
103系と新型のE235系、まったく別物なんでしょうね。
アナログレコードと、SDカードに記録した音楽の再生みたいなもんかな。
今のJR東の運転士が、セクションも教育されずに運転士になれることが、自動化の賜物なんでしょうか。
ハイテクのかたまりの制御装置を備えて自動化したけれど、うまく機能しなかったみたいです。
仕組みはまったく理解できません。
昔の車両の初期故障とは別次元なのかな。
将来無くなると思われる職業に、電車の運転士もあった。
自動化しやすいという、わかりやすい考えからだろう。
リニアは無人運転になるらしい。
鉄道の運転を完全自動化するより、フェイルセイフ、安全へのバックアップは重視しつつも、運転操作自体は人間の手による方が、未来に向けても良いと思うが・・・
103系と新型のE235系、まったく別物なんでしょうね。
アナログレコードと、SDカードに記録した音楽の再生みたいなもんかな。
今のJR東の運転士が、セクションも教育されずに運転士になれることが、自動化の賜物なんでしょうか。
2015年12月01日
山手線 新型車両
昨日くらいから、山手線の新型車両がニュースになっています。
初期故障、トラブルもあったみたいです。
その中で、停止位置か50センチずれたとか言っていました。
そのくらい許容範囲だろ。
と、思ったら、なんか自動制御のシステムがトラブったとか・・・
ふつうは運転士が経験と実力で、ぴったりの位置に停車させるものだが、JR東のシステムは私の理解の範疇外みたいだ。
そのシステムが機能しなかった。
50センチの停止位置ずれか、事故扱いになるなら、東武東上線なら全列車が事故扱いになってしまう。
停車操作は運転士に100%任せた方が良いのではないかと思う。
新型車両に初期故障がつきものなのは、昔から変わりない。
下手にマスコミに注目されるから、当たり前のことが大騒ぎされているのだと思う。
明日は、新型は全編成営業運転はやめて、点検するらしい。
まあ、別に、大騒ぎするようなことではないと思いますけどねえ。
101系が出たとき、103系が出たとき、そして203系、205系が出たとき、今みたいに世間は大騒ぎしましたかと、問いたい。
初期故障、トラブルもあったみたいです。
その中で、停止位置か50センチずれたとか言っていました。
そのくらい許容範囲だろ。
と、思ったら、なんか自動制御のシステムがトラブったとか・・・
ふつうは運転士が経験と実力で、ぴったりの位置に停車させるものだが、JR東のシステムは私の理解の範疇外みたいだ。
そのシステムが機能しなかった。
50センチの停止位置ずれか、事故扱いになるなら、東武東上線なら全列車が事故扱いになってしまう。
停車操作は運転士に100%任せた方が良いのではないかと思う。
新型車両に初期故障がつきものなのは、昔から変わりない。
下手にマスコミに注目されるから、当たり前のことが大騒ぎされているのだと思う。
明日は、新型は全編成営業運転はやめて、点検するらしい。
まあ、別に、大騒ぎするようなことではないと思いますけどねえ。
101系が出たとき、103系が出たとき、そして203系、205系が出たとき、今みたいに世間は大騒ぎしましたかと、問いたい。