2014年09月27日

宇沢弘文氏 死去 自動車の社会的費用

 経済学者の宇沢弘文氏死去のニュースが新聞に掲載された。
 
 「自動車の社会的費用」の著者であることも紹介されているが、内容の説明がおかしい。
 「自動車公害の構造を分析した」とあるが、ちょっと違和感がある。広く自動車の社会的影響を論じた本である。

 まえがきの一部を紹介したい。
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 日本における自動車通行の特徴を一言にいえば、人々の市民的権利を侵害するようなかたちで自動車通行が社会的に認められ、許されているということである。ところが、自動車通行にかぎらず、すべての経済活動は多かれ少なかれ、他人の人々の市民的権利になんらかの意味で抵触せざるをえないのが現状である。このことは、産業公害の例を出すまでもないことであろう。ところが、経済活動にともなって発生する社会的費用を十分に内部化することなく、第三者、とくに低所得者層に大きく負担を転嫁するようなかたちで処理してきたのが、戦後日本経済の高度成長の過程の一つの特徴でもあるということができる。そして、自動車はまさにそのもっとも象徴的な例であるということができる。
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 「自動車の社会的費用」の内容を一言で言えば、自動車利用者が自動車の運行に必要なすべての費用を負担していないと主張しているのだ。
 諸外国と日本の交通政策の違いを述べて、日本の自動車交通の問題をあぶり出しているのである。
 道路を建設・管理することはもちろん、安全運行に要するすべての費用、自動車交通が負担をかけている警察・消防・救急にかかる費用、公共交通への影響、交通事故による人命と健康の喪失、そして環境負荷、環境対策などのすべてを自動車利用者は負担していないと批判しているのだ。
 自動車公害、環境負荷についてはその一部分でしかない。
 特に自家用車について、税負担だけではとても自動車を広く運行する費用を負担していないとし、 「マイカー」という言葉の持つ意味を醜悪的と批判し、マイカーは所有者以外には一切の利益を生じさせることなく外部に負担だけをかけている、マイカー所有者以外にはまったく何の役にも立たない迷惑だけをかけている存在だと否定しているのである。
 自動車交通の中でも、自家用車を所有していないが間接的には利益を得るトラック貨物輸送とも経済的関係を比較して、自家用車がどれだけ社会に負担を強いているかの問題を追及、批判しているのだ。
 単に自動車公害とか環境問題の内容なんかでは決してない。

 どうもマスコミさんは自動車を悪者にはしたくないようで、そういう書き方を意図的にするのか、それとも本を読んでいないのか。日本社会と経済にとって、自動車メーカーを敵にはできませんものね。日本人の多くもこの本の内容を理解したくもないようで、誤報とまでは言えないが、どうもマスコミは正直に内容を紹介したくないのではないかと勘ぐりたくなる。

  政治家は人気取りだけのために、広く集めた国民の税金を使って財源限定で高速料金を割引、無料実験を実施した。恩恵を受けたのはまさに、自動車利用者のみである。広く国民すべてが恩恵は受けていない。自家用車利用者のみが恩恵を受けた、極めて不公平な施策であった。


 自動車関連団体は、いつまでも自動車関連の税負担が重すぎると声高に主張する。
 「自動車の社会的費用」を熟読してから言ってほしい。
  

Posted by よっぱらいくま at 16:59Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2014年09月27日

吉田調書を読んで

 朝日新聞の捏造報道をきっかけに公開された、福島原発事故の顛末を語った吉田調書の詳細な内容が新聞に掲載されました。
 それを読んで感じたのは、東電上層部と官邸・政治家の情けない行動と、現場の死闘でした。

 最近読んだ交通新聞社新書から出ている「青函トンネル物語」(2013年6月発行)という本の中に、こんなことが書いてありました。
 青函トンネル工事中の作業坑大出水事故に対応する鉄道建設公団幹部のやりとりです。
 少し長くなりますが、要旨を紹介します。


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公団本社午後4時
 本社にいた局長の藤田(青函建設局長)は落ち着かない様子だった。本社の海峡線課では係長が中心となって現地からの情報をまとめていた。秘書室に持田次長から電話があった。
「出水が増えています。局長、帰ってください」
 受話器から流れる持田の声は、いつもとまったく調子がちがっている。朝からの不安が現実となったのか、頭がカッとして体が熱くなるのを覚えた藤田は、落ち着けと肝に銘じた。
「(出水は)何トン位だ」
「わかりませんが(毎分)30トンはオーバーしています。今、バルクヘッドで防いでいますが」
「何としても、・・・水門扉を早く閉じて防げ。先進導坑は必ず守れよ」
 藤田は声を荒げて次々と指示する。
「局に対策本部を設けて、君が本部長になれ。吉岡(現地)には行くな。移動すると2時間の空白が心配だ。いいか。局を動くでないぞ」
 持田に伝え終えると、藤田は受話器を静かに置いた。声が大きくなり、秘書室の人達が心配そうに眺めていた。藤田は照れ隠しに「ありがとう」と言って、秘書室を出て行った。
 秘書室を出た藤田は、すぐ篠原総裁に報告して、「函館に帰ります」と告げたところ、「千歳廻りで帰ったら」と言われた。時計を見ると、函館行き最終便が羽田を飛び立つ時刻だった。
「現地は混乱しており、局長が深夜、千歳へ着けば余計な手数を煩わすので列車で帰ります。私が早く着いても。津軽海峡の水を止めるわけでもないですから」
 篠原は苦笑しながら、「何かやってほしいことはあるか」と言った。
 大変に心強い言葉に、ありがたいと思った藤田は、「お願いは、どうか直接、総裁から私に電話をかけないで下さい。私は局で指揮をとります。現地の細かい事情のわからないのは総裁と同じです。わからない者同士の話はロクなことになりません。正式ルートで報告させますし、必要な時は、私から電話を差し上げますから、わがままと思いますがお願いします」
 深々と頭を下げて部屋を出ようとすると、篠原は黙ったまま立ち上がり、藤田の肩をボンとたたいて「頼むよ」と言った。藤田は総裁の顔をジッと見たまま返事をせずに黙って、もう一度頭を下げて部屋を去った。
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 この話しを、原発事故対応にあたる現地の吉田所長と幹部たち、東電本社の幹部たち、そして官邸の政府首脳たちに置き換えて考えました。

 日本国のトップである菅首相は、パニクって何も考えずに翌日ヘリコプターで早朝に現地に行った。そのためにどれだけの人材が無駄に動員されることになったことか。そしてなにやらわめき散らしただけで帰った。結果は、吉田調書曰く、「何か怒っている様子だったが、何を言っているのかよくわからなかった」
 藤田は次長の持田に決して局から動くなと指示した。総裁に報告し最速で帰れる千歳行きの飛行機に乗ることを提案されるも、「深夜に千歳に着いても迎えの手間を現場にかけるから列車で帰る、私が早く帰っても状況がよくなるものではない」と、判断します。

 菅は自ら東電本社に怒鳴り込み、ただ怒鳴り散らし、罵倒した。
 総裁は「何かやってほしいことはあるか」と局長に、一言だけ言う。
 藤田局長は、電話を直接しないでほしい、局で指揮をとる私も細かい現地事情がわからないのは同じ、わからない者同士の話しはロクなことになりません、と応える。
 この言葉こそ、今回の福島原発事故の対応と対極をなすものではないでしょうか。
 東電本社と官邸が、現地のことをロクにわかっていないのに的確な助言はなしに勝手な指示命令を出し、海水注入の中断の指示を出した。
 わからない者同士が勝手に暴走して、全員撤退という話しが拡散していった。
 まさに、「わからない者同士の話しはロクなことになりません」ということにまったく気づいていなかった。

 菅は発災の翌日に現地にヘリで飛んだ。現地の手を煩わすという気遣い、トップが本部不在となること、首相が現地に行ったって何も状況がよくなるものでもないこと、それらすべての問題点が菅はまったくわかっていない。藤田の言葉とはまさしく正反対の行動をとっています。

 総裁は最後に、ポンと肩をたたいて一言「頼むよ」とだけ言います。
 この鉄道公団幹部の一連の会話で読み取れるのは、総裁は局長を信頼していること、上層部は落ちついて冷静な行動を取ることが大事であり、ただやみくもに1分1秒でも早く現地に行くことよりも大事なことがあるということ、局長も現地で死にものぐるいで動いている現地の部下たちを信頼しているということが、総裁と局長の言葉から読み取れます。

 「青函トンネル物語」の題名どおり、多少の脚色はあるだろうが、当時の鉄道公団はこうして青函トンネル水没の危機から脱出しました。

 現代の社会、組織はどうでしょうか。何かあればトップがしゃしゃり出てきて現場を混乱させる。部下を信用していない。何かと言えばトップダウンだとぬかす。
 ブラックと呼ばれる民間会社なんか特にそうだし、政治家も首長も役所も同じ、そんな傾向にあります。
 菅がまさに悪例だし、橋下とか河村とかも同類でしょう。民主党も幼な過ぎた。自民党議員だって同じだ。威張り散らし官僚や現場を混乱させる勘違い議員は多数います。
 「ボクが出て行かなければダメだ」なんていつも橋下は言い職員を信用しない。そのくせ災害が起こっている最中に自宅でツイッター三昧がばれると、「ボクが行かなくても電話指示で十分だ」などと言い訳け、支離滅裂だ。

 やっぱり日本国という組織は、劣化していると感じざるを得ません。
 政治家も企業家も、そして私自身を含む大人たちすべてが劣化しているのでしょう。  

Posted by よっぱらいくま at 15:08Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2014年09月11日

朝日新聞が謝罪

 慰安婦問題、東京電力の福島原発、大誤報を撒き散らしてきた朝日新聞がやっと謝罪したらしい。

 意図的に誤報を撒き散らしたくせに、なにやら言い訳している。

 国、行政、大企業のやることにイチャモンをつけるのが、朝日新聞社の社是でしょうに。

 くどくど言っても仕方ない。

 朝日新聞の名称を変えて、「誤報新聞」にしたら良いのでは。

 小学生の学級新聞以下ですな。

 仲良し系の中日新聞が明日、この件をどう報道するかしら。




 さて、12日の中日新聞を読んで改めて、これは「誤報」ではなくて「捏造」だなと思った次第です。
 「裏付けが不十分」、「思い込み」、「チェック不足」などなど、次元の低い言い訳のオンパレード。
 日本の大新聞社が記事を作成するにあたって、こんな杜撰な低レベルな仕事しかやっていなかったと自ら認めているのです。わざとウソを報道したとは言えないから、あんな情けない言い訳をする以外に説明ができないのでしょう。
 朝日は最初から原発や東電と現場の担当者を悪者にしたいという、そういう結論に導くために、都合の良い部分だけを取り上げて、都合の良い取材先の言葉だけを使っただけではないでしょうか。
 有事の際に現場は逃げた、原発は制御不能な危険なものだから廃止というのが正義なのだとの結論を導きたかったのでしょう。
 調書が全面公開されなければ、何を書いたってウソだろうとなんだろうとばれないと、朝日はきっとそう思っていた、確信犯でしょう。
 まさか全面公開されるとは思っていなかったのではないでしょうか。
 当時5月に、吉田調書の真実の記事を書いていたら、朝日の組織方針に合わないということで逆にチェックが入ってボツにされていたのではないでしょうか。
 調書の都合の良い部分だけを使っておいて、思い込みなどと本気で言っているのなら、朝日の人間の文章読解力は幼稚園児以下だということを自ら認めているようなものでしょう。
 朝日の反原発キャンペーンの一環で行った捏造報道という組織的犯行にもかかわらず、間違いで済まそうとしている態度は許せない。事故当時、福島第一で死にもの狂いで対応していた人たちに、どうやって許しを請うつもりなのか。

 朝日は、あの極限状況下で任務を果たしてきた男たちに対して、侮辱の限りを尽くした。人として日本人として許せません。
 慰安婦報道から何から何までウソと捏造で、日本人を蔑んでいく自虐的な会社、朝日新聞とはなんのために存在しているのでしょうかね。
 他人の不正には徹底的に叩いてきたくせに、自分の不祥事には情けない言い訳を繰り返す朝日という組織は、潰れて当然ではないでしょうか。

 しかし、「あのおっさん」としか呼ばれないバカ菅、最悪すぎる。あんなのがいっときでも日本の首相だったなんて、日本の大恥として歴史に永遠に残ってしまうだろう。鳩ポッポもね。
 「あのおっさん」、今でものうのうと生きていて、恥ずかしくないのだろうか。まだ民主党の議員なんだっけ?
 民主党も早晩、分裂、消滅するのかな。
 民主党の大罪、中国漁船衝突事件の対応、小沢一郎の媚中と天皇陛下の政治利用、決して忘れてはなりません。

 朝日新聞が改名する最高の新聞名が浮かびました。
 「4月1日新聞」  

Posted by よっぱらいくま at 21:19Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2014年09月04日

人間のクズ2 小樽の暴走殺人

 飲酒運転のうえ、何も罪のない歩行者が3人殺され、1人が重傷を負わされるという、悲惨な事件が北海道であった。
 事故という気はない。事件である、犯罪である。
 
 12時間飲酒を続け、タバコを買うためにコンビニへ向かったという。
 それも、あの細い道を、泥酔状態で携帯を操作しながら時速100キロで走って、人をはねたらしい。
 携帯を操作しながら運転するだけでも絶対に許せないのに、もう犯罪行為のオンパレードだ。

 かたや、殺されたのは(事故で亡くなったという言葉は適切ではない)、駅へ向かって歩いていた何も罪のない歩行者。
 クルマなんかを使わず、公共交通機関である電車を利用して海を訪れていたという、社会人の鑑のような人たちだ。
 その罪のない人を3人も殺したのは、飲酒しているにもかかわらずに、タバコを買うためという本当にくだらない理由で、一人でクルマという殺人凶器を運転した、人間のクズだ。
 クルマの使用、飲酒運転に対する取り締まりをもっともっと厳罰化し、クルマというものを自由に利用できないくらい束縛し、不自由なものにしない限り、こういう事件は根絶しないのだろう。
 原発再稼働云々なんかよりも、よっぽど身の回りにある危険な状況を、日本社会はいつまで放置するのだろうか。

 ハーブだろうが飲酒だろうがそれをやって、自動車で人を殺したこんな連中は二度と社会に出てこれないようにする法律を作るのが国会議員の仕事だろ。
 
 こんな事件を起こした人間は、北朝鮮のように公開銃殺刑にしたら良い。

  

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2014年08月25日

甘いなあ

 美濃加茂市長が釈放されたそうな。
 1000万円の保釈金をどこから調達したのか、怪しすぎるがマスコミは突っ込まない。
 これが自民党の重鎮議員が同じ立場だったら、マスコミはどういうふうに扱うのだろうか。糞みそな扱いで徹底的に叩くだろうな。
 議員とか首長の立場にある若者とか女性というだけで、甘やかしているんじゃないの?

 プロ市民の支援を受けると、最強ですな。マスコミとプロ市民は仲良しだから。

 彼が無実でも、その会社に便宜を図ったから、試運転で設備が導入されたんでしょ。
 後ろめたいから、撤去工事を始めたんじゃないの?

 辺野古移設に反対しているのも、沖縄県民ではない、よそ者のプロ市民ばかりなのに、マスコミは沖縄県民の声みたいに報道しているしねえ。やっとのことで地元の人を探し出してインタビューが放送できるのは、100人に一人だけだったりして。

  

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2014年07月14日

滋賀県知事選報道

 滋賀県知事に、元民主党の三日月が当選。
 自民党推薦の小鑓氏との差は、前者が25万3千票、後者が24万票で1万票あまり。
 僅差での当選であった。

 私はどちらを応援するものでもない。

 しかし、中日新聞をはじめ、マスコミは鬼の首でも取ったのごとく、嘉田の卒原発路線が民意だと、民意の勝利だとのごとく報道している。
 25万と24万、差はたった1万票あまりだよ。
 滋賀県内での知名度では、三日月太造の方が上だろう。
 地方自治選挙、地方の首長選挙で、国策の集団的自衛権とかが論点となることと自体ね無意味だ。


 もし、これが逆の立場だったら、マスコミは、負けた三日月氏への得票も民意だ、その声を無視してはいけないなどと、高らかに宣伝するだろう。
 それが今回の結果に対しては、得票数が僅差だったにもかかわらず、自民党に投票した民意を忘れるなとは、絶対に言わない。

 東京都知事選でも、枡添氏が圧勝したにも関わらず、反原発の細川のバカと共産党への得票数を足しても枡添氏の得票数に及ばなかったにも関わらず、マスコミのバカどもは、反原発の民意の数を忘れるなと大きく宣伝していた。

 マスコミって、本当にバカで偏りすぎ、日本のマスコミは極左かと言いたい。
 マスコミの偏向報道はあまりにも姑息で卑怯で露骨で次元が低いということを証明した、今回の滋賀県知事選報道だった。

 最後に日本を滅ぼすのは、マスコミなのだろう。
 
 もし、集団的自衛権の問題や、本当にくだらない議員のヤジ問題が、今回の滋賀県知事選に影響したとしたら、民意とやらが一番くだらないものかもしれない。

 民主党のあの出鱈目な政権運営を、日本人は忘れたのだろうか。海江田が滋賀県知事選で民主党が勝ったかのような発言、勘違いもはなはだしいものだ。
 マスコミは、あの民主党の支離滅裂な低次元なお子ちゃま学芸会政権のひどさ、鳩山や菅のバカさ加減と無責任を忘れたのだろうか。自民党よりもあのバカ民主党に肩入れするとしたら、よほどもの覚えが悪いのではないか。
 自民党と安倍首相は、民主党がやってきたことを、今一度おさらいして話した方がいいのではないかな。
 中国漁船の海保巡視船への攻撃に対する、当時の民主党政権の情けない対応とかをね。
 政治判断から逃げて、一地方検察庁にすべての責任をなすりつけたことを忘れてはならない。

 しかし、なんで国会での政治家の先生たちの質疑は、原稿の棒読みなのだろうか。
 政治主導などとでかい口を叩いておいて、結局は官僚が作った原稿に頼りきりではないか。
 政治家は絶対に、優秀な官僚には敵わないという証拠が、国会中継で読み取れる。

 政治家が偉そうな口をたたくなら、官僚に答弁書を作成させずに、100%自分の頭で考えて話せるようになってから言えよといいたい。  

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2014年07月08日

またヤジですか。

 東京都議会に続き、国会でも女性蔑視とのヤジがあったとか。

 そもそも、ヤジくらいで人権侵害だの女性蔑視だのと騒ぐことが元々おかしい。
 議員ならヤジくらいでガダガタ騒ぐな。
 
 今回明らかになった大西議員の件は、今頃になってだれが見つけ出したのだろうか。
 今回の騒動にかこつけて、自分も知名度を上げようと自ら言い出したのか。
 それとも誰か周りの人間がそそのかして、便乗したのだろうか。
 上西議員はヤジが飛んだとき、「がんばります!」と見事な切り返しをした。それが大人の反応だろう。
 それで良いし、それ以上問題視することが大人げない。当時はそれでスルーしたのだろう。
 名乗り出る必要も謝罪も求めないと言ったあたりは立派だ。
 言った本人は名乗り出たけどね。そのくらいのヤジは阿吽の呼吸だろうが。

 ヤジくらいで、差別だとかどうとか言ってマスコミその他が正義づらしているが、これでは言葉狩り、言論統制ではないか。議員同士くらいヤジも含めて自由に発言させれば良い。どんな言葉を浴びても耐えるのも議員の務めだろう。それを「こんなひどいこと言われました。」って発信する奴がバカだ。それに乗っかって批判する奴もバカだ。
 最近の日本は、異様に言葉に対して仔細なことを批判する風潮となっている。一番思うのは、東日本大震災に関してだろう。被災者や被災地に対してどんな小さいことでもふざけた発言をしたら全世界を敵にまわしたかのごとく批判を浴びることとなる。
 世の中には、ブラックジョークというものもあってしかりだと思うが。
 石原環境大臣の「最後は金目でしょ」発言。あれもマスコミその他から袋叩きにあっているが、現実、公共事業や震災復興の面で、最後は金目で解決させているのも現実なのだから。それは被災者も求めているのが現実であろう。それを、福島を傷つける発言だと、福島県が上から目線で批判するのはどうかと思う。

 かたや塩村は未だ、往生際が悪い。まだ犯人探しだなんだと、都議会に因縁をつけているようだ。

 鈴木都議の唯一の失敗は、最初にすっとぼけたことである。ウソはいけない。これでは卑怯者扱いされても仕方がない。正々堂々と「私が言った。」と言って、自分の意見を通していればよかった。大事になってからこそこそと隠れるようでは、議員としての資質がないと言われても仕方ない。

 議会でヤジが出るくらいの方が、民主主義が成熟している証拠だ。
 もし、一党独裁の中国の全人代で党員がヤジを飛ばしたらどうなるか。ましてや、北朝鮮のあの中で金正恩にヤジを飛ばしたらそいつは即刻死刑だろう。日本や先進諸国でヤジを飛ばせるのは、平和な民主主義が浸透している証拠だ。


 「早く結婚しろ」、「産めないのか」、この言葉が女性蔑視、女性差別だという。
 逆に男性に対して、「早く結婚しろ」とヤジが出たら、今回のような問題になったのか。
 絶対になっていないだろう。それこそ男女差別ではないか。女だからという根本に差別意識があるから、騒ぐのだろう。騒いでいる連中こそが、根本的な差別意識を持っているとしか言えない。

 現実はどうだ。女性の生き方の多様化とか言って、健康な体の女性が子供を作らない選択することが、今の少子化の一番の原因ではないか。
 子供が欲しくてもできない女性、体に問題を抱えていて子供をあきらめている女性を冒涜しているのが、塩村議員をはじめ多様な生き方(子供を作らず仕事に生きる)を実践している健康な女性たちなのではないか。
 もし、塩村も体に問題を抱えていてあのようなヤジを受けたのなら、そのヤジは絶対に許せない。
 しかし、妊娠したとウソをついて男から慰謝料を巻き上げるような塩村は、絶対にそんなことはないだろう。

 それでも、女性に「産めないのか」ということが人権侵害、女性蔑視と言うのなら、男がもし子供を産むことができるのなら、そのとおりだと思う。
 差別でも蔑視でもなんでもない。女性にしか子供を産むことはできないのだ。女性にしかできない神々しい、崇高な仕事なのだ、子供を産むことは。
 男なんかには絶対出来ない、崇高な生物としての仕事なのだ。
 専業主婦で子育てをしている女性こそが、もっとも尊敬するべき崇高な仕事をしているのである。男にでも出来るような仕事を女性がやるから世の中おかしくなっていくのだ。

 仕事の能力には男女に能力の違いなどない。しかし、子供を産むことは女性にしかできないのだ。
 もしも男にも子供を産むことが出来るのに、女性だけに「早く子供を産め」なんて言ったら、それは立派な差別だが、生物としての人間として、男女の役割分担は厳然とあるとしか言えないのではないか。

 世の中、綺麗言と建前論ばかりである。本音の世界は別である。マスコミもその他も表面でしか語らない、語れないのが、今の社会の風潮である。  

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2014年07月03日

ありゃなんだ?兵庫県議と東京都議

 兵庫県議の野々村とかいう奴が、何やら世間を騒がしている。
 記者会見での、まったくかみ合わない記者とのやり取り。
 しまいには、号泣絶叫駄々ごねしだした。
 ありゃ幼稚園児か、頭、大丈夫か?
 本当に精神的異常者だろ、あれは。
 見てて恥ずかしく、気持ち悪くなってくる。
 相手にしてはいけない。ああいう人間は危険だ。
 あまりにも行動が異常なので、何が問題で記者会見していたのか、本題がまったく見えなくというか忘れさせられてしまった、興味もなくなった。
 そういう意味、問題を見事に誤魔化したという彼のやり方は、実は思惑どおりだったのかもしれない。
 でも、終わったな、人として。

 塩村とかいう都議ももう、最悪。
 普通に結婚し、一生懸命子育てをしている女性、子供が欲しくてもできない女性、体の問題で子供を作れない女性。
 そういった、さまざまな事情が個々にあるであろうすべての女性を侮辱しているとしか言えないではないか、あの塩村のこれまでの行動そのものが。
 男を弄び、だまして慰謝料を取って、高級車を乗り回す遊び呆けてきた女が、何を言うかってんだ。全女性の敵だ。
 あのドヤ顔を見ると吐き気がする。
 あれこそ、本当の女性の敵だと思う。
 ヤジの鈴木議員、謝る必要ないぞ。「おまえみたいな女が大嫌いなんだって」、はっきり言った方が支持が増えるぞ。
 ヤジを飛ばされ被害者づらの塩村は、外国特派員の記者会見まで開くような、因縁をつけるプロだぞ。素人は敵わないぞ。
 鈴木議員は、プロの当たり屋にあったようなものだ。お気の毒様です。

 アメリカのケネディー駐日大使が激励の手紙を出したとか。なんて軽薄なことだろうか。 
 この問題をいつまで引っ張り、塩村の味方になるのだろうか、バカマスコミは。
 中日新聞のこのケネディーからの手紙の記事の真下に、週刊新潮の塩村糾弾記事が載っている広告を配置したのは、中日新聞もなかなかジョークのセンスが優れているなと感心しました。

 塩村と野々村、二人とも独身のようだから、あいつらが結婚したら、史上最強のバカップルになるぞ。
 もう、人間兵器、リーサルウェポン。怖いものなし。
 日本の集団的自衛権の問題も一発で解決。核兵器も敵わない最高の抑止力になるぞ。関わりたくない最強の武器。あの二人が揃えば最強の兵器になる。あの二人が揃えば日本が全世界、どこへ行っても勝てるぞ。自衛隊も米軍も敵わない。中国も韓国も裸足で逃げ出すぞ、あいつらにかかったら。
 あんなバカ二人に、絶対に関わりたくない。どんな人も組織も国家も相手にしたくないだろう・・・


 選挙で選ばれたんだろうが、こんなくだらない議員が存在している日本は、どうなるんだ。

 橋下や河村がまともに見えてくるわ、最悪~。  

Posted by よっぱらいくま at 08:23Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2014年07月02日

名古屋市営地下鉄 終電延長 節電はどうした?

 中日新聞の集団的自衛権の偏り過ぎのニュースに辟易していたところ、地下鉄の終電延長のニュースが。
 まあ、利用者として、酒飲みとして、終電の時間が遅くなることは、歓迎することである。
 週末金曜日と、祝日前日に限るということなので、保線やらの作業休工日の前日とかいうことで、うまくやっているのだろう。
 終電延長で経費も余計にかかるとか。まあ、小さいことにとやかく言うのも野暮だ。

 しか~し、である。
 終電延長、遅くまで繁華街で遊ぶことで、景気がよくなる、商売繁盛であると、河村市長は言う。

 ちょっと待て、河村くん。
 あんた、原発には再稼働反対しているよな。
 終電が延長され、繁華街が遅くまで営業することで、どれだけ電力が余計に必要か、考えは及ばないのかい?

 7月から、毎度の節電要請が政府から発せられたよな。
 河村くんよ、夜遅くまで遊び歩くことを奨励しておいて無駄な電気を使いまくりながら、かたや反原発を唱える矛盾をどう説明するんだい。
 まあ、あいつに高等な議論は無理だもんな、ただのバカだから。

 火力発電がフル稼働して凌いでいる中、碧南の火力発電所が長期停止するらしい。 
 世の中、原発がなくても問題ないなんて無責任かつ能天気なことが言われているが、現実はギリギリなのだ。
 河村よ、わかっているのか。

 河村の給与が首長レベルでダントツ低いことが報道されている。市長給与とその他で約900万くらい。
 それを公約として自慢している河村。
 しかし、あいつのうちの河村家は、河村商事という会社組織で儲けている。
 河村市長自身は経営には関与していないが、河村家というレベルでは、たくさんの収入を得ているのである。
 奥さんや子供が経営者として河村家を支えている。
 その分際で、河村は議員はボランティアにしろだの、給与は削減しろだのと好き勝手を言っている。
 おまえは家族の会社経営の副収入があるから、市長給与が安くてもやっていけるんだろ。
 副業のない人が、800万の年収で市長とかの政治家としてやっていくのは無理だぞ。
 河村の理屈は、副業収入のある大金持ちしか議員とか首長にはなれないと言っているようなもんだぞ。
 何が庶民革命だ、バカも休み休み言えってもんだ。

 マスコミはそういうことにまったく触れずに、河村の市長報酬だけを報道する。
 マスコミがバカだ。

 中日新聞の紙面構成は、日本人全員が集団的自衛権に反対しているがごとくの構成だ。
 投書欄も反対一辺倒だ。賛成はひとつだけ仕方なく載せたっていう感じ。
 ここまで露骨な偏向報道は、ある意味立派だ。低レベル過ぎる。

 NHKが比較的、冷静な報道であった。

 現実的に国民は、集団的自衛権に賛成が1/4、反対が1/4、よくわからないが1/2なのに、中日新聞の偏向報道はまともな新聞とは思えない。赤旗以下だ。
 私、ちなみに、共産党も嫌いではないですよ。共産党は弱者の味方という意味、存在価値はあると思う。

 中日新聞は、集団的自衛権が認められたら、日本がすぐにでも戦争をおっぱじめるかの論調だ。
 中日新聞をはじめ、反対のマスコミの方がよっぽど物騒な危ないことばかり言っている。
 アメリカや、ロシアや、中国や、フランス、イギリス、その他諸々の、軍隊を持っている国家が、戦争を安易にやっているかって言うの。
  
 日本だけが集団的自衛権を持ったら、即座に戦争を始めるみたいな論調は、バカばかしい空論だ。   

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2014年06月25日

人間のクズ 池袋の暴走殺人

 脱法だか違法だか順法だか合法だか知らないが、麻薬を吸引してクルマを暴走させて殺人を犯した人間のクズ。いや、人間ではない、ゴミだ。虫けら以下だ。ゴキブリやハエに対して比較することすら失礼だ、ああいうゴミ生物は。
 あの風貌、どうみてもクズだ。
 物心ついた頃から、周りに社会に迷惑をかけ続けた存在だったことだろう。あのゴミは。偏差値ゼロのバカだったのだろう。
 生きる価値ゼロ、ゴミ、クズ、産業廃棄物以下。
 人を外見で判断してはいけないとか言うバカもいる。
 あの外見、服装、行動、どう見ても社会に必要のないゴミ以下、虫けら以下、この世に存在している価値ゼロ。害虫以下の生き物だ。
 あんな奴、生き物に、税金を使って今後裁判とかやるなんて、無駄以外の何物でもない。ああいう生き物は、早急に駆除しろ。この世から除去しろ。
 やくざ、暴力団の方がよっぽどましだ。彼らにもルールと仁義がある。
 クズを除去する、そういう法律を作ることが、国会議員の本来の仕事だろう。
 何も罪のない若者、女性の命が奪われた。そして、何も罪のない人達多数が傷ついた。
 交通事故なんかではない、無差別殺人だ。
 こんなことを放置してよいのか。
 麻薬とか覚醒剤とか、脱法ハーブとか、使う奴、所持する奴は、中国みたいに問答無用で死刑にすれば良い。
 そういう物に手を出す奴に、社会に地球上に存在する価値はない。
 日本が悪者に甘すぎるから、バカが増長するのだ。
 心神耗弱とか心身喪失状態だったから罪が減免されるなんて理屈がもし通るなら、日本は無法地帯になる。
 自分の意思でクスリをやったり酒を飲んだうえでの犯罪は、判断材料にするべきではない。

 社会に迷惑しかかけないバカを駆除する法律を作れ。  

Posted by よっぱらいくま at 21:28政治・社会

2014年06月11日

初めて橋下に賛同

 大阪市が、素行不良生徒を分離していく方針とのこと。 
 これを橋下市長が主導している。

 教育は難しい。
 
 私の中学時代、3年生のとき、担任は不良生徒にかかりっきりだった。
 可もなく不可もない、その他大勢の普通の生徒は、まったく関わってもらえなかった。

 たった1割未満の不良生徒に担任は99%の時間を使い、その他大勢の9割以上の数の私らに担任が相対する時間は1%だった。
 毒にも薬にもならない生徒は、相手にされなかった。
 当時の担任を責める気はない。学校側の命によって、不良が問題を起こさないように尽力していたのだろう。
 しかし、大多数のその他大勢の生徒は、公務員である教師からの教育というサービスを等しく受けることはなかった。
 担任にかかる教育に必要なコスト、税金のほとんどすべてが、ごく少数の不良のためにつぎ込まれたのだ。

 それでいいのだろうか。
 不良を隔離する方針は大賛成である。
 教育サービスのほとんどを不良対応に当てることが平等であるはずがない。
 
 インタビューで、不良の隔離は差別ではないかとか言っている人もいた。
 
 教育というものは、教わるのではなく、自ら学ぶものだとつくづく思う。
 教師の質に左右されるものではないのだ。
 頭のいい奴は、教師の質など関係なく自ら勉強していき、良い点数を取るのだ。
 静岡県知事が、テストの点数が悪いのは教師のせいだなどと言ったのは妄言だ。
 生徒の資質がすべてだ。
 教師のせいにするな。

 家庭や生い立ちに気の毒な面があるということで、不良化する人間に温情を与える必要はない。
 そんな状況でも、がんばってまじめに生きていく子供もいるのだ。

 そんな不良が成人し社会に出て成功したとか、真人間になって社会貢献したとかいう美談がよくある。
 ちょっと待て、結果、まじめになったとしても、そいつらが子供の頃、どれだけ普通にまじめにおとなしくやっていた多数の回りの子供たちにどれだけ迷惑をかけたのか、ちゃんと責任を取れと言いたい。
 大人になって更生したから許されると思うな。

 高校に行ってからは、受験というフィルターを通り一定レベル以上の人間の集まりとなったので、極めて快適だった。義務教育の中で相手にされなかったその他大勢も皆等しく教師に相手にされた。高校でもそれなりの悪はいたけれど、それは個性の範疇で、一般生徒に迷惑は決してかけない、いい奴らだった。義務教育が終わり不良は自然淘汰されていった。

 大多数のまじめな子供たちと、ごく一部の問題児を隔離する教育は大賛成である。

  

Posted by よっぱらいくま at 21:16Comments(1)TrackBack(0)政治・社会

2014年05月28日

電車の窓を開けろ

 この時期、まだ外は涼しいです。
 しかし、窓を開けることのない電車内は、冷房をがんがんつけています。

 窓の開かない構造の新車がほとんどになってきましたが、まだ古い、窓を開けることのできる電車も多いです。

 
 しかし、車掌が窓を開けろと車内放送をすることも絶対にないです。 
 現代の乗客は、100%冷房がある電車しか知らないようです。
 窓を開けたりしたら、風が吹き込んで迷惑顔です。

 今の時代、暑ければ窓を開ける、という基本が出来ないようです。
 冷房をつけなければ乗客は文句を言うのでしょう。
 昔、といっても昭和50年代前半までは首都圏の鉄道も非冷房車がたくさんありました。真夏の満員のラッシュ時でも窓からの風だけで我慢していました。雨の日など最悪で、雨が吹き込むから窓は開けられないので、車内は湿気と熱気で最悪でした。それでもみんな我慢していました。今だったらそんな状況になったら体調を崩す人が続出しそうだけど、昔の人は強かった。今は快適な空調完備がどこでも当たり前だから、人間も軟弱になっているのでしょうね。それと温暖化で気温があの頃と比べたら異常に高くもなっているので、同様に比較するのも少し無理もありますが。
 
 原発が止まり、化石燃料の消費が増えているのに、こんなまだ暑くない時期から冷房をつけることに、節電を叫び反原発を主張する人達はなんにも疑問を持たないのでしょうか。
 マスコミも気がつかないのか、快適な生活を不便な不快な生活にすることは嫌だからか、そういうことは絶対に言いません。
 自分に都合が悪いことは棚に上げといて、原発反対やら地球温暖化防止とか言っている連中の底の浅さがよくわかります。汗をかいても不快になろうとも、冷房を我慢するくらいするのが先でしょう。車に乗っても、エアコンは年中つけっぱなしにしている無神経な人間ばかりなのが現実です。

 原発には反対してもCo2を吐きまくる車は平気で使いまくり、電車の冷房を止めるような声は絶対に出さない、ご都合主義ですね。
 あの、電車内の蛍光灯の間引きは早くやめてほしい。あんなことやっても、節電効果など皆無だということになぜ気がつかないのか。パフォーマンスだけで満足しているだけ。冷房を止めるのが先でしょ。

 私は思慮の浅い無節操な原発反対を言う気はありません。だけど、原発推進を言う気もありません。ただ、原発反対だけを叫ぶのは、我がままだなことだと思っているのです。
  

Posted by よっぱらいくま at 19:52Comments(1)TrackBack(0)政治・社会

2014年05月19日

LCCの運休

格安航空の崩壊が始まった。

マスコミは、こういうコスト削減で低価格のサービスを提供する者を賞賛する。
しかし、結果はこの程度だ。

だいたい、数千円で飛行機に乗って、東京から札幌や福岡へ行けること自体がおかしいのだ。

自社でパイロットを養成することなく、他社からの引き抜きやらなんやらで見繕ってきた結果だ。
機長をはじめパイロットの慢性的な不足。

日航や全日空が自社で1人何億円もかけて養成したきたパイロット。
それを横取りしてきたのがLCCでしょう。
それでパイロットが不足してきたら、外国人パイロットに頼るとか、あげくには自衛隊のパイロットを採用したいとか。

国費で養成した自衛隊パイロットを民間航空会社のもうけのために使うなど、国賊だ。

国費で賄われて防衛大学を卒業して、自衛隊に行かず民間会社に就職する者が毎年、何人かいる。
それと同じことをLCCがやっても、マスコミは批判しないのかね。

パイロットには、厳密な運行ルールがあるから、無茶な長時間、過密労働は許されていない。
しかし、バス業界は無茶な運行をする零細事業者が、事故を起こす。

外食産業も、労働条件では無法地帯だ。
すき家の、醜態さわぎ。

24時間、365日働けなどと言うワタミも崩壊し始めている。

低コスト、競争、効率化、そんな単語が否定される世の中に戻りつつあるということだ。

鉄道業界で、こんなLCCみたいな杜撰な運行体制はありえない。
新幹線に、運転士が足りないから運休するなんてあり得ないでしょう。
新幹線よりも、羽田と福岡の運賃がLCCの方が安いなんて構造のカラクリが、今、はっきりと露呈しただけだ。

子供遊びみたいな体制が杜撰な会社が、LCCの正体なんだということ。
マスコミはそれでも擁護している。

なんでも安いことが企業努力で正義だなんて、そんな社会風潮は終わってほしい。

規制緩和という亡霊は、早晩、店じまいしてほしい。
まともな政治家は与党にも野党にも、いない。

  

Posted by よっぱらいくま at 21:23Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2014年05月08日

JR東海 徘徊老人の事故

 徘徊老人が電車にひかれて死亡、JR東海が家族に損害賠償を求めた裁判について、議論となっている。
 私は、介護の問題と、線路内に人が立ち入ったために列車の運行妨害となり損害が発生したこととは切り離して考えるべきと思う。

 何人たりとも、みだりに線路内に立ち入って事故に遭った場合、鉄道会社側は基本、損害賠償請求権を持つ。
 それは相手が大人でも子供でも、認知症患者でも変わりない。
 
 刑事事件であれば、精神疾患を患っていれば責任能力はないとして免責されるが、民事事件であれば、当人に責任能力がなければ家族等に賠償責任が生じるという考えが一般的だろう。
 
 今回の件に当てはめれば、認知症を患った老人が線路に入ったため死亡。
 それにより鉄道会社側は当人へ損害賠償を請求したいが本人死亡につき、当人に代わり法定相続人である家族に損害賠償を請求するという形であればすっきりする。
 そして、損害賠償を求められた家族は、それでは相続権を放棄するという形にすれば、家族も金銭負担も逃れられる。
 JR東海側も一定の判決を得られ納得できる、という形に出来なかったのだろうか。
 死亡した当人に多大な財産があり、損害賠償分を払っても十分お釣りが来るというのならば、相続を受けて支払えばよい。
 だが、今回の徘徊老人に財産があるとは考えにくい。あったらたぶん、そういう手法で解決していただろう。

 今回の件では本人の責任よりも、介護する立場の家族に監督責任がある、それを怠ったから事故が起きた、だから家族が損害を賠償しろという理論だ。
 これでは、老人介護という困難な問題に直面している現代の日本では、世間の理解は得られないだろう。
 私もそう思う。
 しかも、今回は老老介護である。高齢の夫を介護している妻も80歳代である。心情的に80歳代の妻に365日、24時間、認知症の夫を管理監督する義務があり、 それを怠ったから賠償責任があるという理屈では、あまりにも気の毒すぎる。
 介護の現場、実情をあまりにも知らないのではないかと思う。
 カギをかけるのを怠ったとか、もう本当に小さいことを非難して責任を認めている。
 介護者の心労はどれくらい大きなものか、まったく理解していないのではないか。
 簡単に監督責任があるなとど言ってはいけない。

 裁判官は、介護の現場とか、身内や裁判官本人自身が、自分の両親や配偶者の義父母の介護に直面したこともないのだろうか。
 もし、裁判官自身や配偶者が老人を介護する立場に直面していて、それでも今回のような判決を出したのならば、それはそれで言い換えれば立派である。
 しかし、たぶん、そんなことはないのだろう。
 病人や老人の看護、介護など経験したことも、考えたこともないのだろう。
 裁判官をはじめ法曹界に育つものは、一般社会経験に乏しく、世間の常識が備わっていない者も多いという。

 特別養護施設への入所は何年待ち、有料老人ホームは金持ちしか入れないのが、今の日本の実態だ。
 そのような大問題を抱えている日本で、認知症の老人の管理監督責任をすべて、介護する家族に求めるというのは、あまりにも理不尽だ。

 今回の件が、子供が起こした事故に対して親が賠償責任を持つという考えと同一にしていることが問題だ。
 子供と老人では、監督責任の内容も重さも、直面する苦労もまったく違う。
 子供の面倒を見て子供の行動に責任を負うことは、親の責務だ。
 しかし、老人介護を同列にしてはいけない。
 子供は育っていけば負担は軽くなる一方であり、一時的な苦労はあってもその先の明るい未来が見えている。
 老人介護は悪くなる一方でありいつ終わるかわからない、先の見えない未来のない闘いだ。そして最後は死だ。
 法律の世界では、そのような理屈は通らない、冷たい世界であるのも事実だが。


 監督責任、このような理屈なら賠償を勝ち取れるという考えで、JR東海が裁判を進めたのであれば、情けない。
 リニアを建設する力のある企業が、こんなことで勝ってどうするのか。
 JR東海の立場も理解できる。鉄道会社側としても事故の度に、これは賠償を求める、これはかわいそうだから賠償は求めないと、あいまいな扱いは出来ないだろう。
 だから、画一的に事故当事者に損害賠償を求めること、手続きを踏むことは理解できる。平等な扱いである。
 しかし、もう一歩踏み込んで、情というものをうまく取り込んでほしい。
 最初に書いたとおり、本人に請求したいけど死んだので本人に代わり本人の債権債務を承継する相続人が払ってねと。
 そういうように監督義務とかは問わないという形にすれば、家族は相続放棄で逃げられるのだ。
 JR東海が建前上、裁判を起こす必要があるならば、JR東海にはそういう理屈でやってほしかった。
 認知症患者の事故に対して、介護で苦しむ家族の監督責任を認めさせるのでは、介護に関わるすべての人が、これから嫌でもそういう立場になり得るすべての人の理解は得られないだろう。

 JR東海の法務担当者だって、いつ、両親を、家族を介護する立場になるのかわからないのだ。
 そういう立場になった時、家族にすべての監督管理責任があるのだから、私は365日24時間、要介護者の面倒を見られると、自信を持って答えられるのだろうか。

 今の日本で、あまりにも重く切ない問題である。

 介護の負担を軽くするための施設の拡充、人材の確保のために国が動き、その財源として消費税が上がるのならば、喜んで10%でも払いたい。

 このブログをアップした直後、NHKのニュースで、判決を不服としてJR東海が上告したとのこと。
 家族側はまだ、二審判決に対して上告などしていない。
 家族の苦しみを思うと、涙が出てくる。
 いい加減、JR東海よ、やめろよ。
 それ以上、介護に苦しんだ人間を責めるなよ。
 もうやめてくれ。
   

Posted by よっぱらいくま at 20:34Comments(1)TrackBack(0)政治・社会

2014年04月26日

最近のバス事情から

 今日の新聞に「バス運転手不足深刻」との見出しが。
 そして同時に運転手の高齢化も進み、中途採用ばかりで若手が入らないという。
 バス業界は規制緩和によって、新規参入が加速し業者が乱立し際限ない価格競争を強いられてきた。
 ツアーバスの安全運行に対する杜撰さは目にあまり、悲惨な死亡事故が起こってからやっと規制強化され、ツアーバス形態の運行はなくなった。

 それでも、事故は続く。
 今回、一宮JCの事故を起こした運転手と会社はおそまつ過ぎる。社長自ら過労運転し、長野で追突事故を起こし、中央道で蛇行運転で警官に注意され、三度目の正直、二度あることは三度あるを絵に描いたように、高速道で反対車線に突入し暴走、何十台もの車を巻き込む大事故を起こした。死者が出ず、軽症者だけで済んだなんて本当に奇跡だ。本当に良かった。大型バスの運転手がここまでいい加減なんて、暴走族の方がよっぽどまともだと言いたくなる。
 こんな零細バス事業者が今でも生き残り、そんな杜撰なバスが運行されているなんて、背筋が寒くなる。
 大規模なバス事業者以外、バス事業が出来ないように徹底的に規制強化するしかないだろう。そのために運賃、バスツアーが高くなっても、そして零細バス会社がすべて消えても。

 バス運転手の待遇は改善されないままである。低賃金重労働では人が集まらないのも当然だ。
 その低賃金を正当化しているバカが大阪にいる。
 橋下は以前から、大阪市営バスの運転手は給料が高すぎる、民間は半分だと言い放ち、低賃金を正義としている。
 公共交通のバス運転手の待遇をよくしなければ、高い質は保てないだろう。
 名古屋市営バスでもくだらないミスが増えていくのも、低賃金化と連動した運転手の劣化が原因だろう。
 民間の低賃金が間違っているのであって、大阪市交通局の賃金が真っ当なのだ。
 若者がバス運転手を担っていき、安全運行ためには、正当な対価、適正な賃金を払うしかない。

 テレビではここ10年でバス事故や運休は3.4倍になったと言っていた。
 事故の増加は、小泉の規制緩和の始まりと同時期、ぴったりと時期が整合する。
 小泉のせいで、バス事故は3.4倍になったのだ。これが規制緩和の答えだ。
 規制緩和が正義という理屈で改革の名をかたり進めてきたのが、あの小泉である。
 過度な規制緩和で日本の安全を壊した、そういう唯一の成果を残したのが、郵政民営化という結果が何も見えないのと同様、小泉の残した成果だ。こんな奴をどうして今でも、一部では高く評価するのだろうか。

 また、格安航空LCCのピーチエアが、機長が足らなくてこれから何千便と減便するという。
 これも低賃金でパイロットを雇ってきて、人が確保できずもう限界なのだろう。格安の世界の限界が露呈した結果だ。所詮、格安で航空機を飛ばして質を保持するなど不可能だということだ。適正価格に戻せば良いだけだ。それかつぶれるかだ。格安航空の限界が安全面でいつ現れるのだろうか。そのときは、多大な人命が失われるときだろう。そしてやっと、バス業界と同様に、事故を受けて規制が強化されるのだろう。犠牲者が出なければわからないのだろう。

 バイトが集まらずに一時閉店に追い込まれるすき家。大学生のバイトに頼り過酷労働を強いる外食産業。みんな、価格競争の結果だ。
 しかし、最近の若者はなぜこのような過酷労働を受け入れるのだろうか。私の学生時代の頃は、そんなひどい状況ならとっととやめていたし、責任感などなかった。反骨精神はあっても、勤め先が困るからなんて心配して無理してシフトを入れたり、ましてやサービス残業など絶対しない。今の若者は素直すぎるというか、まじめ過ぎるというか、もっと社会に疑問を持ち、強く、逆らうくらいの精神力を持ってほしい。バイトなんて、追い込まれたら逃げればよいのだ。他にバイトの仕事などいくらでもある。そういう業界、職種は慢性的に人不足なのが実態だ。やめる際に次の求人費用を払えなんて言われて従うような素直さは、単なるバカだ。
 最近の職場に来る新卒者を見ても、みんなまじめで態度もよく素直な奴らばっかりだ。くせもなく個性もない、逆らうようなこともない。現代はそういう生き方の人間しか評価されないのだろうか。私の若い頃は(今でも)逆らうし素直じゃないし、あの頃は働きも今の若者の半分以下だった。今の新卒者は優秀だし、本当に素直によく働く。ゆとり世代とは、こういう人間を育てるためだったのかと思ってしまう。ゆとり世代だからと言って、私は決して学力がすべての人が落ちているとは思わない。

 行政の規制を嫌い、規制緩和を進める政治家を応援していたのがDHCの社長だ。こういう民間会社の経営者が小泉みたいのを信奉するのだろう。競争こそ正義、安かろう悪かろうの世界を推し進めていくことには気がつかない、こういう人種は決して。外見だけで中身のない行政改革、規制緩和という単語だけを叫ぶアホ政治家に金を貸して、だまされたと言っている程度。貸りた方も貸した方も同等のバカである。
 今、自民党が一強なのは、どの野党を見ても、民主党をはじめ維新とか結いとか、もうみんなみんな(二重の意味)、カスとバカしかいないからだろう。私も自民党を100%信用していないが、他にまともな政党は完璧にないから仕方ない。自民党も最近怪しいけれど、自民党の政策に疑問を持っても、前政権の民主党のやらかしてきたことを思い出すと、比べたら何でもかんでも今の自民党はまともに見えてしまうから、もうだめである。
 あのワタミを擁立した時点で、私は自民党には投票はしなかったが、今の野党が野合して万が一政権を獲ったら、もう考えただけで恐ろしいというか、日本はつぶれる。それがわかっているから、自民党の一強は続くだろう。

 食品をはじめ医療、福祉、交通、物流など人の命と安全に関わる業界の規制は、緩和してはいけないのだ。なぜ規制というものがあって、企業活動が制限されているかを考え直す必要がある。
 未だに、規制緩和だの行政改革だのと言っている政治家を信用するのはやめようよ。

 最後に、名古屋の河村市長が、東山線の名古屋-伏見間の新駅構想で現地(地下)を歩いたとテレビで放送していた。
 あのおっさん、作業着とヘルメットが完璧に似合っていた。もう素人には見えなかった。職人だ。政治の世界の職人ではなく、家業の方の職人を目指した方が幸せになれるのではないか。名古屋市民のためにも。
 私は、新駅構想には賛成だ。需要は十分にある。国際センター駅の利用者数も参考となるし、国際センター駅からもほどよく離れている。  

Posted by よっぱらいくま at 14:34Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2014年04月15日

原発とクルマ 優先は経済?命? 中日新聞の主張を読んで

中日新聞は、原発政策は、経済発展よりも人の命と安全を優先するべきと主張している。
お説ごもっともである。
しかし、道路交通における交通事故では毎年、4000人以上の命が奪われ、その何十万もの人が傷害を負っている。

以前、新聞投書に、交通事故で多数の命が奪われていることには目をつぶって、原発だけに反対するのはいかがなものかとの疑問に対して、原発事故は人間がコントロールできないが、交通事故は人間がコントロールできるのだから同じ次元での比較はおかしいとあった。
その根拠は、交通事故は1970年に1万6千人あまりが死亡したのをピークに現在は4千人台となってきたことがコントロールされているということらしい。
この現代社会で毎年4千人も死んでいて、どこがコントロールされているのだろうか。
そしてその何倍もの人が傷つき傷害を一生背負っている人もいるのだ。

東日本大震災では原発事故のために、何万人何十万人の人が故郷を奪われたのは、耐えがたい事実であり、帰還のめどはたっていないから、原発事故もコントロールされていないことは事実。
しかし、今回の原発事故で間接的には死者が多少出ているとも言えるが、故郷は奪われても直接命を奪われた人間はいなかったはずだ。原発の上屋が爆発しても住民にケガ人もいないはずだ。
そういう意味、交通事故よりも原発事故の方がコントロールされたと言えるのではないか。
道路交通事故でこれまでいくつもの人の命が奪われてきたのだろうか。今、故郷を奪われ避難している人の数よりもはるかに多いはずだ。

さらに、原発や鉄道、航空機と、道路交通との根本的な違いは、その運用の制度である。
原発も鉄道も航空機の運航も、巨大なシステム産業であり、それを運用しているのは行政や大企業である。個人ではない。
東電だって結果として重大な結末となったが、運用者、管理者として高度な対応をしてきたのだ。
鉄道でも航空機でも、その運用は厳格かつ高度な基準と運用ルールに縛られている。それを操縦、操作する人間も高度な訓練を受けているのである。
片や道路交通はどうだろうか。一応、運転免許なる制度の上で資格を得た者が自動車を運転する形ではあるが、はっきり言って運転免許はバカでも取れる。
その運用も、自動車は個人に委ねられているのだ。警察、司法による監視と制約、罰則はあっても、個々の運転技量とマナーに任されている。
簡単に言えば運転の下手な人もいれば上手な人も、車両工学についても知識がある人もない人もいるという極めて低レベルな世界なのである。
クルマはエンジンブレーキを知らない人でも運転しているが、新幹線の運転士に発電ブレーキ、回生ブレーキを知らない者は絶対にいないということだ。
自動車交通は、無謀な運転で迷惑をかけ事故を誘発するような運転をする者もいれば、慎重すぎて流れを滞らせ回りに迷惑をかけているような下手くそもいる。
金持ちも貧乏人も、真面目な人間もやくざ者も、ごちゃまぜで運用されている世界なのだ。
車両の安全システムにしても、最近は衝突回避の緊急自動ブレーキやレーダー波で車間距離保持機能などの搭載を謳うクルマも出てきている。
しかし、鉄道の世界では50年以上前からATSを始めとし、さまざまに進化してきた保安システムを備えてきた。
鉄道の安全性と比較したら自動車交通の保安システムはほとんどが人間の注意力と判断のみに頼っているという、19世紀に自動車が発明されてからからまったく進歩していないも同様だ。
赤信号を無視しても自動停止させる機能は鉄道では当たり前でも、クルマには現在でもない。
はっきり言って、そのような道路交通システムのレベルは未だ、あまりにも低すぎるのである。
個々の運転者の技量とマナーに100%依存しているという道路交通の運用方法は、原発や鉄道、航空といったシステム比べて、程度があまりにも天と地ほどかけ離れた、あまりにもレベルが低すぎるのだ。
自動車交通が個人に頼らず100%自動運転化されて、クルマの世界から趣味性が一切排除されたときに、初めて自動車事故はコントロールされると言って良いだろう。

そのような道路交通で発生している事故が、コントロールされているなどと、間違っても認められないだろう。

それでも、原発に対しては経済よりも人の命を優先しろと中日新聞は言う。
しかし、道路交通に対しては、今の状況は明らかに、人の命よりも経済を優先しているとしか言えないではないか。
日本経済を支える自動車産業の発展のために、そしてあらゆる経済活動のために自動車は必需品だ。
その利便性を失ってまで、命の優先を唱える気は、中日新聞にはないだろう。もっとも触れられたくない部分なのだろう。逃げているだけ。
新聞記者だって、毎日ハンドルを握って、自由気ままに24時間好きなように移動できるクルマを手放す気も覚悟もないだろう。

中日新聞が原発には強い口調で経済よりも命を優先しろと言いながら、道路交通事故のことには目をつぶり無視している偽善性が、聞いていて腹が立つのだ。

そしてもう一点、やたら最近、原発についてドイツの例をあげている。
ドイツは原発をやめていく方向にある。それを見倣えということ。
ならば問いたい。ドイツでは閉店法という法律があって、日本のようにどうでもよい業種の深夜営業、24時間営業などは禁止されている。
これまで条件緩和もされてきて、駅構内やガソリンスタンドなどの例外的業種はあるが、日本のような無秩序な深夜営業は禁止されている。
要するに、深夜に人の命に関わるような業種以外のどうでも良い店舗を営業させて無駄な電気を使い放題にするような蛮行を許していないのだ。
日本は、経済発展、民間の利益のために社会の24時間化を推進し、無秩序に24時間営業などを認めている。
節電を優先するならば、深夜の需要などたいしたことないし、労働環境のためにも深夜営業などやめるべきである。
そういうドイツの閉店法の趣旨も取り入れて、徹底的な節電をする覚悟があるのならば、ドイツを見倣っての脱原発も結構なことである。
無秩序に無駄な電気の消費を許している分際で、脱原発だけ主張するなど無責任きわまりないことだ。
日本人も、これまでのような利便性の追求、24時間営業などを求めない覚悟が必要ではないか。
それなのに、一部のバカ政治家どもなどは社会の24時間化に対応するために、公営交通の24時間営業ができないかなどと言っている。
そういう政治家が原発には反対していると、本当に無責任かつ無知だなとつくづく思う。

コンビニが24時間営業していないと、深夜までスーパーが営業していないと、ファミレスの深夜営業がないと不便だなどとあまっちょろいことを言っている人間に、脱原発など言う資格はない。
不便さを受け入れる覚悟があってはじめて、原発反対と言えるのだ。
原発をやめろと言うならば、現状では火力発電に頼っているのだから社会全体での化石燃料の消費を抑えるために自動車利用も極力やめるべだし、24時間営業などもやめる覚悟が必要だ。
通勤電車の蛍光灯を間引くなどという本当にくだらない、節電効果ゼロのパフォーマンスだけで満足するよりも、深夜営業を法律で禁止する方が、よっぽど節電効果を大きいだろう。

結局、自動車社会には疑問を持たず原発反対の声だけが大きくまかり通る理由は、日本で自動車関連産業に従事し生計を得ている人は100人に1人はいるが、原子力関連産業に従事し生計を得ている人は千人か1万人に1人しかいないから、原発反対は世論になっても、自動車社会に疑問を持つ声は出ないというところが答えなのだろう。
民意なんて所詮、その程度。
そして、電気は何で発電しようが有りさえすれば個々には困らないが、自動車を放棄することは個々に重大な不利益があるからというところなんだろう。
そこが自動車の危険性には目を瞑り、原発の危険性に対しては声高になれる所以だろう。

自動車産業の衰退は日本経済に大打撃を与えるだろうが、原子力産業の衰退は日本経済に与える影響は小さく直接国民の不利益にならないことこそが、根底にあるのだ。

そんなことを思っていた今日、小泉、細川の落ちぶれ老害コンビが、脱原発を目指す一般社団法人「自然エネルギー推進会議」なるものを設立するとのニュースが。
あ~あ。  

Posted by よっぱらいくま at 19:42Comments(1)TrackBack(0)政治・社会

2014年04月13日

ワンマン列車と不正乗車

ローカル線では今や、ワンマン運転は当たり前になっている。
しかし、駅の構造や運転システムなどすべてがワンマン対応で作られた鉄道設備での運用では問題がないが、運転士と車掌がいて成り立っていたシステムの鉄道がワンマン運転を導入すると無理が出る。

近鉄から養老鉄道となった大垣と揖斐・桑名を結ぶ養老線もワンマン化など合理化を進めてきた。たまにボランティアを称する乗務員?が乗ってきっぷを売ったり駅で集札もしているがいたりいなかったりだ。
ボランティアを使うという涙ぐましい努力をしているとも言えるが、そこで見られる光景に無賃乗車がある。
大垣-揖斐間で言えば、大垣がすべての出入り口となる乗客の流れがほとんどであるが、途中駅で降車する場合、先頭の運転席後ろの料金箱にきっぷを入れたりお金を入れたりするようにはなっているが、まったく機能していない。
3両編成だが、全駅ですべてのドアを開けて乗降可能だ。
駅出入り口が列車後部付近にあれば、わざわざ先頭までなんていかない。きっぷは駅の集札箱に入れることになる。
大垣駅は当然、有人であり、きっぷはチェックされるが、途中駅から乗車して途中駅で降りる場合など、終着の揖斐駅以外の途中駅はすべて無人駅で券売機すらもなく乗車証明書発行機があるだけだから、当然車内精算しなければならないが、降りる駅の出口がうしろにあれば、当然、後ろから降りる。
運転士は乗降客にはまったく関われない。乗客もきっぷを買う機会さえ与えられていないも同然だ。
タダで乗ってくださいと言わんばかりのような体制なのだ。
大垣手前の室駅や北大垣駅などでは、降車の際に確信犯的に無賃乗車をしている高校生の姿も見られる。
タダ乗りできると、慣れっこなんだろう。

豊橋鉄道渥美線も同じく3両編成であるが、運転士と車掌が乗務している。
沿線は無人駅がほとんどであるが、車掌が効率よく車内を回り、乗車券の発券や停車する駅では必ず駅出口付近に移動して、ドアが開くと同時に降りてきっぷをチェックしている。
ドア扱いは運転士がするシステムとなっているので、車掌は車内巡回と停車駅での集札に専念できる。
しっかりと運賃を徴収するシステムが確立されている。
それに全駅でICカードも使用できる。養老鉄道はそれもない。

もともと車掌がいた鉄道で、3両編成もあるような鉄道で、ワンマン化は不可能なのだ。

そういうことから、養老鉄道のような運営をする鉄道においては、私は無賃乗車する者を100%否定する気にはなれない。
このような行為を、コスト削減のために人員を減らして、運賃の収受体制に不備が生じることを黙認している方が問題なのだ。
運賃の取りこぼしを防ぐために余計な人員を配置するよりも、多少取りこぼしがあっても、その方が余計なコストがかからないとの計算なのだ。
要するに、鉄道事業者側の管理責任の放棄なのだ。

そこにどんな問題があるか。
それは、ちゃんと運賃を支払っている利用者との間の不公平を招いているという重大な問題がある。
そして、社会正義に反する行為を黙認あるいは助長しているという面もある。
儲けのためなら多少の損は仕方がないという考えは、公共事業者としての鉄道会社ではやめていただきたい。
それなりの人員配置をして、不正を防止し乗客間の不公平をなくすことも、企業の社会的責任ではないか。
養老鉄道はあまりにも杜撰な体制であるとしか見えない。

それと、以前、飯田線のICカード圏外の無人駅で、ICカードで乗車してきた客が大量に下車しようとしたため、発車が1時間以上遅れたというニュースがあった。ICカードシステムの欠陥が出た形だが、豊橋から近傍の駅でも未だ、範囲外だ。私ももしかしたらろくに調べずにカードで乗って行ってしまいそうな駅だ。
それでも、列車を精算のために1時間以上も止めるという判断もすごいというか、異常だ。
JR東海も、JR西や東のように、無人駅にもICカードリーダーをもっと設置していけばこんな問題は起こらないのに。
合理化というものがどこまで許されるのだろうか。  

Posted by よっぱらいくま at 15:03Comments(2)TrackBack(0)政治・社会

2014年04月10日

高速料金 値下げの終焉

この春から、民主党政権以前の自民党政権で始まった、経済対策をうたった高速料金の値下げがついに終わりに近づいてきた。
理由は、税金を投入した原資が底を尽きたから。
平日割引も廃止され、休日割引も段階的に割引率が下がる。
通勤割引も制度が変わった。

社会実験と称した無料区間とか、休日1000円などという究極の愚策は、東日本大震災を契機にやめていた。
あまりにも無理、矛盾があったことの証明だ。

莫大な国費、税金を投入して、民間会社である高速道路会社の経営に介入して高速道路の料金を下げるという愚かな行為で、誰が得をしたのか。
それは自動車利用者だけである。
自家用車で高速を利用する人間のための税金投入を、税金の無駄遣いという批判がなぜ出なかったのだろうか。
結局、国民もマスコミも、自動車大好きだからというほかない。
どんな経済効果があったのだろうか、まったく可視化されていないし、明確な説明もない。

休日1000円などは、JR四国などをはじめとした鉄道利用が減ったり、フェリー航路の廃止を招いたり、無駄な利用が増え渋滞も増えてCo2の大幅な排出増加などを招いただけではないか。
もう忘れ去られているが、そのようなことも当時は報道されていた。

投入した税金以上に、日本経済に貢献し国民生活の向上に寄与し環境保全に貢献したという明確な証拠があれば、再度税金を投入して続ければよいではないか。
値引き継続ができないのは、結果が伴っていないことの証明だ。良い結果が出たどころか悪弊しかなかったのが答えだ。
クルマの存在が環境面でメリットになることなどある訳ない。
政治家は誤魔化さないでいただきたい。国交省の役人は説明責任があるだろう。
愚かな国民は、高速料金を値下げして文句言う奴はいないだろうと、結果なんて説明する必要ないと思っているのだろう。

経済効果をうたい結果、無駄な自動車利用を増やして温室効果ガス、Co2の排出を促進しておいて、一方では何が地球温暖化防止だと言いたい。
原発を止めて火力発電が増加しているのに、自動車利用はそのままにしておいて、何がエコだの節電だと言いたい。
原発反対を唱える人間は、自動車利用をやめて公共交通機関だけを利用するような覚悟を持つべきだ。
そういうことにはマスコミもまったく気がつかないし、決して言わない。

値引き当初は、高速のSAなどの売り上げが増えたとか、観光地の人出が増えたとか、どうでもよいことしか報道されなかった。
それを日本国への経済効果が大きかったなどという結果が伴ったのか、バカもやすみやすみにしろと言いたい。

結果は、自動車利用者、自動車業界を甘やかしただけではないか。
それでも、自動車業界等は自動車への課税は大きすぎると、自動車諸税の減税や廃止を叫ぶ。
そして、選挙目当てのバカ政治家も、そういう声に乗る。
自動車業界しか見えない、トヨタの下請企業愛知県のバカ知事が良い見本だ。

自動車というあれだけ便利で身勝手なものを自由自在に24時間も勝手に利用することができるために、道路整備を始め道路網の維持管理に費用がかかると考えているのか。
自動車にかかる社会的費用をすべて自動車利用者が払う税金だけで賄えるわけではない。
広く国民が納税している税金で賄われているのだ。
トラック業界とか自動車関係団体が、自動車税の負担軽減をなどと言っているのを聞くと、自動車業界の偏差値は本当に低いのだと、改めて思う。
そういう意味、政治家もバカが多い。

私も月数回、高速を利用するが、この4月から料金が上がって驚いた。
しかし、やっと元の定価に戻っただけだ。
これで、高速本来の機能が取り戻されてほしい。
高い金を払っても快適に早く移動できるというものに。

4月になってから、東名高速も通行量が減った気がするが、気のせいだろうか。
早朝だったが、常に前後左右がクルマに囲まれる暫定3車線区間で、前後左右にまったくクルマがいない瞬間が何度もあったので。

4月は消費税増税のどうでもよいニュースばかりで、高速料金制度が変わったという新聞やテレビ報道は、一度も見なかった。
マスコミも消費税ばかりに目がいっていた。マスコミもその程度ということ。
  

Posted by よっぱらいくま at 21:04Comments(1)TrackBack(0)政治・社会

2014年04月10日

三陸鉄道全線復旧 鉄道と道路 復興の不公平

三陸鉄道が全線で復旧した。
まずはめでたい。
かたや、JRの宮古~釜石間は未だ、復旧の見通しはおろか復旧工事すら始まっていない。
その問題点をマスコミは取り上げない。

三陸鉄道は第三セクターで、独力での復旧工事は不可能との理由で、国費による復旧工事が行われた。 
JRは、莫大な工事費の捻出に二の足を踏んでいる。
国は、JRは黒字経営で資金力もあるという理屈で、国費負担を拒んでいる。
国交省幹部のコメントに、がっかりした。
もっとも国交省は、政治家の判断次第なのだから仕方ない。
世間に、官僚主導打破だのなんだの世迷い言が流れているが、所詮官僚は、政治判断がなければ動けない。
官僚主導打破などと叫ぶバカ政治家に金を貸して、だまされたと騒いでいる大金持ちも、同類のバカである。
同類相哀れむを絵に描いたような、滑稽な騒ぎである。

交通インフラの震災復旧に、経営側が黒字だとか赤字だとか体力があるとかないとかは、まったく関係ないと断言する。

公共交通である鉄道の復旧のために、復興予算をつぎ込んで、とっとと鉄道という社会インフラを復旧させろと言いたい。

JR東は大船渡線などをBRTとかいう半端な手法で仮復旧させている。最低限のカネしかかけないという姿勢だ。
こんな邪道な方法ではなく、国費をつぎ込んで元の鉄道を復活させるべきである。

道路インフラは、国費をつぎ込んで、復興道路だのなんのと、従前よりも立派な道路を乱立させているではないか。
なんて、鉄道には冷たい国なんだろう、日本は。
道路インフラは、はっきり言って、震災のおかげで焼け太りしているのが現実ではないか。
復興のために被災地の高速を一時無料化とかしたけれど、道路とクルマに対して甘やかしすぎだ。
被災地の高速料金を免除するなら、被災者に対しては地域交通の鉄道やバス、そして東北新幹線も国費負担にしてタダにしてやれよと言いたい。

三陸鉄道の全線復旧のニュースを見ていて思った次第です。
しかし、三陸鉄道復旧もNHKのあまちゃん効果便乗の浪花節的報道ばかりで、うんざりしたのも事実です。
  

Posted by よっぱらいくま at 20:54Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2014年01月29日

JR北海道のこと

JR北海道の一連の騒動もようやく方向が見えてきたようで。

新聞投書に、「未だに国鉄時代の甘い体質が・・・」などとあった。
まったくわかってないなあと思った。なんでもかんでも国鉄は悪、日本社会も官僚が悪、行政は非効率と根拠のない思いこみ、決めつけ。
国鉄時代に、今のJR北のような情けない事故がありましたか。

先日、国鉄時代末期に起きた、名古屋駅での寝台特急紀伊号へ飲酒運転機関士による機関車激突事故のことが新聞に紹介されていた。
あれは最悪。弁解の余地ゼロだった。でもそれで分割民営化は正義、というのも極めて狭い一事象だけを見た評価と思うが。
あれは完全に国鉄の息の根を止めた事件だった。分割民営化を進める輩の陰謀なのではないかと思った。
しかし、あの時代でも、保線データの改ざんとかはあり得なかったのではないか。
コスト優先で安全管理予算を削るなんて発想はなかっただろうから。職員もたくさんいたし。

今のJRは、コスト削減、人員削減、効率化、できることはなんでもやってきた。
広大な過疎地域を抱えているJR北が、国鉄時代に比べて路線距離は少なくなったとはいえ、あの広大な路線網の維持にはとてつもないコストがかかるはずだ。
JR東、海、西に比べて基礎体力もなく、どんなに努力しても鉄道事業として採算がとれるのは、正直言って札幌近郊だけだろう。
JR北がどんなに努力したって、今の路線網の維持は困難だ。
そのしわ寄せが、保線をはじめ、車両保守などの安全管理にまで及んだと思う。
だから気動車が火を噴いたり、オイル漏れとか故障ばかりとなる。
少ない人員と少ない予算で、現場はいっぱいいっぱいだったのだろう。
そんな経営環境の中だから、ATSを破壊するような輩も発生したのだろう。

JR北を擁護するつもりはない。安全に関わる業務の手抜き、偽装は公共交通機関として、絶対に許されぬことだ。
偽装に関わった現場の職員も大量処分されたが、なぜ一担当である現場の職員が偽装という手段を選んだのか。
保線作業が追いつかないという現実を経営陣に伝えることは出来なかったのか。
なんで一職員が偽装行為をするようになってしまったのか。鉄道員の誇りはなかったのか。
JR北の体質が腐ってしまっていたのか。
経営陣は知りつつも、対応しなかったのか、出来なかったのか。本当に知らなかったのか。
謎はまだまだ多い。

しかし、北海道の鉄道網を維持するには、JR北だけの独立採算では無理なのだろう。
路線網を維持して安全輸送のためには、国費、県費での助成が必要である。
クルマ、道路のために使う税金の一部を、公共交通機関であるJR北の経営安定化のためにつぎ込むしかないだろう。

企業体質が、経営努力が云々・・・、で解決する話しではない。
経営陣をはじめ、職員、人のせいだけにして、人事の刷新なんかだけで解決する問題ではない。
要は「金」だ。要は「人」だなどと言うことは世迷いごとだ。
北海道に関しては、インフラ部分、施設の所有・保守を公営、営業をJR北と分けるような上下分離方式も検証すべきだ。
JR北の営業努力だけで、北海道の路線網の維持は無理だということだ。

国鉄分割民営化の弊害が出てきた今の状況を、「国鉄時代の甘い体質」などと非難するなどナンセンスの極みだ。
本質がまるで見えていないとしか言えない。

NHK会長の発言問題、原発問題にしてもマスコミの取り上げ方は、なんて浅はかなんだろうと思う。


 都知事選で、細川がボロ負けしても、中日新聞は脱原発の民意は多かったと負け惜しみをほざいている。
 理想だけで国民の生活は守れないという冷静な民意に対して、一部のマスコミはいつまで世迷いごとを言い続けるのだろか。  

Posted by よっぱらいくま at 21:36Comments(0)TrackBack(0)政治・社会