2021年03月28日

N700Sに乗りました

名古屋から東京まで乗車したのぞみ号。
たまたま、N700Sが来ました。初乗車です。



内装はN700Aとはかなり違う印象です。



窓まわりがかなり違います。窓の上の空調の吹き出し口はなくなっています。
Aよりも窓が大きくなった気がしますが、デザインからくる錯覚でしょうか?



座席の案内板も一新。



トイレはウォッシュレット完備。本体は家庭用と同じに見えます。






乗り心地もAとは違うように感じました。  

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2021年03月28日

山手線のヘッドマーク

 3月20日(土)の午前、東京駅で山手線を待っていると、ヘッドマークをつけた編成が来ました。
 何気なく写真を撮りました。



ドアの横に同じく貼ってあります。

すれ違う他編成にはヘッドマークはありません。
希少価値があったのかしら?

池袋で下車したとき撮った後方は違うデザインでした。


  

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2021年01月08日

サンライズ出雲

昨年12月中旬、サンライズ出雲に乗って、プチ山陰の旅をしてきました。



東京駅ホームへ入線するサンライズ出雲・瀬戸の編成。






私の部屋は車端部の13番。前回3月、瀬戸に乗ったときも頼んだわけでもないのに同じ位置の部屋でした。
一般的に車端部はよく揺れるのですが、ここは2階建てではないので、天井が高くて快適です。
しかし、それは東海道・山陽本線走行時限定です。明朝、伯備線に入ってからは・・・。


今回も、乗車前に八重洲口にあるおなじみの立飲み屋で軽く一杯。今回は本当に軽くにしました。


前回、高松へ行ったときは立飲み屋でヘビーに飲んでしまったので、横浜を発車時点で記憶喪失、気絶してしまいましたが、今回は余裕。冷酒を飲みながら熱海まで車窓を楽しんで、熱海のホームにもちょっと降りて外の空気を吸ってから、眠りにつきました。

翌日は姫路到着で目覚めました。
途中、たぶん運転停車している米原とかまったく目覚めることなく、爆睡でした。

岡山ではぞろぞろと乗客がホームに出てきて、写真撮影大会です。



本当、いつから一般人が鉄道マニア化してきたのだろうか。
今、ブルトレが走っていたら、下関や門司はすごいことになるんだろうね。


瀬戸編成が先発、出雲編成出発待ち。


伯備線に入り、山陽新幹線と交差。


新見を出てからしばらくして、芸備線が分岐。
この頃から、車端部にいることを痛感。よく揺れるのです。
前回の瀬戸で高松へ行ったときは気にならなかったけれど、カーブの多い伯備線はめちゃ揺れる、というか振られる感じ。
これで二日酔いだったら最悪ですね。




終点出雲市まで行きたいけれど、この先、山陰本線上り方面の乗り継ぎの関係上、米子で下車。

米子駅で下車するのも何年ぶりだろうか。十何年、何十年ぶりかも。
米子駅の駅舎は旧米子鉄道管理局の建物兼用だったけれど、旧鉄道管理局の建物も取り壊されるようです。


お次の乗車は、スーパーまつかぜ、鳥取行き。
スーパーとは言っても、たったの2両編成。食堂車も連結された長大編成キハ181系の昔日のまつかぜ号を知っている者としてはさびしい限りです。

先頭の自由席の運転台真後ろの席をゲットできたので、前面展望を楽しめました。
山陰本線も高速化工事は完了しているようで、単線の山陰本線を120キロで、またこのキハ187はカーブも本則プラスで突っ込んで行くので、突っ走る様は迫力です。







鳥取で、浜坂行きの普通に乗り換え。新系列の1両単行でした。ボックスシートだからよろしい。
鳥取を出て次の福部までは駅間距離が長く、途中に信号所がありそれを確認しました。今は信号所に停車、交換する列車もなさそうです。

途中の居組駅は私がもっとも好きな駅です。
しかしなんと、駅舎が無機質なコンクリートの小屋になっていてびっくり。

浜坂からは豊岡行きに乗り換え。時間が少しあるので駅前に出てみました。
昔と変わらぬ景色です。

城崎温泉-浜坂間は優等列車がほとんどない状態のローカル線。キハ47が元気に走っています。



こういうトイレが見られるのも、あと少しでしょう。

餘部駅で途中下車。
くわしくはこちらで。

餘部駅からは城崎温泉行きに乗ります。キハ47系の2両編成。
香住、柴山、佐津と、日帰り昼食カニツアー帰りの客とおぼしき客がボチボチと乗車してきます。



竹野駅からは大量に乗ってきて、ボックス席の前に座った客からは全身から焼きガニの匂いを放っていました。
ちくしょー、私もカニ食べたいよ。この時期に山陰本線に乗ってこの区間を通過だけなんて、残念。

城崎温泉からは、特急こうのとりで一気に大阪へ。







城崎温泉駅も、カニをアピール。あーあ、カニ食いてえ。
こうのとりは、ガラガラで発車。大阪まで混むことはありませんでした。


和田山駅は閑散としていました。昔はもっと賑やかだった気が。


反対側には、検修庫らしき建物の廃墟が。


和田山を出て、右に播但線が分岐していきます。


どこかの駅の跨線橋の柱は、超時代モノです。
同じようなものが東海道線の河瀬駅前に保存されています。




大阪で下車して、梅田食道街の松葉へ。立ち飲みの串揚げ専門店です。美味しくて安いです。
ここで軽く飲んでから、金盃へ。日本酒専門の立ち飲み屋です。




最近ニュースでよく映る大阪駅、コロナで大阪は何人感染とかね。
十分に酔っ払ってから、新大阪へ。


新大阪駅在来線.改札内にも梅田食道街と同じ松葉があります。時間がないときはこちらが便利かも。

新大阪から名古屋へ帰ります。
こだま号はいつものとおり、というよりも私が新幹線通勤していた頃の同じ時間帯よりもはるかに空いていました。
これもコロナのせいか。


サンライズ出雲を朝、米子で降りて駆け足で山陰路を戻ってきましたが、充実した一日でした。
でもやっぱり、ゆっくり一泊して、カニ食べたかった~。







  

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2020年12月06日

久留里線

久留里線は、内房線木更津と上総亀山を結ぶJR線です。
最新の気動車なんだろうけれど、またまたオールロングシート。
木更津駅で昼食と思っていたのだけど、一本前の久留里行きに乗ってしまいました。
木更津で時間をつぶすよりも久留里の方が楽しそうだから。
久留里ではめぼしい飲食店もなく、昼ご飯は抜きに。
養老渓谷駅で焼きそばを食べておいて良かった。





久留里駅。跨線橋などなく、昔ながらの線路横断。この風景も今は珍しいでしょう。





久留里の街中には各戸に井戸水タンクがあって、利用されているみたいです。
きれいな水が豊富だとわかります。



駅近くには給水所も。



民家の玄関前にこんなものが。チンゲン菜、ご自由にお持ちください。のどかだなあ。



良い水のある街で作られた酒は、さぞや旨いでしょう。
このあと、今夜の宿となる館山の居酒屋で飲むことができました。

さて、久留里から終点上総亀山駅へ行きました。



今度は2両編成。

上総亀山駅







駅前の小さな商店のネコ。

久留里線に完乗して木更津に戻り、宿泊地の館山へ向かいました。

明日は銚子電鉄にのります。


  

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2020年07月12日

熱海-東京 東海道線グリーン車の旅2

 名古屋から東京への定番となっている、熱海-東京の東海道線グリーン車の旅。
 静岡駅の幕の内が一番なんだけど、静岡駅の新幹線ホームの駅弁店はウイルスのせいで、臨時休業が継続中。
 熱海駅の幕の内も捨てがたいが、今回は名古屋駅で「こだま弁当」をあらかじめ調達して新幹線に乗りました。
 こだま弁当も正統派幕の内だけど、チキンカツが存在を主張していました。
 味も正統派、おいしいです。
 名古屋で買った駅弁を、熱海からのグリーン車で、いつものとおりビールをお供に味わいました。
 


  

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2020年06月14日

熱海-東京 東海道線グリーン車の旅

名古屋から東京駅へ向かうとき、熱海から東京まで、在来線のグリーン車に乗り換えるのが、最近の定番です。
ビールを飲みながら駅弁をつつくのがお気に入りです。
熱海の幕の内弁当も、定番幕の内です。つまみにするには幕の内弁当が最適です。





根府川-真鶴間の旧線跡の廃線トンネル、真鶴方の坑口です。上り電車からだと撮影しやすいです。


根府川の鉄橋から。


早川-小田原間から見えるこのお店跡。
平成一桁頃かな、行列が絶えなかった店があったところです。午後3時4時頃でもいつも行列があったけれど、なんの店だったんだろう。どこかへ移転したのかな。



多摩川の河川敷。ここ昭和50年代のテレビドラマ、Gメン75とかでの場面によく登場していました。
国鉄と京急に挟まれた、特徴的なところなのでよくわかりました。
そんなことを思い出しながら、景色を見ています。
池袋西口近くの東武東上線の際の高架下での場面も、Gメン75でよく見ました。



スイカ在来線グリーン券は、総武線方面へも乗り換えても、通しで乗れるのでお得です。
たまに東京駅下車の際に、グリーン券情報引き継ぎのためのタッチを忘れることがあるけれど、乗り換えたグリーン車で緑ランプにできなくてそのまま乗車しても、車掌の持つ機械で照会すると、グリーン券情報は残っていることが確認できるので、大丈夫です。
  

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2020年03月21日

サンライズ瀬戸

 人生初めて、現存する唯一の寝台特急「サンライズ」に乗りました。
 中部地方在住者にとっては、名古屋を深夜に通過するこの列車を利用する機会は普通はないでしょう。
 今回、千葉から名古屋へ帰るついでに遠回りして高松まで行くことにしました。
 遠回りを超えて、行き過ぎているけれど。

 新型ウイルス騒動で乗車率はどうなんだろうかなと危惧していたけれど、個室はたぶん見た目は満室、のびのび座席は8割くらいで少し空席がありました。まあ、凋落していた頃の九州ブルトレよりはるかに高い乗車率です。

 まずは個室へ行く前の乗車時に、シャワー室最寄りの入り口に並んでシャワーカードを購入しました。
 ネット情報ですぐに売り切れるとのことだったので。









出雲との連結部。左、進行方向前部が瀬戸、後部が出雲です。




 車端部が私のB寝台個室。2階建て部分ではないので、天井が高くて快適でした。
 最初、寝台券を買うときA寝台を所望したのだけど売り切れで、偶然この部屋となりました。
 車端部は揺れるし、台車の真上だからうるさいはずだけど、まったく気になりませんでした。







 東京駅八重洲口の立飲み屋でかなり飲んでいたので、かなり酔っ払っています。
 それでも寝台車内で缶チューハイストロング9% ロング缶を1本飲みました。
 そんな訳で、横浜を出た時点で記憶はシャットダウン。
 名古屋や大阪の通過(運転停車?)も、記憶になく爆睡。
 朝、相生手前で目覚めて、乗車時に購入しておいたシャワーカードを持って、シャワー室でさっぱりしました。
 うーん、でもプチ二日酔いかな。



 日の出です。夜行寝台に乗って朝を迎えるなんて、何年ぶりだろうか。
 浦佐駅で大雪のため立ち往生した停車中の「あけぼの」の中で朝を迎えたのが最後です。




 岡山駅。出雲との切り離し作業は大人気、ギャラリーがたかっています。
 みんな鉄道マニアかいな。一般人ぽいけれど。




 瀬戸内海が見えてきました。朝日がまぶしい穏やかな景色。






 何度通っても、瀬戸大橋という巨大建造物には感動します。
 人間の手でこれが造られたと思うと、技術力には偉大なものを感じます。




 日本で2番目に長い、南備讃瀬戸大橋を通過中。
 瀬戸内海のいくつもの小島を土台に、巨大なピアやアンカレッジを建てて、いくつもの橋をつないで本州の児島と四国の坂出を結んでいます。




 高架の坂出駅は高松へ向かう通勤客の姿が。
 東京や名古屋の風景と変わりません。
 昔は四国は全線非電化、ディーゼルカー王国だった往時の気配は微塵もしません。



 高松駅到着。




 駅近くの、宇高連絡船の錨のモニュメント。
 このあと、小豆島へフェリーで向かいます。








  

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2020年03月01日

釧網本線 流氷物語号

団体ツアーに参加して、冬の道東を旅しました。
各地で流氷を見るツアーですが、流氷物語号にも乗りました。

よくあるパターンで、北浜駅から知床斜里駅までの乗車です。

北浜駅へ進入する列車。
なかなかよく撮れました。




鉄道ジャーナル3月号の表紙と同じ場所。
曇っていたので人影は写りません。




乗り込みます。

車内は満員ですが、先頭に行ったりして。


知床斜里駅到着。







肝心の流氷は、前日夜からの超強い南風で、前日までびっしりであった流氷をはるか沖まで吹き飛ばしてしまったそうな。  

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2019年06月29日

磐越西線の旅3

 6月下旬、昨年10月に行って以来の磐越西線キハ40系の旅に行ってきました。

 
会津若松駅に到着、折り返し新津行きとなります。

 このキハ40系はあと2~3年で、廃止となると公表されました。
 過去2回の同列車乗車の際にはほとんどいなかった、
乗車が目的と思われる新津まで乗りとおした同好の士が、
平日の金曜日にも関わらず、今回の乗車では10組程度いたことが大きな変化でした。


前々回の記事→磐越西線の旅

前回の記事→磐越西線の旅2


 前日は、前回同様会津若松に宿泊、気に入ったので同じ店に行って飲みました。飲み比べセットと言いながら1杯の量が多くお得なので選んでしまいます。どれも旨いです。今回はなるべく変わった?名前の酒を選びました。


 この列車の特徴は、途中何駅かで長時間停車することです。
 昔ながらに駅前散歩、撮影ができます。
 野沢駅は25分停車。同好の士たちも一斉にホームに駅外に降りていきます。



 私も駅前を散歩、ホームでお楽しみのビールを始めました。今回も会津若松駅でしっかりと仕入れておきました。こういう雰囲気、外で飲むビールは最高です。



 今月発売の鉄道ジャーナルで「列車の窓が開いた時代」と題する記事がありました。まさしくキハ40系は窓が開き、前回、前々回の旅では運よく冷房も暖房もついてない時期だったので(前回はそれを狙って時期を選んだ)、窓を開けて車窓を楽しめたけれど、今回は蒸し暑くしっかりと冷房がついていたので窓を開けることは叶いませんでした。
 「窓が開いた」の記事は、まったくそのとおり!と、独特の世界、音、臭いを感じられたという記載に同感でした。







 トイレのあって安心です。





 こういう昭和の遺物を実体験で利用できる日も、残りわずかだと思います。

 4人掛けボックスシート、開く窓、(天井の扇風機は冷房化改造で撤去)、昭和生まれで平成を生き抜いた列車は、令和のときを迎えて消えようとしています。






 次は徳沢駅で列車交換のため10分くらい停車、またまた同好の士たちはぞろぞろとホームへ降りていきます。本当、前回は自分一人だったのに・・・。






 そういえば、前々回の旅ではロシア出身の車掌さんに会えました。この列車の若い車掌さんに聞いてみたら、その方は今は運転士に昇進されたとのこと。
 「この磐越西線も運転しているの?」と尋ねたら、「最初は電車からしか運転士になれない」と答えられました。たしかに気動車の方が、特に昭和の時代の気動車は機関車と共通するブレーキ操作だし難しいのかなと納得でした。
 JR貨物以外には、機関車の運転士は少ないだろうし、養成はしているのかしら。これからも気動車運転士は必要だけど。
 車掌さんにこの気動車も無くなることを確認したら、そのとおりとのことでした。
 「これまで乗りとおす乗車目的の客はほとんどいなかったのに」と尋ねたら、最近は急に増えてきたとのこと。「マナーをしっかり守って楽しんでくれれば。」と言われました。その通りです。今は増えたと言っても、一人いたかいないか程度が、10人程度になっただけなんだけど。

 次は津川駅で約15分停車。
 津川からは新潟県側の利用者が徐々に増え始めて、五泉からは新津までの乗車がかなりあって新津に到着、約3時間20分のキハ40系の旅は終わりました。

 新津駅には別のキハ40系編成が休憩中です。


 次回は、雪の季節に来ようかなと誓ったのでした。
  

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2019年01月27日

銚子電鉄と房総半島1周の旅

千葉県の佐原から銚子へ行ってきました。
銚子電鉄をひさしぶりに訪れたいと思ったのです。

佐原から銚子は近いし、ただ単に銚子へ向かうのもつまらんと思い、ならいっそ房総半島を1周して銚子へ向かうかと決めました。

房総半島の内房線も外房線もすべて東京近郊区間です。佐原も銚子も同区間内ですので、途中下車はせずに大回り乗車の恩恵にあずかることにします。
ルートは、佐原-千葉-内房線-外房線-東金線-総武本線-銚子です。
昔は東京近郊区間はもっと狭く房総半島全体は範囲外でしたが、今はスイカの普及と利用区間の拡大とともに、東京近郊区間の範囲もとてつもなく拡がりました。
中央線の松本や常磐線のいわきまでが東京近郊区間です。

佐原駅を4:50発千葉行きの始発に乗り、千葉で内房線館山行きに乗り換えました。
土曜日にもかかわらず通勤、通学客でそれなりの混雑です。下り方向だから空いているかなという予想ははずれました。
しかし、その混雑も木更津でほぼ解消、君津から先はガラガラになりました。

君津からは単線となり、車内放送からは、これから海が見える区間となるような旨の案内もあり、旅行気分となってきました。


東京湾越しに富士山も見える恵まれた天候です。





館山まで約1時間50分の鈍行電車の旅を堪能して、館山で安房鴨川行きに乗り換えです。
内房線、外房線の末端のこの区間に乗るのは中学生のとき以来、40年以上経っています。
両親といっしょに安房小湊か安房天津の民宿に泊まっての海水浴に来て以来、時は過ぎ私もおじさんになりました。

千倉駅にて、この区間はさすがに閑散としています。


千倉から先も線名は内房線だけど、見える海は太平洋、外房です。


館山から約40分の乗車で安房鴨川着、今度は外房線千葉行きへ乗り換え。

太平洋の輝く景色を堪能できました。



懐かしい安房天津、安房小湊駅に停車していきます。


中学生のときは特急にしか乗っていないので、この区間を各駅停車に乗るのは人生初めてです。
昔は千倉まで特急が走っていました。「わかしお」か「さざなみ」かは忘れました。
あの頃は房総各線の特急は充実していました。
「わかしお」、「さざなみ」、総武線系は「しおさい」、「あやめ」、「すいごう」、
そして、急行群もたくさんありました。
また夏は、「青い海」、「白い砂」だったかな?はっきり覚えていないけけれど、海水浴客向けの113系の愛称付きの快速電車もあったと思います。

行川アイランド駅はそのままだけど、行川アイランドは確かつぶれたはずです・・・。
中学生のときの海水浴ではたしか連れて行ってもらったはずです。

B.B.BASEというキャンペーンをやっているようで、要するに自転車、サイクリストの誘客。途中でこんな電車とすれ違いました。209系の改造のようで、車内は豪華な3列ボックスシートに改造されています。


一般客も乗れるのか?、久しぶりの鈍行旅、知らないこと、新しい発見だらけです。

勝浦から複線となり、乗客も入れ替わりながらも少しずつ増えていきました。
長者町駅は昭和の駅舎そのものです。



勝浦で接続した特急わかしおに茂原駅で抜かれ、大網駅で下車。
東金線に乗り換えです。
東金線ホームは外房線ホームとは離れたところにあり、思ったよりも大勢の乗換客といっしょに急いで乗り換えました。

東金線もたぶん、昭和時代に1回だけ乗っただけと思います。
乗客は多く、それなりの需要があるようです。

成東駅に到着、ほとんどの客が千葉行きに乗り換えていきました。
東金線の電車は行き止まりの0番線に到着です。0番線はいかにもローカル線の終点という雰囲気です。



反対側に銚子行きのしおさい号が到着してすぐに発車していきました。
大回り乗車中でも特急券を買えば乗れるけれど、別に急ぐ訳でなし、次の普通を待ちます。



時間はまだ正午前、早起きのせいもあるけれど、もう1日分くらい活動した気分で充実した1日です。

実は今日、乗り継ぎばかりで朝食を食べ損ねています。成東駅の改札内に売店はなく駅員に言って、改札外のニューデイズで買い物させてもらいました。サンドイッチを購入、すぐにホームに戻り食べました。

昼下がりの成東駅、冬空は天気もよくのんびりしたものです。



成東から乗った銚子行き4両編成。適度に空いており、ボックスシートを確保できました。



銚子まで約1時間、本当にこのあたり車窓からの景色には何もありません。たんたんと電車は進みます。


銚子駅に到着。最近、建て替えられたらしいです。



佐原から約8時間半かかりました。
改札でスイカをタッチ、670円の表示です。
ちなみに、佐原から銚子は成田線で38.6キロです。

しかし今回の乗車距離は307.1キロ。東海道線なら東京から三河大塚と三河三谷の間までと同じ距離、5400円分に相当します。
改めて計算してそんな長距離なのかと思いました。
房総半島って思いの外、広いです。

次の銚子電鉄の電車まで約40分あるので駅前を散歩しました。

チェーン店の居酒屋とかあるものの、首都圏の開発からは取り残されたような、駅前の雰囲気は昭和のままです。

駅に戻ったところ駅前に外川行きのバスが止まっています。電車に乗ろうと思っていたけれど、バスで行くのも一興かと乗り込んだところすぐに発車しました。
銚子の街中の景色を楽しみ、外川までの所要時間は電車と変わりませんでした。
運賃は320円、電車よりも20円安かったです。

外川バス停です。



外川の街、漁師町なんでしょう。坂道と入り組んだ狭い道。古い街並み。映画のロケ地を散歩しているみたいです。





外川港横の海岸で一休み。




外川駅のすぐ近くに活魚問屋島長の看板がある建物に「外川ミニ郷土資料館」とあります。
中に入ると、御年80歳を超える元気な女性が丁寧に説明してくれました。
島長は外川最古参かつ最大規模の鮮魚問屋だったそうで、女性はここで生まれ育って80年以上、この街を見てきたと話されました。この建物も取り壊す予定だったけれど、資料館として残したそうです。

外川駅、ここも昭和末期に訪れて以来、約30年ぶりの再訪です。


古い電車が行き止まりの線路に留置され、中は見学可能です。



中にはローカル私鉄や三セク鉄道によくいらっしゃる方がいます。



良い雰囲気です。



駅内には観光客らしき人が幾人かいて銚子行きの電車を待っています。
売店では濡れ煎餅がたくさん売られています。



地元、ヒゲタ醬油の広告の渋い椅子。
資料館の女性一押しの醤油です。



折り返し銚子行きの電車が到着。





犬吠駅からも、外川駅よりもちょっと多いくらいの観光客らしき人たちが乗ってきました。
その後の駅からは地元の客がほんの僅かしか乗ってきませんでした。

銚子電鉄も経営は苦しいようで、一時は濡れ煎餅で稼いだけれど、一段落したみたいです。
電車の本数が1時間に1本では、一般地元利用者にとってはちょっと苦しいかな。

銚子に戻り、売店でビールを仕入れ、佐原までの帰路はお決まりの飲み鉄を楽しみ帰りました。



行きは8時間半、帰りは約50分で佐原に到着しました。
  

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2018年10月21日

磐越西線の旅2

鹿島臨海鉄道から水戸、いわき、磐越東線、郡山を経て、会津若松へ来ました。

目的は、会津若松から新津まで、キハ47に乗ることです。
昨年の9月に乗って、気に入ってしまったので再訪です。

昨年の記録はこちら




なんと1両は旧国鉄塗色です。でもキハ40系にこの色はなかったんだけどねえ。
正面から見るとキハ58のようだけど、側面はキハ66に見えてしまいます。

明日の朝の列車に乗るため、会津若松で一泊。
居酒屋で乾杯です。
会津若松は酒どころ、よさげな居酒屋がたくさんあります。
そんな中、市中をさまよい適当な店へ。私はいつも店構えを見て直感で入ります。
飲み比べセット。安い。それにどれも旨い。日本酒、やっぱりうめえ~。




この列車は、野沢、徳沢、津川で長時間停車します。
ここが気に入っているところです。昔のように駅前を散歩したり、写真を撮ったりできます。









野沢駅前通りの酒屋は今日は閉まっていました。会津若松で買っておいてよかった。







今日も窓を開けて車窓を楽しめました。本当、冷房も暖房も必要ない時期に限られます。










新津駅にはこんな方々がホームのベンチに座っていました。

  

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2017年11月24日

北陸3セクの旅

新潟から米原まで、旧JR信越本線~北陸本線を、両端のJRを含めて、3社の三セクを通しで乗りました。前回書いた、磐越西線の旅からの続きです。

北陸新幹線が開通して並行区間が3セク化されたからは、初めての乗車です。
新潟から直江津までは、JRの特急「しらゆき」という、最近?できた特急に乗りました。約2時間の快適なJRの最新車両の旅でした。何系というのかは知りません。昔だったら485系だったのでしょうが、485系も全滅ですね。


車内で、新潟駅で買っておいた駅弁を食べました。新潟駅は種類は少ないものの、私好みの駅弁が多く、買うときは迷います。今回はこれ。私の好物が詰まっています。





新津駅の構内は広く、まだまだ磐越西線のキハ47系統が数多く見られます。これも近い将来に消えていくのでしょう。



直江津に着いて、いよいよこれから、金沢まで3セク3社の乗り継ぎです。直江津駅の乗り換え通路には、駅弁屋さんが元気に営業中です。三セク駅になってもこの姿は変わっていないようです。北陸本線と信越本線のジャンクションだった直江津駅は国鉄時代から鉄道の要衝の駅でした。EF62やEF81がごろごろとたくさんいた広い構内に今、その面影はありません。
さて、えちごトキめき鉄道に乗り込みます。直江津駅のこのホームからは、昔はEF81に牽引された旧型客車、583が改造された419系、455系急行型アコモ改造車などに何度も乗り込んだ思い出があります。直近では2010年頃に金沢と直江津を455で往復したのが最後です。
えち鉄の泊行きは、予定通りの新型気動車1両。旧客の時代なら最低でも4両か6両。455、419でも3両編成。収容力は大幅減、それでも本数が大幅に増えていれば良いけれど、JR時代と大差ないです。案の定ほぼ満席で、かろうじて2列席の通路側に座ることができました。車内は立ち客も20人くらいいます。今日は土曜日の昼過ぎ、車内の客層はあきらかに地元の短区間乗車組よりも、乗り通しそうな客が多いです。車内がクロスシートだから、秋田地区の701系なんかよりもまだましですが。
直江津を発車したあとは、昔は485系が数多く疾走していた立派な線路の国鉄大幹線を、なじみの景色を見ながら走ります。1両の気動車と各駅の長いホームが違和感満点です。
トンネル内にホームがある筒石駅で、鉄道マニアが数人下車しました。最近、朝の情報番組で上越線の土合駅が取り上げられていたけれど、こういう駅がテレビで話題になる時代になりました。私らの世代の鉄道マニアなら当たり前の情報なんですがねえ。その番組で、土合だけでなく筒石も取り上げていたら、スタッフは通だのぉ~と誉めてあげたのに。
糸魚川で、たぶん大糸線か新幹線に乗り換える客と地元客がたくさん降りて、ようやく私も窓側に座ることができました。
親不知付近で国道と高速道路が海側に現れます。


親不知駅は駅名標のデザイン以外、何も変わっていません。


この区間は、親不知子不知をまさに体現しているのが、高速道路の建設場所です。海に張り出すしか場所がなかったのです。北陸新幹線は山の中を長大トンネルで貫いていますが。


市振駅です。ここがえち鉄と、あいの風とやま鉄道との境界駅ですが、列車はすべて泊駅まで行きます。


越中宮崎駅はとやま鉄道の駅だけど、ほとんどえち鉄の気動車しか通りません。時刻表を見ると、朝晩の2本だけとやま鉄道かIRいしかわ鉄道の電車が糸魚川まで乗り入れるので、その電車が走るのみです。




泊駅で乗り換えです。
この駅でのえつ鉄ととやま鉄との乗り換えは、同じホーム同じ線路に2本の列車を入線させるという、乗り換え客に楽な方法をとっています。


富山方から泊止まりの電車がえち鉄が止まっているホームに入線。

ホームではこんな感じ。





ホームには案内板もありますが、何人かの人は、乗務員に乗り換え方法を聞いていました。


泊駅、国鉄、JR時代には、降りたことはありません。下車は初めてです。国鉄時代から、泊始発の富山方面への普通列車はありました。





窓口はあり長距離切符も買えます。

実は私は磐越西線の旅のため、郡山駅でこちら方面への通しの切符を買おうと思っていました。
郡山駅で私は、郡山発で磐越西線、信越線、北陸3セク経由、金沢、名古屋と、通しで発券してもらおうと頼みました。郡山駅の窓口の若い女性駅員は長いこと端末を操作していたけれど、発券できませんでした。
指定された私鉄を挟んで、両端が国鉄、JRでの通し発券、連絡きっぷという制度があります。そうすると両端のJR区間の距離を通算されるので、遠距離逓減が効いて安くなったのです。ただしその条件は間の私鉄は1社のみでした。しかし、北陸本線が細分化して分断されたのだから、国鉄JR時代は当たり前だけど通しで買えたのだから、私は新幹線開業のために分断された3セク鉄道なら通しで買えるものと思い込んでいました。
しかし、やはり通し発券は1社のみしかできないと、郡山駅で格上の男性駅員が何か分厚い通達集か規則を持ってきて説明されました。結局、なぜか糸魚川までしか発券できないということで、この窓口で糸魚川から泊駅までの区間の乗り越し精算をすることになったのです。所属でいえば市振までは発券できたはずだけど、よくわかりません。要するにこの区間を乗り通すには、それぞれの3セク区間を細切れに買うことになるうえ、JR区間も分断されるということです。乗り換えばかりで切符は通しで買えず、完全なサービス低下であり割高になるのです。整備新幹線の開業と並行在来線の3セク化は、どう見ても理不尽です。
泊駅から名古屋までの切符も頼んだけれど、こちらは買えたけれど通しというか、泊-金沢間の切符と、金沢-名古屋の切符を分断して買えただけです。しかもカードで支払いを頼むとJR区間は使えるけれど3セク区間は現金しかダメということでした。それでも窓口氏はちゃっかりと、金沢-名古屋の特急券はいらないのと言ってくるので、しらさぎの名古屋行きか米原行きに乗るかは決めていなかったのでとりあえず、金沢-米原の特急券はささやかながらとやま鉄道が受け取るJRからの手数料分の増収に協力するために併せて購入しました。

郡山-名古屋の運賃、JR時代と3セク化した現在を計算してみました。
JR通し 10,480円
直江津-金沢 3セク化後 12,900円
差し引き 2,420円高くなりました。そして在来線特急がなくなった分、時間もかかるようになりました。

ちなみに、上越妙高まで行って、上越妙高と金沢間を新幹線利用で計算すると
こちらは直江津-上越妙高間はえち鉄となるけれど、前後のJRは通算されるので
郡山-名古屋(北陸新幹線経由) 10,720円と、3セク経由よりも乗車券は大差ありませんが、新幹線特急券の2,590円分(自由席)がもれなく加算されます。
名古屋から富山へ行くのにも、金沢で乗り換えさせられて割高な新幹線に乗らされるのはどうかと思います。せめて金沢-富山間は隣駅扱いの特定料金の適用でもしてくれたらと思います。乗り継ぎ割引はあるけれど。


泊駅前には古い駅前食堂が健在でした。


ホームの跨線橋の柱には、古いレールがありました。


泊からは、金沢直通の電車を選んで乗りました。だって、富山の乗り換えが面倒だし、良い席に座れるかどうかもわからないし。

倶利伽羅駅もJR時代と変わりありません。いしかわ鉄道の駅名標はJRのものをそのまま使用しているようで、社名のシールが目立たないくらいの小ささで張ってありました。



金沢駅に夕方到着。ホームも駅構内も、乗降客があきらかに新幹線開業前よりも増えています。
今日は車内で酒は一滴も飲んでいないので、金沢駅名店街にあるお気に入りの店「山さん」で日本酒を飲みました。ここの鰯の刺身はやっぱり旨かったです。おでんももちろんで、いつもの倍食べてしまいました。

金沢からは、3セクに比べれば遙かに快適なしらさぎに乗って、名古屋へ帰りました。
感想としては、覚悟していたからか、直江津から金沢まで、時間はたっぷりかかったけれど、なかなか楽しかったということです(直江津-糸魚川間は除く。やっぱり1両はひどい)。最も移動だけが目的だったら、選択肢にはならないでしょうね。しらゆきで上越妙高まで行って、北陸新幹線に乗り換えて金沢へ向かった方が賢明でしょう。
  

Posted by よっぱらいくま at 17:47Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2017年09月25日

磐越西線の旅

本当に久しぶりに、郡山と新津を結ぶ磐越西線に乗ってきました。
純粋な鉄旅も久しぶり。

最後に磐越西線に乗ったのは、まだ50系客車が走っていた頃、午後の客車列車で会津若松から新津まで乗り通したときだと思います。平成一桁だろうから、かれこれ20年以上ぶりです。
JR東のローカル線は、新型気動車ばかりだし、たいして期待もしていなかったのだけど、まだ残っているんですね、キハ47系気動車が。

郡山から会津若松は快速電車で移動。夕方の電車だったけれど、結構空いていて、これも約1時間の乗車を楽しみました。
秋の夕暮れ時、車窓から見る会津盆地の景色はきれいでした。

雲間からもれる斜光。秋のこういう景色、大好きです。秋だなあと感じます。

この日は会津若松に宿泊。
おいしい料理と地酒を楽しみました。なかなか良い店でした。若い大将が気さくな方で、おすすめの地酒を順番に薦めてくれました。


〆には、喜多方ラーメン。駅前のこの店のラーメンは基本の味。
鶏ガラと豚のスープは、豚味がやや強い、私好みの味でした。濃厚とかこってりとかの今風にない安心できる一杯でした。


宿泊したホテル、今時一泊4500円。バイキングではない、和食か洋食が選べる古いシステムの朝食と、近隣のスーパー銭湯の無料券がついて、この値段は安い。


会津若松駅前は、旧貨物扱いホームの屋根が残っていて、鉄道が活躍していた時代が偲ばれます。
わかりずらいけれど、左が駅舎、右が旧貨物取り扱いホーム跡。


会津若松駅、磐越西線はここで行き止まり。逆方向に進んで行きます。
只見線は、郡山方面からの列車と同じ向きに発車します。


折り返しとなる新津行きが到着。通勤通学客がそれなりに乗っていました。
期待したとおり、キハ47でした。さあ、旅の始まりです。


8時14分定時発。もう学校には間に合わない時間なので高校生は乗っていないとふんでいたけれど、思ったよりも高校生が乗っています。
約15分で列車は喜多方駅に到着。高校生は喜多方で降りるのかなと思っていたけれど、誰も降りません。すでに8時30分をまわっているけれど・・・。
そして、8時41分着の次の山都駅で高校生はみんな降りてしまいました。列車時刻に合わせて学校の始業時間は9時からにしているのかな。
ここですべての客が降りてしまい、車内は貸し切り状態に。

途中、尾登駅からおばあさんが乗ってきましたが、次の野沢駅で降りました。
野沢駅は9時2分着、そして発車は27分。なんと25分間も停車するのです。
昔みたいに途中駅で長時間停車する鈍行列車は、ほとんどなくなっていますが、こんなところに生きていました。
他の客は、鉄道ファンらしき客1人と私以外、ゼロ。よそ者の私ともう一人がいなければ、普段は客ゼロとなるのでしょうか。

良い雰囲気です。昔の旅のように、途中下車して、駅前を散歩しました。
今日は夜、新潟で学生時代の友人と会い、飲む約束をしているので、今日は列車内では飲むまいと決心していましたが、こんな良い雰囲気の汽車旅となってしまったからには、飲まざるを得ません。(どういう意味だか・・・)

典型的なローカル線の途中駅の駅前通りを歩き、昔ながらの酒屋をやっと見つけました。
コンビニなんて皆無です。駅から離れた主要道路沿いには、どんな田舎でもコンビニとか今風の大型商業施設があるのだろうけれど、駅近辺は時間が止まっているような景色であることが、ローカル線の駅周辺の典型です。
まだ9時過ぎだけど、酒屋は開いていて、店のおばあちゃんと地元のおばあちゃんが話し込んでいました。
アルコールが手に入ったことに感謝して、駅へ戻りました。

野沢駅、昔は急行も停車した駅です。
待合室には、ストーブがあったことを示す穴が天井にあります。冬季には石油ストーブを今でも置くのでしょうか。






待合室には、古い写真が多数展示されていました。


発車を待つ列車。25分間の停車時間、駅前を歩いて買い物もできて、写真もたくさん撮りました。



停止位置標に「雪」の文字が各駅にありました。



もう、ホームで飲み始めちゃいました。プシュー。



発車を待つ間、車掌さんともお話しをしました。この列車のスジは以前から変わっていないとのことで、野沢駅での長時間停車は変わっていないようです。景色の良いところとか、次の長時間停車駅も教えてくれました。
この親切な若い車掌さん、なんと純粋な白人系の外人さんだったのです。聞くと生まれは外国だけど、育ちは日本とのことで、車内放送とか言葉は、顔立ち以外は日本人となにも区別できませんでしたが、ネームプレートはしっかりとカタカナでした。JR入社から5年だそうです。こういうのを本当のグローバル化というのでしょうね。JR東、好感が持てました。

野沢駅を発車してからは、窓を全開にして外の景色を楽しみました。冷房も暖房も不要な、この貴重な日、この季節、窓を開けられる列車に乗れたことはなんと幸運なことでしょうか。
今や、ボックスシートで窓を開けて外の景色を楽しめる列車なんて、日本中探しても貴重なものでしょう。








窓を開けたトンネル内は轟音です。冷房車ではない昔は、真夏なら当たり前だったのになあ。トンネル内の冷気が心地よいです。煉瓦積みのトンネルの壁に、磐越西線の歴史を感じます。煉瓦積みトンネルの壁を間近に見るのは、廃線跡巡りみたいです。


徳沢駅でも、交換待ちで10分弱停車。
駅舎は郵便局を兼ねていました。





窓が開いているところが、私の席。


上りの快速は、新型気動車。あちらよりもこっちが断然良いですわ。


通過する快速と車掌さん。

津川駅でも20分近く停車。駅前を散歩しましたが、とくに何もありません。


福島から新潟への県境区間の、野沢から津川は乗客の流動がほとんどないということが、よくわかりました。土日だと別の顔を見せるのでしょうけれど。

典型的な駅前の住居地図看板。名前のある駅の隣の酒造所とか、ほとんど現存していません。




さきほど買った缶ビール2本でほろ酔いですが、飲み足りなくなったらと念のために買っておいた缶チューハイに手を出しました。何気なく賞味期限を見たら、月単位ではなく年単位で切れていました。ビールはいつものクセで製造年月は必ず買うときに確認しますが。田舎の酒屋でたま~にあるんですよね。でも、あそこで朝から営業していて酒が手に入ったことに感謝。いつまでもお店が存続することを願っています。缶チューハイ、もちろん飲みました。ビールと違って缶チューハイは、味はほとんど変わっていませんでしたので、おいしくいただきました。

五泉あたりからボチボチと乗客も増え始めましたが、混雑することなく新津に到着しました。
本当に久しぶりの、昔ながらの汽車旅を満喫しました。窓を開けて景色を何時間も楽しんだなんて、20年以上ぶりくらいかもしれません。窓を開けられる貴重な季節、時期、天候に巡り会うのは、運だと思います。
学生時代、夏の山陰本線を窓を開けた旧型客車に一日中揺られたあと、体じゅうがDD51の排気ガスと鉄臭くなったものですが、今回も近いものがありました。

到着した新津駅近くの「大将ラーメン」という店で昼食を摂りました。シンプルにラーメンを頼んだのですが、ナルト、チャーシュー、しなちく、ネギ、そしてホウレンソウが乗った、懐かしい東京ラーメン風でした。味もくどくなくおいしかったです。こういう店、近所にはないんですよね。



このあと、新津鉄道資料館へ行ってきました。
新津鉄道資料館






  

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2015年03月29日

八高線と上野東京ライン初乗車

東京出張があり福生に宿泊したついでで、その翌日に八高線に乗って高崎まで乗り、高崎から東海道線へ直通する電車に乗って開通したての上野東京ラインに乗るということを思いつき、実行しました。

八高線に高崎まで乗るのは久しぶりです。たぶん学生時代だから、30年以上前のことです。昔はキハ35系ばかりだったけれど、今走っているのはボックス席もあるので、旅向けです。しかし、首都圏だけあって乗客は多いです。

ボックス席を陣取って、車窓を楽しめました。

八高線は開通80周年とのこと。看板が各駅にありました。



八高線は戦前、東京が空襲を受けても輸送を確保するため、東京を迂回して東海道方面と上越、東北方面との間の軍需輸送のために建設されたものでした。

沿線には遅咲きの梅がたくさんあります。






有名な越生梅林がある越生駅ではたくさんの梅見客らしき人たちが降りていきました。

小川町で東武東上線をオーバークロスします。
鉄道は後から建設された方が上を跨ぐことになります。
東武東上線が小川町まで開通したのは大正12年、かたや八高線は昭和9年に全通しています。




小川町駅です。古い跨線橋も健在です。






寄居駅で再び、東武東上線と寄り添います。
ちょうど、復刻されたクリーム色の8000系が併走しました。



このクリーム色の8000系が活躍していたのは、私が中学高校大学と過ごした時代とまったく同じです。
あの頃はなんて特徴のない色で、下塗りのまま走っているとか、評判もよくなかったけれど、今となってはレトロに感じて懐かしくなってしまいます。8000系ほど特徴のない電車は他にはないと、好きでもなかったけれど、国鉄に限りなく近い東武鉄道の社風、個性よりも標準化を徹底していました。私鉄で唯一、まっ昼間でも運転台の後ろのカーテンは閉めていたのも、国鉄と同じでした。今は開けているけれど。


八高線と上越新幹線と関越自動車道が交差するところです。




高崎に着きました。
乗ってきた列車です。






高崎駅ホームにはうまそうな、昔ながらのそばスタンドがありました。



こういう店でそばを食べるのも良いけれど、ここはラーメンがあります。こういう店の何も特徴のないラーメンも好きです。
だけど、今日は東京到着後、昼間から飲む予定なので昼食は抜きにするつもりなので、我慢です。

懐かしい湘南色の115系が普通にいます。
なんか、ひと昔前の雰囲気です。





久しぶりに横川まで乗りに行きたくなりました。
EF63にも会えるし。

跨線橋にも古レールが使用されています。





1938年製、たいして古くもないですね。

ノリホ入れもあります。


ホームの乗車位置案内には、一年前に廃止されたあけぼの号の表示もありました。



さて、12時23分発国府津行きのグリーン車に乗り込みました。
高崎駅で、国府津だの熱海だの小田原だのとの行き先表示には、やっぱり違和感が強いです。
そのうち、当たり前になるのでしょうか。
スイカへのグリーン券購入は、東京付近は同じ料金だから、行き先ボタンは熱海を押しました。
新橋で降りる予定ですが。

グリーン車内では、酒を飲む客が多くいます。東海道線ではめったに見ない、東海道では飲んでいるのは私だけということが多いのに、こちらは私以外が、たくさんの人が酒を飲んでいます。私はこの後、おいしいビールを飲む予定なので、誘惑に負ける訳にはいきません。それでもグリーン車の女性乗務員が何度も車販にまわってきます・・・。
昔からの伝統で、上野口の下り電車、東北線や高崎線の通勤客は夕方は飲んでいる通勤客がたくさんいました。その雰囲気ですね。満員でも、ボックス席にありつけなくても、立っていても、ワンカップを飲んでいる飲んべえサラリーマンが珍しくありませんでした。昭和の時代は。


いよいよ上野を発車。上野正面口の景色が間近に見えます。今まではあり得ない風景が続きます。



秋葉原のヨドバシカメラも正面から見えます。


神田付近


東京駅の上野口付近。ここを乗って通れるのは画期的なこと。


今回の乗車で、上野が近づいても乗客が減らないこと、上野、東京と乗客の入れ替えは多少あるけれど常にたくさん乗車していることがわかりました。
これでは、上野や東京から乗ると、着席できる確率は相当低くなったなと感じました。
グリーン車の乗車率もかなり上がったように感じます。

そして、平行する山手線と京浜東北線の乗客数は、はっきりとわかるほど減っていました。
これほど、上野口と東京口を直通する需要は大きかったのかと、びっくりしました。

  

Posted by よっぱらいくま at 15:58Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2015年03月18日

亀山発新宮行き キハ48の旅

 3月のダイヤ改正で、JR東海に残るキハ48などの昭和の時代に新製された気動車が、いよいよ淘汰されていきます。
 武豊線の電化もあって、そちらの新型気動車や新型増備で高山本線からはほとんどが新型に置き換わるみたいです。
 高山線に配置される新型気動車はオールロングシートです。そんなんじゃとても、鈍行の旅は楽しめません。ボックスシート自体、時代遅れの象徴みたいたけど、長距離長時間運転のローカル線、とても通勤ラッシュがあるとも思えない線区に何を考えているのかと言いたくなります。
 車内での飲食で発生するゴミとかの清掃の手間を省きたいのでしょう。最近は新幹線でもどこでも、乗客はしっかりと持ち帰り、駅のごみ箱へ捨てているんだけどねえ。

 かたや、紀勢本線のキハ48や40の一派は、まだ当面残るようです。
 私は、まだ亀山ー新宮間に旧型客車が走っていた頃、そして、その後に50系客車、キハ58と置き換わってはきましたが、ずっと紀勢本線の鈍行列車の旅が好きでした。
 キハ40系列に置き換わってからは足が遠のいていたところですが、ついにキハ40らまでもがなくなってしまう時期がいよいよ近づいてきたとなると、乗っておかねばと思った次第です。

 亀山発新宮行きの直通列車は、昔は数本ありましたが、現在は2本のみです。昔から夕方に亀山を出発する列車を愛用していたこともあり、新宮着が手頃な時間の、亀山15:12発に乗りました。新宮には19:50着、約4時間半の乗りごたえのある旅となります。

亀山駅5番ホーム、昔ながらの良い雰囲気です。これから約4時間、新宮まで乗車するキハ48です。




 この列車平日は通学客なんかで多少混む時間帯もあるのだろうけれど、土曜日はほとんどの区間でガラガラです。だから長時間の乗車も快適だし、途中、10分前後停車する駅もあるので途中下車や買い物も可能です。

 亀山駅は紀勢本線の起点駅です。0キロポストが紀勢本線ホーム5番線から見えます。


 キハ48と40の3両編成です。トイレのある車両に乗り込みます。トイレのある安心感は、酒飲みには絶対です。

 汽車旅の宴会スタートです。

 
 車内は扇風機のスイッチもある、新製当時からほとんど変わっていません。冷房が取り付けられた以外は。
 山陰本線のキハ47系は窓際にテーブルが取り付けてあったけれど、こちらにはないのが惜しいところです。


 亀山を出て列車は最初の停車駅、下庄に着きます。緩くカーブしたホームのローカル駅で雰囲気が良いところです。

 次の一身田からは高校生が乗り込んできます。平日はたくさん乗ってくることでしょう。
 しかし、次の津でほとんどが降りてしまい、乗り込んで来る人も少なく車内は閑散とします。

 高茶屋でキハ48系4連と交換。


 松阪までのんびり飲みながら過ごし、松阪駅で一番前に移動してスタンバイします。


 それは弁当を受け取るためです。松阪駅の牛肉弁当は有名なところです。私はいつも電話で予約を入れておいて、ホームで受け取るのです。親切な従業員のおばちゃんから受け取る弁当は、出来立てのホカホカです。ここの弁当は牛肉がうまいことはもちろん、私にとってはそれよりもご飯、米が美味しいことがうれしいです。最近のコンビニ弁当やホカ弁のご飯もうまいけれど、やはり一流、値段が高いだけの価値があります。




 まもなく多気駅に到着。参宮線の分岐駅であるとともに、日中の紀勢本線の列車は多気始発が多いです。逆に亀山方面とは参宮線直通の列車の方が多いです。
 10分以上停車するので、駅前のコンビニで買い物ができます。亀山でたくさん酒類を買い込んだのだけど、ここでも補充します。


 多気から紀勢本線は山間部に入っていきます。三瀬谷を過ぎると本格的な山越えとなり、エンジンフルバワーでゆっくりと峠を登っていきます。大内山駅、そして梅ケ谷駅あたりが最高地点で、相当登っています。それからは下り坂を転がりながら紀伊長島駅へと向かいます。この区間は地図で見ても、険しい地形であることがわかるし、線路はぐるぐるとカーブの連続であることもわかります。

 紀伊長島駅前は店もほとんどなく、寿司屋と小さな牛乳屋さんがあるくらいなので、酒類を手に入れることは不可能です。500メートルほどのところにスーパーがあるのだけど、10分弱の停車時間での往復は無理です。




 酔いも十分にまわりあたりも真っ暗、乗客もまばらな、ボックスシートでの楽しい旅はまだまだ続きますが、単調です。
 途中の長時間停車の駅ではホームに出て写真を撮ったり、改札も出たりします。こういう旅ができる路線と列車は、本当に少なくなりました。


窓際は酒宴の証拠が。

 これ、1人で全部飲んだ訳ではありませんよ、誤解なく。

 尾鷲、熊野市と主要駅前後で乗客はほとんど入れ替わり、終着の新宮には19時50分到着です。まだまだ宵の口で都会なら人だらけの時間だろうけれど、3両編成のキハ48から降りた客は10人もいません。
 閑散とした駅の改札を出て、旅は終わりです。

 紀勢本線のキハ48系、いつまでも残ってほしいものです。
  

Posted by よっぱらいくま at 21:11Comments(2)TrackBack(0)乗車記 JR

2015年03月13日

高山線キハ48

高山線で富山へ移動中です。
沿線では、キハ48狙いの撮り鉄がたくさんいます。
明日は金沢駅で北陸新幹線開業式典に出没します。
  

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2014年08月13日

武豊線乗り歩き

 東海道本線の大府駅から分岐する武豊線。
 名古屋近郊の地味なローカル線でしたが、近年は沿線の宅地化やマンションの増加も受けて本数も利用客も増えて都市近郊路線の様相です。
 東海道本線よりも先に開業した武豊線は歴史の宝庫でもあります。
 来年のダイヤ改正で電化となることもあり、電化前に一度乗っておこうと思っていました。
 ちょうど大学時代の友人が名古屋へ遊びに(飲みに)来るということで、そういう機会でもないとなかなか動きが悪くなっているのでいっしょに行きました。


大府駅へ進入してくる、折り返しとなる武豊線の気動車。


 最初は亀崎駅で降りました。いちおう日本最古の駅舎ということですが、外壁等更新しているので、器自体は古いのでしょうが、あまり古さは感じません。
 ここよりも、今は第三セクター化された旧国鉄ローカル線の駅舎の方が古さを感じます。のと鉄道とか北近畿タンゴ鉄道とか。



ホーム側から



 駅舎にはこんな表示が。


 明治19年1月です。

 駅舎内です。柱だけが歴史を感じます。


ホーム跨線橋のコンクリート柱にはこの表示です。昭和41年製らしい。


 半田駅寄りには旧貨物ホーム跡らしき場所が自転車置き場になっています。このパターン、ローカル駅に多いです。


 きっと手前には、お決まりの日通の事務所建物があったと思ってしまいます。

 こんな古い看板も。


 複線電化、さらには高架化と、言いたい放題な感が。
 冷静に考えれば、現況の本数維持あるいは倍の15分間隔運転も、現在の単線で可能ではないでしょうか。
 複線化ましてや高架化など、無意味でしょうな。クルマ社会の愛知だから、鉄道の利便性よりもクルマの運転の障害となる踏切をなくしたいのが本音ではないのと皮肉りたくなります。
 朽ち果てかけた看板が出来てからいったい何年がたったのでしょう。まさか電化が実現するとは、看板を作った当時は夢にも思っていなかったことでしょう。


 次は半田駅へ2駅移動。

 半田駅は日本最古の跨線橋があると有名です。





 ホームの屋根、柱もいい雰囲気です。



 これが跨線橋。たしかに古いです。
 今や貴重な危険品庫もあります。
 開業当時からかさ上げされていない旧ホームもあります。昔は貨物列車が止まり、隣接する駐車場用地はきっと日通の倉庫とかがあったのだろうなと夢想します。

 跨線橋の通路。


案内板もあります。


 階段昇り口にはこんな記載が。




 「明四十三鐵道新橋」、跨線橋本体よりも新しいです。


 柱とかはかなり塗装を厚く塗り重ねられていて、かなりの厚化粧です。







 何か書かれているけれど、厚化粧が過ぎて判読不可能です。


 ホームから見た駅舎側。低い旧ホームがあります。


 現ホームはこちら。かさ上げしているのがよくわかります。


 ホームの柱にはこんな表示が。


 その下のは塗りつぶされていて、判読不可能。


 半田駅は跨線橋は、電化に際して建築限界を超えているとのことでしたが、架線を特殊な構造にすることで、跨線橋は保存する方針となったようです。
 すでに張られている跨線橋下の架線は、確かに特殊構造です。


 跨線橋下に何やら板が取り付けられています。

 吊り線とトロリー線の間隔もとても狭いです。






 跨線橋を残すため、ぎりぎりでクリアさせたのでしょう。JR東海に拍手。
 これが直流1500ボルトではなく交流2万ボルトだったら出来たのか、聞きたいです。

 半田駅前周辺はコンビニもなく古い街並みで、レトロな建物も多いです。






 味のある建物の駅前食堂。営業しているのかわかりませんが、こんな店で昔みたいに、キリンラガー大瓶を飲んで、ラーメンを食べたいです。
  

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2014年02月22日

あけぼの号立ち往生顚末記 豪雪災害

 今年3月のダイヤ改正で、上野と青森を結ぶ、伝統あるそして最後まで唯一残った昔ながらの寝台特急「あけぼの」号が廃止になります。
 2月14日金曜日、青森発上野行きの「あけぼの」の寝台券が手に入ったので、お別れ乗車に行きました。
 実は、当初は2月16日、上野発青森行きの下り列車を、1ヶ月前の10時にみどりの窓口で求めたのだけど、瞬時に売り切れて手に入らなかったのです。それで2日前の14日発の上りは発売開始から2日も経過していたにも関わらず下段もいくつか空いていて、難なく下段寝台が買えました。
 16日の寝台券が買えなかったことは、あとになってとても幸運な結果となったのでした。

 さて、14日夕方金曜日の青森駅は、東京と変わらないような通勤客もたくさんいて、たった2両の「青い森鉄道」に詰め込まれていました。昔は最低4両の12系か50系客車で、もっとのんびりした雰囲気だったのになあと思ってしまいました。

 青森駅の発車待ちの「あけぼの」です。





 周りには撮り鉄がたくさんいます。通路にでかい三脚を立てて構えているのは感心しません。駅構内やホームでは三脚使用は慎むべきです。はっきり言って邪魔。
 私はコンパクトデジカメでストロボ禁止で手持ちですが、十分です。
 写真を撮る鉄道マニアの数に比べて、列車に乗り込んだのはその半数くらいに見えました。

 あけぼのは定刻に、青森駅を発車しました。
 乗客はマニアもいるけれど、一般客もそれなりにいます。1ヶ月前に瞬殺で売り切れる「あけぼの」もあるのだけど・・・

 車内では地酒のワンカップを飲みながら、ゆっくり過ごしました。ときおり鳴る汽笛が、昔ながらの寝台列車の旅を盛り上げます。車内もとても静かです。昼間から酒を飲んでいたので、21時21分着の秋田まではなんとか起きていたけれど、秋田発車時点で寝ました。

 なんとなく、長岡での機関車交換をおぼろげに覚えていますが、夢うつつ状態でした。しかし、長岡を発車するとなぜか目が覚めて、それからはカーテンで閉ざされた寝台の中から、雪深くなっていく車窓を眺めていました。午前2時頃です。

 列車が止まりました。外は相当雪が降っています。雪で進めなくなったのかなとも思ったけれど、ここまでは普通のスピードで走っていたから、止まったのが不思議でした。私はなんとなく越後湯沢かなと思っていました。列車はまったく動かなくなりました。先頭から2両目に乗っていたので、機関車のブロアーが止まるのもわかりました。
 どこの駅かまったくわからなかったので、スマホの地図アプリを起動させて現在位置を確認したら、浦佐駅でした。
 浦佐に停車したのは、午前2時半頃です。
 これから、まったく眠れなくなりました。動いていない寝台列車はとても不自然でした。雪は降り続いています。どんどん周囲の積雪量が増えていきます。ホームには散水しているのだけど、止まったときよりもどんどんと雪が積もり続けます。

 深夜、ずーと止まったままの「あけぼの」。雪はいよいよ強く降り続けます。
 車内放送もありません。鉄道無線が聞ける無線機を持ってくればよかったと、後悔しました。
 午前6時になれば放送も入るだろうと、横になってぼーとしたり、外を見たりの繰り返しで、果たして午前6時を2~3分過ぎた頃、車内放送が入りました。
 要するに「動く見込みはない、それ以上もそれ以下も情報はない」という内容でした。
 朝食も取れないしと、昨夜のつまみの残りを食べて過ごしました。
 携帯でワンセグのテレビを観ていると、首都圏をはじめ、大雪でとんでもない状況になっていることもわかりました。鉄道はJRも私鉄もほぼ全滅です。実はこの日は大事な予定があったのだけど、これでは無理と悟りました。もう知らんと達観しました。

 午前8時を過ぎた頃、8号車のドアを開けるという放送が入りました。私はJRが朝食を配給してくれるかなと期待していましたが、駅の売店で勝手に買えということでした。
 浦佐駅は新幹線停車駅です。改札外に売店もありますが、「あけぼの」の乗客が群がり長蛇の列が出来ていました。車窓から外にセブンイレブンがあることはわかっていたので、外のセブンに行きました。そちらはまだあけぼのの客は来ていませんでした。
 どうせ動く見込みはないしと、開き直って、ビールや日本酒やらも買い込み、とても不通となった列車の乗客には見えない買い物をしてしまいました。もちろんおにぎりとかも買いましたよ。セブンのおいしいコーヒーもね。
 列車が止まったときの、食糧確保は絶対の鉄則です。

 その後もまったく動きません。買った酒を飲んで朝からご機嫌なんだけど、車内放送は一定間隔で、「動く見込みなし」と案内していました。駅の売店も落ち着いて、新聞を買ったり、追加の飲み物を買ったりして、午前が過ぎていきました。駅の売店も外のセブンも、まともな食べ物は「あけぼの」の客にほとんど買われてなくなってしまいました。そのうち外のセブンに配送車が着いたのを確認しました。

 車外に出て、ホームで写真を撮ったりして過ごしました。










機関車の前も雪に埋もれています。














 昼頃になり、昼飯を買いにセブンに行きました。結構なんでもあったので、オムライスを買いました。寝台車の中でコンビニ弁当を2食も食べることになるとは・・・。

 酒も飲んでのんびりしながら過ごし、午後になっていきました。深夜2時半頃の停車してからもう10時間かなんて思っていました。
 雪は降り続いています。

 そのうち、機関車がなぜか切り離されていて、新潟方へ去っていきました。




 なんだなんだと、最後尾に行くと、係員が連結の準備をしていました。




 機関車は新潟方に連結されました。前に進むのは無理だと明確となりました。










 車内で待っていると、予告もなく「列車は運転打ち切り」「東京まで別ルートで行くか、秋田方面に戻るか、宿泊して翌日の新幹線に乗るか、選択せよ」という内容で、とにかくバスに案内するので降りろというものでした。
 長岡方面の新幹線は動きだしたので、秋田方面戻り組は新幹線に乗って新潟から「いなほ」に案内されるということで、バスには東京行き組と宿泊組が乗り込みました。
 東京へは六日町から「ほくほく線」に乗り金沢へ。乗り継いで米原経由で新幹線で東京まで行くというものでした。JRからの案内は、「ほくほく線」も混んでいるしダイヤも乱れている。東京まで今日中に着けるか保証はしないという内容でした。それでも行くというチャレンジャーが2割くらいバスから降りていきました。

 さて、宿泊組は越後湯沢のホテルへと案内されました。スキーシーズンの土曜日、よく100人弱くらいの部屋を急遽準備できたものだと感心したけれど、東京方面からは高速も新幹線も止まっているからキャンセルもあったのでしょうか。
 案内されたホテルはスキー場に面した、一流リゾートホテルで豪華なところでした。しかも一泊二食までつけてくれました。
 普通に宿泊したらいったいいくらかかるのか。豪華なディナーバイキングに、朝食も贅沢なバイキングでした。
 ディナーでは自腹でワインのフルボトルも入れたりして十分楽しみました。一流のサービスと料理に幸せ気分です。
 JR東としてはたぶん、「びゅう」とかの旅行商品でこのホテルへもたくさん客を送り込んでいるはずだから、この「あけぼの」不通のための代替宿泊は格安で契約したのだろうけれど、自分では絶対泊まれない金額でしょう。
 もちろん翌日の新幹線は、「あけぼの」の寝台券を見せればOKということでした。
 あけぼのには終点まで乗れなかったし、まる1日分損したけれど、ここまでやってくれたらもう文句は言えません。原因が近年まれに見る豪雪で、ここまで降れば、私が普段言っているような除雪設備の不備や人的不足の範疇を超えた雪害ですから。案内スタッフも新潟支社の事務職や保線担当の作業服のベテランもいて、仕事は休みだったけれど動員されたと話していました。
 米原経由組は無事に当日中に東京に着けたのでしょうか。
 さらには、当日東京着をあきらめ越後湯沢に宿泊を選んだのだけど、実は温泉につかり豪華ディナーバイキングを食べたあとの夜8時半頃にフロントから、「東京行きの新幹線が1本動くので乗る気があれば案内する」とJRから連絡があったがどうするかと部屋へ電話があったのです。温泉に食事に酒と十分にくつろいでいて今更動く気はなかったので、丁重にお断りしました。だって、翌日の朝食も楽しみだったんですもの。乗ったとしたら、米原経由よりは先に東京に着くはずです。

 そう考えると、米原経由を選択していたらと、ぞっとしました。 
 かようなJRからの厚遇を受けたけれど、列車に乗る前と乗ってしまってからの扱いは天と地ほどの差があるのは規則上もあきらかです。一度乗せて動いてしまったら、元に戻るのもすべてタダだし、先へ行けなくなればとにかく代替手段を講じてくりたり、最悪、今回のように宿泊まで手配してもらえます。
 それが発車前の運休決定だと、きっぷは無手数料で払い戻すだけ。他の手段は自分で手配してね、ということなんです。
 今回の雪害で中央東線のあずさが立ち往生して、乗客が駅の会議室などで仮眠したと報道されていました。これも人数と寝台特急と一般の特急の違いで待遇に差が出たのだと思います。

 こういうことになるから、「トワイライトエクスプレス」、「北斗星」、「カシオペア」、そして「あけぼの」と、大雪や台風などの予報が出ると、たいしたことないのにすぐに運休を決め込むのだと、改めて思いました。途中で止まったときのことを思うと、JRの立場としては。

  翌日は酒代だけフロントに支払って宿をあとにして、越後湯沢から東京までノンストップの新幹線に乗りました。東京駅の混乱と、大宮までの各駅で通過線が除雪されていない関係で各駅停車(客扱いはなし)で行ったから、50分くらい遅れました。

 越後湯沢駅はさすが豪雪地帯だけあって、スプリンクラーの数と勢いが半端なく、線路にはまったく雪がなかったけれど、大清水トンネルを抜けて本来からっ風の吹いている関東平野は一面の大雪でした。当然、線路にスプリンクラーもなく、線路は雪に埋もれていました。
 この設備の違いが雪に強い天下の上越新幹線を運休にしたのでしょう。史上まれに見る大雪だから設備の違いを責めることは、絶対にできません。こんな場合は。




越後湯沢駅周辺の線路に雪はありません。
東海道新幹線のスプリンクラーと比べて、数とパワーがまったく違います。


高崎駅は・・・
これでは首都圏は大混乱も仕方ないかと。




 今回の関東地方の大雪、普段から雪が降らない地区にこれに対応する除雪設備等をふだんから整備しておくことは不可能でしょう。

 この日から19日まで、高崎線、上越線が不通のため「あけぼの」号は上下とも運休となりました。
 16日の寝台券が取れなくてよかった。
  

Posted by よっぱらいくま at 16:21Comments(4)TrackBack(0)乗車記 JR

2013年09月17日

九州旅行

 この連休、結婚式に呼ばれて博多へ行ってきました。
 ついでに博多の近場へ、鉄道の旅をしました。

国鉄の遺物
 九州には国鉄時代の車両や物がまだまだ残っています。
 キハ47は冷房改造されているものの、昔ながらの良い雰囲気です。
 冷房改造でエアコンが網棚部分にどんとあります。






扇風機には国鉄のJNRのマークが。無骨な扇風機です。懐かしい~






 田川伊田駅
 昔は「伊田」駅でしたが、田川が付きました。
 私が高校2年生のときの九州旅行以来、30年以上前に来て以来です。
 ここは、日田彦山線と伊田線が分岐していました。
 当時は国鉄だったけれど、今は平成筑豊鉄道になっています。
 第三セクターになっても、雰囲気は国鉄時代のままです。
 駅舎は重厚なものでした。




中の造りもなかなかの雰囲気です。






初めて来たときに感じた、だだっ広い構内もそのままです。




ホームには国鉄マークのゴミ箱も現存していました。




 国鉄からJRになってどんどん雰囲気が近代化してきたけれど、地方の零細第三セクター鉄道には、まだまだ古き良き時代の雰囲気が残っています。
 それは、財政難で施設を更新できないのでもあるのだけど。
 こういう地方の三セク鉄道は、応援していきたいです。
 JR東海なんか、徹底的に近代化して、国鉄時代の物を徹底的に駆除しようという姿勢がまる見えですし・・・。この前の名古屋市への旧客譲渡騒動でも、JR東海の保存へのやる気のなさが露呈しました。リニアを作る金の何億分の1で保存できそうだけど・・・。


立野駅
 豊肥本線にも久しぶりに乗ってきました。
 立野駅と言えば、日本で現存する数少ない、スイッチバック駅です。




 行き止まりの線路の先には、トンネル坑口みたいなものが。




ここを行ったり来たり。




立野駅ホームで待っていると、肥後大津行きと宮地行きが同時に進入してきました。
両方ともキハ47です。絵になります。なかなかの演出ではありませんか。



どっちに乗ったらよいか、よく考えないと迷います。
車体の行き先表示サボはどちらの列車も「肥後大津-宮地」だから。
ホームに並んだところ。




宮地駅です。





門司港周辺にて

門司港駅周辺はレトロをテーマに観光地化しています。
門司港駅からトロッコ列車に乗って、和布刈へ。




終点には、旧客を利用した休憩所兼レストランがあります。




EF30もあります。




車内です。




懐かしい洗面所も。




昔は走行中にこんな写真も撮れました。




関門人道トンネルを通って、下関側へ渡りました。
ここも高校2年のとき以来、30年以上ぶりです。






この海の下を歩いて渡りました。




下関側からは渡し船で門司側へ戻りました。




トロッコ列車、下関側のバス、渡し船がセットで800円で乗れるきっぷを利用しました。



門司港駅に戻ってから、九州鉄道資料館に行きました。初めての訪問です。


















懐かしい展示車両たちです。
481系、581系、ED72、他に24系寝台車なども。
ED72はSG付き、ED73はSGなしで、旅客用と貨物用に用途が分かれていましたが、旧客列車がなくなってきた晩年は客貨関係なく運用されていました。



門司港駅
 門司港駅は現在、改修工事中です。
 完成は平成30年と駅員から聞きました。

 外観は覆われていて、現在はあのレトロ駅舎は見えません。







レトロに価値がなかった頃から今まで、たまたま大規模改修をしなかったから、現在は貴重な観光資源となっています。











折尾駅
 折尾駅には、門司港駅舎と同じような、レトロ駅舎がありましたが、こちらは残念ながら取り壊されて、駅の改造工事が行われています。



鹿児島本線ホームから。
ここから駅舎の裏側が見えました。今は更地。



駅構内には重厚な造りの施設が残っています。










この曲線上にあるホームが味があります。鹿児島本線です。




筑豊本線はこちら。
筑豊本線と鹿児島本線が立体交差しています。
上を通るのが鹿児島本線。ということは、歴史は筑豊本線の方が古いということになります。




折尾駅も大好きです。
そして、折尾駅で降りたのは、これが目的。
「かしわめし」です。
九州各地にかしわめしの駅弁はありますが、これが一番。



私にとっての日本一の駅弁です。
昔から変わらない味で、学生時代から贔屓にしています。
昔は地元の人しか知らない存在ですが、最近は結構、全国的に駅弁として知名度がアップしています。
まったく観光地ではない、地元の人しか利用しない駅ですが、いつ行っても、たくさんの弁当を置いています。それだけ売れている、地元の人が買っているという証拠です。
売り子のおばちゃんもとても親切で対応も良いです。
確かな味は不滅です。
博多駅などでは手に入れにくいので、わざわざ折尾駅まで行くのです。
ちなみに私にとってのかしわめしナンバー2は、鳥栖駅のです。
鳥栖駅は、ホームのうどんも大好きです。
九州のうどんつゆは総じて甘い味付けです。








  

Posted by よっぱらいくま at 18:08Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2011年11月05日

国府津 熱海 静岡

東京からの帰り、いつものように、熱海まで普通のグリーン車、国府津で途中下車して海辺でビールを飲みました。
熱海ではいつもの店で干物を買いました。
静岡では停車時間にホームでシュウマイを買うことができました。静岡のシュウマイは夕方は残ってないことが多いけれど、今日は二個あったので、二個買っちゃいました。
静岡のシュウマイは、某横浜のシュウマイより、私は好きです。  

Posted by よっぱらいくま at 17:50Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR