2015年03月29日
八高線と上野東京ライン初乗車
東京出張があり福生に宿泊したついでで、その翌日に八高線に乗って高崎まで乗り、高崎から東海道線へ直通する電車に乗って開通したての上野東京ラインに乗るということを思いつき、実行しました。
八高線に高崎まで乗るのは久しぶりです。たぶん学生時代だから、30年以上前のことです。昔はキハ35系ばかりだったけれど、今走っているのはボックス席もあるので、旅向けです。しかし、首都圏だけあって乗客は多いです。
ボックス席を陣取って、車窓を楽しめました。
八高線は開通80周年とのこと。看板が各駅にありました。
八高線は戦前、東京が空襲を受けても輸送を確保するため、東京を迂回して東海道方面と上越、東北方面との間の軍需輸送のために建設されたものでした。
沿線には遅咲きの梅がたくさんあります。
有名な越生梅林がある越生駅ではたくさんの梅見客らしき人たちが降りていきました。
小川町で東武東上線をオーバークロスします。
鉄道は後から建設された方が上を跨ぐことになります。
東武東上線が小川町まで開通したのは大正12年、かたや八高線は昭和9年に全通しています。
小川町駅です。古い跨線橋も健在です。
寄居駅で再び、東武東上線と寄り添います。
ちょうど、復刻されたクリーム色の8000系が併走しました。
このクリーム色の8000系が活躍していたのは、私が中学高校大学と過ごした時代とまったく同じです。
あの頃はなんて特徴のない色で、下塗りのまま走っているとか、評判もよくなかったけれど、今となってはレトロに感じて懐かしくなってしまいます。8000系ほど特徴のない電車は他にはないと、好きでもなかったけれど、国鉄に限りなく近い東武鉄道の社風、個性よりも標準化を徹底していました。私鉄で唯一、まっ昼間でも運転台の後ろのカーテンは閉めていたのも、国鉄と同じでした。今は開けているけれど。
八高線と上越新幹線と関越自動車道が交差するところです。
高崎に着きました。
乗ってきた列車です。
高崎駅ホームにはうまそうな、昔ながらのそばスタンドがありました。
こういう店でそばを食べるのも良いけれど、ここはラーメンがあります。こういう店の何も特徴のないラーメンも好きです。
だけど、今日は東京到着後、昼間から飲む予定なので昼食は抜きにするつもりなので、我慢です。
懐かしい湘南色の115系が普通にいます。
なんか、ひと昔前の雰囲気です。
久しぶりに横川まで乗りに行きたくなりました。
EF63にも会えるし。
跨線橋にも古レールが使用されています。
1938年製、たいして古くもないですね。
ノリホ入れもあります。
ホームの乗車位置案内には、一年前に廃止されたあけぼの号の表示もありました。
さて、12時23分発国府津行きのグリーン車に乗り込みました。
高崎駅で、国府津だの熱海だの小田原だのとの行き先表示には、やっぱり違和感が強いです。
そのうち、当たり前になるのでしょうか。
スイカへのグリーン券購入は、東京付近は同じ料金だから、行き先ボタンは熱海を押しました。
新橋で降りる予定ですが。
グリーン車内では、酒を飲む客が多くいます。東海道線ではめったに見ない、東海道では飲んでいるのは私だけということが多いのに、こちらは私以外が、たくさんの人が酒を飲んでいます。私はこの後、おいしいビールを飲む予定なので、誘惑に負ける訳にはいきません。それでもグリーン車の女性乗務員が何度も車販にまわってきます・・・。
昔からの伝統で、上野口の下り電車、東北線や高崎線の通勤客は夕方は飲んでいる通勤客がたくさんいました。その雰囲気ですね。満員でも、ボックス席にありつけなくても、立っていても、ワンカップを飲んでいる飲んべえサラリーマンが珍しくありませんでした。昭和の時代は。
いよいよ上野を発車。上野正面口の景色が間近に見えます。今まではあり得ない風景が続きます。
秋葉原のヨドバシカメラも正面から見えます。
神田付近
東京駅の上野口付近。ここを乗って通れるのは画期的なこと。
今回の乗車で、上野が近づいても乗客が減らないこと、上野、東京と乗客の入れ替えは多少あるけれど常にたくさん乗車していることがわかりました。
これでは、上野や東京から乗ると、着席できる確率は相当低くなったなと感じました。
グリーン車の乗車率もかなり上がったように感じます。
そして、平行する山手線と京浜東北線の乗客数は、はっきりとわかるほど減っていました。
これほど、上野口と東京口を直通する需要は大きかったのかと、びっくりしました。
八高線に高崎まで乗るのは久しぶりです。たぶん学生時代だから、30年以上前のことです。昔はキハ35系ばかりだったけれど、今走っているのはボックス席もあるので、旅向けです。しかし、首都圏だけあって乗客は多いです。
ボックス席を陣取って、車窓を楽しめました。
八高線は開通80周年とのこと。看板が各駅にありました。
八高線は戦前、東京が空襲を受けても輸送を確保するため、東京を迂回して東海道方面と上越、東北方面との間の軍需輸送のために建設されたものでした。
沿線には遅咲きの梅がたくさんあります。
有名な越生梅林がある越生駅ではたくさんの梅見客らしき人たちが降りていきました。
小川町で東武東上線をオーバークロスします。
鉄道は後から建設された方が上を跨ぐことになります。
東武東上線が小川町まで開通したのは大正12年、かたや八高線は昭和9年に全通しています。
小川町駅です。古い跨線橋も健在です。
寄居駅で再び、東武東上線と寄り添います。
ちょうど、復刻されたクリーム色の8000系が併走しました。
このクリーム色の8000系が活躍していたのは、私が中学高校大学と過ごした時代とまったく同じです。
あの頃はなんて特徴のない色で、下塗りのまま走っているとか、評判もよくなかったけれど、今となってはレトロに感じて懐かしくなってしまいます。8000系ほど特徴のない電車は他にはないと、好きでもなかったけれど、国鉄に限りなく近い東武鉄道の社風、個性よりも標準化を徹底していました。私鉄で唯一、まっ昼間でも運転台の後ろのカーテンは閉めていたのも、国鉄と同じでした。今は開けているけれど。
八高線と上越新幹線と関越自動車道が交差するところです。
高崎に着きました。
乗ってきた列車です。
高崎駅ホームにはうまそうな、昔ながらのそばスタンドがありました。
こういう店でそばを食べるのも良いけれど、ここはラーメンがあります。こういう店の何も特徴のないラーメンも好きです。
だけど、今日は東京到着後、昼間から飲む予定なので昼食は抜きにするつもりなので、我慢です。
懐かしい湘南色の115系が普通にいます。
なんか、ひと昔前の雰囲気です。
久しぶりに横川まで乗りに行きたくなりました。
EF63にも会えるし。
跨線橋にも古レールが使用されています。
1938年製、たいして古くもないですね。
ノリホ入れもあります。
ホームの乗車位置案内には、一年前に廃止されたあけぼの号の表示もありました。
さて、12時23分発国府津行きのグリーン車に乗り込みました。
高崎駅で、国府津だの熱海だの小田原だのとの行き先表示には、やっぱり違和感が強いです。
そのうち、当たり前になるのでしょうか。
スイカへのグリーン券購入は、東京付近は同じ料金だから、行き先ボタンは熱海を押しました。
新橋で降りる予定ですが。
グリーン車内では、酒を飲む客が多くいます。東海道線ではめったに見ない、東海道では飲んでいるのは私だけということが多いのに、こちらは私以外が、たくさんの人が酒を飲んでいます。私はこの後、おいしいビールを飲む予定なので、誘惑に負ける訳にはいきません。それでもグリーン車の女性乗務員が何度も車販にまわってきます・・・。
昔からの伝統で、上野口の下り電車、東北線や高崎線の通勤客は夕方は飲んでいる通勤客がたくさんいました。その雰囲気ですね。満員でも、ボックス席にありつけなくても、立っていても、ワンカップを飲んでいる飲んべえサラリーマンが珍しくありませんでした。昭和の時代は。
いよいよ上野を発車。上野正面口の景色が間近に見えます。今まではあり得ない風景が続きます。
秋葉原のヨドバシカメラも正面から見えます。
神田付近
東京駅の上野口付近。ここを乗って通れるのは画期的なこと。
今回の乗車で、上野が近づいても乗客が減らないこと、上野、東京と乗客の入れ替えは多少あるけれど常にたくさん乗車していることがわかりました。
これでは、上野や東京から乗ると、着席できる確率は相当低くなったなと感じました。
グリーン車の乗車率もかなり上がったように感じます。
そして、平行する山手線と京浜東北線の乗客数は、はっきりとわかるほど減っていました。
これほど、上野口と東京口を直通する需要は大きかったのかと、びっくりしました。
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