2014年08月27日

発掘 古時刻表

 物置(ロフト)の整理をしていて、ついでに学生時代の時刻表を探しました。
 前々から探そうとは思っていたものの、面倒でやっていませんでした。
 汗まみれになって、ようやくそれが入っている箱を発見しました。

 今、古本屋で2000円で売っているものも出てきました。
 やっぱりとっておいてよかった。
 ちゃんと整理して、いつでも手に取れるようにしなければと誓いました。
 貴重なお宝を今までお蔵入りさせていたことを後悔しました。

 これで今後、新たなブログネタにもしようと思います。

 出てきた時刻表の一部です。



なんであるのか覚えていません。1973年はまだ私は小学生。
まだ昭和の時代にでも、タダ同然で古本屋で買ったかして手に入れたのか。
それとも親が買ったものか。その可能性は低いです。




たぶん、東京近郊区間大回り乗車をするための計画作りのために買ったものと記憶します。
中学2年生のとき。




房総半島への家族旅行のときに買ったものです。




やっぱり、東京近郊区間大回りのためかな。
この表紙はかなりインパクトがあって、よく覚えています。
交通公社の時刻表は、この頃から、表紙写真が鉄道車両から駅や人がテーマの写真に変わっていきました。
近所の古本屋で2000円で売っています。




高1の夏、両親と九州への帰省で使ったもの。縁をセロテープで補強しています。
この頃から、ワイド周遊券を使った、本格的な鉄道旅行を始めています。




高2の夏、初めての本格的な一人旅。ワイド周遊券を20日間、フルに使って夜行連泊を繰り返して九州を回ったときのもの。この年の10月改正で、富士が西鹿児島行きから宮崎止まりとなり、24時間を超えて走る列車がなくなったのでした。だから、この旅行の目的のひとつが、富士に乗って西鹿児島まで乗りとおすことでした。
九州のページの縁が、手垢で黒く変色するほど使い込んだ時刻表です。
人生、そこまで使い込んだ時刻表は、このあと今までありません。
表紙を見て特筆すべきことは「冷房のある臨時列車」の文字。そうなんです。この頃はまだ通勤電車から地方の普通列車、急行列車でも、冷房はまだ普及途上で、非冷房は当たり前だったんです。特に臨時列車は古い旧型車両での運用も多く、多客期でも敬遠されていたので、時刻表で「冷房がある」とうたってアピールしていたんですね。
空調完備の、窓の開かない通勤電車も多くなった今の時代では考えられなくなりました。
今は逆に、窓を開けて外の風を受けて乗れる列車の方が貴重です。



上記のダイヤ改正のため、買ったのでしょう。




高3の夏、初めて北海道へ行ったときのもの。
14系十和田号に乗り、盛岡で降りて東北本線を途中下車を繰り返して、一日かけて青森に着きました。
深夜0時台の青函連絡船は超満員で、私はいったん乗った青函連絡船から降りて、次の深夜2時台の臨時便に乗ったのでした。そのため、私がいったん降りた便にも乗船名簿はあったことになります。もし、沈没していたら、私の扱いはややこしいことになったことでしょう。
午前2時の臨時便はがら空きで、青函連絡船の魅力の虜となってしまったのです。
この旅行の帰りの青函連絡船の中で私は、青函連絡船が廃止となるときには、その時にどんな立場にあろうが絶対に立ち会うと誓ったのでした。それを果たすこともできました。




ダイヤ改正だから買ったのでしょう。
今は3月だけど、この頃は10月大改正が一般的でした。




大学1年、鉄研夏合宿のときのです。
飯田線が目的でした。東京駅集合で347M大垣行きに乗ることが先輩からの命令でした。
大垣まで乗って、柏原-近江長岡で撮影してから、飯田線に乗るため戻りました。懐かしいなあ。




大学2年鉄研夏合宿のときのものです。
北陸方面が目的でした。やっぱり大垣夜行で行きました。好きだから。
宿は金沢でした。


私は旅行に行く際に持参する時刻表は、セロテープで表紙と裏表紙の縁を破れないようにセロテープで補強しています。
だから、旅行に持っていったものと、そうでないものが一目瞭然です。
今でもそうしています。
どこかで、列車や駅で、セロテープで補強した時刻表を持っている人がいたら、それは私かもしれません。

今度は中身について語りたいと思います。


Posted by よっぱらいくま at 20:44│Comments(0)TrackBack(0)昔の時刻表

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