2013年07月06日
時刻表1979年10月号
昔の時刻表を読むのは楽しい。
この前、近所の古本屋で1700円で手に入れた、昭和54年10月号の時刻表を読んで、気が付いたことをいろいろと書き綴ります。
表紙は東京駅の新幹線ホームで運転士と会話する若い女性客二人、背景には0系の先頭。
交通公社の時刻表は、表紙は列車の走行写真がほとんどだったけれど、この頃から人を入れた鉄道風景路線になっていったと記憶する。
巻頭の路線図、特に北海道と九州の路線の多さに感動する。北海道は鉄道路線だけで北海道の輪郭になっているし、九州の筑豊地区の錯綜したローカル線に、大隈線に山野線、宮之城線と長大ローカル線が存在している。
東京の地下鉄路線はとてもすっきりしている。東海道本線に金山駅はなく、名鉄は金山橋だ。
東海道本線のページは東京から名古屋がひとページに収まり、名古屋前後の普通列車は今と比べてとても本数が少ない。特に昼間はひどく、例えば名古屋1255発の快速大垣行が出たあとの次は、1400発米原行まで普通はない。その間1300発の急行のりくら号があるが、実質1時間空いている。昔の長距離列車、貨物列車優先のダイヤ編成だったのだ、この頃は。15分間隔で新快速と普通が交互に、一時間に計8本走っている今からすると夢のようだ。あの頃は通勤時間帯でも電車はさほど混雑していなかったと記憶する。今はたくさんの乗客を載せて、まるで首都圏のようです。
夕方は寝台特急がひしめきあって走っている。明星、彗星、あかつきが何号とそれぞれ続行し、なは、さくら、はやぶさ、みずほ、金星、富士、出雲、あさかぜ、瀬戸、銀河と、ブルトレオールスター勢ぞろい、夢のようななんてぜいたくな時代なんだろう。ちなみに関西本線には出雲3号と併結の紀伊号が名古屋で分割される。名古屋は運転停車だ。
ブルトレには食堂車が連結され、編成も機関車電源車を入れたら15両編成だ。
関西地区は普通にグリーン車が連結され、新快速も走っている。新快速は京都ー大阪間ノンストップだ。新大阪も通過していたのだ。
関西本線では名古屋駅から旧客の普通列車が出発している。宮脇俊三の時刻表2万キロの中で、夕方の通勤時間に名古屋を発車する関西本線の客車列車に乗ったら客が少なくあまりにも空いている情景を書いていた。首都圏とのあまりもの違い、大都市であるはずの名古屋を発車する通勤時間の情景には隔世の感がする。宮脇俊三はこの、通勤時間にもかかわらす空いている名古屋発の旧客の普通列車に乗って「人生の落伍者になった気分だ」と記している。
四国は気動車王国、山陰本線、福知山線には、大都市大阪駅、京都駅から、旧客の普通が何本も発着している。
地方のローカル線にも急行の夜行列車が縦横無尽に走っている。急行列車そのものも本当にたたくさん走っている。
地方の幹線には、超早起きの始発の普通列車があることは前にも書いたが、金沢発の七尾線は、始発が349に金沢を発車する。ナンバーワンは、福島318発仙台行か?仙台には507に到着する。現在はこの時間にも始発列車はまだ走らない線区はいくらでもある。今の名古屋の地下鉄はあまりにも朝寝坊ではないか。東京の猪瀬が都営地下鉄の24時間営業を言ったり、終電車の延長を望む声が多いが、夜間活動を延ばすよりも、朝早く活動を開始する世の中の方が健全だと思う。
コンビニなどなかった時代に、国鉄はこの時代、24時間営業をしていたのだ。どんなローカル線の駅のキオスクも始発から終電まで営業していた。だから、近所の人が夜とかよく買い物だけのために駅を訪れていたものだ。
時刻表から時代が読める。
北へ進むと、青函連絡船があり、北海道へと結んでいる。この頃の北海道は、函館中心のダイヤ編成で、優等列車は函館を起点に対本州との連絡を中心にダイヤが組まれていた。今は札幌中心で本州との連絡はまったく考えられていない。
日本人の英知を結集して難工事の末、完成した青函トンネルを現在、通過する旅客数は、この頃の青函連絡船の乗船客の何パーセントなんだろうか。日本の財産であるはずの青函トンネル、その維持には莫大な費用がかかっているという。貨物列車のためには今でも有用であるのだろうが、もっと活用されてほしいと思う。北斗星開通当時は3往復に臨時も加わって走っていたのに、今は1往復だけだ。カシオペアとトワイライトエクスプレスだけが、人気を維持している。人生一度でいいから、トワイライトエクスプレスの最後尾スイート、1号車1号室に乗ってみたいものだ。
話しを戻して、夜行の青函連絡船2本を受けて、函館を445に発車するおおぞら1号、続行して450に発車する北海号、共に食堂車を擁した長大気動車特急だ。おおぞら号は、はるばる遠い釧路までの681キロを約10時間以上走り、釧路に1502に到着する。681キロと言ったら、東京から岡山の手前くらいの距離である。
かたや同じ時刻の青森駅では、上野行きのみちのく号と大阪行きの白鳥号が450に同時に発車するという名演を演じている。453には、はつかり2号が続行して発車していく。みんな8M4T、食堂車を擁した名優485系の勇姿である。と、おっと、巻末の編成表で確認したら、みちのく号は13両編成である。国鉄特急のもっとも華やかな頃であった。
語り始めたらキリがない昔の時刻表、今回はこの辺で。
この前、近所の古本屋で1700円で手に入れた、昭和54年10月号の時刻表を読んで、気が付いたことをいろいろと書き綴ります。
表紙は東京駅の新幹線ホームで運転士と会話する若い女性客二人、背景には0系の先頭。
交通公社の時刻表は、表紙は列車の走行写真がほとんどだったけれど、この頃から人を入れた鉄道風景路線になっていったと記憶する。
巻頭の路線図、特に北海道と九州の路線の多さに感動する。北海道は鉄道路線だけで北海道の輪郭になっているし、九州の筑豊地区の錯綜したローカル線に、大隈線に山野線、宮之城線と長大ローカル線が存在している。
東京の地下鉄路線はとてもすっきりしている。東海道本線に金山駅はなく、名鉄は金山橋だ。
東海道本線のページは東京から名古屋がひとページに収まり、名古屋前後の普通列車は今と比べてとても本数が少ない。特に昼間はひどく、例えば名古屋1255発の快速大垣行が出たあとの次は、1400発米原行まで普通はない。その間1300発の急行のりくら号があるが、実質1時間空いている。昔の長距離列車、貨物列車優先のダイヤ編成だったのだ、この頃は。15分間隔で新快速と普通が交互に、一時間に計8本走っている今からすると夢のようだ。あの頃は通勤時間帯でも電車はさほど混雑していなかったと記憶する。今はたくさんの乗客を載せて、まるで首都圏のようです。
夕方は寝台特急がひしめきあって走っている。明星、彗星、あかつきが何号とそれぞれ続行し、なは、さくら、はやぶさ、みずほ、金星、富士、出雲、あさかぜ、瀬戸、銀河と、ブルトレオールスター勢ぞろい、夢のようななんてぜいたくな時代なんだろう。ちなみに関西本線には出雲3号と併結の紀伊号が名古屋で分割される。名古屋は運転停車だ。
ブルトレには食堂車が連結され、編成も機関車電源車を入れたら15両編成だ。
関西地区は普通にグリーン車が連結され、新快速も走っている。新快速は京都ー大阪間ノンストップだ。新大阪も通過していたのだ。
関西本線では名古屋駅から旧客の普通列車が出発している。宮脇俊三の時刻表2万キロの中で、夕方の通勤時間に名古屋を発車する関西本線の客車列車に乗ったら客が少なくあまりにも空いている情景を書いていた。首都圏とのあまりもの違い、大都市であるはずの名古屋を発車する通勤時間の情景には隔世の感がする。宮脇俊三はこの、通勤時間にもかかわらす空いている名古屋発の旧客の普通列車に乗って「人生の落伍者になった気分だ」と記している。
四国は気動車王国、山陰本線、福知山線には、大都市大阪駅、京都駅から、旧客の普通が何本も発着している。
地方のローカル線にも急行の夜行列車が縦横無尽に走っている。急行列車そのものも本当にたたくさん走っている。
地方の幹線には、超早起きの始発の普通列車があることは前にも書いたが、金沢発の七尾線は、始発が349に金沢を発車する。ナンバーワンは、福島318発仙台行か?仙台には507に到着する。現在はこの時間にも始発列車はまだ走らない線区はいくらでもある。今の名古屋の地下鉄はあまりにも朝寝坊ではないか。東京の猪瀬が都営地下鉄の24時間営業を言ったり、終電車の延長を望む声が多いが、夜間活動を延ばすよりも、朝早く活動を開始する世の中の方が健全だと思う。
コンビニなどなかった時代に、国鉄はこの時代、24時間営業をしていたのだ。どんなローカル線の駅のキオスクも始発から終電まで営業していた。だから、近所の人が夜とかよく買い物だけのために駅を訪れていたものだ。
時刻表から時代が読める。
北へ進むと、青函連絡船があり、北海道へと結んでいる。この頃の北海道は、函館中心のダイヤ編成で、優等列車は函館を起点に対本州との連絡を中心にダイヤが組まれていた。今は札幌中心で本州との連絡はまったく考えられていない。
日本人の英知を結集して難工事の末、完成した青函トンネルを現在、通過する旅客数は、この頃の青函連絡船の乗船客の何パーセントなんだろうか。日本の財産であるはずの青函トンネル、その維持には莫大な費用がかかっているという。貨物列車のためには今でも有用であるのだろうが、もっと活用されてほしいと思う。北斗星開通当時は3往復に臨時も加わって走っていたのに、今は1往復だけだ。カシオペアとトワイライトエクスプレスだけが、人気を維持している。人生一度でいいから、トワイライトエクスプレスの最後尾スイート、1号車1号室に乗ってみたいものだ。
話しを戻して、夜行の青函連絡船2本を受けて、函館を445に発車するおおぞら1号、続行して450に発車する北海号、共に食堂車を擁した長大気動車特急だ。おおぞら号は、はるばる遠い釧路までの681キロを約10時間以上走り、釧路に1502に到着する。681キロと言ったら、東京から岡山の手前くらいの距離である。
かたや同じ時刻の青森駅では、上野行きのみちのく号と大阪行きの白鳥号が450に同時に発車するという名演を演じている。453には、はつかり2号が続行して発車していく。みんな8M4T、食堂車を擁した名優485系の勇姿である。と、おっと、巻末の編成表で確認したら、みちのく号は13両編成である。国鉄特急のもっとも華やかな頃であった。
語り始めたらキリがない昔の時刻表、今回はこの辺で。
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