2013年12月01日

時刻表1979年10月号その3

 東北方面を見て。
 ふと、常磐線上りのページに目がいきました。
 最初から、「ゆうづる2号」に始まり4号、6号、8号、10号、12号と6本もの寝台特急が並んでいます。なんて壮観なんでしょうか。間をおいて14号まで、なんとすべてが定期列車、上野ー青森間に7往復もの「ゆうづる号」が毎日走っていたのです。東北本線も合わせれば、「はくつる」もあります。上野ー青森の寝台特急は、常磐線経由の「ゆうづる」が主力でした。そのかわり、東北本線には奥羽本線を通り秋田方面へ向かう「あけぼの」をはじめ急行「津軽」らが福島から合流します。仙台発着の「新星」、盛岡発着の「北星」などの寝台列車、そして急行「八甲田」もあるので、東北本線も夜行列車で賑わっていた。常磐線の夜行急行も「十和田」が定期2往復に季節運転1往復の計3往復走っていました。
 新幹線開業前は、たくさんの夜行列車が東北本線、常磐線を走っていました。
 昼行列車も主力の青森発着の「はつかり」、盛岡発着の「やまびこ」、仙台発着の「ひばり」に、秋田発着の「つばさ」、山形発着の「やまばと」が、急行は「まつしま」、「いわて」、「ざおう」、「ばんだい」、「なすの」、「にっこう」とかその他多数の、もう本当に優等列車が10分間隔くらいで東北本線を疾走していました。特急はほぼすべてに食堂車がありました。
 急行が普通を抜き、特急が急行を抜きと、複雑なダイヤ編成で、時刻表を読む楽しみは格段に上でした。
 その分、東北本線の上野口などは、今でいう「宇都宮線」なんかの普通電車の本数はとても少なかったです。私は「東北本線」を「宇都宮線」と言ったりするのは嫌いです。今でも強情に「東北線で大宮まで行って・・・」とか言っています。
 同様に東海道本線のことを「琵琶湖線」とか「京都線」、「神戸線」とか言うのも嫌いです。これJR西が言う通称だけど、東海道新幹線の中の放送では決して使わないんですよね。JR東海は私同様、他社の通称は使いません。米原でも、京都でも、新大阪でも乗り換え案内は「東海道線はお乗り換えです」って言っています。JR東海にはそういう通称路線名は使っていませんね。
 この頃、急行の列車名はいったいいくつあったのでしょうか。夢のような時代でした。


Posted by よっぱらいくま at 09:54│Comments(0)TrackBack(0)昔の時刻表

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