2013年11月24日
時刻表1975年3月号 その2
前にも書きましたが、昔の時刻表を見ていろいろと思うことを。
中央西線
時刻表では、新宿ー松本間の東線より先に記載されている。
東京中心主義、東京から西優先主義とも思う編集方針の中で、東京からの東線より西線が先ということに、東線は東北
方面と同列なのかと思う。
それで、西線の名古屋ー長野のページを見ていて感じること。
夜行列車が多いこと。大阪と長野の「ちくま」、名古屋ー長野の「きそ」が、定期の1本ずつに季節、臨時が「ちくま」は他に4本も、「きそ」でも他に3本もある。夜行列車全盛期である。上りの「ちくま」は名古屋に2:25、3:07、定期列車が3:25と、それぞれ到着してから大阪へ向かっている。この当時は、名古屋駅は24時間開いていたのだろうか。
これらの夜行列車は、深夜の多治見、中津川、木曽福島にも丹念に停車している。これらの駅も深夜も、24時間、駅が開いていたのだろうか。今よりもよっぽど24時間営業で働いていたのが国鉄であったのだと、つくづく思う。
その他に、中津川ー長野間の旧客普通列車が一往復あるのも楽しい。
高山本線
時刻表での掲載ページは、紀勢本線から始まる関西ローカル線の次で、北陸本線の前にある。なんとも分類できない位置であると思う。北陸本線系との位置づけなのか。飯田線は東海道本線系として掲載されているので、高山線も岐阜が起点なのだから飯田線の次くらいのページでも自然と思う。
高山本線にも夜行列車急行「のりくら」がある。特急「ひだ」は一日一往復しかなく、主力は急行「のりくら」である。名鉄からの急行「北アルプス」もある。「北アルプス」は時期によっては富山地鉄の立山まで延長運転もしている。
東海道本線
昔は、地方の区間では昼間にまったく列車が走らない時間帯があった。保守間合というもので、私が高校生の頃、三島ー函南の有名撮影地で、東京へ向かう上りのブルトレ群を撮影したあとも続けて撮影していると、旅客も貨物も一切列車が来ない時間があることに気がついた。
下りだと、熱海11:51発の普通の次は、12:52発まで空いている。上りだと、三島11:19発のあとは12:19まで空いている。この間は急行もないし、貨物も走らなかったはずだ。他の時間帯だとだいたい30分間隔で普通は走っている。
山陽本線
国鉄は、この号、新幹線博多開業時にも、山陽本線の夜行列車はほとんど存続させた。
新幹線だと、どんなに早いのに乗っても、目的地に早朝、朝に到着することはできないので、一日を有効に使いたいという旅客の要望に応えるため、夜行列車を残した。それが今はどうだろうか。ついに「あけぼの」の廃止も決まった。東京から秋田方面へは、新幹線で長時間かかる。「あけぼの」はとても有用な時間帯に目的地に着く存在だ。効率しか求めない民間のJRはしょせん、その程度だ。国鉄は赤字で悪者扱いだったが、儲けとは関係ない部分で、輸送機関としての使命を全うしていた。
列車編成案内
この時代、優等列車、特急も急行も、一編成がみんな長い。電車だと、583の電車寝台の「はくつる」や「ゆうづる」、急行の「まつしま」とかの13両編成が最長か。気動車だと北海道の「おおぞら」が13両だ。
客車では、「あさかぜ」が14両で、「さくら」や「みずほ」と同じだが、「さくら」「みずほ」は電源分散式の14系だけど、「あさかぜ」は電源車が別にあるので実質15両で最長だ。機関車を入れれば16両編成で、新幹線と同じだ。
新幹線は「ひかり」と「こだま」とも同じ16両だけど、「ひかり」は食堂車とビュッフェがあり、グリーン車も「こだま」は1両だが「ひかり」は2両だ。その後、「こだま」は乗客数減から12両に減車されることになる。その後また16両に戻って現在に至っている。
中央西線
時刻表では、新宿ー松本間の東線より先に記載されている。
東京中心主義、東京から西優先主義とも思う編集方針の中で、東京からの東線より西線が先ということに、東線は東北
方面と同列なのかと思う。
それで、西線の名古屋ー長野のページを見ていて感じること。
夜行列車が多いこと。大阪と長野の「ちくま」、名古屋ー長野の「きそ」が、定期の1本ずつに季節、臨時が「ちくま」は他に4本も、「きそ」でも他に3本もある。夜行列車全盛期である。上りの「ちくま」は名古屋に2:25、3:07、定期列車が3:25と、それぞれ到着してから大阪へ向かっている。この当時は、名古屋駅は24時間開いていたのだろうか。
これらの夜行列車は、深夜の多治見、中津川、木曽福島にも丹念に停車している。これらの駅も深夜も、24時間、駅が開いていたのだろうか。今よりもよっぽど24時間営業で働いていたのが国鉄であったのだと、つくづく思う。
その他に、中津川ー長野間の旧客普通列車が一往復あるのも楽しい。
高山本線
時刻表での掲載ページは、紀勢本線から始まる関西ローカル線の次で、北陸本線の前にある。なんとも分類できない位置であると思う。北陸本線系との位置づけなのか。飯田線は東海道本線系として掲載されているので、高山線も岐阜が起点なのだから飯田線の次くらいのページでも自然と思う。
高山本線にも夜行列車急行「のりくら」がある。特急「ひだ」は一日一往復しかなく、主力は急行「のりくら」である。名鉄からの急行「北アルプス」もある。「北アルプス」は時期によっては富山地鉄の立山まで延長運転もしている。
東海道本線
昔は、地方の区間では昼間にまったく列車が走らない時間帯があった。保守間合というもので、私が高校生の頃、三島ー函南の有名撮影地で、東京へ向かう上りのブルトレ群を撮影したあとも続けて撮影していると、旅客も貨物も一切列車が来ない時間があることに気がついた。
下りだと、熱海11:51発の普通の次は、12:52発まで空いている。上りだと、三島11:19発のあとは12:19まで空いている。この間は急行もないし、貨物も走らなかったはずだ。他の時間帯だとだいたい30分間隔で普通は走っている。
山陽本線
国鉄は、この号、新幹線博多開業時にも、山陽本線の夜行列車はほとんど存続させた。
新幹線だと、どんなに早いのに乗っても、目的地に早朝、朝に到着することはできないので、一日を有効に使いたいという旅客の要望に応えるため、夜行列車を残した。それが今はどうだろうか。ついに「あけぼの」の廃止も決まった。東京から秋田方面へは、新幹線で長時間かかる。「あけぼの」はとても有用な時間帯に目的地に着く存在だ。効率しか求めない民間のJRはしょせん、その程度だ。国鉄は赤字で悪者扱いだったが、儲けとは関係ない部分で、輸送機関としての使命を全うしていた。
列車編成案内
この時代、優等列車、特急も急行も、一編成がみんな長い。電車だと、583の電車寝台の「はくつる」や「ゆうづる」、急行の「まつしま」とかの13両編成が最長か。気動車だと北海道の「おおぞら」が13両だ。
客車では、「あさかぜ」が14両で、「さくら」や「みずほ」と同じだが、「さくら」「みずほ」は電源分散式の14系だけど、「あさかぜ」は電源車が別にあるので実質15両で最長だ。機関車を入れれば16両編成で、新幹線と同じだ。
新幹線は「ひかり」と「こだま」とも同じ16両だけど、「ひかり」は食堂車とビュッフェがあり、グリーン車も「こだま」は1両だが「ひかり」は2両だ。その後、「こだま」は乗客数減から12両に減車されることになる。その後また16両に戻って現在に至っている。
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この記事へのコメント
1975年の時刻表よく手に入れました。
私はこの頃、初春に常磐線経由の12系十和田?、東北本線経由の583系はつかりで青森まで乗車しました。
青森に到着すると雪は降っていなくても、巻き上げた雪で車両の床下はまっ白になっていたことを覚えています。
北海道内も寝台列車で移動しました。
この頃の時刻表探してみます。
私はこの頃、初春に常磐線経由の12系十和田?、東北本線経由の583系はつかりで青森まで乗車しました。
青森に到着すると雪は降っていなくても、巻き上げた雪で車両の床下はまっ白になっていたことを覚えています。
北海道内も寝台列車で移動しました。
この頃の時刻表探してみます。
Posted by 広島機関区 at 2019年09月16日 09:52