2022年07月03日
錦川鉄道と岩日線未成線
たぶん大学生の頃、40年ぶりくらいだろうか。
岩日線時代に一度だけ乗った、錦川鉄道に乗ってきました。
目的は「とことこトレイン」、錦町から先の未成区間に観光列車?が走っているのです。
岩国駅へ到着する列車。
隣のキハ47はJR岩徳線のもの。
機会があればこちらも乗りたいです。
岩国から2駅めの川西までは岩徳線です。
西岩国駅は大きく、ホームの長く、山陽本線が海線経由になるまではこちらが山陽本線だったから、ホームも長く立派です。
岩日線の開業は1960年。ちょうど新幹線の建設時期と重なっているので、かなり贅沢な構造です。
こんな小駅からも乗客が。
秘境駅として新たに設置された駅と車内放送で案内が。
イベント時には停車するとのことだけど、見た限り出入り口はなく、秘境というより卑怯だな。
どうやって建設したのだろうか。
錦町で乗り換えて、とことこトレインへ乗車。
遊園地のアトラクションみたい。
愛知万博で場内を走っていたとのこと。
未成区間はいきなりトンネルから始まります。
6月にもかかわらず、トンネルの中ははっきり言って、寒い。
トンネル内は光る石で地元の子供たちがデザインした装飾が。
途中停車して、降りて見物です。
駅ホームも設置されています。
鉄建公団が建設した新線らしい構造。
終点の雙津峡温泉。
とことこトレインはこのままクルツと回って帰ります。
ここから先は閉鎖されています。
帰りもトンネルの中で停止して、終着錦町着。
錦町駅で売っていたので、帰りはビール飲みました。
途中、なぜか非常停車。
運転士が降りて、列車の下に手を伸ばして作業しています。
何やら電話で確認してから、少しバックさせました。
倒木があって台車下に絡んだみたいです。
無事、除去できて出発。
10分くらい停車したかな。
帰りは岩国まで戻らず、ここで下車。
新幹線の新岩国駅乗り換えのためです。
昔は「御庄駅」でした。
今では乗換駅として案内されていますが、昔は時刻表などでも一切乗り換えできることは案内されていませんでした。
宮脇俊三氏の時刻表2万キロでは岩日線乗車に際して、地図を見ると近接しているので、あぜ道でもあるけば新岩国駅へ到達できるのではないかと予想して下車してみたと書いています。
実際は乗り換え通路があり、新幹線の高架下を歩いたと書かれています。
夕方に岩日線を降りて、その日のうちに東京へ帰れるなんて、新幹線は魔法の杖だと評しています。
岩国駅まで行ってバスで新岩国駅へ行ったら、最終の東京行きのひかりには乗れなかったのです。
だから御庄で降りて乗り換えるというのは、裏技だったのです。
夜行列車が当たり前にたくさん走っていた、そんな時代でした。
乗り換え通路はいまでも同じです。ただし正式に乗換駅として案内されていますが。
私も岩日線初乗車のとき、当時の御庄駅で降りて新幹線乗り換えを実行しました。
新岩国駅、昔と少しは変わったのかしら?
駅前は閑散としています。停車するこだまは1時間に1本。
岩日線時代に一度だけ乗った、錦川鉄道に乗ってきました。
目的は「とことこトレイン」、錦町から先の未成区間に観光列車?が走っているのです。
岩国駅へ到着する列車。
隣のキハ47はJR岩徳線のもの。
機会があればこちらも乗りたいです。
岩国から2駅めの川西までは岩徳線です。
西岩国駅は大きく、ホームの長く、山陽本線が海線経由になるまではこちらが山陽本線だったから、ホームも長く立派です。
岩日線の開業は1960年。ちょうど新幹線の建設時期と重なっているので、かなり贅沢な構造です。
こんな小駅からも乗客が。
秘境駅として新たに設置された駅と車内放送で案内が。
イベント時には停車するとのことだけど、見た限り出入り口はなく、秘境というより卑怯だな。
どうやって建設したのだろうか。
錦町で乗り換えて、とことこトレインへ乗車。
遊園地のアトラクションみたい。
愛知万博で場内を走っていたとのこと。
未成区間はいきなりトンネルから始まります。
6月にもかかわらず、トンネルの中ははっきり言って、寒い。
トンネル内は光る石で地元の子供たちがデザインした装飾が。
途中停車して、降りて見物です。
駅ホームも設置されています。
鉄建公団が建設した新線らしい構造。
終点の雙津峡温泉。
とことこトレインはこのままクルツと回って帰ります。
ここから先は閉鎖されています。
帰りもトンネルの中で停止して、終着錦町着。
錦町駅で売っていたので、帰りはビール飲みました。
途中、なぜか非常停車。
運転士が降りて、列車の下に手を伸ばして作業しています。
何やら電話で確認してから、少しバックさせました。
倒木があって台車下に絡んだみたいです。
無事、除去できて出発。
10分くらい停車したかな。
帰りは岩国まで戻らず、ここで下車。
新幹線の新岩国駅乗り換えのためです。
昔は「御庄駅」でした。
今では乗換駅として案内されていますが、昔は時刻表などでも一切乗り換えできることは案内されていませんでした。
宮脇俊三氏の時刻表2万キロでは岩日線乗車に際して、地図を見ると近接しているので、あぜ道でもあるけば新岩国駅へ到達できるのではないかと予想して下車してみたと書いています。
実際は乗り換え通路があり、新幹線の高架下を歩いたと書かれています。
夕方に岩日線を降りて、その日のうちに東京へ帰れるなんて、新幹線は魔法の杖だと評しています。
岩国駅まで行ってバスで新岩国駅へ行ったら、最終の東京行きのひかりには乗れなかったのです。
だから御庄で降りて乗り換えるというのは、裏技だったのです。
夜行列車が当たり前にたくさん走っていた、そんな時代でした。
乗り換え通路はいまでも同じです。ただし正式に乗換駅として案内されていますが。
私も岩日線初乗車のとき、当時の御庄駅で降りて新幹線乗り換えを実行しました。
新岩国駅、昔と少しは変わったのかしら?
駅前は閑散としています。停車するこだまは1時間に1本。
この記事へのトラックバックURL
http://kumatetsu.mediacat-blog.jp/t148254