2015年11月08日

鉄道の蒸気暖房

鉄道の暖房は電気暖房が当たり前だが、ひと昔前まで走っていた客車列車の暖房は、機関車から供給される蒸気によるものだった。
20系の誕生以来、固定編成の客車は電源車から供給される電気による暖房となったり、北陸線や東北線の客車は旧型であっても、機関車から供給される電気暖房が併設され電気が主であった。機関車のSG非搭載が多かったのだろう。その代わり客車牽引用のED75などには、電暖供給中を示す機関車のオレンジ色の側灯が輝いていた。
晩年まで蒸気暖房だったのは、山陰本線や九州と北海道だった。

もともと蒸気機関車時代は、動力用の蒸気を客車にも回して暖房していた。しかし、ディーゼル機関車や電気機関車となると、暖房用の蒸気発生装置(SG:Steam Generetor)を搭載して蒸気を供給していた。

蒸気暖房は、客車の壁際の足元に沿ったカバーの中にパイプが通り、その中に蒸気を循環させて車内を暖めた。車内に流量調整用のバルブがあり、車掌さんがときおりバルブを調整して車内温度を保っていた。
蒸気暖房はとても心地よいもので、電気暖房よりも優しく感じた。真冬の朝、始発列車に乗り込むと、機関車が連結されて蒸気がパイプの中を循環し始めて、熱により冷えていたパイプが膨張する「カキン、パキン」という独特の音がしたものだ。あの雰囲気はよかった。

それと気動車も昔は基本、蒸気ではないけれど、エンジンの熱で温まるラジエーター水を車内に回して暖房していたので、電気暖房とは違う良さを感じます。こちらも車掌さんが車内のバルブを調整して車内温度を調整していました。
クルマと同じ仕組みですね。
でも、最近の気動車はエンジンで発電している電気を使った暖房なのかな?



蒸気暖房の列車です。


こんなふうに、各車両から蒸気をもうもうと吐き出していました。




機関車のSGから立ち上る蒸気。









ゴハチにもSGが搭載されていました。牽引している荷物列車は「貨物」ではなく、旅客列車です。



北海道のED76 500番台牽引、14系ニセコ号です。
地平ホーム時代の札幌駅。





はやぶさとの交換待ちの鹿児島本線単線区間の旧客列車も、冬は蒸気を吐いていました。


今でも、JR東のイベント用の蒸気機関車運転の旧型客車なら、蒸気暖房だと思います。客車が12系とかだとディーゼル発電機の電気暖房だから、蒸気は使いません。「北びわこ号」とかですね。
大井川鉄道の蒸気機関車なら、客車は蒸気暖房です。
  

Posted by よっぱらいくま at 16:25Comments(2)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2015年11月08日

昭和の東武東上線

昭和50年代後半くらいの写真を見つけました。

これは大学時代に撮ったもので、和光市-朝霞間です。
7800系が釣り掛けモーターを唸らせていました。
まだ複線です。
今は複々線となり、東急東横線の電車も乗り入れてきて走っているなんて、当時ではウソのような景色に変貌しました。





2枚目の背景には、複々線化と営団地下鉄有楽町線乗り入れのための車両基地への分岐構造物が写っています。
この写真を撮った翌日、大学の鉄研の先輩から、「昨日、(朝霞-和光市間で)写真撮っていただろう」と言われました。世の中狭いなあと思いました。土日の行動まで見られてしまうとは。
その先輩は常に先頭、8000系なら絶対に座らず運転台後を陣取り、前面展望をしている人でした。
偶然に電車で出会ったとき、先にいた先輩の隣にいっしょにいると、「第1閉塞進行」だの、「場内出発進行」などとつぶやき始めました。私がいっしょになってから声を出すようになったけれど、一人のときはさすがに声には出していませんでした。
たまに電車の中で、ちょっと足りないような鉄道マニアっぽい人が、鉄道の運行用語などをを1人でぶつぶつ言っているようなこともあります。彼と私の違いは、声に出すか出さないだけの違いだなと、思います。


次は、鶴瀬-上福岡間です。
今はリズムタワーが建ち、元アウトレットモール・リズムがある辺りです。1990年代に出来たリズムモールは、大変な賑わいだったけれど、つぶれました。今は別の店が入っているはずです。
元々、新駅(仮称「苗間駅」)はこの辺りに建設される予定だったと聞いています。モールがそのまま駅前通りとなる前提で、タワーマンションと同時に開発されたと。
しかし、実際は新駅の「ふじみ野」は500?メートルほど上福岡寄りの、何もない畑のど真ん中に設置されました。あてが外れたのはリズムタワーの住民とモール関係者でしょう。
有力地権者が無理矢理位置を変えさせたとかいううわさがあったけれど、真相は知りません。


この辺りは一面畑で見通しがよく、西に沈む夕日を撮りにいったときに、ついでに撮ったものです。今、この写真の周辺は高層マンションが林立して新しい道路もたくさん出来て、昔の面影はほとんどありません。


お次は和光市駅。
今は複々線の2面4線の立派な高架駅。駅前は建物が林立しています。
しかし、昔は地平の島式1面2線のホーム。駅の西口は一面畑で、出入り口もありませんでした。
もちろん、ただの途中駅で、普通しか止まりませんでした。
全列車が停車する今が、ウソのようです。




最後に志木駅。
基本、2面4線地平ホーム橋上駅で変わってはいませんが、駅周辺、特に北口(今は東口になったかな?)は激変しました。駅前にあったダイエーも志木ファイブもありません。昔の北口の写真を撮った記憶があるけれど、見つかりません。

  

Posted by よっぱらいくま at 14:20Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 私鉄