2015年11月08日

昭和の東武東上線

昭和50年代後半くらいの写真を見つけました。

これは大学時代に撮ったもので、和光市-朝霞間です。
7800系が釣り掛けモーターを唸らせていました。
まだ複線です。
今は複々線となり、東急東横線の電車も乗り入れてきて走っているなんて、当時ではウソのような景色に変貌しました。





2枚目の背景には、複々線化と営団地下鉄有楽町線乗り入れのための車両基地への分岐構造物が写っています。
この写真を撮った翌日、大学の鉄研の先輩から、「昨日、(朝霞-和光市間で)写真撮っていただろう」と言われました。世の中狭いなあと思いました。土日の行動まで見られてしまうとは。
その先輩は常に先頭、8000系なら絶対に座らず運転台後を陣取り、前面展望をしている人でした。
偶然に電車で出会ったとき、先にいた先輩の隣にいっしょにいると、「第1閉塞進行」だの、「場内出発進行」などとつぶやき始めました。私がいっしょになってから声を出すようになったけれど、一人のときはさすがに声には出していませんでした。
たまに電車の中で、ちょっと足りないような鉄道マニアっぽい人が、鉄道の運行用語などをを1人でぶつぶつ言っているようなこともあります。彼と私の違いは、声に出すか出さないだけの違いだなと、思います。


次は、鶴瀬-上福岡間です。
今はリズムタワーが建ち、元アウトレットモール・リズムがある辺りです。1990年代に出来たリズムモールは、大変な賑わいだったけれど、つぶれました。今は別の店が入っているはずです。
元々、新駅(仮称「苗間駅」)はこの辺りに建設される予定だったと聞いています。モールがそのまま駅前通りとなる前提で、タワーマンションと同時に開発されたと。
しかし、実際は新駅の「ふじみ野」は500?メートルほど上福岡寄りの、何もない畑のど真ん中に設置されました。あてが外れたのはリズムタワーの住民とモール関係者でしょう。
有力地権者が無理矢理位置を変えさせたとかいううわさがあったけれど、真相は知りません。


この辺りは一面畑で見通しがよく、西に沈む夕日を撮りにいったときに、ついでに撮ったものです。今、この写真の周辺は高層マンションが林立して新しい道路もたくさん出来て、昔の面影はほとんどありません。


お次は和光市駅。
今は複々線の2面4線の立派な高架駅。駅前は建物が林立しています。
しかし、昔は地平の島式1面2線のホーム。駅の西口は一面畑で、出入り口もありませんでした。
もちろん、ただの途中駅で、普通しか止まりませんでした。
全列車が停車する今が、ウソのようです。




最後に志木駅。
基本、2面4線地平ホーム橋上駅で変わってはいませんが、駅周辺、特に北口(今は東口になったかな?)は激変しました。駅前にあったダイエーも志木ファイブもありません。昔の北口の写真を撮った記憶があるけれど、見つかりません。



この記事へのトラックバックURL

http://kumatetsu.mediacat-blog.jp/t112937