2015年11月15日

EF66とEF200

鉄道ジャーナルを読んでいたら、興味深い記事がありました。

平成になってから、JRになってから新造されたEF200の方が、国鉄時代それも昭和40年代に製造されたEF66よりも先に全廃されそうだとのこと。
要は、新しい方が最新技術を採用しているので、20年以上経った今、逆に修理が難しいからだとか。EF66の方が国鉄時代の技術なので、今でも汎用部品があり、修理がしやすい、修理できるということ。
それと、国鉄時代の車両は長持ちさせる前提で製造されていたから、とにかく頑丈、そして、たくさん同じ形式を作っているから、さらに他形式の部品も共通、流用できるみたい。
トランジスタラジオは素人でもハンダ付けくらいできるけれど、パソコンのCPUは修理できないということ。

そういうものなんだと思いました。知りませんでした。

家電製品も、今の製品は修理よりも新品を買う方が簡単なのと同じ。
電車まで、家電製品と同程度になっているようです。

EF200は6000KWの化け物パワーを持て余したのも、廃車を早めた原因かもしれません。
電気をバカ食いするので結局、そのパワーを使えなかったとか。
EF66は3900KW、それでもEF65の2550KWと比べてデビュー当時はその性能は突出していたんだけどねえ。
そんな数字は今でも覚えている自分は・・・、生活上なんの役にもたちません。

有楽町線の7000系も、デビュー当初はサイリスタチョッパの独特の音がしていたけれど、今は保守できない、部品がないので、VVVFインバータ制御に一式交換しているなんて、まったく知りませんでした。
確かに現在、東武東上線に乗り入れる7000系に乗っても、あの独特の加速音はまったくしませんね。
そんなことも知らなかったなんて、情けないというか、歳をとりました、私も・・・  

Posted by よっぱらいくま at 16:34Comments(0)TrackBack(0)車両

2015年11月15日

昭和の北海道2

昭和の北海道、続きです。


網走駅0番ホームの湧網線の気動車。
ローカル線は、始終点の幹線駅の0番ホーム発着が多かったです。



中湧別駅
湧別-中湧別間は盲腸線でした。


途中に「四号線」という臨時乗降場がありましたが、全国版時刻表には載っていないもので、北海道にはいくつかそういう駅がありました。





湧別駅は結構乗降客も多くて、立派な駅でした。



厚床駅





富内駅






日高町駅



十勝三股駅は、代行バスで運行を続けた列車運行休止線でしたが、そのまま本体そのもの廃止されました。
  

Posted by よっぱらいくま at 15:38Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR

2015年11月15日

昭和の北海道

「昭和の・・・シリーズ」です。

今回は北海道。
大学生のとき、乗りまわった北海道内の国鉄。
今は亡きローカル線も、多数写真があります。





湧網線 常呂駅



函館本線 森駅





名寄駅 
急行天北が増結されるところ



釧網本線
客車列車の交換















三菱 南大夕張駅
映画「駅」の世界そのものです。
寂れた炭鉱の街の夕景は、心に深く残っています。
私が、「効率」とか「競争」とか「改革」とか「コスト」とかいう世の中の風潮に疑問を持つきっかけとなった風景かもしれません。
宮脇俊三の著書の中に「不満の多い人は、一度夕張に行くとよい」というような趣旨のことが書かれていました。その言葉がよく理解できる、南大夕張駅前の風景でした。
3軸ボギー台車はジョイント音が、独特の走行音がしました。
普通の2軸台車なら、「タタッ、タタン」だけど、3軸は「タタタン、タタタン」と。
客車はストーブ列車、それが当たり前の風景でした。







音威子府駅に進入する急行「天北」は、晩年は14系客車になりました。
そして、直後に天北線は廃止されました。あれから30年近く経ちます。










  

Posted by よっぱらいくま at 15:26Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR