2012年05月03日

なつかしの列車 山陰号

 山陰号は、京都と出雲市を結ぶ夜行普通列車でした。
 DD51が牽引する旧型客車の編成で、1両だけ10系客車のB寝台車が連結されていました。
 末期の廃止までの間の普通車は、12系客車になっていました。指定席車はなかったと思います。
 廃止は昭和60年3月14日でした。
 まだこの頃は、旧型客車自体は生き残っていて、旧型客車が山陰本線から消滅したのは、昭和61年12月だったと記憶しています。
 山陰号は、昭和57年3月から発売を開始した青春18きっぷ(発売当時は青春18のびのびきっぷ)を利用して西日本をまわるのに重宝した列車でした。東京を朝出て、京都から山陰号を捕まえて一夜を過ごし、出雲市から一日かけて山陰本線を乗り継ぐと、ちょうどよい時間に九州入りできて、前に書いたながさき号に乗り継げるという、青春18きっぷ利用者としては実に便利な乗り継ぎなんでした。
 当時、18きっぷを利用する人間は鉄道マニアに限られていて、一般人が利用したり、ましてや長距離移動に使ったりするのは、見かけたことはありません。
 山陰本線は、東側の香住-浜坂間あたりの餘部鉄橋に代表される区間と、西側の大田市から先、長門市までの長い区間の海沿いの鄙びた景色だ好きでした。旧型客車の鈍行に朝から晩まで乗っての移動は、本当に楽で楽しかったものです。ワンボックス占領して、1両に数人しか乗っていない状態がほとんどだったので、一部、朝夕の通勤通学時間だけは混むけれど、のんびり景色を眺めて写真を撮って一日過ごすことは、今はどんなに大金を払ってもできないことです。
 途中の大きな駅では何十分も止まって、駅前を散歩したり食事したりと、不便もありませんでした。
 山陰号の話から脱線しましたが、そんな山陰本線の旅に欠かせなかったのが、山陰号だったのです。
 普段の山陰号は、京都を発車する時点では、多少の通勤客を載せていたものの、通勤客は亀岡あたりまでですべて降りてしまい、あとはガラガラの夜行列車になったように記憶しています。深夜の福知山あたりでも多少の下車客はあったかと思います。今の山陰本線の京都口の列車本数と乗客の多さを比較すると、あの頃はうそのように、山陰本線は寂れていました。
 上りの山陰号は、出雲市を出て最初から通勤客の利用もあまりなく、すぐに夜行列車の雰囲気になっていたような気がします。
 私は、山陰号は、どちらかというと18きっぷの利用時の移動手段という位置づけでの利用が多かったので、夜間はしっかり寝ていたので、あまり記憶は残っていません。

 廃止のときの最終列車には、高校のときの友人と二人で乗車しました。
 そんなに混んでなかったと記憶します。ワンボックス1人か2人程度の乗車でした。
 一応、それなりのセレモニーなどもあって、特製ヘッドマークをつけた機関車が牽引していました。










































   

Posted by よっぱらいくま at 14:35Comments(9)TrackBack(0)懐かしの列車