2012年05月12日

なつかしの列車 新橋駅にて

 昭和52年(1977年)頃の東海道本線新橋駅で撮った写真です。
 私が中学生のときの写真です。
たぶん、タムロンの望遠ズーム、85~210ミリを手に入れて最初に撮ったものと記憶しています。この頃は住んでいた埼玉県から、こういった都区内の撮影場所によく行ってました。新宿のヨドバシカメラもよく行ったものです。ビックカメラはまだなかったはずです。
 今から約35年前です。古いですねえ。
 この場所は、東京発の九州行き寝台特急の好撮影場所として、当時は有名だったのです。
 ちょうどカーブしていて、適度な望遠で列車の真正面を撮影できました。
 たぶん現在はこの場所には立ち入れないと思います。それか撮影出来ないように高いフェンスか何かが設置されているはずです。あの頃はおおらかでした。撮影も結構自由でした。今はねえ~・・・。
 
 はやぶさ号とみずほ号です。










 みずほ号バックに見える京浜東北線の103系は窓が全開です。この時代は冷房車と非冷房車が半々でした。他の写真には冷房車も見えます。
 今、節電が叫ばれているけれど、この時代のように冷房など使わずに窓を全開にすればどうにかなるのにと、本当に思います。前にも書いたけれど、節電と称して車内の照明は消しても、冷房はガンガンつけているのは大バカ者だと思います。今の世の中は。しょせんパフォーマンスしか受けない、認められない世の中です。政治も何もかもが・・・


 同じ日に撮影したはずですが、さくら号だけはEF65の1000番台でした。
 隣には0系新幹線も見えます。







 東京発、さくら号が16時30分、はやぶさ号が16時45分、みずほ号が17時00分と、30分の間に3本の寝台特急を撮影できるという効率の良さでした。
 そのあと、1時間空いて、これは通勤電車を優先させるためか、18時発の富士号、続いてあさかぜ号が1号、3号と続き、時間が空いて、それは目的地までの距離が近くなっていくので発車時間がどんどん遅くなって、瀬戸号、出雲号、いなば・紀伊号、最後は大阪行きの銀河号が発車していきました。
 撮影できたのは、富士号までで、あさかぜ号だと暗くなってきてきつかったかな。


 こんな列車も東京口の本線を堂々と走っていました。配給車です。部品などを駅など必要なところへ届けるのが目的の車両です。




白黒なのでよくわからないかもしれませんが、当時は横須賀線の113系も東京駅は地上ホームでした。




ちなみに湘南色の113系はこちらです。




EF58も走っています。12系を牽引していました。何か臨時列車かな?






 夏至の頃の夕方は、東京発九州方面へのブルトレ撮影が楽しみでした。
 新橋駅の雰囲気も古いです。
 
 撮影後は、通勤ラッシュにもまれて、埼玉まで帰ったものですが、きつかったとはまったく思いませんでした。あの頃は若かった。中学生でしたから。
 今だったら、新橋界隈でちょっと1杯やってから帰るところでしょうが・・・。 


  

Posted by よっぱらいくま at 10:18Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR