2012年05月06日

バス事故2

 関越道のバス事故の実態が明らかになってきた。
 運転手は日雇いアルバイトで、通常はバスも持ち込みで仕事を請け負っていたなどど、もうめちゃくちゃだ。
 運転手と会社に罪はないと、前回は書いたけれどこれではだめだ。
 社長は、口約束だけれども雇用関係にあると言っている。そんなことは厚生年金や健康保険がどうなっているか明らかにすることで、一発でわかるだろう。なんてお粗末な経営者なんだろうと思う。
 しかし、というかやっはりそれでも、根っこにあるのは規制緩和による新規参入を大幅に緩和したことが、一番の原因であると思う。
 新聞なんかでは、国の規制がいい加減だったとか、監督責任を問うような論調だ。
 まったくいつもいつも、行政を悪者にして満足するのかね、マスコミは、と思う。それを決めたのは、そういうい制度を作ってきたのは政治家であり、それに賛同してきた国民でしょと言いたい。なんでも行政に責任転嫁することが、マスコミの常套手段だ。
 もともと行政改革や構造改革とか規制緩和とかそういう愚策を、もろ手を挙げて賛成して世論を誘導してきたマスコミと、それに便乗して人気取りをして選挙に勝ってきた政治家、そしてそういう改革バカな政治家を正義の味方のようにして選挙で勝たせてきた国民の責任だ。
 公共交通部門の規制は2000年以前の状態に一刻も早く戻して、更なる規制強化をして、コストなどよりも安全を第一にした運行をする大手業者が安心して運営できる適正な価格を維持できるようにしてほしい。価格競争で健全な業界を崩壊させるような現状を、今すぐに是正してほしい。
 そうなればツアーバスなどという形態は消え去り、適正な高速路線バス網を維持していけるだろう。そのために価格が上がることは、仕方ないし受け入れるべきことである。
 未だに改革を叫び行政を悪者扱いして、過去を全否定して人気を得る政治家には、疑問をもってほしいと思う。
 今回の事故は自動車交通社会の中で起きたこと。福知山線の脱線事故のように、マスコミが大々的に企業の責任を追及することはないだろう。マスコミの矛先は必ず大企業や役所に向かうものだから。今回も行政の責任追及に走っている。
 鉄道と自動車の安全性を比べれば、鉄道がはるかに上で信頼されているからこそ、鉄道事故が起こったときの社会の追及は大きいが、今回のバス事故は日常にあふれている交通事故のひとつとして、すぐに忘れ去られていくと思う。福知山線の脱線事故のように、毎年報道されることもないだろうし、低次元すぎる経営者と運転手の責任追及も、すぐに報道されなくなるだろう。
 自動車事故で毎年何千人もの人が死亡し、何万人もの人が怪我を負い、その中には一生障害を負って生きていくことになる人も生んでいる。しかし、こんな交通事故のリスクは、自動車そのものを減らすといった議論には絶対にならない。政治家も経済界も自動車産業のいっそうの発展のために行動し、世論から異論も出ない。
 かたや今騒がれている原発、これも自動車と同じ文明の利器だと思う。毎年何千人の人を殺している自動車はそのままで、原発だけを悪者にしている風潮は、比べるとなんか納得がいかない。
 自動車が生活に欠かせないものならば、電気だって生活に欠かせないものでしょう。
 原発は事故が起きたら、地域や国そのものを滅ぼす可能性もあるのだから、同列では議論できないが、現実に毎年何千人もの人を殺している自動車交通社会には何も疑問を持たないんですかと、問いかけたい。
 私は、原発については、存続か廃止かどちらに行くべきかの答えは持っていません。でも、急に全廃というのは無理かなと。徐々に廃止の方向に行くべきかなと思っています。今の日本は、事故でもなんでも何か事が起こると、右から急に左向きになったり、その逆だったりと、極端すぎると思います。中庸路線で徐々に方向転換して良い方向に持っていくようなことが必要かと。理想は原子力という人が制御できない力に頼る原発はない方が良いに決まっている。しかし、現時点では急激なエネルギー転換は現実的ではないし、電力が不足するのは間違いないと思う。節電すれば大丈夫とマスコミは否定しているが、産業界の更なる国外移転を促進することにもなってしまうし、日本経済にもマイナスに作用するだろう。20年30年と時間をかけて、代替エネルギーを開発してから、原発を廃止していくしかないと思う。
 それと、世界には原子力空母や原子力潜水艦とかが存在するのだけど、あれって何か事故や、最悪、攻撃を受けた場合、制御できるのですかね。日本の原発だけをことさら取り上げて騒ぐよりも、世界中にはもっと危険なものが身近に存在している可能性があることにも、気がつくべきと思う。  

Posted by よっぱらいくま at 14:45Comments(0)TrackBack(0)事故・災害