2013年08月21日
半自動扱い 電車の冷房
暑さ対策、冷房効果保持のために東海道線東京口でも、始発駅でのドアの半自動扱いを始めたと、ニュースでやっています。
上野口の東北、高崎線ではずうーと昔からやっています。
電車のドアの半自動扱いとは、通勤型電車で車内温度保持のためなどに、車掌が全車両のドアを一斉に操作して開閉するのではなく、乗客が個々のドアを手動またはボタン操作で開閉できる状態にすること。
その目的は、主に冬の寒さ対策、暖房効果を保つのが目的でした。
115系はドアの横に「上野から宇都宮・高崎間以外の区間では、12月から3月まではドアは手で開けてください」とかいう表示がありました。
このように115系には半自動扱いとなる区間を明示していました。乗降客が少なくなるその区間の停車駅では乗客がドアを手で開けました。
211系以降は、ドア開閉ボタンが設置されて、そのボタンで乗客がドアを開け閉めするようになりました。
始発駅、待避駅など長時間ドアが開きっぱなしとなるところでは、上野口の列車に限らず地方では当たり前の扱いでした。
東海道線東京口では寒さ対策は不要というのが昔からの基本姿勢だったから、東海道線では半自動扱いはしませんでした。
113系はそもそも、半自動扱いができたのかどうかも知りません。見たことないから。
もともと、温暖地向けが113系で、寒冷地向けが115系でした。
だから115系は半自動扱いができたのです。
115系の半自動区間で駅に停車すると、プシューっとドアエンジンの空気が抜けて、ドアに隙間ができたものです。
あの隙間だけでも、冬は隙間風が容赦なく入ってきて、寒かった。
ドアを手で開けるにも、ドア自体が相当重くて大変でした。老人や子供は相当大変だったでしょう。今なら苦情もののような気が・・・
今は半自動扱いといっても、ドアボタンで開閉するので、手で開閉する訳でもないから「半自動扱い」という言葉が正しいかもわかりません。
私は、今の東海道線を走っている最新車両(E何系だか知りません)に、ドアボタンが付いていたなんて知りませんでした。
ドアボタンが付いていたから、今回の冷房保持のための半自動扱いができたのです。
最近は、東海道本線に限らずどこでも車掌の裁量で長時間停車中は半自動扱いとする場合も多いですし。
東海道本線の東京口の客には、東京駅でのドアの半自動扱いやボタン操作は初めてのことだろうから、最初はとまどうでしょうね。
ついでにいうと、グリーン車はどうしているのでしょうか。テレビ映像は普通車しか映していなかったので。
グリーン車はデッキで仕切られているから、半自動扱いはしていないのでしょうね。ドアボタンがあるのかどうかも・・・
JR西では、米原駅などでは夏期と冬期は半自動扱いです。
昔は問題にならなかった、夏季の冷房保持のための半自動扱いが東京駅で始まるなんて、いよいよ温暖化が進んできた証拠でしょう。
半自動扱いの必要性が、上野口の暖房保持から、東京口の冷房保持に移るなんて、世の中変わったなと感じます。
鉄道の冷房といえば、最新車両の屋根上のクーラーの室外機というか本体から出る音も、昔に比べて小さくなったと思います。
昔は冷房車が来ると、独特のボオーンというクーラーの作動音が大きく、「あっ冷房車が来た」と喜んだものです。
103系なんかの屋根上クーラーは、製造メーカーによって記号が付けられていました。
Mが三菱製、Sが東芝製、Hが日立製でした。この三社だったと思います。103系などのクーラーは冷房能力が1両1基搭載の集中型で42,000キロカロリーでした。
ちなみに東武東上線の8000系は1両4基分散型で、1基10,500キロカロリーで1両併せて103系と同じ冷房能力なんだと、納得していました。
こんなくだらない知識も、若い頃はどんどん吸収していました。
鉄道ファンとか鉄道ビクトリアルには、細かい車両諸元なんかが載っていて、昔は細かい数字とかどんどん覚えたけれど、今はもうダメです。右から左へ抜けていきます。
最近は混雑率も下がっているし、1両全体の冷房能力が最新車両はいくらなのか知りません。
性能は高くなり消費電力は少なくなっているのでしょうね。
真夏の満員の通勤時間など、昔の103系なんか、クーラーから出る除湿された大量の水が屋根からだぼだぼと溢れ出ている様子も見られました。
屋根の樋に集まった水が、発車するときは後方の、停車するときには前方の排出口から水がジャーっと落ちていました。
ダイナミックなそんな光景も、今のクーラーは能力の微調整もできるし除湿も制御されているので、クーラーから水が大量に流れ出ている光景も見なくなりました。
昔のクーラーは、送風、弱、強しか調整できませんでした。
181系や485系、583系など旧式特急用の分散型クーラーには、車内にも冷房の強弱切り替えボタンがついていました。
天井のクーラー本体にボタンがあったから、背が低いと届きませんでしたし、乗客があれをさわっている光景は見たことがありません。
そういえば昔は、各線区別の冷房化率とかいうのが毎年発表されてニュースになっていたような。
山手線か中央線が常にトップで、京浜東北線が続いてたかな。上野口の東北、高崎、常磐線なんかがやっぱり冷房化率は遅れていました。
いつの間にかすべての車両、線区で冷房化率は100%となり、今となっては窓が開かない通勤型の新製車両も当たり前の時代です。
冷房化率なんてニュースがあったこと自体、はるか記憶のかなたとなりました。
非冷房車の超満員の通勤電車でも、当時の人たちは耐えて乗っていました。窓を全開にして走っていました。
乗客が熱中症で倒れたなんてことも聞きませんでした。気分が悪くなる人は結構いたのでしょうが、それがニュースになんかはならない時代でした。
非冷房車は特に雨の日は窓も開けられず(それでも少しは開けてましたが)、湿気と熱気が充満して、本当に地獄でした。
また、冷房化進行中は、103系でも113系でも、ひと編成中に冷房車と非冷房車が混結されていて、自分が待っている位置に冷房車が止まるかどうか、賭でした。
東武東上線8000系も、そんな状態でした。前4両が非冷房車、後2両が冷房車なんてことも。当時は6両編成も結構ありました。今は全部10両編成です。
原発に反対し、本気で節電を考えるなら、車内灯を間引くよりクーラーを消した方がよっぽど効果は大きいですよ。
でも、今の暑さは、昔の非冷房車が走っていた頃の暑さとは間違いなく違いますよね。
暑さもひどくなっているし、現代人はひ弱にもなっているから、夏の通勤電車でクーラーをつけず窓を開けるだけとなったら、熱中症でバタバタと倒れる人が続出しそうです。
いい加減、車内灯を間引くのはやめてほしい。あんな節電効果なんてないに等しいのに、車内が暗くて不快です。本や新聞を読むにも不便です。
最近は電車内では、携帯やスマホをいじっている人ばかりだから、気にならないのかな。
上野口の東北、高崎線ではずうーと昔からやっています。
電車のドアの半自動扱いとは、通勤型電車で車内温度保持のためなどに、車掌が全車両のドアを一斉に操作して開閉するのではなく、乗客が個々のドアを手動またはボタン操作で開閉できる状態にすること。
その目的は、主に冬の寒さ対策、暖房効果を保つのが目的でした。
115系はドアの横に「上野から宇都宮・高崎間以外の区間では、12月から3月まではドアは手で開けてください」とかいう表示がありました。
このように115系には半自動扱いとなる区間を明示していました。乗降客が少なくなるその区間の停車駅では乗客がドアを手で開けました。
211系以降は、ドア開閉ボタンが設置されて、そのボタンで乗客がドアを開け閉めするようになりました。
始発駅、待避駅など長時間ドアが開きっぱなしとなるところでは、上野口の列車に限らず地方では当たり前の扱いでした。
東海道線東京口では寒さ対策は不要というのが昔からの基本姿勢だったから、東海道線では半自動扱いはしませんでした。
113系はそもそも、半自動扱いができたのかどうかも知りません。見たことないから。
もともと、温暖地向けが113系で、寒冷地向けが115系でした。
だから115系は半自動扱いができたのです。
115系の半自動区間で駅に停車すると、プシューっとドアエンジンの空気が抜けて、ドアに隙間ができたものです。
あの隙間だけでも、冬は隙間風が容赦なく入ってきて、寒かった。
ドアを手で開けるにも、ドア自体が相当重くて大変でした。老人や子供は相当大変だったでしょう。今なら苦情もののような気が・・・
今は半自動扱いといっても、ドアボタンで開閉するので、手で開閉する訳でもないから「半自動扱い」という言葉が正しいかもわかりません。
私は、今の東海道線を走っている最新車両(E何系だか知りません)に、ドアボタンが付いていたなんて知りませんでした。
ドアボタンが付いていたから、今回の冷房保持のための半自動扱いができたのです。
最近は、東海道本線に限らずどこでも車掌の裁量で長時間停車中は半自動扱いとする場合も多いですし。
東海道本線の東京口の客には、東京駅でのドアの半自動扱いやボタン操作は初めてのことだろうから、最初はとまどうでしょうね。
ついでにいうと、グリーン車はどうしているのでしょうか。テレビ映像は普通車しか映していなかったので。
グリーン車はデッキで仕切られているから、半自動扱いはしていないのでしょうね。ドアボタンがあるのかどうかも・・・
JR西では、米原駅などでは夏期と冬期は半自動扱いです。
昔は問題にならなかった、夏季の冷房保持のための半自動扱いが東京駅で始まるなんて、いよいよ温暖化が進んできた証拠でしょう。
半自動扱いの必要性が、上野口の暖房保持から、東京口の冷房保持に移るなんて、世の中変わったなと感じます。
鉄道の冷房といえば、最新車両の屋根上のクーラーの室外機というか本体から出る音も、昔に比べて小さくなったと思います。
昔は冷房車が来ると、独特のボオーンというクーラーの作動音が大きく、「あっ冷房車が来た」と喜んだものです。
103系なんかの屋根上クーラーは、製造メーカーによって記号が付けられていました。
Mが三菱製、Sが東芝製、Hが日立製でした。この三社だったと思います。103系などのクーラーは冷房能力が1両1基搭載の集中型で42,000キロカロリーでした。
ちなみに東武東上線の8000系は1両4基分散型で、1基10,500キロカロリーで1両併せて103系と同じ冷房能力なんだと、納得していました。
こんなくだらない知識も、若い頃はどんどん吸収していました。
鉄道ファンとか鉄道ビクトリアルには、細かい車両諸元なんかが載っていて、昔は細かい数字とかどんどん覚えたけれど、今はもうダメです。右から左へ抜けていきます。
最近は混雑率も下がっているし、1両全体の冷房能力が最新車両はいくらなのか知りません。
性能は高くなり消費電力は少なくなっているのでしょうね。
真夏の満員の通勤時間など、昔の103系なんか、クーラーから出る除湿された大量の水が屋根からだぼだぼと溢れ出ている様子も見られました。
屋根の樋に集まった水が、発車するときは後方の、停車するときには前方の排出口から水がジャーっと落ちていました。
ダイナミックなそんな光景も、今のクーラーは能力の微調整もできるし除湿も制御されているので、クーラーから水が大量に流れ出ている光景も見なくなりました。
昔のクーラーは、送風、弱、強しか調整できませんでした。
181系や485系、583系など旧式特急用の分散型クーラーには、車内にも冷房の強弱切り替えボタンがついていました。
天井のクーラー本体にボタンがあったから、背が低いと届きませんでしたし、乗客があれをさわっている光景は見たことがありません。
そういえば昔は、各線区別の冷房化率とかいうのが毎年発表されてニュースになっていたような。
山手線か中央線が常にトップで、京浜東北線が続いてたかな。上野口の東北、高崎、常磐線なんかがやっぱり冷房化率は遅れていました。
いつの間にかすべての車両、線区で冷房化率は100%となり、今となっては窓が開かない通勤型の新製車両も当たり前の時代です。
冷房化率なんてニュースがあったこと自体、はるか記憶のかなたとなりました。
非冷房車の超満員の通勤電車でも、当時の人たちは耐えて乗っていました。窓を全開にして走っていました。
乗客が熱中症で倒れたなんてことも聞きませんでした。気分が悪くなる人は結構いたのでしょうが、それがニュースになんかはならない時代でした。
非冷房車は特に雨の日は窓も開けられず(それでも少しは開けてましたが)、湿気と熱気が充満して、本当に地獄でした。
また、冷房化進行中は、103系でも113系でも、ひと編成中に冷房車と非冷房車が混結されていて、自分が待っている位置に冷房車が止まるかどうか、賭でした。
東武東上線8000系も、そんな状態でした。前4両が非冷房車、後2両が冷房車なんてことも。当時は6両編成も結構ありました。今は全部10両編成です。
原発に反対し、本気で節電を考えるなら、車内灯を間引くよりクーラーを消した方がよっぽど効果は大きいですよ。
でも、今の暑さは、昔の非冷房車が走っていた頃の暑さとは間違いなく違いますよね。
暑さもひどくなっているし、現代人はひ弱にもなっているから、夏の通勤電車でクーラーをつけず窓を開けるだけとなったら、熱中症でバタバタと倒れる人が続出しそうです。
いい加減、車内灯を間引くのはやめてほしい。あんな節電効果なんてないに等しいのに、車内が暗くて不快です。本や新聞を読むにも不便です。
最近は電車内では、携帯やスマホをいじっている人ばかりだから、気にならないのかな。
この記事へのトラックバックURL
http://kumatetsu.mediacat-blog.jp/t93177