2012年08月14日

夜の鉄路 国鉄時代

 国鉄が民営化されて、はや25年。
 今の20代の人は、国鉄の記憶はないと思います。

 国鉄時代は、全国をたくさんの夜行列車が走っていました。
 旅客もそうだけど、それよりはるかに多くの貨物列車が、コンビニなどまったくなかった時代に、年中無休の24時間営業で走っていました。

 夜行列車に乗って、貨物とすれ違うときの音は、独特の車輪のリズムがありました。
 車扱貨物はさまざまな形式が混ざっているから、軸数や間隔がまちまちなので、4軸ボギー車だと通常の「タタッタタン」なんだけど、2軸車だと「タンタンタンタンタン」と一定になったりして、外を見ていなくても貨物とすれ違ったなとすぐにわかったものです。

 深夜でも東海道・山陽本線なら、5分おきに列車、特に貨物列車とすれ違っていたと言っても過言ではないでしょう。旅客1、貨物3くらいの割合ですれ違っていたように記憶します。
 すれ違う列車を気にしながら、そして寝台車の窓から見える独特の外の風景を見ながら、とても高揚して、なかなか眠れなかったものです、若い頃は。

 全国各地に貨物のヤードがあり、夜間は照明塔の明かりがヤード全体を照らしている風景を、夜行列車の窓から眺めたものです。深夜の真っ暗闇を走る列車から、貨物ヤードや大きな客車区などを通過するとき、外の眩しいばかりの明かりが頼もしかったように思います。それは独特の雰囲気がありました。
 また、深夜の駅を通過するときは、各駅に必ず駅員がホームに立ち、通過する列車を見守っていました。あの姿も深夜を問わず24時間列車を見守っているんだと、とても頼もしく思え、心の底で列車に対する信頼が無意識に植えついてきたような気がします。
 まだ列車無線がなかった頃、夜行列車の中で緊急事態、急病人などが出たときなどには、車掌が通信筒にメモを入れて通過する駅で列車を監視している駅員へ通信筒を投げ渡して、それを駅員が拾い見て次の停車駅などに救急車を待機させるというようなこともやっていました。
 そのような役割があった駅員も、今は駅の無人化や夜行列車が走る区間でも深夜は駅員はいなくなり、夜行列車の窓から各駅に立つ駅員の姿も見なくなりました。昔は夜行列車が通過する駅は、駅名標にも必ず照明が点いていましたが、今は真っ暗で、どの駅を通過しているのか確認することもできなくなりました。
 車扱貨物もほとんどなくなり、深夜のヤードを灯す明かりもなくなりました。

 昔の国鉄は本当に24時間休みなく働き続けていたけれど、今の鉄道は夜行列車が激減し、貨物は別会社なので深夜に駅員が通過する貨物を監視することもないし、幹線でも営業時間しか駅員はいないから、JRは深夜勤務は減ったのではないでしょうかね。

 今、社会は24時間化しているといわれ、コンビニをはじめ24時間営業、長時間営業の店も昔に比べたらはるかに増えたけれど、鉄道業界は逆に、営業時間は短縮されているようです。


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この記事へのコメント
コンビニエンスストアー、ガソリンスタンド、宅急便。みんな鉄道から自動車に主役が変わってから現れたものですね。年中無休の24時間営業はもともと鉄道員が担っていたという話、とても印象に残りました。貨物列車の写真、もっと撮っとけば良かったなぁ。山手貨物線を走るEF65牽引のワムの長大編成の写真が有ったんだけど、どこかに行ってしまいました。信号筒の話で、渥美清が車掌を演じる「喜劇急行列車」を思い出しました。
Posted by さよなら「ながさき号」門司港行 at 2012年08月14日 22:08