2012年08月14日

横軽の記憶 〇表示

 お盆休みで、昔の写真を整理しています。

 いろいろと昔の写真など見ていて、思い出にふけっています。


 ふと、横軽区間を走れる車両には車両記号の前に〇しるしがついていたなと、思い出しました。

 信越本線の横川-軽井沢間が北陸(長野)新幹線の開業に伴い廃止となったのは、平成9年(1997年)9月でした。
 もう今から、まる15年前になります。
 北陸新幹線は金沢開業もあと2年あまりです。
 さて、横軽は最大66.7パーミルの急勾配区間を走るため、機関車をはじめそこを走る車両は特別仕様でした。特急用の489系や189系、急行用の169系など下1桁に9がつく車両がそうです。機関車EF63との協調運転ができる車両が、最大12両編成で急坂を登り降りしていました。

 横軽を通過するには連結部周辺を補強してある車両しか通過できませんでした。そのしるしとして、車両記号の前に〇が表示されていました。これは、本州を走る客車にはほとんどついていたように記憶しています。でも電車などはそうではなかったです。

これがそうです。






これらの客車は、横軽を通過できる車両ということです。
スハネ14の前に〇がついていて、〇スハネ14 755と表示されてます。
オハ47、これは紀勢本線のものですが、〇がついています。


一方、こちらは





〇がついていないので、横軽は通過できません。
583や581は横軽での協調運転仕様ではないし、この旧客、オハフ61 673は四国のもので、瀬戸大橋などなかった時代、本州へ行くことは想定されていませんでした。

こんなことも、もう昔話になってしまいました。


 





Posted by よっぱらいくま at 10:40│Comments(1)TrackBack(0)車両

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この記事へのコメント
大学三年生のゼミ合宿で初めて横軽通りました。115系の車内は、観光客で賑わっていました。車体を安定させるために、空気バネをパンクさせている事で伝わってくる振動、66パーミルのキツイ傾斜、観光客の華やぎ、115系の渋い内装などから旧客で走っている頃を容易に想像出来ました。帰りもそれが味わいたくて、14系の「信州」が有るのにわざわざ普通電車で帰ったほどです。その後乗り継いだ高崎線もよかった。
Posted by さよなら「ながさき号」門司港行 at 2012年08月14日 13:55