2020年03月21日
飲み屋を元気にしよう
ここのところのウイルス騒ぎで、街のネオン街は元気がないです。
こんな状況だからこそ、東京、大阪で飲み歩いてきました。
新宿での定番は「やまと」です。
飲み物は激安、そのかわり食べ物はちょっとお高め。
店内はほぼ満席でした。良いことです。
やまとの次、二軒めは思い出横丁の中華料理店の「岐阜屋」。
チューハイを4~5杯飲んでできあがります。
木耳の玉子炒めが私の定番、酒に合います。
次は焼きそばで締めます。
ラーメン、チャーハン、餃子も安定していますが、普通です。
銀座ライオン、銀座7丁目店一階ビアホール。
ここのビールは私にとって日本一の旨さ。
浅草、靖国神社、東京駅、高輪ゲートウェイ駅を巡ってきたあとなので、歩き疲れもあってなおさら旨いです。
歩行者天国を歩く人の数は少し減ったみたい。
銀座はおしゃれ。
壁面に描かれた絵、立体感があります。
銀座の人出はいつもと変わりないくらいでした。
有楽町駅前。ちょっと人少ないかな。
寝台特急サンライズ瀬戸に乗る前に寄った、東京駅八重洲口にある立飲み屋。
乗車前にちょっと一杯と最初は決めていたのに、結果は生ビール2杯、サワー1杯、熱燗3本(4本?)とかなりいっぱい飲んでしまった。
小豆島の帰りに寄った、新梅田食道街の串カツ専門の立ち飲み店。
店のおばちゃんが、来店客がかなりと減ったと嘆いていました。
スナック、バー系は壊滅的だと。
大阪駅前はそこそこ人並みは多いです。
街の活性化のために、経済貢献のために、外で飲んでいきたいです。
こんな状況だからこそ、東京、大阪で飲み歩いてきました。
新宿での定番は「やまと」です。
飲み物は激安、そのかわり食べ物はちょっとお高め。
店内はほぼ満席でした。良いことです。
やまとの次、二軒めは思い出横丁の中華料理店の「岐阜屋」。
チューハイを4~5杯飲んでできあがります。
木耳の玉子炒めが私の定番、酒に合います。
次は焼きそばで締めます。
ラーメン、チャーハン、餃子も安定していますが、普通です。
銀座ライオン、銀座7丁目店一階ビアホール。
ここのビールは私にとって日本一の旨さ。
浅草、靖国神社、東京駅、高輪ゲートウェイ駅を巡ってきたあとなので、歩き疲れもあってなおさら旨いです。
歩行者天国を歩く人の数は少し減ったみたい。
銀座はおしゃれ。
壁面に描かれた絵、立体感があります。
銀座の人出はいつもと変わりないくらいでした。
有楽町駅前。ちょっと人少ないかな。
寝台特急サンライズ瀬戸に乗る前に寄った、東京駅八重洲口にある立飲み屋。
乗車前にちょっと一杯と最初は決めていたのに、結果は生ビール2杯、サワー1杯、熱燗3本(4本?)とかなりいっぱい飲んでしまった。
小豆島の帰りに寄った、新梅田食道街の串カツ専門の立ち飲み店。
店のおばちゃんが、来店客がかなりと減ったと嘆いていました。
スナック、バー系は壊滅的だと。
大阪駅前はそこそこ人並みは多いです。
街の活性化のために、経済貢献のために、外で飲んでいきたいです。
2020年03月21日
小豆島の旅
人生初のサンライズ瀬戸乗車で高松へ到着後、これまた人生初の小豆島へ行きました。
高松港から池田港行きのフェリーに乗りました。
乗船後すぐに、船内売店のうどんを朝食で食べました。
高松駅で食べたかったけれど、連絡線うどん店はまだやってなく、朝食を摂り損ねるかと思ったけれど、船内にあってよかった。
船尾にはパンダのイラスト。
出航、ちょっとだけ、青函連絡船の出航風景を思い出しました。
高松を離れていきます。船旅いいなあ。
池田港フェリーターミナル。
バスの一日乗車券を購入。
池田港近くで出会ったカエルさんたち。
30分くらい池田港付近を散歩して、土庄港行きのバスに乗りました。
土庄町には、世界一狭い「土渕海峡」があることで有名?らしいです。
海峡横にある土庄町役場で「横断証明書」がもらえます。
台帳付きで200円也。
次は「迷路のまち」へ。
路地裏が多い島特有の道です。
迷路のまちを散策して、約2キロ弱歩いて土庄港まで行きました。
二十四の瞳の像
土庄港
土庄港観光センターでまた、うどんの昼食を摂ってから、福田港行きのバスに乗りました。
土庄から福田港まで約1時間、小豆島をほぼ西から東へ縦断する形です。
バスは若者の旅行客で満席、立ち客も出るほどでした。
その旅行者の大半は、オリーブ園で下車して、車内はガラガラに。
福田港で降りた人は私のほかに2人だけ。その2人は姫路行きフェリー乗り場へ急いで行ったようです。
土庄が都会なら、ここは鄙びた田舎、のどかです。観光客の姿はありません。
海の水がきれい、透き通っています。
次は大部港へバスで向かいます。
バス停横にはこんな魅力的な店が。うどんもあるようです。
土庄港で昼食にうどんを食べていなかったら入ったのに。
バスが来ました。よく見えないと思うけれど、行き先表示が「すいません回送中です」ってあります。
福田港が始発です。
観光客は島の東部は訪れないようで、乗客は他に一人だけです。
大部港へ到着、次は日生行きのフェリーに乗って、島を離れます。
フェリー乗り場はバスを降りて5分くらいで着きます。
鄙びたターミナルの2階は待合室と売店、食堂跡が。
時間が止まったような昭和の風景。
食堂は閉鎖されてそれほど日は経っていないように感じました。
昭和の雰囲気と、魅惑的なメニューが貼っています。
食べたかったなあ。
ターミナルの隣には喫茶レストランがあって、そこは営業中でした。
ナポリタンを作っているような、いい匂いがしてきました。
大部港を出航。
もともと、サンライズ瀬戸に乗るためのついでの小豆島訪問で、短い滞在時間でしたが、なんとなく名残惜しく感じました。
最近は旅に出ても、若い頃に比べて帰りが名残惜しくなる感覚もなくなってきました。これも船旅の魅力かな。
日差しが心地よく暖かだったので、約1時間の所要時間のうち半分以上、外で過ごしました。
日生港に到着。
徒歩での下船は、私ともう一人だけでした。あとはみんな、バス、自動車、バイク、自転車、そしてトラックでした。
日生港は、日生駅の目の前です。
日生駅は、以前、片上鉄道が廃止直前の頃、ついでになんとなく海が近いという理由で来て以来です。
あのとき、目の前に小豆島行きのフェリー乗り場があることを知って、いつかここから小豆島へ行ってみたいものだと思っていたのです。
あれから20年近く経ってしまいました。
今回、大部港から日生行きりフェリーを選んだのは、そんな理由からです。
昔は鉄道に乗ることしか頭になく、今回のような旅は選択肢から外れていました。
昔だったら、四国内の鉄道に乗りまくって、帰りも瀬戸大橋経由で帰ったんだろうなあ。
播州赤穂行きは115系ボックスシート車です。
なんて懐かしい、山陽地区にはまだ健在なんです。
このあとは、播州赤穂で野洲行き新快速に乗り換え大阪へ、途中下車して新梅田食道街で一杯(いっぱい)ひっかけて、新大阪から新幹線で名古屋へ帰りました。
高松港から池田港行きのフェリーに乗りました。
乗船後すぐに、船内売店のうどんを朝食で食べました。
高松駅で食べたかったけれど、連絡線うどん店はまだやってなく、朝食を摂り損ねるかと思ったけれど、船内にあってよかった。
船尾にはパンダのイラスト。
出航、ちょっとだけ、青函連絡船の出航風景を思い出しました。
高松を離れていきます。船旅いいなあ。
池田港フェリーターミナル。
バスの一日乗車券を購入。
池田港近くで出会ったカエルさんたち。
30分くらい池田港付近を散歩して、土庄港行きのバスに乗りました。
土庄町には、世界一狭い「土渕海峡」があることで有名?らしいです。
海峡横にある土庄町役場で「横断証明書」がもらえます。
台帳付きで200円也。
次は「迷路のまち」へ。
路地裏が多い島特有の道です。
迷路のまちを散策して、約2キロ弱歩いて土庄港まで行きました。
二十四の瞳の像
土庄港
土庄港観光センターでまた、うどんの昼食を摂ってから、福田港行きのバスに乗りました。
土庄から福田港まで約1時間、小豆島をほぼ西から東へ縦断する形です。
バスは若者の旅行客で満席、立ち客も出るほどでした。
その旅行者の大半は、オリーブ園で下車して、車内はガラガラに。
福田港で降りた人は私のほかに2人だけ。その2人は姫路行きフェリー乗り場へ急いで行ったようです。
土庄が都会なら、ここは鄙びた田舎、のどかです。観光客の姿はありません。
海の水がきれい、透き通っています。
次は大部港へバスで向かいます。
バス停横にはこんな魅力的な店が。うどんもあるようです。
土庄港で昼食にうどんを食べていなかったら入ったのに。
バスが来ました。よく見えないと思うけれど、行き先表示が「すいません回送中です」ってあります。
福田港が始発です。
観光客は島の東部は訪れないようで、乗客は他に一人だけです。
大部港へ到着、次は日生行きのフェリーに乗って、島を離れます。
フェリー乗り場はバスを降りて5分くらいで着きます。
鄙びたターミナルの2階は待合室と売店、食堂跡が。
時間が止まったような昭和の風景。
食堂は閉鎖されてそれほど日は経っていないように感じました。
昭和の雰囲気と、魅惑的なメニューが貼っています。
食べたかったなあ。
ターミナルの隣には喫茶レストランがあって、そこは営業中でした。
ナポリタンを作っているような、いい匂いがしてきました。
大部港を出航。
もともと、サンライズ瀬戸に乗るためのついでの小豆島訪問で、短い滞在時間でしたが、なんとなく名残惜しく感じました。
最近は旅に出ても、若い頃に比べて帰りが名残惜しくなる感覚もなくなってきました。これも船旅の魅力かな。
日差しが心地よく暖かだったので、約1時間の所要時間のうち半分以上、外で過ごしました。
日生港に到着。
徒歩での下船は、私ともう一人だけでした。あとはみんな、バス、自動車、バイク、自転車、そしてトラックでした。
日生港は、日生駅の目の前です。
日生駅は、以前、片上鉄道が廃止直前の頃、ついでになんとなく海が近いという理由で来て以来です。
あのとき、目の前に小豆島行きのフェリー乗り場があることを知って、いつかここから小豆島へ行ってみたいものだと思っていたのです。
あれから20年近く経ってしまいました。
今回、大部港から日生行きりフェリーを選んだのは、そんな理由からです。
昔は鉄道に乗ることしか頭になく、今回のような旅は選択肢から外れていました。
昔だったら、四国内の鉄道に乗りまくって、帰りも瀬戸大橋経由で帰ったんだろうなあ。
播州赤穂行きは115系ボックスシート車です。
なんて懐かしい、山陽地区にはまだ健在なんです。
このあとは、播州赤穂で野洲行き新快速に乗り換え大阪へ、途中下車して新梅田食道街で一杯(いっぱい)ひっかけて、新大阪から新幹線で名古屋へ帰りました。
2020年03月21日
サンライズ瀬戸
人生初めて、現存する唯一の寝台特急「サンライズ」に乗りました。
中部地方在住者にとっては、名古屋を深夜に通過するこの列車を利用する機会は普通はないでしょう。
今回、千葉から名古屋へ帰るついでに遠回りして高松まで行くことにしました。
遠回りを超えて、行き過ぎているけれど。
新型ウイルス騒動で乗車率はどうなんだろうかなと危惧していたけれど、個室はたぶん見た目は満室、のびのび座席は8割くらいで少し空席がありました。まあ、凋落していた頃の九州ブルトレよりはるかに高い乗車率です。
まずは個室へ行く前の乗車時に、シャワー室最寄りの入り口に並んでシャワーカードを購入しました。
ネット情報ですぐに売り切れるとのことだったので。
出雲との連結部。左、進行方向前部が瀬戸、後部が出雲です。
車端部が私のB寝台個室。2階建て部分ではないので、天井が高くて快適でした。
最初、寝台券を買うときA寝台を所望したのだけど売り切れで、偶然この部屋となりました。
車端部は揺れるし、台車の真上だからうるさいはずだけど、まったく気になりませんでした。
東京駅八重洲口の立飲み屋でかなり飲んでいたので、かなり酔っ払っています。
それでも寝台車内で缶チューハイストロング9% ロング缶を1本飲みました。
そんな訳で、横浜を出た時点で記憶はシャットダウン。
名古屋や大阪の通過(運転停車?)も、記憶になく爆睡。
朝、相生手前で目覚めて、乗車時に購入しておいたシャワーカードを持って、シャワー室でさっぱりしました。
うーん、でもプチ二日酔いかな。
日の出です。夜行寝台に乗って朝を迎えるなんて、何年ぶりだろうか。
浦佐駅で大雪のため立ち往生した停車中の「あけぼの」の中で朝を迎えたのが最後です。
岡山駅。出雲との切り離し作業は大人気、ギャラリーがたかっています。
みんな鉄道マニアかいな。一般人ぽいけれど。
瀬戸内海が見えてきました。朝日がまぶしい穏やかな景色。
何度通っても、瀬戸大橋という巨大建造物には感動します。
人間の手でこれが造られたと思うと、技術力には偉大なものを感じます。
日本で2番目に長い、南備讃瀬戸大橋を通過中。
瀬戸内海のいくつもの小島を土台に、巨大なピアやアンカレッジを建てて、いくつもの橋をつないで本州の児島と四国の坂出を結んでいます。
高架の坂出駅は高松へ向かう通勤客の姿が。
東京や名古屋の風景と変わりません。
昔は四国は全線非電化、ディーゼルカー王国だった往時の気配は微塵もしません。
高松駅到着。
駅近くの、宇高連絡船の錨のモニュメント。
このあと、小豆島へフェリーで向かいます。
中部地方在住者にとっては、名古屋を深夜に通過するこの列車を利用する機会は普通はないでしょう。
今回、千葉から名古屋へ帰るついでに遠回りして高松まで行くことにしました。
遠回りを超えて、行き過ぎているけれど。
新型ウイルス騒動で乗車率はどうなんだろうかなと危惧していたけれど、個室はたぶん見た目は満室、のびのび座席は8割くらいで少し空席がありました。まあ、凋落していた頃の九州ブルトレよりはるかに高い乗車率です。
まずは個室へ行く前の乗車時に、シャワー室最寄りの入り口に並んでシャワーカードを購入しました。
ネット情報ですぐに売り切れるとのことだったので。
出雲との連結部。左、進行方向前部が瀬戸、後部が出雲です。
車端部が私のB寝台個室。2階建て部分ではないので、天井が高くて快適でした。
最初、寝台券を買うときA寝台を所望したのだけど売り切れで、偶然この部屋となりました。
車端部は揺れるし、台車の真上だからうるさいはずだけど、まったく気になりませんでした。
東京駅八重洲口の立飲み屋でかなり飲んでいたので、かなり酔っ払っています。
それでも寝台車内で缶チューハイストロング9% ロング缶を1本飲みました。
そんな訳で、横浜を出た時点で記憶はシャットダウン。
名古屋や大阪の通過(運転停車?)も、記憶になく爆睡。
朝、相生手前で目覚めて、乗車時に購入しておいたシャワーカードを持って、シャワー室でさっぱりしました。
うーん、でもプチ二日酔いかな。
日の出です。夜行寝台に乗って朝を迎えるなんて、何年ぶりだろうか。
浦佐駅で大雪のため立ち往生した停車中の「あけぼの」の中で朝を迎えたのが最後です。
岡山駅。出雲との切り離し作業は大人気、ギャラリーがたかっています。
みんな鉄道マニアかいな。一般人ぽいけれど。
瀬戸内海が見えてきました。朝日がまぶしい穏やかな景色。
何度通っても、瀬戸大橋という巨大建造物には感動します。
人間の手でこれが造られたと思うと、技術力には偉大なものを感じます。
日本で2番目に長い、南備讃瀬戸大橋を通過中。
瀬戸内海のいくつもの小島を土台に、巨大なピアやアンカレッジを建てて、いくつもの橋をつないで本州の児島と四国の坂出を結んでいます。
高架の坂出駅は高松へ向かう通勤客の姿が。
東京や名古屋の風景と変わりません。
昔は四国は全線非電化、ディーゼルカー王国だった往時の気配は微塵もしません。
高松駅到着。
駅近くの、宇高連絡船の錨のモニュメント。
このあと、小豆島へフェリーで向かいます。
2020年03月21日
靖国神社、東京駅
浅草のあとは靖国神社へ向かいました。
東京の地下鉄は頭の中に路線図が入っているはずだけど、私の記憶は昭和の路線図で止まっているので、スマホで路線図を見ながら路線と乗り換え駅を確認する始末です。頭の中の路線図は、平成以後に新規開業した路線が欠落しているもので。
浅草から九段下が最寄り駅か、JRか有楽町線で市ヶ谷に出る選択もあるかと悩み、三越前乗り換えで半蔵門線を選択。三越前の乗り換え、遠かった。赤坂見附で半蔵門線永田町乗り換えも結構歩くことを知っているけれど、こちらの方が長かった。失敗。
靖国神社へ行こうとしたのは、前日に桜の標本木が開花して東京に開花宣言が出たから。かなりミーハー(死語?)です。
普段の人出を知らないので、多いのか少ないのかわかりません。
お次は東京駅丸の内駅舎を見に、東京駅へ向かいました。もう完全におのぼりさんコース。
九段下へ戻り、同じく半蔵門線で大手町へ。大手町で地上に出て歩いて東京駅へ向かうのが駅舎を見るには最適かと。
これは頭の中の路線図で判断できました。
大手町駅から地上へ。日本最先端のビジネス街。名古屋とは違うと思うのは偏見か。
東京駅丸の内駅前は整備されて広い広場ができて快適です。
新駅舎が出来てからは、初めての訪問です。
このあと、高輪ゲートウェイ駅へ向かいました。
東京の地下鉄は頭の中に路線図が入っているはずだけど、私の記憶は昭和の路線図で止まっているので、スマホで路線図を見ながら路線と乗り換え駅を確認する始末です。頭の中の路線図は、平成以後に新規開業した路線が欠落しているもので。
浅草から九段下が最寄り駅か、JRか有楽町線で市ヶ谷に出る選択もあるかと悩み、三越前乗り換えで半蔵門線を選択。三越前の乗り換え、遠かった。赤坂見附で半蔵門線永田町乗り換えも結構歩くことを知っているけれど、こちらの方が長かった。失敗。
靖国神社へ行こうとしたのは、前日に桜の標本木が開花して東京に開花宣言が出たから。かなりミーハー(死語?)です。
普段の人出を知らないので、多いのか少ないのかわかりません。
お次は東京駅丸の内駅舎を見に、東京駅へ向かいました。もう完全におのぼりさんコース。
九段下へ戻り、同じく半蔵門線で大手町へ。大手町で地上に出て歩いて東京駅へ向かうのが駅舎を見るには最適かと。
これは頭の中の路線図で判断できました。
大手町駅から地上へ。日本最先端のビジネス街。名古屋とは違うと思うのは偏見か。
東京駅丸の内駅前は整備されて広い広場ができて快適です。
新駅舎が出来てからは、初めての訪問です。
このあと、高輪ゲートウェイ駅へ向かいました。