2015年08月15日

終戦記念日

今日は終戦記念日。
過去の戦争を知り学ぶことは、とても大切なことと思う。

日本が仕掛けた太平洋戦争。そして、大陸への侵略の歴史は日本人として忘れてはいけない。
戦争の愚かさ、悲惨さは、十分に学んできたつもりだ。
二度と戦争をしてはいけない、当然のことである。

しかし、現在の日本国のマスコミの自虐的な論調はなんなんだろうか。

靖国参拝に外国が文句を言うことなど、なんで日本国国民がマスコミを含めて一体となって、内政干渉だと言い返さないのだろうか。

中日新聞、ここ半月あまり、毎日毎日、反戦だか平和だか知らないが、戦争の悲惨さを記事にしまくりである。
そんなことはもう、よくわかっている。
中日新聞は、赤旗かいと言いたくなった。

ちょうどお盆の時期、世間も休みである。
一か月前の作り置きの記事を載せて、手抜き、お休みしたいのかな。

この時期、相当な大事故、大事件でない限り、新聞報道はされませんね。
毎日毎日、反戦記事ばかり。
正直言って辟易。
そんな記事ばかりで、新鮮なニュースは紙面に載らない。

今なら、相当な事件を起こさない限り、新聞報道されませんね。
なんて不公平なんだ。

安倍首相が戦後70年談話。
何を言ったって、マスコミと中国、韓国はイチャモンをつける。
安倍さんは、中国韓国らの正面から攻撃を受け、背後から日本のマスコミから攻撃を受ける。
なんで日本国は自虐的なんだろう。
戦後補償その他もろもろ、解決していることにいつまでも難ぐせつけ続ける国に謝る必要があるのか。
韓国なんか、戦後の日本の支援で発展したのが事実だろう。
ソウルの地下鉄建設に、日本は貢献している事実をもっと知れ。

戦後、50年までは、中国など自転車しか走っていなかった。
そんな頃までなら、日本の憲法9条の理念は通用した。
しかし今、中国の軍備拡張と経済発展、韓国の発展、日本だけが加害国として理想だけで、謝り続けることで平和が保てるとは思えない。
戦後50年談話と、今の世界、アジア情勢は違う。
中国が、日本の軍国主義化を懸念するなど世迷いごとを言う。そっくりそのまま、その言葉をお返ししますから。

沖縄の翁長は、日本政府にイチャモンをつけ続けている。
そのくせ、振興資金は巻き上げている。
そんなに文句があるのなら、沖縄から米軍も完全撤退して、沖縄が日本から独立したら、現実にどうなるのかね。
日本とアメリカが一切の関わりを持たず助けず、友好関係が築けなければ、沖縄は瞬時に、中国に乗っ取られるだろね。
野蛮な琉球王国が、中国になるだけ。
中国はその時きっとこう言うただろう。
「沖縄は古来より中国の領土であったが、日本が不当に占領してきた」と・・・。彼らは歴史を創作するのがお家芸だから。
米軍基地はそのまま、中国軍施設となり、いま以上に太平洋に向けた中国の軍事拠点となるだろう。
中国政府は、日本やアメリカみたいに優しくないから、住民の声なんか一切聞かずに好き放題をするだろう。
それが沖縄の望みなら、普天間の辺野古移設なんて、も~うやめた、って、政府は言えば言いのに。
今の翁長の行動で一番喜んでいるのは中国と韓国ですよ、翁長知事さん。
翁長知事さん、沖縄を中国に身売りするおつもりですか。

安倍ちゃん、何を言っても、中国、韓国に文句を言われ、日本のマスコミにもくそみそ言われ、本当に気の毒です。
中日新聞、一面で安倍ちゃん批判です。どこの国の新聞なの。

そんな今の風潮に辟易していました。だから、
いつも毎年、終戦記念日の正午、高校野球が中断し、時報とともに黙とう、毎年私もNHKニュースを観ながら姿勢を正して黙とうしていたのに、ここ半月の毎日毎日終戦記念日のごとくの戦争特集報道ばかりで、今年の異様な反戦、日本のマスコミの反日キャンペーンに辟易していたので、今日が終戦記念日だと失念し今年は黙とうを忘れてしまったではないか。
なんてこった。

戦争への反省報道は、終戦記念日と12月8日の開戦記念日だけでいいよ。
安保法制からの反戦記事一色だった中日新聞の紙面は、異常だった。まともなニュースに紙面を割くことがなく、報道機関としての使命を放棄していたとしか見えない。

追悼式典での、天皇皇后両陛下には、本当に頭が下がります。  

Posted by よっぱらいくま at 21:50Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2015年08月15日

ユーロライナーのこと

今は存在していないと思うけれど、JR東海には「ユーロライナー」という客車がありました。
座席や個室寝台や最後部展望席もあった楽しい車両でした。

平成2年の冬、名古屋駅発長野行のシュプール号として運転されたときに、ユーロライナーに乗りました。
その時の写真を、フィルムスキャンしていて見つけました。
列車名は「シュプール ユーロ赤倉志賀」です。
ユーロ塗装の中央線用のEF64が牽引機です。




職場の人と四人で乗り込みました。目的は野沢温泉でのスキー。
車内で始まった大宴会。
まったく記憶に残っていなかったけれど、写真は残っています。
サロン室?娯楽室?食堂車?(食堂車はなかったなあ)、なんだかわからないけれど、そこでカラオケなんかをやっています。




歌っているのは、まだ20代だった頃の私。
この写真を発見するまで、まったく記憶にありませんでした。列車の中で歌ったのは、後にも先にも、このときだけだと思います。
タダで歌えたのか、他の客といっしょだったのか、システムはとうだったのか、スナックみたいだったのか、セルフサービスだったのかまったくわかりません。記憶がありません。
車掌さんも笑っています。




カウンターみたいな、テーブルがあって、やっぱりスナックみたいです。有料だったのかなあ。




中央西線、名古屋と長野の間は急行「きそ」という夜行列車が昔、ありました。それが廃止されたのちも、大阪ー長野間の夜行急行「ちくま」があったけれど、これもずっと前に廃止されましたが、この頃はまだ走っていました。
このユーロライナーもそういう列車の臨時スジみたいに運行されていたのかな。時刻表とかは残っていません。
(探したらあるかも・・・)

シュプール号という列車。バブルの頃は各地で走っていた、特にJR西と東がたくさん走らせていた記憶があるけれど、この制度もなくなって久しいです。
  

Posted by よっぱらいくま at 11:10Comments(0)TrackBack(0)昔話と昔の写真 国鉄・JR