2021年01月31日

大垣夜行廃止の報を聞いて

ついに、東京-大垣間の夜行鈍行が廃止となるそうです。
新聞などでも思い出話しがとりあげられています。
私も大垣夜行には思い出がいっぱいです。

私にとっては、347M、375Mといった列車番号での呼び方がなじみ深いです。
初めて乗った高校生から大学生にかけては347Mだったです。ダイヤ改正で375Mになったと思います。昭和55年から60年頃のことです。
その他にも「ガキ電」、「大垣夜行」とか言われていました。私は、鉄道仲間との会話では「347で行こうか」とか言うのが日常でした。

1996年、平成8年3月、165系での運用が終焉を迎える372M東京行きを、大垣駅で撮影した写真です。私にとっての165系での運用での大垣夜行最後のお名残乗車でした。
特に混むこともない、普段通りの姿でした。






先頭車には急行東海用のヘッドマーク取り付け台がそのまま。






大垣夜行165系での運用が終わるのと合わせて、急行東海も165系での運用は終わりとなりました。
165系での運用での最終日には、静岡から急行東海4号にお別れ乗車しました。

同日、165系運用での最期の大垣夜行の発車を、品川駅で見送りました。






1996年3月ダイヤ改正から、165系から373系特急車両に代わり、東京発車時点では全車指定席となりました。
居住性もよくなり、自由席を求めて早くからホームで並んで待つ必要もなくなりました。
その後、185系での運用になったり、晩年は青春18きっぷ用の季節運転となり現在に至っていました。
そしてこのコロナ渦の中、昨年3月以降は運転休止が続いていたとのこと。
お別れイベントもなく、そのまま廃止とは、なんかむなしくなりますね。

実は私、この1996年ダイヤ改正以降、大垣夜行には一度も乗っていません。
なんか、165系じゃないと大垣夜行ではないという強い思い、頑固な考えがありました。
165系運用の廃止からもう25年、四半世紀も経つんですね。

私にとっては、1996年の165系での運用の廃止が、大垣夜行、347M、375Mの廃止だったんです。

JRは廃止の理由を「客の行動様式の変化で、列車の使命が薄れた」、「車両の老朽化」をあげているけれど、要は利益追求の足かせとなっているのが本音でしょう。
たしかに185系の廃止は理由として大きいでしょう。
夜行バス全盛のこの時代でも、サンライズ出雲・瀬戸の需要は高いし、実際いつもほぼ満員の状態。大垣夜行は深夜帯の静岡や浜松駅を開けなければならずそのコスト、そして季節運転だから、その要員運用とかも面倒だったのでしょう。車両ならいくらでも代替があるはずです。
指定券が安いから、一人でも隣の席の指定券も確保するような輩も多かったと聞きます。

夜行列車の需要は間違いなくあるのに、廃止していくのは「客の行動様式の変化で、列車の使命が薄れた」のではなく、ただただJRの都合と思います。列車運用、乗務員運用、停車駅の要員確保等々、1本の夜行鈍行のための、手間とコストが大きすぎるのが現実で、それが廃止の理由だと思います。
JR東日本と東海をまたがって走るところも廃止要因としては大きいと思います。
ブルトレが廃止されたときも同様の言い訳をしていたけれど、もしブルトレが何本も健在だったら、高輪ゲートウェイ駅も上野東京ラインも難しかったでしょう。客が減ったのではなく、JRの都合で廃止されていくのです。

国鉄がJRに変わる前、政府は「夜行列車はなくしません」、「不便になることはありません」と約束していたのに、これが現実。政治というものはまったく信用できません。ま、JRは民間会社だから、こうなるのは自明の理でしょうね。






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