2024年04月06日

車窓はテレビより面白い

宮脇俊三さんの著作で、「車窓はテレビより面白い」があります。



1989年(昭和64年)2月、昭和末期に初版が出ました。

今はほとんどの人が電車内ではスマホとにらめっこしています。
それに、新幹線でも在来線クロスシート車両でも、陽も当たっていないのに窓側に座った人が即座にブラインドを下ろす光景もよく見ます。

宮脇俊三さんが生きていたら必ず、
「車窓はスマホより面白い」と、
きっと言ってくれるでしょう。

でも、地方でもロングシートの車両が激増しているし、簡単に車窓を楽しめる機会は減りました。
中央線名古屋口も新車の315系はオールロングシート。

豊橋-大垣(岐阜)間や関西は、私鉄と競合しているから、サービス競争上クロスシートが主体です。
要するにロングシートは、独占区間で競争のない熱海-静岡間とかが主体となっているのです。
サービス上はクロスシートが勝っていることは明白で、合理化できるサービスは低下させても良いところがロングシートになっていくのです。

東海道線に315系が配備されるときは、きっとクロスシート車両となることでしょう。
もしもロングシートになったら、私は確実に名鉄利用となることでしょう。  

Posted by よっぱらいくま at 16:22Comments(0)TrackBack(0)日記

2024年04月06日

信越本線 横川-軽井沢間 廃止の日

北陸新幹線敦賀開業のことを書いたら思い出して、長野開業時に絡めて、横軽廃止のことを書いてみます。

1997年(平成9年)、信越本線の横川-軽井沢間の廃止の日当日は、ビデオカメラをひっ下げて行きました。
そのため写真はあまり撮っていない中で、廃止数日前に行ったときのカットです。
廃止当日の日の写真も紛れています。


















名物の釜飯の立ち売りも有名でした。













最終日となった9月30日は昼過ぎから横川駅、軽井沢駅に滞在して、最終の下りあさま号で長野まで乗りました。

もうはるか昔のことですね。  

Posted by よっぱらいくま at 15:24Comments(0)TrackBack(0)開業と廃止の日

2024年04月06日

北陸新幹線 敦賀延伸開業

前日、金沢行きしらさぎ号に乗り、敦賀に戻って1泊。
いよいよ、敦賀駅にて開業セレモニーに参加しました。



当日朝4時には駅前に入場待ちの行列が出来ているのが、ホテルの窓から確認できました。
5時には駅に行くつもりだったけれど、4時半過ぎにはその行列に並びました。
ざっと、その時点で200人くらいかな。
列の人たちもよくわからない状態で、とのあえず並んでいる感じ、この列は入場券を買う列で、反対は乗車券類を買う列だとか、4時50分に駅が開き、販売を開始するだとか、声が聞こえてきました。
それで、なんだかんだ並んで20分も経たないうちに駅が開いたみたいで、列が動き始めて、並んでからトータル30分くらいで難なく入場券が買えました。





敦賀駅開業日、朝一の発車案内。

入場券を手に新幹線ホームへ。






新幹線乗換改札を通過。


人でいっぱいだぞ。


開業式典の真っ最中、もう始まっていました。たぶん5時スタートだったな。


人だかりで何も見えない。
でも、後ろからはよく見えました。





とりあえず一番の東京行きかがやきが発車するホームへ。



当たり前だけど、出発式典エリアは一般客は立ち入り制限。


金沢開業のときもそうだったけれど、反対側ホームへ移動して、待機します。


くす玉もしっかり見えるポジションを確保。




マスコミもスタンバイOK。




地元の子が運転士へ花束贈呈。


マスコミ向けに写真撮影。


中条あやみさん登場。


最上位の来賓らがテープカットの準備。
自民党安倍派裏金事件で渦中の、敦賀が選挙区の議員もいるぞ。




下位の来賓らとかスタッフはスマホで写真撮りまくり。


くす玉が割られました。



いよいよ出発です。



スタッフだか下位の来賓たちがスマホで写真撮りまくっているので、何も見えない。
昔は式典会場にいる人たちはこんなマネはしなかったのに、スマホが普及した弊害ですね。




東京行き一番列車のかがやきが発車して行きました。



式典が終わって位置を変えて、くす玉がよく見えるところで撮影。





式典会場は、終わったあとも一般人に開放はしませんでした。
くす玉も撤去されました。
長野開業時は終わった後はすぐに会場が開放されたのになあ。


長野開業時の写真です。
式典が終わったあとは自由に入れました。



こんなふうに自由に記念写真も撮れました。
写っているのは、1997年(平成9年)の約27年前の私。

そういえば、9年前の金沢開業時も式典会場へは終わった後も入れませんでした。
そのときの模様はこちら



富山行きの一番列車のつるぎが入線です。


発車していきました。



人出も一段落です。


続いて、金沢発一番のつるぎ号が到着です。







到着客といっしょに在来線への移動を試みてみます。


しらさぎが待っています。
今日から6号車も指定席。


サンダーバードが発車していきました。




しらさぎも発車していきました。

さて、一段落ついたので、ホテルへ戻って朝食を。




昨日到着した特急編成がまだ、留置されています。




駅前では福井新聞の号外が早くも配布中です。




当日の並び案内はこんなでした。


ホテルへ戻って朝食を摂り、朝風呂も入って部屋でくつろいでいるけれど、室内の窓から見て、まだこんなに並んでいます。
入場券は券売機でも売っているから、すぐ買えるのに訳がわからずとりあえず並んでいるのか。


さて、チェックアウトしてから、東京発一番のかがやきの到着を待ちます。
まあ、そこそこ人がいます。マスコミのカメラも多いです。



到着です。


一番列車から降りた乗客がインタビューを受けています。



ホームから新幹線改札を出たコンコースで、記念品を配っています。











配っていたのはこの袋。



もう一度、改札を出て駅前へ。
いろいろなイベントをしています。





配布されていた袋の中身。



イベントには地元敦賀出身の大和田伸也や、隣接滋賀県の西川貴教が来ていたけれど、人だかりでまったく見ることはできませんでした。



駅に戻って、在来線ホームを見に行きました。

開業まであとゼロ日。




昨日までサンダーバード、しらさぎが出ていた表示は消えて寂しくなっています。





軒先の特急乗車位置案内の表示は、見事にきれいさっぱり撤去されていました。



椅子に座る恐竜さんはそのまま。


さて、初乗車の新幹線に乗るべく、新幹線ホームへ向かいます。


もう、この時間になると見物客もぐっと減りました。



早朝には止まっていた681系はいなくなっていました。



私が乗る10時58分発はくたかが、大阪方から入線。



自由席です。
開業日は始発以外はガラガラの法則は、金沢開業日と同様、今回も当たり。
乗った人も金沢でほとんど降りていったし、その先も空いていて、大量の乗車があったのはもはや普段使いの人たちの高崎からでした。


今回、イベントで配布されたものです。








記念品を配っていた、アイドルみたいな方々は、こういうグループでした。



新幹線の車内誌


今回の敦賀開業を見て、これまでと明らかに違っていたのは、民間の警備員と制服警官が異常に多かったことです。
あきらかに威圧感いっぱいでした。
時代の違いでしょうか。

金沢開業時も、長野開業時も、来賓VIPのSPの姿は確認できたけれど、制服警官は駅内で見ることはありませんでした。

青函トンネル開業の昭和63年には、制限も緩やかで、私は初列車に青森から乗車して函館駅ホームに降り立つ当時の運輸大臣の石原慎太郎を間近でビデオ撮影したものですし、制服警官なんか駅構内にもホームにも皆無でしたね。

隔世の感がします。
  

Posted by よっぱらいくま at 14:04Comments(0)TrackBack(0)開業と廃止の日

2024年03月23日

北陸新幹線敦賀開業前日 敦賀-金沢 しらさぎ最後の日

北陸新幹線敦賀延伸開業に伴い、しらさぎ号、サンダーバード号の敦賀-金沢間の運転が終了しました。
新幹線敦賀開業前日にしらさぎ号に乗って、名古屋から金沢まで行ってきました。

名古屋から乗ったのは、13時48分発のしらさぎ9号。



今回の敦賀-金沢間廃止となるため、実は2月から3月にかけて、ほぼ隔週でこのしらさぎに乗って金沢往復していたんです。だから今日は4回目。
最終日だけあって、これまでよりも名古屋からの乗客は倍はいました。
最終日でも、最終列車でなければこの程度でしょう。

途中の沿線でも写真を撮っている人がたくさんいました。
でも、今後も名古屋-敦賀間はこれまで通り走るのだから、景色的には意味ないような。
外からみたら金沢行きも敦賀行きになっても、何も変わらないし。

そして、いつものとおり、米原からはたくさん乗ってきて、ほぼ満席となりました。


敦賀駅に進入。このホームに着くのも今日限り。


福井駅でもたくさんの人が写真を撮っていました。

金沢駅到着です。
とりあえず、金沢の駅名と681系をいっしょに収めました。



金沢駅ではいつもどおり、駅内のいつものお店「山さん」で乾杯です。
カウンターに一人座り、おいしいおでんに刺身、日本酒と最高です。
最近は、お別れイベント絶対優先ではなく、こういうふうにゆるく参加しています。

金沢駅改札のこの表示も今日までです。


今日は敦賀に泊まり、明日の新幹線敦賀開業に参加するため、最後の名古屋行きとなる18時53分発しらさぎ16号に乗車しました。


私としては最後の金沢からの乗車となるしらさぎが入線。


お別れ乗車もたくさんいるけれど、普段使いの乗客も多い感じで、こちらもほぼ満席で金沢を出ました。
金沢は特にお別れセレモニーはなかったけれど、次の本当の最後となる米原行きのときはお別れセレモニーをやったことをテレビで知りました。

6号車が自由席なのも今日までです。


前の席に自作のさよならカードを窓に掲げた若い人が座っていたので、思わず声をかけたら、「これです」と予備のカードを貸してくれました。


とても礼儀正しい人で、座席の前後で話して、彼は名古屋まで乗ること、私は敦賀で降りると話しました。

敦賀で私は降りて、窓越しに彼とあいさつ、写真も撮らせてくれました。


思いっきり手を振って、発車するしらさぎと彼を見送りました。



最終日イベントの高揚感、回りでも同好の士たちがたくさん写真を撮っているので、私も盛り上がってしまいます。
やっぱり来て良かったなあ。

すぐに下り金沢行きしらさぎが到着するので、下りホームへ行きました。


ホームの恐竜。












さて、まだまだ最終のしらさぎやサンダーバードは何本かあるけれど、いったん駅を出てホテルに行きチェックインして風呂に入り、サービスのラーメンを食べてから再び、敦賀駅に入りました。


約1時間半後のホームは人も増えていました。

金沢行きサンダーバード。


お見送りする人たち。



最終1本前のしらさぎが入線。



私にとって、最後の金沢行きが敦賀駅ホームを出ていきました。


このあと、もう1本、本当の金沢行きしらさぎ号があるのだけど、明日の新幹線開業セレモニーに参加するためには4時起き必須なので、これで帰りました。


最後まで粘る体力も気力も失せました。
お酒も飲んでいるし、本当にほどよくゆるく参加するようになりました。
最後は敦賀駅でもお別れセレモニーをやったのか、知りません。









  

Posted by よっぱらいくま at 16:40Comments(0)TrackBack(0)開業と廃止の日

2024年03月13日

青函連絡船 今日は36回忌

私にとって、3月13日は特別な日。
青函連絡船がなくなって、まる36年も経ちました。
よもや、40代より若い人は記憶すらないだろう、現在です。

自作のビデオを観ながら、当時を惜しんでいます。

今は、スマホでとんでもない高画質で簡単に動画と称するビデオ撮影が出来てしまいますが、
当時は限られた人しか、ビデオ録画は出来ませんでした。

葬式鉄とか、訳のわからぬ人はいなかった、良い時代でした。
普通の人たちが名残惜しんでいた時代でした。  

Posted by よっぱらいくま at 20:21Comments(0)TrackBack(0)青函連絡船

2024年03月10日

北海道LOVEひとめぐり号 日程とカード

配布された沿線市町のカードと日程です。





















1日め 札幌-釧路はこちら

2日め 釧路-知床斜里はこちら

3日め 網走-旭川はこちら

4日め 富良野-札幌はこちら


  

Posted by よっぱらいくま at 13:42Comments(0)TrackBack(0)乗車記 JR

2024年03月03日

北海道LOVEひとめぐり号 4日目 富良野-札幌

最終日、4日めは富良野駅からスタート。


富良野線は乗ったことあるけれど、富良野駅で下車した記憶はありません。

今日は根室本線で滝川へ、滝川からは札幌までです。



構内にはDF200とキハ40が止まっています。





今日の昼食がさっそく配られました。3日間で一番豪華なお弁当でした。


この区間は、石勝線が出来てからは特急も走らず、乗る機会はありません。
ここも大学生の頃、滝川発釧路行きの旧客鈍行で旅して以来の乗車かも。
根室本線は富良野から新得までは廃止も決まっているし、2度と来ることはないかも。
狩勝峠の新線もダイナミックな景色は健在なのに残念な限りです。

芦別に到着。
ここも思い出があり、大学生のときの滝川発釧路行きの旧客鈍行の旅で、早朝の滝川駅でトイレの大を済まして、客車に乗り込みました。
発車してしばらく経ったとき、滝川駅のトイレ個室に財布を置き忘れてしまったことに気づいたのです。
芦別で10分以上停車したので、駅員に「滝川駅のトイレ個室に財布を置き忘れた」旨話して、滝川駅へ問い合わせてもらったのです。用を足すのにジーパンの尻ポケットの財布は邪魔なので、何気なく棚みたいなところに乗せたまま放置してしまいました。個室の位置も説明して、滝川駅からの返答を待ちました。
結果は「ない」とのこと。早朝5時台、他に客もほとんどいないのに、よりによって複数ある個室なのに自分が入ったところに他の客が入って、財布をそのままもっていってしまったのでしょう。
現在と違いクレジットカードの類いとかは入ってなく、小銭と数千円だけのお札と自宅の鍵くらいしか入っていなかったけれど、落ち込みました。旅行中は、周遊券は胸ポケットに手帳に挟んで持ち歩いていたので無事だったのが幸いでした。旅行中にワイド周遊券を無くしたら、完全にアウトですから。
その後、新狩勝峠を下っていく手前でまたも大を催し、旧客トイレで快調な便を排出したことをよく覚えています。
席に戻ると、左の車窓下から短い貨物列車が峠をこちらに向かって上っていく姿が見えました。
素晴らしい景色に感動したけれど、財布をなくしたこともあり、複雑でした。
新得に着いて、朝食に買った駅弁の鹿肉弁当が思いのほか旨かったことも覚えています。
財布は無くしたけれど、現金は鞄に小分けにして財布には最低限しか入れていなかったから、無一文にはなっていないのです。
財布を無くす、すられるとかも考えて旅していました。座席夜行が定宿だったから用心はしていたのです。

そんなことを思い出して、その日以来約40年ぶりの芦別駅は閑散としてました。



この窓口に、財布をなくして泣きついたのかなあ。





滝川駅


最後の途中停車駅、岩見沢。



札幌駅到着、お迎えは盛大でした。


でも、ゆっくりするまもなく、ホームをあとにしなければならない、団体ツアーでした。
おしまい。

ツアー代金は約20万円弱、それなりのホテルに3泊して、団体貸切バス移動も現地のみの細切れ短時間乗車ばかりだから、原価も高くついていると思います。高いのか安いのか、よくわかりませんが、鉄道ファンの私には大満足な旅でした。
途中停車駅の歓迎セレモニーも、ご当地キャラの着ぐるみたちも、楽しいものでした。
他の参加者はご多分に漏れず高齢者が多く、特に鉄道マニア臭がする人は見かけませんでした。
それだけ、鉄道の旅が一般に浸透しているのでしょう。

1日目 札幌-釧路はこちら

2日目 釧路-知床斜里はこちら

3日目 知床斜里-旭川はこちら

配布されたカードと日程はこちら







  

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2024年03月03日

北海道LOVEひとめぐり号 2日目 釧路-知床斜里

2日めは、釧路から知床斜里まで釧網本線の旅です。

釧路駅に進入するひとめぐり号。



さっそく、宴会の始まり。




まずは釧路湿原駅で途中下車、皆さん展望台へ向かいます。
ここも歓迎ムードです。

停車中のひとめぐり号



次は標茶に停車。
SL釧路湿原号で2度訪れています。



右の人は標茶町長さん。


本当は標茶で私が好きなしべちゃ牛乳を配る予定が間に合わなかったらしい。

車内で今日の昼食が配られました。


次は川湯温泉駅、旧名は川湯駅です。



大学生のとき、旧客で旅した頃。




ここで、標茶駅で間に合わなかったしべちゃ牛乳が、無事に追いついて配布されました。やっぱり旨いわ。



今日の終点、知床斜里駅に到着。昔はただの斜里駅でした。


バスに乗り換え、観光地を巡って知床温泉泊。


1日め 札幌-釧路はこちら

3日め 知床斜里-旭川はこちら

4日め 富良野-札幌はこちら

配布されたカードと日程はこちら
  

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2024年03月03日

北海道LOVEひとめぐり号 3日目 知床斜里-旭川

北海道LOVEひとめぐり号の旅、3日め。
今日は知床斜里から釧網本線で網走へ、石北本線で旭川までです。
通しで旭川まで乗るのは、大学生のとき以来かな。


知床斜里で再びひとめぐり号に乗車です、ぞろぞろと駅の中へ。


途中の北浜駅は徐行で通過でした。
ツアー観光バスなんかも必ず立ち寄る駅だから、海も間近に見えて停車してもいいのに通過でした。
ダイヤの都合かな。他の列車はほとんど走っていないのにね。



網走駅では時間も十分にとってあり、途中下車を楽しみます。
皆さん、駅前の散歩に記念撮影。



網走駅に湧網線の痕跡は見つかりませんでした。
でも、なんとなく、左側が旧0番線、湧網線ホーム跡かな?

上の写真と同じ位置かも、昭和58年頃、夜行急行大雪号と左に湧網線の気動車が写っています。





網走を発車した車内で、こんなものを買いました。
湧網線お別れのキーホルダー、改めて作製したのでしょうか。





次は北見駅で停車。



北見駅、降りた記憶がまったくありません。
相生線が生きていたとき、乗車のため乗り換えているはずだけど。


今日の昼食です。



次は遠軽に停車。
思い出がある駅です。大学生のとき、網走から旭川へ行く旧客の旅で、長時間停車しました。
方向転換するから機関車の付替とか作業があったので。
今日のひとめぐり号も座席を転換します。


大学生のとき、広い構内の外れに、3軸ボギー台車の客車が廃車待ちでいました。
今は閑散としています。

昭和58年頃の遠軽駅にて







まだデビューしたばかりの183系気動車は、こんなに長編成でした。



お次は白滝駅に停車。
現状のダイヤで鉄道の旅でここで途中下車することは至難の業でしょう。



ちなみにこの旅をアシストしてくれているのは、ふだんはJALの客室乗務員の方々で、JALふるさとアンバサダーを務めているのです。

上川にも停車して、旭川も間近な当麻駅も停車。乗り換えとかの要衝でもないし特徴はないけれど、ここで下車したのは人生初めてです。



今日は旭川駅でおしまい。
バスで今日の宿、新富良野プリンスホテルへ。
富良野線で富良野まではひとめぐり号には乗せてもらえません。

1日め 札幌-釧路はこちら

2日め 釧路-知床斜里はこちら

4日め 富良野-札幌はこちら


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2024年03月03日

北海道LOVEひとめぐり号 1日目 札幌-釧路

JR北海道とJALの共同企画で、阪急交通社主催の「北海道LOVEひとめぐり号」に乗って北海道をまわってきました。
他にもJTBやクラブツーリズム主催のツアーもあり、コースは微妙に異なっていました。
昨年9月末から10月初めの3泊4日の旅でした。

ツアーは1日目は札幌から釧路まで根室本線の旅です。



札幌駅ではささやかなお見送りセレモニーが。



今日のお昼は札幌駅の鮭めし。


これから停車駅ごとにカードが配布されるとのことで、カードホルダーが配布されます。


だいたい10分程度停車するので、ホームや駅前を散歩できます。











白糠駅で降りたのは、北海道全線完乗を目指していた昭和58年頃、白糠線に乗るために降り立ったとき以来です。
物販コーナーも大盛況です。
白糠線の痕跡はわかりませんでした。(この隣のホームかな?)

昭和58年頃、白糠線に乗ったときの写真



終点、北進駅






今日は釧路駅でおしまい。

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3日めはこちら

4日めはこちら


配布されたカードと日程はこちら
  

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2024年02月12日

でんちゃ

JR九州では、「でんちゃ」なるバッテリー駆動の電車が、筑豊本線の折尾-若松間(通称「若松線」)走っています。


折尾駅の電化区間ではパンタグラフをあげて充電中。





発車直前にパンタグラフを下ろしています。

ホーム端の若松側。


架線区間が途切れる標識があります。



パンタグラフを下げた電車が、非電化区間に走り去りました。不思議な風景です。





若松駅には架線が張ってあり、到着したでんちゃは、充電して折り返す仕組みです。
短区間だからできる運用なのでしょう。
これを見たら、JR東海のHC85は、電車?クハ、モハという区分は無理があるぞ、と感じました。
だって、大音量の発電用ディーゼルエンジンは、どう見てもキハでしたから。


  

Posted by よっぱらいくま at 14:41Comments(0)TrackBack(0)車両

2024年02月12日

折尾駅のかしわめし

私にとって、日本一の駅弁は、折尾駅のかしわめしです。






今は、トレー入りになっていて、温め直しが簡単になっていますが、前までは経木の容器にそのまま入っていたので、ごはんがへばりついてきれいに食べきるのが大変でした。
容器も経木は蓋のみとなっています。経木の香りは減った感じです。





改札内のうどん店兼売店で売っています。お弁当のみの購入でも、自動券売機で先に券を買って支払うシステムなので、ご注意を。



現在の立ち売りの売り子さんの小南さん。
ネットでもたくさん紹介されています。



先代の山口さん。2001年撮影。


今は他では見ることのない、駅弁立ち売り風景です。
  

Posted by よっぱらいくま at 14:27Comments(0)TrackBack(0)駅弁

2024年02月12日

折尾駅 今昔

大規模な整備事業により、生まれ変わった折尾駅を訪ねました。
最後に行ったのは2016年、その前が2013年でした。2013年の写真と現在の写真を並べてみます。

先代の駅舎を再現させた現在の駅舎。


2011年に撮影した、旧駅舎。今と位置は違います。



日本初立体交差駅の地の碑



筑豊本線の位置にレールを残しています。



昔の筑豊本線のホーム。





駅改札内の床にも旧路線のラインが引かれています。







昔の交差部分、鹿児島本線ホームから。


筑豊本線ホームから。



今の鹿児島本線ホーム。


昔の鹿児島本線ホーム。







右側で新ホームが建設中の風景。


のどかな旧筑豊本線ホーム。







折尾駅へ行ったのは、大好きなかしわめしを買うためでした。
かしわめしの話しはまた別途。


  

Posted by よっぱらいくま at 14:02Comments(0)TrackBack(0)

2024年01月31日

紅白歌合戦2023

昨年大晦日の紅白歌合戦を録画で観ています。
完全に学芸会だな。
9割以上、知らない曲、知らない歌手、グループ。
本当に2023年にヒットしたの?、知らんね。1度も聴いたことないわ。
スマホの中の世界じゃないの。

ミュージックステーションの方が百倍マシだな。

テレ東の年忘れニッポンの歌の方が1万倍楽しめるわ。

NHKの首脳陣、いい歳こいて、何に媚びているのかな。

クイーンも出てたのね。あれは良かった。
でも、日本の実力者、古株も出してくれ。

けん玉も止めた方がいいね。

星野源は、持ち歌のどれもまったく同じだな、違いがまったくわからん、どれも同じ曲。何がいいの?

adoは、どんなに歌唱力が優れていても認めません。
アニメの隠れ蓑。普通に姿出せや。こういうの認めるの?NHKホールに出場する歌手だけ認めます。

寺尾聰は良かった。

  

Posted by よっぱらいくま at 20:01Comments(0)TrackBack(0)音楽・映画・テレビ

2024年01月24日

しらさぎ計画運休だって

あ~あ。
大雪予報でしらさぎの計画運休を決め込んだJR海。
どれだけ降るかもわからんのに、最初から逃げの一手。
大雪予報で止めてたら、昭和の時代だったら北陸本線は冬季全面運休だよ、まったく。
運転中に途中で止まることを極度に恐れているのでしょう。
ひと昔前のように、北陸でも常に降雪状態ではないから、雪なら止めるのが当然って、おかしいでしょう。

平時にやっていける最低限度の装備と人員しかいないから、たった少しの異常時にすぐに麻痺するのが、現代の日本。
能登半島地震でも、平成の大合併で役所のマンパワーをそぎ落としてきたから、麻痺して対応が追いつかないでいて、職員は疲弊している。
余裕というものを「無駄」と切り捨ててきた結果、衰退を続ける日本です。

名古屋-金沢は運休と言っているけれど、米原発着のしらさぎき動くのかしら?
動くのなら、新幹線で米原まで行ってって、案内してほしい。  

Posted by よっぱらいくま at 06:08Comments(0)TrackBack(0)事故・災害

2024年01月11日

能登地震のニュースを観て

 やけどを負った幼い子供が、救急搬送も一度は断られて、二度目で病院に搬送されるも、軽傷ではないけれど重傷でもないと言われ、入院させてもらえず追い返されて、結局命を失った。
 かたや今、体調不良の高齢者たちを、救急車が隊列を組んで、自衛隊のヘリコプターまで使って、二次避難として各地の病院へ移送している。
 なんだか納得いきませんね。  

Posted by よっぱらいくま at 19:24Comments(0)TrackBack(0)政治・社会

2024年01月10日

 羽田空港の事故

NHKで羽田空港の事故をクローズアップ現代で放送している。

責任追及よりも、原因究明、再発防止が一番大事との話し、本当にそのとおりです。
しかし、日本では、誰が悪いという追求が優先され、ど素人の警察がしゃしゃり出て、犯人捜しを始める。

国交省の事故調にすべて任せれば良い。
関係者はすべて免責する前提で、真実を話してもらうためにも自分のミスがあったとしても保身のために証言をねじ曲げないためにも、警察は抜きに調査するべきである。

柳田邦夫の著書にもあるとおり、責任追及よりも、原因究明、再発防止を優先するべきである。

低次元の自動車事故は別としてね。  

Posted by よっぱらいくま at 19:58Comments(0)TrackBack(0)事故・災害

2023年10月29日

新幹線の車販廃止と喫煙コーナーの廃止

最近、新幹線関連の報道が多いです。
車販廃止に続き、今度は喫煙コーナーの廃止も時間差で報じられました。

私が前に、車販を廃止したら非常時の水分補給もままならなくなると指摘しました。
まさかそういう意見が他からも多数あったかどうかは知らないけれど、車販を廃止したら飲料水確保は必要と認めて、その保管場所のために、急遽喫煙スペースをつぶして、非常用飲料水の保管場所にすると決めたのなら、JR海には想像力に欠けるなと思いました。

私はタバコは昔から大嫌いだったから、喫煙コーナーなどどうでもいいし、喫煙コーナーでタバコを吸ってきた人が隣に座るとタバコ臭いから嫌です。
ヘビースモーカーの芸能人とかが悲鳴を上げているのはちよっと、喫煙者にはつらいんだろうな。
東京-新大阪の2時間半くらい、まあ我慢しなさいよということだけですが。
二、三時間タバコを我慢出来ないのは、完全に中毒患者、病人ですから。

飲料水確保の問題は前にも書いたけれど、冷水器があれば、そもそもなんの措置もいらないと思うけどね(完全に停電したらダメだけど)。
300系までは洗面所のあるデッキには冷水器がありました。タダでいくらでも水が飲めました。
そういうサービスはやめてきたくせに、非常用飲料水のペットボトルを積み込むという方向なんだと思いました。
賞味期限もあるペットボトルの水を積載して管理するよりも、冷水器を復活させようという発想は生まれないのかしら、JRさんは。

冷水器の復活を、私は願います。

まあ、車販廃止に伴い、水確保の必要性に気がついただけましだけど。  

Posted by よっぱらいくま at 15:54Comments(2)TrackBack(0)新幹線

2023年10月15日

名古屋駅1番線 ビアガーデン山ちゃん

行ってきました。
期間限定で開設されている、正真正銘名古屋駅1番線路上にある手羽先の山ちゃん。
現役ホーム上で飲むのは、34年前の平成元年(1989年)に品川駅7・8番ホームで開設されたビアガーデン以来。

予約が前提で、フリーではほぼ入れないみたい。
システムは、入口で人数分の代金を払って入場。黄色い輪っかを手首に巻きます。
飲み物、食べ物はセルフサービスで、一般的なビアガーデンと同じ。
手羽先だけは一人一人前だけで、追加したければ追加代金が必要。その他は食べ放題。
食べ物は入り口の券売機で好きなだけ発券して、中の人に渡すと、フードコートとかによくある呼出機を受け取って待つ。
ビールサーバー4基、ソフトドリンクの機械もあり、出口付近にレモンサワーとハイボール専用機がある。

調理場は、コロナ渦以来閉店している立ち食いスタンドを利用、これがなければ実現はしていないでしょう。

フードも充実していると思います。
枝豆、土手煮、串カツ、赤ウインナー、板わさ、その他諸々と飲むには十分、焼きそば、チャーハンとかも。
これらが食べ放題だから、手羽先だけは一人前で十分です。

制限時間は90分で、次の予約もあるから結構厳格です。
ビール8杯で時間終了となりました。
一杯500円と換算すれば、元はとったかな。
電車を見ながら、ビアガーデンは飲んべえ鉄マニアには最高です。
オヤジのグループも多かったです。

HC85系が2番線に到着して、熱田方へ回送で出て行くときは、激しいエンジン音で出ていきました。
ありゃモハじゃなくて、やっぱりキハだなと思いました。

電車を見ながら、貨物も通るし、ホームで飲むビアガーデンは最高でした。















  

Posted by よっぱらいくま at 16:02Comments(0)TrackBack(0)

2023年09月03日

駅舎

NHKも民放も、駅舎のアクセント、易者と同じ発音。前にアクセントを持って来てください。
本当、日本語が乱れています。
今、放送しているNHKの関東大震災のアナウンサー、誰だ、発音直せ。  

Posted by よっぱらいくま at 21:21Comments(0)TrackBack(0)日記