2023年09月03日
名鉄パノラマスーパー展望席
名古屋から豊橋への帰り、久しぶりに名鉄パノラマスーパー展望席にて楽しみました。
窓側よりも通路側のB・C席がお勧めです。
これは近鉄「ひのとり」も同じ。
知立駅は高架化工事の真っ最中。
3階建て構造みたいで、太田川と同じような感じです。
飯田線との合流地点。
豊橋到着。
普段はJR派ですが、たまには名鉄も良いものですね。
窓側よりも通路側のB・C席がお勧めです。
これは近鉄「ひのとり」も同じ。
知立駅は高架化工事の真っ最中。
3階建て構造みたいで、太田川と同じような感じです。
飯田線との合流地点。
豊橋到着。
普段はJR派ですが、たまには名鉄も良いものですね。
2023年09月03日
名鉄瀬戸線 大津町駅跡
愛知県庁へ寄ったついでに、久しぶりに名鉄瀬戸線の旧大津町駅跡を見てきました。
季節柄もあるけど、以前よりも草ぼうぼうであまり良くは見えません。
階段も草だらけ。
今でも名鉄管理のようです。
季節柄もあるけど、以前よりも草ぼうぼうであまり良くは見えません。
階段も草だらけ。
今でも名鉄管理のようです。
2023年08月31日
中国の輸入拒否
日本の海産物を食いたくないなら勝手にすればいいと思うけれど、中国からの工業製品の輸入拒否は、今の日本では絶対に出来ないよね。
日本は完全に中国に依存しているから、高市みたいに勇ましいこと言っても、負けは確実と思います。
身のまわりの工業製品はすべて、メイドインチャイナが現実です。
日本は完全に中国に依存しているから、高市みたいに勇ましいこと言っても、負けは確実と思います。
身のまわりの工業製品はすべて、メイドインチャイナが現実です。
2023年08月30日
2023年08月30日
2023年08月28日
2023年08月17日
東海道新幹線 失態続き
最初に断っておきますが、現場のJRの職員は本当に苦労したはずだし、責める気は毛頭ありません。
16日に続いて、今日17日も醜態をさらした、JR東海。
未明まで前日の到着電車が続々と到着して、オペレーションは完全に麻痺。
15日は逃げの一手で計画運休したくせに、その判断の検証もなしに、翌日からは大混乱。
計画運休なんて世迷い言はやめるべき。
今日は前日の麻痺を引き摺っての、乗務員の手当が付かない当然の結果。
15日は早々と計画運休したくせに、今回の顛末は予想できなかったのですか。
台風の影響よりもはるかに簡単に予測がつきそうなものですが。
新幹線が新大阪に未明に着いても、在来線は西だから、新幹線がいくら遅れたところで、JR東海のために接続させる臨時電車を動かす気など微塵もないだろう。
新大阪-大阪間と、大阪環状線だけでも動かせば、たくさんの人を救済できただろう。
国鉄時代のひとつの組織なら、なんらかの対応もしたかもしれない。
分割民営が正しかったのか、今でも反省することはできるのではないか。
乗客の命が大事だとか世迷い言を言うばかりの、専門家と称するド素人の計画運休支持は、完全に間違っています。
今日、17日の新幹線の混乱は、完全に人災、オペレーションの失態ですから、JRを擁護する理由はありません。
16日に続いて、今日17日も醜態をさらした、JR東海。
未明まで前日の到着電車が続々と到着して、オペレーションは完全に麻痺。
15日は逃げの一手で計画運休したくせに、その判断の検証もなしに、翌日からは大混乱。
計画運休なんて世迷い言はやめるべき。
今日は前日の麻痺を引き摺っての、乗務員の手当が付かない当然の結果。
15日は早々と計画運休したくせに、今回の顛末は予想できなかったのですか。
台風の影響よりもはるかに簡単に予測がつきそうなものですが。
新幹線が新大阪に未明に着いても、在来線は西だから、新幹線がいくら遅れたところで、JR東海のために接続させる臨時電車を動かす気など微塵もないだろう。
新大阪-大阪間と、大阪環状線だけでも動かせば、たくさんの人を救済できただろう。
国鉄時代のひとつの組織なら、なんらかの対応もしたかもしれない。
分割民営が正しかったのか、今でも反省することはできるのではないか。
乗客の命が大事だとか世迷い言を言うばかりの、専門家と称するド素人の計画運休支持は、完全に間違っています。
今日、17日の新幹線の混乱は、完全に人災、オペレーションの失態ですから、JRを擁護する理由はありません。
2023年08月16日
計画運休、大失敗
15日の計画運休は無意味だったけど、今日は予想外の大雨で長時間の抑止。やっぱり無責任な計画運休はやめた方がいいんじゃないかな?
昨日の移動を諦めて、今日乗った人たちの怒りは幾ばくか?
専門家と称する人たちは、外れても良いと計画運休
を支持するが、今日の失態をどう思う?
結局、予測不可能なんだから、ギリギリまで動かす努力をしろ、国鉄時代のように。
昨日の移動を諦めて、今日乗った人たちの怒りは幾ばくか?
専門家と称する人たちは、外れても良いと計画運休
を支持するが、今日の失態をどう思う?
結局、予測不可能なんだから、ギリギリまで動かす努力をしろ、国鉄時代のように。
2023年08月14日
住友大阪セメント多賀 鉱山架空索道用ガード跡
以前、米原-京都間の彦根付近にある謎の構造物のことを書きました。
先日、何気なくグーグルマップでそこを確認したところ、
名所かよ!はっきりと説明、(正式?)名称「住友大阪セメント多賀 鉱山架空索道用ガード跡」とあるし、「史跡」と分類されている。
あれだけ謎で、調べたのに。
まさかこの私のブログで脚光を浴びたとか、それはないかな。
私が2010年頃現地に行って調べてこれを書いた頃、ネットで探してもほとんどこれに関するものはほとんどありませんでした。
現在は山のように、これに関する写真や記事がネット上にたくさんあります。
いつのまにメジャーになったのか。
グーグルマップのコメントでは、近々解体される準備中みたいに書いてある。
もう現在では、解体されてしまったのだろうか。
先日、何気なくグーグルマップでそこを確認したところ、
名所かよ!はっきりと説明、(正式?)名称「住友大阪セメント多賀 鉱山架空索道用ガード跡」とあるし、「史跡」と分類されている。
あれだけ謎で、調べたのに。
まさかこの私のブログで脚光を浴びたとか、それはないかな。
私が2010年頃現地に行って調べてこれを書いた頃、ネットで探してもほとんどこれに関するものはほとんどありませんでした。
現在は山のように、これに関する写真や記事がネット上にたくさんあります。
いつのまにメジャーになったのか。
グーグルマップのコメントでは、近々解体される準備中みたいに書いてある。
もう現在では、解体されてしまったのだろうか。
2023年08月14日
東海道新幹線から車販終了のニュースを聞いて
唐突なニュースでした、東海道新幹線からの車販がなくなるとのこと。
ついに来たかとも思ったし、まさかという気持ちも。
世間の反響も思ったより大きいものでした。皆さん、それなりの思いがあるようで。
私は学生時代に新幹線の車販のバイトをしたので、それなりの思いがあります。
詳しくこちらに書いていますが、あの頃を経験しているとまさか、車販までなくなるとは信じられません。
食堂車が21世紀が始まった頃には廃止され、その後車販は安泰でしたが、こだま号からは撤退したあと、のぞみ、ひかりでは存続して現在に至っています。
駅ナカの充実、売店も充実してきて、たしかに乗車前の選択肢と買う機会は増えた結果、車販の売り上げは半減してしまったようです。
私が車販のバイトをしていた頃は、それこそ食堂車があるひかり組は10名以上の体制で従業員が新幹線に乗務しました。
ビュッフェだけのこだま組でも6名くらいは乗務したはずです。
それこそ商品はたくさん売れて、活気がありました。はっきり言って激務でした。
現在のパーサーと呼ばれる人たちは人手不足もあり、2~3名だけの乗務で、一人はグリーン車専属の要員だから、2人乗務だとなかなか車販が回ってこないので、車販を利用する機会も減っています。
人手不足もそんなに深刻なのかというのが実感です。たしかに、女性の職業としては、車内を歩き続けての立ち仕事はかなり重労働な部類だと、バイトをしていた頃から実感しています。
でも今は、精算は機械任せで全商品の価格を覚える必要はないようだし、現金以外にスイカ精算もできるし、車内を何往復もしていないようだし、かなり楽になったように感じています。
それに車内が激混みすることも、昭和の時代に比べれば皆無だし、仕事姿もスマートに見えて昔ほどの重労働には見えません。なんで人気がないんだろうか。
さて、世間の反応は、堅いアイスが買えなくなるとか、ご褒美のビールが買えなくなるとかという声もあるけれど、必要性は薄れているのでなくなっても当たり前という受け取り方もあります。
まあ、それぞれごもっともだと思います。
私は、朝のワンコイン500円で買えるサンドイッチとコーヒーのセットは、東京へ行くときには重宝しました。それになんとなく、ビールを飲まない東京行きに乗った際は必ずコーヒーだけでも買っています。
名古屋へ帰るときは100%ビールその他アルコール類を飲んでいるので、車販のお世話になるのは、飲み足りないときに追加を買うのにも重宝しています。
結論としては、私にとっては車販は最後の砦なんですよね。
時間がなくて駅で買う余裕がなかったとか、予想外にホームの売店が混んでいて買えないとかいう場合、最後の頼りが車販なのです。
そして車販の必要性は、非常時、異常時にも最後の砦となる役割があると思います。事故災害等で駅間や駅でも待避線に長時間の停車を余儀なくされて車内に缶詰になったときの食料、飲料の供給の役割です。数は限られるだろうけれど、ないよりは車販の在庫があれば水も最低限は入手できるはずです。
私は新幹線700系以降から車内の冷水器を廃止したことは大問題だし明らかなサービス低下だと指摘してきました。
「新幹線車内の自販機と冷水器」←こちら
非常時に水が手に入らないことは、体の弱い人や子供には大問題だと思います。現在走っている新幹線に大量に非常用のペットボトルの水でも積んでいるなら良いけれど、そんな話しは聞いたことありません。
こだまから車販が撤退したときは、各駅停車で頻繁に停車するし、通過待ちの停車中にホームの自販機で飲み物は買えるからまあ、仕方ないかなとも思っていましたが、新横浜-名古屋間は1時間以上止まりません。飲食物の提供義務があると思います。
昔の国鉄は(なんて言うと嫌われるのだけど)、駅の売店、車販、食堂車は、純粋な商売ではなく、飲食物の提供義務でやっていたという側面がありました。
コンビニなんかなかった時代は、地方のローカル線でも駅の売店は早朝から深夜までやっていました。それは飲食物の提供義務という側面があったからです。そして、近所の人がわざわざ駅の売店、キオスクへ買い物だけのために駅を訪れていた風景も日常でした。
今はコンビニをはじめ駅ナカの充実で、飲食物の購入機会は恵まれているので、そういう位置づけはすでに不要なのでしょう。しかし、それは都会の大きな駅に限った話しです。
今は、利用者の少ない駅でなくても中規模以下の駅からは売店、キオスクはことごとく撤退してきています。
これは、私の趣味的には、駅で乗車前にビールを買えないという切実な問題でもあります。駅近くというのはなぜかコンビニはなくて、昔は多かった個人商店の酒屋もことごとくなくなっているので、大きな駅以外では、アルコール類を手に入れるのに案外苦労するのです。
長万部駅ではアルコールはおろか食事になるものも手に入れられなかったことも。特急に乗ったとしても車販はないし、飲み物食べ物は手に入らないということです。
現実は、在来線の特急からはほぼ車販は絶滅したし、現在は需要が減ったというのは仕方ないにしても、東海道新幹線でも最後の砦としても車販は維持してほしいところです。
山陽区間は維持するという話しは、頼もしい限りです。
テレビや新聞を見ても、情緒的な話しばかりで、車販の非常時の役割とかに目を向ける視点がなく、純粋な商売として損得だけでしか見ていないなと感じました。
ついに来たかとも思ったし、まさかという気持ちも。
世間の反響も思ったより大きいものでした。皆さん、それなりの思いがあるようで。
私は学生時代に新幹線の車販のバイトをしたので、それなりの思いがあります。
詳しくこちらに書いていますが、あの頃を経験しているとまさか、車販までなくなるとは信じられません。
食堂車が21世紀が始まった頃には廃止され、その後車販は安泰でしたが、こだま号からは撤退したあと、のぞみ、ひかりでは存続して現在に至っています。
駅ナカの充実、売店も充実してきて、たしかに乗車前の選択肢と買う機会は増えた結果、車販の売り上げは半減してしまったようです。
私が車販のバイトをしていた頃は、それこそ食堂車があるひかり組は10名以上の体制で従業員が新幹線に乗務しました。
ビュッフェだけのこだま組でも6名くらいは乗務したはずです。
それこそ商品はたくさん売れて、活気がありました。はっきり言って激務でした。
現在のパーサーと呼ばれる人たちは人手不足もあり、2~3名だけの乗務で、一人はグリーン車専属の要員だから、2人乗務だとなかなか車販が回ってこないので、車販を利用する機会も減っています。
人手不足もそんなに深刻なのかというのが実感です。たしかに、女性の職業としては、車内を歩き続けての立ち仕事はかなり重労働な部類だと、バイトをしていた頃から実感しています。
でも今は、精算は機械任せで全商品の価格を覚える必要はないようだし、現金以外にスイカ精算もできるし、車内を何往復もしていないようだし、かなり楽になったように感じています。
それに車内が激混みすることも、昭和の時代に比べれば皆無だし、仕事姿もスマートに見えて昔ほどの重労働には見えません。なんで人気がないんだろうか。
さて、世間の反応は、堅いアイスが買えなくなるとか、ご褒美のビールが買えなくなるとかという声もあるけれど、必要性は薄れているのでなくなっても当たり前という受け取り方もあります。
まあ、それぞれごもっともだと思います。
私は、朝のワンコイン500円で買えるサンドイッチとコーヒーのセットは、東京へ行くときには重宝しました。それになんとなく、ビールを飲まない東京行きに乗った際は必ずコーヒーだけでも買っています。
名古屋へ帰るときは100%ビールその他アルコール類を飲んでいるので、車販のお世話になるのは、飲み足りないときに追加を買うのにも重宝しています。
結論としては、私にとっては車販は最後の砦なんですよね。
時間がなくて駅で買う余裕がなかったとか、予想外にホームの売店が混んでいて買えないとかいう場合、最後の頼りが車販なのです。
そして車販の必要性は、非常時、異常時にも最後の砦となる役割があると思います。事故災害等で駅間や駅でも待避線に長時間の停車を余儀なくされて車内に缶詰になったときの食料、飲料の供給の役割です。数は限られるだろうけれど、ないよりは車販の在庫があれば水も最低限は入手できるはずです。
私は新幹線700系以降から車内の冷水器を廃止したことは大問題だし明らかなサービス低下だと指摘してきました。
「新幹線車内の自販機と冷水器」←こちら
非常時に水が手に入らないことは、体の弱い人や子供には大問題だと思います。現在走っている新幹線に大量に非常用のペットボトルの水でも積んでいるなら良いけれど、そんな話しは聞いたことありません。
こだまから車販が撤退したときは、各駅停車で頻繁に停車するし、通過待ちの停車中にホームの自販機で飲み物は買えるからまあ、仕方ないかなとも思っていましたが、新横浜-名古屋間は1時間以上止まりません。飲食物の提供義務があると思います。
昔の国鉄は(なんて言うと嫌われるのだけど)、駅の売店、車販、食堂車は、純粋な商売ではなく、飲食物の提供義務でやっていたという側面がありました。
コンビニなんかなかった時代は、地方のローカル線でも駅の売店は早朝から深夜までやっていました。それは飲食物の提供義務という側面があったからです。そして、近所の人がわざわざ駅の売店、キオスクへ買い物だけのために駅を訪れていた風景も日常でした。
今はコンビニをはじめ駅ナカの充実で、飲食物の購入機会は恵まれているので、そういう位置づけはすでに不要なのでしょう。しかし、それは都会の大きな駅に限った話しです。
今は、利用者の少ない駅でなくても中規模以下の駅からは売店、キオスクはことごとく撤退してきています。
これは、私の趣味的には、駅で乗車前にビールを買えないという切実な問題でもあります。駅近くというのはなぜかコンビニはなくて、昔は多かった個人商店の酒屋もことごとくなくなっているので、大きな駅以外では、アルコール類を手に入れるのに案外苦労するのです。
長万部駅ではアルコールはおろか食事になるものも手に入れられなかったことも。特急に乗ったとしても車販はないし、飲み物食べ物は手に入らないということです。
現実は、在来線の特急からはほぼ車販は絶滅したし、現在は需要が減ったというのは仕方ないにしても、東海道新幹線でも最後の砦としても車販は維持してほしいところです。
山陽区間は維持するという話しは、頼もしい限りです。
テレビや新聞を見ても、情緒的な話しばかりで、車販の非常時の役割とかに目を向ける視点がなく、純粋な商売として損得だけでしか見ていないなと感じました。
2023年07月21日
2023年07月21日
2023年07月21日
2023年07月20日
波照間島離島航路と 民宿たましろ
以前、波照間島の思い出を書きました。
旅行収集品を漁っていたところ、波照間関連の収集品が出てきました。
まずは、当時の南西航空の離島航路のチケット半券です。
今は高速船しかないけれど、当時(平成2年)は飛行機かフェリーしかありませんでした。
あとは、波照間島で泊まった宿は「民宿 たましろ」でした。
領収書には宿泊代しか記載されていません。消費税は3%時代。
こちらに書いたとおり、夕朝食付きで、泡盛(しかも波照間島限定の今は貴重な「泡波」)が飲み放題(というか半分強制?)でした。なんて良い時代でしょうか。
今、ネットでたましろを調べると、食事が多すぎるとか衛生面に問題云々とか書かれているけれど、通好みのディープな宿みたいです。経営者も高齢化して管理が行き届いていないのかな。
泡波飲み放題は続いているようです。
私が泊まった平成2年は、男女別の相部屋で雑魚寝状態だったけれど、今は個室なんでしょうかね。
再度、泊まってみたいような、避けたいような、私も歳を取ったし。
追記
たましろのことをいろいろとネットで見ていると、本当にマニアック向けな宿だったんですね。
私が泊まった30年前は、汚いとも感じなかったし、食事の量に驚いた記憶もありません。でも、朝食はたしかに、量が多かったような記憶が蘇ってきました。でも、若かったから難なく完食した気が。
夜の食事が、他の客みんなといっしょの大宴会も、普通の宿とはまったく違う楽しいもので、泡波飲み放題だけが記憶に強く残っていたのです。領収書には、酒代の記載はたしかにないですね。
他で書いたけれど常連?旅マニアが確かにいて、そいつらの激論が強烈だったのは確かですが、私も調子に乗って泡波をたらふく飲んで酔っ払っていたので、気分を害するようなものでもありませんでした。
主人は高齢なので、心配です。
しかし、そんな強烈な宿とはまったく知らず、泊まったのはたしかです。
思い出した、たましろを選んだのは、職場の先輩(旅マニア)の推薦だったわ。
ネット情報などない30年以上前でも、そのスジの者には有名な宿だったのでしょう。
旅行収集品を漁っていたところ、波照間関連の収集品が出てきました。
まずは、当時の南西航空の離島航路のチケット半券です。
今は高速船しかないけれど、当時(平成2年)は飛行機かフェリーしかありませんでした。
あとは、波照間島で泊まった宿は「民宿 たましろ」でした。
領収書には宿泊代しか記載されていません。消費税は3%時代。
こちらに書いたとおり、夕朝食付きで、泡盛(しかも波照間島限定の今は貴重な「泡波」)が飲み放題(というか半分強制?)でした。なんて良い時代でしょうか。
今、ネットでたましろを調べると、食事が多すぎるとか衛生面に問題云々とか書かれているけれど、通好みのディープな宿みたいです。経営者も高齢化して管理が行き届いていないのかな。
泡波飲み放題は続いているようです。
私が泊まった平成2年は、男女別の相部屋で雑魚寝状態だったけれど、今は個室なんでしょうかね。
再度、泊まってみたいような、避けたいような、私も歳を取ったし。
追記
たましろのことをいろいろとネットで見ていると、本当にマニアック向けな宿だったんですね。
私が泊まった30年前は、汚いとも感じなかったし、食事の量に驚いた記憶もありません。でも、朝食はたしかに、量が多かったような記憶が蘇ってきました。でも、若かったから難なく完食した気が。
夜の食事が、他の客みんなといっしょの大宴会も、普通の宿とはまったく違う楽しいもので、泡波飲み放題だけが記憶に強く残っていたのです。領収書には、酒代の記載はたしかにないですね。
他で書いたけれど常連?旅マニアが確かにいて、そいつらの激論が強烈だったのは確かですが、私も調子に乗って泡波をたらふく飲んで酔っ払っていたので、気分を害するようなものでもありませんでした。
主人は高齢なので、心配です。
しかし、そんな強烈な宿とはまったく知らず、泊まったのはたしかです。
思い出した、たましろを選んだのは、職場の先輩(旅マニア)の推薦だったわ。
ネット情報などない30年以上前でも、そのスジの者には有名な宿だったのでしょう。
2023年07月02日
電子レンジ 壊れた
ついに壊れました。
我が家の電子レンジが。
購入は1994年、平成6年です。現在2023年、まる29年使い続けたものです。
最近は冷凍モノの解凍中にエラーを起こしたりしていましたが、単純な温めには問題ありませんでした。
昼食に冷凍食品を食べるため加熱中、ついに「ボンっ!」という大きな音がしてフリーズ、表示窓の数字も消えて完全にダメだと、即刻思いました。
幸い、煙も火も出ることなく、大きな音がしただけでした。
いやー、ボンっていって壊れるなんて、なんてレトロな壊れ方というか見事でした。
まる29年間使い続けてきた電子レンジに感謝。
しかし驚愕の事実が。
定格出力が600ワットだと、ずっと思っていたのに500ワットだった。
だから、冷凍食品表示の説明のとおり600ワットの時間に合わせていたから、やや温まりが悪かったと納得。
約30年間、痛恨のミス。
さて、食べるために解凍中の中華やきそばはまだ半解凍状態。
急いでロフトから、亡母の家を処分したときに持ってきて保管していた電子レンジを下ろして、コンセントに繋いで再加熱。
この間、運搬、セッティング作業のため約10分はかかりました。
それは2007年製、これも16年経っていますが、使用したのは実質5~6年だし、母はあまり電子レンジは使用していなかったから、外観も中も新品同様です。
予備があったから良かったものの、無かったら困りましたよね。
こんなふうに役立つなんて思ってもいませんでした。
我が家の電子レンジが。
購入は1994年、平成6年です。現在2023年、まる29年使い続けたものです。
最近は冷凍モノの解凍中にエラーを起こしたりしていましたが、単純な温めには問題ありませんでした。
昼食に冷凍食品を食べるため加熱中、ついに「ボンっ!」という大きな音がしてフリーズ、表示窓の数字も消えて完全にダメだと、即刻思いました。
幸い、煙も火も出ることなく、大きな音がしただけでした。
いやー、ボンっていって壊れるなんて、なんてレトロな壊れ方というか見事でした。
まる29年間使い続けてきた電子レンジに感謝。
しかし驚愕の事実が。
定格出力が600ワットだと、ずっと思っていたのに500ワットだった。
だから、冷凍食品表示の説明のとおり600ワットの時間に合わせていたから、やや温まりが悪かったと納得。
約30年間、痛恨のミス。
さて、食べるために解凍中の中華やきそばはまだ半解凍状態。
急いでロフトから、亡母の家を処分したときに持ってきて保管していた電子レンジを下ろして、コンセントに繋いで再加熱。
この間、運搬、セッティング作業のため約10分はかかりました。
それは2007年製、これも16年経っていますが、使用したのは実質5~6年だし、母はあまり電子レンジは使用していなかったから、外観も中も新品同様です。
予備があったから良かったものの、無かったら困りましたよね。
こんなふうに役立つなんて思ってもいませんでした。
2023年06月25日
浜田麻里 Soar
浜田麻里の最新アルバムのSoarを約2ヶ月、聴き込みました。
全曲良いです、はっきり言って。久しぶりです、こんなに音楽に没頭するなんて。
1曲めから、激しいハードなスタートで、ライブでは1曲めになるんじゃないかしら。
でもあえて、私のベスト3を選びました。
・Prism
・Dancing With Heartache
・Last Leaf
10月の名古屋でのコンサートのチケットも確保済みです。
楽しみ。
前作アルバムのZeroも演ってくれるかなあ。
全曲良いです、はっきり言って。久しぶりです、こんなに音楽に没頭するなんて。
1曲めから、激しいハードなスタートで、ライブでは1曲めになるんじゃないかしら。
でもあえて、私のベスト3を選びました。
・Prism
・Dancing With Heartache
・Last Leaf
10月の名古屋でのコンサートのチケットも確保済みです。
楽しみ。
前作アルバムのZeroも演ってくれるかなあ。
2023年06月04日
大雨で大混乱の新幹線
16時30分頃、名古屋到着時の案内。14時31分発から動いていません。
6月2日、午後の新幹線で豊橋から名古屋へ移動しました。
その日は夕方、在来線に乗るつもりだったけれど、昼休みも終わる頃に豊橋-岡崎間で大雨のため不通との情報が入りました。
こりゃ大変だと思い始めた頃、職場から公共交通利用者は帰宅せよとの指示が出たので、さっそく帰りました。
新幹線ならまあ、大丈夫だろうと、特に急ぐことなく豊橋駅14時39分発の名古屋行きこだまに乗ることにしました。急げば1本前の14時08分発にも乗れたのだけど、カルミアで買い物もしたかったし、のんびり構えていました。在来線改札口は少し混乱していたようだけど、気にもとめず新幹線改札口へ。在来線が動いていないためか、自動券売機にはいつもはない行列があり、不慣れな感じの客が多いと見受けられました。
さて、14時30分頃にはホームに降りて、この時間帯にしては少し列の客が多いかなといった感じで、ならば2号車にするかとホーム先端方面へ。ほどなく東京方から前照灯もまぶしく光らせた新幹線がゆっくりと進入してきました。やれやれ時間通りだなと思っていたら、その新幹線は通過線に進入して停車しました。先行ののぞみでした。
雨は激しく降っていて、ついに抑止がかかった模様。
続いてほどなく今度は、乗車するこだま725号がほぼ定時に到着しました。車内はこの時間のいつもどおり、ガラガラです。これまで定時運転してきたことを証明しています。
通過線にはのぞみ35号が停車したままです。車内放送では豊橋-三河安城間で降雨量が規制値を超えたため運転を見合わせますと案内が。
なんてこった、こんなことになるなら、1本前の14時08分発に乗っておけばよかった。先行列車はすべて定時に豊橋を出ていた、通過していたはずだから。
どうなることかと思いながらも、新幹線位置情報や雨雲レーダーをスマホで見ながら時間を潰しました。
お隣ののぞみ35号を窓越しに撮影。
車内の案内。
スマホで見ているレーダーの雨雲は岡崎あたりから名古屋方面は弱くなっています。
豊橋に停車して約1時間過ぎた頃、まもなく発車しますとの放送が。
当然、通過線に止まっている先行ののぞみの後に発車すると思っていたら、なぜかこちらが先に発車しました。
発車後は70キロでの徐行運転です。車内放送では線路状況を確認しながら走っているとのこと。
70キロなら名古屋まで約1時間はかかるなあ、などとふだんと違ってゆっくりと流れる景色を見ながら、これはこれで貴重な体験だなと楽しんでいました。懸念材料は雨が激しくなり三河安城駅で動かなくなり閉じ込められることくらいでした。在来線はストップしているからどうにもならないぞと。
ところが、坂野坂トンネルを出た途端に、通常速度まで猛加速し始めました。ほどなく三河安城が近づき、減速、停車しました。
車内放送では豊橋-刈谷間は運転していないので、三河安城では在来線は乗り換え不可能なので、刈谷駅までは名古屋まで行って乗り換えるよう案内しています。
三河安城から2号車に乗車した客はほとんどいません。
上り待避線にはのぞみ94号が、通過線には修学旅行と表示された団体専用が停止しています。
後から追っているのぞみ35号の待避もなくすぐに発車。
上り線停止中の新幹線。
その後、いつもどおりの速度で名古屋まで走りました。
結果、名古屋には約72分遅れの16時20分頃に到着。このこだまは名古屋止まりだけど、延長運転することもありません。
案の定、ホームは大混雑、だって東京方面から新大阪方面への新幹線は約1時間以上来ていないんだもの。
ほどなく、後続の博多行きのぞみ35号がお隣に入線。たぶんこのあとの新幹線は、東京から見て豊橋手前からすべて停止しているからこれを逃したら大阪方面へは行けないはず。かなりの客を乗せていました。
こだまを先行させたのは、名古屋から先へ行くこだまの客の、のぞみへの乗り換えも考慮したのかもしれません。
階段を降りても人だらけです。何も考えず改札を出ようとしたら、入場規制中で出ることは出来ても外から新幹線改札を入ることはできない状況です。
なんか改札前で待っている人たちは殺気だっているようで怖いぞ。
不謹慎にも出走ゲート前の競馬場の馬みたいだと思いました。
これはもったいないと、取材魂がもたれてきて上りホームも見てこようと引き返しました。
在来線からの乗り換え改札も同様に入場規制中。
階段にも座り込む人多数。
上りホームには14時31分発のひかり652号と、14時36分発ののぞみ94号が満席の乗客と多数の立ち客を乗せて、約2時間は停車していました。
ホームをうろついていて時間が経ち、飲み始めるのにちょうど良い17時頃になったので、入場待ちしている人たちで出走ゲート前状態の大混雑の改札を出て、いつものお店に飲みに行きました。
ときおり、スマホで雨雲レーダーを確認していましたが、真っ赤から紫色の「線状降水帯」が豊橋付近から神奈川県方面へ、ほぼ新幹線のルート上に長時間居座っています。これは運転再開の見込みはないかなと考えていました。
1時間半くらいあと、18時半頃にはテレビの取材班も複数いました。
改札前の入場待ちもこのとおり。
結局この日、19時過ぎには東京-名古屋間の運転は中止となりました。
私は地下鉄で家に帰るだけの気楽な立場でしたが、新幹線に乗れず名古屋泊となったり、新幹線ホテル泊となった皆様、お疲れ様でした。
スマホで新幹線位置情報を確認すると、14時30分頃の位置となんら変わらず、ほとんどが300分遅れ以上の表示です。
私が到着した16時20分頃に見た上り線のひかりとのぞみもそのまま停車しているようです。
今回の顛末、私はJR東海の対応にはなんら間違いはなかったと思います。
予想をはるかに超えた雨量、長時間の新幹線ルート上での線状降水帯の居座りは、想像できなかったものです。
近年まれに見る災害級の大雨で、新幹線史上まれに見るダイヤの大混乱だったと思います。
わかっていたら計画運休だったのだろうけれど、台風接近でもないし、それは困難でしょう。
私は計画運休には基本、反対だけど、今回みたいになると収拾がつかなくなるので困ったものです。
降雨の影響もなく即座に走れる状況の名古屋-新大阪だとおもうけれど、乗客を乗せた新幹線が下りは東京-豊橋間、上りは新大阪-東京間で各駅ホームと通過線にびっしりと止まっていては、簡単に名古屋-新大阪間折り返し運転はできません。そのためには名古屋停車中のひかりとのぞみを運転打ち切りとして線路を開けなければなりません。そんなことしたら、車内の乗客からは苦情殺到、大混乱となるのは必至。それに、上り新大阪-名古屋間も各駅、各待避線に乗客を乗せた東京行き新幹線がびっしりと停車中では、それらの客も名古屋での運転打ち切りに応じてもらわなければなりません。
JR東海も雨が弱くなり運転再開できることを願っていたのでしょう。しかし、それも叶わず東京-名古屋間の運転中止を決めざるを得なかったのでしょう。
その結果、名古屋-新大阪間だけは運転再開できたのです。そこらへんの事情を考えると、19時過ぎに東京-名古屋の運転中止した結果、その後やっと名古屋-新大阪間のみの運転再開に時間を要したことも、今回は仕方ないでしょう。
入場規制に遇い乗れなかった人、乗車は出来ていたものの運転中止になった人、皆さん大変でした。
車内で運転打ち切りとなった人には希望者には列車ホテルとかの対応となったと思うけれど、改札に入れなかった改札口前で待っていたような人は自分でホテル手配となったのかな。希望者には新幹線ホテルには案内してもらえたのかな。
規則上も、一度列車に乗ってしまえばJRは出発地への無賃送還や宿泊待機場所の手配、全額払い戻し等々手厚い対応をしてくれるけれど、入場出来なかったら原則、キップの無手数料の払い戻し以外何もしてもらえません。
列車に乗る前と乗った後では、不通時の待遇に天国と地獄を見るのです。
6月2日、午後の新幹線で豊橋から名古屋へ移動しました。
その日は夕方、在来線に乗るつもりだったけれど、昼休みも終わる頃に豊橋-岡崎間で大雨のため不通との情報が入りました。
こりゃ大変だと思い始めた頃、職場から公共交通利用者は帰宅せよとの指示が出たので、さっそく帰りました。
新幹線ならまあ、大丈夫だろうと、特に急ぐことなく豊橋駅14時39分発の名古屋行きこだまに乗ることにしました。急げば1本前の14時08分発にも乗れたのだけど、カルミアで買い物もしたかったし、のんびり構えていました。在来線改札口は少し混乱していたようだけど、気にもとめず新幹線改札口へ。在来線が動いていないためか、自動券売機にはいつもはない行列があり、不慣れな感じの客が多いと見受けられました。
さて、14時30分頃にはホームに降りて、この時間帯にしては少し列の客が多いかなといった感じで、ならば2号車にするかとホーム先端方面へ。ほどなく東京方から前照灯もまぶしく光らせた新幹線がゆっくりと進入してきました。やれやれ時間通りだなと思っていたら、その新幹線は通過線に進入して停車しました。先行ののぞみでした。
雨は激しく降っていて、ついに抑止がかかった模様。
続いてほどなく今度は、乗車するこだま725号がほぼ定時に到着しました。車内はこの時間のいつもどおり、ガラガラです。これまで定時運転してきたことを証明しています。
通過線にはのぞみ35号が停車したままです。車内放送では豊橋-三河安城間で降雨量が規制値を超えたため運転を見合わせますと案内が。
なんてこった、こんなことになるなら、1本前の14時08分発に乗っておけばよかった。先行列車はすべて定時に豊橋を出ていた、通過していたはずだから。
どうなることかと思いながらも、新幹線位置情報や雨雲レーダーをスマホで見ながら時間を潰しました。
お隣ののぞみ35号を窓越しに撮影。
車内の案内。
スマホで見ているレーダーの雨雲は岡崎あたりから名古屋方面は弱くなっています。
豊橋に停車して約1時間過ぎた頃、まもなく発車しますとの放送が。
当然、通過線に止まっている先行ののぞみの後に発車すると思っていたら、なぜかこちらが先に発車しました。
発車後は70キロでの徐行運転です。車内放送では線路状況を確認しながら走っているとのこと。
70キロなら名古屋まで約1時間はかかるなあ、などとふだんと違ってゆっくりと流れる景色を見ながら、これはこれで貴重な体験だなと楽しんでいました。懸念材料は雨が激しくなり三河安城駅で動かなくなり閉じ込められることくらいでした。在来線はストップしているからどうにもならないぞと。
ところが、坂野坂トンネルを出た途端に、通常速度まで猛加速し始めました。ほどなく三河安城が近づき、減速、停車しました。
車内放送では豊橋-刈谷間は運転していないので、三河安城では在来線は乗り換え不可能なので、刈谷駅までは名古屋まで行って乗り換えるよう案内しています。
三河安城から2号車に乗車した客はほとんどいません。
上り待避線にはのぞみ94号が、通過線には修学旅行と表示された団体専用が停止しています。
後から追っているのぞみ35号の待避もなくすぐに発車。
上り線停止中の新幹線。
その後、いつもどおりの速度で名古屋まで走りました。
結果、名古屋には約72分遅れの16時20分頃に到着。このこだまは名古屋止まりだけど、延長運転することもありません。
案の定、ホームは大混雑、だって東京方面から新大阪方面への新幹線は約1時間以上来ていないんだもの。
ほどなく、後続の博多行きのぞみ35号がお隣に入線。たぶんこのあとの新幹線は、東京から見て豊橋手前からすべて停止しているからこれを逃したら大阪方面へは行けないはず。かなりの客を乗せていました。
こだまを先行させたのは、名古屋から先へ行くこだまの客の、のぞみへの乗り換えも考慮したのかもしれません。
階段を降りても人だらけです。何も考えず改札を出ようとしたら、入場規制中で出ることは出来ても外から新幹線改札を入ることはできない状況です。
なんか改札前で待っている人たちは殺気だっているようで怖いぞ。
不謹慎にも出走ゲート前の競馬場の馬みたいだと思いました。
これはもったいないと、取材魂がもたれてきて上りホームも見てこようと引き返しました。
在来線からの乗り換え改札も同様に入場規制中。
階段にも座り込む人多数。
上りホームには14時31分発のひかり652号と、14時36分発ののぞみ94号が満席の乗客と多数の立ち客を乗せて、約2時間は停車していました。
ホームをうろついていて時間が経ち、飲み始めるのにちょうど良い17時頃になったので、入場待ちしている人たちで出走ゲート前状態の大混雑の改札を出て、いつものお店に飲みに行きました。
ときおり、スマホで雨雲レーダーを確認していましたが、真っ赤から紫色の「線状降水帯」が豊橋付近から神奈川県方面へ、ほぼ新幹線のルート上に長時間居座っています。これは運転再開の見込みはないかなと考えていました。
1時間半くらいあと、18時半頃にはテレビの取材班も複数いました。
改札前の入場待ちもこのとおり。
結局この日、19時過ぎには東京-名古屋間の運転は中止となりました。
私は地下鉄で家に帰るだけの気楽な立場でしたが、新幹線に乗れず名古屋泊となったり、新幹線ホテル泊となった皆様、お疲れ様でした。
スマホで新幹線位置情報を確認すると、14時30分頃の位置となんら変わらず、ほとんどが300分遅れ以上の表示です。
私が到着した16時20分頃に見た上り線のひかりとのぞみもそのまま停車しているようです。
今回の顛末、私はJR東海の対応にはなんら間違いはなかったと思います。
予想をはるかに超えた雨量、長時間の新幹線ルート上での線状降水帯の居座りは、想像できなかったものです。
近年まれに見る災害級の大雨で、新幹線史上まれに見るダイヤの大混乱だったと思います。
わかっていたら計画運休だったのだろうけれど、台風接近でもないし、それは困難でしょう。
私は計画運休には基本、反対だけど、今回みたいになると収拾がつかなくなるので困ったものです。
降雨の影響もなく即座に走れる状況の名古屋-新大阪だとおもうけれど、乗客を乗せた新幹線が下りは東京-豊橋間、上りは新大阪-東京間で各駅ホームと通過線にびっしりと止まっていては、簡単に名古屋-新大阪間折り返し運転はできません。そのためには名古屋停車中のひかりとのぞみを運転打ち切りとして線路を開けなければなりません。そんなことしたら、車内の乗客からは苦情殺到、大混乱となるのは必至。それに、上り新大阪-名古屋間も各駅、各待避線に乗客を乗せた東京行き新幹線がびっしりと停車中では、それらの客も名古屋での運転打ち切りに応じてもらわなければなりません。
JR東海も雨が弱くなり運転再開できることを願っていたのでしょう。しかし、それも叶わず東京-名古屋間の運転中止を決めざるを得なかったのでしょう。
その結果、名古屋-新大阪間だけは運転再開できたのです。そこらへんの事情を考えると、19時過ぎに東京-名古屋の運転中止した結果、その後やっと名古屋-新大阪間のみの運転再開に時間を要したことも、今回は仕方ないでしょう。
入場規制に遇い乗れなかった人、乗車は出来ていたものの運転中止になった人、皆さん大変でした。
車内で運転打ち切りとなった人には希望者には列車ホテルとかの対応となったと思うけれど、改札に入れなかった改札口前で待っていたような人は自分でホテル手配となったのかな。希望者には新幹線ホテルには案内してもらえたのかな。
規則上も、一度列車に乗ってしまえばJRは出発地への無賃送還や宿泊待機場所の手配、全額払い戻し等々手厚い対応をしてくれるけれど、入場出来なかったら原則、キップの無手数料の払い戻し以外何もしてもらえません。
列車に乗る前と乗った後では、不通時の待遇に天国と地獄を見るのです。
2023年05月21日
青函連絡船 摩周丸
函館を訪れるときはほぼ必ず訪れることにしている、青函連絡船の摩周丸。
現在でもきれいに管理、保存され展示公開しています。
5月20日の朝一に再訪です。
お客はそこそこいます。
函館駅にも、青函トンネル開業35周年の看板があり、それは青函連絡船がなくなって同じ年月を経たということです。
35年経過しているということは、今の40歳以下は記憶もないはず。
若い見学者は何を思い、何を感じてくれるのか。
これまでは冬期、雪の時期に訪れていたのでデッキなどは閉鎖されていて、外を見学することが出来ませんでしたが、今回はデッキにも出られました。実はこれまで何度も訪れた摩周丸、冬期以外の訪問は初めてでした。
駅からは歩いて5分くらい。階段を上って受け付けで500円払って入場します。何度も行く理由は、少しでも保存費用に貢献したいから。
就航当時とは雰囲気が違うけれど、桟橋から乗るイメージは変わらず。
さまざまな展示物があります。
グリーン席。
普通桟敷席。
操舵室は現役時代は立ち入ることは出来なかったけれど、今は当たり前にはいれます。
操舵室からの前方の景色。正面に函館山が見えるのは当時と同じでしょう。
右に見えるのは大型船発着のために新造された桟橋。当たり前だけど当時はなかった。
出港時には必ずここのデッキに立ち、出航風景を眺めていました。
左の階段は現役時代はなかった。
今はこのように岸壁に密着していないので、貨物列車乗り入れ用の可動桟橋とは物理的に接続できません。
車両甲板、ここに乗用車を載せて航送していました。
見学後は朝市で函館名物の海鮮丼をたべました。
私は、イクラ、サーモン、イカ、カニの組み合わせが王道です。
イクラが特に旨かった。
現在でもきれいに管理、保存され展示公開しています。
5月20日の朝一に再訪です。
お客はそこそこいます。
函館駅にも、青函トンネル開業35周年の看板があり、それは青函連絡船がなくなって同じ年月を経たということです。
35年経過しているということは、今の40歳以下は記憶もないはず。
若い見学者は何を思い、何を感じてくれるのか。
これまでは冬期、雪の時期に訪れていたのでデッキなどは閉鎖されていて、外を見学することが出来ませんでしたが、今回はデッキにも出られました。実はこれまで何度も訪れた摩周丸、冬期以外の訪問は初めてでした。
駅からは歩いて5分くらい。階段を上って受け付けで500円払って入場します。何度も行く理由は、少しでも保存費用に貢献したいから。
就航当時とは雰囲気が違うけれど、桟橋から乗るイメージは変わらず。
さまざまな展示物があります。
グリーン席。
普通桟敷席。
操舵室は現役時代は立ち入ることは出来なかったけれど、今は当たり前にはいれます。
操舵室からの前方の景色。正面に函館山が見えるのは当時と同じでしょう。
右に見えるのは大型船発着のために新造された桟橋。当たり前だけど当時はなかった。
出港時には必ずここのデッキに立ち、出航風景を眺めていました。
左の階段は現役時代はなかった。
今はこのように岸壁に密着していないので、貨物列車乗り入れ用の可動桟橋とは物理的に接続できません。
車両甲板、ここに乗用車を載せて航送していました。
見学後は朝市で函館名物の海鮮丼をたべました。
私は、イクラ、サーモン、イカ、カニの組み合わせが王道です。
イクラが特に旨かった。
2023年05月14日
日曜日の午後
日曜日の午後は、NHKのど自慢、新婚さんいらっしゃい、パネルクイズアタック25を観ながら過ごすというのが、小さい頃から何十年と続いたものです。
今、こうしてパソコンに向かっているのも、それらの楽しみが無くなったから。
アタック25は放送終了、新婚さんは文枝、まみから司会が交代してから自然と遠ざかりました。
そしてのど自慢、4月から生バンドの伴奏がなくなり、ただのカラオケ大会になりました。
これには相当の批判が出ているようです。
リズムとテンポを守れる、そこそこうまい人しか出場しなくなりました。
これじゃ聞きたくもない、見知らぬ人のカラオケ大会です。
職場、身内の知っている人同士とか、スナックのお客さん同士で酒飲みながらのカラオケならそれなりに楽しいけれど、知りもしない人のカラオケをテレビで観ても何が楽しいのか、1ミリも興味ないし。
興味は完全に失せて、観なくなりました。
NHKは、本当に大切なことが見えなくなり、大切なものを失ったようです。
年末の紅白も年々、本当につまらなくなるし、時代の変化と一言で片付けて良いのでしょうか。
今、こうしてパソコンに向かっているのも、それらの楽しみが無くなったから。
アタック25は放送終了、新婚さんは文枝、まみから司会が交代してから自然と遠ざかりました。
そしてのど自慢、4月から生バンドの伴奏がなくなり、ただのカラオケ大会になりました。
これには相当の批判が出ているようです。
リズムとテンポを守れる、そこそこうまい人しか出場しなくなりました。
これじゃ聞きたくもない、見知らぬ人のカラオケ大会です。
職場、身内の知っている人同士とか、スナックのお客さん同士で酒飲みながらのカラオケならそれなりに楽しいけれど、知りもしない人のカラオケをテレビで観ても何が楽しいのか、1ミリも興味ないし。
興味は完全に失せて、観なくなりました。
NHKは、本当に大切なことが見えなくなり、大切なものを失ったようです。
年末の紅白も年々、本当につまらなくなるし、時代の変化と一言で片付けて良いのでしょうか。
2023年05月07日
マッチ箱 居酒屋編
中日新聞でレトロなマッチ箱の記事があったので、自分の収集品をチェックしました。
最近は禁煙が当たり前だし、店にマッチが置いていることも見かけません。
私はタバコは吸わないし嫌いだけど、マッチは昔から収集していました。
旅館、ホテル、レストランなどたくさんあるけれど、とりあえず居酒屋のものです。
現存していないところが多いかな。
ボトムラインの地下にある今池の養老乃瀧は昔、よく通いました。今は居抜きで「べんがらや」という居酒屋になっています。べんがらやも良い店で今でも通っています。
神田の養老乃瀧。若い頃はたまに行きました。今はないと思います。
手羽先の風来坊、住吉店にはよく通いました。良い店だったのになくなりました。最近の風来坊はしゃれた店が増えて、高くなった気がします。
約30年前くらい、20世紀末あたりが全盛期だった気がするチェーン店。店毎に特徴があって、好きでした。本物の料理人がいた店でした。
名古屋独特の我楽多文庫、今あるのかしら。ここも好きでしたねえ。
大垣の道三。1990年代によく通いました。今もあるはずだけど、まったく変わってこじゃれた店になってしまいました。
シメに食べたラーメンがめちゃくちゃ旨かったんです。
新潟駅前にあった正統派の炉端で、大好きで新潟行ったら一択の店だったけれど、駅前の再開発?の波で、いつの間にか建物ごと消えていました。
焼津駅前にあった、たしか20系の食堂車が鎮座していて車内で食事できた店です。記憶はあいまいです。
1回しか行ってないけれど、今はないでしょうね。
最近は禁煙が当たり前だし、店にマッチが置いていることも見かけません。
私はタバコは吸わないし嫌いだけど、マッチは昔から収集していました。
旅館、ホテル、レストランなどたくさんあるけれど、とりあえず居酒屋のものです。
現存していないところが多いかな。
ボトムラインの地下にある今池の養老乃瀧は昔、よく通いました。今は居抜きで「べんがらや」という居酒屋になっています。べんがらやも良い店で今でも通っています。
神田の養老乃瀧。若い頃はたまに行きました。今はないと思います。
手羽先の風来坊、住吉店にはよく通いました。良い店だったのになくなりました。最近の風来坊はしゃれた店が増えて、高くなった気がします。
約30年前くらい、20世紀末あたりが全盛期だった気がするチェーン店。店毎に特徴があって、好きでした。本物の料理人がいた店でした。
名古屋独特の我楽多文庫、今あるのかしら。ここも好きでしたねえ。
大垣の道三。1990年代によく通いました。今もあるはずだけど、まったく変わってこじゃれた店になってしまいました。
シメに食べたラーメンがめちゃくちゃ旨かったんです。
新潟駅前にあった正統派の炉端で、大好きで新潟行ったら一択の店だったけれど、駅前の再開発?の波で、いつの間にか建物ごと消えていました。
焼津駅前にあった、たしか20系の食堂車が鎮座していて車内で食事できた店です。記憶はあいまいです。
1回しか行ってないけれど、今はないでしょうね。